『明治維新 1858-1881』 坂野潤治 大野健一

『翔ぶが如く』とはまた違った明治維新

明治維新 1858-1881 (講談社現代新書)明治維新 1858-1881 (講談社現代新書)
(2010/01/19)
坂野 潤治、大野 健一 他

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何が日本の近代化の道を開いたのか。多元的なかつ柔軟に入れ替わる権力構造に着目し、幕末から維新以降にかけて複数の目標を達成していく過程とその根源を江戸時代から紐解く
もともとが外国向けに発表する論文の日本語原文であるので、内容は少しお堅い
それでも、学者さんの文章特有の読みにくさ、難解な専門用語、回りくどい表現などはない。ウィットには欠けるかもしれないが、一般人でも読みやすいはずだ
著者は日本の近代化が成功した要因に、複数のリーダーたちが合従連衡を繰り返し、それぞれの政策目標を実現させた柔軟な権力構造「柔構造に見出す
明治維新においては、「憲法」「議会」「富国」「強兵」の四つの国家目標とそれを目指すグループが存在し、一つが突出したときに残りの三つが提携して独裁を潰し、お互いの目標のため臨機応変に動いた
本書では「柔構造」を可能にした要因を、薩長土肥の権力構造や江戸時代の蓄積に求め多岐に検討している
タイトルからは想像できないほど、維新について掘り下げられた新書なのだ

歴史小説では沸騰したような時代であるのに、学者さんに書かせるといたってクール
キーワードで政治集団を規定してその力関係を計るあたり、人文的に語られる舞台を現代の政治学で裁いているようで新鮮だった
本書では、幕末を公儀輿論「富国強兵の二つのキーワードで動く時代とし、明治維新後は「公儀輿論」が「憲法」と「議会に、「富国強兵」が「富国」と「強兵に分かれたと解く
「憲法」と「議会」というと、非常に親和性が高く見えて違う。「憲法」派は初めに近代国家としての祖法を固めようというプロシア・国権派であり、「議会」派は国民の政治参加を優先する民権論者なのだ
言葉の上では水と油なのだが、それぞれのリーダーは勝手知ったる幕末の志士同士でしっかりとしたコネクションがある
「憲法」派の木戸孝允や伊藤博文も「議会」派に理解をみせていたし、何度も犬猿の仲となった木戸と大久保が結びついたように、国家を守る、発展させるという点では一致していたのだ
また、本書では、幕末の時代から各国藩主を集めた「封建議会」の構想があり、「議会政治」の概念は維新当初から認知されていたことを強調する
つまり、官の独裁に対し「議会」派が立ち上がったわけではなく、革命当初の計画に入っていたのである。とすると、板垣らの運動がある部分で政府と協調して保守的とされたのも、本人たちとしては当然のことだったかもしれない

著者は西郷ら「強兵」派と大久保の「富国」派が最終的に決裂したのは、征韓論ではなく西南戦争そのものであるという
征韓論後の、台湾出兵、江華島事件とその後の日韓条約は、薩摩に帰った「強兵」派と協調、慰撫するものであり、それまでの関係は決定的なものではなかったとする
むしろ、「強兵」派への配慮のせいで外征の費用が増加し、「富国」=殖産興業の余裕がなくなったのが両グループの溝となったことを指摘する。西南戦争で「強兵」派が後退したことで「富国」派が予算のフリーハンドを握り全盛を迎えた
西南戦争については軽く触れられているだけであり、他の西洋の内乱に比べれば「余り大したことではない」というスタンスなので、この本で真相を勘ぐるのは余り良くないだろう(佐賀勢についても従来どおりの解釈だった)
ただ、大久保らの殖産興業路線は注ぎ込んだ費用のわりに成果が上がらなかったというオチは、『翔ぶ如く』などの定説を打ち砕いてくれて爽快な気分にしてくれた
十巻もの小説で語られた、あの二人の政争はなんのためだったかという(苦笑)

実のところ、この本の半分近くは明治維新の前史としての雄藩の成り立ちや江戸時代の分析に割かれている
まるで新書版『風雲児たち』かという膨らみようだが(いや本家には負けるけど)、書かれていることはそれぞれ非常に興味深かった
中で参照されている本も割合手に入りやすい物が多いので、機を見て読んでみたい
ちなみに、もとの論文の主旨は独裁に苦しむ途上国に対し、明治維新を開発独裁の一種とする古い学説を否定し「柔構造」というモデルを提示することで近代化へのヒントにすることを念願としていた
世界史的な視野にたった明治維新論なのだ続きを読む
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ソ連とは何だったか~『自壊する帝国』より

*この記事は『自壊する帝国』の記事(2009年3月5日)を分割、再編集したものです
 たまたまアクセスが集中していたので見直してみると、余りにも文章が長かったので分けてみました
 昔の記事は尺のことも考えず、文章も今以上に「日本語でおk」な状態なので、気がつき次第直して行こうと思っております

『自壊する帝国』のテーマの一つは、ソ連とは何だったかということ。読み終えても今ひとつ明確な答えが出てこないがけれども・・・
いくつか、作中のやりとりを拾ってみる

筆者と親友であるサーシャの会話で以下のやりとりが

「ミーシャ(筆者の愛称)、この国は異常な帝国なんだよ。帝国なんだけど宗主国(メトロポリヤ)がない」
「サーシャの言うことがわからないな。ロシアが宗主国じゃないのか」
(略)
「ロシア人こそがこの国でいちばん虐げられているということだ」
「宗主国がなければ、植民地もないということになるよな。サーシャの話ではソ連帝国には宗主国もなければ植民地もないということか」
「そう言ってもいいかも知れない」
「それなら帝国なんていう概念を使う必要はない。共和国じゃないか」
「違う、違う。帝国の中心はある。『スターラヤ・プローシャジ(旧い広場)』(ソ連共産党中央委員会)だ」
(略)
ソ連共産党中央委員会には全ての権限がある。だが、権限を行使したことに対する責任を一切負う必要がない。ここから無責任の体制が国家の上から下まで完全に行き渡っている。ソ連国家を抜本的に立て直すためには、ソ連共産党を叩き潰さなくてはならないんだ。しかし、共産党を叩き潰したらソ連はなくなってしまう。共産党というシステムに部分的に自由化や民主主義を入れることはできない。ゴルバチョフはそのことがわかっていない。(略)」(p95~96)

党が国家、諸民族を支配しているということらしい。ソ連共産党が一種の階級として、諸民族の上に位置していると考えればいいのだろうか
で、問題はなんら歴史的背景をもたないレーニンたちがなぜこういう構造を作り、維持できたかということ
ここらあたりは革命史を勉強してみないと分からない

次にソ連崩壊後、ロシア共産党を率いることになるツベトコフとの対話
彼の思想はロシア正教の要素を共産主義に取り入れるもので、「プラハの春」で唱えられた「人間の顔をした社会主義」に近いらしい

しかし、ソ連型共産主義に「人間の顔」をさせることは可能なのか。この疑念について私は率直に質してみた。
「サトウさん、いわゆるヒューマニズムに立脚することは不可能です。人間は悪事を行う動物です。人間を手放しで賛美することはできない。きちんと階級意識をもった新しい人間をロシアの伝統から見出していくのです。コルホーズ(集団農場)にしても、みんなで一緒に仕事をするのが好きだというのがロシア農民の伝統なのです。また、拝金主義を憎み、カネ以外に人生の価値を置くことを尊ぶのもロシアの伝統なのです。この伝統があるから、ロシア人は共産主義を受け入れたのです
「ツベトコフ部長、伝統的価値とは保守になりますよね。そうなると、1917年11月のロシア革命は社会主義革命ではなく、保守革命ということになりませんか」
「サトウさん、それは定義の問題です。私たちロシア人はそのような伝統の回復を共産主義と呼んだのです
「ゴルバチョフ書記長が進めるペレストロイカもそのようなロシアの伝統に回帰しようとしているのでしょうか」
ツベトコフは私の質問には答えずに、「進歩という幻想から私たちは離れなくてはなりません」(p335~336)

ツベトコフという人はそれこそ伝統的なロシアのインテリゲンツィアそのもの
集団化する際に発生した膨大な犠牲を考えると、「集団農場=ロシアの伝統」というのはどうも、実情を知らないインテリが勝手に「伝統」を捏造した感がある
ともあれロシア革命を肯定する論理として、こういうものがあるというのは興味深い。西欧の資本主義、帝国主義に対抗するために、共産主義を掲げた保守革命だった?
近代思想が入ってきたときにギリシャ正教が通用しなくなったから、その補完に共産主義をもってきたということなのか

最後にジリノフスキーの側近になった、サーシャの知人シュべードの話
ジリノフスキーというのは一時期過激発言で話題になった向こうの自由民主党党首(懐かしい)

「確かにサーシャはまじめだ。ジュガーノフ(共産党議長)だってクプツォフ(共産党副議長)だってまじめだぜ。しかし、ああいう政治はもう有効性を失っているんだよ。ユートピアとか怨念で動くような政治はロクなもんじゃない。政治はもっといい加減なものなんだ。だから政治に携わる人間はもっといい加減にならなくてはならないんだ。権力とカネは交換可能なんだ。その場、その場で臨機応変の対応を積み重ねていく。それでいいんだ。
そうでなく、きまじめに国家だとか民族を考えるとイリイン(ロシア共産党第二書記)みたいに内側から壊れてしまう。ジュガーノフだってソコノフだって、イリインよりはずっと僕に近い。僕と同じ狡さをもっている。しかし、狡さを隠そうとしている。狡さや欲望を隠すところからソ連みたいな全体主義国家が生まれてくるんだよ。ジリノフスキーから全体主義国家は絶対に生まれてこない。なぜなら、体制の補完物としての自分の場を選んだからだ」
「プラード(シュべードの愛称)、それじゃ永遠に漂流し続けることになる」
「それでいいじゃないか」

一番本書で感じ入った箇所。ソ連という国家の一つの総括になっていると思う
シュぺードという人物はどうも好きになれないが、彼の言っていることはたしかに真実
狡さを隠そうとするところから悪が生まれる。この前見た映画『マッチポイント』にも通じるところがある箴言だ

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自壊する帝国 (新潮文庫)自壊する帝国 (新潮文庫)
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佐藤 優

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『翔ぶが如く』 第10巻 司馬遼太郎

いよいよ大団円

翔ぶが如く〈10〉 (文春文庫)翔ぶが如く〈10〉 (文春文庫)
(2002/06)
司馬 遼太郎

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最終巻はひたすら西郷の逃避行が続く。人吉から宮崎に逃れたら、政府軍の進出が早く鹿児島への道が断たれてしまう。仕方なく北へ行き、延岡の野村忍介の軍と合流するもそこも包囲され絶体絶命のピンチとなる
前半のハイライトは、この延岡の重包囲から可愛岳を越える強行軍で抜け出すところ
普通の士族たちならば、諦めて切腹してしまいそうなところ、薩人たちは執念で可能性をえぐりとった。安易に切腹しないのは戦国武士の伝統だそうで、戦って死ぬこそ武者の本懐という鎌倉以来の気質だという
示現流などから攻撃一辺倒で受けを考えない性癖とか、旧日本陸軍と共通する欠点を上げることもできるが(司馬も陸軍憎しで書いてしまっている)、薩摩の地で育まれた気風と旧軍のソレとは別種のものだと思う
巻を重ねるごとに記録文学の度合いが濃くなるシリーズだが、十巻に到るともはや小説的想像力を半ば捨てて資料から得た情報の描写に専念したかのようだ
それでも司馬が西郷と一緒に(!)さじを投げてしまった桐野利秋の戦いは、一番嫌いな人物であるはずなのに生き生きと美しい描く。修羅場にあえて美を見出した一点で、表面の娯楽性を問うのが野暮になる、他に代え難い作品といえる

最初は司馬も政治小説のように書きたかったのだと思う
一巻を見れば西郷と大久保、桐野と川路が対峙して配置されていて、桐野に使われる芦名千恵という女性も登場した
西郷の士族主体の国家と大久保の洋化政策が征韓論としてぶつかり合い、その終点としての西南戦争と大久保暗殺を置く構成が予定だったろう
しかし、史料を探るうちに西郷の人間がまったく見えなくなったのか、その謎に惹かれるように西郷の輪郭を求めて記録文学に転じたかのように思われる
中津士族の増田宋太郎が西郷と生死を共にすることを仲間に打ち明ける下りで

 増田のいうことは要するに、自分は諸君とはちがい西郷という人間に接してしまったのだ、ああいう人間に接すればどう仕様もない、善も悪もなく西郷と死生をともにする以外にない、ということで、増田の言葉は、西郷という実像をもっとも的確に言い中てているかもしれない。
・・・(中略)・・・要するに西郷という人は、後世の者が小説をもってしても評論をもってしても捉えがたい箇所があるのは、増田宋太郎のいうこういうあたりのことであろう。西郷は、西郷に会う以外にわかる方法がなく、できれば数日接してみなければその重大な部分だわからない。西郷の幕将たちの西郷に対する気持は、増田宋太郎以上のものであったに相違いない。(p218)

西郷は会ってみないと分からない。分からない以上、小説でも勝手には動かせない
それでも分かった振りをして書くのが小説というものだと思うが、司馬はそれを選ばなかったのだ

東大教授平川佑弘と漫画原作・作家で有名な関川夏央の解説がいい
読んでいてなんとなく思っていたことを、見事に文章にされていた。今の日本の原点は、太平洋戦争の敗戦ではなく、明治維新で生まれたものであり、その政治体制は帝国議会ではなく、「官」中心の太政官政府に始まる
現代の官僚には、歴史的な強さがあるのだ
作者のあとがきが、政権交代が成ってしまった今だからこそ鋭い

 当然ながら「官」に対する一敵国をなし、全国の不平等士族という在野勢力の希望の星になり、日本における最初の野党を形勢した。日本における野党が、政府攻撃において外交問題をかかげるときに昂揚するという性癖はこのときから出発したのかもしれず、また激しく倒閣を叫びながら政権交代のための統治能力を本気で持とうとしないという性癖も、この時期の薩摩勢力をもってあるいは祖型とするかもしれない。さらにいえば、大正デモクラシーの時期の政党も、戦後の政党も、社会の保護者として徹底するよりも「官」の寄生集団として存在するという性癖をもつ。このことも、明治十年までにできあがった太政官国家の祖型と無縁でないかもしれない。(p363)

現首相も野党第一党の党首も財務省にべったりだよ \(^o^)/

前巻 『翔ぶが如く』 第9巻
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『さらば脳ブーム』 川島隆太

中日の連覇の陰で、阪神の真弓監督が解任
CSが絶望的になってから、即CSを条件に解任話が出てくるという
御家騒動もスマートになったもんだ

さらば脳ブーム (新潮新書)さらば脳ブーム (新潮新書)
(2010/11)
川島 隆太

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DSの『脳を鍛える』シリーズで一躍、時の人となった川島隆太教授。脳科学の研究を世間や企業と関わらせるなかで、大きな賞賛と非難を受け続けた彼の本音とは?
この新書はタイトルのとおり脳科学の最先端を啓蒙するものではない
『大人のドリル』に始まり『脳を鍛える』ゲームで高まった“脳トレブーム”の実際とそれを巡る批判や論争と振り返り、産学協同の難しさやマスメディアと科学者の関係を問うもの
“脳トレ”に応用された脳科学のついての説明はあるものの、語り口調はざっくばらんで自分自身の研究活動を赤裸々に告白していく。回顧録であり、エッセイでもあり、暴露本的(?)な箇所もある
有名な“芸脳人”に毒ガスを浴びせたり、いい意味で口が悪いので、理系アレルギーの人にも入りやすい新書だろう

川島教授は、『大人のドリル』『脳を鍛える』シリーズがヒットする中、様々な科学者の批判を浴びた
批判の一つは「科学的根拠がない」というもの
二つのシリーズ商品は、勉強をすることにより、行動が積極的になるなど、違う分野でプラスの効果があることがウリになっている。これを「汎化効果」と呼ぶ
批判する論文では、商品が必ずしも「汎化効果」の要因になっているか証明されていないと書かれた
川島教授は学会で通用するような科学的手順を踏んでいないことを認めつつも、この商品の前提となる“学習療法”、身障者や認知症の患者にドリルで遊んでもらう療法は現実に通用しているとする
ミステリーでいえば、状況証拠は全て揃っていったが、裁判で通用する証拠がといったところか
ここが産学協同の問題点で、学者は学会の手順を踏みたくとも、企業は絶えず生き馬の目を抜く競争にさらされているので、お客さんの安全が保証されて娯楽足りうるならば、早く商品化してニーズに応えたい
学者も企業に協力してもらっている以上、それを断りづらい。学界の手順を飛び越えて、商品化されがちなのだ

科学者たちの批判に対して、川島教授が問題視するのは科学者とマスコミのあり方だ
「科学的ではない」という批判であるはずなのに、科学者たちは学会の流儀に従わず大衆誌を使って一方的に攻撃してきた。マスコミもまた、その言質を巧みに流用して、問題を曲解してしまった
科学者たちは異端の成功者に嫉妬があるし、マスコミは時代の寵児を撃って部数を伸ばしたい。そこには歪んだ産学協同があったのだ
ひとつには、科学者たちが研究の世界に籠もりきりで、マスコミの性質を知らないことに原因であり、「人に文句を垂れるぐらいなら自分も世間に出て、研究に使った税金ぐらい社会に還元してみなさいよ」というのが、著者の叫びである
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『翔ぶが如く』 第9巻 司馬遼太郎

親父が買っていたのは8巻まで
展開の遅さに力尽きたらしい

翔ぶが如く〈9〉 (文春文庫)翔ぶが如く〈9〉 (文春文庫)
(2002/06)
司馬 遼太郎

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薩軍が前哨戦と思っていた「高瀬の戦い」が、実は天王山だった
本巻では新政府の大軍に押し込まれ田原坂で防戦するも、熊本南部の八代に政府軍の上陸を許し、熊本城からの撤収を余儀なくされる
薩軍の特徴は、全体の統制が緩やかで小部隊が自立性が高いこと。このことは局地戦では敵の虚をつく活躍を生んだものの、大局的には少ないチャンスを逃すことにつながった
そもそも薩軍中枢の幹部たちには戦略といえるものがなく、西郷の名声のみを頼って蜂起しただけなのである
しかし、政府軍の対応も生ぬるい
指揮層に薩人が多く長州閥の山県すら、西郷に止めを刺すのをはばかり、半ば故意に熊本からの撤退を許してしまう
使っている兵器は近代のものだが、戦っている人間の感覚はまだ近世のようだ

勇敢な薩人に比べ、鎮台兵は前評判どおり頼りない
そこで政府軍が頼ったのは、士族中心で編成された近衛兵であり、警察隊だった。特に川路の肝煎りで各地の士族を臨時雇いした警察隊は、大刀のみ戦う抜刀隊を組織して命知らずの戦いを続けた
その中で面白い存在が、会津人の山川浩。23歳の若さで家老に就任、会津若松城で防戦の指揮をとった名将
斗南に流された会津士族たちのため、政府の要請で二百人ばかりの同郷を連れて政府軍に参加した。山川は土佐人の谷干城に恩義があり、西郷に遠慮する政府軍を尻目に熊本城への突破を成功させた
士族たちの活躍はめざましいものがあり、火力に頼る鎮台兵に代わり戦いの転機を作ったのは彼らと言っていい
木戸孝允は士族の登用を近代国家建設の観点から警戒したが、大久保がぜんぶそのまま警察官にするとして納得させたという。戦前の警察が庶民に尊大だった由来はここにあるのだろう
ちなみに小説では触れられていないが、元新撰組の斉藤一もまた警察隊として参戦し活躍している

熊本民権派の宮川八郎は、八代に上陸した政府軍との戦いで死んだ
薩摩士族は戦いには勇敢だったが、その反面他藩の士族たちには冷たい
熊本城から退き旧相良藩の人吉に拠った時、人吉の士族たちを徴兵し糧秣を調達するも、政府軍の攻勢が始まるや、西郷を連れ出して宮崎に退却してしまう。人吉の士族は政府軍に寝返るが、小説では将棋の駒にたとえられていた
宮崎では再び薩軍は横暴に振る舞い、徴兵・徴用に応じない子弟は処断すると脅した
判官贔屓、反体制人気からか、西南戦争の薩軍は美化される傾向があるが、実際の彼らは武断的で農民や他藩の士族を差別、江戸時代からの薩摩中心主義を貫いた
戦中に勅使が島津久光を訪問したように、西郷と西南戦争を同一視してはいけないだろう

次巻 『翔ぶが如く』 第10巻
前巻 『翔ぶが如く』 第8巻
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『偽善エコロジー』 武田邦彦

放射線の問題では、炎上中の武田教授
専門分野ならたぶん大丈夫でしょう

偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書)偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書)
(2008/05)
武田 邦彦

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「たかじんのそこまで言って委員会」などでエコロジーの裏側を叩き斬ってきた武田教授。本書ではリサイクル品を中心にして、それぞれが環境問題に有効か、無効かを判定していく
タイトルの偽善とは、熱心に資源のリサイクルをする人のことではない。リサイクルの効果のないものを、「ある」ように装って金儲けをしようとしている業者や一部の役人に対しての言葉なのだ
(リサイクル品を途上国へ横流しして儲けている業者は、偽善で足りず「悪徳」と言っていいだろう)
著者は、効果のないリサイクルに努力するのではなく、まず物を大事にすることから始めゴミの量を地道に減らすことが本当のエコであるとする
テレビでは個性的な物言いをするので、環境問題に冷淡な人に見えていたが、意外と地に足のついた人だったのだ

新書だけあって、小見出しが工夫されている

レジ袋を使わない→判定・ただのエゴ
割り箸を使わずマイ箸を持つ→判定・ただのエゴ
石油をやめバイオエタノールに→判定・ただのエゴ

まるでテレビでの武田教授のような煽り文句
しかし、本文では至って真面目に、なぜそのリサイクルの効果がないのかを検証している。小見出しとの対比で文章に面白みがないと評する人もいたが、それだけ環境問題への誤解を解くのに真剣なのだ
管理人がさもありなん、と思っていたのがレジ袋の件
とあるスーパーで「ウチでは環境のためレジ袋を出しません。お客様に買ってもらいます(キリッ)」と言われ、強烈な違和感を感じたものだが、それは正しかった。やはり元々はエコバッグを売るための営業戦略だったのだ
そればかりでなく、エコバックを作るのは石油からであり、しかも石油の中でも貴重な成分を使う。対して、レジ袋は石油の残りカスであった部分から作っていて、廃止すればその分捨てざるを得ない
レジ袋を使う分、ゴミの量こそ減るが、石油の節約にはまるでならないのだ
こうした間違ったリサイクルがまかり通る裏側に、官庁の縦割りの問題がある。リサイクルを扱う環境省は経産省や農林省に押されて権限が少なく、近視眼的な環境対策しかとれないせいらしい
割り箸の問題もレジ袋と同様で、ものの流れの下流であるゴミしか見ない結果起こる間違い上流の資源を含めた総体を見る意識が環境問題では大事なのだ

専門外であるからなのか、地球温暖化の炭酸ガス原因説については、いちおうそれを前提に語っている
日本の二酸化炭素削減については、意味なしとしているのは、すでに日本は省エネ大国であり現状で削減できる幅が少なく、一国で頑張っても世界各国が京都議定書に同調しなければ効果がないに等しいということ
温暖化に対して注目すべきは、かの沈みゆく国・ツバルに関して、地盤沈下説に触れていることか
1978年に独立した同国は第二次大戦中、アメリカ軍が飛行場を作っており、その影響が考えられるという
これだけではなんとも言えないので、もう少し調べてみたい
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【DVD】『MSイグルー 黙示録0079』

1話30分で一枚5000円
DVD-BOXの方がお得というパターンですな
(というか、一枚にできないのか、ブルーレイとかで)

サブタイトルが「黙示録0079」とあるように、舞台は戦争末期の地獄の戦場。第603試験部隊も、試験と称した実戦に突入する
出てくる兵器たちは、使わなくなる兵器の再利用既存の兵器をつなぎ合わせた急造品であり、特攻とまでいかなくとも兵士の帰還を前提としない決戦兵器
なにわともあれ、1話1話見ていこう


<第1話 ジャブロー上空に海原を見た>
機動戦士ガンダム MSイグルー 黙示録0079 ジャブロー上空に海原を見た 1 [DVD]機動戦士ガンダム MSイグルー 黙示録0079 ジャブロー上空に海原を見た 1 [DVD]
(2006/04/26)
石川英郎、長沢美樹 他

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地上から追いやられたジオン軍に水陸両用MSの出番はない。ジャブローから宇宙に打ち上がる連邦軍の戦艦を、使い途のないMSを大気圏から落下して撃ち落とそうというのが、新兵器「ゼーゴック」だ
まともに考えると、ズゴックの形状がない方が操作性がよさそうなものだが、企画の面白さ、意外性から選ばれたとしか思えないトンデモ兵器である
大気圏を突入するだけで、人体に大きな衝撃を加わる。ゼーゴックのテストパイロット、ホルバイン少尉は少し気がふれていて、突入時に雄叫びを上げるのだが、戦場や過度の大気圏突入の後遺症に違いないのだ
ストーリーは、奇跡的な大戦果を上げたけど・・・というまたしてものパターンである


<第2話 光芒の峠を越えろ>
機動戦士ガンダム MSイグルー 黙示録0079 光芒の峠を越えろ 2 [DVD]機動戦士ガンダム MSイグルー 黙示録0079 光芒の峠を越えろ 2 [DVD]
(2006/06/23)
石川英郎、長沢美樹 他

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今回の兵器は、資源不足につきあり合わせの部品で作ったモビルポッド「オッゴだ。スペックはボールより上という評価らしいが、装備はザクの使い回しという酷いものだ
それに乗るのは志願した少年兵で、中にはモニクの弟、エルヴィン・キャデラックもいた。思想教育がなされているらしく、ナチスのヒトラー・ユーゲントを連想させられる存在だ

残念なのは、エルヴィンが敵の少年兵をなだめるところなど(シリーズ中、敵とまともに触れ合う唯一のシーン)、戦争の辛さを感じさせる要素があるのに、ストーリーがおかしいことだろう
敵戦艦とボール数機に対し、オッゴ三機だけを投入するのはいくらなんでも無茶苦茶だ
ヨーツンヘイムにはカスペンのゲルググとヅダが二機搭載されていて、これらで対応しながらオッゴは離れたところで実戦に慣れさせるのが妥当なはずだ
カスペンの冷酷を示す演出かもしれないが、これではイカレているようにしか映らない。それは製作者の本意ではないだろう
肝心のラストにもいろいろと無理があったし、敗戦間際のグダグダでは説明できないマズさ


<第3話 雷鳴は魂に還る>
機動戦士ガンダム MSイグルー -黙示録0079- 3 雷鳴に魂は還る [DVD]機動戦士ガンダム MSイグルー -黙示録0079- 3 雷鳴に魂は還る [DVD]
(2006/08/25)
石川英郎、長沢美樹 他

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ついにア・バオア・クーの決戦が迫り、試験艦ヨーツンヘイムも最前線に配置されることになった
そこに戦闘力の低いオッゴを支援すべく送り込まれたのが、最後の兵器「ビグ・ラング」。快速MAビグロに、未完成巨大MAの下半身(ノイエ・ジールのものか?)をつけるという、抱腹絶倒のトンデモ兵器である
それでもその運用のさせ方には、戦前の特攻潜水艇とその母艦を連想させられたが・・・
ギレンの演説に始まって、ラストを見れば、劇場版ガンダムのア・バオア・クー戦をなぞった構成だと分かる

最終話の特徴は、今まで傍観者であった主人公オリヴァー・マイが、ビグ・ラングのパイロットとして前線に立つこと
彼は戦闘が始まる直前に、死んでいったテストパイロットたちの心境を知る。客観的にどうであれ、乗った以上は機体を信じて戦う他はない
彼が主人公として物足りないのは、試験官という枠からはみ出ないからだろう。そして、今回も戦場のパイロットという枠に落ち着いてしまう
それは戦争に巻き込まれた一人間としてリアルではあっても、悲劇を乗り越えていく英雄性は見出せない。彼もまた、戦争の狂気の中に取り込まれてしまったかに見える
このことは主人公の結論として、シリーズ全体の性質を規定してしまっている。本来トンデモ兵器を使わされたあげくの極めて無意味な死を、戦場のロマンチシズムで飾り付けることになってしまったのだ
連邦軍のモヒカンぶりはキャラづけだそうだが、主人公たちを美談仕立てる演出に思える。ああまですれば、カスペン大佐までマシに見えてくるものだ
前話で少年兵のエピソードが入り最終回に化ける可能性を感じていただけに、残念な幕引きだった


CGに関しては、戦闘シーンはまあ素晴らしい
細かいMSの設定まで生かされて、ひとつひとつの動作に対するこだわりが凄い人間を動かすことは不得手も、マシンに関しては相当うまくいっている
アニメとどちらが手間がかかるかは素人ゆえ分からないが、経済的な問題で今後MSはCGという流れになるのかもしれない
ドラマシーンでは、大きく動かすと厳しい
製作者もそれを理解していて、今回の「黙示録0079」においては極力動かすことを抑え、表情以外はほぼ静止画で見せようとしていた。おかげで「一年戦争秘録」のワシヤ号泣シーンのように、ぶち壊しになるようなところはない
アニメでも人を動かすのは大変な手間だが、歴史のないCGではもっと大変だ
モーションキャプチャーでリアルな人間の動きをそのままトレースしても、見ている人間に劇として理解されるかは怪しいだろう
それならキャラクターを実際の人間に、役所広司艦長とか、黒木メイサ特務大尉とかにした方が早いような気もする(笑)
オールCGは現状、ハリウッドの俳優を雇う金がないからCGにしておくという次善の策に留まりそうだ続きを読む
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『翔ぶが如く』 第8巻 司馬遼太郎

季節はすっかり秋
夕日の落ちる早さに驚く

翔ぶが如く〈8〉 (文春文庫)翔ぶが如く〈8〉 (文春文庫)
(2002/05)
司馬 遼太郎

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遂に西南戦争が始まった。8巻は、熊本城の攻防戦から、結果的に戦役の帰趨を決めることになった高瀬の戦いまでを
本巻で焦点があたるのは、西郷や薩軍というより、その周辺にいる宮川八郎などの熊本士族、そしてそれらを相手する熊本の守将・谷干城であり、救援に赴く乃木希典
熊本城を囲んだ薩軍はあまりに無能だった
砲兵を使わずに城攻めをしたり、政府軍が来ると中途半端な兵力で出撃したりと、戊辰戦争の経験はどこに行ったかというぐらいだ
西郷が投げているためか、高名なリーダーがいるのに実質的なリーダーシップが皆無という奇妙な状態が続いてしまう
西郷の評にある、桐野利秋の将器とはなんだったのか。薩摩の伝統は、強力な戦士を育てたものの、指揮官を育てることができなかったようだ

*11’10/10 追記
 よく考えると、指揮官を育てられなかったというのは、言い過ぎだった。西南戦争の官軍を率いた野津は薩人だし、日露戦争の大山巌、東郷平八郎は言わずもがな。日本海軍の父、山本権兵衛もだ
 将軍の宝庫じゃないか、薩摩隼人は(苦笑)
 となると、西郷の側近たちがパッとしないのが異常で、意図的に西郷が出来る人間を政府に残してきたとも考えられる
 そこに西南戦争の答えがあるような気がする


前巻では、政府の密偵・中原尚雄が西郷暗殺を策したことが西南戦争に原因のごとく扱われていたが、本巻ではその風向きが変わる

 つまり、大山県令が、県庁の第六課に命じて県庁の現金をことごとく私学校の軍費に提供すべく処置したのが、二月四日の日曜日なのである。
 時間関係でいうと、私学校生徒が草牟田の弾薬庫を襲ったのが一月二十九日夜で、大山の右の命令はそれよりわずか6日後である。
(中略)
 ところで、中原尚雄らが口述書をとられはじめるのは、二月五日からである。時間関係からいえば、中原が自供したからそれに憤って決起したのではなく、右の大山の命令との関係からいえば、決起の用意はすでに二月三日、四日の間に決定済みであったことがわかる・・・(p53)

鹿児島の県令である大山綱良は、弾薬庫襲撃のすぐ後に県庁の金を私学校に提供することを命じていて、中原尚雄らの証言は決起の計画と無関係であったらしい
大山綱良は、県令として政府と鹿児島を取り持つ一方、主人・島津久光の意向を無視できない人物である。久光は自身こそ表明しなかったものの、大山綱良を使って私学校を支援したと見ることができる
とすれば、民権派にも理解をもつ西郷を首領としながらも、薩軍が農民や他藩の士族に冷たかったのも分かる。薩摩士族たちにすれば、久光の影響も受けての薩摩中心の復古的な蜂起であったのだ

薩軍が封建的だからといって、政府軍がクリーンなわけでもない
熊本の鎮台は、天守閣に失火があったさいに、街中に火の手が移ったのをあえて放置した
攻城戦において、城の周囲の建物は寄せ手の拠点となり、邪魔になるからだ
ちなみに、熊本の士族、住民は、近代化のための税負担を強いる政府を恨み、薩軍に同情的だった
しかし、薩摩士族たちは戦列に加わる宮川八郎ら民権党や、旧・佐幕派の学校党にも冷たく、農民一揆とも連動できなかった
緒戦において、土着集団の限界が表れている

次巻 『翔ぶが如く』 第9巻
前巻 『翔ぶが如く』 第7巻
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【DVD】『闇金の帝王 銀と金 5 相続殺人』

森田鉄雄、引退・・・・・・・・・・・・・・・・せずかっ?!

闇金の帝王 銀と金 5 相続殺人 [DVD]闇金の帝王 銀と金 5 相続殺人 [DVD]
(2007/09/28)
中条きよし、豊原功補 他

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銀と金のハイライトともいえる、神威家の家父長権争いの一本
なのだが、改変された部分が多く、完成度が高くとも原作が矮小化されていた感があった
まず大きい変更は、主役が銀さん(=中条きよし)であること。森田鉄雄(=豊原功輔)は、あくまでサポートするポジションである
銀さんが要所で要所で上手く立ち回るので、原作のようなドキドキしたサバイバルにはならず、仕事人中条きよしの立ち回りが最大の見どころになってしまっているのだ
いや確かに、50代半ば当時で体を張ったアクションは、ハリウッドスター顔負けでお見事である
しかし、このブログらしくネタバレしてしまうと、原作の前半分である表の家父長権争いで終始してしまって、後半分の殺戮と悲劇が再現されていないのは、漫画を読んだ人間としては少し残念だった
おそらく、ショットガンによる殺戮劇など、ビデオ映画の予算では再現できなかったのだろう

とはいうものの、神威家の狂気そのものは、神威秀峰を演じた根上淳の怪演で充分表現されている
一瞬の隙で銃を突きつけた息子たちを叩きのめし、日本刀を舌舐めずるように陰謀を企む様は、まさに怪物
根上の存在感で前半は、どこまで突き進むのか大いに惹きつけられてしまった
その後、原作の細部を生かしつつも、プログラムピクチャーのように上手くまとめられてしまい、ラストの爽やかな解決には毒気を抜かれてしまうものの、ビデオ作品としては頑張った良作と評価できる
きっと、原作を読んでいない人にとっては、な~んの問題もなく楽しめるだろう

秀峰を連れ出す看護婦役にあの朝岡実嶺が出ていたのだが、期待に反して濡れ場はなし!
特に泣き演技も大きな見せ場もなく、気絶するまで盛大に吊られるだけに終わりました(苦笑)
気絶するところは、女を囮にする銀さんの悪漢ぶりを存分に魅せるところで大事なんですがねえ
・・・・・・で、森田鉄雄はどうなってしまうん?

次巻 【DVD】『闇金の帝王 銀と金 6 戦慄の罠』
前巻 【DVD】『闇金の帝王 銀と金 4 地獄の裏麻雀』
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『ガンダム世代への提言 富野由悠季対談集 Ⅱ』

三巻目はもう買いましたよ

ガンダム世代への提言  富野由悠季対談集 )ローマ数字2) (単行本)ガンダム世代への提言 富野由悠季対談集 Ⅱ (単行本)
(2011/08/26)
富野 由悠季

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『ガンダム・エース』誌の名物コーナー、「教えて下さい、富野です」に収録されたものを再編集してまとめた対談集の2巻目
今回も32回分の収録だ。飛び飛びでしかエースは買っていないので、4分の3ぐらいが初見だった
想像していた以上に環境問題の比率が高かった。というか、様々なジャンルの人を集めても、将来への提言となるとそこに通らずにはいられないのだろう
地球レベルの環境から現代人の身体性までもともと監督の問題意識が高かったこともあるし、大震災とフクシマを経て再編集する段階でより今そこにある危機として浮かんだこともある。第2巻には監督だけでなしに、編集者たちの責任感すら感じた
しかし、本屋さんではあくまでガンダムエース関連の書籍として、オリジンの横に置かれているというのがこの本の現状だ。角川さん、お願いしますよお

といいつつ、自分が好きな回は、温泉学教授・松田忠徳さんだったりする
松田さんは、温泉が戦国時代の病院だったとして、大名は温泉を巡って争ったとまでいう。そして、現代人への警告として・・・

松田 シャワーは塩素ガスも出しますから、非常に危険です。できれば塩素を除去するシャワーヘッドを使って下さい。日本人なら週に何度かはバスタブにお湯を張って、肩まで浸かりましょう。風呂に入ることは日本人であることの証なんです。なぜなら体温が高いというのは、日本人の個性のひとつですから。
富野 ああ・・・・・・そうなんですね。
松田 日本人の平均体温は36.5℃ですが、今の若い人には35℃台の人が非常に多い。ときには34℃台も!
    これは風呂に入らず、シャワーだけで済ませているからなんです。・・・(略)・・・対してシャワーは、表面の老廃物を流すだけで、しかも体温を下げます。体温が低いということは問題で、例えば重篤な病気の人はほぼ必ず体温が下がります。
富野 つまり、体温が低いということは病気みたいなものなんだ。
松田 半病人なんです。体温の低下は、シャワー化と洋食中心の食生活が原因だと私は考えます。肉食は体温を下げるんです。
・・・(以下略)・・・(p245)

管理人の生活はまさにど真ん中(苦笑)。毎日シャワーで肉食中心の食生活で、幸いにも体温は36℃台でありますが
塩素漬けの水道水は、感染症対策には良くても、酸性なので本質的には体に良くないというのは初耳だった
学校のプール水が口に入ると気持ち悪かったり、水道水を飲むのに抵抗を感じるというのは、体の生理として正しかったということか
シャワー生活は避けられないが、たまには銭湯に行くとか、食事に味噌汁、スープをつけるとか、これからは体温を上げることを意識して生活しよう
コーナンにシャワーヘッドは売っているかなあ

環境問題が多いと書いたが、いろんな角度から切り込むので生真面目で入りにくいわけじゃない
日大芸術部の同期だという浜野安宏さんの話なんて、大量消費真っ只中の武勇伝から、古い町の界隈、マス・マーケティングの否定までいってしまう
神保哲生さんのツバルの話は、炭酸ガスが地球温暖化の原因であるという前提で、「温暖化には時間のギャップがあり、今の温暖化は昔の炭酸ガスの分」というのはちと引っ掛かった。どうやって立証されたものなのだろう?
と、こういう関心が持てるようになるのも、富野監督の効用だ(炭酸ガスネタはいつか調べてみるぞ)
宇宙飛行士の毛利衛さんから、市川染五郎芸妓はんまで多士済々のメンバーなので、気軽に手にとってくだされ

次巻 『ガンダム世代への提言 富野由悠季対談集 Ⅲ』
前巻 『ガンダム世代への提言 富野由悠季対談集 Ⅰ』
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