第二次チェチェン紛争の現場を取材し、そこで繰り広げられる地獄絵図を書き記したルポルタージュ
2002年のモスクワ劇場占拠事件で交渉役に指名されるほど著名なジャーナリストで、2006年にモスクワで暗殺されてしまった
西欧型の民主主義の立場で一貫してプーチン政権を批判しており、その政敵のベレゾフスキーの企業を礼賛したり、チェチェン・ゲリラに同情したりと、ロシア国内では批判されることも多いようだが、本書は紛争に巻き込まれた民間人や徴兵されたロシア軍兵士など、陣営問わず視線は弱者へ向けられている
チェチェンでの軍隊やFSB(連邦保安庁)の横暴は、対テロ戦争の文脈から黙殺される傾向があり、著者も怒りの声をあげている。国際社会の目が中東へ向く分、より国益に関係しない地域には、誰も手を差し伸べないのだ
2009年にロシアはチェチェンを対テロ作戦地域から除外し、額面上の紛争は終結したが、カフカス首長国のテロは散発的に続いている
1.戦争利権
チェチェン紛争はなぜ10年も続いたのか
第二次チェチェン紛争は、1999年にアラブ派のバサーエフによるダゲスタン共和国への侵攻に始まったが、2000年にはロシア軍が首都グロズヌイを掌握し、チェチェン側は以後、武装勢力に転落する。10万人もの大軍に、チェチェン側もまともな戦いはできなかった
それにもなお戦争が継続したのは、戦争という状況によって利益を得るものが多かったからだ
著者によると、軍の建設部門である特別建設総局(GUSS)と公社である軍建設複合体(USK)が癒着していて、チェチェンでの事業にはUSKのコソヴァン将軍が一手に仕切っていた
一般人の住宅再建にもUSKの関連企業が関わり、高級な建材を発注したことにするなど費用を水増しすることで、莫大な金額を横領していた
作られた建物は戦火で再び壊れることで、新たな需要となるので、戦争が続けられる限り儲け続けることができる
2.石油の密売
もう一つは石油パイプライン。紛争状態ではパイプラインに傷を作り、底から漏れ出る石油を密売することが利権となっていた。それにはロシア軍、武装ゲリラ、マフィアら、ありとあらゆる者たちが入り込んで、取締る側も利益供与に預かっている
平和になると、石油公社の管轄になるので、紛争による無秩序が維持されたのだ
そうした利権に触れない下々の者は、無実の者を拉致しての身代金売買(死体も対象)、検問による通行料、掃討作戦を名目にした略奪に走り、本書にはその被害者たちの肉声が記録されている
そして、体制にそれを改めようとする者はいても、不思議なタイミングで消されていくのである
3.山岳民族のチェチェン人
本書はチェチェン紛争の顛末を詳しくは触れていないので、部外者には分かりにくいところもある
それをフォローしてくれるのが、巻末にあるゲオルギー・デルルーギアン教授の論考「何が真実か?」だ。西欧型のマスコミ人である著者とは、また違った角度でチェチェンを評価している
チェチェン人は山岳民族であり、古くから国家というものを意識せずに暮らしてきた。外部への侵攻には激しく抵抗したものの、平地民のように国家を形成する必要まではなかった
それに初めて迫られたのが、18世紀のロシアの南下であり、チェチェン共和国の首都グロズヌイはロシアの将軍によって建設された(ロシア語で「恐怖を覚えさせる」)
ロシアとの戦いの中で、イマーム・シャミーリが諸部族を率いてイスラム教徒による連帯をはかるが、これは失敗に終わる。山岳民族の彼らは独自の習慣を堅持した上で、イスラム教に接していて部族を超える普遍性に乏しかったのだ。行き詰ったシャミーリは結局、ロシアに臣従してしまう
4.ナショナリズムに煽られて
チェチェン共和国はソ連崩壊前後、バルト三国の独立に刺激される形で独立する。ロシアもソ連と同様に複数の自治区と共和国の連邦国家であり、エリツィン政権は独立の連鎖を恐れて介入する。第一次チェチェン紛争は、元ソ連軍のチェチェン人たちが激しく抵抗し、1996年に五年間の停戦合意がなされる
しかしチェチェンの野戦司令官たちは、初代大統領のドゥダーノフをはじめ政治的手腕に乏しく、ソ連時代の官僚たちと相容れなかったために混乱を極める。テクノラートに依存せざる得ないのが、欧米を手本にできる東欧と旧ソ連圏の大きな違いだった
そのうちに、イスラム主義を掲げるバサーエフがダゲスタン共和国へ侵攻し、第二次チェチェン紛争の幕が上がった。チェチェン側の政治家不在も紛争の原因だったのだ
チェチェン独立そのものもソ連崩壊後の民族主義に煽られたものといえ、平地民のシステムである国民国家の発想に山の民が振り回されたようにも思える
この論考だけでも、一冊買う価値はある
*23’4/14 加筆修正
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