『ドラキュラ誕生』 仁賀克雄

人によって取りようは違う
「新作のスタジオワークに入れるらしいから」
この言葉から、富野監督の新作がかなり具体性をもって制作に・・・と受け取ったが、人によっては「監督流のいつも吹かしじゃないか」という見方できるようで
いい歳して素直すぎるかなあ

ドラキュラ誕生 (講談社現代新書)ドラキュラ誕生 (講談社現代新書)
(1995/09)
仁賀 克雄

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1897年、ブラム・ストーカーによって吸血鬼ドラキュラは生み出された。そのドラキュラはいかなる伝承が総合されて、いかに怪物界の帝王の地位を築くに到ったか
いやいや、ドラキュラ三昧の本であった
古代の吸血鬼伝説に始まって、世界の吸血鬼、ドラキュラのモデルであるヴラド・ツェペシュや作者ブラム・ストーカーの人生と時代に触れ、最後にその後に派生したドラキュラ作品にまで触れている
吸血鬼にまつわる古典から、ブラム・ストーカーと同時代の吸血鬼もの、近現代の吸血鬼映画まで紹介してくれるのだから、至れり尽くせり
旧版の講談社現代新書のそでには、だいたい概略や引用が載っているのだけど、この本の場合は「母からの讃辞」があった
最初は「著者のか?」と思ったが、実は本中にあるブラム・ストーカーの母のもの。そんなユーモアもある
勘にして要を得た一流の新書であり、ぜひ復刊をしてもらいたい

吸血鬼は不思議な怪物だ。普段は棺桶の中に入った死人同然なのに、人の生き血をすすることで姿は生者なのである
著者はそんな吸血鬼伝説の原因を、死んだと誤解された人が棺桶の中に入れられたためではと例証する
医療が発達する近代以前では、病気の診断できる種類が限られていて、生きているのに死んだとみなされる人が少なくなかった。埋められた後で目覚めた人が中で暴れ、棺桶を開けると血だらけの死体があった・・・というわけだ
また、乾燥した地域では保存状態によっては、ミイラ化するまで生きているような状態を保つことがあったとか
古代からギリシャ神話のラミアなど吸血の伝説は事欠かないが、“専門の吸血鬼”は希だった
死体を喰らうグール、月夜に変身する狼男と混合したイメージで考えられていて、コウモリに変身するという能力は南米の吸血コウモリが知られるまで持ち合わせていなかった
面白いことに、吸血コウモリのいる現地では吸血鬼の伝承は少ない
ヨーロッパ圏に広まったのは、吸血の伝承が血を生命の源とするオリエントの宗教観に由来していて、キリスト教にもワインとパンを血と肉に喩える儀礼として残っていたためと考えられる
(帝政ローマにも、負けた剣闘士の血をすする観客がいたらしい!)
しかし、イギリスやフランスで吸血鬼伝説はあまり有名でなく、オリエントに近いヴラド公の中欧・東欧が根強い

現在の吸血鬼像を完成させたブラム・ストーカーだが、彼の登場以前に吸血鬼ブームは起きていて、実に様々な作家が吸血鬼ものを手がけていたようだ
イギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロンなどが東欧の事件・伝承から吸血鬼小説を書いたのを皮切りに、ヨーロッパ中にブームが広がり、1872年には女吸血鬼の決定版『カーミラ』が発表されていた
ギ・ド・モーパッサン、アーサー・コナン・ドイルなども手がけていて、美女に紳士姿の吸血鬼が誘惑することで、当時は官能小説としての魅力もあったようだ
日本では横溝正史の『髑髏検校』(1939)が有名で、それ以後はパッとしないものの1971年に半村良『石の血脈』が出て、1980年代にようやく『ヴァンパイア戦争』『吸血鬼ハンター“D”』など数多くの吸血鬼小説が作られるようになった
欧米の吸血鬼小説では、アン・ライスの『夜明けのヴァンパイア』(1976)が吸血鬼をモンスターではなく生身の人間のように捉えた画期的とされている。が、その四年前に萩尾望都『ポーの一族』の連載が始まっていたから、日本のマンガは伊達じゃない
他にもベラ・ルゴシ出演の映画など、本書にはあらゆる吸血鬼ものが網羅されているので、視聴リストとして大事に持っていたい


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ガンダムエース 2012年10月号

久々にやっちまった
数時間かけて書いていたブログの記事が消えたのである
いつもは、メモ帳で書いて写す段取りで望むのだが、魔がさして直接書いていた
なぜか強制的にログアウトしていたようだが、せめて自動保存が機能していてくれればなあ

GUNDAM A (ガンダムエース) 2012年 10月号 [雑誌]GUNDAM A (ガンダムエース) 2012年 10月号 [雑誌]
(2012/08/25)
不明

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<「教えて下さい富野です」最終回 村上隆>

最終回は日本のサブカルチャーを現代美術に取り入れて日本のアートを代表する存在になった村上隆
最近の対談相手は出版社主導で決まっていると巷では囁かれていたが、このコーナーでは珍しく富野監督はクリエイター気質剥き出しで臨んでいた
芸術と芸能は紙一重、境界があってないがごとし。壁越しの世界にいる相手には譲れぬところが多いのか
その結果、コーナーの「有終の美」というより、新たな何かが生まれる、活火山の噴煙を見るような対談となった

なぜ、村上隆氏は現代美術に日本のアニメやマンガのキャラクターを持ち込んだのか。一部のサブカル関係者から嫌われているが、その理由含めてこの対談で見えてくる
そもそも現代美術は、“現代”と銘打ちながら西洋美術の一ジャンルであり、パトロンありきの世界である
おそらく、日本人が現代美術の世界に入っていくには欧米の人間から日本的要素を入れるように求められ、現代の日本の象徴としてアニメやマンガなどのサブカルチャーを取り込む必要があったのだろう
しかし、日本には階級闘争が少なくポップカルチャーが強いから、上に向って受けを狙うポーズに厳しいので嫌われてしまう
現にこの対談の冒頭の文章にも、「十年前までは村上隆氏の仕事は嫌いでした。理解以前にアニメのパクリだろうと感じていたからです」とあるのだ(苦笑)
村上氏はその辺を達観していて、現代美術は外来品だから低く見られても仕方ないし、嫌われようとも日本のサブカルチャーが欧米で受容される“翻訳”になればいいと考えているようだ

さて、新作についての発言だが、これはシャア専用ニュースさん(記事→http://randal.blog91.fc2.com/blog-entry-1973.html)などで確認した人も多いだろう
企画レベルからスタジオを確保する段階に入ったようで、媒体はテレビシリーズの予定し、時期は最短なら再来年か
TBSの枠を引き継ぐとすれば、現在やっているガンダムAGEは日曜午後5時の放送で4クール
とすれば、順当に行くと“Gレコ”も4クールの大作となる
ただこれも枠が維持されれば話なので、それにはガンダムAGEの頑張りが必要だ。超頑張って欲しい
見てないけど・・・


<三倍速く!!シャアが行く! 皆河有伽>

今回のお相手は、ガンダム関連だとガンダムW外伝『評伝シャア・アズナブル』で知られる皆河有伽“皆河ゆか”名義の方が馴染みがある
声優の演技にこだわりが深くて、対談もホストである池田秀一への質問として展開していく
以前どこかで聞いたことがあったけど、演じる側からするとファーストのシャアと、Z以降のシャアはまるで別のキャラクターのように感じると。逆シャアの「ララァは母になってくれる女だった」という台詞は、自分のなかではつながらなかったとか
たしかZ関連の本のインタビューか何かで、ガンダムが終わった後「これの続編を作るのは止めましょう」と富野監督に言ったという談話があって、シャアはファーストが終わった時点で完結していたからかもしれない
ファーストとZ・逆シャアの違いを物語るエピソードだし、創作者と演技者の感覚のズレも興味深い


漫画については、良くも悪くもいつも通りか
ビッグタイトル(?)ではSEEDが休みで、UCバンデシネはまあ安定。どうせバンデシネというのなら、フランスの漫画家に書かせたら面白いと思うが、今さら言っても仕方ない
はいつのまにか、キャラクターの描線が弱々しくなっていた。特にエマさんなどは生気が感じられない。作者の状態が心配になるほどの出来だった
富野対談が終わってしまうと、正直言って雑誌を読むモチベーションがまったくなくなってしまう
こういう人は結構多いと思うので、安彦さんに好きな漫画を書かせるとか、小説の枠を増やすとかテコ入れが必要だろう
どこもめくってもガンダムの顔が出てくる漫画雑誌というのは、視覚的に辛い・・・
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『幻夢の時計』 ブライアン・ラムレイ

タイタス・クロウサーガ第3巻

幻夢の時計 (タイタス・クロウサーガ) (創元推理文庫)幻夢の時計 (タイタス・クロウサーガ) (創元推理文庫)
(2011/11/29)
ブライアン・ラムレイ

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タイタス・クロウに続き、ド・マリニーも神々の国エリシアに呼ばれようとしていた。だが、その途上に旧神クタニドから凶報がしらされる。クロウとティアニア姫が<夢の国>においてクトゥルーの配下に囚われ、<這い寄る混沌>ナイアルラトホテップに捧げられようとしているのだ。ド・マリニーは<夢見人>の血筋を生かして、<夢の国>へ潜入する

<夢の国>が舞台ということで、今回もヒロイック・ファンタジーだ
タイトルの「幻夢の時計」とは、敵のことではなくて、時空往還機たる“古時計のこと。夢の世界へ突き抜け、虚空を飛ぶのみならず、怪物どもを叩き潰す凶器となり、あげくにはビームまで発射する!
クトゥルーの眷属たちが可哀相になる強さであり、時計が主役といって過言ではない
序盤ではド・マリニーが時計を残して<夢の国>に移動する凡ミスを犯し苦戦を強いられるので、よりいっそう時計の存在感がきわだつ
他にも空飛ぶマント<夢の国>から出るための“覚醒の秘薬”など、小道具が軽快なストーリーに味を添えている
文体は本格的な小説のものになっているし、クトゥルーへのこだわりを捨てればさっぱりとしたエンタメとして楽しめる

解説にもあるが、この本の醍醐味は「クトゥルー神話でここまでやりやがった」というサプライズだろうか
古時計もチートだが、タイタス・クロウも人間を遙かに超えた能力を持っている
彼はロボットの星で改造されていて、酸素なしでも生きられる心肺を持ち、再生された手脚には隠し武器ともいえる硬材が仕込まれている。それによって拳や肘鉄で怪物の顔を潰せるほどの威力があるのだ
まさに仮面ライダー並みなのである。暴れ方はベルセルクのガッツに近い
前巻の記事でクトゥルーをヒーロー物にすると“エターナルチャンピオン”ムアコックのファンタジーになると書いたが、さらに主人公の肉体のハンデがなくすとベルセルクになるというわけだ
ムアコック世界の「混沌」やベルセルクの「幽界」の怪物はクトゥルーがヒントになったと思われ、同じシリーズ内で作品世界がクトゥルー→ムアコック→ベルセルクに変容していくのが面白い

這いよれ! ニャル子さん (GA文庫)這いよれ! ニャル子さん (GA文庫)
(2009/04/15)
逢空 万太

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解説で触れていた作品だが、これもクトゥルー神話で「やりやがった」系らしい
どう、やりやがったんだ?

読んでみた→http://tora1985823.blog105.fc2.com/blog-entry-820.html


前巻 『タイタス・クロウの帰還』
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『この馬に聞いた!最後の1ハロン』 武豊

サブタイトルが最後の1ハロンでも、最終巻ではありません

この馬に聞いた!最後の1ハロン (講談社文庫)この馬に聞いた!最後の1ハロン (講談社文庫)
(2001/04)
武 豊

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『週刊現代』誌上2000年4月4日から2001年3月24日号まで連載されたコラムに、過去に出会った人、馬について加筆した文庫版第二弾
スペシャルウィーク、アドマイヤベガ引退後の年代なので、騎乗馬の知名度はアグネスワールドトゥザヴィクトリー以外やや低い
しかし、エアシャカール、マチカネホクシン、アドマイヤカイザー、ラスカルスズカ、ゴールドティアラ、マルターズスパープ、タカラサイレンスと聞けば、競馬ファンにはピンと来るだろう
2000年度の武豊はアメリカへの本格遠征に出ていたので、本書でも海外の競馬についての比重が大きい
日本の押しも押されぬトップジョッキーでも、外国では一新人騎手に過ぎない
一日一鞍の立場から、G1に乗れるよう這い上がっていかねばならなかった

アメリカの競馬は日本競馬とは何から何まで違う

・週5日が基本で、月火が休み。1日だいたい10R
・調教は開催中の競馬場の早朝で行なう(正午からレース)
・ジョッキールームが簡素。くつろぐ空間ではない
・カリフォルニアの競馬場はすべて左回り。ダートレース中心で、外側にダート、内側に芝コースがある
・本馬場に入る通路ではファンと距離が近い
・野次がない
・賞金が安い。2000年当時で重賞は日本の約半分

週5日というと、競馬がさかんなイメージが湧くが、地方と中央が合わせて考えれば日本も負けていない
というか、地方と中央という枠組み自体がないということか
「野次が少ない」というのは、向こうの観客が少ないとはいえ見習わなければなるまい。ロンドン五輪でも、イギリスの観客も行儀が良かった
日本の中央競馬のダートコースはほとんどが芝でスタートする。このためなぜか、ダートなのに芝の適性が大事になってしまう
どこか一つでもいいから、ダート中心の本格的な競馬場を作れないだろうか
ジャパンカップダートという国際レースがあるが、東京2100m時代は芝スタートで、現在の阪神1800mは右回りで海外から敬遠されている
ドバイにはオールウェザーの競馬場もあるし、リニューアルするなら国際的視野を持ってもらいたい

2000年の武豊は菊花賞が凄かった

エアシャカールには直線で右にもたれる有名な癖があって、右に馬を置くと最悪斜行の危険があった
そして、菊花賞の枠番は15番の外枠このまま回っては、力を発揮できずに終わる
そこでまず、スタートを勢いよく出して、内目のところで先行し好位置をキープ。馬込みのなかで我慢させながら、直線では最内を狙う。内ラチ沿いを利用して癖を解消したのだ
事前にエアシャカールの癖はばれていたし、勝つにはこれしかない、という戦法だった
その後のエアシャカールは、切れ味不足と気性難が祟ってG1を獲れなかったが、記憶に残る名馬だ


前巻 『この馬に聞いた!』
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『タイタス・クロウの帰還』 ブライアン・ラムレイ

納涼クトゥルー祭りのはずが

タイタス・クロウの帰還―タイタス・クロウ・サーガ (創元推理文庫)タイタス・クロウの帰還―タイタス・クロウ・サーガ (創元推理文庫)
(2008/11)
ブライアン ラムレイ

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「地を穿つ魔」を退治したタイタス・クロウとアンリ・ド・マリニーは、クトゥルー眷属の反撃に遭い行方不明となる。十年後にアンリ・ド・マリニーが瀕死の状態で発見された。マリニーは徐々に記憶を取り戻し、襲撃された時、古時計に入って脱出したことを思い出す。古時計は時空を旅する装置であり、タイタス・クロウはあらゆる時代、地球を越えて広大な宇宙を駆けめぐっていて・・・


いやいや、度肝を抜く展開だった
恐竜全盛期の白亜期やら、ローマ帝国時代のブリテンやら、人類滅亡後の地球・・・・・・果てはロボット生命体が暮らす異星にまで飛び出すのだから、もはや「モダン・ホラー」というカテゴリーはあてはまらない
タイタス・クロウは作中に人体改造を施され、「旧神」の加護を受けて常人を超える能力を身につけるのだから、めでたくヒロイック・ファンタジーとなってしまっている
解説によると、本書のもととなった作品が書かれたのは海軍士官をしていたアマチュア時代。もう30年も前の作品らしい
手記形式でプロットを説明する部分が多く、解説者が「プロット先行」と評するのも分かる
しかし、冒険の内容は非常にエネルギッシュで、古時計の設定をぞんぶんに生かし切っている

ラヴクラフトからクトゥルーを触った人間にとって、気になるのは「世界に対する解釈」
ヒロイックにクトゥルー眷属に立ち向かう同シリーズでは、旧神」は「クトゥルー眷属(CCD)」を封じ込めた存在で、はっきり“人類の味方”
そして、「旧神」と「クトゥルー」の関係は、キリスト教の神と堕天使の関係に近く、人類には「旧神」と「クトゥルー」の血が混じった者がいて相争っている
しかし、「旧神」と「クトゥルー」は本来同族であり、その血が混じった人類同士は実は近しい間柄である(全ての人類にどちらかの血が混じっているかどうかは分からない)
もっともこの解釈は公式というより、ブライアン・ラムレイの設定であり、違う作家となると「旧神」はキリスト教の絶対神をモデルにした冷酷無慈悲な存在で、「クトゥルー」はその抵抗勢力に過ぎないというブラックな設定もあるようだ

時空を旅する古時計でいろんな世界を旅するということで、本書では多次元世界の概念を取り入れている
クトゥルーの巨神たちは次元の違う閉ざされた空間に閉じこめられているし、タイタス・クロウは時間旅行している間は「時間世界」にいる
「旧神」「クトゥルー」は次元を超えて人間世界に影響を持つが、タイタス・クロウもまた次元を越えて移動できることで人間を越えた存在となっている
英雄が次元を越えて活躍するというと、思い出すのは「エルリック・サーガ」などマイケル・ムアコックの世界
SFから始まった概念をファンタジーに取り込むという手法の先駆者であり、同年代・同じイギリス出身で作者も影響を受けたに違いない続きを読む
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『GANTZ』 第2巻 奥浩哉

カテジナさんシーブックと結婚するとは
シーブックの中の人のツイッターには、「というわけで、侵略されました」と(笑)
30越えのシングルが多い昨今、熟年結婚は勇気を与えますな
面子的には、女子バレー日本代表の名セッター竹下元阪神・現広島の投手江草のが驚いた
広島はAクラスだが江草の立場は当落選上にある。正念場だなあ


GANTZ 2 (ヤングジャンプコミックス)GANTZ 2 (ヤングジャンプコミックス)
(2001/03/19)
奥 浩哉

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小さくまとまった、突き抜けない第2巻だった
死んだ面子は奇麗なほどかませ犬で、生き残るメンバーと残らないメンバーが始めから予想された通り。近所の子供でも読める展開をそのまましちゃいけないだろう
ゲームに対する「気づき」には偶然にもほどがあって、主人公はただただ純真で運が良かったにすぎない
同じサバイバルゲームでもカイジとは歴然とした差があった
また、絵に関しても女の子を中心に、オヤオヤという崩れがあって、コマ割も前巻に比べると冴えない。娯楽性に関してもグロに頼り過ぎている
全てにおいて発展途上という言葉があてはまる

主人公たちの設定がかなり気持ち悪いものだと発覚した
本人たちには実体があるようで、現実世界と同じではない。アニメ『ゼーガペイン』に少し近いだろうか
『ゼーガペイン』には、そういう不条理な世界(設定)に対する主人公の怒りが、そのまま視聴者の共感につながった。設定の気持ち悪さと主人公の感情がリンクしていた
この作品に求めたいのは、「設定に対する怒り」
2巻ではまだ「これは嘘の世界ではないか」という疑念があって、主人公が燃えていない
さて、3巻以降でどう燃えてくれるのか
数十巻続いているシリーズであり、どこかで爆発してくれるはずなので、「たかが漫画」とハードルを下げつつ追いかけてみたい

一冊一冊が地味に高いから、早めに軌道に載って欲しいなあ

*2012’10/13
 第3巻を読んだが、巨乳姉ちゃんのエロで引っ張って追加メンバーで仕切り直すという酷い内容だった
 どこかで化けるかもしれないが、この漫画への追跡はここで打ち切り
 機会があったら、劇場版でストーリーを確認します



前巻 『GANTZ』 第1巻
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『不毛地帯』 第5巻 山崎豊子

盆休み中の大雨には驚いた
管理人は京都府宇治市に住んでいて、アパート周辺は無事だったが、醍醐よりの五ヶ庄などは水浸しになったらしい
職場でも家の一階が流されてしまった人がいた
大雨も集中した地域とそうでない地域と落差がありすぎて驚く

不毛地帯 第5巻 (新潮文庫 や 5-44)不毛地帯 第5巻 (新潮文庫 や 5-44)
(2009/03)
山崎 豊子

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壱岐はイランでの油田開発を戦前・戦中の経験から日本の将来を賭けた仕事だと考えていた。しかし、五菱商事を中心とした財閥グループは近畿商事の動きに割りこみ、経済界の序列どおり末席に追いやられてしまう。そこで壱岐はアメリカの独立系石油会社と手を組み、搦め手から開発権争いに食い込もうとする。壱岐の決意を受けて、腹心の部下兵頭は、イラン国王へ特別なコネクションを作ろうと目論むが・・・

最終巻は壱岐が最後の仕事と位置づけた、イランでの油田開発が中心だ
イスラム革命が起こる前のイランは、パフレヴィー朝のシャーによる専制政治体制で、全ては王とその周辺のロイヤルファミリーによって事は運ぶ
出入りする商社マンには絶えずロイヤルファミリーのコネクションをちらつかせた情報屋、山師がいて、いろいろな口実を設けたは金を巻き上げようと待ち構える
小説では、こうした中東の独裁政権の腐敗ぶりとその現実に真っ向から挑む商社マンの姿が描かれる
表向きの主役は壱岐だが、もっとも活動的なのは部下の兵頭だ。作者は壱岐の顔を立てる形で、ストーリーを展開させてしまうが、もう少し兵頭を旨い目に会わせて欲しかったかな

前巻から、タグに「瀬島龍三」を入れるのを止めた
なぜかというと、近畿商事のモデルである伊藤忠商事はイランの石油開発に関わったことはなく、瀬島が直接関わることはなかったはずだからだ
いすゞ自動車とゼネラル・モーターズの提携には関わっているものの、それ以後の瀬島は中曽根政権のブレーンとなり第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参加し、政界の指南役と呼ばれる存在に上りつめた
小説では田中角栄をモデルにしただみ声の田淵総理児玉誉士夫とおぼしき“鎌倉の男”との取り引きは描かれるものの、実際の瀬島龍三とは乖離していくのだ
伊藤忠はインドネシアの油田開発に参加していて、それは小説にも反映しているが、イランで開発を行なったのは帝人が旗振り役となって三井物産などのグループで、場所はサルベスタンではなくロレスターン鉱区
(→参考記事 総合エネルギー調査会総合部会第2回 議事録〈経済産業省〉)
記事によれば小説のようにハッピーエンドではなく、何千億と四人の社員を犠牲にした大失敗だったようだ
論客として有名な寺島実郎のハーバード・ビジネス・スクールのカントリーリスクの失敗案件のケーススタディーに必ずモデルケースとして出てくる(笑声)ものでして、革命が起こり、戦争が起こり、踏んだりけったりのプロジェクトとしてです。」という答弁は泣ける
日本に石油を届けるために戦った商社マンは確かにいたのだ

あとがきによると、作者は前半をシベリアを中心とした“白い不毛地帯”後半を石油開発を中心の“赤い不毛地帯”とする構想だったらしい
シベリアまでの壱岐の半生は不毛地帯に相応しい。が、その後の商社マンとしての人生を不毛地帯とはいえない
なるほど軍隊しか知らない人間が畑違いの商社に入っていく苦労はあったかもしれない
それでも、信頼に値する上司、心情が通じる元軍人の部下や戦友たち、堪え忍んでくれた妻子に、無聊を慰めてくれる愛人がいた。人間の縁ではかなり恵まれているし、世間的にも位人臣を極めたといっていい
精神的に“不毛地帯”というのなら、シベリアの傷が常につきまとう繊細なキャラクターが似合うが、これだと商社で成功するリアリティがないか
作者は力不足を口にしているものの、あまりに抑えなければならない範囲が多すぎた。結果的に瀬島龍三を必要以上に持ち上げテーマが散漫になった嫌いがあって名作とは言えないけれど、高度成長期の各業界を知る上で参考になる大作だと思う

毎日が日曜日 (新潮文庫)毎日が日曜日 (新潮文庫)
(1979/11)
城山 三郎

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空の城―長篇ミステリー傑作選 (文春文庫)空の城―長篇ミステリー傑作選 (文春文庫)
(2009/11/10)
松本 清張

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解説にあげられていた商社を取り扱った小説がこの二本
上の二本は商社を批判的に書いていて、『不毛地帯』は、商社の活動に積極的な意味を見出したことに意義があるらしい
商社の世界は国家の利害と深く関わっていて、奥がある


前巻 『不毛地帯』 第4巻
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『HUNTER×HUNTER』 28・29・30巻 富樫義博

最新巻でゴンの親父が出て来たというので、買ってみた

HUNTER×HUNTER 28 (ジャンプコミックス)HUNTER×HUNTER 28 (ジャンプコミックス)
(2011/07/04)
冨樫 義博

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HUNTER×HUNTER 29 (ジャンプコミックス)HUNTER×HUNTER 29 (ジャンプコミックス)
(2011/08/04)
冨樫 義博

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HUNTER×HUNTER 30 (ジャンプコミックス)HUNTER×HUNTER 30 (ジャンプコミックス)
(2012/04/04)
冨樫 義博

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27巻の出来とニコ動の総統閣下動画(今は消されている)で知った衝撃の展開で一度は見切りをつけたつもりだったが、親父が出て来て一区切りついたというので読んでみることにした
おおまかな印象は前回の記事で予想されたとおりかなあ
話のオチや展開に瞠目するものはあったものの、ネタがばらけているので何をやられてもピンとしない
作者も撒きすぎた伏線に困り果てたのだろう。パームがいつのまにか○○になって、キルアの行動で○○するなんて、やっつけ展開もいいところだった
漫画の出来に関しては、特に28巻は酷くて描き込みが足りていない。それでも話は理解できるし、味になっているのはさすがだけど、それまでの絵に慣れていれば手抜きに見えてしまう

王とコムギの結末については、良かったと思う
ジャンプ伝統の最強決定戦を拒否して、キメラアントを絶対悪ではなく人間と並ぶただの生物として扱ったのも評価されるべきだ
しかし、そこに到るまでの道程が強引で、感動を削いでいる
フリーザ+セルの姿をした王があの爆弾の毒で死ぬというのにリアリティがあるのか、爆弾の設定は後出しジャンケンになっていないか、ここまでパワープレイを通したのだからゴンと何らかの果たし合いをしないと読者の期待を裏切ることにならないか
せっかくいい締めが台無しとはいわないが、カタルシスを半減させたことは残念だ

意表を突かれたのはゴンだよなあ(苦笑)
急に思春期の繊細さを見せたかと思いきや、ピトーとの対決でスーパーサイヤ人ならぬ、まさかの“ゴンシロウ”化!!
総統閣下動画でオチだけは知っていたけど、あっけにとられちまったよ
ヴィジュアルからDBの悟空のような屈託のない少年であって欲しかったし、出なければキルアとの対比はどうなるのか。わりあい普通の人間の神経に近くなっていくのには驚いた
みんなが“ゴンさん”と言っていたのは、こういうことだったんだなあ
最後にひょっこりゴンの親父さんが出て来たが、特に父子の間のドラマは無し。肩透かしではあったけど、漫画の出来に関しては復活しているし、ここから仕切り直しということだろう
果たして次はどんな話を用意しているのか。なんだかんだ、また読んでしまうかなあ


次巻 『HUNTER×HUNTER』 31巻
前巻 『HUNTER×HUNTER』 26・27巻
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『SIREN R オリジナルサウンドトラック』

これを聞きながら、小野不由美の『屍鬼』を読もうと考えていたが


(画像はアマゾン・アフィリエイトのリンクです。FCのマイショップが壊れていまして)

怖すぎるわあ!!音楽だけで・・・
ディープなファンにはオープニングに流れるサイレンが入ってないとか、問題があるようだが、怖がりの管理人は最初から最後までガクブルで堪能できた
はじめの一曲が、村人が歌う奇怪な「オラショー奉神御詠歌」で、視聴者を一気にsirenの魔境へと引きずり込む
曲順はゲームのストーリーを追うように並べられ、中には「慣れていないんだから、こういうことに・・・・・・牧野さんは」と台詞が曲名になっているものもある
曲調はこんなに違うタイプの怖いBGMが作れるものなの、と感心する多彩さで、恐ろしいのは要所要所で屍人の声が入っていること。頭脳屍人の「ボワボワ」は笑えても、女屍人のは失禁ものだ。らめえええ

ゲームの参考動画

http://www.nicovideo.jp/watch/sm56550

最初のサイレンがないのは残念だが、女性ボーカルの通る声、ホーミーか読経を思わせる声はサントラの方がはっきりと聞こえる
これで『屍鬼』を読むなんて到底無理だよ。夜聞いているだけで、もうヤバイのだ
なるべく昼間に読んで、夜は明るい音楽をかけて読むことにしよう
↓例えばこんなふうなのを



関連記事 『屍鬼』 第1巻
     『SIREN(R)2 オリジナルサウンドトラック』
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【思想】ネット社会と全体主義

珍しくまとまったお休みを頂いたので、今まで考えていたことを書いていきたい
まあ、いつも通り不発弾かもしれないが、書きながら次へのステップになればいいかと

冷戦が終わって世界が資本主義という単一のイデオロギーに統一されて、全ての紛争が内戦として現れる「帝国以後」の閉じた世界になった、としておこう
その中の人間にとって、IT技術の発達がどう影響するか、という点でもやもやしていたのだけど、ヒントになる言葉が見つかった

経済成長神話の終わり 減成長と日本の希望 (講談社現代新書)経済成長神話の終わり 減成長と日本の希望 (講談社現代新書)
(2012/03/16)
アンドリュー.J・サター

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以前紹介したこの本は、経済成長を“目標”とすることの危うさを指摘したものだが、ネット社会の傾向に対しても警鐘を鳴らしていた

 昔は、即断即決が求められたのは英雄だけだった。でも現在は、誰もがそうしなければならないプレッシャーを観じている。この、即座に反応しなければならないという感情は「切迫感」と呼ばれ、現代社会のあらゆるレベルで蔓延している。
 日常生活のレベルで言えば、技術の進歩によって、本当はそんな必要などないのに、反射的に行動するのが常になってしまっている。
・・・(略)・・・即座に行動することが「できる」ので、別にそうする必要がなくても、即座に行動してしまう。しないといけない、他人はそうすることを期待しているに違いない、という気になるのだ。(p231-232)

著者はこれを「切迫感文化」と呼び、「良いものをつくるには時間がかかる」ということを忘れさせてしまった、と嘆く
重大なのは民衆の政治判断にまで影響することで、本来の民主主義は時間のかかるめんどくさいものなのに、分かりやすいフレーズに飛びついて決断してしまう
そもそも古代ギリシャの民主政などは、奴隷制で労働から解放された市民という名の貴族によって為されていたわけで、「勤労」を義務づけられた日本国民には民主主義を行なうゆとりは少ないだが、ネットの効率追求はさらに考える習慣を削ってしまうだろう

もう一つ重大な影響を与える分野が金融
インターネットで情報が即座に共有され、世界で年がら年中、市場が開いているため、常に決断が要求される。会社は投資家の機嫌をうかがって四半期の実績に終始し、投資家は短期間で最大の利益を狙う
結果、近視眼的なものの見方が定着し、長期的視野に立った進退ができなくなる

 切迫感のもっとも大きな問題は、イノベーションと変化を過剰に賛美する文化的・イデオロギー的な素地を作り出すことだ。そのような素地を持つ世界では、「創造的破壊」はマーケティング戦略ではなく、抗し難い魅力を持つ自然の法となる。この「切迫感」を維持するツールがある。その名は「費用対効果分析(CBA)」だ。(p233)

CBAはもともと新古典派に基づく指標で、原則的にすべての規制を敵とみなし、イノベーションや自由市場もろもろを善と仮定する
既存の規制に対して、規制による「費用」がいかに「便益」を上回っているを分析して攻撃する
その「費用」に、規制がなければ生まれるはずだった「便益」=「機会費用」を含めるのが常套手段で、さらに将来の価値を減価することで導く「割引率」を駆使して、どんな規制にも理論武装できる思想的ツールなのだ
イデオロギー無き時代の、イデオロギーといえようか
「経済」は政治イデオロギーに対して“中立”という誤解があるので、イデオロギーと自覚されない点で怖い代物である


さて、こういうネット社会の特徴と全体主義はどう接着するのか
ネットにおける個人とは、世間のしがらみ、縁から完全に断ち切られた状態で、一見これ以上なく自由な「個人」である
それなら誰にも邪魔されず自由に判断できるから、例えば、ネット上の選挙が定着すれば理想的な民主主義が実現する……かというと、まったくそうはならないだろう
まず「自由」過ぎることが仇で、考えるための足場を得づらい
何でもありなので、どこから入りこんでいいか分からない。そのため、とりあえず予備知識をということで、お手軽なところに基礎を求める。お手軽な場所には同じような人が集まるので、とりあえず孤独感は感じなくなる
そこに、時間効率を追い求めるネット文化が加われば、流行のフレーズに乗っかって「分かった気」になること受けあいで、孤独からも即座に解放される。そもそも情報が乱舞する環境そのものが考える力を奪うので、ブロードバンド環境はゲームばりに毒があると見るべきだろう
ネットに比重を置かざるえない現代人は、かつてなく原子化され、CBAのような巧妙な理論に対して苦もなくひねられる脆弱な存在なのだ


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*2013’3/1 改題と加筆修正。既存の言葉に言い換えた。造語って難しい
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