『関ヶ原』 下巻 司馬遼太郎

高坂センセの解説が

関ヶ原〈下〉 (新潮文庫)関ヶ原〈下〉 (新潮文庫)
(1974/07/02)
司馬 遼太郎

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三成の挙兵を知った家康は、福島正則を先鋒に豊臣恩顧の諸大名たちを出立させる。三成憎しの正則は、本領の尾張、美濃の諸城を攻略し暴れ回る。東軍の出現に泡を食った三成は、急いで大垣城に兵を集め持久戦をはかった。中山道の秀忠の軍勢が来なかったものの、毛利家への調略を成功させた家康は、自信を持って大垣城を迂回し関ヶ原に臨むが、意外な戦況が待っているのだった

上巻では三成に肩をもった記述もあったが、下巻まで来るとボロクソである
三成なりに家康の上洛を計算して東軍の諸城を攻めていたのだが、福島正則らの美濃乱入より計画がご破算となる。三成は九州征伐、朝鮮出兵など数十万の大軍の面倒を見た戦略的頭脳を持っていても、局地戦を乗り切る戦術的頭脳を持っていなかった
事前の計画が狂うと慌てふためいてしまい、大垣城では島津義弘の軍勢を見捨て本番で重大な結果を招いてしまう。西方に火が上がれば、居城・佐和山に回りこまれると思い込んで帰ってしまうなど、左近も呆れる対応をとる
三成は大軍の運営に携わったものの、領主としては佐和山19万4千石の身代に過ぎず、将として大合戦を指揮したこともなかった
家康側にも三成に似た存在がいた。謀略家の本多正信
正信は、上杉征伐から三成の挙兵まで予定どおりに仕組んだものの、肝心のときに自重を進言し、家康を江戸にとどめようとする。上巻で老練さを誇った正信は中巻以降、精彩を欠く
西軍の敗因は統率する“将”を欠き、器でない三成が引き受けざる得なかったというのが、上巻から匂わせた本作の結論だ

家康は吉川広家を通じて毛利家の調略に成功し、万全の体制で関ヶ原へ進んだはずだった。山に籠もった西軍に戦意はなく、平野に展開した兵力では勝っていた
しかし、しかし、実戦では東軍が劣勢となった
原因は判然としないが、福島正則、黒田長政、細川忠興といった東軍の先鋒が岐阜城攻略などの前哨戦で消耗したせいだろうか。その前には西軍の最精鋭である宇喜多勢が待ち構え、側面に三成の盟友、大谷吉継が展開し、福島勢は潰走寸前となった
数で勝っているのに押される展開に焦れた家康は、黒田長政小早川秀秋の内応はどうなったかと八つ当たり気味に使者を送っている。乱戦中の長政は「槍働きしている途中に、小早川の動向に責任がもてるか」と応えたという
もし、この時、小早川が西軍のまま山を降りていたら、どうなっていただろう
解説の高坂センセは西軍が勝っても、徳川に天下は渡ったというけれど、諸国に大大名が群雄割拠する室町時代のような状況が続いたかもしれない

本作を総括すると、「政治の世界に“正義”はない」ということだろう
三成の唱える豊臣家への恩、秀頼をもり立てる忠誠は、観念的なものであり、実際に諸大名を動かしたのは、新しい天下人に下で家を保つ、あるいは繁栄させる“利”だった
政治の世界では、悪こそが勝ち、次の正義となる。それを三巻で見せつけられた気がする
観念よりも実利が勝つという流れも、いかにも合理主義者の司馬好みで、西軍の肩は持つだけど江戸時代のような忠義論は退けたかったのだろう
締めでは三傑を渡り歩いた“利”の達人、黒田如水が登場し、三成の愛人にその評価を語る。石田三成の挙兵に意味はあったのか。あっとすれば、それは……


前巻 『関ヶ原』 中巻
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