『グールド魚類画帖』 リチャード・フラナガン

オーストラリアの黒歴史


グールド魚類画帖
グールド魚類画帖
posted with amazlet at 15.12.04
リチャード・フラナガン
白水社
売り上げランキング: 338,004


タスマニアで偽物の古家具を売っていたシド・ハメットは、故買屋で奇妙な魚の画集を見つけた。魚の絵とそこに記された文章に魅せられた彼は、学者たちに相手にされないながらも、そこに書かれた魚たちの物語を復元しようと試みる。そして、タツノオトシゴの一種、ウィーディー・シードラゴンと目を合わせたとき、グールドの物語が蘇る

読むのに時間がかかってしまった
グールドは実在する画家であり、大英帝国の流刑地として始まったオーストラリアに流された囚人だった。そこで繰り広げられる光景は、それこそ人が人を食い合うような地獄であり、疲れた体で帰宅して読むには重過ぎる内容だった(苦笑)
文章も現代人が古書を語りなおした体裁で、グールド自身が気さくに語り上げたようでもある。ハメットがグールドの画帖を見つけたときには、クトゥルー神話のネクロノミコンごときファンタジー演出があったりと堅苦しい内容ではないものの、流れるような散文のなかに詩的な表現が紛れ込んできて、その意味を噛み含めるのにも時間がかかった
しかし、そこに流れる物語は凄まじい。流刑地の文明化を妄想する司令官、黒人を標本にする外科医、流刑地で偽史をでっちあげる書記官、アボリジニを動物同然に扱う白人猟師、司令官の愛人であるアボリジニ女性、語られる伝説の反逆者ブレイディ……と、流刑地では支配する者とされる者の救いのない関係が溢れている
グールドが魚に惹かれたのは、この救いのなさゆえ。魚にも容赦ない食物連鎖はあるが、それ以外では仲良く泳いでいる。どうして人は魚のようになれないのか、人は魚より上等なのか。そんな問いかけが突きつけられている
近代への批判からラストの畳み方まで、バイストンウェルの物語に近しいものを感じた

オーストラリアの歴史は、キャプテン・クックによって1772年に領有権を主張されたときに始まる
1785年「ニューサウス・ウェールズ植民地」と名称変更され、1788年初代総督アーサー・フィリップが1300人の入植民(うち囚人700人)を率いて上陸した。アメリカが独立したことから、新たな流刑植民地としての役割を負うことになったのだ
ビリー・グールドは1827年に衣服を盗んだ罪で流刑が決まり、最悪の流刑地と言われたサラ島へ送られた。画家としての腕を買われ、小説より待遇はよかったようだが、どういう囚人生活を送ったかは記録は残っていない
著者のリチャード・フラナガンは、飢饉のアイルランドから流された囚人にルーツをもつタスマニア生まれの作家で、処女作は自らと流刑にされた祖先をモチーフにしていた。本作はそうしたルーツを探るライフワークの延長に花開いた作品なのだ
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