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『戦場の精神史 武士道という幻影』 佐伯真一

今回のサッカー日本代表は、年齢うんぬんはさておいても、ディフェンダーに目新しい人材ががが
長谷部の次の人もいないし


戦場の精神史  ~武士道という幻影 (NHK出版)
佐伯 真一
NHK出版
売り上げランキング: 259,439


日本人の精神を代表する「武士道」は、本当にフェア・プレイを志しているのか? 日本人が戦いだした古代日本から、その実態を考察する
野球やサッカーで選手を「サムライ」と喩えるように、世間では武士の理想である「武士道」が‟卑怯”を嫌い‟名誉”を重んじるスポーツマンシップに近いものとして理解されている。本書はそうした誤解を晴らし、各時代に武士に何が求められたかを求めて、現在に伝わる「武士道」がなぜ歪められたかを明らかにするものだ
帯には「サムライは嘘つきだ。」とあったが、作者は別に歴史上の武士たちを貶めたいわけではない
鎌倉から戦国の武士たち、江戸に官僚化した侍も、時代の要請に基づいて精進していたのであって、新渡戸稲造などによる近代の「武士道」とは断絶があるという話なのだ

武士はどうあるべきか。それが社会的に要請されるようになったのは、後代になってからだ
朝廷による東北の蝦夷討伐においては、相手が言葉の通わない‟異民族”として言葉巧みにした、だまし討ちは問題にならず、その子女を犯して殺すことも罪にも倫理にも問われない
平安後期の関東武士の間で、ようやく淡いながらも合戦のルール(というか流儀)が誕生し、軍使の安全確保、子女の保護、合戦の日時指定などが現れる。しかし、この時点でも内輪同士の「私戦」はともかく、勅命が絡む「公戦」においては、そうした流儀は無視されていく
鎌倉武士の一騎打ちの神話も、首級を巡っての組み合いに端を発しており、実際には自身の郎党を巻き込んだ集団戦だった
戦国時代までの「武士道」とは、主君と味方を裏切らない忠誠心に尽きるのであって、最上義光が病気を装って見舞いに来た怨敵を殺傷する話が美談(!)となるぐらい、だまし討ちに遭うやつが悪い」とする常在戦場の心得なのだ

なぜ「だまし討ち」上等と謀略を重視する「武士道」が、クリーンなイメージを持つようになったのか
ひとつは江戸時代における儒教の影響である。江戸の武士に絶大な影響を与えた兵学者・山鹿素行は、北条氏長や小幡景憲の戦国兵法を学びつつも、儒教の価値観から武士のあるべき姿を規定する
戦が役目の武士は平和の時代には、無駄飯食らいになってしまう。そこで素行は、武士に「士」、中国の士大夫のような「忠・信・義」を守って社会の秩序を守る指導的な役割を求めたのだ
そして、近代になって今でいう「武士道」という言葉が一般に流布する。新渡戸稲造が『武士道』を唱えた動機は、留学先で日本人の宗教教育を聞かれて答えられず、「そんなことでは道徳はどうやって教えるのか」と詰問されたからだ。新渡戸は日本の歴史を深く知らなかったが、西洋の「騎士道」に対照できるものとして「武士道」を拾い上げた
サムライ=フェアプレイのイメージが固まった所以は、「騎士道」を意識した「武士道」にあるようだ
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『ベスト&ブライテスト』 中巻 ディヴィッド・ハルバースタム

介入以前にもう完全に失敗していた件


ベスト&ブライテスト〈中〉ベトナムに沈む星条旗 (Nigensha Simultaneous World Issues)
デイヴィッド ハルバースタム
二玄社
売り上げランキング: 250,303


なぜ、ケネディが集めた俊英たちが、アメリカを泥沼のベトナム戦争に送りこんでしまったかを追う、伝説的レポートの中巻
ケネディ政権のもとで軍事顧問団の派遣が決まり、南ベトナムの首都サイゴンに援助軍司令部が作られる。この援助軍司令部は本国にきわめて楽観的な報告を送り、アメリカ政府に情勢判断を誤らせる
しかしケネディの暗殺直前には、仏教徒のデモに弾圧で返したゴー・ジン・ジェム政権が問題視され、CIAの秘密作戦で使嗾された南ベトナム軍部のクーデターを黙認する決断をした
ダラスの暗殺事件後には、副大統領のリンドン・ジョンソンが大統領職につき、ベトナム政策を継続。次期大統領選に向けて、ベトナム問題がマイナスにならないように、トンキン湾事件から北爆を実行するのだった

タイトルにあるスマートな‟賢者”の代表格、ロバート・マクナマラが前半ではクローズアップされる
彼は第二次大戦中にアメリカ陸軍航空隊に入り、戦略爆撃の解析、立案に従事。太平洋の対日戦では、B-29の大量投入を統計学の視点から立証した
戦後は、GMに押されていた自動車メーカー、フォードの経営陣に迎えられ、赤字と不採算に悩むメジャー企業を徹底的なリストラと工場閉鎖でV字回復させた
しかし、マクナマラは民間企業に要求される人間臭さ、非合理性を嫌って、多大な役員報酬を捨ててケネディ政権に国防長官として入閣する。この統計と‟合理性”への偏愛がマクナマラと‟ベスト&ブライテスト”の特徴
マクナマラは国防長官としては異例なほど、ベトナムに足を運んだが、援助司令部の粉飾した報告を見抜けず、そのもっともらしく作られた数字から、ベトナムへの介入政策が正解であると信じてしまった
上巻でエスタブリッシュメントの長老が、‟賢者”たちを「彼らが少しでも選挙の洗礼を受けておれば、より安心なのに」と評していたことが偲ばれる

ベトナム戦争の引き金はケネディ政権の時代に引かれていたが、新しい大統領リンドン・ジョンソンはそれに拍車をかけた
実際、より強い介入を働きかけたわけではなかったが、次の大統領選で勝利するためには、ベトナム問題に腰を引くわけにはいかなかった
国共内戦を中共政府が制したことで、ときの大統領トルーマンは第二次大戦に勝利したにも関わらず、再戦を阻止されてしまい、国務長官アディソンは敗北者の汚名を負った。政治家としてそんな烙印を押されてしまうのは、避けたかったのだ
CIAの秘密作戦が誘発したトンキン湾事件から、その海上戦力へ報復する空爆を承認し、かつて院内総務を務めた上院議会からは戦争の白紙委任状ともいうべき法案を通させた
本来は人気にとぼしい新大統領は、トンキン湾事件直後には85%もの支持を集めたという。このとき、「宣戦布告なしに戦争の権利を委託してしまった」「アメリカの憲政を破壊する」と警告して反対した議員は二人に過ぎない
一度、戦時に入ってしまうと、軍部は独立した勢力として活動を始めて、あらゆる情報を自分の有利な側に管理してしまい、大統領も議会もその脚を引っ張るように見られることを恐れてしまう。文民統制は戦争が始まる前までしか機能しない、というのが本巻の教訓であり、政治家は安易に軍へ動かしてはならないのだ


前巻 『ベスト&ブライテスト』 上巻
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『ベスト&ブライテスト』 上巻 ディヴィッド・ハルバースタム

ボトムズのクメン編につながってしまった


ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues)
デイヴィッド ハルバースタム
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ケネディが集めジョンソンが引き継いだ「最良にして最も聡明な」エリートたちが、なぜアメリカを泥沼のベトナム戦争に引きずりこんでしまったのか。アメリカ政治の本質を射抜く伝説のレポート
本書はベトナム戦争とそれにアメリカが深入りする過程を、ケネディ政権からジョンソン政権まで追いかけた、ディヴィッド・ハルバースタムの代表作である。ベトナム戦争に「泥沼という言葉が続くようになったのは、彼のレポートに始まるという。上巻ではケネディ政権がその政権幹部の陣容を整え、ベトナムへ軍事顧問団の派遣を決定するところまでが描かれる
ジョン・F・ケネディはキューバ危機の冷静な対処とその劇的な死から、戦争に本格介入したジョンソンに比べてリベラルな印象が強い。しかし本書でのケネディは、単なる理想主義者ではない
むしろ、左右の支持層を無難に集めようとする秀才肌の政治家であり、大統領に当選後はリベラル層の支持を確保できたので、CIA長官をダレスからジョン・マコーンに変えるなど保守派の取り込みに気を遣った。ケネディの虚飾を剥がす上巻なのである

子供の頃から神童のような実績を持つマクジョージ・バンディ(国家安全保障担当大統領補佐官)に代表されるような人材が、なぜベトナムに首を突っ込んでしまったのか。上巻である種の答えが示されている
それはアメリカこそが、途上国に対する近代、自由と民主主義をもたらせ、現地のベトナム人もそれを望んでいるという‟信仰”である。フランスは植民地の支配者として舞い戻ろうとして失敗したのであり、植民地から独立した歴史を持つアメリカはそうした批判を受けないと、勝手に思い込んでいたのである
中国の共産化がアメリカに衝撃を与え、50年代に赤狩りが巻き起こったように、ベトナムの共産化が東南アジア全体の赤化を招くというドミノ理論が浸透して、世界を二色に分ける先入観が首脳陣や世間に流布してそれに反対することは困難だった
実際にはアメリカが近代化しようと援助した南ベトナムのゴ・ジン・ジェムは、一族で政府や軍隊を私物化しかえって、旧態依然とした家族主義が保全してしまい、かえって外国の援助がナショナリズムを刺激して解放戦線を勢いづかせる「奈落へと向かう渦巻」に陥ってしまった

ケネディは単純な反共主義者にはほど遠く、国際政治の多様性を理解していたが、ベトナムへの軍事顧問団の派遣を決定してしまう
それは彼が理想主義者というより、優れたバランサーである所以で、ベトナムへの介入する声が内外で高まるなか、その口を封じるためにお飾りではない規模の派兵を決めてしまった。ケネディが軍部と喧嘩して暗殺されたという筋書きは、本書によれば通用しないし、ピッグス湾の失敗もあっていろいろ妥協もしていたのだ
著者はベトナムについてケネディ生存当時から舌鋒鋭く批判しており、大統領から部署を移動するようニューヨークタイムズへ圧力が掛けられたという
朝鮮戦争を戦ったリッジウェイ将軍は、少数の軍事顧問団の派遣だけでも、一度派遣してしまえば引くことは困難だと反対した。数千人の派遣が数年後には数十万人に膨れ上がり、簡単にはやめられなくなることを洞察していた
しかし、軍部には第二次大戦の成功(してないんだけど)から戦略爆撃で敵陸軍を制圧するニュールック=空軍無敵論者が多く、フランスの失敗を深く考える者は少数だった。ベトナム戦争への導火線は、ケネディとその幹部たちによって引かれたのだ


関連記事 『ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争』 上巻
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『誤解された仏教』 秋月龍珉

用語辞典片手に読む必要があるかも


誤解された仏教 (講談社学術文庫)
秋月 龍珉
講談社
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仏教に霊魂はなく、あの世もなく、輪廻転生もなければ、「三世の因果」もない! 現代の仏教イメージを洗い流す説法
気さくな語り口ながら、専門用語もいろいろ飛び出してくるから、なかなか難解だった。仏教系の高校を出ているのに、記事にできるほど理解しているか怪しい(汗)
本書は現代に流布する葬式仏教のイメージ、あるいは霊感商法に利用されるような霊魂や霊界、輪廻といった概念が、まったく本来の仏教とは関係ない誤解の産物であり、本来の仏教の在り方を現代に問い直すものである
著者は最初、プロテスタントの牧師の伝道を受けながら、禅への道を進んで鈴木大拙西田幾太郎の影響を受け引き継いでいる人物。禅者でありながら浄土系の教えにも理解しめしていて、原理原則に厳しい一方で、相手を全否定せず仏教の枠組みの中でとらえ直す柔らかさが、いかにも仏教らしい

なぜ釈尊が語っていないことが、仏教に入り込んでしまったかというと、古代インドから中国を経て日本へ伝わるまでの間、また日本全国へ浸透するまでの間に、各地の土着の宗教と習合して伝播していったからだ。日本でいえば、古来の神様が仏陀の弟子となる神仏習合がまさにその典型
そのため、「死者をホトケ」と呼んだり、「神も仏もあるものか」という言い回しがあったり、あの世や霊魂の存在が語られたりする
釈尊は小乗の『阿含経』と呼ばれる初期の経典において、「後有を受けず」と言い切っており、死後の世界や霊魂の存在を明確に否定している。輪廻に関しては、バラモン教の世の中に生まれたゆえ当初はそれを信じていたものの、悟りを開いて以後は「無我」説を説明するために「縁起」を持ち出しただけで(「因果の道理」)で、輪廻はおろか「三世の因果」も否定している
現在の仏教において、「天」「人間」「修羅」「餓鬼」「畜生」「地獄」の六道輪廻は、一人の人間の精神状態あるいは人生の在り様として解釈できるという
著者は日蓮を評価しつつも、日蓮宗の「折伏」については修羅道に通じると否定的。「法」のために他を折伏するのは‟降魔の剣”であって、正義の戦いなど仏教にはないのだ

著者は誤った仏教理解を、ビッシビッシと裁いていくのだが、単純な原理主義者ではない。「死者をホトケ」ということも、どんな人間でも死んだら許すという思想自体は、日本人が仏教から学んだ心として評価する
仏教か否かが疑われている密教に関しては、古代インドのウパニシャッドのような、世界との合一を目指す「梵我一如=神秘主義」に対しては仏教ではないと否定する。仏教と古代インド哲学は別物なのに結び付けられやすいので、注意が必要だ
ただし、空海の密教に対しては、本来の仏教の範囲内だとしている
仏教の修養は、自我を離れる「無我」を目指して「本来の自己」に出会うものであって、より大きな存在と一体化するものではないのだ
阿弥陀如来による救済の教えから、キリスト教との類似点の多い浄土真宗には、釈尊が相手によって教え方を変えた「方便」という概念から肯定する。禅者でありながら、著者は禅宗が「自力本願」と称するのに反対で、「自力」と言ってしまっては‟自我”を捨てきれていないことになるとする。禅を悟りに至る直接的な手法としつつも、阿弥陀仏を立てて自我を捨てさせる「方便」もまた、一つの道なのだ
仏教はある種の無神論であるが、神の存在を全否定しているわけではない。人間が人生で味わう苦しみは外部の神や悪魔によるものではなく、自身の行い(「業」)に発するものという思想から来ている。だから、著者は一神教との対話も可能だとし、現代に耐えうる仏教「新大乗」を提唱している
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『政治家とリーダーシップ』 山内昌之

たしか、富野監督がなんかの雑誌で推していたはず


政治家とリーダーシップ―ポピュリズムを超えて (岩波現代文庫)
山内 昌之
岩波書店
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小泉政権以来、メディアと密着し政治が劇場化した今、ほんらい必要とされるリーダーとは何なのか。東洋の歴史から現代政治への教訓を引き出す
本書は、初出の単行本が2001年の第一次小泉政権下。序章にあたる「はじめに」と終章が2007年に文庫本のために書き下ろされている
序章で嘆かれているのは、テレビ番組で報道とバラエティの敷居が崩れている現状である。本来、事実を厳密に検証する報道と、政治家や芸能人の醜聞を垂れ流すバラエティは性格を異とするはずだが、それを同じ枠にすることは「現代の共同体体験における友愛の悪用」(リチャード・セネット)に他ならないとする
一部の政治家と芸能人、キャスターを「有名人」として一括りされ、これに属せない地味な政治家が除外されていく。メディアの世界では流される瞬間だけ、気の利いたことを言う刹那的能力が重視されてしまうのだ
メディアと政治が密着した時代にあっては、ジャーナリストも「反権力」ではありえない。著者は政治バラエティが無関心な人間を政治に近づかけたのではなく、「政治の芸能化」という名の政治化にほかならないとまでいう
そんな社会に公共善と取り戻し、未来の秩序を作るには何が必要なのか。それを問うのが本書のテーマである

序章において、安易な官僚への責任転嫁・中傷を弁護しつつ、その官僚たちの育成方法=法律学に編重する大学教育を批判している。本当の意味のエリートは、歴史、それも自国や東洋の歴史・教養なくして、判断の下地を作れず他国の人間の尊敬を得られないのだ
第一章では、具体的に理想のリーダー像として、江戸時代に薩摩藩を存続させた島津義弘と、家光の異母弟として影から幕府を支えた保科正之を掲げている
島津義弘は戦国時代を引きずる兄・島津義久に足を引っ張られつつも、豊臣や徳川といった強力な中央政権に巧みな外交を展開して、難局を乗り切った
保科正之は将軍の息子に生まれながら、保科家へ養子に出される不遇の存在だったが、腐らずに自分の門地にもおごらず諸大名から副将軍格としてみなされるまでに至った
両者に共通にするのは、他を圧倒する実力・声望を持ちながら、謙虚で公私混同しなかったこと。義弘は島津家の当主でありつつも、嫉妬する実兄の前当主・義久の顔を立て続け、正之は将軍の弟でありながら創業の功臣である大老・老中を尊重して、組織の序列を崩さなかった
著者は特に保科正之を称揚し、武断政治から文治政治への大転換を果たした戦略眼、社会保障や罪刑法定主義を導入するヒューマニティ、愚直な誠実さを評価する

第二章においては、タイトルこそ「リーダーシップの条件」だが、内容はほぼ外交官の条件。ただし、外交官の条件はリーダーの条件にも通じる
外交官の最低条件は嘘をつかず感情の起伏がないこと。一度、嘘をつくとその嘘を合理化しようと嘘を重ねることになって、結局は信用を無くしてしまう。外交の現場では同じ相手と何度も交渉することが多いので、嘘をつかないという信用が最大の財産となる
小泉政権の田中真紀子のようなスタンドプレイに走る外務大臣など、ありえないのだ
第三章・終章では専門の中東を中心とした国際情勢と求められる外交、第四章ではエリート育成のための教育の在り方に触れられている
全編を通して強調されるリーダー(エリート)の資質とは、自国の歴史を中心とした教養「嘘をつかない誠実さ」。まさに正論なのだが、ではこのメディア政治の状況下でそういう人材が育つかという点では、なかなか大変
地道に教育を施していくしかないようだ
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『松下政経塾とは何か』 出井康博

民主党がバラバラだった所以


松下政経塾とは何か (新潮新書)
出井 康博
新潮社
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多くの政治家を輩出する松下政経塾とは、何だったのか。松下幸之助の夢と塾生たちの現実を描く
松下政経塾とは、1978年に松下電器の創業者・松下幸之助が長期的視野に立った日本の変革を目指して、新時代の政治家を育成しようと始めた政治塾である。「松下」の名を冠するのは、吉田松陰の「松下村塾」を意識してのことでもあり、100億円とも言われる私財を投じて現代の志士を生み出そうとした
卒業メンバーには、自民党だと現防衛大臣の小野寺五典、逢沢一郎、松野博一など。元民主党には、元首相の野田佳彦、前原誠司、松原仁、樽床伸二、原口一博、山井和則、玄葉光一郎、福山哲郎、松沢成文、中田宏など、テレビで顔の知れた政治家たちがいる
民主党に出身者が偏るのは、そもそも「地盤、看板、カバン」を持たない若者を政界に送り出すのが塾の目的であり、現職の層が厚い自民党ではそもそも枠がなく、先輩議員のいる民主党の推薦を受けやすいからだ。良くも悪くも(だいたい悪いんだけど)、塾の在り様が民主党→民進党の性格に影響してくるのであった

松下幸之助は、早くから自民党政治に危機感を抱いていた。政治家たちは長期的展望に立たず目先の利益に目を配り、財政赤字を垂れ流していたからだ。当時は田中角栄の金権政治に反発して、新自由クラブが期待を集めていた
経営者としての感覚から赤字財政はありえないとして、幸之助は「水道哲学」に端を発する「無税国家」(高金利を生かした資産運用で財政をまかなう国家)を提唱して、自ら新党の結成を模索していた。それが頓挫したことから、しがらみのない政治家を輩出しようと松下政経塾を創設する
しかし、幸之助の「無税国家」が荒唐無稽なように、政経塾の中身に関しては「幕末の志士」を意識しただけの曖昧なものであり、90に近い高齢の幸之助は塾の経営には直接関われない
本来は長期的な視野に立った政治家の育成を目指していたはずなのに、塾の運営の都合から短期間で地方・国政選挙への立候補を求められることとなり、塾生は混乱し反発する
自民党に代わる保守政党を作るという目的はあったものの、具体的な中身は各員が共有できるわけでもなく、まとまって新党を立てるどころか散り散りバラバラに活動していく

政経塾のメンバーが国政に進出するきっかけは、細川護熙を党首とする「日本新党である。細川は1989年に亡くなった幸之助の遺志を受け継いで新党設立を決意し、1993年の衆院選で「新党ブーム」に乗って7名の当選者を出す。幸之助死去で存亡の危機にあった政経塾を救ったのだった
ここにマイク片手に駅前で立ち、清新さをアピールする政経塾の選挙手法が定着し、民主党→民進党と受け継がれていく。政経塾出身者はブームに乗って浮遊層を動かす「空中戦」に強いものの、投票率が低い時での組織力がものを言う「地上戦」に弱い。ただし、最初から地盤のないのを承知しているだけあって、一度や二度の落選でへこたれないタフさはある
ただ政経塾から、大きな組織を動かせる人材は生み出せなかったは事実。新党を作ったは小沢一郎など既成の大物政治家であった
塾生からも「新選組の総長止まり」という感想が出るように、塾生に受け継がれるのは短期間に選挙運動に強くなる政治技術であり、特に政治哲学が磨かれ共有されることはない
ただの政治技術なら雨後の筍ように作られている政治塾でできることであり、政経塾の役割はすでに終わっているのではないか、というのが著者の見解だ
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『中国近代史』 岡本隆司

タイトルは近代史だけど、何百年の過程を扱う


近代中国史 (ちくま新書)
岡本 隆司
筑摩書房
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なぜ中国の近代化は遅れたのか? 経済の面から西洋化との軋轢を分析する
題名は近代中国史だが、実質的には中国経済史である
本書では伝統的な中国社会を、古代から中央政府が人民の上層としか関わらない‟士”と‟庶”が分離した社会と紹介する。科挙試験により‟庶”から‟士”への昇格はゼロではなくなったものの、その構造を変えるものではなく、あくまで‟士”は‟庶”とは隔絶していた
中国の官僚制は民間の有力者から「徴税」するのみであり、庶民は必要の応じて「徴用」(=肉体労働)を強いられた。直接に税金を取られないものの、有力者の税金の元手を搾取されるわけで、その規制に役人は関わらない
王朝の財政はほとんど軍事費で、役人の人件費すら低く抑えられており、役人は他の社会からは汚職としか言えない賄賂収入で生活を賄っていた。民間の細かい行政は地方の有力者に丸投げの徹底した「小さな政府=チープガバメントだったのだ

長江流域の商業化により茶・絹・磁器を中心とする伝統経済は明代に完成する
明の前の元朝は、中国大陸の経済を海と陸からユーラシア大陸に連結したが、世界規模の寒冷化「14世紀の危機」をきっかけに没落する
明の太祖・朱元璋は分断統治されていた華北と江南の格差を縮めるべく、現物主義を導入する。華北では元朝の紙幣制度が崩壊しており、江南の高度経済を混乱する華北に合わせる必要があった。朱元璋が行った粛清と明朝の秘密警察には、こうした統制を実現するためにあったといえるようだ
ただし、こうした政策は「中華の一体感」を出すためには良かったものの、経済効率の悪さは否めない。新しい貨幣が作られないために、各地方で独自の貨幣が作られ、地域間の交易には銀が使われる。貿易を規制したために密貿易が横行して、大航海時代には西洋のみならず、日本からの銀の流入が沿岸部の経済発展に貢献した
この王朝の制度とは別に、各地域が独自の貨幣、特産物、交易を展開する様が本書のいう中国近世の「伝統経済」なのだ
清朝の満州族は遊牧民との交易を欠かさせない商業習慣をもっていたことから、明清交替も多くの地域で歓迎されたようだ

清朝の乾隆帝が「地代物博」を誇ったように、中央の官僚は中国は自給自足できると考えていたが、実際の各地域は外国との交易が盛んであり、華僑たちは「東洋のユダヤ人」ともいえる地位を築きつつあった
19世紀、イギリスの交易が茶の輸入で赤字となり、インドから綿花やアヘンが中国へ持ち込まれることで解消されていた。が、ランカシャーの綿工業が発達するつれ原料の綿花の輸入が必要となり、アヘンへの比重が求められることとなる
中国へアヘンを持ち込んだのはイギリスだが、中国側には「小さな政府」に食い止められない非合法集団、中間集団が存在した。官許の商人と違って外国の商社からの買い付けに応じる非公認の華人商人=買弁が動き回っていたのだ
中国大陸では18世紀から人口が激増して、清朝既存の体制で取り締まる能力を失っていたともいえ、香港や上海の外国人居留地も彼らの治外法権に任せるしかなかった

こうした「小さな政府」が変貌するきっかけが、太平天国などの反乱太平天国も清朝に統制できない中間勢力が国家を志向したものといえるが、それを倒した曽国藩の湘軍、李鴻章の淮軍といった義勇軍も中間勢力だった
彼らの義勇軍に中央政府から軍事支出が降りるわけもなく、地域の商人から軍費を拠出させる釐金(りきん)によった。「小さな政府」では補足できない金の流れを押さえるために、非公認だった商人たちが公認され、反乱陣営にまわっていた中間勢力を寝返らせた
この義勇軍が、中国の近代軍閥」の起源である
彼らによる群雄割拠は普通の近代史からすると逆行のように思えるが、清朝の「小さな政府」という事情からすれば、著者はやもえない過程とする
袁世凱政府は海外からの外債を引き受けつつも、国内の軍閥を討伐し地域ごとに違う通貨を統一し始め、そうした動きは蒋介石の国民党政権へと引き継がれる
蒋介石の政権は浙江財閥を基盤としており、上海から離れた地域では地方軍閥の生まれる余地が残った。それが東三省の張作霖→満州国であり、中国共産党と対立する原因ともなった

本書では国民党政府地方財閥や青帮という中間勢力に依存した旧態依然の組織であり、その構造を打倒した意味で中国共産党を評価する。土地改革と管理通貨を実現して「伝統経済」から離脱させたわけであり、その意味では中国史のなかでまさに革命的なのだ
しかし、方向性が正しいからといって中国の人民が幸福だったかはまた別であり、経済成長どころか飢餓状態に陥った毛沢東の統制政策を認めるわけではない
また、‟士”と‟庶”の隔絶という中国社会の伝統的な構造が解消しきったわけでもなく、世界なしに中国が存続できるかのような「地代物博」な態度は今も健在であり、本書で示された近代中国の性質は現代にも残存しているのである
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『戦後リベラルの終焉』 池田信夫

終わりそうで、なかなか終わらない




なぜ日本の左翼は敗北したのか。朝日新聞や進歩的文化人、野党の歴史と没落を分析する
本書の戦後リベラルとは、「大きな政府」を志向する社会主義だけではなく、「平和主義」や理想的ユートピアを鼓吹する進歩的文化人に、朝日新聞などのメディアなども含まれる
東大時代の過激派テロの体験に始まり、従軍慰安婦を巡る朝日新聞の誤報から、太平洋戦争に導いた大新聞の過去、原発事故への報道が招いた二次被害へと展開して、「戦後リベラル」が語る理想主義が、言ったことに「責任を取らない」野党的姿勢から来ていることを証明していく
著者のブログやアゴラの記事を読んでいる人には、おなじみの持論が語られていて、岸信介から現代の経産省に流れる「国家社会主義」の流れを批判して、「小さな政府」論まで突き進むのはご愛敬か

安保運動を知らない世代にとって、それと連動した進歩的文化人の動きが興味深い
60年安保の時代、大学生はまだエリートであり、安保運動は知識人として大衆を指導する典型的な「途上国」型の運動だったとする
その主役であった清水幾太郎は、「今こそ国会へ」とアジテーションしたが、後に振り返って「何をやりたかったのか自分でもわからない」と語ったという。清水は戦中は読売新聞の論説委員で、戦後はマルクス主義に傾いていて、人気のなくなった共産党に入らない程度の左という立ち位置が「進歩的知識人」だったのだ
安保運動が収まると、注目を集めたい清水は「右旋回」し、論壇紙『諸君』の常連となり核武装論を説き始めた。こうした動きは彼だけではなく、朝日新聞大江健三郎もオイルショックから原子力の平和利用を唱えたという。言っている中身よりも、マーケティングと反体制ポーズが大事なのである
東大法学部から進歩的文化人が消えてからは、傍流の知識人が担当するようになり、現代では内田樹、元外交官の孫崎亨、『<民主>と<愛国>』の著者で原発再稼働反対デモの「理論的指導者」小熊英二を挙げている
今の反原発運動には、冷戦時代のマルクス主義のような思想的背景がなく、再「宗教」化とまでいう
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『レーガン』 村田晃嗣

レーガンは1911年生まれ。ケネディより六歳上


レーガン - いかにして「アメリカの偶像」となったか (中公新書)
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‟冷戦を終わらせた男”レーガンは、何者だったのか。今なお、アメリカの政治家にリスペクトされ続ける大政治家の実像に迫る
ロナルド・レーガンは、カーターの後、パブッシュの前の第四十代アメリカ大統領である。内政的には「小さな政府」を目指しつつも、冷戦を終わらせるために軍事支出を拡大させ、莫大な財政赤字を作ったタカ派の政治家というのが、一般的な評判だ
しかし、本書のレーガンは様々な姿を見せる。選挙では大見得を切りつつも、実際の政策では妥協していく現実的なプラグマティストであり、応援していた保守派に溜息をつかせることも度々だった
本書は幼少期から、俳優時代、政治家への転身、そして二期八年の大統領、老後までを追う伝記であり、尺の都合で手短にまとめてしまっている部分はあるものの、大きな足跡を残した大統領の全体像を描き切っている

レーガンをひとつの言葉で括るなら、やはりグレートコミュニケーターである
ケネディ、ジョンソンの民主党政権に、ニクソンのウォーターゲートで失墜した共和党・保守派のイメージを回復させるため、レーガンは保守派の人々を結集させる「右派のローズベルト」としての役割を期待された
実際のレーガン政権は「小さな政府」にこだわりつつも、冷戦終焉のために巨額の防衛予算を組む、矛盾した政策をとっていたが、共和党の人心を集めることには成功した
レーガンには1920年代の自由主義を理想としており、人々にも「アメリカの朝」という「大きな物語」を唱え続けた。もはや実現することのない古き良き時代への回帰を訴えることが、逆に人種差別の解消など「小さな物語」の実現に終始するリベラル派にうんざりした大衆の心をつかんだ。著者はこれを政治的タイムマシーンと名付ける

レーガンは外交において、荒唐無稽な「スターウォーズ計画」を推進して冷戦を終結に導いたが、内政で「小さな政府」を目指した「レーガノミクス」は成功したのだろうか
後にこのときの規制緩和がマイクロソフトなどによるIT革命を呼んだともいわれるが、著者はその評価を保留する
大減税は富裕層にしか恩恵が届かず(富裕層の税率45%→28%)、州政府への支出が減った分の州税が増えたために一般庶民にはほぼ関係なかった。雇用に関しても、規制緩和によって増えた雇用はほとんど低賃金労働だった。経済の繁栄の裏腹に、富の偏在は加速した
いわゆる新自由主義の改革の結末がここに示されているといえよう
レーガン後も、共和党を中心に不景気になれば大減税、簡素な税制を唱える模倣者は多い。イラク戦争に向かうブッシュ大統領が「悪の枢軸」を唱えたのも、レーガンの「悪の帝国」発言の引用である
著者はオバマ大統領の誕生で「レーガンの時代」に一区切りついたとするが、トランプ政権の在り様を観ると何番煎じかと言わざる得ない
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『ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの』 林健太郎

パラドゲーをやり始めたので、ちょいと


ワイマル共和国―ヒトラーを出現させたもの (中公新書 (27))
林 健太郎
中央公論新社
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なぜもっとも民主的と言われたワイマル共和国から、ヒトラーのような独裁者が出たのか。第一次大戦終結から30年代までの政治家、政治状況を分析する
積読から取り出してびっくり、初出が1963年数十版も重ねている名著だったのだ
ワイマル共和国は第一次世界大戦を負けたドイツにおいて敷かれた民主主義の体制で、1919年に中部の都市ワイマルで憲法制定議会が開かれたことにちなんでいる
ワイマル憲法の特徴は、男女平等の普通選挙に基本的人権に国民の生活を守る権利=社会権を加えたことで、当時としては画期的な内容だった。同時に議会が機能停止に陥った際には、大統領が緊急令を出せる憲法第48条の「非常権が存在し、30年代の経済と財政危機に際して乱発され、結果的にナチスの独裁を後押しする要素もあった
そうした先進的な憲法を持ちつつも、旧帝政の流れでプロイセン州が人口の四割を占めるという偏った連邦制が保たれ、10万人に減った国防軍が政府から半ば独立した地位を築くという歪な状態にあった

第一次世界大戦の末期において、ドイツは戦争に疲弊した国民による社会革命が引き金になって敗戦を迎えた
政権についたのは社会主義=マルキシズムの影響の濃い社会民主党などであったが、帝政打倒までは考えない漸進志向、社会民主主義の立場を取っていた
しかし連合軍側の要求はドイツ帝政こそ戦争の原因であるとして、ホーエンツォレルン家の追放と徹底した民主化を求める。ドイツ側の政党と連合国の求める変革には大きな隔たりがあったのだ
講和条約の履行のために制定されたのがワイマル憲法であり、共産党など一部の極左を覗いて政党も国民も完全な民主化までは想定していなかった。上からどころか、外圧の要求による体制転換がワイマル体制の足腰の弱さであった

ワイマル共和国には過去、積極的に民主化を求めた政党はなく、政治課題はいかに社会主義を進めるかにあった。修正主義の社会民主党に対して、ロシア革命の影響を受けたドイツ共産党はラディカルな社会主義化を要求。その中でさらに過激なスパルタカス団などは、武装蜂起に及んだ
右翼は右翼で、反ベルリンのバイエルン政府を震源に、カップ一揆、ヒトラーのミュンヘン一揆が勃発。司法界は帝政の名残が深く、大甘の判決でヒトラーは政治的地位を高めることとなる
内政では、ワイマル憲法下における国民の権利から、失業保険が始まった。今となっては当然の社会保障も、制度設計上の限界は100万人どまり1929年の大恐慌から400万人までに膨らむに至っては増税と財政赤字が余儀なくされ、シュトレーゼマン死後の求心力が低下した議会政治に、経済政策の大転換をする力はなかった
社会民主党に属し司法大臣もつとめた法学者ラートブルフは、「民主主義を社会主義への前段階ではなく、固有の価値だということを極力力説すべきであった」と自己批判している
本書では立派な憲法と政治の実態とのかい離を示しつつ、議会制民主主義が羽根をもがれていく過程を見事に活写している。戦前・戦後の日本とは事情が違うものの、大統領制に傾く内閣・行政府の在り方と議会の空洞化の結果が何を招くかの教訓となるだろう
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