朝鮮戦争はなにをもたらしたのか? 人民解放軍参戦以降の推移と戦後をふりかえる
1.情報操作と国連軍の大敗
アメリカが人民解放軍の参戦を読めなかったのは、マッカーサーとその側近たちが自らの都合のいい情報しか本国へ伝えず、希望的観測で国連軍を北上させたからだ
特に参謀第二部(G2)のチャールズ・ウィロビーは、上司の望んだような情報しか流さず、連合軍司令部をひとつの王朝にしてしまった。著者は国連軍を鴨緑江へ導いたような情報操作が政治的事情で行われたことを、ベトナム戦争の先例として強く弾劾している
人民解放軍の追撃を受けた国連軍の敗走は、酸鼻を極めた。国連軍には、アメリカのほか、韓国、トルコ、オランダ、フランスなどの軍が参加していたが、急編成の韓国軍はいわずもがな、髭を生やして前評判が高かったトルコ軍も実戦では潰走を重ね、フランス外国人部隊が健闘するのみ。アメリカ軍が取り残される状況が多く、捕虜になる者も多かった
指導者の決断が末端の者たちに何をもたらすのか、上巻と同じテーマが貫かれている
2.兵站の概念がない人民解放軍
毛沢東が人民解放軍の参戦を決めたのには、台湾問題があった。台湾の国民党がアメリカの空海軍に守られて渡海できない状況であり、中国の感覚からするとアメリカとは半ば戦争状態といえた
国内は長い内戦で疲弊していたが、スターリンに派兵を要求され、毛沢東は朝鮮戦争の成功をもって内外の権威を確立しようとしていた。こうした中共の動きは、国民党関係者からアメリカにもたらされていたが、ウィロビーらによって否定されてしまう
人民解放軍はアメリカから国民党軍に供与された銃砲を大量に所持しており、その戦闘力は軽装備のアメリカ軍とそん色ない。空戦力は皆無だったものの、半島北部は山がちで面積が広く、アメリカの空軍でも掣肘を受けなかった
参戦直後は快進撃を続けた人民解放軍だったが、38度線を越えたところで鈍ってくる
補給線が伸びたことで、30万人の大軍を維持しづらくなったのだ。内戦では同国人の農村が後援してくれたので、補給は政治的に確保でき、兵站の概念が育たなかった
人民解放軍の司令官・彭徳懐は、戦前から心配していたが、政治的成功をつかみたい毛沢東は釜山までの進軍を指示。膨大な犠牲者を出すこととなった
トルーマン大統領のもと、和平が模索されるが、マッカーサーは中国との全面戦争を主張してこれをぶち壊し、連合軍司令官を解任。アメリカと中国の消耗を望んでいたスターリン死後の1953年にようやく停戦協定が結ばれた
3.朝鮮戦争後の世界
朝鮮戦争によって、世界はどう変わったか
中国では毛沢東が、北朝鮮では金日成がこの“戦勝”をもって個人独裁を確立した。スターリンの死をもって中国は従属的立場を脱し、経済の自存自立を目指し「大躍進政策」に乗り出す。金日成は人民解放軍の働きを無視し、すべてを自らの功績として現代まで続く全体主義国家を築いた
韓国では、政治体制が二転三転しつつも、民主化と経済成長に成功する。韓国人自身の実力といいつつ、アメリカがウェスト・ポイント型の学校を設立し、アメリカへの移民者、留学生が帰国して民主化に貢献したとする。台湾の民主化のように、陰に陽に強い関与があったと思われるが(朴正煕の台頭と暗殺とか)、本書ではそれに触れていない
さて、アメリカはというと、朝鮮戦争中にマッカッシーの「赤狩り」が始まり、共産主義が一体となって世界革命を企図するという世界観が浸透してしまった。その結果、アイゼンハワー大統領が警告した「軍産複合体」が膨張し、ケネディ政権にその影響力は引き継がれることとなった
『ベスト&プライテスト』を書いた著者は、朝鮮戦争という「封殺された戦争」にベトナム戦争の遠因を観ていて、その無反省はイラク戦争にまで尾を引くと言いたげだ
当時の韓国に対する記述が李承晩に集中していて、日本の扱いも紋きり型であるものの、『ベスト&プライテスト』の前日譚(?)にふさわしい一書だった
*23’4/13 加筆修正
前巻 『ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争』 上巻