『関ヶ原合戦と大阪の陣 戦争の日本史17』 笠谷和比古

サイコロの目のように天下は決まる


関ヶ原合戦と大坂の陣 (戦争の日本史 17)
笠谷 和比古
吉川弘文館
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関ヶ原の戦いは本当に天下分け目の戦いだったのか? 豊臣から徳川政権への移行期を、俗説に囚われずに分析する「戦争の日本史」第17巻
『真田丸』も関ヶ原が近いので急いで読んだが、まさに目から鱗の一書だった
本書は関ヶ原の戦いが江戸幕府260年の礎となったという従来の見解に対して、戦後に大幅加増されたのが豊臣系の有力大名であることに着目して異を唱える
関ヶ原の論功行賞は徳川の優位を決定づけるものではなく、秀吉が家康に備えて東海道に配置していた子飼い大名を西国へ移すという、あくまで東国での優位を確立するものに過ぎなかった
豊臣家が65万石の中堅大名に転落したというのも真っ赤な嘘であり、実際には西国に御料地が点在していて隠然たる実力を誇っていた
二条城の会見の際にも、家康は秀頼を対等に近い存在として気を遣っており、関ヶ原後の大譜請にも豊臣家を狩り出さなかった。いや、狩りだせる立場にはなかった
関ヶ原の戦いは形式的に豊臣政権内での主導権争いなのであって、家康も豊臣政権の第一人者としての立場に縛られており、それから抜け出すために征夷大将軍が必要となった
著者は関ヶ原後の政治体制を、関白が約束された豊臣家と征夷大将軍の徳川家の、二つの公儀が並存する「二重公儀体制と見なしている

なぜ、関ヶ原の戦いで徳川の天下が確立できなかったか
それは実際の戦場において、豊臣系大名である福島正則や黒田長政らの存在が大きく、本多忠勝や井伊直政らの先遣隊を除けば、家康自身とその旗本衆がかろうじて参加したに過ぎなかったからだ
徳川の戦闘部隊は、中山道の秀忠隊に集中していて、秀忠の遅参が重要な一因となる
ただし、秀忠の遅参は彼個人の責任ではないと分析するところが本書の白眉である
そもそも、小山の評定の後、家康はなぜ江戸に留まっていたのか。直接的には上杉の南進への備え常陸(現・茨城県)の佐竹義宣の去就が定まらないこと。さらに大きな要因として、小山の評定の際に石田三成-大谷刑部ラインの謀反と見なされたことが、その後宇喜多秀家、毛利輝元をも巻き込んで政権を二分する事態にまで発展したことだ
秀頼の出陣まで想定すると、豊臣恩顧の将を中心とする先鋒がいつ旗幟を翻してもおかしくない。動きたくても、動けなかったのだ

家康は福島正則たちの反応を窺うこととし、秀忠にまず上田城攻略を命じていて、実は秀忠の行動にまったく落ち度はなかった
しかし、福島正則たちが進んで岐阜城へ落としてしまったことで状況は一変。もし、福島たちだけで決着がついては立場がないと、家康は急遽、西上する。この家康の臨機応変の行動が、結果的に秀忠遅参という状況を作ってしまったのである
吉川広家が東軍に通じたことで南宮山の毛利軍が動けないと知った家康は、関ヶ原に戦場を設定。あとは、小早川秀秋が予定どおりに裏切れば、勝利は手にしたも同然だった
しかし、石田軍が戦場で大砲を使用(榴弾?)するなど思わぬ健闘を見せたことから、秀秋は日和見を始めてしまう。もし、秀秋の内応が遅れて、南宮山の毛利軍が動き出してしまったら、東軍の勝利は危うかったという
小早川秀秋は越前転封から再び筑前30万石に復帰する際に、徳川家康の尽力を受けており、西軍のなかでも怪しいと評判になっていた。土壇場で事前の予定どおり、動いたことで東軍の勝利は決定づけられる
ただし、実戦場には豊臣系の大名が活躍しており、徳川家とその譜代大名は全国の3分の1の知行しか掌握できず、徳川の天下とは程遠い状況だった

家康は当初、関ヶ原後の政治体制を豊臣と徳川の「二重公儀体制」を目指した。西国における豊臣系大名の存在を考えるとそれが現実的であり、秀吉の遺言に沿って秀頼と秀忠の娘・千姫との婚姻も整えている
なぜ、そこから家康は豊臣家滅亡を考えるようになったか
それは始まったばかりの江戸幕府の体制が、家康個人の声望に頼ったものだったからだ
豊臣政権内の第一人者として、豊臣恩顧の大名は家康に従ってくれるが、後継者の秀忠に対してはそんな義理はない。もし、家康の死後に秀頼が関白に任官した場合、秀忠の影響力は相当、限られたものとなってしまう。下手すれば、室町幕府の関東公方扱いもありうる
転機になったのは豊臣系の有力大名である加藤清正、浅野幸長が相次いで亡くなったこと
降って湧いたように、方広寺の鐘銘事件が持ち上がり(徳川方の難癖ともいえないらしい)、これを機会に「二重公儀体制」の終焉を目指す
家康個人としては、織田家を秀信や信勝が継いでいるように、豊臣家の断絶を狙ったわけではなく、冬の陣後には大坂城からの立ち退きと一大名としての存続を和議の条件としている
和議では本丸を除く大坂城の破却が決まっており、徳川方が外堀だけでなく内堀を騙して埋めたというのは、俗説だそうだ
大阪の陣に関しては、従来どおりながら、真田勢の活躍に隠れがちな木村重成、毛利勝永、後藤基次(又兵衛)の働きも詳述され、読み応えたっぷり。これを読む限り、大阪の陣のMVPは、毛利勝永だと思う
本書は驚くべき事実が掘り返されているわけではないけれど、冷静な分析で講談的想像力に彩られた歴史像を一新してしまう名著である
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