『ナショナリズムの現在――〈ネトウヨ〉化する日本と東アジアの未来』

帯から與那覇潤氏が洩れてる。可哀想

ナショナリズムの現在――〈ネトウヨ〉化する日本と東アジアの未来 (朝日新書)ナショナリズムの現在――〈ネトウヨ〉化する日本と東アジアの未来 (朝日新書)
(2014/12/12)
宇野常寛、萱野稔人 他

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ネトウヨとそのアンチが渦巻くネット社会。その中で日本はどこへ向かっていくのか、を萱野稔人・小林よしのり・朴順梨・與那覇潤・宇野常寛の5人の論客が考える
5人中4人の本を読んだことあるので、ミーハーに買ってみた
2014年2月にPLANETS企画で行われたトークイベントとそれに前後した対談が収録されている
5人の座談会はタイトルからして“ネトウヨ”叩きに走るかと思われたが、哲学者・萱野稔人のリードで踏み込んだ議論に発展した。ネトウヨが悪いとすれば、どこなのか。彼らが生まれた要因を分析しないと意味がないとし、主張に一定の合理性があること、中韓の外交にも問題があることを指摘する
その流れから対象はネトウヨから、批判能力を失った左翼・リベラルへ移り、「安倍はファシスト」「徴兵制反対」といったレベルの言論しか展開できない彼らの想像力こそが貧困であるとする。小林よしのりの、「靖国で英霊を『顕彰』ではなく、『慰霊』する安倍は左翼!のほうが、はるかに破壊力がある
本書は座談会に対談二本と新書にしても容量が少なく、ネット論壇(?)の問題を語りつくしたとは到底いえないが、ネトウヨと「在特会」をごっちゃにしない見識はあって、それぞれ読み応えはあった

気になったのは、歴史学者・與那覇潤「90年代に歴史認識の論争が、今は脊髄反射になってる」という見解
匿名掲示板、ツィッターなどのSNS界隈で、議論が成り立たず感情的なリアクションで済んでしまい、「歴史観」が必要とされていないとまでいう
宇野常寛の「物語からゲーム」を引用して、すべてが「ああ言われたら、こう言い返せ」というゲーム化しているとも
それに対し、萱野氏はネトウヨにも社会的・経済的背景があって、中韓に対する感情も想像上の被害者意識でもないので、彼らのふるまいを道徳的未熟として片付けても不毛だという
むしろ、ナショナリズムの発揚が日本の国益にならないことを強調し、今の状況のなかでどうするのかを実践的に考える方向へ誘導するべきとする
これは萱野氏に軍配だろうか
『ゴーマニズム宣言』が始まった90年代とは、今とネット環境がまったく違い、個人が情報発信するにはHPで所場代を払わねばならなかった。もし、あの時代にSNSがあったなら、同じ惨状が繰り返されたはずだ
匿名掲示板、ブログが生まれてから10年以上経ち、ネットを巡回するだけでそれらしい理論武装できる環境が整っただけのことだろう

萱野・宇野の対談では、萱野氏のアカデミズムへの批判と「国家と暴力」に関するこだわりが赤裸々に語られる
学者たちの「ニホンジンガー」は、日本を貶めて外国の思想をひけらかしたい浅ましい根性であって、学界での日本批判は欧米へのコンプレックスであり、「日本的自意識の肥大化」にすぎないという
学者の自意識ゲームに対する「おまえの自意識やポジションなんて誰も興味ねえよ」という言葉は、聞き手をギクリとさせたのはないだろうか(笑)
戦争に関しては、戦後に大戦が起こらないのは、戦争が経済効果を持たなくなったからといい、戦争が公共事業たりうるのは軍備拡充の需要があるからとする。大戦を経て各国が重武装化すると、それ以上作る必要がなくなってしまって維持費で財政の負担になったという
極論に思えるが、軍備の増強がイコール戦争を呼ぶという構図は経済効果の点からはそうでもないのだ

與那覇・宇野の対談では、小沢一郎の『日本改造計画安倍晋三の『美しい国へを比較分析していく
『日本改造計画』は、ゴーストライターとして内政は御厨貴と飯尾潤、外交・安全保障は北岡伸一、経済は竹中平蔵と伊藤元重が担当したそうで、伊藤・竹中・北岡は小泉純一郎のブレーンとなり、北岡・竹中両氏は今の安倍内閣に食い込んでいるという。つまり、こうしたグループが90年代以降の日本を動かしてきたことになる
しかし、『美しい国へ』は『日本改造計画』より目標が後退していて、宇野氏は戦後レジームの延命になっていると指摘。ただ外交・安全保障に関しては、安保闘争から祖父・岸信介の退陣が屈辱だったのか、情緒的な語りを見せるという
集団安全保障絡みで解釈改憲を強引に突破したのは、過去のトラウマと無縁ではないだろう。じゃぶじゃぶの金融政策で経済を支えつつも、改革のスピード感が乏しいのは、前回の反省からきた政権「延命」のため。延命」がいろんな意味で安倍政権のキーワードになるようだ
「自民党敗北から細川内閣成立までは日本史上に希な1億総中2病時代」とか、二人が嫌うSNS論壇的な言葉遣いが漂うものの、文系的な読みで直近の日本政治を解きほぐすところはなかなか新鮮だった

『国家とはなにか』『国家とはなにか』
(2005/06/17)
萱野 稔人

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宇野氏は與那覇氏が厨二病と評した「国連中心の国際貢献」という小沢の改憲論を高く評価し、「武装中立」をも視野にと宮台信者ぶりを見せる。これとネットで新しいリベラルな連帯を作りたいということと、どう両立するのか気になる。本家がコーポラティズム寄りに傾斜しているから、問題ないのだろうか
また『あまちゃん』に関しては、現地にいったらモータリゼーションありきで鉄道中心のコミュニティは幻想だったと言い切り、あのドラマが流行ったのは、日本を「改造」より「延命」したい日本人の心情を物語っているとした
『あまちゃんメモリーズ』には、こんな後ろ向きな考察はなかった。これが雑誌を背負う人間の処世術なのだろうか


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