栗本薫

昨日、2チャンネルのニュー速版でスレが立っていたが、そのときは悪い冗談だろうと思っていた
再発していた話は聞いていたが、なにせ『グイン・サーガ』が続々と出ていたのだ
が、今日起きてみると新聞のサイトでニュースに・・・

『グイン・サーガ』をはじめて読んだのは中学生の時で、その頃すでに図書室にはずらりと並ぶほど巻数を重ねていた。ちょうど歴史小説から読書熱が点いた時期だったから、図書室にある分は怒濤のごとく読んでしまった
その後もしばらく買い続けて、60巻ぐらいまで読んだ。なんのひょうしで買わなくなったのか、今では思い出せないが、作品についてはずっと気になっていた
ユーラシア大陸を包括するような地上の英雄戦記に、長大な歴史と宇宙をも視野にいれた作品世界は日本人離れしていた。短いシリーズならともかく、これだけ重厚な世界観で長いファンタジーを書き続けたのは日本人ではこの人しかいないのではないか

アムネリアの罠―グイン・サーガ(40) ハヤカワ文庫JAアムネリアの罠―グイン・サーガ(40) ハヤカワ文庫JA
(1992/09)
栗本 薫

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シリーズの中で思い出深いのがこの巻。チュウボウの僕には予想の斜め上を行く展開で、今でも記憶に残るエロスが・・・
ジュニア向けと世間から見られていたジャンルで、ここまでセクシャルなことを避けずに書いたことにこのシリーズの値打ちがあると思う
当初は100巻という話だったと思うが、きっと頭の中のキャラクターたちが元気に動きすぎたのだろう。最新巻はなんと126巻。外伝を含めれば150巻近いか

いつか、この人の作品をまとめて読んでみようと思っていただけに残念だ
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『HUNTER×HUNTER』 第18巻 富樫義博

表紙はクラピカなのに、彼女は出てこない。前にもこのパターンあったな
今の話にヒロインらしい存在がいないので、編集が押して書かせているのだろうか

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(2003/10/03)
冨樫 義博

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さあ、ついにボマーとゴンとの最終決戦だ!
前巻の最後になにやら秘策みたいものを練っていたけど、蓋を開けてみると狐につままれたような・・・
良く考えたなとは思うけど、余り爽快感がない。作者がマンガ内のルールを使って一生懸命考えたことと読者が期待していたこととかなりズレているのだ。妙なルールを並べられるより、シンプルに決着をつけて欲しかった
ビスケ姉さんの隠された秘密に関しては驚いたな。この世界観なら少女体型のまま強くてもおかしくないわけで、何もそこでヴェールを脱がなくてもと(笑)。一発ギャグやね
ややシュールな演出はあるが、グリーンアイランドのフィナーレはめでたしめでたし
が、親父に関しては過去が分かっただけでヒント一つなし!
ゴンは満足だろうが、ちょっと不憫な気もするな

で、ボマーとグリーンアイランドの一件のあとは、幻影旅団とヒソカをスルーして別件に突入。次は食人昆虫たちとの対決のようだ
ハンター試験後、やっとハンターらしい仕事になるみたい



<以下はネタバレ度数が高くなるので注意>続きを読む
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『実録・アメリカ超能力部隊』 ジョン・ロンスン

超能力を使って社会の敵を倒すなんてヒーロー物は世間で溢れているが、現実の軍隊にもそれは存在していた!

実録・アメリカ超能力部隊 (文春文庫)実録・アメリカ超能力部隊 (文春文庫)
(2007/05)
ジョン ロンスン

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ことはベトナム戦争の敗戦から始まる。徴兵制の廃止を余儀なくされ、威信が地に墜ちて落胆する軍人たちに、ニューエイジ運動の影響を受けたある将校が突飛な構想を聞かせる。それも「敵を傷つけることのない平和の軍隊」。「ラブ&ピース」の精神をもった軍隊なのだ!
平時であれば受け付けられないトンデモ話だが、敗戦の悪夢を引きずる上層部には魅力的に映った。いわば現実逃避的に計画は始まったのだが・・・
この本はそうした「平和の軍隊」の戦士たちの軌跡を追ったもの。実際に超能力の訓練を受けた男たちの話は荒唐無稽であり、そのキャラクターも香ばしくイカれた人ばかり
一例を挙げると

グレン・ホイートンは椅子の上で身を乗り出した。「きみはこの家の玄関から入って、裏にまでやってきたね。さて、この家には椅子がいくつある?」
沈黙がおとずれた。
「たぶんきみはわたしの家に椅子がいくつあるか答えられないだろう」とグレン。
わたしはあたりを見まわしはじめた。
スーパー兵士に見る必要はない」と彼はいった。「なにもしなくてもわかるんだ」
スーパー兵士ですって?」とわたしはたずねた。
スーパー兵士さ」とグレンはいった。「<ジェダイの戦士>だ。彼にはあらゆる照明の位置がわかる。あらゆるコンセントの位置がわかる。多くの人間は観察力がとぼしいんだ。自分のまわりで実際に起きていることをちっともわかっていない」
<ジェダイの戦士>とはどういう連中です?」
「きみの前に一人いるよ」とグレンは答えた。(p23~24)


ちょっ、待てぇぇぇ(笑)
と、こんなトホホな人たちばかりなのだが、本人たちはいたって大真面目
ユリ・ゲラーが工作活動に関わっているとか、壁を通り抜けられると思っている将軍とか、山羊を睨み殺したとか、もう、トンでもないネタのオンパレードなのだ
が、途中までと学会的な視点の本だと思っていたら、中盤以降に話は風雲急を告げる
この超能力部隊が試行錯誤されて生み出された技術が、実はテロリストやイラク戦争の捕虜たちの尋問に使われていたというのだ
歌で平和にするというマクロスな構想が、捕虜虐待に使われるという現実もさることながら、このことを取り上げたメディアがただのネタ話としか流さないことには愕然とした
最後、過去にCIAが起こした事件にも話は移る。この本はアメリカの、それこそ<暗黒面>を取り上げたものだったのだ・・・

著者は気鋭の調査ジャーナリストながら、トンデモネタに関しても冷静にそしてユーモアたっぷりに書く。その距離感が絶妙で、これはよく出来た小説なのではないかと思えるほど。話の奥がなかなか見えないので、前に読んだミステリーと同じくらいの緊迫感があった
ここまでシリアスとユーモアのある読み物ってフィクションでもそうはない
全てにちゃんとした物証のある話ではなく、真贋を読者に委ねられている部分が大きいが、なかなか衝撃的なルポだ続きを読む
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ハリウッド映画と機関銃~『機関銃の社会史』

昨日(今朝?)取り上げた『機関銃の社会史』には、その後の映画と機関銃の関係について面白い論考がある
一世を風靡したギャング映画は、映画を模倣するマフィアが現われ製作者側が萎縮。1935年以降はギャングの敵であるFBIや秘密情報員が新しいヒーローとなり、機関銃は悪役の小道具に成り下がってしまう

しかし、本書刊行当時、70年代には「ニューシネマ」の潮流に乗って新しい存在感を発揮しだしたという
その魁けである『俺たちに明日はない』(1967)には、機関銃はギャングのものとしてではなく、むしろ権力側の象徴として登場する。それに追いつめられる二人のアウトローには昔のギャングの面影はない
『イフ』(1968)『ワイルド・パンチ』(1969)ではアウトロー側が機関銃を扱うが、基本的に報われない現実逃避の道具として姿をあらわす

第一次世界大戦において機関銃が、新しい殺人技術の前では個人など何の価値もないという考えの誕生を実際に促したことを見た。・・・(中略)・・・そして今度は逆に、機関銃は人格化され、日増しに自分の無力を思い知られる世界で、何とか成功しようと絶望的な試みをする者の手段になっていった。少なくとも空想の世界では、技術は自らに反逆したのだ。(p280)


作者の言い分はいささか大げさにも思えるが、本書が刊行されたのはベトナム戦争末期。多くの徴兵された若者が毎日戦場で命を落としていた
「ニュー・シネマ」の虚無感もそうした時代背景の中で生まれたことを見逃すべきではない
作者がそうした映画のなかに機械で表現するように見えて、実は機械に振り回されている人間を見るのは時代を超える優れた洞察だと思う

そういえば、同級生を殺した女子生徒が『バトルロワイヤル』のパロディを書いていたという話があったっけ・・・

関連記事 『機関銃の社会史』 ジョン・エリス
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『機関銃の社会史』 ジョン・エリス

戦争が絡むシミュレーションゲームでは常連ともいえる機関銃。敵の防衛戦に歩兵を突撃させるとゲームではユニットの数やマンパワーの増減で処理されるが、実際は地獄絵図なわけで・・・

機関銃の社会史 (平凡社ライブラリー)機関銃の社会史 (平凡社ライブラリー)
(2008/02)
ジョン エリス

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17世紀の産業革命黎明期に生まれた機関銃を、普及し始めた植民地戦争、全盛期の第一次大戦から大戦後の民間(ギャング)への普及までを扱った通史。技術面の進歩を交えながらも、機関銃に様々な形で関わった人間たちやそれを生み出した社会的、歴史的背景まで描き、果ては機関銃とハリウッド映画にも触れ、機械と人間についてなかなか奥深い考察がなされている

機関銃が生まれたのはアメリカ
それは機関銃の開発の前提とする機械産業が、職人の伝統が根強いヨーロッパよりも人手不足のアメリカで発達したからで、機関銃の発明家たちも皆アメリカ人
最初に戦争で本格使用されたのは南北戦争だったが、ヨーロッパの軍人はほとんど無視し、むしろアフリカの植民地戦争で多く使用されることになる
植民地では少ない兵力で先住民を相手どらなければならないという課題があったためだが、同時に火器を持たない人間に対する一方的な虐殺は人種差別の思想を補強した
虐殺を肯定するには相手を“人間”と見なければいい
慄然とする発想だが、皮肉にも“人間”相手の戦争でないからと本国の軍人たちは機関銃を過少評価させることとなった

第一次大戦での膨大な戦死者の内、8割が機関銃によるもの。近代戦が機械が主役であることを認めようとしない軍人たちが、機関銃の銃口に向けて無謀な突撃を繰り返したからだ

士官たちの態度には、単に技術の進歩を理解できない以上のものがあった。士官の多くたちは貴族出身だったため、ヴァーグツが指摘しているように、産業の時代にありながら時代遅れの夢想家だった。そして、社会的に孤立していたため、彼らの戦争の概念は前世紀のままにとどまっていた。彼らにとっては未だ誉れ高き突撃こそが戦いであり、何よりも、ただの機械ではなく人間こそが、支配権を握っていると信じていた。・・・(p97)


この一見、人間的に見える価値観と実際の戦争との齟齬に多くの犠牲が生まれた
下は戦争詩人をめぐるある批評家の言葉

第一次世界大戦の詩人は、戦いの勝利、あるいは生き残りですら、もはや個人の勇気や強さに頼れないことをはっきりさせた。機械化、軍隊規模の拡大、作戦の強化、そして科学的に裏づけられた射程の長い武器の性能などによって、個人的能力がかかわるあらゆる要素、すなわち、精神的・肉体的な争いにおける勇気や希望、冒険心、そして英雄的行為が可能だという感覚などは、すべてたたきつぶされた(p250)


本書では指揮官、閣僚の談話、戦争詩人の作品を通して、機械が人間を喰らい尽くす様を執拗に描く。すでに第一次大戦の黎明期に人間は機械によって動かされていたのだ
誰でも扱え命中に技術が要さない機関銃は、一度動き出したら止まらない総力戦の象徴に見える
そんな悲劇の源である機関銃も発明家は「一人で100人殺せる銃が普及すれば戦争はなくなる」なんて言葉を残している。原爆の開発者にも共通する発想だが、どんな発明もいずれは社会に回収されるという19世紀の楽観的な科学観は、このような姿勢を容認したというから呑気なものだ
ただ、この論理は形を変えて今でも息づいているわけで・・・

著者は機関銃の歴史は戦争の非人間化のはしりと総括している。原書は1975年刊行で、最後に偶発的な核戦争を暗示する悲観的内容だが、残念ながら今でも通用する言葉だ
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『HUNTER×HUNTER』 第17巻 富樫義博

さて前巻から続く“地獄のドッジボール”の結末は・・・

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(2003/06/04)
冨樫 義博

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17巻はこのシリーズらしからぬ(!)、ジャンプ漫画の方程式“友情・努力・勝利”に徹した巻になっていた
ドッジボールでは、あのヒソカすらゴンキルアと組んでゲームの管理者レイザーと戦うのである
こんな麗しい三位一体の攻防が見られるなんて(笑)
決着の付き方はあっけない気もするが、所詮はドッジボールってことかな

その後は一気にボマーたちとの対決に到るかと思ったが、その後は各グループが分かれて対決への準備をするといったところ。ツェズゲラたちはボマーのかませ犬になると読んでいたが意外な方向に転がっていく・・・
サブタイトルが三つ巴の攻防となっているが、グループごとにゲームをする目的は違う。ゴンは父捜しだし、ツェズゲラは違う目的がある。ボマーとは敵対するしかないだろうが、ツェズゲラとゴンたちがどういう絡み方をしてくるか流動的だ。どうなるのだろう

ゴンたちはボマーたちとの対決に策を練った。さてその中身は・・・

次巻 『HUNTER×HUNTER』 第18巻
前巻 『HUNTER×HUNTER』 第16巻
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【ブログ】感想を書くのは難しい

自分の記事を後から読み直すと、なんでここまで書いちゃったかなということがよくある
その時は是々非々で書いているつもりなのである。読了したからには水準以上のレベルのものなのであり、それを仕上げた作り手には敬意を払っているつもりなのだ

理想的な構成として

概論→枝葉→まとめ

でありたいと思うが、後から読むと枝葉で否定的な評価を下したことが目につく。そして概論と被るからとまとめを端折りすぎて影が薄い、というか無いに等しいものもある
畢竟、作品を否定的に評価しているように見えてしまうのである。くどくなるようでもまとめでもう一押ししておけば、違う印象の記事になったかもしれない

肯定的な部分を増やせばというのも一策だが、難しいのは肯定的な部分がストーリーの最重要部分であることだ。多くはそれを書いちゃうと読んだときの爽快感を削がれる恐れが大きい
いくらネタバレ気味の僕でも浜村淳する勇気はまだない
そういう部分は抽象的な表現でお茶を濁すことしかできず、文章も手短になる。書いた方はその短い部分だけに読む値打ちはあると思っているが、読んでいる側はそうは思えないだろう
ここらあたりをどう強調して印象に残るようにしていくかが一つの課題だと思う

小説に関しては、否定的ことは書かないというサイトさんも結構見受けられる。文句を書くのは前向きではない、嫌いなものなら紹介する必要がないという趣旨だろうが、少し異論がある
大抵の作品には長所もあれば短所もある。短所も含めて作品である。短所余りある作品を虚仮おろしにするのはどうかと思うが、良作だからといっておかしいと感じた部分に触れないというのは誠実な記事といえるのか
記事を信用して作品を買う人もいるのである(当ブログにいるかは知らないが)。雑誌や新聞のレビューのような提灯記事にはしたくない
もちろん、僕も天使ではない。当然、それなりの好悪が記事に反映されているし、『ガンダムUC』など期待していた作品・シリーズには過剰反応してしまうことはある
僕には良くないと感じたことが、他の人にはそれがいいと感じることもあるだろう。それも当然の話なのだ

う~ん、やっぱり感想を書くのは難しい
ともあれ、僕はこれからも感じたことを率直に書いていくつもりだ続きを読む
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『アルスラーン戦記13 蛇王再臨』 田中芳樹

超久しぶりに読むアルスラーン戦記。第1巻が1986年刊行だから、23年目にもなる
タイタニアのことを考えると、続けてもらえるだけマシなのか

蛇王再臨 アルスラーン戦記13 (カッパ・ノベルス)蛇王再臨 アルスラーン戦記13 (カッパ・ノベルス)
(2008/10/07)
田中 芳樹

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これだけ飛び飛びに刊行されるシリーズだと作者のモチベーションが心配されるが、なんのなんのやっぱり面白い
異国で権力を握るヒルメスとその愛人フィトナに、アルスラーンに会うため王都に向かうエステルドン・リカルドの一行、デマヴァンド山で蛇王復活を待つガズダハムイルテリッシュ一味など、アルスラーン自体よりもその周辺の話が中心だ。ヒルメスを除くと特に秀でた能力を持っていない人間達が、各々の目標のために苦心する様というのは読んでいて微笑ましいもの
特に立派な小策士としての生き様を見せてくれたシャガードにはMVPをあげたい
このシリーズ、タイトルにもなっているアルスラーンはキャラが薄い今回はそれを潔く認めて(!?)、周辺の、しかもマイナーな人間に焦点を当てたことがいい味のドラマを生んだと思う
いつも待たされるが、さすがラノベの大家だ

意外だったのが魔軍が弱いこと。普通の人間に駆逐されてるやん
『ロードス島戦記』でいうと、上位魔神やら下位魔神やら中間管理職がいず、ゴブリンに羽根が生えたような奴しか出てこない。普通のおっさんでも武器さえ持っていればなんとかなるレベルなのだ
軍隊相手だと数を頼みにするしかないが、人間様よりは絶対数が少なそうだし・・・ゲリラ戦しかできないか?
ザッハーク様頼みというのも寂しいし、何か中ボスが欲しいところだ
イルテリッシュ『魔界転生』の宮本武蔵のごとく自立する気配がある。ガズダハムには気の毒だが、なかなかのカオス展開が待っているようで、これはこれで楽しみだ

今回は出番が少ないが、ナルサスはやっぱりバランスブレイカー
魔軍相手にも疑心暗鬼になることがないし、上から見下ろしちゃうから話が盛り上がらない。今回の計略も普通なら周囲の大反対にあうはずが、すんなり通るし・・・(現実性についてはあえて問いますまい)
いくら“ライトな講談”といっても限度がある
30台前後のモラトリアムで、天才というのは作者お得意のキャラではあるが、このシリーズに関してはいない方が締まったいい話になったと思う

とはいえ、小悪党たちも策を練りに練っている。堕天使ナルサスに一矢報いてくれ(無理か)


次巻 『アルスラーン戦記14 天鳴雷動』
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『機動戦士ガンダムUC 8 宇宙と惑星と』 福井晴敏

ついにユニコーンのアニメ化が発表された。ニュータイプ6月号のインタビューで「アニメ芝居は止めましょうということ」で監督と一致していると答えていたそうだが、どうだろう
小説中のキャラの動かし方とかは充分、アニメっぽい気がするのだが(笑)

機動戦士ガンダムUC (8)  宇宙と惑星と (角川コミックス・エース 189-9)機動戦士ガンダムUC (8) 宇宙と惑星と (角川コミックス・エース 189-9)
(2009/04/25)
福井 晴敏矢立 肇

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今回は冒頭に新MSを登場させつつも、戦艦ネェル・アーガマでの謀略、白兵戦が中心だ。『亡国のイージス』の作者だけあってガンアクションはまさに十八番。ストーリー展開も誰が敵味方になるか分からない、オセロゲームのようなクーデター合戦で、久々に楽しませてもらった
MS戦ではユニコーンは旧式のハイザック達と交戦するのだが、お姫様が同乗しているので思うように動けないなど戦闘の設定にも工夫がある
話の展開も含めて一冊の単行本としては、かなりクオリティ高い娯楽作品になっている。シリーズ中、一ニを争う完成度ではないだろうか

<以下、ネタバレ気味なので読んでいない人は覚悟してください>


その一方で、シリーズとして考えると各キャラの評価を下げてしまう巻でもあった
まず、ブライトさん
苦心して編み出した策が見事に踏みにじられる展開である。この一件がもし明るみに出れば軍歴に傷レベルの話では済まなくなるだろう。結果的に理想論に走って見込みが甘いと言われても仕方ないわけで、堅実に仕事を積み重ねてきた人の結末としてはあまり可哀想だ
閃ハサのファンとしてもこういう使い方をするのなら出して欲しくはなかった

次にバナージくん
ジンネマンが心の弱い人間であることを察せないのは、どうも迂闊にみえる。前巻、前々巻を見ても散々ぶれてきたオッチャンじゃないか。それを盲信してしまうのは、おっちゃんをまだ「疑似的な父親」として依存しているからなのだ
本巻で、彼は強化人間ではなくニュータイプだと言われるのだが、余りに察しが悪すぎる。背信を確信せずとも、不安は感じて欲しかった。彼の想像力はカイジでいうとカードジャンケン編レベルであり、箱を託せる人間とはとても思えないのである

その宿敵たるフル・フロンタルカリスマ性が感じられない
言っていることは調子いいけど棒読み評価で、ミネバにダメだしを喰らう始末である。一瞬でもこいつは本物ではないかと感じさせてもらいたいところであり、到底アンジェロの股間を熱くする存在には見えない
『ローレライ』の朝倉も気味が悪いだけだったし、この手のキャラは作者の守備範囲外なのだろう

で、諸悪の根源(笑)ともいえるジンネマン
ガランシェールの面々と連邦軍とは呉越同舟でありえない展開ではないのだが、彼が積極的にバナージやミネバの信頼を裏切ってしまうのはなんとも・・・
で、その最後に前巻のようなドラマを再出させるのである。その部分だけを見れば力の入った名シーンだが、前巻、前々巻を読んでしまうと構成ミスとしか思えない
今後の彼の立場って・・・。言いたくないが死に所を誤った感がある

ミネバ、マリーダに関しては横ばいといったところ
ミネバ相変わらずお姫様キャラ全開。フル・フロンタルが下手うったからって、演説は自重して欲しい(笑)
マリーダは今回も人形ぶりを発揮。強化人間は人格をわざと欠落させている、なんて文章もあって寂しすぎる・・・

希望の星は、やはり今回薄かったヘタレコンビだろう
アルベルトリディに叔母との関係を暴露し、自分の中で相対化させる成長ぶりだ。彼が叔母を刺せるか、それとも犬と終わるかが今後の最大の見どころだろう


一冊の小説としては話のテンションも高いし面白いが、連作としてみると少しクビを捻りたくなる巻でしたな続きを読む
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『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』 滝本竜彦

買ったのはだいぶ前だなとは思っていたが、旧ブログを見ると1年以上経っていた・・・
そうやって積んでるだけの本は結構あるし、なんとか消化していきたいのだが

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)
(2004/06)
滝本 竜彦

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オレの一人語りの文体と行きなりの出だしに中身を疑ったが、読んでみればなかなかの作品だった
チョイ悪の落ちこぼれ高校生が謎のチェーンソー男と戦う女子高生に出くわしす。その戦いを続けていくうちに・・・と書いているとこれ以上なく軽い小説に思えるが、実はそれなりの青春小説だったりしたのだ
といっても、単なるボーイ・ミーツ・ガールではなく、むしろ私小説に近いところがある
主人公たる山本陽介、「オレ」は変わった少年だ。何かモチベーションに飢えている。ふわふわと気の抜けた生活を送る自分に焦燥がある。面白いのが彼が少女を助ける動機が、彼女が好きだからではなく、助けるシチュエーションそのものを求めてだということ。まず「シチュエーションありき」なのだ!
チェーンソー男との戦いは危険そのものだが、それに参加するのは居場所が欲しいため。居場所にしては危なすぎて不自然なのだが、彼がその危ない居場所を求めた理由も終盤になって明かされる
それもなかなかショッキングな理由で、それなりの説得力がある
オレ人称のかる~い文体とお馬鹿な下宿生活のおかげで油断させられたが突然ブンガク的な主題を突きつけられてぞくりとした

デビュー作ではあるが、いくつか気になるところもある
まず、謎の女子高生の描写が薄い点だ。実際、どういう娘なのか目に浮かんでこない。ローキックを放つなど行動こそ激しいが、存在感が薄い。いかに「シチュエーションありき」ということでも、体を張って守りたい相手とは思えないのである
中盤以降、彼女とオレの関係は深くなっていくが好きなのかどうか説得力に欠ける。どこに惚れたかというのが見えにく過ぎるのだ
これは小さくない欠陥だ
もう一つはチェーンソー男との決着のつけ方だ。チェーンソー男の正体は小説内で曖昧では彼らの精神と深い関わりがあると暗示されている。果たしてそれを「倒すべき敵」として片付けてしまって良かったのか。それは死んだ友人と同じ道ではなかったのか。すわ、ゲド戦記展開かと思っていたので、拍子抜けしてしまった
正直、あれでなぜハッピーエンドになれたのか釈然としない。それにこの手の敵との戦いに終りはないだろう
ファンタジーの使い方としては村上春樹のセンスと近いところがあって、面白いことは面白い。が、同時に春樹路線のファンタジーの限界も感じてしまった

とはいえ、全体的には楽しませてくれる青春小説だった。オレのお馬鹿ぶりは楽しいし、懐かしい味だ。若い頃は馬鹿だし、馬鹿なことでも楽しいのだ。それをこうも大らかに語っているのは素晴らしい。北海道で育った人の味だろうか
何気に感心したのは、加藤先生の存在。家庭訪問のシーンは若者語りが続く文章の中で異質の輝きがあった。最近の青春ものには親をはじめ障害になる大人が登場せず嘘くさいものが多いが、先生が出てくれたことで俄然リアリティが増した。もう少しオレを苦労させる大人が出てきてくれれば、もっと良かった。主人公の苦労が多くなるほど、物語も輝いてくる
軽い文体から始まるが、中盤以降の流れは非常に緊迫感があって一気に引き込まれてしまった
『NHKにようこそ!』の原作者は意外に腕力がある人だったのだ
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