『信長の戦争 「信長公記」にみる戦国軍事学』 藤本正行

Gレコ劇場版は三部作という話。ならば∀劇場版のような超ダイジェストにはなるまい(あれはあれで神業だけど)
テレビ版を背負いつつ、どう表現が変わるかに注目


信長の戦争 『信長公記』に見る戦国軍事学 (講談社学術文庫)
藤本 正行
講談社
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戦国時代を終わらせた天才・織田信長。近代に到っても神秘性は消えず、さまざまな脚色が施された戦いの実際のところとは? 最も信頼される『信長公記』から読み解く
序章からしてこだわりが違う
『信長公記』信長の家臣・太田牛一が一代記としてまとまたものである。その写本は数十本あるとされ、太田牛一自身が依頼され写したものでも内容が微妙に異なるという
写した年代によって信長や家康への敬称が変化していて、渡す相手の御家の武功を書き足すなどサービスもある。著者はそうした細かい違いをただの誇張なのか、新たな史料から追加したのか精査していくのだ
桶狭間の奇襲、墨俣一夜城、長篠の三段撃ちは、『信長公記』ではなく、それを元にした小瀬甫庵の『甫庵信長記』に由来している。甫庵は胸躍る武勇伝を作るべく、架空の合戦の創作までしており資料性ははなはだ薄い
にも関わらず、明治の陸軍が『日本戦史』において史実扱いしてお墨付きを与えてしまい、それゆえに太平洋戦争の用兵にも影響を与え、今なお講談話が史実の顔をして一人歩きしている。そんな実状を覆すために書かれたのが本書なのだ

ある意味、もっとも後世の日本に影響を与えたといえるのが、桶狭間の奇襲説だろう
太平洋戦争において物量で圧倒的な米軍に対し、迂回・奇襲が奨励され様々な将官から「桶狭間」という言葉が飛び出したという。そして敵は大軍だからこそ油断しているに違いないという、近代戦にあるまじき希望的観測が生まれた
『信長公記』から読み解いた実際の桶狭間はというと、奇襲とは考えづらいという
今川義元は桶狭間という“谷間”ではなく、「おけはざま山」という高所に陣取っていたとされ、特別に油断したとは思えない。その大軍勢からして、いきなり本陣に辿りつけるはずもなく、信長が善照寺砦から大きく迂回したという根拠はない
こうなると、なぜ信長が大軍相手に勝利できたかが謎になる
著者がヒントとするのは、太平洋戦争のミッドウェー海戦だ。ミッドウェーの連合艦隊は、ミッドウェー島の攻略を第一目標としつつも、本当の目的は敵機動艦隊(空母)の撃滅だった
しかし敵機動部隊が発見できないまま、ミッドウェー攻略の爆撃機を飛ばしてしまい、発見したときには艦爆には地上攻撃用の爆弾が備え付けたまま。魚雷に武装を変更する間に、敵の航空機攻撃を受けて空母四隻を失う大敗北に到った
今川軍は大高城を包囲する丸根砦・鷲津砦への攻撃に傾注しており、それに対して信長は中嶋砦に入り、そこから義元本陣へ最短距離を正面から突き進んだ。劣勢のはずの織田軍が大将自ら野戦を挑むというのは今川軍の想定外であり、義元は安全策をとって旗本衆と退却したところ、追撃にあって討たれたというのが著者の描くストーリーだ
戦国時代において将兵を消耗させる野戦は珍しく、武将たちも歓迎しなかった。今川義元の「金持ち喧嘩せず」、最小の損害で勝利する常識的采配が裏目に出たというわけだ
が、管理人にも釈然としないものが残る(苦笑)。その「それにしても」を埋めるために生み出されたのが「奇襲説」なのだろう
この空隙を埋めるに、小林正信氏の唱える「意外に織田軍も大軍だった説」もありと思う

墨俣一夜城は、信長が美濃攻めに際し一時的な拠点として使ったことに由来し、秀吉が当時どこかの城を預かっていたこととと合体して作られたらしい。一夜城ではなく、もともと城としてあったのを争奪したと考えられる
美濃攻めの決定打は美濃三人衆の調略で、そこから一気に稲葉山城の攻略へつなげている。武田攻めも木曾義昌・穴山梅雪の調略から始まっており、信長の戦略は敵勢力内に楔を打ってから攻め込む慎重なものである
長篠の戦いでは、鉄砲三段撃ちを空理空論と指摘。銃の扱いには個人差がかなりあり、遅いものに合わせていては間隔が空いて意味がなくなる。速い者からまちまちに撃つしかなく、それを三千挺の鉄砲で行うのは実戦的ではないのだ
ただ信長が馬防柵を巡らし鉄砲を重視する用兵をしたのは確かで、大和の筒井家には50人ばかりの鉄砲衆を拠出した記録が残っている。諸兵科が混在する戦国時代の軍隊において、鉄砲だけの部隊を運用しようとしたのはたしかに先進的といえよう
石山本願寺を降伏に追い込んだ鉄甲船に関しては、当時の技術からして鉄の船ではなく、要所に鉄で補強した大船であって、焙烙玉を完封できる代物ではないとする
ただし、木津川河口を封鎖する目的に特化していたので、大鉄砲を多く積み込んで毛利水軍の船を寄せ付けない効果があったと推察する
総じて信長が行った天才とされる戦略は、発想の勝利というよりその経済力をフルに動員したものであり、特に独創的というわけでもない。むしろ、その経済力を得るにいたる戦略に天才性が宿っているのだ


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