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『戦争にチャンスを与えよ』 エドワード・ルトワック

徳川家康を希代の戦略家として、高く評価


戦争にチャンスを与えよ (文春新書)
エドワード ルトワック
文藝春秋
売り上げランキング: 453


紛争地で下手な停戦は命取り。現代での戦争の必要性を問う異色の書
著者は別に戦争好きではない。ルーマニアのトランシルヴァニア地方でユダヤ人として生を受けながら、イギリス軍で軍隊を経験し、アメリカなど各国の大学で博士号をとるプロの「戦略家」である
本書はいくつかの論文とインタビュー(?)をまとめたものだが、シリア情勢やISに対しての戦略に、尖閣諸島をめぐる中国と日本北方領土問題を抱えるロシアと日本の問題に触れられていて、日本人向けの内容となっている
ユダヤ人だけあってイスラエルの体制と国民を理想的な国民国家とし、「男は優れた戦士に憧れ」「女は強い戦士を好む」という「戦士の文化」を称揚するなど(ハインラインかよ!)、すがすがしいほどのマッチョぶりには引くものの、生易しい人道主義を退けて冷徹な紛争地の力学を容赦なく語ってくれる

著者の持論は、「政治」は「戦闘」に勝り、「政治」は「戦略」が規定する。そして、「戦略」のレベルでは平時の常識が反転する「パラドキシカル・ロジック」(逆説的論理)がものをいうだ
第二次大戦のドイツ軍は、その末期においても三倍の連合軍と互角に戦えたが、敵が多すぎてどうにもならなかった。直近の「戦闘」で強くとも、周囲に敵を抱える「戦略」で敗北しているからだ
その「戦略」の法則に関わる「パラドキシカル・ロジック」とは、戦争が平和を呼び、平和が戦争を呼ぶ原因になるという。なぜならば、すべてのものには「限界点」があって、例えばアメリカで弱腰の政権が続き過ぎれば、相対的に中国のパワーが増大し、ロシアは好むと好まざるに関わらず中国に近づかざえるえなくなり、パワーバランスが崩れてしまう
なんだ「過ぎたるは及ばざるが如し」かと思いきや、氏によるとそれだけではない。「戦略」の法則では、ドイツ軍がいくら細かい戦闘で勝利しても最終的に負けたように、「成果を積み重ねることができない」、そして、正面からの決戦ではなく相手の不意を衝く「奇襲・詭道(マニューバー)を絶えず狙うべし」とか、いろんな法則がある
まさに〝孫子の兵法”で、この一冊の、一章では語りきれるものではなく、詳しくは他の著作を当たるしかないようだ

著者は実地で軍務を経験しただけあって、イデオロギーや政治用語をあまり使わない。ベースはギリシアの古典時代に始まる欧米の歴史だ
特に千年続いた特別な帝国、ビザンチン帝国の「戦略」は読みごたえがある
「戦争は可能な限り避けよ。ただし、いかなる時にも戦争が始められるように行動せよ。訓練を怠ってはならず、常に戦争準備を整えておくべきだが、実際に戦争そのものを望んではならない。戦争準備の最大の目的は、戦争開始を余儀なくされる確率を減らすことにある」。なんだか、山本五十六の言葉を思い出させる
「戦略」で勝利を収めるために、同盟国の存在を重要視する。外交は戦略そのものといってもいい。「戦争」よりも、政権転覆」が勝利への安上がりの手段として薦める
大事なのは、こうした「戦略」のために安易な人道主義にこだわらないことだ。ISを倒したいなら、アサド政権を認めるか、圧倒的な武力で短期間で制圧するか、この点において、どっちづかずのオバマ政権を手厳しく批判する
センセーショナルな表題も、受け狙いの理想主義から国連・NGO・外国の介入がかえって紛争の長期化を招くことを批判したものだ。著者自身は「戦争」を一度始めてしまったら簡単に終われないことを肌で知っており、だからこそ途中で中断させるだけの〝生地獄”を警告している
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『ラブホテル進化論』 金益見

世界に冠たるラブホ


ラブホテル進化論 (文春新書)
文藝春秋 (2012-09-20)
売り上げランキング: 94,263


ラブホテルは世界に誇るべき文化である!! 日本独特の宿泊施設であるラブホの特徴と変遷をフィールドワークで追う
スマフォの記事に美人研究者がラブホを追究とあったので、つい買ってしまった(苦笑)
現役の女子大生の頃から研究を始めていて、本書が出版されたのは2008年。著者の実年齢が、実は管理人と同世代というオチ(?)はあったが、そんなことはどうでもいい
本書では戦後に始まるラブホテルの歴史を、その誕生からサービスと形態の多様化、世間や法律との軋轢、新しい時代への対応を、先人の研究を参照しつつも当事者の証言を丹念に拾い集めて活写しているのだ
著者はラブホの経営者に在日外国人が多いのではと想定していたそうだが、実際には他府県から都市部へ進出した実業家や地元の農家など、多種多様な履歴の持ち主が多く、意外と開かれた業界であることを明らかにしている
特異な進化をとげたラブホテルは世界から注目を集め、今や日本のおもてなし文化の一角なのである

ラブホテルは、戦後のいわゆる連れ込み宿として始まった
当時の家庭は平屋の大所帯であり、夫婦がエッチするにも屏風をひとつ隔てるしかなかった。焼け跡時代はカップルの〝青姦”も普通であり、「連れ込み宿」の需要は非常に高かった
高度成長期の70年代には自動車の普及とあいまって、郊外にアメリカ発のモーテルが雨後の筍のように出現する。広い大陸のアメリカではまさに旅の宿だが、日本のモーテルにはカップルが殺到した
やがてモーテルは宣伝のために派手に装飾したラブホテルへと〝発展”、互いの競争から室内の演出も進化を遂げて、浴室を覗く隠し鏡、回転や震動するベッドが登場した。ベッドのなかには、天井が開いてプラネタリウムとなるものや、10メートル前後しながら欧州の車窓が映しださえるオリエンタルエクスプレス・ベッドまで生み出された
いわゆる〝いやらしい”ラブホテルのイメージは、この頃に確立された

しかし郊外のラブホテルも、近くの住人には評判が悪かった
政府もラブホテルが違法な風俗営業に使われる怖れから、1985年2月13日に「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(新風営法)において、「店舗型性風俗」に位置付けられた。これによって、厚生省が管理していたラブホテルは警察の管理下に置かれることになる
風俗という枠組みに入ったことで、地域制限や広告規制の対象となり、立ち入り調査も拒めなくなった。そこでホテル側は煽情的なベッドや仕掛けを取り除くことで、規制を逃れる動きが生まれた。そもそもセックスを煽る演出は男側へのサービスであり、女性への配慮が欠けていて時代にそぐわなくなっていた
ラブホテルが多機能なレジャーホテルへと変貌する転機は、一般の情報誌に取り上げられることによって加速した。1994年「ぴあ関西版」において、夜遊びスポットとして取り上げられ、1995年に「行列のできる♡ホテル」というラブホ特集が組まれた
今では単なるセックススポットではなく、二人だけの空間を楽しむ最新のレジャー空間として進歩を続けている。現代のラブホはかつての‟いやらしい”だけのものではない
こうした多機能化の一方で、ホテトルなどの性風俗に特化するホテルも存在していて、ラブホ業界にも二極化が進んでいるそうだ
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『原理主義とは何か』 西谷修 鵜飼哲 港千尋

ガンダムでいうと、Vガンあたりにつながる話です


原理主義とは何か
原理主義とは何か
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西谷 修
河出書房新社
売り上げランキング: 779,418


冷戦以後、世界は原理主義化している!? 三人の知識人が問う原理主義の正体
本書の鼎談は1995年・1996年の季刊誌『文藝』が初出。ちょうどオウム真理教の事件があったときで、ボスニア・ヘルツェゴビナやアルジェリアの内戦が議題に上っている
2001年の9・11後に「原理主義」を目の仇にして論ずる声は高まったが、本書ではそれ以前の様々な地域から、「原理主義」の出自や内実を視野に捉えることでより深く掘り下げられた議論が展開されている
原理主義は冷戦以後に、社会主義など近代国家を支えるイデオロギーが没落したことで、「宗教」がその代替物として浮上、アフリカや中東など欧米諸国が引いた国境で「民族」が分断された地域で台頭するものというのが一般的な理解だが、それのみに留まらない。実は相手を「原理主義」と非難する側も原理主義化している
冷戦以後、世界に壁はなくなり、タリバンやISは「外部」にいるわけではなく、原理主義は対岸の火事ではないのだ
単に政治的状況だけではなく、近代が終わることによる「死」と「生命」の意味の変化、それに対する原理主義的な社会の反応、そして原理主義の嵐を免れる処方箋を探ったりと、お腹ならぬ頭がいっぱいになる鼎談である

正直言って話される内容も参照される事例も、管理人の手に余る難解さなんだが、なんとか分かる部分だけでもまとめてみよう
冒頭に提起されるのは、冷戦が終わって1930年代に状況が近づいてきたということ。ボスニアにおける民族浄化が、単なる兵士の暴走ではなく旧共産の官僚組織による計画的犯罪であったことが念頭にある
核が角突き合わせる状況によって固定化していた問題が、冷戦終結によって再び表舞台に動き出し始めた
そもそも旧植民地からの独立した国にとって、資本主義諸国は帝国主義の元宗主国であり本来は戦うべき相手。反欧米のナショナリズムは、ソ連の支援とも結びついて社会主義が抵抗のイデオロギーとなっていた。日本でも「反米」をキーワードに、右翼と左翼が結びつく事例があり、左翼の背景にはナショナリズムが隠れている

冷戦の崩壊により社会主義の正当性が崩れて、宗教が代替物として浮上するが、実は先進国においても近代国家の枠組みが揺らいで、一種の宗教がそれを補うように役割を果たしている
欧米を範とする近代国家はキリスト教社会を母胎とするため、必然的にキリスト教を原型として背負う。政教分離も世俗と宗教を区分けしただけで宗教を消し去ったわけではなく、「信教の自由」も“ヴォルテールの寛容”、キリスト教社会内の寛容に過ぎない
鼎談では、ヨーロッパ社会内のムスリムには「世俗化」した社会も、キリスト教の変型にしか見えず、反発を招いているとする。一方、世俗化した欧州の反イスラムの動きも、原理主義的になっている(関連文献:『シャルリとは誰か?』
そして旧植民地の原理主義も、実は欧米が持ち込んだ近代国家の世俗性を基盤にした政治集団であり、イスラムであれヒンドゥーであれ伝統的なコミュニティを自己破壊していく。タリバンにしろISにしろ、伝統から飛躍した過激さを持ち、粗雑ながら官僚組織を築いて国家を志向していた
その意味で原理主義は、冷戦後に一つになった世界で浸透しきった欧米型近代の余波でありグローバリゼーションの産物なのである

では、日本における原理主義とは何だろうか
日本では政教分離が掲げられつつも、宗教を半ば手段にして政治的な動きをすることが平然と行われてきた社会」(鵜飼)であり、本書が出版された当時では、創価学会を味方につけた新進党が参院選で自民党の得票数を上回っていた
今では自民党が学会と連結する形で、第二次安倍政権を長期化させており、民進党サイドは反学会の宗教連合でそれに対抗している
20年前から宗教勢力とひっつかないと選挙に勝てないという、宗教の時代に突入していたのだ
そして、オウム真理教も、1990年に衆院選挙に打って出ていた。最近だと、幸福の科学が2009年に幸福実現党を結成している
近代国家の枠が揺らぐなか、宗教が国家を利用するのか、国家が宗教を利用しているのか判然としないが、安保法制、九条改憲、対テロ等準備罪などを巡るごり押しと頭から絶対反対が対峙する政治状況は、たしかに原理主義的である


関連記事 『シャルリとは誰か?』
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『中国共産党の経済政策』 柴田聡 長谷川貴弘

引き返せない依存関係


中国共産党の経済政策 (講談社現代新書)
柴田 聡 長谷川 貴弘
講談社
売り上げランキング: 448,663


中共の習近平政権が狙う経済戦略とは、いったいどんなものなのか。中国の日本大使館で勤務した著者二人が、その政策と経済可能性を探る
中国批判の漫画の次は、冷静に中国経済を分析した本を手にとってみた
作者は在中国日本大使館に四年間の長期に渡って勤務した財務官僚と、調査員として在籍した大学講師で、実際の中国当局との折衝や実地における調査、統計の分析から、日本にとっての中国経済の魅力が語られている。政治については、今の政治体制でいいのか、とかそういう政治の是非には切り込まず、あくまで将来の見通しや日本への影響に留まる
自分の仕事に関しては手前味噌な部分はあるものの、中国側の論理に飲み込まれておらず、日本の官僚として独特のお国柄にどう対応するか、実践的な姿勢である
出版が2012年と習近平の党総書記就任間もない時期であり、今では本書で期待されている李克強首相の辞任説が飛び交うとか、あての外れた部分はあるものの、マクロの分析は現代中国の本質を突いたものだ

中共の体制の特徴は、一党独裁による「経政一致。他の大国とは違い、“党”が政府に優越し、日本の内閣にあたる国務院の首相より党の総書記のほうが序列は上。人民解放軍は党の統率を受けるし、司法も党の影響下にある
そうした一元的支配の体制では、危機に応じて強いトップダウンの政策がとれる。2008年のリーマンショックに対しては、短い期間で四兆元という巨大な内需拡大政策をまとめあげ、国有企業を動員した証券市場の買い支え国有銀行への公的資金注入など、日本なら国会審議などで要する手間を飛ばして、党→政府の決定だけで実行できてしまう
危機に応じて強みを発揮する「経政一致」の体制も、政府の政策を中央銀行が掣肘できないことにもつながる。この内需拡大政策も古い生産設備を更新できないなど構造改革に遅れをもたらしたり、さらなる不動産バブルを生んで庶民から持ち家が遠くなるなど、ひとつのベクトルだけの政策は副作用も大きい

成長率が6%台に落ち着いてきた中国経済は、今後どうなっていくのか
一人っ子政策による少子高齢化の進展や、農村から都市への労働力の流入が一息ついてきたのは、確かに経済成長の足枷になる
外国からの投資や公共投資に集めて成長率を作る「粗放型経済」には限界があり、中国政府も「量」から「質」への転換を旗振りする。しかし依然として外国の大企業との合弁会社で輸出に依存する経済であり、ドコモにスマートフォンを供給する「華為」などの例外を除いて中国自前の世界企業を生み出せていない
政府が後押しした製造業はともかくも、極めて強い統制下にある金融・保険商品、首都・北京すら覆う大気汚染交通インフラの貧弱さから来る大渋滞など、庶民の生活に直結する民生分野においては、多くの問題が残っている。GDP世界第1位に迫る経済大国であると同時に、一人当たりのGDPはタイやジャマイカと同等という開発途上国の側面を持っているのだ

逆にそれだけ未成熟の部分が残ってなお成長し続けていることは、中国の発展の可能性を示すものでもあり、日本が入り込む余地の大きさを示すものでもある
また、地方の格差が巨大なのも大陸国家・中国の特徴であり、基本的なインフラが未整備な内陸部では、公共投資型経済も有用になる。多角的な視点で中国にフロンティアを探すことが、日本経済躍進の礎となる。両国のつながりはすでに、政治的な対立から他へ置き換えられないレベルに進んでしまっているのだ
著者が掲げる日本側の課題は、大使館と本土政府の温度差。欧米諸国は自国の大企業を後押ししているのに対して、日本は肩入れ批判を恐れてあまり相談に乗らず、他国に差をつけられている。内外一体となった支援が成否を分けるのである


チャイナ・インパクト
柴田 聡
中央公論新社
売り上げランキング: 329,653
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『不屈の棋士』 大川慎太郎

インタビューした時期は2015~2016年、第1回電王戦が始まる前。もちろん、スマフォ遠隔問題は一切出てこない


不屈の棋士 (講談社現代新書)
大川 慎太郎
講談社
売り上げランキング: 60,511


人間を凌駕するソフトの登場にプロ棋士たちは、どう立ち向かうのか。11人の棋士たちへのインタビュー
登場する棋士は羽生善治、渡辺明、勝又清和、西尾明、千田翔太、山崎隆之、村山慈明、森内俊之、糸谷哲郎、佐藤康光、行方尚史、とそのまま棋界の代表者といっていい錚々たる顔ぶれ。タイトルホルダー、ソフトを前向きに活用する者、電王戦経験者、ソフトを敬遠する者、とそれぞれと違った立場で電王戦の衝撃、ソフトの評価、棋界の将来を語っている
将棋界のど真ん中にいる人たちながら、その語り口はざっくばらんである。羽生こそ第一人者という立場から慎重であるものの、個人の感覚、考えについては信じられないほど率直に明かされる。プロ棋士はひとりひとりが個人事業主であり、勝ち負けに関してはきわめて合理主義者なのだ
著者は古くから将棋村にいる人ではない分、よく悪くも容赦なく答えを引き出していて、オブラートの少ない濃厚なインタビュー集にしている

将棋棋士はソフトの強さをどう評価しているのか
羽生三冠と佐藤九段は立場上(あるいは信条)から人間のトッププロを越えたとは言わないものの、ほとんどの棋士は認めている
「教授」こと勝又清和六段は、第2回将棋電王戦の三浦弘行‐GPS戦をひとつの決着戦と見る。ただし、人間のなかで羽生だけはレーティングで抜けた存在であるとして、その優劣を留保している
電王戦におけるプロ棋士側の勝利に関しても、永瀬拓矢六段を除き事前の研究によるものが大きいとする。特に斎藤慎太郎七段(当時五段)は普通に戦っているようで、穴熊を目指すことでソフトの人間側への評価関数を上げて暴れさせる、水平線効果を狙っていた。しかも自ら長考することで、相手に深読みさせるという高度な戦略をとっていた
「教授」は(まだ第1回の候補者が決まっていない段階だが)準タイトル戦の電王戦が第一期で、終わってもおかしくないと言い切っていた。くしくも今年、天彦名人が人間側の代表として登場したことで、電王戦は幕を閉じることとなる

ソフト開発者が研究を続け、ハードの性能が上がっていく限り、ソフトの力が人間を上回るのは必然だった。ソフトがプロ棋士に追いつき、追い越したとき、棋士はその現実にどう向き合っていくべきか。それはAIの向上と普及で、大きな社会変化にさらされるだるう一般人にも、無視できないテーマである
千田翔太五段、西尾明六段は終盤のみならず、序中盤の研究にもソフトを使用する。西尾六段の話では、チェスの世界では、グランドマスターがハンデをもらってソフトに挑戦する段階に達しており、ソフトによる研究は当たり前。世界戦の前に最新ソフトのアップグレードを相手に妨害される事案も発生しているという
もっとも、ソフト相手だけと指して、登りつめる人間はまだ出てきていないらしい
そのほかの棋士は意外なほどソフトを研究や対戦相手には活用していなかった。序盤がカオスで、中盤の評価値は利用しづらく、間違い合う人間同士の勝負ではあてにしづらいのだ。ただ、すでに奨励会員にはソフトの使用者が多く、とあるソフトを入手したことで大きく飛躍した成功者もいるので、時間の問題かもしれない
各棋士が警戒するのは、ソフトで考えることを節約してしまって、棋士としての“脳力”を落とすこと。高度なAIは人類にとって、禁断の果実なのか
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『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』 島田裕巳

タイトルは多少、偽りあり


浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)
島田 裕巳
幻冬舎
売り上げランキング: 38,849


普段は意識しないのに葬式になると、急に気になる自分の宗派。仏教の八大宗派が生まれた歴史を紹介する
著者はオウム事件のときに袋叩きにあった宗教学者である。そののオウム擁護はともかくも、本書では日本の仏教がどのように発展し、今ある宗派が生まれてきたかを分かりやすく解説している
新書一冊でそれぞれの教えの中身を語るには当然、限界があり、どちらかというと仏教の通史のような内容だ
聖徳太子から最澄・空海の時代まで、仏教は当時の中国王朝での流行に強い影響を受けていて、日本の仏教としての特徴が出るのは草木すら成仏するという「草木成仏を背景にもつ浄土教が広まってから。「草木成仏」の思想は、念仏や題目だけで救済されうるという浄土宗・浄土真宗、日蓮宗の在家重視の宗派が、中世の庶民へ広まっていった
また「草木成仏」の宗教観は、宗教の帰属意識を持たない無宗教につながっているとも

葬式のときに坊主を呼ぶ、「葬式仏教」という形式を作ったのは、どこの宗派か。それは意外にも、曹洞宗である。曹洞宗というと、臨済宗と並ぶ禅宗であり、鎌倉仏教のひとつと学校では習ったものだ
開祖とされる道元は、禅の修業にこだわって比叡山から迫害を受けたとされるが、中興の祖である瑩山紹瑾は、加持祈祷などの密教要素を取り入れ、現世利益への関心が高い武家を取り込んだ。さらに修行中になくなった雲水(修行僧)を弔う儀式を在家信者にもあてはめ、死後に出家させ戒名を授ける「葬式仏教を確立していく
仏教が日本人の死後の問題に関わるのは、浄土教信仰が広まってからだが、遺族による故人の供養へ乗り出したことにより、曹洞宗は全国的に広まっていく。いちはやく基盤を築いた曹洞宗は、全国のコンビニより多い寺院数を誇り、駒沢大学、東北福祉大学など数多くの大学や短大を開設しているのだ
こうした「葬式仏教」の形式は、ほかの宗派にも受け継がれ、教団を支える資金源となっていった

仏教系の学校に出ておきながら、本書からは今さら知る常識も多い
白河上皇の歌にも残る、比叡山延暦寺が権勢を誇ったのは有名だが、奈良時代からの歴史を誇る南都六宗もまた興福寺を中心に、大和国(現・奈良県)の荘園をほぼ所有していて、室町時代には守護も兼ねる宗教王国を為していたという
管理人が初詣に行く八坂神社=祇園社叡山の影響下であり、世界遺産の清水寺は興福寺の末寺と、「南都北嶺」と両者は並ぶ称される関係にあったのだ
織田信長が大仏を焼いた松永久秀を登用したのも、興福寺対策があったのかもしれない

新興宗教に関しては、創価学会と日蓮宗の関係が取り上げられている
本来、日蓮は法華経を重んじるという天台宗の方針をラディカルに守ることからスタートしていて、他の宗派に激しく論争をしかける「折伏」のイメージで知られるものの、徐々に密教的要素を取り込んで庶民へと浸透していく
近代になると田中智学皇国史観と日蓮信仰を合体させた「日蓮運動」を起こし、満州事変を起こす石原莞爾作家・宮沢賢治など多くの信奉者を生む。大東亜共栄圏のスローガンとなった八紘一宇も田中智学が提唱した
田中は天皇が法華信仰を持つことで「国立戒壇」が建立され、「広宣流布」が実現するとし、この発想は戦後の創価学会にも影響を与えたとする
創価学会は昭和30年に北海道・小樽で日蓮宗の僧と論戦し、当時の参謀室長・池田大作が日蓮宗が負けたというイメージを形成させた。このことから、日蓮宗と学会の関係は悪化する
それでも日蓮宗の一宗派・日蓮正宗とは、牧口常三郎が正宗の信仰を持つにいたった縁から、学会の会員がそのまま檀家になるという友好関係だった。しかし、莫大な資金が学会から正宗に流れ込む仕組みに学会側に不満が高まり、平成二年に独立し正宗側から破門されることとなる
著者は日蓮宗の在家に支えられた伝統から来るものとしつつも、新興宗教といえどまったく新しい信仰を説くわけにもいかず、既存の信仰世界を基盤せずにいられないことを示しているとする
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『徳川家康』 下巻 山本七平

最近、本の記事がめっきり少なくなった。分厚い本を読んではいるにしても……


徳川家康(下) (ちくま文庫)
山本 七平
筑摩書房
売り上げランキング: 691,460


山本七平による徳川家康の評伝。下巻は関ヶ原の敗戦処理から、大坂の陣まで
下巻でも上巻に引き続いて、講談のイメージに引きずられないゼロベースの考察が徹底されている
司馬遼太郎などが描いてきた関ヶ原以後に天下を意識して、いわゆる腹黒、「古狸」に豹変した説を一蹴。それまでの「律義者」「海道一の弓取り」という堂々たる武人としてのキャラクターを保ったまま、天下取りに望み成功したとする
政治家が成功するにはまず権力を握らねばならず、権力を握るために権力欲を持つのは必然。「古狸」イメージは、あくまで西国大名や上方の人間による偏向したものというのだ
もっとも、あまりに常識人過ぎて面白みに欠け、頼られる人間であっても親しまれる人間ではなかったのも確かで、この点において大河ドラマの扱われ方は正しいといわざる得ない
巻末には息子さんが山本七平の遺稿をまとめた経緯、樺太出身の作家・綱淵謙錠との刺激的な対談が盛り込まれ、いろいろ濃厚な一冊である

下巻では家康の外交能力が高く評価されている
著者はクリスチャンながら、家康とキリスト教の関係を客観的に扱っていて、幕府が禁教にしたのもスペインやポルトガルの姿勢を問題視する。すでに布教活動が植民地化の道具に使われていることを知りながらも、家康はキリスト教自身には寛容であり、貿易にも積極的だった
しかし家康は布教を許す見返りに、帆船による航海技術や鉱山開発のための技師派遣を求めたときに、スペイン側は拒否する。国力の源泉である先端技術を渡すことに抵抗があったのもさることながら、大半が非キリスト教徒の日本を格下扱いしたのだ
オランダのクルーとして日本に漂着したウィリアム・アダムスは、家康のために帆船を建造して見せ、その信認を得る。彼を通じて国際情勢をつかんだ家康は、キリスト教の伝道にこだわらない新教国オランダの方が、貿易の利を追いかけられると外交方針を転換していく
秀吉の朝鮮出兵で冷え込んだ対アジア関係では、第三次の出兵を偽装しながら朝鮮側から通信使を一方的に派遣させることで双方の顔を立てつつ、対明貿易の再開を探っている。島津に琉球へ侵攻させたのも、対明貿易のためだった
すでに明が滅亡間近でこうした動きは功を奏さなかったものの、諸外国に対する家康の細やかな対応は、日本史のなかでも抜きん出ている

大坂の陣に関しては、著者は淀君戦犯説を唱える。もうボロンチョである(苦笑)
家康が目指した国家は源頼朝を範にした公武を峻別した武家中心の社会であり、関ヶ原以後は豊臣家を一大名として傘下に収めようとしていた
信長に従い、次には信長の配下だった秀吉に従った家康にとって、その時代の強者に弱者が従うのは「常識」であり、なんら不思議な構想ではなかった。豊臣家の滅亡ありきで策謀を巡らせたというのは、家康嫌いの偏見だというのだ
家康にとって大坂の陣は望んだことではなかったが、大坂城の包囲をいわば「諸大名の忠誠試験」に用いた。冬の陣後も豊臣家を幕藩体制に組させようと、関東への移封を条件に出している
なぜ、大阪方は豊臣家が存続する条件を拒否したか。著者は大阪方に総大将がつとまる人材がおらず、集めた牢人たちの「世論」に支配されたとする。彼らは講和が成立してしまうと、行き場所がなくなってしまう。『真田丸』を思い出すと、苦笑せざる得ない皮肉な結論である
ここらへんは、軍部にかきたてられた「世論」によって対米戦に突入し、あわや本土決戦までやりかねなかった、かつての日本を意識していると思われる
もし、淀君が前田利家の妻・芳春院のように江戸へ人質へ出ていれば、著者の言うように豊臣家の滅亡は回避できただろうか。家康が存命中は守られただろうが、秀忠以降になるとけっこうな大名が潰されているので、丁半博打な気もする


前巻 『徳川家康』 上巻
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『徳川家康』 上巻 山本七平

けっこうガチな分析


徳川家康(上) (ちくま文庫)
山本 七平
筑摩書房
売り上げランキング: 638,559


江戸250年の泰平を築いた徳川家康とは、どういう人物だったのか? 日本人論で有名な山本七平が、戦国を終わらせた巨人に挑む
徳川家康江戸時代には「神君」と崇められた一方で、当時から「古狸」の評判も高かった。それをイザヤ・ベンダサンこと、山本七平が史料から追いかける。武田信玄の本も出してたりと、この人は戦国にも造詣が深い
まず最初に持ち出されるのが、“スーパーじいちゃん”としての先駆者「毛利元就である。数十年の月日をかけて中国から九州にまたがる大毛利を築いた彼を、著者は「不倒翁」と称え、武略においては信長、謀略においては家康を凌ぐ存在とさえ言う
家康は元就の影響を受けたとするものの(根拠はよく分からない…)、二段三段の凄まじい謀計をしかけた元就に比べると、事案の解決には三河の一向一揆など正面からの対決で制するものが多い
家康の本質は優れた武人なのであって、彼の保守性が戦国に堅実な秩序を生み出す一方で、その堅苦しさから嫌われる側面があった。声望はあるが、人望のあるタイプではなかったというのだ

家康の保守性を決定づけたのが、今川氏での人質生活だとする
「人質生活=みじめ」ではないとする著者の指摘は目から鱗。松平家では父・広忠からして今川で養われて家を継いだ前例があるのであって、戦乱で荒れる三河にいるよりも恵まれた状況にあったとする
実際、今川義元の師である太原雪斎の薫陶を受けて、将来の領主になるための高い教育を受けている
その今川家では、鎌倉以来の『貞永式目』を発展させた分国法『今川仮名目録が成立していて、家の相続を長子をもって原則とするなど近世的な法体系が整備されていた
努力しなくても長子が家を継げる相続法は、今川の武士団の弱体化を招いてしまうが、家康に法治の大切さを植えつけたとする

家康は長い人生において、自分より強者に逆らっていない
秀吉に関東移封を命じられたときも、進んで江戸へ移動し秀吉をかえって唖然とさせている。著者は、関東が北条によって制度が統一されている領土であり、旧武田の甲斐・信濃よりは治めやすいという計算があったとしている
とはいえ、命がけで広めた領国をとられるのは辛過ぎるわけで、屈辱を耐える強い意志をもった現実主義者なのだ
秀吉死後にいよいよ天下取りとなるが、関ヶ原の分析が面白い。西軍の敗戦の原因は三成に誰も従わない「指揮官不在」なことともに、上杉によって家康が東上できないと思い込んでいた点にあるとする
西軍のキーマンとして三成は限定的であり、安国寺恵瓊が毛利輝元を口説き落としたことで関ヶ原が天下分け目の戦いになった。家康視点からは、恵瓊こそが首謀者であり容赦なく処分している

毛利輝元が関ヶ原に総大将として出ていたらどうなったか、あるいは関ヶ原後に秀頼を擁して大坂城に立て篭もったらどうなったか、という著者の提示するIFは微妙な采配で歴史が動いたことを証明している
しかし、輝元は祖父・元就とはかけ離れた凡将であり、毛利家は領土のほとんどを剥奪され、吉川広家に約束された周防、長門の二国の大名になってしまうのであった
上巻では関ヶ原後の毛利家の始末まで。下巻は、島津家と朝鮮との国交回復から大坂の陣が取り上げられる


次巻 『徳川家康』 下巻
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『シャルリとは誰か?』 エマニュエル・トッド

レイシズムVSテロリズム


シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 ((文春新書))
エマニュエル トッド
文藝春秋
売り上げランキング: 8,943


2015年1月7日にパリで発生したシャルリー・エブド襲撃事件。その後に起こった「わたしはシャルリ」と掲げたデモには、いかなる意味があるのか。シャルリが行っていた風刺とそれに対するテロの社会的背景を読み解く
フランスのことなので、だいぶ読むのに時間がかかった… ただ、その社会分析は今の日本にも通ずるものがある
シャルリー・エプドについては、テロの被害者という側面で注目されていて、日本の報道でも「表現の自由」VS「テロリズム」という単純な図式で伝えられきた
本書では、シャルリー・エプドがそれまで行ってきたイスラム教への風刺画から、フランスの中産階級が抱くにいたった移民やムスリムへの恐怖を読み取る。さらには左翼陣営による「ライシテ=世俗主義」の立場からの差別主義まで見出すのだ

フランスの社会分析に関しては、かなり専門的なので管理人が把握するのは大変であるが(苦笑)、要所で著者がまとめてくれるので内容はおおよそ理解できる
フランスの近代社会は、フランス革命で生まれた「ライシテ=世俗主義」だけでなく、地方で根付いたカソリックの伝統との両輪で回ってきたという。フランス革命の「博愛」の源泉も、カソリックの「すべての人間は平等である」という原則に発している
しかし、事件を受けた「私はシャルリ」のデモを分析したところ、本来はカソリックの伝統を継いでいた地域から、その平等主義の残滓すらなくなっていたことが判明する
そうした最近になって世俗主義に染まった地域でこそ、宗教への警戒感が高まっていて、かつての反ユダヤ主義に連想させる反イスラムの声が上がっているというのだ
むしろ、早々と世俗主義に染まったパリ郊外では、外から人が流入する都市環境に慣れているからか、冷静さを保っている

なぜ「ライシテ=世俗主義」が差別主義を生んだのか?
それにはEUがドイツ主導の経済圏となり、ドイツ型の市場経済が形作られたことが経済の格差、特に若年層へ厳しい結果を招いたと著者の持論が展開される。若者に福祉国家の負担を押し付ける政策は、なかでも立場の悪いマグリブ(=北アフリカ)からの移民層を直撃し、路頭に迷った彼らをISに向かわせたとする
そうした政策を主導したのは、従来の「福祉国家」を維持したい中産階級=中年以上の年齢層であり、世俗主義=無神論の立場を楯にムスリムへの幻想ともいえる恐怖心を持つに到った
著者はこの世俗主義と差別主義=不平等原則が結びついた立場を「ネオ共和主義と名づけて、ナチスが生んだヴィシー政権の系譜につなげる

重要なのは、実際に移民たちのなかで閉鎖的なムスリム社会が醸成されているわけではないことである
移民たちはフランス社会へ適応しようと努力しており、むしろ適応するスピードが早すぎて、共同体が持てず無秩序(アノミー)な状態に陥っているのが問題だったりする。襲撃事件を起こしたグループがいたベルギーでは、逆に閉鎖的な移民社会が生まれていたが、フランスではまったく事情が違うのだ
著者はイスラム教の持つ女性への差別を問題としつつ、かつてのカソリックのように平等主義を持つことに着目。お互いが歩み寄ることで、良き影響をフランスへもたらすことに希望を託す
本書は襲撃事件からIS空爆につなげたオランド政権を、左翼の殻をかぶった差別主義と看破。実は、平等主義の原則を実は極右といわれる国民戦線(FN)の支持層のほうが保っていると驚愕の結論を導きだす
左が右より不平等によりおかしくなる転倒は日本でも起こっていて、在特会周辺が盛り上がったのも、共同体の喪失や格差問題にあったのではないかと思う
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『戦国の陣形』 乃至政彦

「陣形」なんて、なかった


戦国の陣形 (講談社現代新書)
乃至 政彦
講談社
売り上げランキング: 101,212


戦国時代の陣形とは、実際にはどういうものなのか。日本軍事史の空白に挑む
序章にある著者の動機が生々しい(笑)。大河ドラマや小説などで、細かい部分の歴史考証は改善されているが、なぜか合戦の場面だけは講談に留まっていることに対する怒りなのである
それに留まらず、研究の世界でも中世、近世の軍隊に関しての戦術、戦型は、あまり掘り下げられていないという。本書はそうした未踏の地を大胆に踏み込んでいこうとするものだ
話は古代にまで遡る。古代日本は韓三国の戦いに巻き込まれ、唐・新羅の連合軍に大敗を喫する。この事態に対して、唐との関係を改善しつつ、その軍制を学習して農村から徴兵した「軍隊」を作ろうとした
それに沿って唐の“軍法”が導入されるはずだったが、大陸との関係が安定し蝦夷との国内戦に力が注がれるようになると、それに応じた“健児”(こんでい)の制に変更され、陣形の概念は衰えてしまう

平安時代に生まれた健児は、地方ごとの豪族によって編成され、「武士」の前身ともいえる存在だった。豪族の私兵という性質上、組織だった「軍隊」足りえず、それぞれが自分の判断で行動する「軍勢に近かった
そうした傾向は室町時代にまで続くが、足軽の台頭などで軍隊が大規模化していくことで陣形の必要性が生まれていく
合戦ごとに即席の陣形が生まれては消えていくが、著者によると武田信玄によって規則だった「陣形を作る動きが生まれたという。最新の研究によると、偽書とまで言われた『甲陽軍鑑』は高坂昌信が著し始め、春日惣次郎が継ぎ、最後は小幡景憲が完成させたと証明されたそうだ
それによれば、武田信玄は山本勘助から、諸葛孔明の八陣をヒントにするように進言を受け、陣形を工夫し出したという
面白いのが、相手を包囲する陣形とされる「鶴翼」の陣が、V型ではなく八型として伝えられていることだ。最初から包囲殲滅を目的に構えては、相手にバレバレなのである

もっとも、武田信玄の「陣形」は普及しなかった
主流となった軍制はむしろ、その敵である村上義清や上杉謙信の「五段隊形」だった。五段隊形とは、旗(指揮官&旗本)、長柄槍、弓、騎馬、そして新兵器である鉄砲を加えた五つの兵種をそれぞれ集中して運用したものである
「陣形」を軍隊全体の配置とすれば、「隊形」はあくまで一部隊の「隊形。追い詰められた村上義清は、信玄本人のみを倒すことで打開しようと必殺の隊形を編み出し、塩田原(上田原)の戦いでは、実際に信玄を負傷させることに成功した
その村上義清の機転を上杉謙信はシステム化することで、最強の軍勢をつくり上げる。そして、それに対抗する武田や北条に、「五段隊形」の軍法が広まることとなったという
鉄砲というと織田家のイメージが強いが、すでに上杉、武田でも集中運用が始まっており、上杉には三段撃ちどころか六段撃ちの記録まであるらしい
川中島で上杉方が用いたと言われる「車懸の陣」は、別にそういう「陣形」だったわけではなく、あくまで部隊の運用法。戦国時代で組織的な「軍隊」がいない関係上、「陣形」の概念は普及せず、部隊個々の兵種別運用「隊形」が発達した
この軍勢による「隊形」は、朝鮮出兵という対外戦争でも有効だった

戦国時代において「陣形」など、ほとんど意味を持たなかったのに、後世に名が残ったのはなぜだろう
江戸時代初期において、小幡景憲の甲州流軍学山鹿素行の山鹿流兵法にも「鶴翼」「魚鱗」などの名前はなく、後期に講談的想像力で広まったものだった
まして、「鶴翼」の陣が包囲殲滅の陣形というのは、明治以後に西洋の近代戦術が入ったから。著者にいわせれば、関ヶ原の戦いをみてメッケルが「西軍の勝利」と評したのも眉唾という。残された参謀本部の図を見ても、外国人に理解するのは至難の技だからだ
そもそも関ヶ原の戦いで戦場が関が原になったのは、石田三成が小早川秀秋の裏切りが濃厚になった情勢から、大谷吉継の軍勢が孤立するのを恐れて大垣城から引いたためという。とすると、関ヶ原の戦いはハナから東軍の勝利が濃厚の状態で起こったことになる
本書が語る「五段隊形」では、騎馬専門の隊が存在していることになっている。小柄な日本馬が重装備の武士を乗せて動ける時間は限られているはずで、その点では本当に騎兵として運用されたかは疑問。ただそれ以外の部分では、鋭い推論が展開されていて、合戦のイメージが改まる新書である
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