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『毎日が日曜日』 城山三郎

ある意味、今の私も……


毎日が日曜日 (新潮文庫)毎日が日曜日 (新潮文庫)
(1979/11/25)
城山 三郎

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オイルショック後の日本。総合商社で海外を転々としていたは、コンピュータではじき出された適合者として、京都支店長を命じられる。見送りにきた同期の十文字には、「海外に比べれば、毎日が日曜日さ」とからかわれてしまう。しかし、京都行きの新幹線に乗り込んできた元上司の笹上には、「京都は上役たちの接待が中心。定年後のためにゴマすれ」とアドバイスを受ける。商社マンとして、あるいは人間としてどう生きるべきか、沖の心は揺れ続ける

硬い話かと思いきや、読みやすい。一気に読んでしまった
タイトルの「毎日が日曜日」とは、京都支店の仕事が暇なことと、もう一つ意味がある。沖の元上司、笹上は老後に備えて四つの店のオーナーとなり、悠々自適の定年を迎える。彼の束縛されない日々を喩えているのだ
笹上もう一人の主人公といえる存在で、慣れない京都で多忙な沖と対照的な日々を送りつつも、お互いを助け合う
登場人物が非常に魅力的で、笹上は何事にも唸ってばかりで「うーさん」と呼ばれ、同期の十文字はニヒルで相手の胸を射抜く毒舌家、京都に半隠居状態ながら豪快な前社長金丸、京都通で代々の支店長をイビってきた副支店長・藤林などなど
分かりやすい敵役はおらず、降りかかってくるのは、会社の業務・人間関係から発した自然で理不尽な苦労ばかり。沖は主役らしくロマンチックな理想を持ち続けるか、これでもかと報われない。「人生で不運を避ける通ることはできない」、作者は不運に立ち向かう姿こそ、美しいと言いたげだ

商社マンとしての仕事のことも詳しく触れられているが、家族のことにも重点が置かれている
経済小説に珍しく、商社マンの家族が仕事に巻き込まれて、回復不能に被った傷まで用意されているのだ
沖の長男・は、アメリカで育ちバイクで通学していたため、日本の満員電車にパニックを起こしてしまう。基礎教育の違いから、日本の高校にも溶け込めない。そして憂さ晴らしにバイクを乗り回した末に、大変なことに
長女のあけみは、教育面で忍以上に混乱し、言語を体で覚えていく段階で日本に戻ったものだから、日本語が上手く話せない。帰国子女の学校に通うが、昭和50年代は文部省の認可が下りていないらしく、義務教育違反の謗りを受けてしまう
そうした教育問題で一身に非難されるのは、妻の和代であり、仕事一辺倒の沖とはいつも喧嘩になってしまう
笹上の存在といい、作者は必ずしも日本企業の滅私奉公を称揚していない。ただ、そうした無名戦士の尊い犠牲の上に、日本が世界に進出し経済大国となったことを訴えている

経済的に心配のない「毎日が日曜日は本当に楽しいのだろうか
笹上は誰にも束縛されない老後を目指して、会社の仕事をそこそこに定年後の準備をして生きてきた
定年を怖がる会社人間を尻目に、「バンザイ」して迎えてやる。後の人生は労働とは無関係の「やじ馬」として、働く人間どもをからかいながら生きてやる、と意気込んでいたが、しばらくして楽しくないことに気づく
一つは、日本社会は仕事を中心に人間関係ができているので、働いていない人間はそのサークルに入れない。ゴルフ場で隠居した人間を見つけても、頭の中は「仕事」中心で笹上の同志にはならない
もう一つは、笹上自身が会社人としての習性が抜けないので、働いている人間に対して気後れしてしまう。会社を辞めたのに、肩書きで呼んでしまう
こうした悲しい習性は、世代間の差はあるとはいえ、会社組織に関わる上はつきまとうことだろう
本作は京都の魔境ぶりが見事に表現されていて(現地人としてすまぬと思うが)、会社や家族の微妙な心の機微まで拾われて感動した。解説に書かれたように、経済小説の枠から大きくはみ出た名作といえよう


毎日が日曜日Vol.3『毎日がミナハナミ [VHS]毎日が日曜日Vol.3『毎日がミナハナミ [VHS]
(1992/05/25)
高田裕三

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↑何これ(笑)

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