『竜馬がゆく』 第5巻 司馬遼太郎

昨夜、中学時代の友人から電話がかかってきた
十数年会っていないのに、突然携帯にかかるのだからそりゃ驚く
向こうの調子が全く昔のままなのに、かえって戸惑ってしまった
一度は会うのか・・・?

竜馬がゆく〈5〉 (文春文庫)竜馬がゆく〈5〉 (文春文庫)
(1998/10/09)
司馬 遼太郎

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佐幕派の巻き返しが、ついに争乱を呼んだ。新撰組の池田屋事件から、長州が反撃に出て蛤御門の変に到る
この変の影響は、竜馬にも及ぶ。勝海舟は江戸に召還され、神戸海軍操連所は解散させられた。勝は薩摩藩を頼り、竜馬と西郷を引き合わせるのだ
この巻の主役は一にも二にも長州。池田屋事件の顛末から、長州攘夷派の蜂起、さらに幕府の長州征伐の内実とその決着までが中心だ
そして、今まで紙数が割かれていなかった薩摩藩が一段と存在感を増してきた。西郷どんの登場もさることながら、対長州戦の主力となった薩州軍が強い強い
一見、幕府復権に見えるその裏では、実はその限界を露呈していて、薩摩がいなければ決着がつけられないという現状すらあるのだ
しかし、これほど激しくぶつかった両藩の同盟などありうるのか。竜馬が越えた壁の高さをひしひしと感じる本巻だ

蛤御門の変までの過程を見ると、司馬が長州を嫌うのが良く分かる
象徴的な君主を担ぎながら、狭量な世界観で過激な行動をとり続け、ついには破局的な開戦を決断する。その行動が昭和の軍部そのままなのだ
もともと、山県有朋らの長州閥が帝国陸軍の気風を作ったというところからスタートしているのに、それをなぞるような史実を見せられては、書いていてとことん嫌いになっただろう
その代わり持ち上げられるのは、薩摩の現実主義である
西郷に代表される知性と、人斬り半次郎すら押さえ込める統制力は、日本の将来を受けもつに相応しい組織に映る
しかし、西南戦争の暴走を見ると、薩州にもその気があるわけで、長州嫌いの補正と見ていいのかも

竜馬は相変わらずだ。おりょうさんの恋慕をよそに、方々でモテモテである
しかも、その立ち居振舞が映画のように決まる。幕府方に操連所の船を返す下りなどは、原哲夫の漫画に出て来そうなノリだったりする
いや、むしろ講談や時代劇の演出が、歴史小説に浸透し、サブカルチャーに到るなんて構図を想像したくなるほど
さて、次巻は大仕事が待っているぞ

次巻 『竜馬がゆく』 第6巻
前巻 『竜馬がゆく』 第4巻続きを読む
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【政治】『銀と金』から昔の小沢一郎を振り返る

『銀と金』の第七巻には、小沢一郎ならぬ伊沢敦志が登場する
銀と金―恐怖の財テク地獄変 (7) (アクションコミックス・ピザッツ)銀と金―恐怖の財テク地獄変 (7) (アクションコミックス・ピザッツ)
(1994/11)
福本 伸行

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誠京グループの蔵前から債権で縛られていた政治家の中に伊沢はいた。誠京麻雀編の決着で平井銀二によって蔵前から債権を買い取ってもらう
自由を得た伊沢は、自派の政治家と与党を離脱。内閣を総辞職に追い込み、野党を結集した連立政権を発足させる
ここまでは、1990年代の政治状況と同じである

さて、政権をとった伊沢は、小選挙区などの選挙法改正を含む政治改正法案を通すべく、連立諸派をまとめようとするがこれが上手くいかない
そこで平井銀二に説得を頼む・・・というのが表の話
その実はそれをカモフラージュにつかって、下野した民政党に買収を仕掛け、さらに外国から調達した一千億で株式市場に投資。自ら演出した政治改正法案の成立での高騰で巨万の富を得る
外国企業を伊沢に紹介した土門頭取は真相を知り、「自由経済資本主義の根幹に関わる裏切り行為」「許されることではない」と呻く
が、全ては政権を維持してこの国を変えるため、と伊沢は開き直り、それを受けて平井銀二もさらなる悪の提案を行うのだ
もちろん、これはフィクションの筋書きである
しかし、そこには90年代に期待された小沢一郎像が表れている
行き詰まった体制に迅速な改革を行うために剛腕は不可欠であり、国民も多少のダーティーさを容認するべき・・・非常時の独裁的手腕こそ、当時の小沢人気の源泉だったのだ

問題は、小沢一郎が剛腕で何をやりたかったかということ
ちょうど『金と銀』が始まるぐらいの時に、この本がベストセラーになっていた
日本改造計画日本改造計画
(1993/05/21)
小沢 一郎

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僕の記憶が正しければ、内容は「積極的な規制緩和」「安全保障では普通の国へ」「外国への市場開放」など、日本の欧米化を促すものだった
実際の連立政権下では、“国民福祉税構想”など直間比率の是正は提案されたものの、その後は度重なる政争でうやむやとなった
そもそも、この本を書いた一人は大蔵省の官僚だという片山さつき議員の暴露もあって(竹中平蔵もその一人だったという話もある)、当時の新進官僚や政治家の間で普通に流布していたものに過ぎないという。そういえば、現首相だって、サンプロで「今はブレアよりサッチャーの改革が必要」と言っていた時代があった
政策レベルのものは、主義として政治家が抱える必要はない。その時々に人の意見をつまみ食いしてもいい
しかし、国家観となると別である
自派議員を大挙中国に訪問させ、天皇陛下まで慣例に背いて動員する手法は、「普通の国」とは思えない
目的を見失い、ただダーティーなだけの剛腕を見せられても、なんの求心力を生むだろうか
ニコ動などにおける局所的な受けも、現内閣の不満に対するささやかな受け皿に過ぎないだろう

11’4/28 アイタタ。『金と銀』と書いてしまっていた。みっともない・・・

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『怒らないこと』 アルボムッレ・スマナサーラ

昨夜は、偶然に『もしドラ』特番の富野監督を観ることができた
当ブログ的に『経済人の終り』は抑えねばなりませんな
ちゃんと読んでそうな長谷川滋利が『もしドラ』の作戦を堂々と否定したのには笑った
原作者が出演してしまったのも、番宣的にはどうなのだろう

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)
(2006/07/18)
アルボムッレ スマナサーラ

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最近書店の新書コーナーで目にするのが、このお坊様の本。香山リカとの対談本を筆頭に、角にずらりと並んでいる
はて、巷では密かにインド仏教ブームでもあるのかと手に取ってみた。確か、本場のインドでも仏教復興の動きがあったっけ
ページを開いてみると、実際の法話のように読みやすかった
この本は、徹底して人間の持つ怒りについて考えるものだ。難しい仏教用語は正面には出てこず、分かりやすい喩え話で初期仏教の思想を説いてくれる。
内容は「怒り」に身を任せてはならない、振り回されてはならないという、常識的なものだ
しかし、その否定ぶりが“全否定”のレベルに到ってししまっている。部分的には某監督の言いまわしと似ていて、『○野に訊け』を読んでいる気にもなってしまった(笑)
この厳しさが、インドと日本の仏教の違いだろうか。初期仏教の立場にあって、世俗の生活に否定的なのは、一般人と距離を感じるところだ
もっともご本人は、「怒りを否定するのに、怒ってはいけませんね」というユーモアを持ち合わせていて、原理原則は曲げないながら、柔軟性にも富んだ人だ

少し厄介なのが、「怒り」という言葉のニュアンス
インドのパーリ語の「怒り」には、幾つもの種類があって、いわゆる嫉妬、ルサンチマンの類といった暗い感情もそれに含めるのだ
日本語の「怒り」は、それに比べかなり限定されて使われている。野球の監督が選手に雷を落とすなど、ある場面での「怒り」は肯定的に扱われる
そのまま読んでいくと、前半部分はかなり極端な意見に思えてしまうだろう
作者も日本で講義をしている人だからそれには気づいている。後半になって「強く教える」ことは私の言う「怒り」ではない、とフォローを入れている
とにかく、最後まで読んでみれば、だいたい腑には落ちてくるはずだ

とはいえ、違和感を感じるのは、「怒り」を持つ人への対処法
「怒り」に「怒り」をぶつけてしまってはいけない、もちろん「暴力」はいけないということで、初期仏教の教団では、怒れる人に全員が無視する罰を科すのだ
これは余りに、普通の日本人が考えることと一緒である(笑)
もちろん、戒律を守りながらその人が自ら改善することを信じる、というところから生まれた対処で、いわゆるイジメとは違うのだが、もう少しいい智恵はなかったのだろうか
逆にいえば、仏教にして「怒り」に囚われたことに対してスペシャルの方法はないということであり、そのつど人間は様々な方法を模索して対するしかないと、思い知った次第である
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『ウィキリークスの内幕』 ダニエル・ドムシャイト・ベルク

昨日の阪神は弟に続く新井兄のサヨナラ打で勝った
(→http://www.youtube.com/watch?v=cUuNUtHm578&feature=watch_response_rev)
ベイの右翼、吉村のチョンボさまさまであるが
その後のヒーローインタビューがまた面白い。藤川も積極的に弄るなあ
(→http://www.youtube.com/watch?v=qw6JKki_z5c&feature=related)

ウィキリークスの内幕ウィキリークスの内幕
(2011/03/11)
ダニエル・ドムシャイト-ベルグ

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元ナンバー2が明かすウィキリークスとお騒がせリーダー、ジュリアン・アサンジの真実
組織の中枢にいた著者が、ジュリアン・アサンジとの出会いから、確執によって離脱するまでを語っている
文章がとにかく下手だ。ウィキリークスなどネット状況を説明する部分はまとまっていても、自分の身の回りやアサンジに関することは細かいニュアンスが分かりづらい。悪文で済まないレベルなのだ
元の文章がよほど悪くて、翻訳者はその“持ち味”を殺さないように逐語訳したに違いなく、その分ゴーストライターでなく本人が書いたという信憑性があることはある
ウィキリークスとアサンジについては、上記の理由で取っつきにくいものの、その暴露対象であるサイエントロジースイス銀行アフガン戦争捕虜虐待などの記述はそれぞれ面白い
取材対象をいかに守るかいかにネットの自由を確保するか、など彼らが向き合った問題は、ネット社会、あるいは社会全体に関わることなので、一読の価値はある、かな?

著者ダニエルは全体を通して、リーダーであるアサンジの我が儘な性格や独断専行に批判を加えていく
しかし、読み見始めて見えてくるのは、むしろ二人の共通点
ジュリアン・アサンジは、元々は知る人が知るハッカーだ。ダニエルも一会社員だったとはいえ、ネットにどっぷり浸かったプログラマー。ともにネット的自由を愛している
ウィキリークスの理念は、情報の不均衡を無くすことによって、より理想的な世界を作ることであり、そのために公人のプライベートを含むあらゆる秘匿情報を公開していく。このユートピア観について、二人は一致しているのだ
その辺のノリの軽さは、主義は違えど『リーンの翼』の朗利と金本を思い起こしてしまった。ネット空間に漂うだけで分かった気になる危うさは自戒すべきか

二人の確執は、ウィキリークスがそれなりのメディア組織として機能していこうとした時に起こった
ネットを自由に泳いでいた彼らは、この前例のない組織でどういう関係をとればいいのか分からずに、混乱してしまったのだ
象徴的なのは、著者がメンバーと同じ部屋で缶詰になるのが気持ち悪く逃げ出してしまうところだ。まともな組織人ならありえない行動だろう
アサンジはリーダーのプレッシャーからか家父長的に行動し、メンバーの総スカンを食う
それぞれがマイペースに行動し、自分のルールが破られると妥協しない。彼らには、生身の人間のつきあいが全く欠けていたのだ
しかし、二人が袂を分かってからは、少しずつ変わっていったらしい
ネット発の組織が抱える弱点を見せてくれた点で、いいノンフィクションだった
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『竜馬がゆく』 第4巻 司馬遼太郎

出崎監督が亡くなった。最近まで熱心に仕事されているようだったのに
自分にとっての代表作は、やはり『明日のジョー』
京都テレビの再放送を飽きずに観ていました


竜馬がゆく〈4〉 (文春文庫)竜馬がゆく〈4〉 (文春文庫)
(1998/09/10)
司馬 遼太郎

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前巻まで尊皇攘夷に風が吹いていたが、第4巻で佐幕、公武合体派の巻き返しが始まる
竜馬にとって大きいのは、土佐勤王党と武市半平太の粛清。半平太の一味と目されたことで再度脱藩を余儀なくされる
それでも施設に乏しい神戸海軍操連所で辛抱するうちに、ついに幕府から軍艦一隻を拝領することになった。竜馬は他の有名志士のように派手な謀略に乗り出さず、着実に足場を築いていく
勝など多くのコネがあるとはいえ、脱藩浪人の身だ。フリーランスの人間が仕事をするには、より慎重に現実的に行動しなければならないのだ
さて、色恋の方では、おりょうさんの登場で一気にそちらに雪崩れ込むと思いきや、まだお田勢様千葉さな子らも振り切れない。というより、風雲を前にして誰か一人を思いきれないというところか

巻を進むごとに感じるのは、司馬の好き嫌いの激しさである
武市半平太の件で山内容堂を責めるのは分かるし、長州の激烈を帝国陸軍につなげて嫌うのも心情的に分かるのだが

いや、度しがたい。徳川時代の階級制、身分制、封建的権威主義ほど日本人をわるくしたものはない。
以蔵は、足軽の身分である。せめて郷士ならばこうまでの恥辱をうけなかったに違いない。藩の上層部は、以蔵を犬猫以下にあつかった。・・・(略)・・・
奸智というか。
が、上士たちは良心の呵責さえもっていない。足軽などは虫のようなものだと思っている。徳川社会は日本人にこの種の智恵をのみ異常に発達させた。(p238)

竜馬視点で体制を変革していく話であるにしても、ここまで江戸時代を腐すとは
ナナミンのカエサル補正など可愛くなるほどの爆撃ぶりなのだ
そういえば、対談などでも徳川体制の停滞を嘆いて、対談相手に「徳川時代の資本の蓄積があったから、明治維新ができたのでは」と慰められていたことがある
最近の研究では(といってもここ三十年ぐらいか)、地域よって身分に流動性があったり、人やモノが全国各地に動く物流網があったとか、江戸時代=停滞というマルクス史観に影響された歴史観が覆されている
司馬自身の小説がそれに影響しているし、作中でもそういう指摘があったりするのだが、部分的にはこういう文章もある
この激しさは、意外な発見だった

司馬の価値観からすると、武市半平太という人物は殺伐とした謀略を展開したことから厳しくなると思ったが、以外に暖かった
清廉にして沈毅、先の政道を見据えた一人物というところで、惜しまれたのだろう
山内容堂が責められるのは止む得ない。本人が後年嘆いたように、武市半平太が藩全体に尊皇攘夷を歩ませようとしたことが、土佐藩を維新の勝ち組に仕立てたのである
容堂も島津久光に負けず、えらくこき下ろされている。そのこき下ろしようも、本巻の見どころの一つだ


次巻 『竜馬がゆく』 第5巻
前巻 『竜馬がゆく』 第3巻
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『銀と金』 第6巻まで 福本伸行

金欠状態が緩和されたので、ようやく買えるようになってきた

銀と金―恐怖の財テク地獄変 (6) (アクションコミックス・ピザッツ)銀と金―恐怖の財テク地獄変 (6) (アクションコミックス・ピザッツ)
(1994/06)
福本 伸行

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ヒキ強の男・森田鉄雄が平成のフィクサーと言われる平井銀二について成り上がりを目指す悪漢漫画(?)
当初は株の仕手戦から始まったので、マネーゲーム中心なのかと思っていたが、その後が少し違う
中条との贋作勝負西条とのポーカー勝負蔵前との誠京麻雀と、殺人鬼との死闘を交えるものの、6巻までは福本得意のギャンブル勝負がウェイトを占めている
しかし、7巻では小沢ならぬ伊沢が登場し、きなくさい政界の駆け引きに入って・・・もう何が飛び出すか分からない
6巻までの勝負はネタの都合もあるだろうが、森田を勝負師にするための修行という位置づけのようだ
世界観としては、他の福本漫画に近いものの、初期カイジに比べるほど“突き放し方”が強くない表面的な良心、善意を退けていくものの、二皮ぐらい剥けば人情が顔を出す
贋作勝負後に川田三成が森田に見せた涙などは、カイジ標準で見るとほろ甘い。福本自身が青春マンガからスタートしていて、その名残のように感じた

第5巻末に始まるのが、誠京グループ率いる蔵前会長との死闘を描いた「誠京麻雀編」だ
誠京麻雀」は金本ほど有利なルールで、ツモるごとに場代を払わねばならず、さらに場代の三倍でもう一度ツモを引き直すことができる。そして、破産したものは、地下牢で廃人状態で買われることに・・・
ここまで書けばアカギの読者はピンと来るだろう。そう、あの「鷲巣麻雀」と構造が良く似ている
連載の時期は『銀と金』が1992年からで被るのだが、鷲巣戦が始まる前に誠京麻雀編は終わっているはず。いわば、「誠京麻雀」は「鷲巣麻雀」の前段の位置にあるのだ(ちなみに『天』は未読であります)
金持ちが有利なルールの勝負に、持たざる者は体を張って戦うしかない。体を張り切るためには、死を覚悟し越えなければならない
金を持ちすぎた者の狂気、前座で以前に対戦した相手がやられるなど、キャラ造形、展開にも共通点は多い
「誠京麻雀」から膨らんだアイデアが「鷲巣麻雀」の十年以上に渡る死闘を生んだと、言えそうだ

・・・・・・と、これが書きたくて記事にしただけなのであった
ハンターみたいに、毎巻とは挙げないけど、気になることがあったらまた取り上げます
続きはパチンコの話なのであしからず

関連記事 『銀と金』 神威家の家父長権争い編
       『銀と金』から昔の小沢一郎を振り返る続きを読む
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『リーンの翼』(新) 第4巻 富野由悠季

ああ、一週間以上更新が滞ってしまった
ヒノキ花粉、仕事の疲労、などなどいろいろあるが、プロ野球開幕というのが一番大きかったりして

リーンの翼 4リーンの翼 4
(2010/03/20)
富野 由悠季

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テロ事件に巻き込まれたエイサップ鈴木は、空中戦艦に乗って現れた少女リュクスともにオーラロードを通り抜ける。ホウジョウの国では、迫王水が地上へ帰還するため巨大戦艦フガクの建造に血道をあげていた。リーンの翼の顕現からエイサップを後継者に見立てた迫水ではあったが、望郷の念は捨てがたくオーラロードを開くため、反体制派アマルガン一党に奸計を仕掛けるのだった。そして、地上界では、全世界にテロを計画する「無国籍艦隊」と取り残されたホウジョウのオーラシップが連合を模索して・・・・・・壮大なサーガの最終章

最終巻は、アニメさながら一気呵成の展開だった。テンポが良く全くもって本の分厚さなど意識することはなかった
文章においても多数の登場人物の心情、思考が細かく捉えられていて、無駄がない
文体の次元では、複数の事象を一つの文にまとめてしまう一つの事象を省いて先を書く、など小説における富野節は健在であるものの、それも洗練されて旧版のようなアクが少ないのだ。むしろこういう風に、行間を読む意識を要求されるのは、普通の本読みにとっても心地いいものではないだろうか
物語はアニメ版に準じた展開となるが、微妙に細部、ニュアンスが変わっている。小説という媒体に変わったことでより監督の考えがラディカルに表れているようだ
朗利、金本の生死などアニメ版との相違点から、それぞれの媒体に対する表現者としての姿勢もうかがい知ることができるだろう
また、「無国籍艦隊」など、新しく立ち上がった背景には、進行形の“今”に対する試論がある。そして、それは“付け加え”というレベルではなくて、新要素を前提として作品全体を組み替えたといえるほど、物語世界を変えている
これはもうアニメ版とは違う、もう一つの『リーンの翼』が顕現したと言いうるものなのだ(第三巻での「関連資料云々」は訂正します)

あまりの壮大さに何から語っていいものか、迷ってしまうし、なおかつそれを語り尽くせる自信もないのだが、書けることから書かせてもらおう
読み終えて一番とまどったのは、迫水の怨念に複雑な心情が隠れていたこと
自らが犠牲となって守った日本が、変わり果てた姿となってかつての敵国アメリカを受容れている。この日本を変えることが地上界へ帰還する目的であるし、実際の東京を見て逆上するのは、第2巻ラストの伏線からしてまだ分かりやすい
しかし、小説においては迫水始めとする地上人たちがヘリコンの地を工業化する役割を担うこととなり、迫水は近代化を象徴する王を演じ続けなければならなくなる
機関砲を嫌い核に特攻して見せた、地上人としての迫水からは、自己嫌悪を伴うことであったろう
さらに付け加えれば、迫水が第三の核を打ったのちに帰還した時点では、すでにオーラシップが建造され始めていた。バイストンウェルの近代化が避けられないところに来ていた
バイストンウェルの近代化は、もちろん地上界の歴史の反映である
迫水王の怨念は、第一の故郷である日本と、第二の故郷のバイストンウェルをも奪われるという、二重のものであったのだ
アニメ版で割愛されていた部分が披露されていたことで、迫水の怒りは普遍性を帯びてくる

しかしその一方で、迫水がエイサップに優しい側面も見せるのがたまらない
バイストンウェルに東京大空襲、ヒロシマ、沖縄の玉砕戦を見せられた後、両親の会話を聞いてしまったエイサップに「過去の現実をいじったりしたら、君の存在が消えてしまう」
この台詞は、後のエイサップによる「今日までの日本を肯定する」という宣言につながり、ちゃぶ台を返して明日はないという、作品のテーマに到る
『リーンの翼』は迫水にとって過酷すぎる物語だった
戦中、戦後をくぐり抜けた日本人の姿をあてはめようとしても、そんな通俗的な解釈で収まりきらない。ファンタジーという時代を超える枠組みが、現実の人間が負う以上の重荷を迫水に背負わせてしまった気がする
迫水は最後に聖戦士の、“王”の役目に立ち帰り、身を挺して世界を救った。果たして、現実の危機に瀕した日本にこれができる政治家がいるのだろうか

まだまだ語り尽くせないが、今日のところはこのあたりで
本作は間違いなく富野小説の集大成。アニメを見た人はもちろん、見ていない人にも世界のイメージが伝わるように配慮されている、“開かれた”作品
知らない人も一度バイストンウェルを覗いてみて欲しい

前巻 『リーンの翼』(新) 第3巻
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『全体主義』 エンツォ・トラヴェルソ

いい本を見つけたと思ったが

全体主義 (平凡社新書)全体主義 (平凡社新書)
(2010/05/15)
エンツォ・トラヴェルソ

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そでの煽り文句に「ファシズム、ナチズム、スターリニズムを、一括りに<全体主義>と呼ぶことは、いったい何を隠蔽することになるだろうか。・・・」とあったから、現代の全体主義の議論があるのかと思ったが、違った
「全体主義」という言葉が各時代でどう扱われてきたか、を主題にしたものだったのだ
しかも、知識人の動向や政治背景を中心にした“政治思想史”というより、思想“政治史”と呼びたい内容だ。余りにもマニアックな視点で、最初は誰得かとも・・・
とまあ、少々当てが外れたのだが、読んでみれば面白い
知識人がこの言葉を使う時には、それに伴った政治状況があるのであって、アーレントなどの一部を除いては、その大状況を超える言葉としては提示できない
各時代の著名人がそれぞれの立場に囚われて、安易に「全体主義」という言葉を使ってしまう様子が克明に描かれているのだ

全体主義」という言葉は、イタリアで生まれた。第一次大戦の総力戦から「全面戦争」が連想され、そこから転じて「全体主義」となった
イタリアのファシストにとって、「全体主義」は危機に陥った自由主義を乗り越えるための肯定的な表現だった
ドイツでナチスが政権を握り、ユダヤ人などの亡命者がアメリカなど各地に逃れると流れが変わってくる
抑圧を受けた当事者たちが、当然ながら「全体主義」を批判的なものに捉え喧伝し始めた
ややこしいのが、当時は「共産主義」と「全体主義」が別物に見られていたことだ。大戦が始まるまでは、イタリアやドイツの「全体主義」を「共産主義」への止む得ない対応とも一部の人間は考えていた
その見方も独ソ不可侵条約によって崩壊し、スターリニズムも「全体主義」として考えられるようになる
が、独ソ戦が始まるやそれも一転。「共産主義」を「人民民主主義」として捉え直し、全体主義的側面には目をつぶるようになるのだ。大戦に勝つのにソ連の協力が不可欠という政治事情のためだが、知識人がそれに乗って大政翼賛しちゃうのは醜いったらない
で、戦後の冷戦が始まると、再びソ連を「全体主義」国家として扱い始めるのであった・・・

著者が言いたいのは、いろんな政体を十把一絡げに「全体主義」として扱うことで、それぞれの特殊性・背景を見逃すなということだ
その点で、ハンナ・アーレントは第一の優等生。「全体主義」を使うときには近代の源泉まで辿って独自の概念として規定しておき、アイヒマン裁判など個別の事例に対しては使わない
著者が他に評価するのは、アーレントと同時代のヘルベルト・マルクーゼ(知らな~い)。また、不朽の命題を持つ作品として、ジョージ・オーウェルソルジェニーツィンを挙げていた
本書は流行ものの言葉がどういった背景で使われているか、裏読みする必要性を暗に訴えているようで、他の新書を読む時にも心したいと思った
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『竜馬がゆく』 第3巻 司馬遼太郎

今日は昨日よりだいぶ気温が下がった
いい加減、春らしくなってくれ

竜馬がゆく〈3〉 (文春文庫)竜馬がゆく〈3〉 (文春文庫)
(1998/09/10)
司馬 遼太郎

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蛤御門まではいかなかったが、3巻では久光が自家の攘夷派を討った寺田屋事件、英国人を殺傷した生麦事件と、着実に歴史は動いていく
志士として行動し始めた竜馬にとって大きいのは、勝海舟の出会い
竜馬も変人なら、勝も同じくらいの変わり種。千葉重太郎が勝を斬りにいくところを、止めるために弟子にしてくれと頼むとか、それを認めて勝も弟子するとか、出会いのエピソードはもう漫才を越えている(笑)
そんなわけあらへんやろ、と思うところだが、ちゃんと勝サイドの史料に残っているエピソードなのだ
半分くらい勝の法螺だったにしても、こういう面白い人たちが本当にいたのだ。いや、参ったな
竜馬の手紙や逸話は数多く残っていたらしく、司馬も詳しく触れていたら小説が終わらないと作中でも漏らしている
竜馬の生涯は、後数年で幕を閉じてしまうのに、幾らでも巻を重ねられてしまう。それぐらい濃い生涯であり、濃い時代だったのだ

本作の竜馬は、勝に会う前から海軍の構想があって、その技術を生かした海外交易・殖産興業を視野に入れている
勝との出会いは、夢想ともいえる構想を地に足をつけるもので、まさに雲を得て天に昇るといったところ
政治総裁職の松平春嶽を紹介してもらって、神戸海軍操連所の資金を出してもらうところなど、小説的に見えて史実だから困る(笑)。実際は五千両ではなく、千両の出資のようだがそれでも凄い大金である
こうして小説の中では、竜馬が大きな存在になってきたかのように見える
しかし、勝・春嶽サイドから見ればどうか
幕府側も井伊直弼のように攘夷派を力で弾圧しきれるとは思っていない。とすれば、何らかの懐柔が必要になる
そこで各地に操連所を作り血気さかんな志士を集め、具体的に軍艦を触らせることで鋭気を反らす。そうして海外の実情を啓蒙して、かつ海軍の建設に熱意をもってもらえれば一石二鳥だ
坂本竜馬は、不平浪人たちを集めて管理する旗頭として勝に見出されたといえる
作中では主体的に見えても、操連所時代の竜馬はまだ勝・春嶽の手のひらに踊っているに過ぎないのだ。志はともかくとしても

ついに本巻でおりょうさんも登場する
ヒロインがお田勢様から、おりょうに移る場面が秀逸
楢崎家の出火を知った竜馬は、中で脇差しを捜しにいった子供を救い出す。しかし、竜馬もまた自らの刀の大小を無くしてしまう。大小を持たない竜馬をからかうお田勢に、竜馬は「刀は魂ではなく、道具に過ぎない」。由緒ある武家で育ったお田勢との間にすきま風が吹いた瞬間、竜馬の大小を持ったおりょうが姿を現わすのだ
流れるように美しい政権交代である


次巻 『竜馬がゆく』 第4巻
前巻 『竜馬がゆく』 第2巻
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『金融工学とは何か』 刈屋武昭

先月はまた一桁の更新に終わってしまった。中旬に風邪を引いてしまったのが痛い

金融工学とは何か―「リスク」から考える (岩波新書)金融工学とは何か―「リスク」から考える (岩波新書)
(2000/05/19)
刈屋 武昭

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資本の有効活用を目指す金融工学について、基礎と理論、各種の金融商品の性質を細かく触れた新書
本書が出版された2000年は、日本で金融自由化が進行中で、新自由主義路線の小泉政権が誕生する前年。著者は金融の自由化、グローバル化を推進するべく、自ら金融工学の学会(ジャフィー)まで立ち上げた人だ
本書は新書しては生真面目な仕様で、次々とカタカナの専門用語が登場する。普通のビジネスマン向けというより、業界人・学生向けなのか
一度この手の業界に関わったことがあったから読み進められたものの、数式などにはクラクラしてしまった
旗幟を鮮明している人の割には、記述にそれほど偏りは見られないし、論調はバラ色の未来というより、日本の現状(ゼロ年代)を踏まえた冷静なものそれぞれの金融商品についてのリスクをちゃんと書いている
金融の入門書にしては少々堅いが、誠実な新書だとは思う

あれだけ世界を席巻したファンド・マネーの裏には、どんな思想があったのか。本書を手に取ったのは、自由化を推進した側からその本音を聞きたかったからなのだ

高度に蓄積された資本はみずからの価値増殖の基本的要求(資本の論理)に基づいて世界の経済をグローバル化し、コストとリスク、リターン(収益性)のさらなる効率化を要求し続けるように宿命付けられている。その宿命を与えているのは、いい意味でも悪い意味でも人間の進歩、富、権力、名誉等への限りない欲望であろう。この欲望に支えられた資本の要求は、より豊かな経済社会を作るための原動力でもある。(p9)

宿命という強い言葉に驚くが、一種の成長神話のように思えた。それほど人間が「限りない欲望」を持つのだろうか
現状のシステムだと成長しないと困るので、「欲望に限りがあると困る」という風にも聞こえる
なるほど、激しい経済変動の中で資産を保全するには金融工学が必要というのは分かっても、その変動を生み出す一端が金融工学なわけでどうにも釈然としない
基本理論である「無裁定価格理論」自体は、「市場はリスクなしにリターンはないように調整する」というまともな物だ
しかし、金融工学が生み出した商品は、そうしたリスクを隠蔽してタダ儲けを演出しているかのよう
売掛金を証券化して資金調達するとか、地震リスクを債権化するとか、住宅ローンを証券化するとか、膨らんでいく風船を渡し合いするような狡さがある
そういう狡知が生まれたのも、金融そのものが富を生み出していくという錯覚に始まっていると思う

金融の自由化には充分、意味があったはずだ
不確かな新規産業に従来の金融機関が踏み込めないのなら、違うルートを用意する必要がある。アメリカではそうして多くのベンチャーを立ち上げ、グーグルもフェイスブックも生まれた
しかし、金融は経済の潤滑油であっても、エンジンそのものじゃない
金を回すスピードを速くしても、社会は豊かにならないのだ続きを読む
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