戦史作家・児島襄によるヒトラーとナチスドイツを題材にした大長編シリーズ
いつか読みたいと思っていた本作がようやく手に入った
小説調の読みやすい文体に、普通の歴史本には取り上げられない細かいエピソードもふんだんに持ち込まれて、期待どおりの内容だ
第1巻の内容は、ヒトラーの“入党”からミュンヘン一揆(ビアホール蜂起)、占拠による政権奪取、レーム一派の粛清、再軍備にラインラント進駐までで、ナチスの躍進と内部抗争、ワイマール共和国の政治情勢、周辺国の反応が詳細に語られる。ゲーリングがミュンヘン一揆でユダヤ人に助けられたとか、宣伝相ゲッペルスがレーム派の社会主義者だったとか、驚きの小話も散りばめられている
なんといっても、ヒトラー周囲の人間関係が生々しく取り上げられていて、エヴァ・ブラウンの度重なる自殺未遂に振り回されるヒトラーなど、妙に人間味のあるエピソードが目を引く
本書はもちろんナチスやヒトラーに同調するものではなく、なんでこんな“ただの人間たち”がジェノサイドできたか、を問うている
1.オーストリアを巡る独伊対立
ムッソリーニのイタリアは、後の「ローマ・ベルリン枢軸」からヒトラーと蜜月関係と思われがちだが、当初はそうでもない
個人的にはナチスをファシスト党のパクリと見なしていたし、オーストリアの政情を巡っては対立関係にあった
1932年にオーストリアにファシズムの弟分ともいえるキリスト教社会党のエンゲルベルト・ドルフスが独裁体制を築き、ムッソリーニはドルフスと家族同士につきあう仲だった
それが1934年7月に、ドイツとの合邦を目的とするオーストリア・ナチスの襲撃を受けてドルフスは暗殺される(ハプスブルグ朝からの風習で近衛兵に銃を持たせてなかったという!)
激怒したムッソリーニは、ドイツ国境の部隊に動員をかけるが、幸いオーストリア・ナチスによるクーデターは失敗に終わり、直接の衝突は避けられた
しかし自分の勢力圏と見なすオーストリアへのドイツの干渉に苛立つムッソリーニは、イギリス、フランスと手を組んでドイツの再軍備に反対する「ストレーザ戦線」を組んだのだ
イタリアとナチスドイツが接近するのは、イギリスが再軍備を容認したことがきっかけで、国際連盟の無力さを知ったムッソリーニはエチオピア問題を武力で解決し、ナチスの独走を利用するようになっていく
2.日独伊防共協定の実態
本巻は1937年の日独伊防共協定で幕を閉じる
日独伊三国同盟への道が開かれたものに思えるが、当時としてはそれほどテンションの高い協定ではなかったようだ
1936年に日本とドイツで結ばれた時には、日本側はソ連に対する防衛協定にしたかったが、ドイツ側はまだ軍備が整っていないとして拒否し、対象を「コミンテルン」という曖昧なものとなった。両者ともにメリットの薄い協定だったようだ
むしろ、イタリアとの防共協定で、エチオピア併合と満州国の相互承認したことのほうが大きい
また、この1936年では、イギリス海軍の優越を認めたヒトラーの低姿勢が功を奏して、イギリスはドイツの再軍備を認めるようになり、ナチスをして共産主義の浸透を抑える役割を期待していた
そして、ベルリン・オリンピックの成功により、ナチス・ドイツの国際的な評価がグッと高まる。このような状況で結ばれた日独伊防共協定は、必ずしも英仏米といった対立するものと考えられていなかった
結末から考えて解釈しがちだが、それに到るには様々な紆余曲折があったのだ
*23’4/15 加筆修正
次巻 『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』 第2巻