『世に棲む日日』 第1巻 司馬遼太郎

文はまだ出てこない


世に棲む日日(一) (文春文庫)
文藝春秋 (2014-12-12)
売り上げランキング: 6,778


吉田寅之助は長州藩士・杉百合之助の次男として生まれた。叔父の山鹿流師範・吉田大介の養子となるが、ほどなく養父を亡くし五歳にして吉田家当主となる。叔父の玉木文之進のスパルタ教育を受け、11歳にして藩主・毛利慶親で御前講義を行う天才ぶりを示す。藩の手形を受けずに東北旅行に出るなど、その純粋さから周囲を騒がせつつ学問修行に励んでいた寅之助だったが、黒船の目の当たりにして……

吉田松陰高杉晋作を主役に幕末維新の動乱を描く歴史小説
第1巻は、吉田松陰の出自から黒船に乗り込むまで。杉家の“いたわり深い”家風、“教育魔”玉木文之進の事情、長州藩の派閥と藩風、と分かりやすく足元を固める内容なので、大河ドラマのいい補完ができた
小説の吉田松陰は学問の天才であると同時に、世の中を甘く見るお坊ちゃまで、軽々しく人を信じ、無謀な計画を立ててしまう。その度の過ぎた人の好さと楽観ぶりが、人を惹きつける魅力にもなっている
山鹿流兵学を我流で唱える山鹿素水、半裸で詩を吟じる森田節斎、と幕末には松陰に負けない変人・奇人がいて、最終的に松陰が師事する万能人・佐久間象山もその一員。書物から未来を探る思想家の時代なのだ

吉田松陰は五歳で養父を失ったことから、長州の山鹿流兵学を絶やさないために、藩命での教育を受けた。そのため養父・大介の弟子たちから個人授業を受け、教育はすべて“公”のための時間だった
司馬はこうして育てられた松陰を純粋培養の人間と評する
しかし、なぜ“公”の意識を叩き込まれた松陰が、既存の秩序を破る行動に出たのか?
ほとんど全ての時間で“公”を意識せざる得なかったゆえに、自分の考えたこと、すべてを“公”のためと肯定できたのではないのだろうか
“私”の時間が少なかったために、自らの行動をすべて“公”と接続して意味づけてしまい、他人からどう見えるか、他人が一個人の保身に走ることも理解できない
学問の世界で成人してしまったがゆえに、思想と行動を合一してしまって、そのズレを計算しえない
そういった性格を形作るのに、長州藩の甘い気風も一因で、松陰の無断旅行に関しても抜け道を作って、罪を有名無実にしてしまう。表向きには士籍を失ったものの、親戚の預かりでかつ来原良蔵の「ハグクミ」(育み、哺)の地位を与え、かろうじて長州藩士でいられたのだ
のちの伊藤博文である利助も百姓出だったが、「ハグクミ」の扱いで長州藩士として活動できたという


次巻 『世に棲む日日』 第2巻
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