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2024年の節分 平安神宮→聖護院→吉田神社

昨日は家族で節分詣で
平安神宮→熊野神社→聖護院→吉田神社とお決まりのコースなので、やっつけのダイジェストで写真を並べます


1.京セラ美術館で長い行列

平安神宮に向かう途中、

001 京セラ美術館

京セラ美術館で、信じられないぐらいの長い行列が!
村上隆 もののけ 京都』展が開かれていて、限定トレーディングカードが先着5万人分、配られるとか
これだけ配れば値段が下がりそうだけど、おそらく転売ヤーも混じっているのではなかろうか


2.平安神宮の節分狂言

平安神宮では、2時まで節分の奉納狂言を観賞

010 節分行事

演者が高齢化しているせいか、台詞忘れが続出していた(苦笑)
が、どの演目も人間同士の欲のかき合いを笑いに昇華していて、もうそこに漫才やコントの原型があるように思える
伝統芸能といえど、時代ともに形を変えているのだろうけど、日本のお笑いの源流を見た感じ
最後は、茂山一族の方々が出てきて、朗々とした唄を披露されて締め

003 中の準備

聖護院、吉田神社と予定があるので、福豆撒きには立ち会わず


3.聖護院

節分狂言を最後まで観てしまったので、聖護院八つ橋の炊き出しは終わっていた。ここで無料でもらえる"ぜんざい”を楽しみにしていたのだが

011 聖護院

その代わり、聖護院の採燈大護摩供には、立ち会えた
法螺貝が行進ともに響き渡り、護摩壇の周囲を山伏たちが通っていく
山伏と修験道の由来を伝えるために、義経の『勧進帳』の元になったと言われる問答が披露された後、四方に結界を張る矢を放ち、剣にて内の煩悩を切り、斧で護摩壇の木を作る振りをして、いよいよ護摩壇に点火される

023 煙2024 煙3

何とか撮りたかったけど、人のカメラしか映らないし、あんまりシャカリキになるのも、煩悩を払う場所で如何かと思ったので、まあ妥協
功徳の煙はこの通り、寺院の外にも立ち込めたのでありました


4.吉田神社

わりとクタクタになりながら、吉田神社

026 吉田神社

露店が並ぶ参道から本殿へは、この人だかり
マスクをする人がめっきりいなくなって、それはそれでインフルエンザが怖い
厄除けに行って、病気をもらうのだけはバカバカしいので、注意ですな


関連記事 【京都人による京都観光】熊野神社・聖護院
     【京都人による京都観光】吉田神社

【ぶらり奈良観光】初詣に春日大社→東大寺

辰年にちなんで、今年は奈良の春日大社
まあ、京都人で辰なら八坂神社が定番だけど、近場すぎて非日常性がないというか


春日大社は、JR奈良駅、近鉄奈良駅が最寄りの駅
行きはJRで降りたけど、距離的には近鉄が近い


1.興国寺の五重塔・旧奈良物産陳列所

春日大社平城京の鎮護のために建てられた神社なので、その周辺には東大寺、興福寺など文化遺産が固まっている
JR奈良駅から三条通を歩いていくと

001 興福寺の五重塔
国宝「興福寺の五重塔。興福寺は藤原氏の氏寺で、京に都が移っても、「南都北嶺」と比叡山とならぶ宗教王国であった

006 陳列所
1902年に建てられた旧奈良県物産陳列所。一目洋館に見えるが、瓦屋根に平等院鳳凰堂をなぞらえたという和洋折衷の重要文化財

こうした建物が自然に目に入る
平城京そのものは74年間で遷都されたが、土地に根ざした歴史の蓄積を感じさせる


2.春日大社

さて、春日大社だが、人が多いのでなかなか撮るタイミングが難しい

008 春日大社の鳥居009 この人だかり

この人だかりである
警察の担当者が、細かく入場制限してくれたので、牛の歩みながら窮屈さは感じず、本殿ではほどほどの密度で済んでいた

012 祈祷所013 本殿側面

本殿正面はうまく撮れなかったので、替わりにその周辺を
石灯篭の上に苔がむしていて、そこからさらに雑草が生えているという光景は、他ではあまり見ない


3.東大寺大仏殿

メジャー過ぎるゆえ、「一度来たから」と敬遠しちゃてたのが東大寺大仏殿
子どもの頃から数十年ぶりに入ったが

030 大仏殿の門大仏殿の中門

032 兜跋毘沙門天034 持国天
左が兜跋毘沙門天(多聞天)」”兜跋”は西域のトルファンで化現したことをさし、北方を守護する四天王の善神
右が東方を守護する持国天

036 大仏殿2

大仏が鎮座するど迫力の大仏殿世界最大の木造建築ではなくなったが、古代の日本で作られたことを加味すると、やはりとんでもない規模だ

*現在、木造建築で世界最大スペインのセビリアにある「メトロポール・パラソル」(2006年完成)。他にアメリカの「ティラムーク航空博物館」(1942年完成)なども大仏殿を上回るが、どちらも近代以降の建物


4.盧遮那仏

大仏殿ではなんと、写真撮影が可能!!!
人の流れをさえぎる「三脚を使った撮影」「グループでの撮影」は禁止だが、時の流れを感じざる得ない
というわけで、撮影させて頂くことした

041 盧遮那仏042 盧遮那仏の背後

本尊の「盧遮那仏。人間としてのブッダを越えた、真理を体現する”宇宙仏”であるとして、巨大な姿で圧倒する
台座にはマンダラが刻まれ、背面には雲がたなびいていた

043 虚空蔵菩薩040 如意輪観音坐像
盧遮那仏の脇侍するのが、左に「虚空蔵菩薩」、右に「如意輪観音」
虚空蔵菩薩は、金星の”明けの明星”と同一視された知恵を授ける菩薩
如意輪観音は、古代インドの武器「チャクラム」から転じた”如意”により、人々の煩悩を破壊し救う観音菩薩の変化身

044 広目天053 多聞天
左が「広目天」右が「多聞天」。残る四天王「増長天」「持国天」は、江戸時代の復興で完成できず、首のみが置かれている


5.南大門

大仏殿を出たあとは、東大寺ミュージアム
7分間の動画東大寺創建の経緯、二度の戦火とその後の復興を説明するが、当時の日本人口半分である260万人が動員されたことには驚いた
国家鎮護のイデオロギーもあったにせよ、日本史にまれに見る暴政といえるのだ。律令制による強力な中央集権体制があったからこそ、このような巨大建造物が建てられたのだろう
動画ではそれを肯定的に称える内容に終始し、日本史の教科書にしても似たようなものだろう。1000年、大本営発表が続いてしまうというのはニントモカントモ
まっ、そういうのを抜きにすれば、珍しい史料も揃い、休憩場所も広い、いい施設であります

*平城京が74年で終わったのは、752年に開眼供養された大仏の、メッキ加工のための水銀が蒸気として平城京へ流れたから、という説もある

060 南大門の裏064 南大門正面
左が南大門の裏、右が南大門正面。塗料が剥げ、すっぴん過ぎるお姿。改装の予定はないんですかね

063 金剛力士立像062 石造獅子像
左は金剛力士立像。右に石造獅子像。ともに鎌倉の再建期に建てられて、特に石造獅子像は、わざわざ南宋から職人と石を取り寄せた

058 満腹の鹿

せんべい目当てで観光客に近寄っていた鹿たちも、3時過ぎになると、腹いっぱいでこの通り
管理人もまた、疲れと文化的満腹感で、鹿と同じような心境になった
それにしても、東大寺大仏殿のあの規模、大きさは、やはり異常で、律令体制の凄まじさを感じた。聖武天皇の建てさせた大仏殿は、現存するものの1.5倍の幅があったというのだから……

交通費的に、山科からだと滋賀の湖北、湖西に出かけるのと変わらないし、次は単身でぶらり旅しましょうかね




【ぶらり滋賀観光】安曇川

朽木陣屋から安曇川沿いに歩く


1.朽木陣屋

朽木家の居城は、朽木谷の北西部、北川を渡った野尻にある

014 朽木陣屋016 陣屋の井戸

戦国時代、北川の対岸「朽木城」が“野尻の丘”を建てられたが、江戸時代にここを陣屋に改修して、朽木本家の居館が置かれたという
地勢的に重要な場所だが、準大名格とされながら微妙な9590石という地位、財政基盤から、城塞の保持を免除されたのだろうか?
現在の”野尻の丘”には、城の跡地が残っているものの、真っ平らなのであった

018 資料館は休館

朽木資料館は、休業中
近くに工事の車両がうろうろしているので、地域全体の改修工事がなされているのかもしれない


2.宝牧場

安曇川は水量のわりに、川幅が広い!
今は大人しく見えるが、かなりの山を削って、朽木谷を作り上げたのだろう

044 安曇川2045 安曇川の河原

安曇川を南東へ渡ったところに、宝牧場がある

048 宝牧場

ウシが飼育されている棟の近くに、「近江牛、焼き肉」の看板!!
管理人はシュークリームで済ませたが、ウシがモーと鳴く声を聞きながらの焼き肉とは、人の業を感じさせる光景である(笑)
子供が元気に遊んでいたけど、真実を知ると肉を食えなくならないか心配になった。まあ、それもひとつの教育だろうけど
乳牛と肉牛が別棟で育てられていて、肥料を蒸して作っている場所などがあり、牧場だけどいわゆる牧草地などはない
乳牛は乳量がストレスのバロメーターで、日本の気温だとあまり外に出すのが好ましくないとか。肉牛は運動すると筋肉質になって、肉が硬くなるなどの問題があって、環境によって放牧が自然で正解とも限らないのだ

049 抜塚遺跡

この看板は、抜塚遺跡の表札。どこからどこまでが遺跡か、分からないのだが、朽木氏前の領主・坊殿少将に勝利した際に生爪を剥ぐなど残酷な拷問をして処刑したことから、領民が憐れんで塚を遺したとか
肉塚、爪塚とも言われる、ホラーの素材になりそうな伝承である
朽木氏は承久の乱で、朽木の地頭職となった佐々木信綱を祖とし、その後、高島郡(現・高島市)を支配した一族が坊殿少将を討ち取ったようだ
坊殿の館は現在、工業団地になっているとか


3.安曇川水景

江若バスの運賃は、片道700円超!
少しでも節約のと、安曇川の風景を見るべく、てくてく歩く

052 高岩橋053 岩肌

左は「高岩橋」。下に水量をコントロールするため、浅い可動式のダムが建てられている
右は「みくり橋」で見られた、巨大な岩壁! 下の岸が川に削られて、上部が支えきれずに崩落したと思われる

056 宮の越橋058 護岸工事

「宮の越橋」に来ると、護岸工事でコンクリートで固められた箇所が!
ここまでやらないと、安曇川の浸食は止まらないのか

062 合同井堰068 魚道堰

「荒川橋」を越えると、安曇川合同井堰が見える。これは水量のコントロールともに、農業用水などの取水するための施設
右はそれを保護するための魚道堰床止工もと呼ばれ、下流の川床が削られて、川の中に置かれた樋管を守るために築かれたとか
安曇川の漁業のため魚が通れるようになっていて、自然資源との兼合いを含めた対策がとられているのだ

あとで調べて驚いたのは、安曇川京都を水源として唯一琵琶湖に注ぐ川だということ
丹波高地から発して、その森林と雪解け水などを流し込むゆえに、琵琶湖でも一番の流入量を誇っているのだ
そりゃ、これだけ対策がとられるわけだ
その川の力は山を削って、琵琶湖に土砂を運び、扇状地をなして今の高島一帯の土地を作ったのだ。川を下っていくと、視界が大きく開けていくので、その様がよく分かる


といったところで、足がパンパンになり、午後四時と日没へのリミットも近づいてきたので、ギブアップ
江若交通バスの「広瀬川」から、一時間一本のバスに乗り込んだのであった。交通費が400円くらい浮いたかな?
カフェイン中毒者として、自販機のないことと、山の寒さでくだびれたものの、見られた風景には大満足。でもまあ、朽木谷から徒歩で下るのは、想定されていないので、車で行ける人はそれが一番でありましょう


前回 【ぶらり滋賀観光】朽木谷



【ぶらり滋賀観光】朽木谷

『ブラタモリ』につられて、朽木谷、鯖街道を見に行った


1.朽木谷への道

車に乗れない人間なので、公共交通機関を利用する

001 安曇川駅

まずは京都からJR湖西線に乗り、安曇川駅

002 バスの経路

江若交通バスで、「安曇川駅前」から朽木小学校前まで
バスの運賃は770円!
JRの運賃並なのだが、距離と利用者の少なさを鑑みるとやむを得ない

006 朽木谷小学校前

これが「朽木小学校前」のバス停。鯖街道の観光客を意識してか、大きめの休憩所が整えられている
バス停は”小学校前”とあるけれど、朽木中学校、朽木保育園も併設されていて、学童が登下校する専用の京阪バスが運行されている
朽木谷以外にも、谷間の平地に家々が点在しているので、細かくバス停があり、住人の足となっているのだ

江若交通バスは、もともとは江若鉄道として湖西の鉄道を持っていたが、国鉄の湖西線整備をもって廃線し(1969年)、その後、京阪グループの子会社として存続している


2.鯖街道

『ブラタモリ』いわく、鯖街道断層によって生まれた自然の直線
この季節になると、日本海からの北風が通ってくるように寒い!

008 鯖街道2009 鯖寿司

このとおり、鯖街道にちなんだ、寿司屋が立ち並ぶ
ここまで推されると、車の足を止め、食べるなり土産に持ち帰りたくなるのが人情だろう

029 鯖街道南へ

このとおり、鯖街道の行く手は、山々が開け、まっすぐ続いていく


3.古い町並みの保全

朽木谷は、平安の昔から都と関係の深かった地域
室町から江戸時代にもそれは例外ではなく、古い商家が市場区として保全されている

020 旧商家熊瀬家
これは江戸時代の商家、熊瀬両家(仁右衛門家・伊右衛門家)のもので、酒造り・醤油造りを本業とし、”朽木藩”の御用商人を務めた

021 立樋023 川戸

左はレンガ造りの分水塔「立樋」(たつどい)。山腹の湧き水を樋で集め、サイホン(大気圧を利用してより高いところに導く)を利用して、各家庭へ送水する。さすがにレンガ造りは明治以降か
右は江戸時代に整備された川戸。各家庭の洗い場、除雪、消火に使われた

この近くに昭和8年に立てられた「丸八百貨店」があったのだが、撮るのを忘れていた。無念


4.興聖寺の足利庭園

さて、今回のメインディッシュ

030 興聖寺の門032 本堂

足利将軍義晴・義輝父子が京を追われた際、朽木植綱が用意した「岩神館が置かれた場所で、1606年に朽木宣綱が亡き妻のために「秀隣寺」を建立したが、それが朽木村野尻に移転した後に今の「興聖寺」が建てられた
11月11日の『ブラタモリ』放送の影響で観光客が増えたからか、拝観料300円を払う受付に人がおらず、忙しくしている若いお坊さんに渡す
いちおう、足利庭園を見る際にも拝観料がいるので、ご注意あれ
その代わり、御本尊を撮影できるそうだが(!)、普段の習慣から憚って撮影できなかった
あくまで又聞きなので、現地で確認して頂いたほうがいいだろう

033 足利庭園037 足利庭園

足利将軍を迎えるにあたって作られた庭園も、他の名園に比べると荒涼としている。なにしろ、保護すべき足利将軍家が滅んで何世紀も経つ、主なき庭園なので仕方ない
とはいえ、山々を背景にした庭の構図は、京都にあるものに劣るものではない
大規模な整備計画が建てられているが、令和4年の最終年でこの様子なので(池に水がない)、予定からかなり外れているようだ

025 興聖寺041 向こうに屋敷跡

ここは将軍が起居する、臨時の幕府が置かれた場所
その陣所として、有事に備えての要塞として機能し、将軍や直臣たちの屋敷が建てられていた
今の興聖寺の入口も、石垣にその前を横切るように階段があって、真っ直ぐ階段が伸びる寺院とは、まったく構造が異なる
お寺の裏側には、何かしらの屋敷が建てられたとおぼしき、ならされた平地があって、その前に土塁の跡がある
いわゆる戦国期の城塞ほどでないけれど、有事を意識した”朽木御所”の痕跡は残っていたのだ


次回は、朽木陣屋に、安曇川を途中まで下る旅になります


次回 【ぶらり滋賀観光】安曇川


琵琶湖疏水へ紅葉狩り

もうすぐ、紅葉シーズンも終わるので、散歩コースの疎水をば


1.洛東高校から

001002

意外にも、まだ紅葉しきっていなかった
先月に一気に冷え込んで戻ったからか、先に赤くなった紅葉は黒ずんでいて、最近に赤くなったのは鮮やかに染まっている

004 区民の木、エノキ

見かけたのが、区民の木に指定されているエノキ 
半世紀近く生きて、初めて知った存在だが、住民に親しまれる名木なのだろう

012013


2.本圀寺の総門、正嫡橋から

019020

疎水ならではなのが、川面に映る紅葉。枯れ木で寂しいところもあるけれど、天気が良ければこのとおり

022


3.栗原邸

疎水を歩いているときに、いつも気になっていたのが、このお屋敷

024025

使われていないけど、他人の家を撮るのはまずいと自重していたが、これ実は文化庁の「登録有形文化財」!
この栗原邸は、1929年染色家の鶴巻鶴一の邸宅として建設された、当時としては最先端のコンクリート建築だった
鶴巻が京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)校長を務めていたことから、同校教授の建築家・本野精吾によって、「中村式鉄筋コンクリート建築」(鎮ブロック)といわれる、特殊なコンクリート・ブロックの工法で建てられ、装飾にはウィーン分離派・ウィーン工房の影響があるとか
2017年京都市による「京都を彩る建物や庭園」に認定されるなど、モダニズム建築の文化財として価値が高まっている一方で、保全に費用もかかることから、購入者を募集しているという

026027

このお屋敷の木も赤く染まっていた


写真は数日前のもので、今週の半ばは雨が降るらしい
だけど、まだ紅葉もまばらだったので週末までは保つかもしれない

2023’清水寺の紅葉

そろそろ雨が降ると危ないと思い、近場の紅葉を見に出かけた
今回は清水寺


004 子安塔

舞台の向かい側にある子安塔から
堂内には子安観音が祀られている三重塔で、聖武天皇、光明皇后の祈願所とされている。創建は不明で、現在は1500年(明応9年)に再建された。子安観音は幼児の成長を見守る観音菩薩で、三年坂はもともと産寧坂(さんねいざか)と言われる参道だったとか

005 子安塔から
子安塔から眺めた清水の舞台

008 009

ネットでは7~8分の紅葉とされていたが、現実には同じ紅葉でもかなり個体差がある
もちろん、一瞬でシーズンが終わらないように多様な種を植えているのだろうけど、これならひと雨あっても大丈夫な感じだ
落葉は12月9日と予測されていたので、本当にそれぐらいまで持ちそうである

011 012

舞台の上は観光客がぎっしり。中国や韓国から来ているひとが多くて、ここもコロナ以前の水準に近づいてきた

015 016
池に写った紅葉は、夜間拝観のライトアップこそ

今年の夜間拝観は11月末までなので、お早めに
今日の具合だと、それが過ぎてもまだ楽しめそうだ


前年→ 【京都人による京都観光】清水寺の夜間特別拝観

2023’毘沙門堂の紅葉まつり……の後

天気が崩れないうちに、と近場に紅葉狩りにでかけた
タイミングを逃さないために、定番の散歩コースになってたわけですが


1.琵琶湖疏水

001

通りがかりの橋から撮っただけですが

002

違う日に疎水を通ったときには、場所によって紅葉の度合いが違って、散っていたり、まだ青かったり


2.毘沙門堂

紅葉まつりは、祝日の23日だった

003004

疎水の紅葉が微妙で心配したのだけど、今年は近年になく美しい

006007

紅葉まつり23日に、午前中に法要が、午後に詩吟や雅楽の奉納が行われたらしい
それを過ぎた後は、観光客が多いせいか、売店が開いているぐらい

009010

平日でも外国の観光客だけでなく、車がひっきりなしに上り下りしていた
やはり、京都でも有数の名所なのだ

014015

正確には8~9分の紅葉だったけど、お天気が不安定なので、ここ数日が見時かと


関連記事 【京都人による京都観光】安祥寺・毘沙門堂

【京都人による京都観光】東寺

家族と食事をした後、東寺を見に行った
ブラタモリで取り上げられてから、また来てみたいと思っていたのだ
ただし、入場料は2000円と高い! 元をとらねば見て回る

東寺8世紀末に、平安京を鎮護する寺院として建立され、正門の羅城門を挟んで西寺も存在した
その後、嵯峨天皇から弘法大師・空海に下賜され、国家鎮護の役割とともに、真言密教の根本道場となる
平安後期以降、戦乱のたびに衰退と復興を繰り返し、今残っている建物は、豊臣秀吉→秀吉→徳川家康→秀忠→家光と時の権力者の後援によるものなのだ

西寺の跡は、公園として残されている。グーグルマップでみると、この間に羅城門があったと分かる



1.講堂

仏像の撮影は、許されないわけでありまして
写真は地味になります

009 講堂

講堂には、巨大な大日如来を中心に21体の仏像が配置されている。創立当時(つまり平安時代)からの仏像も多く残り、その佇まいには圧倒される
ただ、曼荼羅の配置を意識しているので、正面から後列のものを見にくい!
見世物ではないので、致し方なしだが
この荘厳な諸仏を弘法大師の教えを表現した「立体曼荼羅と呼ぶ
ただし、その教理については長らく論争があり、少なくとも空海の時代の考え方ではないとか


2.金堂

東寺のなかでも、もっとも古い建物という金堂
金堂にも3体の仏像がある

008 金堂

薬師如来を挟んで、日光菩薩、月光菩薩を両側に配置されている
薬師如来の台座の周囲を1面に3体ずつ、3✕4の十二神将が並べられている
「奥側の神将が見られない」との声に答え、神将だけを違う場所へもっていって、十二神将すべてを拝見できるようにしたこともあったそうだ


3.五重塔

東寺を代表するといえば、この五重塔

012 五重塔

木造塔としては、日本でもっとも高い54.8メートルを誇り、ブラタモリで触れられていたように、平安京のランドマークとしての役割を担っていた
かつての京都の玄関口であり、現在の玄関口である京都駅に近いのも、地勢のよるものなのだろう

014 五重塔2

一階が今は公開されていて、心柱の周囲に置かれた仏像を拝むことができた
仏像もさることながら、周囲の壁や柱、天井にもかすれているとはいえ、弘法大師やその師匠たちの姿や花が描かれ、往時の華やかさを想像させられる

五重塔心柱とは別に各階の建造物が乗せられており、地震で揺れたとき、階ごと浮き上がっても、心柱で衝撃を吸収する。建築学でいう「柔構造となっているとか
もっとも、火事には敵わないので、現在の五重塔は江戸時代、家光の代に寄進されたものだ


4.灌頂院

灌頂院は、師匠から弟子に奥義を伝える儀式、修法を行う場所

016 灌頂院

重要文化財だけど、外は地味、中に仏像があるわけでもない
しかし、中では壁に僧の絵が残っていて、アーティスト・小松美羽による作品「ネクストマンダラ」が掲げられていた
仏といより、ヒンドゥーの神々というか、宇宙から飛来したクトゥルフ感がある


5.小子坊

南北朝時代に、戦乱が収まるまで光厳天皇が政務を執ったされる小子坊

018 小子坊

今は公開されていないが、皇族をお迎えする際に使われる特別な建物で、6つの部屋に、戦前に再建されたときに作庭された「澄心園国宝の「蓮花門がある

019 モダンな佇まい
よく見ると、モダンな作りなのだ


6.宝物館

京都屈指の進学校、洛南高校の裏手に、宝物館はある

020 宝物院

1階は、お寺に関わる古文書や、発掘された鬼瓦など
2階には、寺院に寄進されていた宝物に、国宝の「両界曼荼羅図」が10月21日まで公開されており、宇宙は仏で満ちているという密教の世界を味わえた
ちなみに、10月22日から11月25日までは、国宝「弘法大師尺牘」(空海直筆の手紙)が公開されるとか


7.観智院

北大門から出た洛南高校の向かい側に、南北朝時代後宇多法皇の発願により建立された観智院がある

030 観智院

弟子が師の遺徳を募う「塔頭(たっちゅう)」として創建されたが、法皇との関わりからか別格の「本山」と見なされている

024 観智院の庭4 026 四方正面の庭
庭園からは五重塔も見える
どこから見ても、正面になる「四方正面の庭」なるものも

茶室がいくつか用意されていて、ある部屋には若き日の宮本武蔵が書いたという鷲の図」「竹の図が、かすれながらも残されている。武術のみならず、筆のほうもかなりの腕だったことが分かる
とはいえ、無事に残っている部分は少ないので、巨大なスクリーンで在りし日の襖絵を再現されていた。全体像が分かるなら、復元が待たれるところだ

吉岡一門との決闘の後宮本武蔵が逃れたとされているが、そもそも実際に吉岡一門と実戦で立ち会ったのか、さだかでないので、誰が書いたかはなんともいえない


8.食堂

なんで、「食堂が拝観スポットに!」と思ったら、食堂と書いて、“じきどう“と読むのであった(笑)
もっとも、僧侶が生活のなかで修行するという、生活空間ではあるので意味合いとして間違ってはいない
光厳天皇が「小子坊」で政務を執っている際、それを支える足利尊氏は、ここで居住したという

032 食堂

中には、千手観世音菩薩の本尊に、国内最大級という四天王像が安置されている
今は土門拳の写真展も行われていて、1964年に『古寺巡礼』のために撮影した写真、また撮影の様子もいくつも展示されている
当然のことながら、一般の人間に撮影は許されないので、土門拳の作品は非常に貴重なのだ。古刹のなかでも、東寺をかなり気に入ったらしく、特別に『大師のみてら 東寺』という写真集も出している


すべて回ってみれば、2000円の拝観料も高くは思えないボリュームなのであった
当然、時間はかかるので、イオン・モールで買い物のついでというわけには行かない。拝観するなら、それをメインに予定を立てるべきでありましょう




【京都人による京都観光】祇園祭2023’前祭

今年は近場の親戚が集まって、祇園祭の宵山
だいたい目玉の山車は書いてしまったので、まだ紹介していないところを中心に


1.瀧尾神社の龍頭

京都大丸には巨大な龍頭が飾られていた

001 瀧神社の竜頭

東山の瀧尾神社のものであり、奉納したのは大丸・創業者の下村家幕末の1839年に納められ、それ以来、大丸と瀧尾神社はなが~い付き合いが続いているのだ
そして、大船鉾の龍頭は、この瀧尾神社の龍頭をもとに復元されたとか

027 龍頭
大船鉾の龍頭

007 函谷鉾

大丸の近くには函谷鉾が。斉の孟嘗君函谷関で部下に鶏の鳴き声をさせて、開門して難を逃れた故事をテーマにしている
山車により人気だったのは

006 犬が人気

浴衣を着たワンちゃん! 暑さのなか、四方に愛想を振りまいていたのであった


2.占出山の日本三景

占出山の山車はそれほど大きくなく、祭が始まった初期の形態をとどめたものなのだが

012 占出山 松島 松島 
013 占出山 宮島 宮島
014 占出山 天橋立 天橋立

綴織が「日本三景で、その上では36歌仙が描かれたゴージャスな綴織が!
36歌仙の存在に気づかず、画像に納められたのは無念


3.月鉾

020 月鉾 021 月鉾にはうさぎ

四条通の「月鉾には、月にちなんでかウサギが彫られている
見上げてばかりではアレなので、500円払って山車のなかを見てみることに

023 月鉾の柱 024 天井の絵

柱にはゴージャスに掘られた花の彫刻が。天井にも源氏物語を題材にした「五十四帖扇面散図」が貼られている
胴懸にはオスマン・トルコやムガール朝から伝来したという絨毯が使われるなど、月鉾は動く美術館」の異名をもつそうだ


4.岩戸山

岩戸山は、言わずとしれた「天の岩戸」の故事をテーマにした山車

034 岩戸山のおじさん 035 岩戸山

昭和、平成になってから復元されたり、奉納されたものが多いせいか、他の山車よりもきれいで、テレビの中継まで受けていた


夕食は以前にも行った、中華のお店「風枝」へ。烏丸通から、蛸薬師通へ進んだところにあり、祇園祭のときには行きやすい
祭のときにもそれほど混んでないので(失礼!)、グループでないなら予約なしでも行けるかも




開館1周年記念の佐伯祐三展へ行ってきた

家族に連れられて、大阪の中ノ島美術館へ。開館1周年記念の佐伯祐三展があったのだ


041 佐伯祐三展の大ポスター

佐伯祐三大阪生まれの洋画家光源寺の次男として生まれ、東京藝術学校(現・東京藝術大学)を経て、パリへ留学するも1928年、30歳で早逝した。そのフランス滞在中に、パリの店、広告、町並みと、流行の最先端を行く都市文化を描きつつ、結核を患った晩年はパリ郊外の長閑な風景画を残した


この展覧会、去年行った岡本太郎展と同じで、許可されたほとんどの絵を撮影できるのだが、気がついたのがしばらくしてから
学生時代の作品をまったく撮りそびれたのであった。撮影禁止の作品の横には、ちゃんとマークが貼られているので注意!
小学生並みの感想(いつもか?)で表現すると、必ず風景のなかに「電柱があった。風景画を描こうとするときに、排除したい異物にも思えるのだが、作者の年代では「電柱」そのものに文明の利器として、肯定的な意味があったのかもしれない
船の絵でも、帆柱に存在感にあって、垂直にそそり立つものが世界を支えるようなイメージを持った

さて、パリの作品はというと

007 パリ15区008

この通り、電柱がない!
パリはガス灯の伝統が長く、1960年代まで併用されていたようだ。最先端のモードと、歴史ある都市文化がこの街の魅力で、今では電線の地中化も進んでいるとか

011017
輪郭のはっきりしない印象派風のなかで、くっきり浮かぶ店の名前!

019020
ポスターや店名とメニューなど、文字情報がぎっしり。こんな風景画ってある?(笑)

013 ノートルダム021 リュクサンブール公園

パリ郊外の風景も。左がノートルダム大聖堂、右がリュクサンブール公園。公園にはリュクサンブール宮殿があり、現在はフランス上院の議事堂として使われている
フォーヴィスムの画家モーリス・ド・ヴラマンクを訪ねた際に、裸婦像を見せて「このアカデミズムめ!」と激怒され、当時描いていた自画像の顔を塗りつぶし、その裏にノートルダムの夜景を描いている。それも撮っておけば良かった……


2回目の渡仏で、パリ郊外のモラン村へ画家仲間と訪れる

027028
教会の絵が何枚も描かれていて、村の中心であると同時に、実家がお寺ということもあるのだろうか

032 黄色いレストラン031 煉瓦焼き
パリの印象派風の絵と違い、力強くぶっとい輪郭が。うつろう都会とは違う、重厚さを感じたのだろうか


そして、病気が進んだところに訪れた二人のモデルが

034 郵便配達夫035 ロシアの少女

左が有名な郵便配達夫。その後、狭い村にもかかわらず、姿を見なかったことから、米子夫人も「あの人は神様ではないか」と漏らしたとか
右はロシア亡命貴族の娘をモデルにした「ロシアの少女」


外のショップでは

036040

「郵便配達夫」のおじさんを全面に出したグッズが並んでいたのであった
まさか、自分が遠い未来にこんな扱いをされているとは、思いも寄らないだろう(笑)




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