『日本の深層文化』 森浩一



日本の深層文化 (ちくま新書)日本の深層文化 (ちくま新書)
(2009/07)
森 浩一

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古代の日本人はどんな生活をしていたのか。「粟」「野」「鹿」「猪」「鯨」をキーワードに日本の深層を探る
著者は日本考古学の権威で、同志社大学の顔とも言われた森浩一教授。本書では、稲作中心、西日本中心に語られがちな古代史に対し、見逃されてきた五つの要素から新しい可能性を見出していく
日本書紀、各国の風土記などの史書や遺跡から発掘された史料から推論していき、特に「鹿」の章では細かい発掘の話になって眠たくなってしまったが(失礼)、高度成長期に開発へ邁進している時代に行政や住人にかけあって遺跡を確保するなど、考古学の現場のことも知ることができる
いきなり本人の体験が語られるなど、とりとめのない話になっていて読みやすいとはいえないが、教科書で知ったのとは違う、日本の原風景を見えてくるはずだ

五つの章のうち、四つが食材で、それぞれ「米」とは違う存在感がある
は、古代では稲と双璧を為す穀物であって、日本各地に「粟野」など“粟”のつく地名、名字が残されている
「粟」は作付けそのものは悪くなかったものの、粒が細いせいで脱穀をする際の効率が悪く、徐々に稲作へシフトしていってしまう。それでも「粟田」という言葉があったほど、メジャーな穀物で律令にも粟による納税が認められていた
現代では、稗(ひえ)と共にグレードの低い食物のように伝えられているが、米の増産に成功する昭和までは、主要な穀物のひとつだったのだ
鹿は、古代の日本人にとって自然の象徴だった
鹿の肉はかならずしも美味しいとは言えず、食用というより角などの素材が薬用・儀礼用に珍重されていた。狩りの標的となるものの乱獲はタブーとされていて、貴人による狩猟はそれ自体が儀式となっていた
埴輪などから「鹿」は人間と共生する自然を表していて、人が鹿を従える構図に、人間社会が山野を開発していく様子が窺えるという
は、鹿と違って食材そのもの。古代には猪飼」と呼ばれる人々が飼育していて、ほぼ豚に近い形で食されていたという。仏教が伝来して、四足の食事は忌まれるようになったが、「猪」は“山の鯨”として別枠扱いをされていた
は字のごとく、大きい魚として認識され、食料として以外にも鯨油など全身が素材として活用されていた。肉食がタブーだった時代には、朝廷や武家たちにも珍重されていて、捕鯨の問題もこのような文化的見地から考えなくてはならないというのが著者の主張である

ひとつだけ食材ではない「野」とは、脈絡を得ないが「野」がつく地名の地域
古代では都のすぐ外の地域を「」と認識されていて、例えば京都の上京区にある北野天満宮の「北野」は、秀吉の山城開発までは都の北、洛外とされていた
大きなところでは、国名となった「上野」(群馬県)、「下野」(栃木県)。朝廷の権威が及ばない関東は、古代は貧しい地域だと思われがちだがそうでもない
古代日本の交通は北陸地方は海路だが、東海から奥州までは陸路が中心で、上野国は北陸、奥州、関東に通じる要所だった
実際、奥州、関東の報告されている人口、石高は高く、関東の豪族たちは多くの布を都にもたらしていた。その規模からすると、豪族たちは多くの奴婢を持っていたはずで、商売にも長じていたことになる
こうしたことから、古代の関東が野蛮な東人の国とするのは偏見であり、強力な指導者はいなかったものの、潜在的に豊饒な地域と見るべきだという
また「野」の地名は、“野蛮”な土地だからついたわけではなく、むしろ豊かな産物を出すからこそ付けられたというのが著者の持論だ
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