『「世界征服」は可能か?』 岡田斗司夫

日本は残念ながら、WC八強入りを逃した
しかし、強豪パラグアイに対してPK戦にまで持っていけたのは大したものだろう
戦術的にはパッとしない代表チームだったが、作戦以上に大事なスピリッツを持っていた
本大会の経験は日本サッカーにとって大きな収穫をだったが、協会の体制が快挙に甘んじて硬直しないことを祈る

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)
(2007/06)
岡田 斗司夫

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アニメや漫画の悪役がよく口にする「世界征服」。しかし、実際の「世界征服」とは何なのであろうか
本書は読者に「世界征服」を目指す独裁者の気持ちになってもらい、独裁者のタイプ、目標に対する準備、戦略をアニメ、漫画、特撮といったメディアをネタにしつつ現実的に検討する!
と、あらすじを書いてみたが、かる~いネタ本なのであった・・・Orz
そもそもが著者が主催したトークショーが元ネタであり、あまり現実の世界を考えようなんて話ではない。いや、それを視野に入れたように色んな議論を噛ませてはいるが、付け焼刃のレベルなのだ
だいたい、そういうことを真剣に考えたい人は対象外ということなのだろう
普段そうした社会問題に触るのが億劫で、サブカルからネタ的に入りたい人にはこれでいいのかな

本書の「世界征服」に対する検討はかなり粗い
レインボーマン、バビル2世、DB、北斗の拳・・・と幅広くネタを拾っていて面白くあるのだが、執着の薄い作品に対しては残念な読み方をされている
代表例はサウザーと聖帝十字陵だろう。著者は聖帝十字陵をこだわるサウザーを「世界征服」の視点からは合理的ではないとする
しかし、作品をちゃんと読んでいれば、サウザーがある程度征服をなしとげた時点で為したかったのが聖帝十字陵の建設だと分かる。下手すれば、これが征服の第一目的かもしれないのだ
著者は資本主義の視点、功利主義的な立場から独裁者に茶々を入れているが、その功利主義が独裁者、秘密結社への理解を妨げていると思われる
多くの作品に登場する秘密結社の源は、19世紀の政治結社であったり20世紀の共産党、ナチスだったりするのだが、これらの結社は世界の価値体系の変革を志している。既存の資本主義をひっくり返そうというのだから、あの秘密技術を表で使えば億万長者になれるという冷やかしは秘密結社にとってなんら痛痒を与えないのだ
自身、「ぜいたく」のために世界征服を志すタイプと称する著者には、世界の価値をひっくり返すなどアホとしか思えず、本気で考える気にもなれないのかもしれない

そうして功利主義の姿勢は、現実社会への検討にも現れている
例えば、独裁者が好きに作った映画よりも、ハリウッドのような競争社会で作られた映画の方が面白く、民衆もそちらに流れるから今どき独裁は成り立たないという議論
しかし、まず表現の自由を制限して見られなくしてしまえばいいし、そういう環境になれば既存の映画が面白さの尺度になる。情報社会がそれを許さないといってもネットの検索に介入すれば、無問題だ
また、視聴者の価値観をそのものを教育で洗脳してしまえば、ハリウッド映画は腐敗した世界ものだと認識させることも可能だ
著者は資本主義、アメリカ的価値観を自明ものとしすぎて、「洗脳」の力を甘く見過ぎている
人の生理に反した押しつけ、矯正はいつか破綻するものだとしても、独裁者やそのイデオロギーを信じて本気で戦っちゃう人がいることを侮っていけない

ここまで反面教師的に思考実験できれば、買った甲斐はあったのだろうか
正直、著者が独裁の危険を軽視しすぎているので、全体的に緊張感がないのが残念だった
日本の文化に独裁はないが、翼賛はあるのだぞ続きを読む
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『リーンの翼』(旧) 第4巻 富野由悠季

運命のパラグアイ戦まで後、数時間
よくここまで来てくれた
素直に応援できるのが嬉しい

リーンの翼―バイストン・ウェル物語より (4) (カドカワノベルズ)リーンの翼―バイストン・ウェル物語より (4) (カドカワノベルズ)
(1985/04)
富野 由悠季

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ガダバの正規軍がアマルガン討伐に本格的に動こうとしていた。敵の動きを探るべくスィーウィドーの森を偵察していた迫水たちは、ガダバの隊と交戦し敵の隊長ダーナ・ガラハマを捕虜とする。敵の挙動から“火の砦”が兵器工場と看破した迫水は、自軍を強行突破させて占拠したのだった。しかし、ダーナの上司にして、ゴゾ・ドウの子であるシェムラ・ドウが、アマルガンの軍に倍する軍勢を率いて出陣したのだった

いよいよガダバの正規軍との本格的な戦闘が始まり、戦い、戦いの連続となる
おやっと思ったのは、最大の会戦となるはずの“揺れる大地”の戦いが俯瞰的に語られているところだ。千対千以上の戦いとなると、迫水の存在もちっぽけなものだということなのだろうか(この戦いで、迫水は100人斬りしているのだが・・・)
むしろ局地戦たる、スィーウィドーの森、火の砦、シェムラ・ドウへの追撃には臨場感溢れる描写がなされている迫水が聖戦士たる価値は、千人の将ではなくて、唯一無二の“”、リーンの翼を持つ戦士にあるようだ
少し肩透かしをくらった感はあったが、クライマックスが大会戦ではなく、敵将の追撃中に女戦士を救う場面にあてられているのは、講談よりも人との関係性を優先した富野監督らしい選択だとは思った

登場人物が増えてきた
味方では数名の若武者が死ぬ代わりに、有能な士官ダーナ・ガラハマが加わる
ダーナが味方になることを決意する理由は、やや雑だ。強獣を戦に転用することへの拒否反応は、直接の上司シェムラ・ドウと共通するものだからだ
これだけが理由だとダーナが軽い人に見えてしまう。このように本巻は全体的に見ると、統一性に欠けている箇所が幾つかある(忙しくて推敲する暇がなかった?)
敵方では、強獣を率いるハラミーラ・ザラーン、その部下オットバ・トウと前巻のメンバーの他、ガダバの王位を狙う野心家シェムラ・ドウが一軍の将として姿を現わす
三者とも迫水と交戦することになって、それぞれの戦いはどれも峻烈なもので手に汗握る。しかし、ネタバレ的に書いてしまうが、どの敵とも決着はつけられないのだ
戦いが多くテンションの上がる4巻だが、この点ではフラストレーションが溜まった。あくまで中継ぎの話であって、敵の顔見せが目的なのかもしれないが・・・
戦況が好転していく割に見知った味方が死んでいくので、迫水にとってやるせない巻である

派手な割に足踏みを感じさせる巻だったが、次巻への引きはさすが。テレビアニメ同様、見事な次回予告なのだ
こういう持って行き方をされたら、次も読むしかない

次巻 『リーンの翼』(旧)第5巻
前巻 『リーンの翼』(旧)第3巻
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『吉田茂vs鳩山一郎 昭和政権暗闘史』 第一巻

二人の孫はともに短期政権で終わったが

吉田 茂vs鳩山一郎 昭和政権暗闘史 一巻 (静山社文庫)吉田 茂vs鳩山一郎 昭和政権暗闘史 一巻 (静山社文庫)
(2009/10/06)
大下 英治

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終戦から始まるGHQ統治下の日本。自由党を結成した鳩山一郎は、首相を目前にしてGHQから公職追放を言い渡された。復帰後の禅譲を条件に鳩山は吉田茂に党首の座を譲る。外交一筋で国内政治と無縁だった吉田だったが、マッカーサーとの関係からアメリカに人脈を築き、悲願の「日本独立」を達成する。追放解除後、禅譲を袖にされた鳩山は病に倒れるが、古参の自由党議員ともに政権奪取を狙う。二人の名政治家の暗闘を描いたノンフィクション!

戦前の吉田茂と鳩山一郎は同じ対米戦反対から懇意の仲だった。終戦間近な時期に米軍進駐後の日本の再建を考えた際、鳩山が首相をやり吉田が外相をやるという会話を交わしていたほどだ
外交畑の吉田は党首を譲られた際も、政治経験、地盤がないことから当初は執着がなかった
しかし、総理に就いてからはガラリと変わってしまうから面白い。国内政治にも必ずGHQを通さなくてはならない状況が、吉田の政治家としての能力を覚醒したかのようだ。アメリカとの関係を背景にしたワンマン政治は古参の党人の反感を買うが、サンフランシスコ講和条約安保条約調印保安隊設立と着実に実績を積み重ねていく
吉田の「軽武装、経済優先」の方針に、対する鳩山は「憲法改正、再軍備」を主張。吉田の現実路線の行き過ぎにくさびを打ち込む。この二人の路線がそのまま日本の保守政治の二大潮流となるのだ

主役の二人に負けず劣らず、異彩を放っているのが「政界の大狸」三木武吉
鳩山が公職追放された後に吉田茂を党首とする際には、議員たちと騒いでいる間に天皇から大命を吉田に下りさせる奇策を出る。憤る議員には、危急存亡のとき、天皇から大命がすでに下ったと、説得してしまうからトンデモない!
多数決で自分たちの意図が通らないときには、こういう奇計で何度もピンチを乗り切ってしまうのだ。もう一方のフィクサー児玉誉士夫すら、この人の前では見劣りしてしまうほどである
それでも彼が信用を失わないのは、党、政界、日本全体の利益を考えて動いているからだ。鳩山のため吉田を攻撃する際も、あくまで保守政治確立という理想を忘れず、限度をわきまえていた
権勢に任せて意を振るう闇将軍ではなく、不器用な理想家を支える周旋家。某元・幹事長とは大違いで、一郎の孫は人を得なかったと言うしかない

当たり前のことではあるが、進駐時代のアメリカの影響力には改めて驚く
GHQは公然と日本の議会に介入して、気に入らない議員をパージ(公職追放)するし、左派のGS(民政局)が主導した際には左翼政権ができたりする(すぐポシャッたが・・・)。そもそも日本国憲法の成立にもGSの理想主義、国際情勢への楽観が大きく絡んでいて、芦田均の指摘でかろうじて自衛権を保持できたりするとか、各方面に大きな爪痕を残しているのだ
他にも連合国としてソ連も日本の委任統治に加わるという話があり、北海道に進駐するなんて案もあったという。マッカーサーが拒否しなければ、北海道はそのままロシア領になっていたかもしれない
いや、オソロシヤ(エッ続きを読む
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【DVD】『グッバイ、レーニン!』

今日は残業がなかったので、借りたDVDの一本を見られた
『ワイルド・パンチ』はまた今度だ

グッバイ、レーニン! [DVD]グッバイ、レーニン! [DVD]
(2004/10/16)
ダニエル・ブリュールカトリーン・サーズ

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アレックス(=ダニエル・ブリュール)は東ベルリンで母と姉らと暮らしていた。母クリスティアーネ(=カトリーン・ザース)は夫が西側に亡命したあと、社会主義運動にのめり込む熱心な活動家だった。しかし、1989年の東独建国40周年でのデモにアレックスを見かけたことで、発作を起こし意識不明になってしまう。クリスティアーナが意識を失っている間に、東独の社会主義体制は倒れドイツ統一は時間の問題となる。そうした中、八ヶ月ぶりに意識を取り戻したクリスティアーナに対し、アレックスは体を気遣って体制が存続しているように装うのだった・・・
タイトルから劇的な大河ドラマを想像したけれどさにあらず、アレックスたち家族の物語だった。それも、激動の時代、病身の母親というややもすると重苦しくなる要素を抱えながら、軽いタッチでテンポよく進んでいくのだ
そういう軽い部分とシリアスなドラマがメリハリが効いているとまでは言い難いか。妙なブレンドの仕方がなされているので、泣きと笑いが中和されたような空気が漂い続ける。どちらかのベクトルに偏れば、もっとカタルシスが生まれるはずだが、それにあえて踏み込まないのである。悲喜劇という言葉を忠実に体現しすぎているなのだ
結果、放り込まれている要素の割に地味な作品になってしまっている
間違いなくいい映画だ。しかし、名作と推すには、ちと玄人好み過ぎるかな

一番の見どころは、社会主義者の母に現実を知らせないためのアレックスの工夫
統一直前の東ドイツには、すでに西側の商品が出回っていて東側の物は生産が停止していた。西側の商品を見せたくないアレックスは残されて東側の商品を探し求め、ゴミから空き瓶を漁り回らなくてはならない
極めつけは、テレビを見たがる母親のために、映画オタクの友人デニス(=フロリアン・ルーカス)の手を借りて架空のニュース番組をでっち上げるところだろう
最初は昔のニュースの流用で済ましていたが、途中で自らキャスター役になりすましたりとエスカレートしていく。母に「コカ・コーラ」の看板を見られたのをねじ曲げる一件には大爆笑!
そして、ラストのニュースは・・・まさか宇宙飛行士をこう使ってくるとは思わなかった

そうしたアレックスの行動で浮かび上がっていくのは、母親の介護だけに留まらない、過去の“東ドイツ”に対する郷愁である
西側の資本主義が席巻していく中、自由は手に入ったものの、街には社会から落伍する者が溢れていた。その中で上手く泳いでいるように見えたアレックスにも、昔の甘い記憶を蘇っていたのだ
体制崩壊前は自由化のデモに参加していた彼ですらである
東ドイツ=人民社会主義=抑圧という図式だけでは捉えられない感情で、佐藤優が言うような統制経済特有の“下流の甘さというものがあの体制の中にあったということだろう
しかし、激烈な主義者であったはずの母の告白によって、アレックスはそうした郷愁を捨てることを決意する。こういう心の流れは多くの旧東独の人々に共通したものであったに違いない続きを読む
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『リーンの翼』(旧) 第3巻 富野由悠季

歯医者で歯の“掃除”をしてもらいに行ったはずが・・・
イメージと違って、痛い!
歯茎から血が出とるがな
可愛い娘に歯磨きしてもらうイメージだったのに(泣

リーンの翼―バイストン・ウェル物語より (3) (カドカワノベルズ)リーンの翼―バイストン・ウェル物語より (3) (カドカワノベルズ)
(1984/11)
富野 由悠季

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ガダバの重要拠点を落とした迫水は、聖戦士としての評価を固めた。アマルガンを掣肘する力を持ちたいリンレイ・メラディは、父の忠臣であったキャメロットから王家の遺産のことを聞く。隠された遺産を掘り起こすべく一軍を率いて出発する彼女に、迫水も同行する。彼らを追ってガロウ・ランのミン・シャオたちは、ガダバの軍と合流していた・・・

ガダバの罠、強力な物の怪との戦いの中、迫水とリンレイが堅い絆で結ばれる巻なのだが、話の進みが遅い!
原因は、富野監督の“長すぎる語りである。書き始めたら止まらないといった具合で、作り手による解説が延々と展開されていく。まるでエッセイ、DVDのオーディオコメンタリーのごとしなのだ
信者的には「どんとこい」であり、人によっては富野節全快のボーナスステージであっても、良く訓練されていない人は、“解説”の度に読みの流れが途切れてしまうことだろう
このことは富野監督もかなり自覚的だ

三巻目の通しのゲラ稿を読み直して、その過大で饒舌すぎる自分の文章に辟易した。
できることならば、三分の一の削除をしたいと思ったのだ。

が、できることではない。
そんなことをすれば、三番目のゲラ稿は消滅することに等しいことになり、業務が成立しなくなるからである。
(あとがきp207)

三巻を消費してこのていたらくは、自分自身、許し難い。
大河小説などというスタイルは、本来、特異なものであるはずだ。
ある境地に到った文士にして初めて許されることだと思っている。
だから、歯切れ良く、細やかで、小説らしくまとめ上げたかったのである(あとがきp209)

書いた直後に自分のイメージとの落差を痛感しているのだ
小説には“描写”に徹して読者への想像に委ねるという王道があり、専門知識ならばともかくキャラクターの行動、心理まで“解説”すると、かえって興を削ぐことにもなる。小説は読み手の想像が喚起することで作品として完成する、ともいえるのだ
そういう意味合いで、新訳のリーンはどこまでスタイルが変わったか、注目したい

少し話の歩みが止まったとはいえ、ラストのミン・シャオ戦は盛り上がった
浅ましいはずのガロウ・ランにああいう変異が起こるというのは、読者からすれば全くの奇襲である
コモン人同士の中世的な戦いに、機械戦の要素が入りこみ、さらに強獣との戦い物の怪との死闘が加わった。普通の物理によらないオーラ力が関わっているのだから、バイストンウェル世界は複雑で重層的である
おかげで三巻目にして、まだ先の見通しがつかない。こういう勝負を最終局面の切り札的に使ってもいいのに、ここで切ってくるのだから・・・
いきなり、ああいう事態に巻き込まれる迫水も大変だ(笑)
果たしてこの小説にどこまで連れていかれるのか、昂奮が収まらない

次巻 『リーンの翼』(旧)第4巻
前巻 『リーンの翼』(旧)第2巻
10’6/22 一部修正
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『海の都の物語』 5~6巻 塩野七生

単行本は上下二巻構成で、それに伴い3巻と6巻にそれぞれ解説がついている
なので記事も、1~3巻、4~6巻に分けて書こうとも思ったが、時代的には2巻ずつの方がしっくり来る
1~2巻が黎明から全盛、3~4巻がライバルとの競争、5~6巻が爛熟から消滅。結果的に三つに分けて正解だった

海の都の物語〈5〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)海の都の物語〈5〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
(2009/06/27)
塩野 七生

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海の都の物語〈6〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)海の都の物語〈6〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
(2009/06/27)
塩野 七生

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5巻でついに大航海時代に突入する
作者は大航海時代によってヴェネツィアが衰退したという俗説を否定する
ポルトガルは喜望峰ルートを開拓しても、胡椒を独占的に扱うことはできず、ヴェネツィアはエジプトの王朝と通じることで充分な量を入手できたというのだ
ポルトガルの海軍が紅海を制圧した時は一時的にピンチになったが、オスマントルコがエジプトを制圧して以降スルタンの海軍がポルトガルを追い出したので、安定した取引を継続できた
胡椒が思ったように入らなくなるのは、オランダが胡椒の原産地を占領して以降で植民地主義時代に入ってから
むしろ、問題は新大陸が発見されたことによって、世界の中心が地中海から広大な外海に移ったことであって、ヴェネツィア自身が衰えたというよりも相対的な地位が低下してしまった
そして、オスマントルコの影響でヨーロッパの王国も大国化したことも大きい。大陸国家のパワーゲームにヴェネツィアは翻弄されざるえなくなる
国際情勢の変化から、交易一本では安定した経済運営ができなくなったヴェネツィアは、イタリア本土での農業、工業の発展に力を尽くし、領土国家への道を歩むのだった

6巻においては、政治そのものより、爛熟した都市文化の紹介がウェイトを占める
レパント後のオスマントルコの巻き返しに対する防衛戦が海運国としての最後の輝きで、今まで英雄崇拝を認めなかったこの国が元首と総司令官を兼任したモロシーニを手放しに讃えるところにその後の変質が現れていた
文化面においては、印刷、芸術をはじめとする先進さに驚く。パリ以前のパリと言って良いぐらいだ
宗教に縛られない表現の自由、華やかな歌劇、闊達に生きる女性たち、そして身分差を越える仮面舞踏会・・・、現代にまでつながる、都市風俗がこの時のヴェネツィアに揃っているかのよう
ヴェネツィアは、まさに“花の都”だったのだ
そうして平和を満喫していたヴェネツィアにも、終りの刻がやってきた。フランス革命、ナポレオンの登場である
イタリア遠征に来たナポレオンに対し、“非武装中立”を宣言していたヴェネツィアだが、その無力さゆえに属国化と民主制への移行を強制される
(実際に“非武装中立”という言葉を使っていたかは分からないが、作者がやたらと使うのは、日本の“護憲派”に対する皮肉、安易な理想主義に対する警告に違いない)
末期のヴェネツィア政府のリアクションは悲しいほど鈍重で、まったくなすすべがなかった。住民のリアクションも潔く降伏したことでホッとしたかのようだ
国破れて山河あり、大国に占領されて文化面の自由はなくなったが美しい町並みは残った。都市国家としてここまで頑張れれば、たしかに理想的なポックリ死と言えるのかもしれない

なぜ、あれほど独立のため激烈に戦ってきたヴェネツィアが、ナポレオンに対しては簡単に降伏したか
作者も指摘するように海運国から多角経営の領土国家に以降したがゆえの、国民性の変化なのだろう。ヴェネツィア本島から、イタリア本土に産業の中心が移ったことで大陸の気風に染まっていたことは想像に難くない
モロシーニ対する個人崇拝も、君主制、中央集権への憧れと言えるのだ。本土の人にとって、共和国の自由は有り難いものの、強力な国家のもとでの安定の方が魅力的なのだ
領土国家に談合で動く共和制というミスキャストに薄々みんな気付いていたのではなかろうか

前巻 『海の都の物語』3~4巻
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【DVD】『闘牌伝説アカギ』 7~26話

派手な絵が好きな君にこのアニメは見れんよ(そんなこともないか)

闘牌伝説アカギ DVD-BOX 羅刹の章闘牌伝説アカギ DVD-BOX 羅刹の章
(2006/05/24)
萩原聖人小山力也

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7話で市川戦の決着がつき、8話から13話までが偽アカギ、浦部戦。仲井を飛ばして14話からが鷲巣戦だ
コミックと同様に話数が半分を占めるだけあって、鷲巣戦からグッと絵が良くなる。カイジのエスポワール号のように、鷲巣邸内の模様はCGで豪華絢爛に描かれ、福本マンガ特有の、視覚に訴える劇的な心理描写も迫力ある形で再現されている
メインディッシュを鷲巣戦と見て、総力を結集したようだ
とはいうものの、14話以降鷲巣麻雀のシーンが続くわけで、ずっと鷲巣邸が舞台のまま。やはり、大きなウェイトを占めるのはキャラクターの語り
特に鷲巣演じる津嘉山正種が冴えている。漫画に描かれた鷲巣がそのまま目の前で身を起こしたかのような再現度だ。いや、再現どころかこちらが本家になったかというような・・・
原作の鷲巣戦が終わっておらず、残念ながらストーリー的には尻切れトンボ(まだ終わっていないもんなw)
それでも原作の空気を見事に継承しており、
現在の価値に換算すると、およそ良作である

DVDの映像特典には、出演者+原作者福本伸行による四人麻雀「アカギ杯ファイナルグランプリ」アカギ役荻原聖人vs鷲巣役津嘉山正種に分かれた「鷲巣麻雀最強戦」のダイジェストが入っていた
「鷲巣麻雀最強戦」は本当に透けた牌を使い、血抜きや細部のルール以外はほぼ鷲巣麻雀を再現している
実際やっているところを見ると、透けた牌といっても中身は見にくそうで、対面はともかく隣からは分からない。透けた牌を利用してちゃんと理牌しない作戦を採る人もいて、普通の麻雀では考えられない待ちも起きそうだった
見えるからこそ、分からないことが増える。麻雀は奥が深いのだ
各大会の結果は、それぞれの二つのDVD-BOXに入っているそうだけど・・・それって特典になるの?続きを読む
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『リーンの翼』(旧) 第2巻 富野由悠季

二年ぶりかに、歯医者に診てもらった
歯茎が緊張する感じなので、虫歯と思いこんでいたが、そうではなかった
忘れていた親知らずが動き始めたようなのである
医者はまだ抜くような状態ではないというが、はてさて

リーンの翼〈2〉―バイストン・ウェル物語より (1984年) (カドカワノベルズ)リーンの翼〈2〉―バイストン・ウェル物語より (1984年) (カドカワノベルズ)
(1984/04)
富野 由悠季

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行くあてもない迫水は、アマルガンたちと行動をともにする。彼はガダバに滅ばされた国の名族で、ガダバの王ゴゾ・ドウに挑むべく同志を集めていた。不本意ながらも聖戦士の期待を受ける迫水は、レッツオの砦の戦いでリーンの翼を発動してみせる。そして、その砦には、運命の女王リンレイ・メラディがいた・・・

駆け足である。“リーンの翼”が二巻目の序盤で発動するとは思わなかった。当初の構想よりも、進みが遅かったのだろうか
翼の発動の契機には、迫水が気にする少女の死があってまたこれが唐突。不意に来る戦場の死を表現したというよりも、強引な作り手の意志を感じた
なにせ、迫水の目の前まで少女がやってきて大砲にやられるのである。なんちゅう展開だろう
本命リンレイを現れたことでその存在を扱いかねたのだろうか。女王にのめり込ませるには、迫水を孤独にする必要があるのだ
これが押井守のいう「戦死システム」なのか(笑)。良くも悪くも度肝を抜かれたわい

一巻では迫水の思索として戦前の日本を語っていたが、二巻ではいきなり作者の持論を展開させている最後に迫水の思考、行動と結びつけるのだが、かなり強引なので話の流れを止めてしまっている
それでも読めてしまうのは、一巻の記事で書いたように文章のテンポが良いからだ。書く側の迷いがないから、こっちも釣られるように読み通してしまう
なにが作者にこうした強引なやり方をとらせたのか。一つは司馬遼太郎への憧れがあると思う
司馬は突然、本人や取材先のタクシーのおっさんを登場させて現代の視点から持論を展開させ、きりにいいところで本筋に戻る。卓越した文章力があるから、読む者を驚かせるが違和までは生じさせず、司馬ならでは味と消化される
本作には単なるファンタジー活劇に終わらせず歴史小説として成立させたいという意志とともに、同じ歴史小説なら司馬の域に行きたいという野心が見えるのだ
しかし、小説の中で上手く溶けてこんでいるとも言えないので、明らかなやり過ぎではある
迫水やアマルガン、リンレイらとの芝居のさせ方は芸が細かく面白いので、そちらに重点を置いてもらった方が良かった
信者的には、「だが、それがいい」なわけだけど

この巻を語るのに、外せないのが前代未聞のエログロシーンであろう
女を逆さづりにして縛り股間に剣を差すとか、少女たちを逆さづりにされているところで白兵戦をやるとか、どうして思いつけるのだろうか(驚
もちろん、このエログロは読者をびっくりさせるだけが目的ではない。いわば完全に道徳が機能しない世界で、弱肉強食の論理が先行すると人が人にどこまで残酷になれるかということを示しているのだ
こういう残酷な場面をしっかり見せるからこそ、アマルガンの“国盗り”の理由、正統性も分かってくるし、ときに野蛮に見えるバイストンウェルの住人たちの行動も理解可能になる
しかしだ。繰り返しになるが、どうしてこうも書けてしまうのだろう(笑)
この突き抜けた想像力は凄い!
(少女たちが逆さ吊りにされているところから、アクション映画で牛の肉がぶらさがっている場面を思い出した。肉を死角に使いながら、刑事と犯人が銃撃戦というのは一時期、定番になっていた。しかし、生きた人間でという発想は・・・)

次巻 『リーンの翼』(旧) 第3巻
前巻 『リーンの翼』(旧) 第1巻
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『海の都の物語』 3~4巻 塩野七生

ヴェネツィア共和国の元首は任期が終身
日本の首相が終身ならば・・・国が滅ぶか(笑)

海の都の物語〈3〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)海の都の物語〈3〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
(2009/05/28)
塩野 七生

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海の都の物語〈4〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)海の都の物語〈4〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
(2009/06/27)
塩野 七生

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三巻ではヴァネツィア最大のライバルであったジェノヴァを取り上げる
ヴェネツィアが東地中海の利権を独占されたものの、ジェノヴァ海軍の戦闘力は凄まじく、商船への巧みな襲撃を重ねてヴェネツィアに打撃を与えていく。1379年には、ハンガリー、ミラノと組んで三方からヴェネツィアを包囲し、滅亡まであと一歩のところまで追い詰めた
ジェノヴァとの戦いでは、ヴェネツィアの短所、長所が浮き彫りになる
まず、短所は合議制の伝統から軍事作戦についてすら、司令官の独裁を認めなかったこと。実際、ピサーニという優れた提督がいたにも関わらず、その意見が採用されず致命的ともいえる敗戦を喫している
初期でも、商船の護衛を優先したがゆえにジェノヴァ海軍に良いように略奪される局面もあり、伝統を重んじる保守的な気風が戦時に後手を踏ませている
長所は、本土決戦で見せた団結力だ。すべての市民がヴェネツィアを守るために動員され、挙国一致の体制がとられた。ヴェネツィアには、古代ローマに匹敵するような「国家」としての組織力を持っていたのだ
この保守性と団結力は表裏一体で、どちらか一つを残せるというものでもないだろう
ジェノヴァがヴェネツィアを凌げなかったのは、こうした団結力を持ち得なかったゆえで、優勢な局面でもお決まりの御家騒動が起こって覇権のチャンスを何度も逃している
ナナミンは「個人」が突出しすぎたと指摘するが、まあこれが当時の一般的な交易都市の姿なのだろう
(後半にヴェネツィアの女たちについて紹介されていて面白い。ただ、ヴェネツィアの女が政治に口出さないのが良かったと言われても、他の国の人も大概そうだろうと・・・)

4巻に次代のライヴァルとしてオスマントルコが出てくる
しかし、果たして大陸国家のオスマントルコにとって、海洋国家ヴェネツィアがライバルと言えたかというとどうだろう
作者も好敵手として取りあげるのにとまどいを見せている。最初のトルコの海軍博物館へ行くくだりを読むと、当初の構想が瓦解したことにたいそうご立腹のご様子だ(笑)
それを引きずったのか、その後のオスマントルコの取り上げ方は、完全なヴェネツィア視点でその行動を「非合理的」なものと評していく。もう、ルネサンスを理想化したオリエンタリズム丸出しというか
まさかコンスタンティノープルを攻略した英雄マホメッド2世をアホぼん気味に扱うとは思わなかった(『コンスタンティノープルの陥落』と比較すると驚くよ)
いや、国家の規模を最大限拡張していくことで敵を無くすということは、アジア的帝国の力学としてわりあい妥当なものだと思うんですけど・・・
まあ、地味なヴェネツィアを主人公に仕立てるために、オスマントルコを貶す必要があるわけで、演出的には間違いなく正解だろう。ヴェネツィアにはなかなか華のある「英雄」は出て来てくれないのだ
同じ作家であっても、視点が異なるとこうまで変わるものかと感心した。ナナミンの本性は、史家というよりも「作家なのだ


次巻 『海の都の物語』5~6巻
前巻 『海の都の物語』1~2巻
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【DVD】『陸軍中野学校 開戦前夜』

シリーズ最終作

陸軍中野学校 開戦前夜 [DVD]陸軍中野学校 開戦前夜 [DVD]
(2007/12/21)
市川雷蔵.小山明子.浜田ゆう子.船越英二

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太平洋戦争前夜、日米の間で苛烈な諜報戦が展開されていた。椎名次郎(=市川雷蔵)は香港で米海軍将校から英米情報交換会の機密を入手することに成功したが、その報復にあって囚われの身となる。あらゆる拷問を耐えた椎名は間一髪のところで救出された。しかし、椎名は体を癒す暇もないまま、次の任務を言い渡される。椎名の得た情報によって、英米の情報機関が日本中枢から海軍の機密を手に入れていることが判明したのだ・・・

最終作だけあって、ネタはでかい。今回は帝国海軍の真珠湾攻撃に対する防諜作戦が任務だ
敵に英米情報機関中国人女スパイ国内の進歩派と定番化してきた設定だが、破滅的な戦争に向かうという時代の流れが反映されているので「またか」というダレはない。「聖戦美術展覧会」などの悲しい風物が自然に置かれていて、1作目との落差に驚く
また、ドアに髪の毛で印をつけて開閉の跡を確かめるとか、女の刺客に当てさせた後で親切を装って車で連れ去るとか、随所にスパイ映画に相応しい小技が効いているのも嬉しい
敵をあぶり出すために偽情報を流すなど緻密な駆け引きもあって、重厚な諜報戦の雰囲気を作り出せているのだ
ただ、ピストルの撃ち合いなどのアクション面はかなり強引。椎名はライフルの射撃を回避して、小型拳銃の一射で狙撃手を撃退する(笑)。いくら何でも、つおすぎだよ

中野学校シリーズの特徴は、主人公たち中野出身者がとにかく地味なことだった
市川雷蔵演じる椎名次郎は男前でもジェームズ・ボンドのような派手さはない。ときに華のある活躍をしても、最後は一介の諜者に戻っていく
これは中野学校、引いては諜報に携わる人間があくまで日陰者であり、諜報活動は表に出ない影働きであることを忠実に反映しているからだろう
同陣営内のライヴァルとして登場する、憲兵隊、陸軍将校の嫌みたらしさは、中野の控えめさ、隠微さを際だたせる演出といえる
作陣はフィクションという形をとりながらも、実際の中野学校に物言わぬ男たちがいたことを語りたかったのだ
今回の椎名たちの働きによって、真珠湾攻撃は成功する。しかし、ラストには任務成功の昂揚はなく、ただ振り子時計が破滅への時を刻むように揺れている場面で終わる
中野学校は創立の理想とは裏腹に戦争の渦中に取り込まれていく・・・

シリーズを通しての欠陥は、プログラムピクチャーの枠の中で製作されたために、尺がとにかく足りないことだろう。そのために中終盤はかなり強引な展開が目立った
そのために良作とはいえても、名作とまではいえるものはなかった(記念碑的な名作という言い方はあるかもしれない)
時代劇のように、セットに使い回しが効かない分、予算が足りないことは容易に想像がつく
中野学校の抱えているテーマはとてつもなく大きいが、その大きさに当時の映画製作の状況が追いつけなかったことが、とても残念なところ
ある意味、忘れられた宿題として日本の映像産業に残されたとも言えて、これほどリメイクしがいのある素材もない
誰かが歴史の一ページを描くことに挑戦してもらいたい


前作 【DVD】『陸軍中野学校 密命』

関連記事 『秘録・陸軍中野学校』
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