『禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負』 佐々木徹

ゆうつべとかに対談動画、復活しないかなあ

禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負
(1997/11)
佐々木 徹

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プレイボーイ誌上で実現した前田日明と猪木、長州、天龍との禁断の対談を収録した単行本
1993年当時の前田日明は引退を表明していて、現役のうちに和解しておきたいという気持ちが対談を実現した
単行本自体の中身はというと、対談三本では紙数が足りないせいか、ライターが企画の始まり、対談のお膳立てを整えるまでの苦労など、舞台裏の話が半分を占める
週刊誌の誌上ゆえ、対談が短いのは仕方ないとしても、因縁の相手に対する前田のロングインタビューぐらい載せてもらいたかった(短めの総括はあるけれど)
それでも当時、話題となった対談が舞台裏を含めて読めるのは貴重だし、プレイボーイの企画がこんなふうに始まるのか、と出版業の裏側を覗くこともできる

三者との対談は、「乱闘もありうる」と始まる前まで緊張感があるものの、顔を合わせれば互いに認め合う男同士。むずがゆいほどの褒めあいとなった
天龍源一郎とは、SWSを立ち上がったときに、UWFのスポンサーになってくれるはずだったメガネスーパーを前田が批判した時期があった
しかし対談ではそうした過去には触れず、団体運営の大変さを語りあう内容となった。長州顔面蹴撃事件が天龍―輪島戦に触発されたこともあって、天龍へのリスペクトは明らかだ
その事件の被害者である長州力とは、ざっくばらんの内容
長州の前田に対する批評は鋭く、「誰とも交わらない」「交わらない人間は人間関係が削げていく」と、孤独な戦いを続ける理由をピタリと言い当てる
蹴撃事件の真相に関しては、対談前に前田が「長州さんはレスリング出身で、蹴りに対する防御の経験が少なかった」して技術的な問題としている。長州も前田の離脱を防ぎたがったが、立場上できることに限界があったとした
1993年当時、猪木が小川を中心に総合格闘路線を取ったことには、前田がチクリ。「第二次UWFのときに肩入れしてくれればもっと大きな波になった」と嘆いた

さて、その猪木である
第二次UWFの際に、イギリスから帰った船木誠勝を新日に引きとめようとした話から始まり、ユニバーサル・プロレス(第一次UWF)で猪木が来なかったことから、新日本プロレスで前田たちが浮いてしまったことまでぶつける
それに対する猪木は、素直に謝ってしまう。この包容力が経営者として問題を起こしつつも、団体のトップとして君臨し続けられた理由だろう
長州顔面蹴撃事件による前田解雇に関しては、「前田が解雇された経緯すら、よく分かってなかったんだよな(笑)」と語り、シングル戦で前田を避けていたことも正直に認めて、懐の深さはさすが。ほんと、金さえ絡まなければいい人である
最後は前田が小川の件を話すと、猪木が新団体に誘い、前田は政治家に戻って欲しいと意味深なやり取りとなった
全編通して思ったのは、ここに出てこないレスラー、藤波辰爾の評価が高いことだ。UWFから新日へ戻ってきたときに、Uのスタイルを受け止めてくれたことを前田は感謝していて、天龍や長州もその人格を褒めている
最近のファンには、ドラゴンストップなど社長時代の迷走が印象に残ってしまうが、レスラーとして「名勝負製造機」だったことを忘れてはならない
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