偉大な哲学者と隻腕のピアニストを生み出したオーストリアの華麗なる一族とは? 19世紀から2つの世界大戦を乗り越えた血族の生き様を描く
身内から課題図書(!)のように渡されたので読んでみた
ウィトゲンシュタインというと、まず思い浮かべるのは思想家のルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン。実際にその著書を読んだことはなくとも、その言葉の響きで覚えてしまう
しかし同時代では、2歳上の兄パウル・ウィトゲンシュタインのほうが世間では有名で、ルートヴィッヒの名声はケンブリッジ中心の論壇に限られたものだった
彼らの父母と他の兄弟姉妹との関係が描かれるのだが、中心となるのは隻腕のピアニストであるパウル。著者が音楽一家に生まれたのもあるだろうが、ルートヴィッヒは憂鬱で神経質な人間であり、短気ながら快活な彼のほうが主役として書きやすいのだろう
体裁は一族の伝記なので2人の姉についても触れているけれども、熱の入り方に違うのでパウルの伝記にしてくれたほうが読みやすかった
彼らの父カール・ウィトゲンシュタインは、お金持ちの娘と結婚し製鉄業で巨万の富を得た立志伝中の人で、数多くの別荘や農場を持ち、ロダン、クリムト(三女マルガレーテの肖像が有名)などの著名な芸術家を後援した
中でもメンデルスゾーン、マーラー、ブラームスらといった音楽家との交際は深く、それがパウルのピアニストとしての覚醒につながっていく
まったくお金に困らない家族だったが、外目に幸福な家庭とは言い難い。父カールが強権的に子供へ接し続け、母レオポルディーネもそれに逆らわず子供を守ろうとしなかったせいか、8人兄弟中3人の男子が自殺する悲劇に見舞われる
兄弟たちは父にならって我を張り続けて、人に妥協できない駄々っ子(!)だったが、唯一のコミュニケーションツールになったのが音楽だった
パウルが新進のピアニストとして成功するなか、第一次世界大戦が始まる
召集された彼は対ロシアのガリツィア戦線へ送られ、前線で優秀な働きをするも右手を負傷、切断することとなる。その後、ロシア軍の捕虜となり、過酷なシベリア生活にドストエフスキーが「死の家」に書いた収容所を体験、それでも左腕での演奏を続けるために練習を続けた
終戦とともに音楽の師で盲目だったヨーゼフ・ラボールに作曲した作品で演奏会を始め、両腕のある演奏家と遜色ない実力に一流のピアニストとしての名声を得る
製作中に揉めながらも、モーリス・ラヴェルやリヒャルト・シュトラウスといった一線の音楽家の楽曲を演奏することができた
一方、ルートヴィッヒもまた対ロシア戦線へ志願兵として加わり、パウルが右腕を失ったことなどから絶望に陥り、トルストイによる聖書解説本を読みふけって危機を脱する
戦後書き上げた『論理哲学論考』において、その構成がトルストイの解説本と類似している箇所があるとか。この難解な作品はその後に多くのフォロワーを生むにいたるが、ここから彼のとった行動が凄まじい
もはや哲学の仕事をやり遂げたと考えた彼は、学者の世界を捨て去り、全財産を寄付して、普通の仕事につこうとするのだ。小学生の先生になったときには、どついた生徒が失神する事件を起こして職を追われている
ケンブリッジ大学では数少ない理解者であるバートランド・ラッセルやマクロ経済学を生んだケインズらと交際した
ルートヴィッヒの同じ高校に通っていたアドルフ・ヒトラーが巻き起こした情勢は、ウィトゲンシュタイン家を大きく揺さぶることとなる
1938年には、第一次大戦で小国となったオーストリアへ工作し、「独墺合邦(アンシェルズ)」に成功。概ねそれに反対していた一家は、新体制への迎合を迫られる
しかし、ユダヤ人を選別する悪名高きニュルンベルク法がネックに。3代遡って3人のユダヤ人がいたと認定されたことから、本人たちの自覚がないままに“ユダヤ人”と認定されてしまう
そして、パウルが愛人ヒルダと子を為していたことを、“ユダヤ人”でありながらアーリア人に手を出したとして罪に問われるのだ! 憤ったパウルは国外へ脱出し、母子もスイスへ逃れさせる
ここに至って、ウィトゲンシュタイン家は完全に引き裂かれた。結婚してアメリカ国籍を取得したグレートル(マルガレーテ)は、米独を往復して、家族の救助や財産の保全に奔走するが、これに関して2人の弟は関与しないし役に立たない
身も蓋もない家族間の相互不信もあらわになって、形骸化していた大家族が崩壊していくのだ
サブタイトルに「闘う家族」とあるが、一致して闘うわけではなく、それぞれがそれぞれの状況で闘うのみであり、下手すれば家族同士で闘うこともあるので、タイトルに偽りありだろうか(苦笑)
まずは忘れられたピアニスト、パウルの伝記として、家族を通した歴史の資料として読める一書である