カテゴリ0の固定表示スペース

カテゴリ0の固定表示スペースの本文サンプルです。
テンプレート使用時に削除してください

カテゴリ1の固定表示スペース

カテゴリ1の固定表示スペースの本文サンプルです。
テンプレート使用時に削除してください

カテゴリ2の固定表示スペース

カテゴリ2の固定表示スペースの本文サンプルです。
テンプレート使用時に削除してください


『戦後リベラルの終焉』 池田信夫

終わりそうで、なかなか終わらない




なぜ日本の左翼は敗北したのか。朝日新聞や進歩的文化人、野党の歴史と没落を分析する
本書の戦後リベラルとは、「大きな政府」を志向する社会主義だけではなく、「平和主義」や理想的ユートピアを鼓吹する進歩的文化人に、朝日新聞などのメディアなども含まれる
東大時代の過激派テロの体験に始まり、従軍慰安婦を巡る朝日新聞の誤報から、太平洋戦争に導いた大新聞の過去、原発事故への報道が招いた二次被害へと展開して、「戦後リベラル」が語る理想主義が、言ったことに「責任を取らない」野党的姿勢から来ていることを証明していく
著者のブログやアゴラの記事を読んでいる人には、おなじみの持論が語られていて、岸信介から現代の経産省に流れる「国家社会主義」の流れを批判して、「小さな政府」論まで突き進むのはご愛敬か

安保運動を知らない世代にとって、それと連動した進歩的文化人の動きが興味深い
60年安保の時代、大学生はまだエリートであり、安保運動は知識人として大衆を指導する典型的な「途上国」型の運動だったとする
その主役であった清水幾太郎は、「今こそ国会へ」とアジテーションしたが、後に振り返って「何をやりたかったのか自分でもわからない」と語ったという。清水は戦中は読売新聞の論説委員で、戦後はマルクス主義に傾いていて、人気のなくなった共産党に入らない程度の左という立ち位置が「進歩的知識人」だったのだ
安保運動が収まると、注目を集めたい清水は「右旋回」し、論壇紙『諸君』の常連となり核武装論を説き始めた。こうした動きは彼だけではなく、朝日新聞大江健三郎もオイルショックから原子力の平和利用を唱えたという。言っている中身よりも、マーケティングと反体制ポーズが大事なのである
東大法学部から進歩的文化人が消えてからは、傍流の知識人が担当するようになり、現代では内田樹、元外交官の孫崎亨、『<民主>と<愛国>』の著者で原発再稼働反対デモの「理論的指導者」小熊英二を挙げている
今の反原発運動には、冷戦時代のマルクス主義のような思想的背景がなく、再「宗教」化とまでいう
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『レーガン』 村田晃嗣

レーガンは1911年生まれ。ケネディより六歳上


レーガン - いかにして「アメリカの偶像」となったか (中公新書)
村田 晃嗣
中央公論新社
売り上げランキング: 329,754


‟冷戦を終わらせた男”レーガンは、何者だったのか。今なお、アメリカの政治家にリスペクトされ続ける大政治家の実像に迫る
ロナルド・レーガンは、カーターの後、パブッシュの前の第四十代アメリカ大統領である。内政的には「小さな政府」を目指しつつも、冷戦を終わらせるために軍事支出を拡大させ、莫大な財政赤字を作ったタカ派の政治家というのが、一般的な評判だ
しかし、本書のレーガンは様々な姿を見せる。選挙では大見得を切りつつも、実際の政策では妥協していく現実的なプラグマティストであり、応援していた保守派に溜息をつかせることも度々だった
本書は幼少期から、俳優時代、政治家への転身、そして二期八年の大統領、老後までを追う伝記であり、尺の都合で手短にまとめてしまっている部分はあるものの、大きな足跡を残した大統領の全体像を描き切っている

レーガンをひとつの言葉で括るなら、やはりグレートコミュニケーターである
ケネディ、ジョンソンの民主党政権に、ニクソンのウォーターゲートで失墜した共和党・保守派のイメージを回復させるため、レーガンは保守派の人々を結集させる「右派のローズベルト」としての役割を期待された
実際のレーガン政権は「小さな政府」にこだわりつつも、冷戦終焉のために巨額の防衛予算を組む、矛盾した政策をとっていたが、共和党の人心を集めることには成功した
レーガンには1920年代の自由主義を理想としており、人々にも「アメリカの朝」という「大きな物語」を唱え続けた。もはや実現することのない古き良き時代への回帰を訴えることが、逆に人種差別の解消など「小さな物語」の実現に終始するリベラル派にうんざりした大衆の心をつかんだ。著者はこれを政治的タイムマシーンと名付ける

レーガンは外交において、荒唐無稽な「スターウォーズ計画」を推進して冷戦を終結に導いたが、内政で「小さな政府」を目指した「レーガノミクス」は成功したのだろうか
後にこのときの規制緩和がマイクロソフトなどによるIT革命を呼んだともいわれるが、著者はその評価を保留する
大減税は富裕層にしか恩恵が届かず(富裕層の税率45%→28%)、州政府への支出が減った分の州税が増えたために一般庶民にはほぼ関係なかった。雇用に関しても、規制緩和によって増えた雇用はほとんど低賃金労働だった。経済の繁栄の裏腹に、富の偏在は加速した
いわゆる新自由主義の改革の結末がここに示されているといえよう
レーガン後も、共和党を中心に不景気になれば大減税、簡素な税制を唱える模倣者は多い。イラク戦争に向かうブッシュ大統領が「悪の枢軸」を唱えたのも、レーガンの「悪の帝国」発言の引用である
著者はオバマ大統領の誕生で「レーガンの時代」に一区切りついたとするが、トランプ政権の在り様を観ると何番煎じかと言わざる得ない
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの』 林健太郎

パラドゲーをやり始めたので、ちょいと


ワイマル共和国―ヒトラーを出現させたもの (中公新書 (27))
林 健太郎
中央公論新社
売り上げランキング: 91,660


なぜもっとも民主的と言われたワイマル共和国から、ヒトラーのような独裁者が出たのか。第一次大戦終結から30年代までの政治家、政治状況を分析する
積読から取り出してびっくり、初出が1963年数十版も重ねている名著だったのだ
ワイマル共和国は第一次世界大戦を負けたドイツにおいて敷かれた民主主義の体制で、1919年に中部の都市ワイマルで憲法制定議会が開かれたことにちなんでいる
ワイマル憲法の特徴は、男女平等の普通選挙に基本的人権に国民の生活を守る権利=社会権を加えたことで、当時としては画期的な内容だった。同時に議会が機能停止に陥った際には、大統領が緊急令を出せる憲法第48条の「非常権が存在し、30年代の経済と財政危機に際して乱発され、結果的にナチスの独裁を後押しする要素もあった
そうした先進的な憲法を持ちつつも、旧帝政の流れでプロイセン州が人口の四割を占めるという偏った連邦制が保たれ、10万人に減った国防軍が政府から半ば独立した地位を築くという歪な状態にあった

第一次世界大戦の末期において、ドイツは戦争に疲弊した国民による社会革命が引き金になって敗戦を迎えた
政権についたのは社会主義=マルキシズムの影響の濃い社会民主党などであったが、帝政打倒までは考えない漸進志向、社会民主主義の立場を取っていた
しかし連合軍側の要求はドイツ帝政こそ戦争の原因であるとして、ホーエンツォレルン家の追放と徹底した民主化を求める。ドイツ側の政党と連合国の求める変革には大きな隔たりがあったのだ
講和条約の履行のために制定されたのがワイマル憲法であり、共産党など一部の極左を覗いて政党も国民も完全な民主化までは想定していなかった。上からどころか、外圧の要求による体制転換がワイマル体制の足腰の弱さであった

ワイマル共和国には過去、積極的に民主化を求めた政党はなく、政治課題はいかに社会主義を進めるかにあった。修正主義の社会民主党に対して、ロシア革命の影響を受けたドイツ共産党はラディカルな社会主義化を要求。その中でさらに過激なスパルタカス団などは、武装蜂起に及んだ
右翼は右翼で、反ベルリンのバイエルン政府を震源に、カップ一揆、ヒトラーのミュンヘン一揆が勃発。司法界は帝政の名残が深く、大甘の判決でヒトラーは政治的地位を高めることとなる
内政では、ワイマル憲法下における国民の権利から、失業保険が始まった。今となっては当然の社会保障も、制度設計上の限界は100万人どまり1929年の大恐慌から400万人までに膨らむに至っては増税と財政赤字が余儀なくされ、シュトレーゼマン死後の求心力が低下した議会政治に、経済政策の大転換をする力はなかった
社会民主党に属し司法大臣もつとめた法学者ラートブルフは、「民主主義を社会主義への前段階ではなく、固有の価値だということを極力力説すべきであった」と自己批判している
本書では立派な憲法と政治の実態とのかい離を示しつつ、議会制民主主義が羽根をもがれていく過程を見事に活写している。戦前・戦後の日本とは事情が違うものの、大統領制に傾く内閣・行政府の在り方と議会の空洞化の結果が何を招くかの教訓となるだろう
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『応仁の乱』 呉座勇一

取り上げられないのは、不毛ゆえ?


応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)
呉座 勇一
中央公論新社
売り上げランキング: 466


11年の長きに渡って続いた応仁の乱とは、なんだったのか。奈良の興福寺門主の目から、激動の乱世を読み解く
毎月入れ替わる本屋の棚に置かれ続けていると思ったら、歴史関係では久々のベストセラーらしい
応仁の乱はいわずとしれた、室町幕府の権威を没落させ戦国時代の到来をもたらしたといわれる大乱である。その影響力の大きさのわりに主役級のスターが不在なせいか、ドラマなどで取り上げられることが少ない
本書では、同時代に貴重な日誌を残し続けた興福寺門主・経覚と尋尊を追いながら、マルクス主義の影響を受けた「下剋上」の史観を洗い直して、その実際のところを映し出す
将軍義政の判断ミス、山名宗全の管領・細川家への挑戦、戦国大名の先駆者・畠山義就、そして、長い戦乱にレジスタンスする山城の国一揆、様々な要因が乱を長引かせたのだ

あとがきによると、本書は第一次世界大戦に着想を得たといわれる
当事者の誰しもが大乱になるとは予想せず、短期決戦を目指して挫折し、かろうじての勝者すら消耗しきって没落の道を歩むのだ
軍事技術的には、矢倉」をはじめとする城塞技術の発達が長期化の原因となった。応仁の乱が始まると、守護大名は京都の屋敷に矢倉を巡らし周囲に濠を掘り始める。「矢倉」から放たれる弓矢の威力は絶大であり、攻める側もより高い矢倉、「井楼を立てたり、中国ばりの投石器で対抗したが、防衛の技術には追いつかず塹壕戦のような状況を作り出した
また、軽装の「足軽」が大量に動員されたことにより、軍隊の規模が大規模化。それを維持するために、寺院や公家などの荘園が荒らされることが日常化して、畿内一帯が荒廃した
大軍となったことで兵站の重要性が高まり、西軍は日本海側の航路と瀬戸内に通じる陸路を封鎖されることで解体を始めたのだ

応仁の乱の原因はなんだろう。本書によると、将軍継嗣の問題は、それほど決定的ではない
東軍の実力者・細川勝元も幼い義尚への中継ぎとしてなら、弟の義視の継承を認めていて、西軍の山名宗全も義視本人も同意はしていた。それが矛に収まらなかったのは義視の疑心暗鬼であり、後に義政の説得に応じてはいるのだ(ただ、義政の家系と義視の家系は応仁の乱後にも、将軍位を争うことになる)
ひとつには、西の実力者・山名宗全が仕掛けた既存の幕府体制への挑戦がある。畠山・斯波の管領家の継承に介入しなければ、乱の長期化はありえなかった
宗全の介入を弾みに畠山義就は、将軍の権威すらもろともしない‟戦国大名として自立。大名の地位は、幕府ではなく実力によって確保する前例を作る。乱はもはや将軍の尽力をもってしても、止まらなくなってしまう
室町幕府は内乱防止のために守護大名を京都に在住させる「守護在京制を取っていたが、越前の守護代・朝倉家が主君・斯波氏を追い出したように現地を任された守護代が力を持つようになり、領国の安定のために多くの守護大名が帰郷することが常態化していった。1493年の明応の政変を経て、戦国時代へ向かっていくのだ
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』 亀田俊和

ベストセラー『応仁の乱』に続き、室町時代ブーム到来!?




北朝の優位が固まった後に、なぜ足利尊氏と直義の兄弟は争うこととなったのか。室町幕府の性質を定めた‟空白”の大乱を解明する
観応の擾乱とは、室町幕府を開いた足利尊氏実弟の直義足利家執事の高師直が政権内部の主導権を争った、1350年から1352年かけてのめまぐるしい内乱である
『太平記』のクライマックスともいえる出来事ながら、そのあまりに激しい展開から科学的な考証が進まず、講談的な解釈がまかり通ってきた
そこを作者は、幕府が武士たちの請願や恩賞をどのように解決してきたかを分析することで、内乱の裏にあった不満を明らかにしていく。政権の腰が定まらなかったのは、諸大名の要求に応えきれない組織の不備が原因であり、尊氏とその後継者・義詮は内乱に右往左往しながらも、それに対応した政治制度を整えていったのである

本書ではずいぶん整理して語られているのだが、そうしてなお、観応の擾乱はカオスである(苦笑)。尊氏から政務を任されていた直義が、執事を解任された高師直のクーデターを受けて出家するはめになるが、幕府が尊氏の実子ながら直義の養子となっていた直冬へ討伐の軍を発したところ、もぬけの京都から抜け出して挙兵して観応の擾乱は始まる
歴史ファンがとまどうのは、直義をはじめとして幕府の要人が簡単に南朝へ寝返ってしまうところだ
しかし、それは北朝=室町幕府という固定観念からあるからでもある。足利尊氏はそもそも後醍醐天皇の下での幕府を想定していて、その崩御に至るまでその気持ちは変わらなかった
最高指導者がこういう意識であるから、諸大名たちからしても転向のハードルは低く、北朝の既存の制度で救われない場合には南朝側に立って取り返すといったケースが多かったようだ
ただし、将軍の弟である直義が南朝に降りたのは、当時としても衝撃的であり、その前例は南北朝の乱を長引かせる要因ともなった
また高師直が将軍の住居を包囲した「御所巻は、大名が軍勢で御所を強訴する室町時代特有の政治現象の先例となる。江戸幕府の堅固さからは頼りなく思えてしまうものの、そうされてなおかつ傷がつかない「将軍=武家の棟梁」の特殊な権威・立場があってのことなのだろう

当初、政務を任されていた直義が高師直のクーデターを許した原因は、承久の乱以後に確立された鎌倉幕府の諸制度への固執にあった
鎌倉幕府では、争う当事者同士の意見を聞いての裁決、「理非糾明」が理想とされていた。しかし、この制度にはたとえ聞くまでもない事例にも時間をかけてしまう弊害があり、力の強い者が現状維持してしまうのが実態であった。たとえ、正しい裁決がなされても、訴えた者の「自力救済」が基本であったのだ。そして執事として直義と争った高師直も、政治思想的には同様であった
そこで、尊氏・義詮の父子は、見るに明らかな事例に対しては即決、判断のつかない事例には「理非糾明」と使い分け、裁決の結果を守護がなるべく救済する方向へと舵を切る。これにより、恩賞の空手形が少なくなり、幕府のもとに有力大名が集い政権を安定させたのである
乱以前、武家のシンボルとして「象徴化」していた尊氏の‟鮮やかな変身”が本書の山場であり、権威と権力を引き受ける理想的な将軍の姿が描かれる
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『戦争にチャンスを与えよ』 エドワード・ルトワック

徳川家康を希代の戦略家として、高く評価


戦争にチャンスを与えよ (文春新書)
エドワード ルトワック
文藝春秋
売り上げランキング: 453


紛争地で下手な停戦は命取り。現代での戦争の必要性を問う異色の書
著者は別に戦争好きではない。ルーマニアのトランシルヴァニア地方でユダヤ人として生を受けながら、イギリス軍で軍隊を経験し、アメリカなど各国の大学で博士号をとるプロの「戦略家」である
本書はいくつかの論文とインタビュー(?)をまとめたものだが、シリア情勢やISに対しての戦略に、尖閣諸島をめぐる中国と日本北方領土問題を抱えるロシアと日本の問題に触れられていて、日本人向けの内容となっている
ユダヤ人だけあってイスラエルの体制と国民を理想的な国民国家とし、「男は優れた戦士に憧れ」「女は強い戦士を好む」という「戦士の文化」を称揚するなど(ハインラインかよ!)、すがすがしいほどのマッチョぶりには引くものの、生易しい人道主義を退けて冷徹な紛争地の力学を容赦なく語ってくれる

著者の持論は、「政治」は「戦闘」に勝り、「政治」は「戦略」が規定する。そして、「戦略」のレベルでは平時の常識が反転する「パラドキシカル・ロジック」(逆説的論理)がものをいうだ
第二次大戦のドイツ軍は、その末期においても三倍の連合軍と互角に戦えたが、敵が多すぎてどうにもならなかった。直近の「戦闘」で強くとも、周囲に敵を抱える「戦略」で敗北しているからだ
その「戦略」の法則に関わる「パラドキシカル・ロジック」とは、戦争が平和を呼び、平和が戦争を呼ぶ原因になるという。なぜならば、すべてのものには「限界点」があって、例えばアメリカで弱腰の政権が続き過ぎれば、相対的に中国のパワーが増大し、ロシアは好むと好まざるに関わらず中国に近づかざえるえなくなり、パワーバランスが崩れてしまう
なんだ「過ぎたるは及ばざるが如し」かと思いきや、氏によるとそれだけではない。「戦略」の法則では、ドイツ軍がいくら細かい戦闘で勝利しても最終的に負けたように、「成果を積み重ねることができない」、そして、正面からの決戦ではなく相手の不意を衝く「奇襲・詭道(マニューバー)を絶えず狙うべし」とか、いろんな法則がある
まさに〝孫子の兵法”で、この一冊の、一章では語りきれるものではなく、詳しくは他の著作を当たるしかないようだ

著者は実地で軍務を経験しただけあって、イデオロギーや政治用語をあまり使わない。ベースはギリシアの古典時代に始まる欧米の歴史だ
特に千年続いた特別な帝国、ビザンチン帝国の「戦略」は読みごたえがある
「戦争は可能な限り避けよ。ただし、いかなる時にも戦争が始められるように行動せよ。訓練を怠ってはならず、常に戦争準備を整えておくべきだが、実際に戦争そのものを望んではならない。戦争準備の最大の目的は、戦争開始を余儀なくされる確率を減らすことにある」。なんだか、山本五十六の言葉を思い出させる
「戦略」で勝利を収めるために、同盟国の存在を重要視する。外交は戦略そのものといってもいい。「戦争」よりも、政権転覆」が勝利への安上がりの手段として薦める
大事なのは、こうした「戦略」のために安易な人道主義にこだわらないことだ。ISを倒したいなら、アサド政権を認めるか、圧倒的な武力で短期間で制圧するか、この点において、どっちづかずのオバマ政権を手厳しく批判する
センセーショナルな表題も、受け狙いの理想主義から国連・NGO・外国の介入がかえって紛争の長期化を招くことを批判したものだ。著者自身は「戦争」を一度始めてしまったら簡単に終われないことを肌で知っており、だからこそ途中で中断させるだけの〝生地獄”を警告している
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『ラブホテル進化論』 金益見

世界に冠たるラブホ


ラブホテル進化論 (文春新書)
文藝春秋 (2012-09-20)
売り上げランキング: 94,263


ラブホテルは世界に誇るべき文化である!! 日本独特の宿泊施設であるラブホの特徴と変遷をフィールドワークで追う
スマフォの記事に美人研究者がラブホを追究とあったので、つい買ってしまった(苦笑)
現役の女子大生の頃から研究を始めていて、本書が出版されたのは2008年。著者の実年齢が、実は管理人と同世代というオチ(?)はあったが、そんなことはどうでもいい
本書では戦後に始まるラブホテルの歴史を、その誕生からサービスと形態の多様化、世間や法律との軋轢、新しい時代への対応を、先人の研究を参照しつつも当事者の証言を丹念に拾い集めて活写しているのだ
著者はラブホの経営者に在日外国人が多いのではと想定していたそうだが、実際には他府県から都市部へ進出した実業家や地元の農家など、多種多様な履歴の持ち主が多く、意外と開かれた業界であることを明らかにしている
特異な進化をとげたラブホテルは世界から注目を集め、今や日本のおもてなし文化の一角なのである

ラブホテルは、戦後のいわゆる連れ込み宿として始まった
当時の家庭は平屋の大所帯であり、夫婦がエッチするにも屏風をひとつ隔てるしかなかった。焼け跡時代はカップルの〝青姦”も普通であり、「連れ込み宿」の需要は非常に高かった
高度成長期の70年代には自動車の普及とあいまって、郊外にアメリカ発のモーテルが雨後の筍のように出現する。広い大陸のアメリカではまさに旅の宿だが、日本のモーテルにはカップルが殺到した
やがてモーテルは宣伝のために派手に装飾したラブホテルへと〝発展”、互いの競争から室内の演出も進化を遂げて、浴室を覗く隠し鏡、回転や震動するベッドが登場した。ベッドのなかには、天井が開いてプラネタリウムとなるものや、10メートル前後しながら欧州の車窓が映しださえるオリエンタルエクスプレス・ベッドまで生み出された
いわゆる〝いやらしい”ラブホテルのイメージは、この頃に確立された

しかし郊外のラブホテルも、近くの住人には評判が悪かった
政府もラブホテルが違法な風俗営業に使われる怖れから、1985年2月13日に「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(新風営法)において、「店舗型性風俗」に位置付けられた。これによって、厚生省が管理していたラブホテルは警察の管理下に置かれることになる
風俗という枠組みに入ったことで、地域制限や広告規制の対象となり、立ち入り調査も拒めなくなった。そこでホテル側は煽情的なベッドや仕掛けを取り除くことで、規制を逃れる動きが生まれた。そもそもセックスを煽る演出は男側へのサービスであり、女性への配慮が欠けていて時代にそぐわなくなっていた
ラブホテルが多機能なレジャーホテルへと変貌する転機は、一般の情報誌に取り上げられることによって加速した。1994年「ぴあ関西版」において、夜遊びスポットとして取り上げられ、1995年に「行列のできる♡ホテル」というラブホ特集が組まれた
今では単なるセックススポットではなく、二人だけの空間を楽しむ最新のレジャー空間として進歩を続けている。現代のラブホはかつての‟いやらしい”だけのものではない
こうした多機能化の一方で、ホテトルなどの性風俗に特化するホテルも存在していて、ラブホ業界にも二極化が進んでいるそうだ
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『原理主義とは何か』 西谷修 鵜飼哲 港千尋

ガンダムでいうと、Vガンあたりにつながる話です


原理主義とは何か
原理主義とは何か
posted with amazlet at 17.05.12
西谷 修
河出書房新社
売り上げランキング: 779,418


冷戦以後、世界は原理主義化している!? 三人の知識人が問う原理主義の正体
本書の鼎談は1995年・1996年の季刊誌『文藝』が初出。ちょうどオウム真理教の事件があったときで、ボスニア・ヘルツェゴビナやアルジェリアの内戦が議題に上っている
2001年の9・11後に「原理主義」を目の仇にして論ずる声は高まったが、本書ではそれ以前の様々な地域から、「原理主義」の出自や内実を視野に捉えることでより深く掘り下げられた議論が展開されている
原理主義は冷戦以後に、社会主義など近代国家を支えるイデオロギーが没落したことで、「宗教」がその代替物として浮上、アフリカや中東など欧米諸国が引いた国境で「民族」が分断された地域で台頭するものというのが一般的な理解だが、それのみに留まらない。実は相手を「原理主義」と非難する側も原理主義化している
冷戦以後、世界に壁はなくなり、タリバンやISは「外部」にいるわけではなく、原理主義は対岸の火事ではないのだ
単に政治的状況だけではなく、近代が終わることによる「死」と「生命」の意味の変化、それに対する原理主義的な社会の反応、そして原理主義の嵐を免れる処方箋を探ったりと、お腹ならぬ頭がいっぱいになる鼎談である

正直言って話される内容も参照される事例も、管理人の手に余る難解さなんだが、なんとか分かる部分だけでもまとめてみよう
冒頭に提起されるのは、冷戦が終わって1930年代に状況が近づいてきたということ。ボスニアにおける民族浄化が、単なる兵士の暴走ではなく旧共産の官僚組織による計画的犯罪であったことが念頭にある
核が角突き合わせる状況によって固定化していた問題が、冷戦終結によって再び表舞台に動き出し始めた
そもそも旧植民地からの独立した国にとって、資本主義諸国は帝国主義の元宗主国であり本来は戦うべき相手。反欧米のナショナリズムは、ソ連の支援とも結びついて社会主義が抵抗のイデオロギーとなっていた。日本でも「反米」をキーワードに、右翼と左翼が結びつく事例があり、左翼の背景にはナショナリズムが隠れている

冷戦の崩壊により社会主義の正当性が崩れて、宗教が代替物として浮上するが、実は先進国においても近代国家の枠組みが揺らいで、一種の宗教がそれを補うように役割を果たしている
欧米を範とする近代国家はキリスト教社会を母胎とするため、必然的にキリスト教を原型として背負う。政教分離も世俗と宗教を区分けしただけで宗教を消し去ったわけではなく、「信教の自由」も“ヴォルテールの寛容”、キリスト教社会内の寛容に過ぎない
鼎談では、ヨーロッパ社会内のムスリムには「世俗化」した社会も、キリスト教の変型にしか見えず、反発を招いているとする。一方、世俗化した欧州の反イスラムの動きも、原理主義的になっている(関連文献:『シャルリとは誰か?』
そして旧植民地の原理主義も、実は欧米が持ち込んだ近代国家の世俗性を基盤にした政治集団であり、イスラムであれヒンドゥーであれ伝統的なコミュニティを自己破壊していく。タリバンにしろISにしろ、伝統から飛躍した過激さを持ち、粗雑ながら官僚組織を築いて国家を志向していた
その意味で原理主義は、冷戦後に一つになった世界で浸透しきった欧米型近代の余波でありグローバリゼーションの産物なのである

では、日本における原理主義とは何だろうか
日本では政教分離が掲げられつつも、宗教を半ば手段にして政治的な動きをすることが平然と行われてきた社会」(鵜飼)であり、本書が出版された当時では、創価学会を味方につけた新進党が参院選で自民党の得票数を上回っていた
今では自民党が学会と連結する形で、第二次安倍政権を長期化させており、民進党サイドは反学会の宗教連合でそれに対抗している
20年前から宗教勢力とひっつかないと選挙に勝てないという、宗教の時代に突入していたのだ
そして、オウム真理教も、1990年に衆院選挙に打って出ていた。最近だと、幸福の科学が2009年に幸福実現党を結成している
近代国家の枠が揺らぐなか、宗教が国家を利用するのか、国家が宗教を利用しているのか判然としないが、安保法制、九条改憲、対テロ等準備罪などを巡るごり押しと頭から絶対反対が対峙する政治状況は、たしかに原理主義的である


関連記事 『シャルリとは誰か?』
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『中国共産党の経済政策』 柴田聡 長谷川貴弘

引き返せない依存関係


中国共産党の経済政策 (講談社現代新書)
柴田 聡 長谷川 貴弘
講談社
売り上げランキング: 448,663


中共の習近平政権が狙う経済戦略とは、いったいどんなものなのか。中国の日本大使館で勤務した著者二人が、その政策と経済可能性を探る
中国批判の漫画の次は、冷静に中国経済を分析した本を手にとってみた
作者は在中国日本大使館に四年間の長期に渡って勤務した財務官僚と、調査員として在籍した大学講師で、実際の中国当局との折衝や実地における調査、統計の分析から、日本にとっての中国経済の魅力が語られている。政治については、今の政治体制でいいのか、とかそういう政治の是非には切り込まず、あくまで将来の見通しや日本への影響に留まる
自分の仕事に関しては手前味噌な部分はあるものの、中国側の論理に飲み込まれておらず、日本の官僚として独特のお国柄にどう対応するか、実践的な姿勢である
出版が2012年と習近平の党総書記就任間もない時期であり、今では本書で期待されている李克強首相の辞任説が飛び交うとか、あての外れた部分はあるものの、マクロの分析は現代中国の本質を突いたものだ

中共の体制の特徴は、一党独裁による「経政一致。他の大国とは違い、“党”が政府に優越し、日本の内閣にあたる国務院の首相より党の総書記のほうが序列は上。人民解放軍は党の統率を受けるし、司法も党の影響下にある
そうした一元的支配の体制では、危機に応じて強いトップダウンの政策がとれる。2008年のリーマンショックに対しては、短い期間で四兆元という巨大な内需拡大政策をまとめあげ、国有企業を動員した証券市場の買い支え国有銀行への公的資金注入など、日本なら国会審議などで要する手間を飛ばして、党→政府の決定だけで実行できてしまう
危機に応じて強みを発揮する「経政一致」の体制も、政府の政策を中央銀行が掣肘できないことにもつながる。この内需拡大政策も古い生産設備を更新できないなど構造改革に遅れをもたらしたり、さらなる不動産バブルを生んで庶民から持ち家が遠くなるなど、ひとつのベクトルだけの政策は副作用も大きい

成長率が6%台に落ち着いてきた中国経済は、今後どうなっていくのか
一人っ子政策による少子高齢化の進展や、農村から都市への労働力の流入が一息ついてきたのは、確かに経済成長の足枷になる
外国からの投資や公共投資に集めて成長率を作る「粗放型経済」には限界があり、中国政府も「量」から「質」への転換を旗振りする。しかし依然として外国の大企業との合弁会社で輸出に依存する経済であり、ドコモにスマートフォンを供給する「華為」などの例外を除いて中国自前の世界企業を生み出せていない
政府が後押しした製造業はともかくも、極めて強い統制下にある金融・保険商品、首都・北京すら覆う大気汚染交通インフラの貧弱さから来る大渋滞など、庶民の生活に直結する民生分野においては、多くの問題が残っている。GDP世界第1位に迫る経済大国であると同時に、一人当たりのGDPはタイやジャマイカと同等という開発途上国の側面を持っているのだ

逆にそれだけ未成熟の部分が残ってなお成長し続けていることは、中国の発展の可能性を示すものでもあり、日本が入り込む余地の大きさを示すものでもある
また、地方の格差が巨大なのも大陸国家・中国の特徴であり、基本的なインフラが未整備な内陸部では、公共投資型経済も有用になる。多角的な視点で中国にフロンティアを探すことが、日本経済躍進の礎となる。両国のつながりはすでに、政治的な対立から他へ置き換えられないレベルに進んでしまっているのだ
著者が掲げる日本側の課題は、大使館と本土政府の温度差。欧米諸国は自国の大企業を後押ししているのに対して、日本は肩入れ批判を恐れてあまり相談に乗らず、他国に差をつけられている。内外一体となった支援が成否を分けるのである


チャイナ・インパクト
柴田 聡
中央公論新社
売り上げランキング: 329,653
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『不屈の棋士』 大川慎太郎

インタビューした時期は2015~2016年、第1回電王戦が始まる前。もちろん、スマフォ遠隔問題は一切出てこない


不屈の棋士 (講談社現代新書)
大川 慎太郎
講談社
売り上げランキング: 60,511


人間を凌駕するソフトの登場にプロ棋士たちは、どう立ち向かうのか。11人の棋士たちへのインタビュー
登場する棋士は羽生善治、渡辺明、勝又清和、西尾明、千田翔太、山崎隆之、村山慈明、森内俊之、糸谷哲郎、佐藤康光、行方尚史、とそのまま棋界の代表者といっていい錚々たる顔ぶれ。タイトルホルダー、ソフトを前向きに活用する者、電王戦経験者、ソフトを敬遠する者、とそれぞれと違った立場で電王戦の衝撃、ソフトの評価、棋界の将来を語っている
将棋界のど真ん中にいる人たちながら、その語り口はざっくばらんである。羽生こそ第一人者という立場から慎重であるものの、個人の感覚、考えについては信じられないほど率直に明かされる。プロ棋士はひとりひとりが個人事業主であり、勝ち負けに関してはきわめて合理主義者なのだ
著者は古くから将棋村にいる人ではない分、よく悪くも容赦なく答えを引き出していて、オブラートの少ない濃厚なインタビュー集にしている

将棋棋士はソフトの強さをどう評価しているのか
羽生三冠と佐藤九段は立場上(あるいは信条)から人間のトッププロを越えたとは言わないものの、ほとんどの棋士は認めている
「教授」こと勝又清和六段は、第2回将棋電王戦の三浦弘行‐GPS戦をひとつの決着戦と見る。ただし、人間のなかで羽生だけはレーティングで抜けた存在であるとして、その優劣を留保している
電王戦におけるプロ棋士側の勝利に関しても、永瀬拓矢六段を除き事前の研究によるものが大きいとする。特に斎藤慎太郎七段(当時五段)は普通に戦っているようで、穴熊を目指すことでソフトの人間側への評価関数を上げて暴れさせる、水平線効果を狙っていた。しかも自ら長考することで、相手に深読みさせるという高度な戦略をとっていた
「教授」は(まだ第1回の候補者が決まっていない段階だが)準タイトル戦の電王戦が第一期で、終わってもおかしくないと言い切っていた。くしくも今年、天彦名人が人間側の代表として登場したことで、電王戦は幕を閉じることとなる

ソフト開発者が研究を続け、ハードの性能が上がっていく限り、ソフトの力が人間を上回るのは必然だった。ソフトがプロ棋士に追いつき、追い越したとき、棋士はその現実にどう向き合っていくべきか。それはAIの向上と普及で、大きな社会変化にさらされるだるう一般人にも、無視できないテーマである
千田翔太五段、西尾明六段は終盤のみならず、序中盤の研究にもソフトを使用する。西尾六段の話では、チェスの世界では、グランドマスターがハンデをもらってソフトに挑戦する段階に達しており、ソフトによる研究は当たり前。世界戦の前に最新ソフトのアップグレードを相手に妨害される事案も発生しているという
もっとも、ソフト相手だけと指して、登りつめる人間はまだ出てきていないらしい
そのほかの棋士は意外なほどソフトを研究や対戦相手には活用していなかった。序盤がカオスで、中盤の評価値は利用しづらく、間違い合う人間同士の勝負ではあてにしづらいのだ。ただ、すでに奨励会員にはソフトの使用者が多く、とあるソフトを入手したことで大きく飛躍した成功者もいるので、時間の問題かもしれない
各棋士が警戒するのは、ソフトで考えることを節約してしまって、棋士としての“脳力”を落とすこと。高度なAIは人類にとって、禁断の果実なのか
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)
(この一行は、各ページ下部に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
カテゴリ
SF (25)
RSSリンクの表示
リンク
FC2 Blog Ranking
ランキング
アクセスアップ!?
検索フォーム
はてな
この日記のはてなブックマーク数
タグランキング

サイドバー背後固定表示サンプル

サイドバーの背後(下部)に固定表示して、スペースを有効活用できます。(ie6は非対応で固定されません。)

広告を固定表示させる場合、それぞれの規約に抵触しないようご注意ください。

テンプレートを編集すれば、この文章を消去できます。