『全体主義の起源 3 全体主義』

なんとか3月中に読むことはできた
しかし、濃い
本来なら1年使って読み砕くべき本

全体主義の起原 3 新装版 (3)全体主義の起原 3 新装版 (3)
(1981/07/01)
ハナ・アーレント大久保 和郎

商品詳細を見る


この巻でついに「全体主義」そのものの核心に入る
前巻、前々巻の流れで、「反ユダヤ主義(イデオロギー)+帝国主義=全体主義」と安易な図式を思い描いたが、本巻で語られるのはそんな単純な方程式ではない
様々な問題が堆積するうちに、社会の底が抜けて地獄の入り口が開いたと喩えられようか
アーレントが全体主義のモデルとしているのは、ナチス・ドイツの「第三帝国」ソ連の「スターリン体制」(本書ではボルシェビズム)であって、イタリアのファシストなどは政権掌握後に普通の独裁政権になったので、全体主義とは見なされない。戦前の日本もおそらくそうだろう
アーレントの語る「全体主義」の特徴をざっくり箇条書きすると・・・

・全体主義運動の原理はテロリズムである。構成員に絶えず、執行人と犠牲者に割り振ることで存続している
・全体主義運動にとって、指導者の無謬性は絶対条件。それによって、運動内の階級が平準される
(誰もがテロリズムにより執行人と犠牲者になりうる)
・全体主義は専制政治とは違い、構成員の内面も支配する
・全体主義にとって、「運動」が本体であり、「国家」はファサード(障壁)である
(だからヒトラーは戦争末期にすら、人種絶滅政策にこだわった)
・党内でも同じように、幹部が本体で、党員はファサード(障壁)となる。軽い党員は世間の評判を良くし、幹部には党員こそ世間であると誤解させられる
・体制内のテロリズムを止めるのは、テロ対象の枯渇、人手不足

本書が書きあげられたのは1951年であり、その後「第三帝国」「スターリン体制」の内部が明らかにされていく中、アーレントが考えたほどの「全体主義」ではなかったことが分かった。しかし、「全体的支配」などの概念は確かに現代政治にある最悪の可能性を捉えていると思う
全体主義の実現に不可欠なのがテロを続行できる数百万の人口で、人口過多なアジアにおいてその実現の可能性が高いという予見はズバリ当ててしまっている(中共の文化大革命カンボジアのポルポト政権・・・)

全体主義運動を結実させたのは、階級社会の崩壊で生まれた「大衆」だ
階級に属さない彼らには、利益を代表する政党はなく、階級に根ざした関係を築けない

・・・大衆は目に見える世界の現実を信ぜず、自分たちのコントロールの可能な経験を頼りとせず、自分の五感を信用していない。それ故に彼らには或る種の想像力が発達していて、いかにも宇宙的な意味と首尾一貫性を持つように見えるものならなんにでも動かされる。事実というものは大衆を説得する力を失ってしまったから、偽りの事実ですら彼らにはなんの印象も与えない。大衆を動かし得るのは、彼らを包み込んでくれると約束する、勝手にこしらえ上げた統一的体系の首尾一貫性だけである。あらゆる大衆プロパガンダにおいて繰り返しということがあれほど効果的な要素となっているのは、・・・論理的な簡潔性しか持たぬ体系に繰り返し時間的な不変性、首尾一貫性を与えてくれるからである・・・(p80)

むむむ、これは戦前の日本以上に、現代にあてはまるではないか
小泉首相によるワンフレーズ選挙、無党派層が主流となった衆院選の圧勝劇、会社に属せない労働者の増加、国民皆保険・皆年金の崩壊・・・社会のあちこちで足場が崩れていて、どこにも属せない「大衆」が溢れるように生まれている
アーレントはブルジョワが政治に弱肉強食の論理を持ち込んだことを指摘していて、これもそのまま「新自由主義」路線にあてはまっている。今ですら、財界は安価な労働力を獲得するために移民緩和に動いてさえいるのだ
天皇制のある日本で「第三帝国」型の全体主義が生まれるとは思えないけど、オウム的な吹き出し方は充分考えられそうだ

他にも現代の問題と重なる箇所は多い
組織、構成員のところを読むと、北朝鮮の可笑しさなんかも分かってくる
こっちの常識から考えると意味不明であっても、向こうとしては奇妙に首尾一貫しているのだ。外交一つにも複数の機関があって、どれが本命か外部の人間にはサッパリ分からず、最後は指導者そのものに働きかけなきゃならないとか、そのまま当てはまるところも多い
とにかく全編に渡って濃いので、書いていくときりがない・・・全体主義を考えることは、現代の人間自体を考えることになるかのようだ
強制収容所の存在意義イデオロギーの仕組みなども凄かったが、やはりラストのどうして人間は全体主義を作ってしまったかの命題に引かれる。いつから人は自分が無用だと思えてしまう社会を作ってしまったのだろうか
悲観的な話が多い本書だが、最後は「人はいつでも新しく始めることができる」という暖かいメッセージが締め
国家単位のことから個人の精神のことまで幅広く取り上げられて、現代のすべてを語っているかのような大著だった
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『HUNTER×HUNTER』 26・27巻

一気に2巻分

ハンター×ハンター (NO.26) (ジャンプ・コミックス)ハンター×ハンター (NO.26) (ジャンプ・コミックス)
(2008/10/03)
冨樫 義博

商品詳細を見る

HUNTER×HUNTER NO.27 (ジャンプコミックス)HUNTER×HUNTER NO.27 (ジャンプコミックス)
(2009/12/25)
冨樫 義博

商品詳細を見る


王の護衛軍とハンターたちの死闘が続く
前巻と同じく、作戦後数分という濃密な時間を様々な人物の視点で同時並行的に描いている。それぞれがそれぞれのレベルの戦いを繰り広げていて、細かくシーンが切り替わっていく
同時並行に見せるという趣旨から止む得ないのだろうが、どうしても各パートの消化が短いからぶつ切りになってしまって、読み手の気持ちがついていけない。単行本ですらこうなのだ。週刊誌で読んだ人間はどう思っただろう
おかげで、イカルゴ男泣きなどいい場面はあっても、唐突過ぎてこちらの心には響いて来ない。いくつも力の入ったコマがあっても、こちらは振り回されているから素直に受け止められなかった
まともに消化されていけばいいドラマになったものを・・・これは勿体ない

百戦錬磨のハンターたちですら、仲間が窮地に陥ると情に溺れるのが今回の展開。その手のノリはゴンの専売特許だったので意表を突かれた
世界の危機よりも目の前の仲間を優先する姿勢は、これまでハンターたちが見せてきたクールさとは違う。しかもその姿勢だわりあい破局もなく転がっていくのも、極めて少年誌的
不倶戴天のはずの敵に頭を下げられて、情にほだされるところなど、まるで少年サンデーに連載されているような優等生ぶりである(最近のサンデーは知りませんが)
殺伐としたハンター世界に突如咲いた友愛の花。作者はこれをどう収めるのだろう

作者の、五指に余る筋を同時並行で消化していく才能は凄い
ただ、その労力に見合うだけのドラマを読み手に与えられているというわけではない。むしろ、その巧みさゆえに戸惑ってしまう
物語はシンプル・イズ・ベストなのだ
前巻とこの両巻はある意味、反面教師的作品と言っていいだろう


次巻 『HUNTER×HUNTER』 28・29・30巻
前巻 『HUNTER×HUNTER』第25巻
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

【ゲーム】ゲームの声優~北斗無双から

『北斗無双』の発売は明日ですか
ニコ動でフラゲしている人の動画があったけど、いつの間にか消えちゃった



むう、無双という看板が北斗世界の再現の壁になっている感じかな
ガンダム無双もそうだが、世界観のことを考えると雑魚がわらわらいるのもおかしい。核戦争後の世界だから、人がそんなにいるわけもないのだ(それを言うと、アニメ版のモヒカン人口もおかしいがw)
だから雑魚の数自体はこんなものでいいと思う
モヒカンの士気が高いのはおかしいか。そのフィールドのリーダーが倒されたらとっとと雑魚は逃げて欲しいな
スピードに関しては、これは動画だけでは分からない
『真・三国無双4』は難易度普通だと、雑魚が棒立ちだったが、ステージが進むとまともになった。キャラだってレベルを上げてみないことには分からない

声優さんに関しては、この不景気だ。ギャランティーなどよんどころない問題もあるだろう
ニコ動にはアニメ版の声優と比較する動画が挙げられているが


比べるのは正直言って酷だ
アニメにはストーリーの上で演じ続けたという過程がある。いきなり他の声優さんを連れてきても、そうそう嵌るわけはない
そもそもゲームの声をあてるのは、声優にとっても特殊な仕事ではないかと思われる。何かしらストーリー的必然もなく、「『アタタ』して下さい」と求められるわけだ(笑)。人によっては大変だろう
(連ザ2のタリア艦長などはその典型で、「信号弾、撃て」の声は投げやり過ぎて素敵)
よほど小慣れたキャラクターでないと、できない芸当じゃないのかな
きっと、ものまね芸人的な瞬発力が必要となるのだろう

アニメ版のノスタルジーを動員できないなら、ゲーム性で頑張ってくれればいい。パチンコの北斗だって、やってみれば演出は面白かった(ゲージと店の扱いは最悪だったが)
結局、ゲームが面白いかということに帰結するのだ続きを読む
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

【DVD】『人のセックスを笑うな』

上映時間を知った時に、もしやとは思ったが・・・

人のセックスを笑うな [DVD]人のセックスを笑うな [DVD]
(2008/07/25)
永作博美松山ケンイチ

商品詳細を見る


美大生みるめ(=松山ケンイチ)は仲間とトラックで移動中に、不思議な女性ユリ(=永作博美)に拾う。彼女はみるめと同じ大学の講師だった。惹かれるようにユリの仕事部屋に押しかけたみのる。彼女の仕事を手伝う内に、絵のモデルを依頼されるようになる。ユリの積極的なアプローチにきっかけに、二人は親しい関係になる。その時、みのるはユリが結婚していたことを知らなかった・・・

どこかで評判になっていたと記憶に残っていたので、借りたみたんだが・・・ひと言でいうと地雷だった(泣
恋愛映画にも関わらずロングに引いたカットが多すぎて、感情移入を誘うシーンがごく少ない
そして真正面から人物を捉えてしゃべるカットばかりで芝居をさせるので、演劇的ではあっても映画としての躍動感がなかった
誰の視点という意識で撮られていないから、誰のどういう物語かというものが見えてこない。物語の力が全く働いていないから、シーンごとのつながりから生まれる盛り上がりも皆無だ
名作二本観たあとだと、そうとう酷い出来に見えてしまった

冒頭でトラックからみるめユリを下ろす場面は、お互いが惹かれ合うキッカケになるところにも関わらず、超ロングショット(!)なのである
自然がテーマの作品ではないのだ。田舎の景色を映しても意味ないだろう
この重要なシーンで見事に外しているので、みるめとユリがお互いのどこに惹かれたか説得力がない。ただ行きずりでヤッたようにしか見えないのだ
ユリにとってはともかく、みるめにとっては明らかに行きずりではない。これは致命的だ
この時点でその後の出来を予測できたが、それは嫌なほど的中していた
wikiを観てみると、この監督の作風は“だらだら感”が特徴らしい。部分的に間延びさせることで観る者に違和を与える手法はあっても、全体をこうまで間延びさせてはいけないだろう
せっかく永作博美が体張っているのに、これでは可哀想だぞ

話の内容もこの映画を観たかぎりではパッとしなかった
主要人物が皆、怠け者でモラトリアムであり、基本的には同質なのである。だからみるめがユリと付きあってもどう変わるということもない。より怠け者になったぐらいだろう
役者さんはそれぞれ頑張っていた。松山ケンイチは脚本のせいか、突き抜けないキャラで終わったが、永作博美蒼井優は要所でいい仕事をしていた
しかし、プロ野球で大砲三人集めても最下位になるチームがあるように、有名俳優を集めるだけでいい映画はできないのだ

人のセックスを笑うな (河出文庫)人のセックスを笑うな (河出文庫)
(2006/10/05)
山崎 ナオコーラ

商品詳細を見る
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

【DVD】『カッコーの巣の上で』

明るい映画と思いきや

カッコーの巣の上で [DVD]カッコーの巣の上で [DVD]
(2008/04/11)
ジャック・ニコルソンルイーズ・フレッチャー

商品詳細を見る


更正農場で騒ぎを起こしたマクマーフィー(=ジャック・ニコルソン)は、田舎にある精神病院に送られた。彼は羊のように大人しい患者たちに遊びを教え、その中のリーダーに収まっていく。しかし、規則を乱されるのを嫌う婦長ラチェッド(=ルイーズ・フレッチャー)とは度々対立するのだった。病院の管理にウンザリしたマクマーフィーは、脱走を皆に訴えるが・・・
冒頭は凄くゆったりとしたテンポ。ドキュメントを見ているような動きの少ない絵作りで、精神病院のどんよりした空気を再現している。これだけテンションが低い始まり方も珍しいというほど
しかし、中盤以降マクマーフィーが活躍するほど、映像にも生気がみなぎってくる。鬱々としていた患者たちも娑婆の楽しさを知り、クライマックスにはお祭り騒ぎだ
序盤と中盤以降のメリハリが見事に成功している
ここまで右肩上がりに話が転がれば、終りはハッピーエンドだろうと思っていたけど・・・
公開年を見ると、アメリカン・ニューシネマ時代の作品だったんだな

訴えたかったのは、当時の精神病院の状況だろう(原作本の出版は1968年)
治療する人間と治療される人間は、対等の立場ではない。治療する側は、その医療知識をもって症状を解釈できる立場であり、される側はそれを受け入れるか100%拒否するかしかない
まして、精神病となると患者は一度、精神病院に入るや否や、医者の解釈を退ける権利すら持ち得なくなる。社会は精神医学の権威を信頼し、精神病の患者は社会不適合の烙印を押されているからだ
これには精神の異常を持った者の罪を問えないという刑法上の問題も関係しているだろう
マクマーフィーとラチェッドが引付くどころか、一向に交わらないところに医療する側の無謬性が象徴されていた
もちろん、今の精神病院がこのままということはないだろうけど、たまに発覚する不祥事などを見ると普遍的に存在する問題なのかもしれない

果たしてマクマーフィーが本当に精神病だったのかどうか
原作では偽って病院に来たことになっていて、映画もそれに沿っているはずだけど、ジャック・ニコルソンの演技からはそうとも言い切れない
本当に病気なのか、そうでないのか、マクマーフィーはそのライン上にいる人物なのだ。彼が病院にいるのが不自然に見え、時に当然に思えてしまう
そういうグレーなキャラだからこそ、精神の異常・正常を線引きすることの矛盾病院側の異常性をえぐって見せてくれたと思う。いや、アッパレな演技であります

<続きはネタバレ気味>続きを読む
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

【DVD】『コットン・クラブ』

急に暖かくなったねえ

コットンクラブ [DVD]コットンクラブ [DVD]
(2004/11/25)
リチャード・ギアダイアン・レイン

商品詳細を見る


ハーレムのバーでジャズの演奏に加わっていたディキシー(=リチャード・ギア)は、マフィアの抗争に巻き込まれた。偶然、有名なマフィアであるダッチ・シュルツ(=ジェームズ・レマー)を助け、歌手の卵であるヴェラ(=ダイアン・レイン)を連れ帰ることになる。コットン・クラブのオーナー、オニー(=ボブ・ホスキンス)の知遇を得てそのパーティーに招かれたディキシーは、ダッチとヴェラに再会。売れないミュージシャンである彼は、ダッチの雇われ楽士となり、愛人になっていたヴェラに親しくなるのだった・・・
コットン・クラブ”は実在したハーレムのナイトクラブで、芸人とスタッフがすべて黒人。クラブを仕切るオニーも実在のマフィアで、クラブにはチャップリンなど多くの著名人が集まったという
映画では、華やかな舞台の裏側で芸人やマフィアたちの悲喜こもごものドラマが展開される
登場人物が多く視点がコロコロ変わるけれども、それぞれのシーンにしっかりしたテーマがあるからとまどうことはなかった。最初は理解できなくても、話が進むうちにちゃんと腑に落ちるようになっている
黒人が踊る店に黒人が入れない」という人種問題を捉えつつも、ディキシーとヴェラの奇妙な恋愛随所に挟まれる軽快なタップダンスブラックユーモア溢れるマフィアのジョーク、と観る者を全く飽きさせない
映画に求められる娯楽の成分をてんこ盛りにしたようなエンターテイメント超大作

ディキシーとヴェラはかなり変わったカップルだ
コットン・クラブ(=芸能界!)には世の常識とアウトローの世界の中間に位置する幻想的な空間で、そこに残るためには幾度と常識からの逸脱を求められる
これに対する二人の反応は対照的で、ディキシーは常識に踏みとどまり、ヴェラはいとも簡単に乗り越えてしまう
彼女にとってマフィアとの交際はゼロから成り上がる唯一の道程であって、他に選択肢は考えられない。その感覚についていけない彼は、ヴェラと何度もなじりあう
これほど性質の合わないカップルを映画であったろうか
二人の結末は映画ならではのお約束的展開ではあるものの、非常に見事なラストだからよしとしよう
溝を情熱で埋めるわけですな

オニー以外でも、実在のマフィアをモデルにしたと思われる人物が登場する。好戦的なダッチ・シュルツは有名だし、彼と抗争するヴィンセント(映画ではディキシーの弟という設定でニコラス・ケイジが演じている)はそのままヴィンセント・コール
終盤に登場するルキアーノラッキー・ルキアーノで、ラストにマフィアの覇権がアイルランド系からイタリア系に移っていくことを示唆するシーンがある
アメリカのギャング史を映しているのも、この作品の醍醐味のひとつ
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『真田幸村』 海音寺潮五郎

なかなか金回りが良くならない・・・


真田幸村〈上〉 (人物文庫)真田幸村〈上〉 (人物文庫)
(2005/11)
海音寺 潮五郎

商品詳細を見る

真田幸村〈下〉 (人物文庫)真田幸村〈下〉 (人物文庫)
(2005/11)
海音寺 潮五郎

商品詳細を見る


名門武田家も信玄の死後、急速に衰える。上杉家の跡目争いで景勝方に味方したことをきっかけに、関東の北条家と絶縁。東の織田、南の徳川の三方から敵に囲まれ、滅亡の時が迫っていた。真田家の当主昌幸は勝頼に策を献じる一方で、自家存続のために四方に謀を巡らす。昌幸の子幸村は、そんな父の思惑を疑いながらも務めを果たしていく・・・

武田家滅亡直後の甲信地方を舞台に、真田幸村の青年時代を扱った歴史小説
真田昌幸武田勝頼滝川一益樋口小六(直江兼続)など有名武将同志の駆け引きに焦点をあてつつも、赤吉を中心とした幸村の家臣、朋輩から合戦の下での庶民の生活も語られていて、戦国の空気を十二分に匂わせている
メジャーな人物とマイナーな人物に同じぐらい愛情が注がれているあたり、さすが歴史小説の大家というところ

青年幸村は、戦国無双同様に王道を行く主人公キャラ。ただ、猛将というよりは繊細な感性を持つ戦略家であり、いざ戦いになれば父譲りの鬼謀を発揮する
歳が16ながら嫁をもらっていないせいで、女性に対してはウブそのもの。出家した勝頼の妹に惚れて、家康がそれを側室しようとしていると妄想するところは微笑ましい(笑)
普段は出来すぎくんなので、こういう分かりやすい弱みがいいふうに働いている。人間味を生んでいるのだ
父昌幸はすべてを見通すがごとき戦略眼の持ち主で、いかなる局面でも冷徹なマキャベリストとして振る舞う
幸村に対しても厳しいが、根の部分では優しさがあって憎めない
作者は昌幸をあまり好きではないらしい。その割に捉え所のないユーモア溢れる人物になっているから不思議だ

三好清海など真田十勇士ゆかりの人物が登場する。しかし、彼らは講談のような変幻自在の活躍をせず、皆等身大の人物として扱われている
その中で唯一の例外が猿飛佐助を思わせる少年赤吉山窩(サンカ)の子という背景から、人並み外れた脚力と忍術で真田父子の策略を助けていく
性格は完全な野生児にして裏表がなく天真爛漫。身動きがとれない幸村に変わって気ままに難題をこなしていくところは痛快だ
リアルで控えめな人物描写が中心のこの小説は、ともすれば渋く地味な駆け引きが続きがち。そんな中、彼の存在がお話にを添えて、読み手の興味をうまくつないでいるのだ
こういう読み手へのサービス精神、バランス感覚が作品に幅を持たせていることに成功している。歴史小説はかくあるべしですな続きを読む
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

【映画】吹き替え映画の世界

この前『ユニコーン 奇跡の航海』という作品を吹き替えで鑑賞した
字幕を消したつもりが映ったままだったので、日本語の音声を聞きながら比べてみてたのだけど、これが結構違う
だいたいは尺の都合で変えているだけのようだが、それでも言葉が円くなってずいぶん違って聞こえた。分かりやすい言葉を選んでいるので、かえって字幕より踏み込んだ表現、ニュアンスとなっているのだ
一部は僅かにだが、違う意味を為してしまっているものもあった
こと『ユニコーン』に関しては、吹き替えの日本語の方が優れて作品を表わしていた

字幕の日本語が志していることは、まずもって原語の持ち味を残すことであり、逐語訳に近いものだろう
戸田奈津子の間違いを指摘する声をよく耳にするが、彼女でも長年の経験で身につけた、限られた範囲の解釈でしか訳していないように思う(認識不足か?)
吹き替えの日本語というのはそれを受けて、耳に入りやすい言葉に置き換えているわけだ。その段階で字幕の訳の間違いが直されたり、吹き替え版の翻訳家の考えで変更されるところもあるだろう
リハーサルしている内に脚本が変わることもありそうだし、ここまで違う人間の手が介在するとなると、必然的に字幕と吹き替えで程度の差こそあれ、違う味のものになる

僕自身は、映画館で見る時もDVDで視る時もまず、字幕で観る
原語の音声で入った方がより生の作品であると思うからだ
しかし、乏しい語学力ではとうぜん字幕に頼るわけで、字幕の解釈に依存することになる。もし、吹き替えの解釈の方が原作のニュアンスに近かったらどうしたものか・・・
また、吹き替えで観た方が字幕より何倍も面白いということもありえる話で、字幕だけで作品の評価を決めるなんてできなくなってくる。字幕が駄作で、吹き替えは傑作なんてこともあるだろうし、逆もあるだろう
こういう真実を気付くと、両方観なけりゃならなくなる
とうてい時間もお金も足りないんですけど・・・(汗続きを読む
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

【DVD】『マーズ・アタック!』

ゴジラも出るよ

マーズ・アタック! [DVD]マーズ・アタック! [DVD]
(2009/09/09)
ジャック・ニコルソングレン・クローズ

商品詳細を見る


地球圏に突如現れた円盤の群れは、火星人の宇宙艦隊であった。米大統領デイル(=ジャック・ニコルソン)はケスラー教授(=ピアース・ブロスナン)の進言を受け、火星人との交渉を量る。しかし、火星人は最初の会見で不意打ちを浴びせ、多くの死傷者を出す。文化の相違から誤解と見た大統領は、火星人を国会に招くことにするが・・・
宇宙からの侵略という古典SFの筋そのままに作った、ティム・バートンによるB級SF映画
なんといっても見どころは、豪華俳優陣がバカバカしいストーリーを熱演していることだろう(笑)。ジャック・ニコルソンピアース・ブロスナンマイケル・J・フォックスナタリー・ポートマンに、なぜかトム・ジョーンズとよ~く集められたもんだ
しかも今上げた中の数名は、かなり下らない死に方をしてしまうのだから凄い。配役からストーリーを先読みすることは困難で、終盤のお約束的なオチまでは振り回された
登場人物がかなり多く、いろんな視点でシーンが切り替わっていく。なのにお話に全くブレが出てこず、ちゃんと一つ一つが収束していく。その度にキャラが抹殺されていく(笑)わけだけど、この群像劇のまとめ方は上手すぎる
作品としては監督の趣味丸出しだけど、その異能さを見せつけた作品だといえようか

そもそもタイトルの由来は、宇宙人の侵略を元にしたトレーディング・カード。60年代にごく僅かしか出回らなかったカードゲームで、監督の脳裏に宇宙人の図柄が焼きついたらしい
そんなわけで他のバートン作品よろしく、この映画にも一昔前のアメリカの空気が流れている。昔の米ドラマで見たような髪型、ファッションがそこにあって、あきらかな架空世界でありながらどこか安心感を与える世界観なのだ
観客のノスタルジーを動員するところはジブリ作品やエヴァと共通するところだろうか
異形の火星人たちはステロタイプな悪役で、情け容赦ない虐殺を繰り広げていく。だが、元々の世界観がおっとりしているおかげで、かなり酷い展開にも関わらずグロさが薄まっているのだ
むしろ、この作用を意図的に利用してグロシーンを作っているとも感じられて、監督の悪趣味ぶりここに極まれりである

昨日の作品もそうだけど、悪に妥協するともっと酷い目に合うという筋は第二次大戦の教訓からだろうし、火星人の画一性、集団主義は、戦前の全体主義、アジア観を表わしてるようで、好きじゃない
しかし、それは『マーズ・アタック』というゲームに隠された要素なんであって、監督の主義主張ではなかろう。火星人の残虐さは、単にバートンのイカれた趣味に過ぎないのだ(笑)
ここまでの労力をかけてこんな下らない映画を作ってしまう情熱に拍手を送りたいなあ
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

【DVD】『ユニコーン 奇跡の航海』

タイトル的に旬だと思った(笑)

ユニコーン/奇跡の航海<ノーカット完全版> [DVD]ユニコーン/奇跡の航海<ノーカット完全版> [DVD]
(2005/07/08)
ボー・ブリッジスシャンタル・コンリン

商品詳細を見る


最愛の妻を失った教授エイスリン(=ボー・ブリッジス)の一家は、その死を引きずり続けていた。長女ミランダ(=ヘザー・マッキーン)はいつも不機嫌で恋人と喧嘩をし、次女キャシー(=チャンタル・コンリン)は母親の書いた絵本に魅入り不登校の日々。ある夜、キャシーは裏で騒ぐ異形な男たちを見る。男たちはファンタジーの世界から来たトロールで、向こうの予言を防ぐべくエイスリン教授を襲おうとしていたのだ。逃げる一家は妖精に誘われ、不思議な船ユニコーン号に乗る
軽いファンタジー映画だと油断していたら、尺が異様に長い。まさかの三時間弱!
でも内容はやはり軽い。要は向こうのテレビ映画で、一部二部を合わせた構成だったのだ
現実から幻想の世界に移行するタイプのファンタジーで、完全にファミリー向けの作品
世界観はエルフドワーフトロールドラゴンユニコーン妖精の国と、オーソドックスな名称をそのまま用いる直球勝負で、西欧ファンタジーの基礎知識が教えるような構成だ

演出は子供向けにハードルを下げに下げている。アクションなどは昔の特撮のようなノリでださい味を出していて、乾いた笑いを誘う
しかし、教授やミランダが大人の見方を示してくれるので、大人の鑑賞に堪えうるものには出来ている。製作者は良くも悪くもこなれているのだ
スペクタクルの面ではハリウッド映画には敵わないものの、特撮と多くのエキストラを動員した作りは力強い。古典的手法には、CGにはできない泥臭さが表現されている
CG満載の映画に見慣れると安ぽっさは否めないが、架空世界を構築してやるという意気を感じるのだ
お話的にも単純な勧善懲悪ではなくて、どんどんモンスターが仲間になっていく意外な展開に。こいつは無理だろうという奴も仲間に入れてしまう。それこそ、どこの「ドラクエV」かと(笑)
敵方のトロールにすら、絶対悪と見なされない余地があるのも良かった(作中はほぼステロな悪役だけど・・・)
その一方で、トロールに妥協した者が奴隷に落とされている場面があり、欧米人の戦争観が反映されているように見える

全体としては微苦笑を禁じ得ない作品で、緩い指輪物語といったところ
それでも製作者の大人ぶりには好感が持てる。子供やその家族に対して何を伝えておきたいかというメッセージがはっきり見え、ラストでは「人間に何故ドラマやファンタジーが必要かという」ということを教えてくれた
ガキ向けだからこんなもんという演出は気に入らなかったが、姉妹が可愛いのも合わせて許そう続きを読む
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)
(この一行は、各ページ下部に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)
カレンダー
02 | 2010/03 | 04
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
カテゴリ
SF (25)
RSSリンクの表示
リンク
FC2 Blog Ranking
ランキング
アクセスアップ!?
検索フォーム
はてな
この日記のはてなブックマーク数
タグランキング

サイドバー背後固定表示サンプル

サイドバーの背後(下部)に固定表示して、スペースを有効活用できます。(ie6は非対応で固定されません。)

広告を固定表示させる場合、それぞれの規約に抵触しないようご注意ください。

テンプレートを編集すれば、この文章を消去できます。