サブタイトルにもあるとおり、フランスの政教分離とその歴史の話。基本的に日本や他の国のことには触れていない
メインタイトルからは想像できないローカルな話なのだ。が、宗教と国家との確執、蜜月は近代国家ならどこでも抱えている問題だし、ローカルだけどテーマはグローバル
本書の最後にムスリムの少女がフランスの学校でスカーフ着用を禁じられた問題が取り上げられている。あの問題は一見キリスト教vsイスラム、もしくはマイノリティ差別のように見える。しかし、実はフランスにとって教育の現場で宗教的慣習を持ち込まれること自体が「政教分離」(ライシテ)の問題として捉えられていたのだ。かつてフランスの教室にはカトリックの十字架が掲げられ、革命から一世紀を経て取り除かれた歴史がある
本書は「政教分離」に到るまでの歴史をヴィクトル・ユゴー、モーパッサン、ゾラの小説や歴史文献から探っていく
1.革命後も残るキリスト教教育
もともとフランス王家はカトリック勢力と密接に結ばれていたわけで、革命によってそれが一変するも、ナポレオンがローマ教会と結んだ政教協約(コンコルダート)において今度は国家に管理・保護される存在となる
残されたカトリック勢力、特に「修道院」(コングレガシオン)は教育現場を一手にしきり、特に女性の教育に深く浸透することとなる
そうしたカトリックが教育に根を張り続けることは、プロテスタント、ユダヤ教徒たちら少数派にとっては脅威であった。現実に反ユダヤ主義者たちによってドレフュス事件という大きなえん罪事件を起ってしまう
2.第3共和政とライシテ
普仏戦争に敗れて成立した第三共和政にとって、国家の一体性を整えることは急務であった。共和派の政治家ジュール・フェリーたちはコンコルダートによって守られてきた宗教的慣習を排除し、教育に関しては初等教育を親たちに義務づけた。宗教対立を回避するために、みな同じ「フランス人」として扱うため「政教分離」(ライシテ)が徹底されるようになったのだ
国家と宗教との関わりだけではなく、フランスに関する様々な話題に触れられているのが面白い
ヴィクトル・ユゴーが南米では英雄扱いされているのは初耳だったし、第三共和政にはフリーメイソンが深く関わっていて、政府要人の約6割(!)がそのメンバーだったというのにはびっくり
また、近代の「修道院」やそれに従事する女性の様子もゾラやモーパッサンを参照しつつ描かれているのは興味深い。独身の神父が既婚の女性の相談に乗るというカトリックの風習は確かに妙だ(プロテスタントの牧師は結婚が認められている)
意外だったのはフランスで女性の参政権が認められたのが、1944年と日本とほぼ同時期だということ。それもド・ゴールがアルジェから出した政令が根拠という非常時に成立したものだ
今のフランスのイメージとは、ずいぶん違う遅さである
*23’4/17 加筆修正。エマニュエル・トッドはライシテが勝ちすぎたことが、フランス社会のバランスを崩しているとも指摘
→ 『シャルリとは誰か?』