『不毛地帯』 第1巻 山崎豊子

私の経済状況のことか

不毛地帯 (第1巻) (新潮文庫 (や-5-40))不毛地帯 (第1巻) (新潮文庫 (や-5-40))
(2009/03)
山崎 豊子

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日本独立後の1950年代、元大本営参謀の壱岐正は、再就職先として商社の近畿商事から声をかけられる。商事の社長大門は、国費を投じて育成された参謀としての能力を、国際展開する大組織の中で生かして欲しいと言う。軍人に民間企業が勤まるのか、逡巡しながら11年間のシベリア抑留を回想する

会社でぼちぼち読んでいて、一月かかってしまった。一冊600項もあって長いのだ
初版は4巻構成で文字が小さかったらしいが、新版で5巻構成に代わり文字が大きめになったようだ。おかげで作者の文章力もあいまって、かなり読みやすかった
壱岐正のモデルが瀬島龍三で、大本営参謀→シベリア抑留→近畿商事(伊藤忠商事)の経歴は確かにそのまま
ただし、シベリア抑留時代など細部の行動に関しては、他の人間から持ってきているようで、小柄で虚弱な壱岐がソ連に転向した民主委員に乱暴するなど急に人が変わったような箇所がある
作者とすれば、シベリア抑留の過酷さを壱岐という人物を通して伝えたかったのだろう

山崎豊子というと盗作裁判なんてこともあったから、どこまでが創作でどこまでが借用(!)かと気になってしまうのだが、この作品については、あまり借用がないように思う
登場人物の行動がかなりドラマ仕立てなのだ
シベリア抑留時の英雄的行動もしかり、壱岐が商社の仕事を説明されるところなど、映画かNHKのドラマのような演出、場面展開を見せる
序盤に1950年代現在からシベリアを回想し、その回想の中の自分が終戦時の満州を回想させるという離れ業(苦笑)もあって、回想から現実へスリリングに物語は動いていく
ノンフィクションではなく、史実の話を総合して作ったフィクションとして昭和の裏側を語っていると考えるべきだろう

壱岐正以外の人物にも目が向けられている
シベリアに抑留され東京裁判のソ連側証人として東京で自殺した秋津中将。その息子清輝はフィリピンでの仲間の多くを死なせたことを苦にして、出家し比叡山で厳しい修行に挑む
娘の千里は、男ばかりの陶器職人の世界に身を投じ、品評会への出品にまでこぎ着けた
戦争に関わった、またはねじ曲げられた人たちの群像劇であり、戦後を生きる一人一人が光彩を放っている


次巻 『不毛地帯』 第2巻

関連記事 『沈黙のファイル-「瀬島龍三」とは何だったのか』
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『陰謀史観』 秦郁彦

我ながら堅い本ばっか読んでいるなあ

陰謀史観 (新潮新書)陰謀史観 (新潮新書)
(2012/04/17)
秦 郁彦

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なぜいつの時代も陰謀論が絶えないのか?戦前戦後を俯瞰して、歴代の陰謀論を検証し、陰謀史観が生まれるメカニズムを探求する
帯の文章を読むと全世界の陰謀論を射程におさめてそうでも、実際は太平洋戦争前後の日本関係のものを中心に扱っている。著者の専門を考えるとそれも当然で、手の届く範囲をしっかりまとめたというところだ
内容もごく真面目で、「日米対立の史的構図」の章では日米関係の紆余曲折からそれに付随して生まれた陰謀論を、史実を分かりやすく説明しながら追っている。これが手短くまとめた通史として上手くできているのだ
ただ、トンデモ本的な彩りに欠けるのが少し寂しい。泡沫な陰謀論を取り上げるのがバカバカしくなったのだろうか(笑)
最終章ではトンデモ的な陰謀論を裁いていくが、当たり前過ぎるからかやや情熱に欠けている

本書で最も力が入ってるのが、日米関係に関わる陰謀論
最初に取り上げられるのが、東京裁判で侵略戦争の証拠とされた田中上奏文
1927年7月25日に田中義一首相が天皇に提出した書簡とされ、「支那を征服せんと欲せば、まず満蒙を征せざるべかざる。世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征服せざるべからず・・・」と世界征服を目標とする内容となっていた
もちろん偽書なのであるが、二年後の1929年には中国語訳、英語訳が出回り、大陸進出がそれを裏書きするように進む中、消し止めることができなかった

・・・・・・1932年の国際連盟理事会で松岡洋右代表と論戦した顧維鈞中国代表は、「この問題の最善の証明は、実に今日における事態である」と反ばくした。つまり真偽は問題でなく、上奏文が出たあとの日本の行動が事実で証明しているとの論法だった。明らかに論点のすり替えだが、陰謀史観論争ではごくありふれた手法ではある。東京裁判でも中国側の証人はやはり真偽論争を避け、顧維鈞と同じ論法で切り返している。(p25)

今でも中国の教科書には、「田中上奏文」が載っているらしい
アメリカにも日本の侵略は計画的なものではないか、という疑いが残り、天皇制への無理解も相まって天皇戦犯説が浮上する。1971年のデービット・バーガミーニ『天皇の陰謀』に始まって、2001年にもハーバート・ビックス『昭和天皇』がにぎわしピュリッツアー賞(!)までもらっていたようだ(驚
一方、日本側のアメリカ陰謀論には、黄禍論から来る人種対決や石原完爾の『世界最終戦論』など「宿命論」的な日米対決が前提となっていて、それを一般化したメディアとして無数の架空戦記=サブカルチャーも関わっていた

 将棋に定跡があるように、未来戦記や実戦を想定した兵棋演習にも定型が生まれてくる。ホーマー・リーやバイウォーターを愛読した少壮士官が、やがて作戦参謀として年度計画を立案し、海軍大学の教官として海上戦術を教え、艦隊長官に出世して演習を統裁するようになると、夢と現実の見境がつきにくくなってしまう。事情は米海軍も似たり寄ったりであったろう。
 最近になって史家の間では日米が戦わねばならぬ必然性があったのか、と疑問を呈する人がふえてきた。もっともな疑問で、私も内外のプロとアマが寄ってたかって三十年近くも太平洋戦略の空想ゲームに熱中しているうち、本物の戦争にしてしまったのではないかと疑っている。(p80-81)



さて、現在の有力な陰謀史観として著者が上げるのが、東京裁判史観
その論理は、侵略も残虐行為もお互い様という「同罪論(相殺論)アメリカの挑発による自衛戦争だったという「挑発論となっている
「東京裁判史観」の論者にとって痛いのが、当時の国民が受容してしまったことで、「敗者のルサンチマン」、負け惜しみだけでは説得力がないので、コミンテルン、フリーメーソン、中共などの陰謀論と相乗りする傾向があるそうだ
そうした論者には専門家が少なく、渡部昇一(英語学)、西尾幹二(ドイツ文学)、江藤淳(国文学)、藤原正彦(数学)、田母神俊雄(自衛隊)、小堀圭一郎(森鴎外)てな具合
著者は、国際的には通用しない一部の日本人向けの「国内消費用」の自慰的言論と断じる
特に江藤に対しては、ロックフェラー財団の給費でプリンストン大学に留学しながら反米の言論を行なっていたことに、日米関係の「甘えの構造」を最大限に利用していたと評する
いわば上記の論者たちもアメリカに「甘えても怒られない」のを承知で反発しているに過ぎないと言うのだ
著者の批判の真意は、日本人は日本人なりに今の今まで主体的に判断して生きてきたと言いたいのだろう
今も幅を効かせる「東京裁判史観」を“陰謀論”と断じたところは痛快で、本書は戦前戦後に流れる思想の潮流から現在に至る言論の成り立ちを上手く説明してくれている
ただ、「東京裁判史観」への悪罵を見るように著者が言論プロレスに乱入してしまっているし、本書の批判だけではやや物足りない。まとまった本を探すとしようか


関連記事 『検証・真珠湾の謎と真実』

昭和天皇(上)昭和天皇(上)
(2002/07/31)
ハーバート・ビックス

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『経済成長神話の終り 減成長と日本の希望』 アンドリュー・J・サター

著者はユダヤ人の国際弁護士で、立教大学法学部教授(2012年度から)
主な著作が『ユダヤ式「天才」教育のレシピ』って・・・

経済成長神話の終わり 減成長と日本の希望 (講談社現代新書)経済成長神話の終わり 減成長と日本の希望 (講談社現代新書)
(2012/03/16)
アンドリュー.J・サター

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ぶっとい帯に「政府が経済成長を目指すと国は滅びる!」というメッセージが
著者は経済成長を全否定したいのではない。経済成長を自己目的化する危険を訴えている
成長の効果を分配する仕組みや副作用への配慮を欠いては、貧富の差を広げ社会を荒廃させるというのだ
第1部(パート1)でGDPを始めとする経済指標の曖昧さ、恣意性を解き、冷戦の生んだ経済成長神話を指摘し、第二部(パート2)でアリストテレスから経済の価値を問い、第三部で経済・社会の多くの分野に減成長」の理念を提案する
「減成長」は「経済成長神話」へのカウンターとなる概念で、経済成長を否定するというより、経済成長を前提としない地点から社会を考え直そうというものだ

GDP(国内総生産)とは、ある国の経済が一定期間内に、どれだけ新たに「生産したか」を示す数値
著者が言うには、生産」という考え方がクセモノらしい
モノとサービスの総計なのだが、「生産」と認められるには「市場経済」で売り買いさせるものでなくてはならず、子育てや家事を自分でするより、人に任せた方がGDPは上がる
中古品の取り引きも「新規」ではないからGDPには含まれず、金融市場の取り引きはもちろん含まれない
GDPは理由の良し悪しを評価しないので、温泉でのサービスも公害対策の資金投下でもGDPを押し上げる

 一方で、多くの面でGDPは非常に主観的でもある。
 そもそも、「その年のGDP計算に必要な数値が全部集まる部屋」みたいなものは、どの国の政府にもない。私たちが目にするGDP数値の根拠の大半は、実は政府の統計担当者による推測なのだ。しかも、統計担当官が使う手法が変わる可能性だってある。統計手法の変更によって公表数値が後日改訂されることは、実際よくあるのだ。(p27-28)

そして、企業によって資産の評価方法も様々で、中身は外の人間には評価しがたく、まして各国のGDP計算の方法はそれぞれ独自のもので、国と国で比較できる代物ではないという
にわかには信じがたいことだが、こういう極めて曖昧な指標で一喜一憂していることになる
四半期GDPの統計の取り方で変化の度合いが激しくなる例が紹介される他、経済成長率の数学的性質、すなわち経済が拡大を続ければ成長率計算の分母が増えるわけで、同じだけGDPが増えても毎年成長は鈍化することを指摘
成熟してしまった国でちょっとした成長率を維持しようというだけで、大変な「生産量」がいるわけだ
年数パーセントの成長があれば借金が返せるとか、年金が維持できるという計画がいかに机上の空論か分かろうというものだ(財政再建に自然増収が必要なのは確かだが)

そもそも「経済成長」はいつから目標となったのか
戦前で最大の経済問題とされたのは、「経済成長」ではなく「失業問題だった
大恐慌からクローズアップされた「完全雇用」が経済学の課題で、経済成長はそのための二次的な扱いだった
しかし、大戦が終わると戦災から労働力不足が問題となり、「生産高の拡大」と少ない手間で生産を増やす「生産性」に政策もシフトする
そこで「経済の安定には、経済成長が必要」という認識が生まれ、イギリスで1949年に初めて政治目標に経済成長が盛り込まれる
同じ年にソ連が原爆実験に成功し、アメリカでは「軍事費も経済成長を刺激する」として軍拡の論理に取り込まれたという
さらに冷戦下のプロパガンダも絡んでくる

 確かに当時、「成長」は内政的にも外交的にも、イデオロギー的な武器だった。たとえば、内政的には、カール・マルクスが「階級闘争」と呼んだ民主主義特有の社会的な緊張感をやわらげるのに役立った。当時、ドイツ、フランス、日本などでは組合運動が盛んになり、米国でも共産党の運動が活発になっていた。世界中で、左派が台頭しつつあったのである。そんな中、50年代から60年代にかけての経済成長は、80年代とは異なり、労働者の所得を実際に大きく引き上げる役目を果たした。そのため、成長が所得の不均衡を是正する働きをし、やがて左翼急進派の扇動による社会不安が沈静化していったのである(p81)

さらに、イギリスの経済学者P・D・ワイルズが成長率で資本主義が共産主義に負けつつあるとして

長期戦になった東西冷戦の中では、経済成長率が最も重要になる。なぜなら、最も成長した国が最終的に最も強大になり、あらゆる経済的、軍事的な優位にたち、世界市場、ひいてはより高い生活水準までが、その国のものになるからだ」(p82)

この論文をきっかけに、東西各国の目標は「経済成長」そのものとなり、「生産量増大レース」が始まる。失業対策や社会問題は二次的ものへと引き下がった
いわば「経済成長」が国威発揚の指標となり、アメリカが日本などに市場を開放していたのも、日本を西側陣営に引き込む対ソ戦略だったという
こう見ると、日本がバブル時代にアメリカに次いで二位だ、一位の経済大国を目指すとか言っていた理由も分かる

第三部で著者は数々の提言を行なうが、やや理想主義的で高邁すぎる嫌いがある
「減成長」の理念は分かっても、少なくなる税収で福祉国家が維持できるのか、各国がグローバリゼーションを前提に政策を打っているところに、それに棹を差す動きが果たしてできるのか(やや流れが変わりつつあるが)、食料自給率の改善を安全保障の問題と捉えるのは古すぎないか
イタリアの思想家から引いて、「ふるさと」、コミュニティの再生を謳うも、地方に住んでいる人間には時既に遅しに思える。ヨーロッパと日本では実体も経緯も違うのだ
とはいえ、TTPや農業政策など現実の政策に対する批判は的確で一読の価値はあるし、巻末の民主主義の話はやけに熱い!
本書は日本人へのエールだし、著者の提案を頭に巡らせてみても損はない


「与える」より「引き出す」! ユダヤ式「天才」教育のレシピ (講談社プラスアルファ文庫)「与える」より「引き出す」! ユダヤ式「天才」教育のレシピ (講談社プラスアルファ文庫)
(2010/09/21)
アンドリュー.J・サター、ユキコ・サター 他

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東大式よりなんか、効きそう
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ガンダムエース 2012年6月号

女子バレーを見ながら
視聴率的に平清盛が息をしていない気がする

*書いている内に日をまたいでしまった・・・

GUNDAM A (ガンダムエース) 2012年 06月号 [雑誌]GUNDAM A (ガンダムエース) 2012年 06月号 [雑誌]
(2012/04/26)
不明

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一年何ヶ月ぶりかで買った
目当ては、もちろん富野対談。相手は昨年話題になった「中国化」の人だ


<「教えてください富野です」 vol109 與那覇潤>

前半はその『中国化する日本』の歴史観について
與那覇氏は、江戸時代を誰もが公平に押さえ込まれた不幸の時代としていて、その抑え込まれたエネルギーが明治維新のエネルギーになったという
自閉的な「江戸時代化に対して、明治維新は開かれた社会「中国化を目指したものと捉える
ここまで聞くと、「脱亜入欧」の時代に「中国化」とはこれ如何に、となるが、與那覇氏の言う「中国化」とは文化的全盛期の南宋時代をモデルにしたもので。近代中国の路線ではない
本当なら南宋化とも言うべきものなのだ

*江戸時代を不幸な時代というのには異論がある
次男、三男が奉公、出稼ぎ先でのたれ死ぬ世界ではあるが、同時に町人がひとり旅できるような治安の良さも誇っていたし、だいいち同時代の他の地域は幸福といえたのか。ヨーロッパでも都市に人が溢れ、戦争が絶えなかった
しかし、明治維新が実質、南宋を目指したものという指摘は鋭くて、幕末の志士たちは儒教の概念から西欧の近代化を理解し、横井小楠などは「共和大統領制は尭舜の世(禅譲)」と評した


「江戸時代化」と「中国化」ともに「上の人間が良ければ上手く行く」という“人格主義”が共通していて、そこを振り子のように変化しただけでは人格主義の弱点はカヴァーできない
與那覇氏が「中国化=南宋化」の概念で言いたかったのは、その弱点を自覚させるためで、それが抜けないと今まで通り行き詰まった末に自壊するハードランディングを繰り返すことになるという
富野監督は次世代を勇気づける言葉を作ってよ、と注文をつけつつ、太平洋戦争の要因は封建制と勤勉革命と喝破、これが全体主義につながると、感銘を受けた模様

後半は『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』から小津作品の秘密について
小津安二郎が理想化された家庭を描いたのは、直に戦争を体験していたからだと富野監督
與那覇氏は小津の作品とアニメーションの親和性を指摘して、「松竹ヌーベルバーグを嫌った富野が小津作品を目指した」必然性を導き出す
アニメ監督への低評価と今の日本映画のだらしなさは、小津批判に始まるのか
この人、若いのに何でも知っているなあ

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史
(2011/11/19)
與那覇 潤

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帝国の残影 ―兵士・小津安二郎の昭和史帝国の残影 ―兵士・小津安二郎の昭和史
(2011/01/14)
與那覇 潤

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<「三倍速く!! シャアが行く!」 三石琴乃>
池田秀一の対談コーナー。お相手は三石さん
「ちょっと声の業界自体がおかしくなり始めた頃の、草分け的存在」と毒ガスを吐きつつ、声優アイドル時代の話に入っていく
本業と並行してアイドル活動もやっていたから、セーラームーン1年目でぶっ倒れたらしい
声の出る人が歌を唄うというのはまだ妥当な方だけど、女子アナとかアイドルグループとか素人感を売りにするプロダクションとはなんなのだろうか
声優の世界は、絵が決まった後に声をつけるわけだから、実写以上に職人芸の領域。アイドル文化とはまったく合わないはずだが


<西原理恵子の人生画力対決 安彦良和スペシャル>
東日本復興支援チャリティー企画を口実に安彦さんが引っ張り出されて(!)、ニコニコ生放送でも中継していたようだ
カラー3ページの記事のあと、6ページに渡って漫画のレポートが書いてある
情報番組を放禁で降板した女傑サイバラは、とんでもないキャラクターに描かれて・・・って、かなり実体に近いような(笑)

参考動画:第19回大会(安彦スペシャルの前回)

カラーの方に、両人が描いた絵が幾つか載ってて、サイバラ女史の絵はドラえもん以外凄いことになってる(爆続きを読む
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『世界の運命 激動の現代を読む』 ポール・ケネディ

湿った季節になってきたからか、スーパーの惣菜の安くなるのが早い
有り難い

世界の運命 - 激動の現代を読む (中公新書 2114)世界の運命 - 激動の現代を読む (中公新書 2114)
(2011/06/24)
ポール・ケネディ

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『大国の興亡』の著者、ポール・ケネディが混迷する世界の運命を占う!
・・・タイトルを読むとそんな内容に思えるが、中身はアメリカを中心とした政治状況を語ったものが多い
なぜならば、これは「トリビューン・メディア・サービス」で配信されたエッセイを再編集したものなのだ
「トリビューン・メディア・サービス」がどこの新聞の系列かはわからないが、まずもってアメリカ人に配信したものだから、アメリカ中心になるのも当然なわけだ
本書は短いコラムを集めたものなので、テーマは多彩なものの、紙数の関係で内容はあっさり風味
構成が時系列ではなく、テーマごとにまとめられているので、記事によっては滑ってしまうネタもある
あまり肩肘張らずに、軽いエッセイとして読むといい。向こうの学者さんらしく洒脱で読みやすい

一本、一本が短いので、物足りないところもある
しかし、歴史学の大家として視野の広さ、長いスパンをものを見通すところはさすが
その一つは人口論から来る諸大国の分析
ロシア世界最大の国土を持つが、シベリアなど居住不可能な土地が多すぎて、人口も減少傾向にあって国土の広さが負担になっている。これはカナダやオーストラリアも事情は同じ
中国は世界最大の人口を持つものの、国土の面積はアメリカと同等。インドはEU圏より面積が小さいのに、EU圏の2.5倍の人口を抱えている。こっちは人口の多さが負担となる
そこに行くと、アメリカは国内に多くの可耕地が残されていて、安全保障的にも東西を大洋に挟まれ、他の大国に比べまだまだ恵まれている
同じような条件を持っているのが、実はブラジルで多くの社会問題を抱えているものの、地勢的には天与の強さを持つという
著者の分析どおりなら、過去のアメリカに匹敵するような覇権国家は現れず、恒常的に多極状況が続くということになる

日本やポール・ケネディの母国イギリスの記述は少ない
日本については、鉄道の快適さや世界最上位の金融センターに唯一非英語圏で東京が入っていることを賞賛するぐらいで、適当な扱いだ(苦笑)
アメリカについては、アメリカが良くなれば世界が良くなるという夜郎自大な一極主義は止めるべきと警告する

・・・いま我々が生きている世界では、地球人口の約5%にすぎない一つの国が、世界のGDP総額の約20%を持ち、防衛支出総額のほぼ50%を費やし、世界全体の外貨準備の65~70%に相当する紙幣を自由に印刷しているのである(p79)

長期的に考えると、この偏りは是正されていくわけで、そのときに諸外国とどのように役割を分担していくかが問題
国防に関しては、ネオコンの「騎兵隊」型軍隊ではなく、地域紛争の前線は同盟国に任せ大規模化していくときに出て行く「用心棒」型への移行を暗に勧めていた。仮にこれがラディカルに実現すると、在日米軍が大幅縮小して日米安保の形が大きく変ることになるだろう
また著者の言うとおりロシアが衰退するならば、北方領土の解決も実現可能かもしれない。プーチンが切り出してきたのも、衰えを自覚しているからか?


決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉
(1993/02)
ポール ケネディ

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『「空気」の研究』 山本七平

ゲーム分室にまた広告が出てしまった
無理繰りでも更新してやるか

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
(1983/10)
山本 七平

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「あの時の空気からいって・・・」「あのころの社会全般の空気も知らずに批判されても・・・」「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」。日本人の行動を決定づける「空気」の正体とはいったい何なのか?
『ユダヤ人と日本人』に比べると、少し難しかった
導入こそ具体的な話から入るものの、論が進むごとに「臨在感的把握」「日本的情況倫理」「オール3民」など長い熟語に加え、独特の造語も飛び出すので、そのつど頭の整理を余儀なくされる。また、たとえ話に共産党ネタを持ち出されても、知らない人は乗りにくいだろう
しかし、本書は「空気の研究」に留まらず、それを掣肘してきた「水を差すの“水(=通常性)”」にも踏み込み、日本人の根底にまで入っていく鋭さがある
一神教の世界観の解説が長かったりするが、キリスト者の著者が日本人の宗教性を浮き彫りするための思考過程。比較から分かることもあるので、長話につき合って損はない

「空気」の源が“モノ”、物に神が宿るという物神崇拝、アニミズムにあるとするところにはギョッとしたし、頭の中で収まらないままでいる
本書では自動車の排気ガス規制の問題が取り上げられており、自動車が裁判の対象となったとき科学的検証よりも本来、人間を対象にするはずの倫理的判断で裁かれていく
イタイイタイ病裁判の過程にもそういう心理が働いていて(科学的にどうなのかは管理人にはわからなかったが)、今でいうと原発の「放射線被害」ならびに「再稼働」が絶好の具体例といえるだろう
さて、このモノに神が宿るという感じる感覚を著者は臨在感的把握と呼ぶ

 臨在感の支配により人間が言論・行動等を規定される第一歩は、対象の臨在感的な把握にはじまり、これは感情移入を前提とする。感情移入はすべての民族にあるが、この把握が成り立つには、感情移入を絶対化して、それを感情移入だと考えない状態にならねばならない。従ってその前提となるのは、感情移入の日常化・無意識化乃至は生活化であり、一言でいえば、それをしないと、「生きている」という実感がなくなる世界、すなわち日本的世界であらねばならない。(p38)

その例として、冬場にヒヨコが寒かろうとお湯を飲ませて殺してしまった老人の話と保育器に懐炉を入れて赤ん坊が死んだ話が挙げられている

・・・・・・ヒヨコにお湯をのませたり、保育器に懐炉を入れたりするのは“科学的啓蒙”が足りないという主張も愚論、問題の焦点は、なぜ感情移入を絶対化するのかにある。というのは、ヒヨコにお湯をのまし、保育器に懐炉を入れるのは完全な感情移入であり、対者と自己との、または第三者との区別がなくなった状態だからである。そしてそういう状態になることを絶対化し、そういう状態になれなければ、そうさせないように阻む障害、または阻んでいると空想した対象を、悪として排除しようとする心理的状態が、感情移入の絶対化であり、これが対象の臨在感的把握いわば「物神化とその支配」の基礎になっているわけである。(p39)

自他の区別がないとなると、どこの子供だと言いたくなるが、「相手を自分の身になって考えろ」と教えられたことはあるだろう
大人が子供に教えるのだからこれは根深い。いちおう、その次には「相手と自分を同じように思ってはいけない」と教えることになっているはずだが

こうした「臨在感的な把握」から来る空気の支配はアニミズムを源とするが、昭和期より前ではこれを「恥」としていたという
著者によると江戸時代までは仏教や儒教の世界観によって把握されていたが、明治維新によって解消し「和魂洋才」と西洋の技術だけを取り入れればいいとする明治的啓蒙主義(福沢的啓蒙主義)によって混乱が生じたのが事のはじまりらしい
実際は西洋の生活習慣を取り入れたことで旧来の世界観は破壊され、かといって西洋の価値観を受容したわけでもないから、「空気」を抑える、経験則から生み出された「水を差す」という行動もとれなくなってしまったというのが著者の分析だ
しかし、この「空気の支配」、一概に日本だけのものとは思えない
9.11直後のアメリカは理性的ではなかったし、財政危機のユーロ圏は経済が悪いのに緊縮財政に舵を切って恐慌が続いている
伝統的な価値観が急激な社会変化の末に喪失され、「空気の支配」で場当たり的政策が採られているように見える
山本七平の思想は旧日本軍の経験から来ており、富野監督の“日本発の全体主義論”と通じるところも多い。現代の全体主義を考える上での参考文献として本書をお薦めしたい
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『経済人の終り』 P・F・ドラッカー

単行本は文字が大きくて読みやすい

ドラッカー名著集9 「経済人」の終わりドラッカー名著集9 「経済人」の終わり
(2007/11/16)
P・F・ドラッカー

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第一次世界大戦後、なぜ全体主義がヨーロッパに広がったのか。ドイツから亡命したドラッカーが29歳のときに発表した処女作
巻末にある初版の序文に触れられているように、初版は1939年ながら、元の論文が書かれたのはヒトラーが政権についた1933年まさに全体主義が進行する現場で本書は編まれたのだ
まえがきで「政治の書」と宣言し舞台をヨーロッパに限定しつつも、ブルジョア資本主義とマルクス社会主義への失望が全体主義の興隆を招いたと指摘し、そこに陥らないために「第三の道」を探せというメッセージは戦後の欧州を先取りしていたかのようだ
戦後以降の序文では、自分の予想とずいぶん違ったという漏らすものの、欧州の危機や資本の移動に振り回される世界経済を見れば、本書の問題提起は今なお通用してしまう

当時の政治と経済の話から踏み込んでいるので、アーレントの本よりは読みやすかった
ブルジョア資本主義は、経済的進歩こそが個人の自由と平等を促進し、私の利益を追求することで自由で平等な社会が訪れると期待した
対するマルクス社会主義は、私の利益を廃止することで自由で平等な社会が実現するとした
面白いのが、この相反するように思われる二つの立場の前提に、経済人」という概念があることだ

 経済的満足だけが社会的に重要であり、意味があるとされる。経済的地位、経済的報酬、経済的権利は、すべて人間が働く目的である。これらのもののために人間は戦争をし、死んでもよいと思う。そして、ほかのことはすべて偽善であり、衒いであり、虚構のナンセンスであるとされる。
 この「経済人」の概念は、アダム・スミスとその学派により、「ホモ・エコノミコス」として初めて示された。「経済人」とは、常に自らの経済的利益に従って行動するだけでなく、常にそのための方法を知っているという概念上の人間である。(p44)

社民主義者の経済への楽観ぶりが以前から不思議だったが、これで分かった。人間は放っておいても利益を追い求めるので、経済は自然に成長すると素朴に考えていたのだろう
しかし、「経済人」への信頼は1929年のアメリカ発大恐慌でもろくも崩れ去った
この「経済人」に代わる次の概念を作ろうというのが、彼の経営哲学の原点なのか

・・・・・・経済の成長と拡大は、社会的な目的を達成するための手段としてしか意味がない。社会的な目的の達成を約束するかぎりにおいて望ましいものであるが、その約束が幻想であることが明らかになれば、手段としての価値は疑わしくなる。(p35)

『マネジメント』の片鱗がすでに表れている

巻末にチャーチルの書評、旧版のまえがきや序文がまとめられていて、ドラッカーがその時々の本音をもらしている
アーレント絡みの文章が面白くて、多くの全体主義関連の本のなかで彼女と私しかその本質に触れなかったと言い、『全体主義の起源』を「感動的」とさえ評しつつも、ドイツ知識人のスノッブと非政治性を批判したことに彼女もその例外でないとチクリ
実際は全体主義の性格や反ユダヤ主義の解釈などアーレントと共通するところの多いのだが、「私の本が最初だった」と念を押すところは、亡命ユダヤ人同士でライバル意識があるような(笑)
ドラッカーの全体主義はナチス・ドイツ中心でアーレントと少し方向性は違うものの、分かりやすいこちらの方が「全体主義」を考える入口としてお薦めできる
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【週刊文春】『大人が今読むべきまんがランキング』

いしかわさんのHPで告知されていたので、文春を買ってみた
ブルボン小林南信長との鼎談で、本来グラビアのある部分で12pも今のマンガを語るという企画だ
ハナから今のマンガは大人向けのマンガばかりだから、あえて「大人が読むべき」というカテゴリーはおかしいという話になるが(笑)、「勧められる」という点で最後まで追いかけられる巻数の作品を挙げている
人気漫画は普通に数十巻出てしまうから、とても追い切れないもんなあ
ちょいと、メモ的にランキングに上がった作品を書いてみる

<2012’大人向けマンガ・ベストテン>
1位 『3月のライオン』 羽海野チカ
2位 『ちはやふる』 末次由紀
3位 『海街diary』 吉田秋生
4位 『GIANT KILLING』 ツジトモ・綱本将也
5位 『羊の木』 山上たつひこ・いがらしみきお
6位 『坂道のアポロン』 小玉ユキ
7位 『リアル』 井上雄彦
8位 『大東京トイボックス』 うめ
9位 『青空エール』 河原和音
10位 『僕の小規模な生活』 福満しげゆき


上位はネットでも高評価のマンガが多い
みんな名前だけは知っているし、それだけネットから良作を探す人が多いということだろう
管理人はみんながみんな褒めているものを警戒する習性があるので、ひとつも手を出していないが
『3月のライオン』だけ積読状態であるので、そのうち感想を書いてみたいけど

<おすすめ・番外編>
『シュトヘル』 伊藤悠
『ママゴト』 松田洋子
『capeta(カペタ)』 曽田正人
『グラゼニ』 森高夕次
『高校球児 ザワさん』 三島衛里子
『冒険エレキテ島』 鶴田謙二
『カレチ』 池田邦彦
『竜の学校は山の上』 九井諒子
『アイアムヒーロー』 花沢健吾
『アオイホノオ』 島本和彦
『進撃の巨人』 諌山創


番外編のはほとんど名前も知らない。『進撃の巨人』ぐらいか
まだ見ぬ世界がこれだけあるのだ
ことマンガに関しては、ホント爛熟していると思う
それなりの良作を追いかけるだけで、人生が埋められてしまうだろう
これだけのものが溢れているなんて、トンデモナイない状況だ
あえて言えば、多様化、高度化しすぎて、新しい読み手が入りづらいという問題はあるだろうが、鼎談では『ワンピース』みたいなマンガが子供にトレーニングしてくれればいい、という話になっていた
『ワンピース』が押されている裏には、ライトな読者層を掘り起こす狙いがあるのかもしれん

*2012’6/30 加筆・修正
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『CITY HUNTER Dramatic master』

最近はこれをBGMにしている
中古CD屋で手に入れたんが、懐かし過ぎる

シティーハンター dramatic masterシティーハンター dramatic master
(1989/12/01)
オムニバス、PSY・S 他

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これはアニメのOP・EDと挿入曲をまとめたもので、作中の普通のBGMは入っていない
構成はパート2のOPを頭に持ってくるとか順番通りではないが、アニメの一場面から曲のイントロに入るなど、毎週楽しみにしていた人間にはこたえられない演出になっている

なにせアニメ放映時は小坊だから、ミュージシャンの名前はほとんど覚えていない
当時知っていたのは、TMネットワーク小比類巻かほるぐらいで、『ベストテン』とかに出てた人だ
大人の今からだと、岡村靖幸大澤誉志幸とか、こういう人が参加していたんだという発見がある
当時としては最新の流行で静かな曲はほとんどないのだけど、子供の頃に聞いたからか安心感があってホッとする
時代もバブリーで前途に不安がなかったもんなあ

CITY HUNTER dramatic master IICITY HUNTER dramatic master II
(1990/01/21)
TVサントラ、大内義昭 他

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こちらはCD二枚組で「INSTRUMENTAL MASTER」に挿入曲以外のBGMが、「VOCAL MASTER」に前作(上述)のに未収録の挿入曲がまとめられている
wikiで楽曲を照らし合わせたが、映画のまで全て入っているわけではないようだ
挿入曲は前作に比べると、マイナーなものや声優が歌った曲が集められていて、前作がベストで今作がその残りかという内容
しかし、劇中キャラのしょーもないやり取り(褒めている)が収録されているし、小室哲哉が死にそうな声で歌っているので聞く値打ちはある。絶対担がれたんだろう、コレ(笑)

全体的に前へ前へと勢いのある楽曲が多いので、気分的にもアゲアゲで行けるのがいい。派手な曲が多くとも、昔聞いたという耳の慣れがあるから、ちょうどいい心地だ
一説には、冴羽獠の年齢は三十路を越えているとか(アニメでそういう台詞があるらしい)
管理人も三十路をとうに越えたが、もっこり精神を忘れずに人生を楽しみたいもんだ
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『日本人とユダヤ人』 イザヤ・ベンダサン=山本七平

角川oneテーマ新書だと、山本七平になってた

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
(1971/09)
イザヤ・ベンダサン、Isaiah Ben-Dasan 他

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日本在住のユダヤ人による日本人論・・・・・・というのは、知っている人には言うまでもなく建前で、作者はクリスチャンの山本七平
書かれている内容はまさにスタンダードであり、「日本人というとこう言われますねえ」とテレビのドキュメントや討論番組で言われそうなことが並べられている
「日本人は、安全と水は無料で手に入ると思いこんでいる」「理外の理」「全員一致の原則」・・・おそらく本書がこういった概念を広めるきっかけとなったのだろう
今となっては当たり前に聞こえる日本人の特性だが、本書が現代人向けでないかと言えば、むしろ逆だ
言葉の表面だけ使われて終わることが多いその特徴を、なぜそうなるのか、どういう利点があるのか、成立した背景や根づいた原因を深く切り込んで、日本人とは何者かを教えてくれる

討論番組やブログが好きな人間に無視できないのは、「プールサイダー」の章
プールサイダーとは、山本書店主(山本七平氏)の造語で、泳げもしないのにプールサイドで人の泳ぎを評論する人で、批評が的確で表向きは泳ぎの上手い人に見えてしまう
こういう人はどこの国でもいるだろう。しかし、このプールサイダー=評論家に対する寛容さが日本人の特徴という

「それならきくが、プールサイダーの意見通りにして溺死したら、その場合プールサイダーの責任はどうなるのだ」
「・・・(略)・・・だが、結局はプールサイダーの言葉に盲従するのがわるいんだ、ということになるだろうな。確かに聞く義務はないのだからね」
「ということは、プールサイダーには何の責任もないということか」
「そりゃそうさ。プールサイダーなどが、はじめっから何の責任もとれるわけがない
「では言うが、それでは言論には責任がないということだ。責任がないということは、自由がないということだ・・・・・・」
「やれやれ、彼らの言論の責任など追究したら、それこそ逆に言論の自由への圧迫だと言われるのが落ちさ、下らんゴタクを並べて『エエカッコ』してるなと思えば、聞かなければいいことさ。言いたい奴には言わしておけばいい。・・・」(p219)

そして、なぜ「言わしておけばいい」と聞き流せるのか、というとプールサイダー(評論家)の「知的容姿」「知的挙止」に理由があり、「流行思想を着こなすファッション・モデル」として認められているとする
作者はプールサイダーをサシミのツマとまで表現して、無駄にみえて無駄でないとする
外来の概念を日本人が消化するにはこうしたファッション・リーダーが必要で、軽薄・空虚であってもとりあえず珍重するというのだ
とはいえ一発芸人と一緒で、次のモデルが出るとポイしちゃうのだから、一種の人身御供的存在といえなくもない

この本を読む時点で大事なことがある。それはユダヤ人の記述はあてにならないということだ
山本七平自身はユダヤ人の協力を得たというのだが、ほぼ本人の著作とされている。実際のユダヤ人の価値観と食い違うのも当然だろう
少なくとも、ユダヤ人がアメリカでホテル住まいを強いられてるというのはかなり誇張であり、エリア・カザンの映画でもアメリカのユダヤ人差別は隠然としたものとして描かれていた(この問題は『アメリカのユダヤ人迫害史』に詳しい)
本書のユダヤ人は日本人を語るために引き合いに出されているだけなのだ。しかも、それを露呈せぬために数々の古典や逸話を語り尽くす、涙ぐましい努力までしている(ある意味素晴らしい!)
勝手にユダヤ人を騙って本を書いちゃうのは道義的に問題があるが、ここではその動機について考えてみたい
まず外国人を騙ったのは、日本人を外から見た視点で論じたいから。余所者として書くことによって、いい意味で乱暴に辛辣な意見が書ける。日本人は外国人に「ここが変だよ」と言われると、謙虚でいてくれるのだ
ユダヤ人を騙った理由は、おそらく欧米人の日本人論に不満があり、それとは中立的な立場を取りたいから。イスラエルはヨーロッパから見て地理的にはアジアに属している
山本七平の議論は学会の流儀を無視し考証の根拠がいい加減だとかで、学界の評判は芳しくないが、小室直樹など認める人は認めている。日本人論の基礎として読んでみていいのでは
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