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【プライム配信】『メッセージ』(2016)

原題は「arrival」には、「到着」とともに「新生児」の意




世界各地に謎の宇宙船が現れた。言語学者のルイーズ・バンクス(=エイミー・アダムス)は、ウェバー大佐(=フォレスト・ウィテカー)に連れられて調査にあたる
黒い“シェル”の中にいる地球外生命体「ヘプタポッド」は、触手から吐かれた墨から彼らの言語が目指されたが、長期戦から各国の世界情勢も逼迫し、宇宙戦争の危機が迫るのだった

かなり不思議な映画だった
『ブレードランナー』の続編に、『デューン 砂の惑星』シリーズドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品で、もとはテッド・チャンの短編小説『あなたの人生の物語』を原作とする
異質な宇宙人が登場するフィクションは、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』しかり、「対立」の関係に発展しやすいが、本作は異質なものへの「読解」と「対話」がテーマとなる
その分、大ダコ星人「ヘプタポッド」の宇宙船との往還が続いて、かなり地味なシーンが続き、他の大作映画に比べてセット代も節約できたんだろうなあ、と違うところに目が行ってしまった(苦笑)
兵士の暴走でC4爆弾が仕掛けられるが、視聴者にとっては助かるアクセント
話をもたせているのは、唐突に挿入される“幻の娘”との回想シーンで、時空を遡行するかのような感覚に惹きつけられる

以降はネタバレになってしまうので、ご注意を
ルイーズが産んでいないはずの娘が出てくるのは、「ヘプタポッド」の表意文字を解読したことに端を発する
タコ星人時間を、直線的に流れるもの(因果論)ではなく、どうなるかが決まっているもの、計画されたもの(目的論)として認識されており、彼らの文字を解読するうちに、ルイーズは(決定された?)未来を見る能力を得た
この能力を駆使して、ルイーズは宇宙戦争勃発の危機を回避してしまい、アニメもびっくりというデウス・エクス・マキナである
ここで問題になるのは、映画の冒頭から赤子を生み、娘が育ち、病に死ぬ場面が描かれるところ
実はこれ、赤子を産んだ時点から、娘との未来を見ているのだ
運命は変えられないものなのか。ラストはハンナと父親となる男に口説かれる場面で終わるが、後の別れを予期して抱きしめ合うシーンは、ハッピーエンドなのに苦さが残る

少し気になるのが、人民解放軍のシャン上将
ルイーズは彼と交渉することで、宇宙戦争の危機を収束するのだが、本来は人民解放軍の将軍を説得してどうにかなるものではない
民主主義国家でも最高司令官は国民の代表であり、中国の人民解放軍だって共産党の強力な統制下にある。説得の対象は、ときの国家主席だか党主席だろう
なんで、間違った考証を通したのかというと、おそらく中国での上映を視野に入れてのことと思われる。フィクションであれ、自国の元首が他国の学者に説得されて靡くというのは、ちょっと許されない
そんな政治的事情により、浪花節で世界が救われたのであった




【映画】『名探偵ポアロ ベネチアの亡霊』(2023)

残暑に怪談


第二次世界大戦の後、ポアロ(=ケネス・ブラナー)は、ヴェネツィアで隠遁生活を送っていた。つきまとう依頼人を追い払うべく、元警官ポルトフォリオ(=リッカルド・スカマルチョ)を雇っていたが、ミステリー作家アリアドニ・オリヴァ(=ティナ・フェイ)をそれをかいくぐってやってきた。近年、ヒット作に恵まれない彼女は、元オペラ歌手のロウィーナ(=ケリー・ライリー)の邸宅で行われる降霊術に招待するが……

原作は『ハロウィーン・パーティ』だが、だいぶ改変されているようだ
序盤は街全体も仮装行列で盛り上がっていて、孤児院の子供たちもロウィーナの屋敷でお祭り騒ぎとなる。元々、仮面舞踏会や仮装行列のカーニバルはヴェネツィア名物だったりするので、アメリカが「ハロウィーンをもちこんだ」という言い方が正しいかは分からない
小説がハロウィーンにちなんだ童話調の作風らしい一方、本作はタイトルのある通り、かつてペストで隔離されて多くの子供が命を落としたという孤児院跡を舞台に、娘の死は亡霊の仕業かそれとも……というモダンホラーとなっているのだ
ロウィーナがなんで、わざわざそんな場所を家にしたかまでは、最後の最後まで分からなんだが(苦笑)

降霊術を行うのが、邪悪とさえ言われる霊能者レイノルズ(=ミシェル・ヨー)
その胡散臭さは『TRICK』を思い起こさせるのだが(笑)、彼女も元は従軍看護婦で様々な死を見てきた。ポアロは弱者を食い物にしていると断じるが、死者の声を伝えて生者を癒やす役目があると動じない
ポアロが世界大戦を前に探偵を引退し、ロウィーナが娘の死から歌えなくなり、医者フィリエ(=ジェイミー・ドーナン)が従軍中に強制収容所を開放し、その惨劇を目撃したことがトラウマになったりと、登場人物のほとんどが暗い過去を背負っている
事件の謎を解くポアロも、期せずして霊能者の役割も果たすことになるのだ
ハリウッド映画ゆえ、アメリカ礼賛の傾向はあるものの、前作のような行き過ぎた配慮は感じず、ベネチアを舞台にした改変がうまく決まった作品でありました




【プライム配信】『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』(2019)

ニッキーとローラは、私生活でもパートナーとか。ごちそうさま




ニッキー・ラーソン(=フィリップ・ラショー)は、表沙汰にできない依頼を解決する街のスイーパー。一年前に亡くした相棒の妹、ローラ(=エロディ・フォンタン)、ドミニク・ルテリエ(=ディディエ・ブルドン)からひと嗅ぎで誰もを魅了する「キューピッドの香水」を守る依頼を引き受けてきた
しかし、その奪取を依頼されたファルコン(=カメル・ゴンフー)と争っているうちに、香水は冴えない男ジルベール(=ジュリアン・アルッティ)の手に渡ってしまう。その効果を知ったジルベール憧れのトップモデルを落とそうとモナコへ旅立つのだった

実写というと、どう外れたかに注目されるのものだが、本作は例外中の例外。アニメ劇場版で有名な喩え、「ラーメン屋へ行ったら、ラーメンが出てきた」を地で行く出来栄えなのだ
ニッキー・ラルソンは、フランスのアニメにおける冴羽獠の名前。香→ローラもそれに準じているようだ(ファルコン→マンモスらしいけど、字幕ではファルコンだった)
作風は原作を忠実に反映したギャグ描写(要所にカラス!)に、ガンアクションは80年代ハリウッド風で、リアリティよりやりたいことを派手にやるといった次第で、CGを上手く使ってお洒落に仕上がっている。ラストの展開には、アニメのあのシーンを思い出させて、主演・脚本・監督まで兼ねたフィリップ・ラショーの愛が伝わってくる
そもそも日本のアクション漫画には、紙上でハリウッド映画を再現することを狙っている部分があるので、もともと親和性が高いのだ

吹替版では、主要キャラが原作の名前となっており、冴羽獠役に山寺宏一香役に沢城みゆきが配されていて、他の海坊主(ファルコン)、槇村、冴子についてはアニメのまま
アニメ版で獠役の神谷明は、おかしな精神分析医と冒頭の病院で手術を受けていたモッコリー市長(!)をあてていて、獠とファルコンに同時に殴られたモッコリー氏は「ひでぶっ!」と叫んでいた(笑)
山ちゃんも美女を覗くシーンには、ずいぶんとはっちゃけていて、字幕版のあとだとアドリブが分かって楽しいのだ
吹替版ではエンドロールに「GET WILD」が流れるし、字幕→吹き替えの二度見が板である


ラーメン屋へ行ったら、ラーメンが出てきた → 【映画】『シティーハンター 新宿プライベート・アイズ』



【プライム配信】『ルック・オブ・サイレンス』

歴史の闇を照らす




1965年のインドネシア9月30日のクーデター未遂から数ヶ月のうちに、100万人とも言われる人々が“共産主義者”と見なされて殺された。なぜ“20世紀最大の虐殺”はいかにして起き、闇に葬られたのか。被害者の弟がインタビューアーとして、加害者たちに迫る

『アクト・オブ・キリング』の姉妹編となるドキュメンタリー
前作の2年後、2014年の公開で撮影した場面によっては、取材対象が前作の内容を知っていたりする
本作は大虐殺の後に生まれたメガネ屋(?)アディが、殺された兄ラムリの真相を追って、加害者やその家族を巡る内容となっている
監督のジョシュア・オッペンハイマーが事前に手配しているものの、直接は姿を現さず、あくまでアディの視点を貫いていて、母親や妻に危険を諭される場面も挿入される
ドキュメントではあるけれど、物語性を意識した構成にもなっている

アディの兄ラムリは、共産主義者とみなされて連れ去られ、川辺で殺された
監督はだいぶ前からインドネシアで取材しているようで、2003年の映像から当事者が誇らしく語る殺しの様子をアディはタブレットで見ている
虐殺の犯人たちは、今となっては地元の有力者となっており、その地位を守るためにも責任を認めようとはしない。「これが政治だ」「国のためにやってんだ」
地方議会の議長は、「再選されている結果が全てだ」と開き直る
ただ、その家族たちとなると、聞かされてなかっただけに複雑の反応を見せる。「過去をほじくり返さないでくれ」と呻く息子もいれば、「父を許して」と謝る娘もいる

実行部隊のリーダーや当時の司令官の話から見えてくるのは、暗殺部隊が明らかに軍の指示で動いていたこと。軍が直接手を下しては、国際社会に騒がれるので、あくまで人民闘争」、住人が勝手にやったこととして、“共産主義者狩り”を遂行させたのだ
もちろん、その中には本物の共産党員だけでなく、労働組合など政府や企業に反抗的な勢力を処断するためであった
今なお、1965年の虐殺を肯定するための反共教育は行われており、6人の将軍の拉致・殺害をインドネシア共産党が残忍な手法で行ったと誇張している(実際の実行犯は大統領親衛隊のウントゥン中佐の部隊)
また、当時は共産主義者が無神論であるばかりでなく、配偶者を交換し合うなどと迷信も流布していた。殺害者の中には正気を保つために、犠牲者の血をすすったという者もいるが、はたしてそれが正気の沙汰なのだろうか。島嶼地帯の閉鎖性、華僑への嫉妬、地方の権益を巡る対立など、様々な要素が入り混じって起こったといえる
この映画で全ての真相が明らかにならないが、加害者とその家族、被害者とその家族が交わり、いかにして過去を明らかにし、それを乗り越えていくのかの、その困難さと希望を示している。関係者のなかには認知症が始まっている者もおり、虐殺は歴史の領域に埋もれかかっていて、記録を残すには今しかないという執念を感じた


加害者視点 → 【プライム配信】『アクト・オブ・キリング』



【プライム配信】『アクト・オブ・キリング』

監督いわく、「まるでホロコーストの40年後にドイツに行ったら、まだナチがいた感覚」



1965年、スカルノ政権下で起きたクーデター未遂事件の後、共産主義者と見なされた100万人の人々が殺された。この“20世紀最大の虐殺”はいかにして起きたのか。生きている加害者に記録映画を演じさせる形で、その実像に迫る!

とんでもないドキュメンタリーだった
2012年公開の作品で、1965年のクーデター未遂後に成立したスハルト政権が崩壊(1998年)した今でも、謎が多い共産主義者狩り”の真相をあぶり出すものなのだが、手法が変わっている
大虐殺の実行犯だった地元ギャング、「プレマン」のリーダー記録映画として当時の状況を再現させ、その撮影風景やプライベートのやり取りをドキュメンタリーとして収めているのだ
プレマンたちにもちかけた記録映画はフェイクであり、作品では彼らの本音や見られたくない場面が容赦なく盛り込まれている
そうした事情からか、地元のスタッフは関係者に狙われないために匿名になっている


1.虐殺の犯人“プレマン”

"共産主義者狩り”の主体であったプレマンは、語源を英語の”Free Man”「自由で束縛されない人」とされ、いわば法で拘束されないアウトロー、ならず者とされる
イタリア系のマフィア、日本のヤクザと発祥は似たような存在のようだが、作品で登場するアンワル・コンゴは、1965年以前は映画館でダフ屋をシノギにしていた
しかし、共産党員の勢いが増して、ハリウッド映画の上映禁止などの運動が起こるとシノギが半減。アンコラたちは反共の民兵組織へと転じていく
1965年のクーデター未遂で、インドネシア共産党がその首謀者とされると、全国で"共産主義者狩り”が勃発。アンコラたちは、商売の邪魔をする共産主義者ばかりか、華僑たちも強請り、金がとれない場合は共産主義者として処断した
そうした対象のリスト作りに、地元の新聞社が協力しており、「私のウィンクひとつで、彼らは死ぬ」と発行人は嘯く


2.民兵組織と賄賂文化

民兵となった「プレマン」たちは民主化したインドネシアにおいても、隠然とした力を持つ
最大の民兵組織で、全国300万人のメンバーを抱えるバンチャシラ青年団は、法に束縛されない“自由人”として、当時の副大統領ユスフ・カーラ、州知事らを輩出し、時の政権と密着し続けている
社会の側にも問題はあって、劇中作のなかで女装に興じた民兵のヘルマン・コトは、要請を受けて選挙に出るのだが、街頭で握手していくと、「ボーナスはないの?」とおねだりされる。お金か物を贈らないと、集会にも来ないし投票してもらえないのだ
政治家の側もその権力を濫用して、庶民から金を引き出すことしか考えていない。アンワルいわく、「ネクタイをした泥棒」なのだ


3.表現による裁き

と非常に救いのない話なのだが、撮影を続けるうちにアンワルたちにも変化が見られる
“共産主義者”を針金で絞殺したことをきっかけに、悪夢を見るようになっていたアンワルは、いろんな殺し方をしたと告白し、自らが共産主義者を演じて拷問、絞殺される場面の後には、「自分も報いを受けるのだろうか」と泣く。そして、ラストで絞殺の現場にいた際に吐き気を催すのだった(撮影の時系列は不明)
こうして犯人を精神的に追い詰めるのも、製作者側の狙いではないだろうか
外部からの倫理を突きつけられると、虐殺に関与した人間も開き直るにしても動揺は隠せない
インドネシア政府もアカデミー賞ノミネート後に、「1965年の虐殺は間違いであった。実行犯を嫌悪する」と公式に声明を出した


虐殺の実行犯の一人の、「殺人は本来、許されないことだ。だから何かで罪悪感を拭う必要がある」という言葉は、不気味ながら深層を突いている
本作はこのように現場にいた人間の、生々しい感覚を伝えているが、あくまで特定の人間から見た光景であって、なぜにそれが100万人もの命を奪うに至ったかについて、やはり謎を残している
同じ監督によって、被害者視点で撮られた姉妹作『ルック・オブ・サイレンス』も見る予定であります


被害者視点 → 【プライム配信】『ルック・オブ・サイレンス』



【プライム配信】『ブルース・ブラザーズ』(1980)

映画はお祭りだ




ジェイク(=ジョン・ベルーシ)は、強盗を働き3年の刑期を終えて出所した。出迎えた弟エルウッド(=ダン・エイクロイド)と、世話になった孤児院の院長“ペンギン”(=キャスリーン・フリーマン)へ挨拶に行く
しかし、立ち退き話の援助を申し出ると汚い金は受けられないと拒否される。2人は管理人であるカーティス(=キャブ・キャロウェイ)に、クリオウファス牧師(=ジェームス・ブラウン)へ会いに行けと言われるが……

70年代から続くアメリカの人気番組『サタデー・ナイト・ライブ』から飛び出したコメディミュージカル
サングラスの二人組ジェームス・ブラウンだけが記憶に残っていたけど、見直すと想像以上にゴージャスだった
盲目の店長演じるレイ・チャールズが万引きにきた少年に銃をぶっ放すとか、ギタリストを誘いに来たら、嫁(=アレサ・フランクリン)が踊り歌って、本当に止めてるんだか分からないとか、ミュージカル映画らしいところがある一方、愛車ブルースモービル警察、ナオネチ、カントリーバンドに追われるとなどコメディにとどまらず、アクション満載の作品なのだ!!!

驚くのは、この年代ならではというか、過剰なほどカーアクションに力入れているところ
出演者が体を張っている感じないのだが(苦笑)、エルウッドが免停中を咎められて警察に追われるところなど、商店街を壁ごと突破して暴れまくり
京都ローカルな喩えでいうと、寺町通りをぶち抜いているイメージだろうか
終盤、納税に向かうブラザーズを追跡するパトカーの数は恐ろしく、追突事故で残骸の山ができる!
CGなしでコレをやっちまうのだから、とんでもない
市役所前のシーンでは、エキストラのなかに本当の警察官や州軍兵士も加わったというから、いやはや

冒頭の仮釈放シーンにヨーダ役のフランク・オズジェイクを狙う謎の女キャリー・フィッシャーとスター・ウォーズの2人に、孤児院の納税手続きの役人がスピルバーグミニ・スカブームで有名なツイッギーまでひょっこり出てきて、いろいろ満腹になる映画なのであった




【DVD】『イヴの総て』(1950)

ダブルヒロイン扱いで、アカデミー主演女優賞を逃したそうな




ブロードウェイの大女優マーゴ・チャニング(=ベティ・デイヴィス)を追いかけていた女優志望のイヴ(=アン・バクスター)は、脚本家ロイド(=ヒュー・マーロウ)妻カレン(=セレステ・ホルム)に気づかれ、マーゴの楽屋へ連れられる。戦争で夫をなくしたというイヴの話にマーゴは涙し、自分の付き人として雇うのだが……

『サンセット大通り』とオスカーを分け合ったという作品
こちらは演劇界、ブロードウェイの裏側を描いた業界物で、手段を選ばず這い上がろうとするイヴが、マーゴの付き人という立場を利用して関係者と付き合い、のし上がっていく姿を描いている
冒頭に演劇界最高の賞であるセイラ・シドンス賞(架空)の授賞式があり、トロフィーが渡される瞬間にストップ、ここからそこに至るまでの半年間を振り返っていく
それはすべて関係者の視点からで、いろんな角度からイヴという“怪物”の正体が明らかになっていくのだ

当初のイヴはマーゴの崇拝者を演じる。何から何までマーゴの考える先を読んで行動し、その機嫌をとりつつ関係者の支持を得ていく
しかし話が進むごとに、徐々に本性が。マーゴそっちのけでその代役の話を進め、マーゴがドライブ先のトラブルで出られなくなると、見事に代役を演じて一部に好評を博す
そして、いつの間にやら脚本家のロイドを篭絡し、マーゴ向けに書かれた芝居の主演を射止めるなど、どこかの戦国大名みたいに恩人の立場を奪ってしまうのだ
世代交代は世の常だが、積極的に仕掛けるイヴには、見た目とのギャップから戦慄すら覚える

終盤、トロフィーをもらったところで終わると思いきや、そこから先がこの作品の凄いところ。イヴが自分の部屋に帰ってくると、いつの間にやら演劇部の女子高生が忍び込んでいた
そして、イヴに甲斐甲斐しく仕え始めるが、関係者の名前を来る前に知っているとか、これまたとんでもない玉。大女優然にタバコをスパスパ吸うイヴに、鏡の前でその衣装をまとってトロフィーを持つ女の子という構図は、序盤のマーゴとイヴそのもので、生き馬の目を抜く歴史が繰り返されることを暗示している
実際に、新人女優役にマリリン・モンローが出ていて、本作の跡に躍進していったことも、映画に華を添えたといえよう


関連記事 【DVD】『サンセット大通り』

【DVD】『ローラ殺人事件』(1944)

こんな美人が最後まで出て来ないはずもなく





美貌で評判のコピーライター、ローラ・ハント(=ジーン・ティアニー)が散弾銃で頭を吹き飛ばされて殺された。ニューヨークの殺人課刑事マクファーソン(=ダナ・アンドリュース)は、ローラの後援者だった著名な作家ウォルド・ライデッカー(=クリフトン・ウェッブ)、結婚直前だった婚約者シェルビー・カーペンターズ(=ヴィンセント・プライス)らと会い、彼女が広告業界で階段を登る過程を知るが、同時に絵に飾られた“幻のローラ”に惚れ込んでいく

タイトル的に外せないと思って(笑)
冒頭はウォルドの独白から始まり、マクファーソン刑事が訪ねてくる。戦前の映画らしく、テンポのよい台詞回しでさくさくと進むから、1時間28分の尺でも展開に起伏がある
ローラを巡るサスペンスでありながら、マクファーソン刑事、パトロンのウォルド、婚約者シェルビーが、それぞれローラという存在に魅せられて振り回されていくラブストーリーにもなっている
登場人物がお互いを気遣って、事件の解決を困難していくところなどが巧みで、最後までハラハラさせられた

はたして、『ツイン・ピークス』に影響があったのかだが、これはわからん(笑)
WIKIを読んだところ、アカデミー賞にも多数ノミネートされ、40年代のフィルム・ノワールのなかでも特にカルト的評価が高い作品らしい。知っている人は知っている名作なのだ
原題はシンプルに『Laura』で、冒頭に美女が死んでいるというのは(顔が吹き飛んでいますけど)、何らかのインパクトを残したかもしれない
ローラが男どもを虜にする”ファム・ファタルであり、業界の父的存在であるウォルドと離れようとしていたという構図も、なにかの因果を感じなくもない


関連記事 【DVD】『ツイン・ピークス シーズン1』 序章・EP1

【DVD】『パヒューム ある人殺しの物語』(2006)

さすがにモデルはいない模様




18世紀のフランス。ある男が連続殺人の罪で裁かれようとしていた。その男、ジャン・パティスト・グルヌイユ(=ベン・ウィショー)は、1737年のパリ、魚市場で産み落とされた。孤児院で拾われた彼は、13歳になったときに皮なめし職人へ売られ、商品の運び手としてパリの街を知る。匂いに対する異常な感覚と執着を持つ彼は、果物を売る少女(=カロリーネ・ヘルフルト)を追いかけ、勢い余って殺してしまう。その時に嗅いだ匂いを再現・保存すべく、香水職人のバルディーニ(=ダスティン・ホフマン)に弟子入りするが……

なかなかにぶったまげた物語だった
映画は2006年公開(日本は2007年)ながら、原作の小説は1985年発売で、本国のドイツで大ベストセラーとなり、全世界でも1500万部売れ、1987年に世界幻想文学大賞を受賞と、かなり有名な作品なのだ
しかし、原作者はキューブリックかミロス・フォアマンでないと作品世界を再現できないとして、映画化の権利を得るのに時間がかかったようだ
さて、作品はというと、究極の香水を作るために女性を狩るという殺人鬼を主人公に据えたクライム・サスペンス。ただその目的を達成するために行動し、とんでもない事件を巻き起こしていく
そして、冒頭のシーンにもどって処刑されて幕……というのが、普通の作品なのだが、ここから斜め上へハッテンしちゃうのが本作の本当にたまげるところよ!
原作再現なのだけど、これは映画から観て正解だった

ヨーロッパ映画だけあって、18世紀のパリや地方都市への考証がしっかりしている
主人公が育った魚市場の残飯に群がる蛆やネズミ、過酷な孤児院での環境と腐敗、平均寿命5年という皮なめし職人の現場、橋の中になるバルディーニの作業場と、非常に臨場感があって眺めているだけで心が沸き立つ
強力な嗅覚だけを尖らせて、人と交わらないヴィランが生まれる背景としても、説得力が出てくるのだ
クライマックスへ近づくに連れ、主人公が超人化していくように観えてしまうが、小説だと香水の街グラースにたどり着く前に、殺しの役に立ったり、相手の印象を変えたりする香水を編み出していたらしい。割愛で生まれる飛躍もまた、本作の持ち味といえよう
クライマックスの狂乱の現場において、すべての人間を下したものの、同時に果物売りの少女に求めていた自分の感情を発見し、そこへたどり着くことは永遠にないと知って涙を流す。なんら共感を呼ばない主人公が、人間にもどった一瞬であったろうか
ラストは……凄惨な聖餐って感じですかねえ。やりたい放題でも、ここまでぶっ飛ぶとどこか爽快感すらある。そんな危うい作品だった


原作小説 『香水 ある人殺しの物語』


アイドルグループは関係ない

【DVD】『ストレイト・ストーリー』(1999)

モデルの御本人は連載の2年後に死去




娘のローズ(=シシー・スペイセク)と二人暮らしの老人アルヴィン・ストレイト(=リチャード・ファーンズワース)は、腰が悪く倒れても1人で立ち上がることもできない。ある嵐の夜、10年前に絶縁した兄ライル(=ハリー・ディーン・スタントン)が倒れたという知らせを聞く。車を運転できないアルヴィンは一念発起し、芝刈り機を改造して荷物を引っ張るトラクターとし、500キロ先のウィスコンシン州マウント・ザイオンを目指す旅へ出る

1994年にニューヨーク・タイムズで連載されていた、実話をもとにした映画
タイトルは実名主人公の名前からだけど、構成もストレートなロード・ムーヴィーとなっている
仲違いした兄と会いに行く旅で、妊娠して家出した女の子、通勤でやたら鹿に当てられてしまう女性、自転車のイベントに参加した若者たちなど、道行く人と出会い、会話のなかで相手の身の上に触れ、自らの長い人生の中の出来事を語る
ロード・ムーヴィーに求められることが、素直に盛り込まれているのだ

あれほど奇をてらった作品を撮る監督が、なぜこんな普通の作品(!)を作ったかというと、これも一種のバランス感覚ではないだろうか
『ツイン・ピークス』の中でも、奇怪な事件を扱う一方で、地域の美しい自然変わっているが根は素朴な人々への愛が感じられた
本作でも主人公のアルヴィンは、500キロの道のりをわざわざ芝刈り機を改造した車でひと月以上かけて、兄を訪ねに行く頑固者。兄と自分の健康状態を考えると、一刻も早く会うためには自動車に乗せてもらって行くのが常識というものだろう
しかし、仲違いした兄に謝罪の姿勢を示すために、時速8キロのトラクターで山川越えて会いにいってしまう。愛すべき変人なのである
娘のローズもまた、吃音症をもつ少し変わった女性。4人の子供がいたのに、友人に預けた際に火事に巻き込まれてしまった時に、役所の判断で子供を施設に取り上げられてしまったという
こうした普通という言葉の中に収まらない個性、社会から弾かれそうな変わり者への優しさは、リンチの作品に共通するところだろう

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