1.おじいちゃんのジェットコースター
本作をひとことで言い表すならば、コレなのだ
キャピタル・テリトリィ、アメリア、トワサンガ、そしてビーナス・グロゥブと地球圏を越えた世界観は、とても2クールを想定したものとは思えない
監督の脚本にどれだけ他のスタッフが関わったかは分からないが、最初に作った設定をほとんど削らず投入したのはなかろうか
余りの展開の早さゆえに先を読む余裕もなく、次から次に現れる世界や人々に目を奪われ続けた。これほど次回の内容を楽しみした作品もない
その反面、本来なら作品を代表する名シーンが、余韻を感じる間もなく終わってしまう嫌いもあった。最初に感じたのは、デレンセン大尉の死に様だ。あれだけ存在感のあるキャラクターが殺されて、尾を引かないのだ。「戦死システム」という言葉が頭に浮かんだ
そうしたドラマの飛躍も終盤のカタルシスで補うに余りあると信じていたが、最終回までジェットコースターだった
歴代の富野作品は、様々な事情で中盤が混乱しても、終盤での神業的な畳みかけで名作として成立していた。それに比較すると、人々の結末を義務的に並べたに終わった最終回は非常にもったいない
2.ベタな設定のてんこ盛り
富野監督は絶えず、ありきたりの設定を避けてきた。王道の物語を作るとしたターンエーすら、普通の物語がない時代だからこそ普通に作るのが新しいという認識でスタートした
しかし、Gレコはどうだろう
「学校の同級生と敵味方に別れて戦う」「主人公は貴人の息子であり、実の親もやはり貴人である」「恋した人が実の姉だった」「主人公機体はスーパーな性能で敵を圧倒し続ける、どころか本人もスペシャルな天才である」
いわゆるアニメでありがちな設定で溢れているではないか
しかも、あまり熱心でなかった自作品のパロディも積極的に盛り込んでいる。これはどうしたことか
おそらく、後進へのお手本という意識が強いのだろう。「ベタな設定でも、ちゃんとドラマを積み上げれば感動できる」「パロディというのは、こうやるのよ」と示したかったに違いない
そしてその結果、シリアスなテーマを内包しつつも、最後までエンターテイメント全開の作品となった。これほど笑わせてもらったアニメ作品は他にない!
しかし、実際に後進のお手本になるかというと、上記のジェットコースターが気にかかる。ただでさえ、情報量をスピードで押し切ろうとする富野信者が多いのだから……
3.帝国主義たけなわ
Gレコは新興国のアメリアが、資源の供給を握るキャピタル・テリトリィに挑戦するところから始まる
キャピタルは南米とおぼしき“イザベル大陸”にある。イザベルの名は、コロンブスの航海を支援したカスティーリャの女王を連想させ、キャピタルとフォトン・バッテリーを供給するトワサンガは、植民地と宗主国の関係だ
現実の歴史に喩えるなら、アメリカがスペイン・ポルトガルの影響を排除しようとするモンロー主義の時代にあてはまり、植民地の独立戦争と見ることもできる
しかしアメリアの行動は、単なる独立戦争にはとどまらない。キャピタル・タワーを掌握することで、地球圏の覇権を手にしようとする
ビーナス・グロゥブからの輸送船フルムーンシップが争奪されるのは、その能力があればフォトン・バッテリーの供給を握れるからで、アメリア、クンパ大佐の指導で自立の動きを始めるキャピタル・アーミーと独占を維持したいトワサンガとの三つ巴の戦いは、文字通り帝国主義同士のぶつかり合いだ
史実でいえば第一次世界大戦。軍隊の大規模化は階級の平等化を促進し、貴族の牙城であった将校にもルイン・リーのごとく階級上昇に利用する者が現れる
彼の行いは、昭和の青年将校そのままだ
4.全体主義の萌芽
地球から離れたビーナス・グロゥブは、最先端の技術を維持して、フォトン・バッテリーを握って超然とした地位を保っている。ベルリたちにとっては自分たちの社会の未来といえ、進歩する技術の延長にある
アイーダにラ・グー総裁が示したのは、進みすぎた技術ゆえに衰弱する身体であり、ジット団はそれを嫌って、地球こそ人類の理想郷と夢見て旅立つ。その意味で、レコンギスタとは身体性を回復する運動ともいえる
しかしこの身体性を回復し、理想郷を取り戻す運動は、歴史的には全体主義とも結びつく
トワサンガの強硬派やジット団にとって、地球を勝手にいじくり回す地球人は、理想郷を壊す排除すべき蛮族である。バーチャルなユートピアは、不健全な存在を排除しなければ成就しない
唐突に思えたフラミニアとマスクの握手は、観念的なユートピア思想を持つインテリとこの世を憎悪する虐げられた下流階級の結合であり、第一次大戦後の全体主義の台頭を思い起こさせる
Gレコに描かれた歴史風景は、まさに全体主義の起源なのだ
5.ノブレス・オブ・リージェ
そうした戦争や全体主義の動きを防ぐものとして提示されるのが、ノブレス・オブ・リージェの精神だ
戦争にしろ、全体主義にしろ、身に過ぎた文明の利器を持った人間が欲望を発散して、悲劇を起こしてしまう
責任ある立場にいる者は、周囲の人間の欲望に迎合するのではなく、高所に立って自らの共同体を導き、それを支える環境に意を払わねばならない。優れた技術がもたらす結果に、知見と責任を持たねばならないのだ
アイーダは政治家としてエリートの責務を果たしたが、この精神はトップにだけ求められるものではない
超技術を預かったベルリがなるべく犠牲を少なくしようと奔走したように、一人一人の人間としての倫理も試されている。技術に振り回されず、全体化するシステムに動員されないココロが必要なのだ
とにかく楽しいアニメだった
次から次と監督好みのネエちゃんが出てきて色気を振りまき、「彼女のいない奴のことも考えろ」と言いつつ、男女のキャッキャウフフも描かれる。まさに生の喜び、これにありと見せつける
しかし、こうして愛し合う人間たちが、いざ戦争に巻き込まれると、違う喜びを目覚めるように暴れ出す。健全で元気な人間が、無定見から戦争で傷つけあい、閃光の中で消えていく
生の素晴らしさを伝えていたからこそ、それを奪う戦争の酷さが分かるのだ。陽性のドラマが展開されても、監督のロボットものに対する姿勢にまったくブレはない
全体主義に関しては、いわゆるナチズムやスターリニズムのような体制は登場せず、その萌芽を示すに終わった
リング・オブ・ガンダムの際に、確かテレビシリーズと劇場映画でという話があったと思う。実現するかはともかくとして、構想の中では全体主義によって崩壊した世界が、続編として想定されているのではないだろうか
ハリウッドで企画されているというリメイク作品含めて、期待して待ちたい
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