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【DVD】『未来世紀ブラジル』(1985)

明るいブラックジョーク




20世紀のどこかの国では、完全な情報統制による管理社会が実現していた。その中心である情報省は、手配中のタトル(=ロバート・デ・ニーロ)をバトルの綴りと間違えたことで、無実のバトル氏(=ブライアン・ミラー)を拘留してしまう。情報省の若手官僚サム・ラウリー(=ジョナサン・プライス)は、バトル夫人から尋問手数料を徴収するためにスラム街に訪れたが、真上の部屋にいたジル(=キム・グライスト)に一目惚れ。しかし、ジルにはバトル氏の誤認逮捕を見たために、当局の容疑がかかっていた

何ブラジルか忘れていて、ずっと借りそびれていた
近未来の管理社会を描くSF物ながら、製作された年にちなんでか(放映は1985年)、ジョージ・オーウェルの小説『1984』をヒントに現代的な要素を吹き込んだ、1984年版『1984』がコンセプトだそうだ
監督の趣味なのか、情報省の官僚たちは昔風のスーツを着込み、町を歩く人々も80年代より一昔前の装いでいる。それと風呂で見られるテレビ、ダクトによる手紙のやり取り、家事の自動化など、古典的SF小説が描いたベタな未来技術との組み合わせが、独特の世界観を作りあげている
こうした小説的未来だからこそ、古びない寓話として存在感を保っている
映画放映から30年経った今、上述の未来技術も違う形(タブレット、電子メール、掃除ロボット)で実現していて、それはそれで未来でも過去でもない並行世界を見たような感覚になった

ジョージ・オーウェルの小説との違いは、「偉大な兄弟」なしに管理社会が成立しているところだろうか
情報省の長官はその名もヘルプマン(=ピーター・ヴォーン)。彼はカリスマ的独裁者でもなく、社会の一員としてその要求を果たすべく行動する官吏にすぎない。本作の世界にはアイヒマンしかいないのだ
管理社会をつくり上げるのは、利便性を追求する市民社会にある。いつまでも若くいたいから整形手術が発達し、完全な安心が欲しいから警察権力が拡大する
整形を繰り返す主人公の母はそうした市民の象徴ともいえ、ヒロインの体を乗っ取って若者と戯れる場面など、この上ない悪夢といえよう
もっとも文明の利器に浸れる市民がいる一方で、その割を食ってダクトに囲まれた生活を強いられる下層民もいる。しかし階級がそのまま自由を保障するわけでもなく、主人公のように特権階級でも社会的都合で抹殺されることもある
社会のイデオロギーに逆らえば、誰でも地獄に落とされるのが全体主義社会なのだ

監督が役人に恨みでもあるのか、これでもかと官僚制の弊害が描かれる
作品の情報省を始めとする役人は、管轄以外のことにはまったく関わらず、銃撃戦をしている最中ですら自分の職務に専念している。ややこしいことになると、他の部署にたらいまわしにしたり、必要書類の不備を口実に追い払ってしまう
印象的になのが、情報剥奪局に移ったばかりの主人公が隣室の同僚と机を奪い合う場面。限られたリソースで与えられた仕事をこなすのが彼らにとって全てで、保身のために妥協しない
しかし、その管理社会を司る彼らも、それを強いられるように管理されているにすぎない
ここまで官僚の陰湿さを描いていくと、退屈な社会派に陥りそうなものだが、モンティパイソンのギャグセンスで官僚社会の馬鹿らしさを朗らかに見せてくれる

情報省での自分に疑いを感じなかった主人公も、ジルをきっかけにその弊害を実感するようになり、いつしか暴発的な自由に惹かれて行く
彼にとって憧れの存在にタトルは、ただの暖房設備のエンジニアだが、当局の行き過ぎた規制からその修理を脱法行為と受け取られ、テロリストとして認識されてしまう
いわば法律の厳格さが犯罪者を生み、過剰な管理社会がテロリストを作る。恐怖政治(テロ)がテロリストを生むのだ
『1984』のモデルであるソ連が健在な時代に、民主主義社会においても情報管理からの全体主義がありうると具体的に示したことは画期的で、対テロ戦争のアメリカなどで現実化した国家による個人情報の管理や監視体制を不幸にも予見してしまった作品といえよう


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