『総力戦体制』 山之内靖

「空気」は日本だけじゃない?

総力戦体制 (ちくま学芸文庫)総力戦体制 (ちくま学芸文庫)
(2015/01/07)
山之内 靖

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戦後の豊かな社会は、「敗戦」によってもたらされたものではない! 現代の制度の多くが戦時の動員体制で形成されたという事実から、世界全体を見直す「総力戦体制論」
日本の福祉制度が戦時に整えられたことは、浸透しつつあるが、本書はそれを何歩も進めていく
戦時に福祉制度が充実するのは、実は普遍的な現象で、二つの世界大戦を経て欧米でも起こっていた。それのみにとどまらず、国家総動員体制が国民国家の枠組みを不可避的に変貌させていった
個人や家族の領域さえ、巨大なシステムに組み込まれた点で、ナチス、スターリン体制だけでなく、日本の軍国主義、アメリカのニューディール、フランスのドゴール体制も「ある種の全体主義と捉えるのだ
著者は1980年代に早くも、戦前と戦後の断絶に異を唱え、総力戦で完成したシステム社会がどこに向かうのか追及してきた。本書はそうした論考を「総力戦体制」というテーマでひとまとめにしたもので、章ごとの内容が重なる部分があるものの、大河内一男を代表とする戦時下の社会政策論、パーソンズを引用するシステム社会の定義、戦後の市民社会派が忘却したものとマックス・ヴェーバー誤読の歴史、ジョン・ダワー『敗北をだきしめて』の戦後論、リスク社会とシステムの緊張関係、<超人>と<カリスマ>の再評価、とテーマは日本社会を越えて多岐に渡る
ヘーゲル、マルクス、マックス・ヴェーバー、パーソンズと素人には頭が破裂しそうな内容ではあるもの、富野監督の言う現代の「全体主義」を考える上で、大きなヒントを与えてくれる大著である。つまり、こういうことだったのか!

時期的にばらばらの論考をまとめたにも関わらず、一人、主役のように浮かんでくる人物がいる。戦時下に「生産力理論」を提唱した大河内一男である
1930年代にマルクス主義は弾圧を受けて資本主義論争は下火となったが、大河内ら講座派は、総力戦に備える国民総動員体制を構築するために活躍の場を与えられた
生産力理論」は、限られた人的資源で最大限の生産力を得るために社会の合理化を目指すもので、大河内は軍国主義の非合理性を排除すべく奔走する。彼にとって戦争という非常時は、改革のチャンスでもあった
労働者を効率的に働かせるために、労働時間の制限、余暇の確保、「銃後」の安定のための保健体育体制、自発的意欲を高めるための「産業報国会」に働きかけた
産業報国会」は、企業ごと職場ごとに編成された組織であり、戦後の労働組合の原型となるものである
戦後、戦争協力への反動から、市民社会派に逃れるものが多く大河内もその一員だったが、彼は「戦時下の遺産を戦後の発展に生かすべき」ともし、戦後に実現した八時間労働制は戦時下から模索されたものとしている
こうした動きは日本の後進性、特殊性に由来するわけでもない。軍国主義と対置するはずのアメリカ・ニューディール民主主義も似たような現象を起こしていた
政府が巨大な官僚組織に変貌し、各分野で専門家中心の中央集権ヒエラルキーが生まれ、労働組合は体制に取り込まれた
ナチズムほどではないにせよ、国民すべてを戦争に動員するための「強制均質化が働いて、人種差別の撤廃も叫ばれた。そして、大戦から冷戦に膨れ上がった軍産複合体はベトナム戦争へと向かう
世界大戦を通じて、世界各国で機能主義的なシステム社会が生まれ、より強烈な「強制均質化」が働いた日本が経済大国にのしあがるのである

さて、戦時の総動員体制がなぜ、今「全体主義」につながるのか
上手くいえる自信はまったくないが、頑張ってみよう。本書ではシステム社会の特徴として、パーソンズの権力概念を紹介している
パーソンズにおいて「権力は、強者が弱者に行使するものではなくて、共同体に所属する全員に課せられる“機能”で、秩序が保たれるために働く。個人そのものには由来せず、野球チームなら「監督」という“立場”が権力の根拠となり、辞めればただの人となる
こうした、すべての成員がなんらかの社会的機能を果たすシステム社会では、市民社会と国家が一体化して、「目に見えない権力」によって相互監視される。国家はシステムの頂点ではなく一部と認識され、国家が市民社会を侵食したというより、国家が市民社会化したとも称される
そして、このシステムは絶え間なく合理性を目指すベクトルをもち、社会工学的合理性の観点から「予知不可能」「不規則」「不確か」を排除しようとする。この清潔で整頓された空間への希求こそ、「ホロコースト」への道であり、リアクションとして「テロリズム」を生むのだ
厄介なのは、一般人はおろか社会学者すらシステムの一環に囚われているから、客観的にシステムを点検できる人間がいないことである。もはや何が正常か、異常か、内部からは分からない
著者はシステムに回収されない「新しい社会運動」(国に補償を求める運動はダメ!)に期待するが、果たして……
サブカルチャーが描いてきた管理社会の恐怖とは、言葉にするとこういうことだったのだ

著者の戦後学界の主流、社会民主派に対する批判は、いわゆる戦後民主主義やそれに準拠するマスコミ、市民団体に通用する
彼らはすでに国家と市民社会が一体化したシステム社会にも関わらず、ヘーゲル時代の国家観に後退することで対応している
政治参加する「市民」は、社会の外壁から思考や判断を下せる理性的な人間として存在できるだと思っている。実際の庶民は社会政策と自己責任の間に右往左往しているわけで、他人事ぽい言説はこうしたリアリティがないから言えるのだ
戦前の丸山眞男は、「ファシズムは市民社会の本来的傾向の究極的にまで発展したもの」と喝破したが、戦後は口を閉ざしてしまった
近代の悲劇に直面しながら、戦後には近代化を楽観視し崇高な目標に置いてしまったことが、今の日本の現状を招いている。その列には新自由主義も入るわけで、システム社会の限界を把握しないと、違う形で悲劇が引き起こされることだろう


敗北を抱きしめて〈上〉―第二次大戦後の日本人敗北を抱きしめて〈上〉―第二次大戦後の日本人
(2001/03/21)
ジョン ダワー

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