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『真説・長州力』 田崎健太

幼少期から2015年まで



長州力とは、いかなる存在だったのか。数十人の証言からその歴史をたどる


2015年長州力が現役のうちに出された半生記。いわゆる立志伝ではなく、多くの証言から光と影を描くノンフィクションである
プロレス関係者の証言はその時々で、内容が変わるので、著者も長州力の話を疑ってかかっていた
しかし、実際に長州の証言には嘘がなく、“謎掛け”のような言葉で投げかけてくる。本書はその謎を解くべく、走り回った著者の記録ともいえる
関係者が書いた自伝や告白本は信ぴょう性が怪しく一番信用できるメディアがまさかの「東スポ」(!)だったという。昨日の試合を翌日の記事に出すので、加工する時間もなく生の空気を伝えてくれたという
知られざるアマレス時代、革命戦士の誕生、現場監督時代、WJの挫折……と長州自身のことにくわえ、UWFの誕生と変遷といった周辺のことまで詳細に触れられるので、まさに一冊でプロレス史ともいえる内容なのだ


ミュンヘンオリンピックの韓国代表


山口県徳山市に生まれた長州こと、吉田光雄は、桜ヶ丘高校のレスリング部に進学。恩師・江本孝允の働きかけで、インターハイへ出場、さらには韓国籍ながら長崎国体へも出場し、75キロ以上級で優勝する
専修大学でも全日本学生選手権でグレコローマン90キロ級を優勝したが、国籍から日本代表としてオリンピックには出られない
吉田を専修大に引っ張り込んだ鈴木昭三監督は、在日本大韓体育協会の会長・町井久之へ頼む
町井自体も専修大出身だったが、鈴木の熱意からソウルの選考会に吉田を押し、結果を残したことからフリースタイル90級の韓国代表となる
しかし、兵役経験者もいる他の代表選手たち、言葉の問題、減量に失敗したことから1勝2敗で敗退。「黒い九月事件」の煽りを受けるなど、不完全燃焼に終わった

町井久之は終戦直後の混乱した時代に、愚連隊を結成。60年代には構成員1500人誇るようになる「東声会」を組織した
山口組の田岡一雄と盃を交わし、右翼のフィクサー、児玉誉士夫の側近となって、日韓の水面下のパイプ役として暗躍した



“革命戦士”への道

営業本部長・新間寿にスカウトされ、新日本プロレスに入団したが、競技とプロレスの違いに悩む。レスリングは相手の背中をつければ終わりだが、プロレスはそこから始まり、勝てばいいという単純な世界ではない
猪木に「長州力」と命名されたが、比較されたジャンボ鶴田と差をつけられ、年の近い藤波辰爾に、タイガーマスクの登場に影が薄くなっていく
そこから転機になったのが、1982年の「噛ませ犬事件
はっきりとは言わないものの、長州も仕掛け人は猪木としている。当事者の1人、藤波も猪木の懐刀だった新間も知らぬサプライズとして、長州は仕掛けに乗った
その後アメリカへ渡航し、マサ斎藤と行動をともにする。現地でヒールを演じるマサから、プロレスラーとして覚醒、自立した
アントン・ハイセルの不振から来た、1983年のクーデター事件の余波から、大塚直樹によるジャパンプロレスの旗揚げに加わり、馬場の全日本プロレスを舞台に旋風を巻き起こす


新日現場監督とWJの旗揚げ

ジャパンプロレスは売上が上がらないわりにレスラーのギャラが高止まりし、バブル経済から事務所の土地問題が持ち上がる。土地所有者の竹田社長、大塚ともめて長州は大会を突如として、欠場
長州は「全日本と新日本を天秤にかけた」といい、1987年、マサ斎藤に従って新日へ復帰する
同じく舞い戻っていたUWF勢は、前田日明が長州の顔面を割ったことで解雇され、団体のど真ん中へと近づいていく
89年に坂口社長就任で、長州は現場監督を任され、越中詩郎を側近として、UWFインターとの対抗戦などで辣腕を振るった
98年に引退するものの、新日本の興行が振るわないことから、新日は大仁田厚の参戦に踏み切り、それに応えるかのように現役復帰
しかし、猪木の格闘技路線により、武藤敬司らの全日移籍をきっかけに、悪い意味で伝説(!)の団体「WJを旗揚げす
「WJ」についてはいろんな媒体で語られているとおりだが、取材で油断ならない人間とされているのが、『地獄のアングル』で有名なゴマシオこと、永島勝司
『地獄のアングル』の中でも矛盾する部分があり、マンガ化したときに一部を訂正するなど、記憶を改ざんするプロレス関係者の典型として描かれている


大仁田劇場の真実

脇の話でも驚かされることは多い
特に大仁田劇場は見ていた人間からは衝撃で、テレ朝のアナウンサー、真鍋由との絡みが完全なアドリブだったという。特に長州力にこだわりはなく、受けてくれれば猪木でも良かった

「俺がやってきたのは、大仁田厚という素質がないプロレスラーをいかに開花させるかということ。プロレスというエンターテイメントは、力ある者だけがのし上がれるという格闘技とはまた違った不文律がある。俺はプロレスラーとして“強い”象徴ではない。長州力は違う。自分とは対照的な長州力を電流爆破に入れることができた。長州さんをリングに上げるだけで、俺の中では長州戦は終わった。上げるだけでよかったんだから。もし長州さんが復帰せずにあのまま引退していたら、長州力伝説になっていた。俺は伝説にさせたくなかった。長州伝説で終わらせないための悪巧みだったんだよ」(p369)

猪木は大仁田を「死なない男」「負けても勝つ男“毒物”と見なし、長州の復帰に「第ニの引退をする機会」を失うと警告したが、その懸念は見事に当たったようだ


長州の言葉は、ぶっきらぼうで言葉足らずながら深い
波は大勢でなければ起こせないが、波の上に乗るのは1人というのは、いろんな世界であてはまるのではないだろうか
エピローグで、猪木について触れている。かなり難解なのだが、猪木のプロレスは「すべてがシュートとし、長州が重視していた「(客への)インパクトと通じていて、長州のなかに猪木は深くを根を下ろしていることを伺わせる
本書はインタビューにプロレスメディアのライターは入っておらず、良くも悪くも業界と一線を画してるが、それだけに透明なフィルターで虚像を背負う人間に迫ることに成功している


関連記事 『地獄のアングル-プロレスのどん底を味わった男の告白』

『1984年のUWF』 柳澤健





総合格闘技の魁となったUWFとは、何だったのか。その神話と果たした役割を関係者の証言から綴る

著者は『完本 1976年のアントニオ猪木』の人で、約束された内容であった!
そもそもUWFの構想は、新日本プロレスの財政問題から始まった。社長であるアントニオ猪木が、新事業‟アントン・ハイセル(ブラジルで環境問題になっていたさとうきびの搾りかすの再利用)に乗り出し、大きな赤字を出したのだ
レスラーや社員たちもハイセルへの投資を社命として義務づけられ、興行で大きな収益をあげてもギャラには還元されない。1984年夏、経理の不正に気づいたフロントや現場は大きく反発し、猪木と腹心の新間寿を退陣されるクーデターが勃発した
しかし、テレビ朝日の介入で猪木は社長に残ることになり、新間だけが放り出されることとなった。そこに梶原一騎の秘書だった川島茂が声をかけ、フジテレビの放映を頼んで新団体を作ることとなった。これがUWFで、新日本プロレスの内紛から始まった組織だったのだ

見切り発車だったUWFが格闘技路線へ向かったのは、レスラーたちの出身である新日本プロレスの気風にある。当時の新日本では、ケツ決め=試合結果とフィニッシュ技を取り決めるものの、それまでの過程は選手たちに任され、アドリブの度合いが高かった
新人はデビューまでの間、リング上であまり使わない寝技のスパーリングで鍛えられていて、道場破りに備える
そうした気風をもたらしたのは、猪木にレスリングを叩きこんだカール・ゴッチ。高いレスリング技術を持ちながら栄光には遠かった彼は、アメリカのショープロレスを堕落と非難し、‟リアルなレスリング”を日本のレスラーに伝えようとした
自宅のゴッチ道場でUWFの一線に立つ藤原喜明、佐山聡、前田明らを育成した
そして、決定的なのが当時、タイガーマスクとして人気絶頂だった佐山聡が、UWFで展開したファイトスタイル。プロレスを真剣勝負と信じて入団し、秘かに「打撃→投げ→関節技」の流れのリアルファイトを描いていた彼は、藤原喜明と死闘を繰り広げ、「ロープに振られて返ってこない」「関節技によるフィニッシュ」など従来のプロレスのお約束を打ち破った

それでも第1次UWFで展開された戦いは、あくまで「格闘技ぽいプロレス」だった。佐山聡は段階を経て、ルールに基づく格闘技への移行を狙ったが、藤原喜明や前田明ら他のレスラーから大きな反発を招く
1985年6月にスポンサーの豊田商事の永野一夫が刺殺され、9月には佐山の理想を応援していた浦田昇社長が退任。佐山はプロレス界から訣別し、アマチュアの総合格闘家を育成する「修斗の設立へ向かう
佐山を失ったUWFは経営危機から、散り散りとなり前田、藤原、高田などのレスラーは新日本プロレスへ復帰する
前田明が新日本での戦いぶりは、センセーショナルなものとなった。1986年4月、仲間のレスラーを負傷させたことから‟世界8番目の不思議”アンドレ・ザ・ジャイアントがリング上でセメントを仕掛けきて、これを撃退
この試合結果から、ファンの間で「前田こそが実力ナンバーワンのレスラーでは」とポスト猪木を期待される存在となる
しかし、その後も藤波辰爾などを負傷させ、1987年11月に全日本から復帰した長州の顔面を骨折させたことから、新日本を解雇されることに
面白いのが、猪木をのぞく新日本全体では毛嫌いされても、プロレスを真剣勝負と信じるファンたちが、前田を支持したこと。猪木のはじめた異種格闘技戦が発展したものがUWFと捉え、選手が高齢化し不完全決着の多い、既存のプロレスのアンチテーゼとして人気をはくしたのだ 

1987年5月、第二次UWFが旗揚げされるが、皮肉にもそのスタイルは佐山聡が提唱して否定された「シューティング・プロレス」を踏襲するものだった
蹴る側と蹴られる側のダメージを減らす「レガース」を装着し、大都市での興行を1月1回に絞った。「借り物の思想をきれにパッケージして大儲けする。まさしくニューアカ(ニューアカデミズム)の時代にふさわしい出来事でしたね」(亀和田武)
芸能界の手法を取り入れたメディアミックスは、マスコミにもUWF=真剣勝負の幻想を植えつけ、テレビのニュース番組にも取り上げられた
しかし、実際の試合には第1次の佐山と藤原の試合ほどのものはなく、徐々に人気は落ちていく。スタジアムを満員の観客で埋めるためにチケットを配りまくり(昔の角川映画?)、その実態を知らないレスラーから上層部は不正経理を疑われる
その結果、前田も選手をまとめきれず、高田のUWFインター、前田のリングス、藤原組へ分裂した

時代は否応なく進み、リングスも当初はUWFのスタイルを引き継いだが、空手家を中心にリアルファイトの比率が増えていき、石井和義率いる正道会館はのちのK-1につながる動きを見せていた
さらに1993年9月には、藤原組を経た船木誠勝と鈴木みのるが新団体パンクラスを設立し、旗揚げ戦をすべてリアルファイトで行った。そして、1993年11月にはアメリカでUFCが始まる
UWFインター1995年10月の新日本プロレスとの対抗戦で、高田延彦は武藤敬司の4の字固めでギブアップし、存在理由を失って1996年12月に解散。1997年10月には高田はヒクソン・グレイシーになすすべなく敗れ、ここにUWFの幻想は霧散した
さて、UWFとはなんだったのだろうか。第1次UWF旗揚げ当初、ラディカルな寝技の攻防、関節技によるフィニッシュをみせても、観客には理解できず、新日本のスタイルを取り入れざる得なかった。佐山にとって客の眼を慣れさせるための、総合格闘技へ移行をにらんだ「格闘技のようなプロレス」であり、実際にそのように推移した
2000年代を席捲したPRIDEなど、総合格闘技の大会にも、ふんだんにプロレスを意識した演出がされており、日本人にプロレスから総合格闘技へ橋渡しする役割を果たしたといえる
本書は冒頭とラストをジェラルド・ゴルドーを破った中井祐樹の回想というまとめる秀逸な構成で、UWFを巡る理想と情熱、葛藤……そして身もふたもない権力闘争を見事に描ききっている


関連記事 『1976年のアントニオ猪木』
     『泣き虫』(高田延彦の告白本)


『完本 1976年のアントニオ猪木』 柳澤健

伝説の実像


完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)
柳澤 健
文藝春秋
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1976年、なぜ猪木はアリにリアルファイトを仕掛けたのか。日本プロレスの発祥から、四つの異種格闘技戦、そして総合格闘技時代までを展望する格闘通史


タイトルこそ、1976年と銘打ってあるが、実質プロレス史なのであった
ボクシングなどの打撃系はリアルファイトのみ(八百長を除く)で興行を続けられたが、レスリングはそうはいかない。攻防が素人には地味過ぎて客が決着を分かりづらく、1920年代にはすでにフェイク(ケツ決め)が主流となっていた
力道山に始まる日本のプロレスもそれが前提で発展していき、その弟子であるジャイアント馬場アントニオ猪木も当然それを引き継いでいた
しかし、アントニオ猪木はアリ戦において、なぜかガチンコ勝負を挑んだ。それが本書のテーマである

当時の新日本プロレスは、馬場率いる全日本プロレスとの長い冷戦が続いていた
自分にとって猪木が危険な存在となると考えた馬場は、アメリカのプロモーター連合NWAと結びつき、新日本プロレスに一流の外国人レスラーが流れるのを止めた
猪木はそれに対抗して、二流の無名レスラーだったタイガー・ジェット・シンを凶悪なヒールレスラーに仕立て上げ、国際プロレスのストロング小林を抱き込んで当時としては禁断の日本人エース同士の対戦を実現する
それでも馬場の牙城は崩せない。それを打破すべく飛びついたのが、モハメド・アリへの挑戦だった
フェイクとされるプロレスに比べ、ボクシングのヘビー級チャンピオンの地位は果てしなく高い。なぜアリがその挑戦を受けたかというと、ずばりアリ本人がプロレスが好きだったから(爆)
力道山に大流血させた「吸血鬼」フレッド・プラッシーとの交流から、ボクシング界に対戦相手を煽るプロモーションを持ち込み、ボクシング人気を飛躍的に高めたのだ
実際にアリはレスラー相手のプロレスを経験しており、猪木との対戦もフェイクの予定だった。しかし、猪木は途中でリアルファイトを要求。急遽、特別ルールが決められ、あの立ったままのアリに、スライディングする猪木という試合が生まれてしまう

異種格闘技戦はアリの前の、柔道金メダリストのルスカ戦があり、それはプロレス的な試合に終始していた。それをリアルファイトに変えた理由は、格闘界のキングオブキングスと呼ばれるボクシングに対して、「何でもありならレスリングが強いんだぞ」というレスラー側の鬱積したジェラシー。そして、どこか予定調和を嫌いそれを認めさせてしまう猪木のキャラクターだった
もっとも、レスリングの師カール・ゴッチから、タックルを教わらなかった猪木は、アリをテイクダウンできず試合を膠着させてしまった。いわゆる塩試合の原因について、総合格闘技のない時代の技術不足と指摘されている
完全版である本書では、朴正煕政権を結びついた、大木金太郎こと金一に代表される韓国プロレスの興亡とアリ戦に続くセメントとなったパクソンナン戦、猪木最後のリアルファイトであるパキスタンのアクラム・ペールワン戦の真実にも触れられており、プロレスファンなら必読の一書といえよう

猪木とアリの戦いは何を残したのだろうか。「プロレスは最強の格闘技である」という神話を残し、後輩たちは格闘技ぽいプロレス、UWFなどの諸団体を立ち上げた(それには猪木本人も絡んでいる)
しかし、興行面においてリアルファイトでは試合数が限られてしまい、ルールや技術が整備されていない時代においては怪我で選手を失いかねない。純粋な格闘技では運営できず、プロレス足らざるを得ない
著者は文庫版のあとがきにおいてUWFインターと新日本プロレスの対抗戦を、格闘技を装った異種格闘技的プロレスと生まれ変わった純粋なショープロレスの対決と評し、プロレスと格闘技が混在した時代の終わりとする
ちょうど、アメリカではUFCが立ち上がり、グレイシー柔術が旋風を巻き起こしていた。そのグレイシーを倒した桜庭和志は、その神話を復活させたかのように思われたが、それは卓越したレスリング技術で総合格闘技に適応したということに過ぎない
格闘界における猪木の功罪は、プラスとマイナスが大きすぎて測りかねる。莫大な借金を残したアリ戦についても、WWEのビンズ・マクマホンの目に止まり、新日本に外国人レスラーの調達ルートをもたらした側面がある
ファンに多くの幻想をもたらし、異種格闘技戦から総合格闘技への端緒を作り出した点で、著者も世界最高のレスラーと結んでいる

『泣き虫』 金子達仁

コールマン戦には触れてません

泣き虫泣き虫
(2003/11)
金子 達仁

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高田延彦はどのような思いで戦ってきたのか。新日本プロレス、UWF、UWFインター、そしてPRIDE、インタビューから書き起こされた半生の記録
本書は2002年、総合格闘を引退することを契機に、サッカーなど雑誌連載で知られる金子達仁インタビューなどを元に書き下ろしたもの
門外漢ともいえるライターに委ねたのは、今さらではあるものの、プロレスはやる前から結末が決まっていること、UWFインターですら一部を除いてそうであったことを大っぴらに明かしているからだ。まとめた著者も部外者なら角が立たないからだろうと、口をこぼしている
そのときの立場でPRIDEのガチさを称える内容ではあるものの、ハッスルをやったようにプロレスが嫌いなわけはない
新日本の新弟子時代、UWFでの葛藤、団体経営のしんどさ、疲労困憊のなかでの参院選立候補、敗北から目覚めたリアルファイトへの情熱、その時流した汗と涙が語られている

武藤との世紀の一戦を見れば分かるように、高田延彦はプロレスラーとして一流のセンスを持っていた。その彼が新日本プロレスを出たのはなぜか
本書では見も蓋もない光景が出てくる。新日で師匠的存在だった藤原喜明が、割り箸の倒れる方向で新日本に残留かユニバーサル(UWF)への移籍かを決めていたのだ(苦笑)
タイガーマスクの後継者として「青春のエスペランザ」と言われた高田も、大先輩の藤原を断れる立場になかった。ただし、前田日明、藤原への尊敬の念新日本プロレスが最強の格闘技を語るわりに実態はブックありきだったことへのジレンマから、裏事情を知らない高田は猪木に後ろめたさを感じつつも前向きに考えた
夜逃げ同然に新日本の道場から抜け出し、そのときにはデビュー前の橋本真也に荷物の積み込みを手伝わせている。事と次第によっては橋本がUWFにいる可能性もあった
UWFはフジテレビを媒体に猪木が来る予定で作られた団体であり、目論みが崩れた後に現れたスポンサーが悪名高き豊田商事!
社長の刺殺事件でUWFはブームを起こしつつも、新日本への出戻りを余儀なくされる

第二次UWFが崩壊し、UWFインターで高田が目指したのは「U」を背負いつつも“プロレスだった
UWFは他のプロレス団体を敵に回していたが、プロレス業界の中でプロレスの強さを発信する方向に転換した。それでも、プロレスをガチンコを信じるファンの存在が高田には辛かった
UWFインターは「一億円トーナメント」など奇抜な企画を立てつつも、地方の興行が振るわず赤字を増やしていく。起死回生のヒクソン戦を模索したが、グレイシーの道場を訪ねた安生が失神する事件が発生する
団体の人気に傷がついたところ、高田自身も社長業との兼ね合いから悩み、迷走を始める。安生と鈴木健に参院選への出馬を勧められ、トヨタのCMを降りる形で立候補し落選
新日本プロレスとの対抗戦を組まざるえなくなり、第一戦の武藤戦に敗れたことで団体の名声は地に落ちた

UWFインター解散後はヒクソン戦の実現を目指すが、途中、タイソンとの対戦ももちあがってきた。タイソンはホリーフィールドの耳を噛み千切り、ボクシングの試合ができない状態となり、収入を維持するためなりふり構わない時期があった
高田の気持ちは揺れタイソン戦へ傾くが、ヒクソン戦のための白紙委任状を興行主に渡していたため、急遽ヒクソン戦へ向かうことに。モチベーションを削がれた高田は、ヒクソンの幻想を膨らませ、克服できないまま試合に臨み敗れる
二回目のヒクソン戦を負けはしたものの、相手に幻想を抱かず等身大の敵として戦えたとして、総合格闘技へ情熱を燃やし始める。一般人からはプロレスラーと格闘王としての地位を失墜させたように観えても、本人はリアルファイトの夢を実現させていたのだ
タイトルの「泣き虫」は言い過ぎだが、高田は決して強い人間、怪物ではない。普通に生きていれば経験するべくもない、プロレスラー、あるいは団体の長として業界の修羅場を味わった辛さは、胸に迫るものがあった
著者は書き下ろしが初めてらしいけれど、高田に寄り添い続ける文章がいい。読ませる


関連記事 『最強のプロレス団体UWFインターの真実 夢と一億円』
     【DVD】『PRIDE.1998』 PRIDE.3-PRIDE.4

『禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負』 佐々木徹

ゆうつべとかに対談動画、復活しないかなあ

禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負
(1997/11)
佐々木 徹

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プレイボーイ誌上で実現した前田日明と猪木、長州、天龍との禁断の対談を収録した単行本
1993年当時の前田日明は引退を表明していて、現役のうちに和解しておきたいという気持ちが対談を実現した
単行本自体の中身はというと、対談三本では紙数が足りないせいか、ライターが企画の始まり、対談のお膳立てを整えるまでの苦労など、舞台裏の話が半分を占める
週刊誌の誌上ゆえ、対談が短いのは仕方ないとしても、因縁の相手に対する前田のロングインタビューぐらい載せてもらいたかった(短めの総括はあるけれど)
それでも当時、話題となった対談が舞台裏を含めて読めるのは貴重だし、プレイボーイの企画がこんなふうに始まるのか、と出版業の裏側を覗くこともできる

三者との対談は、「乱闘もありうる」と始まる前まで緊張感があるものの、顔を合わせれば互いに認め合う男同士。むずがゆいほどの褒めあいとなった
天龍源一郎とは、SWSを立ち上がったときに、UWFのスポンサーになってくれるはずだったメガネスーパーを前田が批判した時期があった
しかし対談ではそうした過去には触れず、団体運営の大変さを語りあう内容となった。長州顔面蹴撃事件が天龍―輪島戦に触発されたこともあって、天龍へのリスペクトは明らかだ
その事件の被害者である長州力とは、ざっくばらんの内容
長州の前田に対する批評は鋭く、「誰とも交わらない」「交わらない人間は人間関係が削げていく」と、孤独な戦いを続ける理由をピタリと言い当てる
蹴撃事件の真相に関しては、対談前に前田が「長州さんはレスリング出身で、蹴りに対する防御の経験が少なかった」して技術的な問題としている。長州も前田の離脱を防ぎたがったが、立場上できることに限界があったとした
1993年当時、猪木が小川を中心に総合格闘路線を取ったことには、前田がチクリ。「第二次UWFのときに肩入れしてくれればもっと大きな波になった」と嘆いた

さて、その猪木である
第二次UWFの際に、イギリスから帰った船木誠勝を新日に引きとめようとした話から始まり、ユニバーサル・プロレス(第一次UWF)で猪木が来なかったことから、新日本プロレスで前田たちが浮いてしまったことまでぶつける
それに対する猪木は、素直に謝ってしまう。この包容力が経営者として問題を起こしつつも、団体のトップとして君臨し続けられた理由だろう
長州顔面蹴撃事件による前田解雇に関しては、「前田が解雇された経緯すら、よく分かってなかったんだよな(笑)」と語り、シングル戦で前田を避けていたことも正直に認めて、懐の深さはさすが。ほんと、金さえ絡まなければいい人である
最後は前田が小川の件を話すと、猪木が新団体に誘い、前田は政治家に戻って欲しいと意味深なやり取りとなった
全編通して思ったのは、ここに出てこないレスラー、藤波辰爾の評価が高いことだ。UWFから新日へ戻ってきたときに、Uのスタイルを受け止めてくれたことを前田は感謝していて、天龍や長州もその人格を褒めている
最近のファンには、ドラゴンストップなど社長時代の迷走が印象に残ってしまうが、レスラーとして「名勝負製造機」だったことを忘れてはならない

『地獄のアングル―プロレスのどん底を味わった男の告白』 永島勝司

専修ぅ~♪


地獄のアングル―プロレスのどん底を味わった男の告白地獄のアングル―プロレスのどん底を味わった男の告白
(2004/12)
永島 勝司

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かつて「平成の仕掛け人」と呼ばれ、長州力とともに立ち上げた伝説のスキャンダル団体“WJ”で地獄を見たゴマシオこと永島勝司による魂の告白!
別冊宝島など様々な媒体で取り上げられたWJへのレクイエムである
全日との対抗戦から武藤の電撃移籍猪木との確執から始まり、WJがまさに心臓の鼓動を止める瞬間までを、著者らしい熱い証言で綴られている
WJはスキャンダルの多さから、いろいろな誤解を受けて揶揄されてきたが、著者はそのひとつひとつに答えていく。あくまでの当事者の証言なので、言えない話題、客観視できていない部分も多いものの、通説として語られているものとは違う真相が見えてくる
しかし、その失敗に関して著者は言い訳しない。その組織の、あまりの拙劣さを、隠すことなく書いていく
アマチュアの組織がいかに崩壊するか、実地で味わった戦訓は語り継がれるべきだろう

WJはなぜ失敗したか
様々な見込み違いはあるものの、著者が強調するのは、フロント、裏方の弱さである
それなりにネームバリューのあるレスラーが揃ったものの、社員はすべてプロレス業界を知らない素人ばかり。著者も興行のアイデアを出すのは得意でも、プロレス団体を管理した経験はなかった
その結果、チケット一枚捌けない営業に、会場の手付金を払えずに開催中止、などまともな団体ならありえないミスを出し続ける。なにせ全員が素人なので、教育できる人間がいない
そうした組織の弱さは、最悪の格闘大会と言われた「X-1で噴出した
総合格闘家ブライアン・ジョンストンの発案で始まったこの大会だが、彼が連れてきた選手は素人に毛の生えた奴ばかり。あまりに酷い体格から、シャツを着てリングに上がるものもいる始末だ
そして、アメリカで発注した金網は、試合途中で壊れる有様で観客の失笑を買った
これらの失敗は著者を含むWJの人間がジョンストンに丸投げして、まともにチェックしていなかったため
かのWMGヘビーのチャンピオンベルトが間に合わない件にも同様の甘さがあった
いかなる組織には当たり前のことを当たり前にチェックし、是正できる人間が必要なのだ。まっとうな管理職が一人いれば、大きなミスも防げたことだろう

プロレスでの失敗としては、「ど真ん中プロレス」を突き進みすぎて、ドラマがまったくなかったことを挙げる
著者も新日本時代のようにアングルを作れず、長州に遠慮しすぎたことを反省していた
しかし長州の意気にほれ込み過ぎた部分もあって、開幕シリーズから天龍との六連戦に賛成したことは意外。開幕戦はメインにしてたった8分の決着で、果たして客が満足できただろうか
そして、長州、天龍との怪我がちでそれを完遂できなかったとあれば、見込み違いも甚だしいだろう
その他、いろいろ明らかになった件もある
福田社長がWJに出資する際、長州と永島に“貸す”という形を取ったのは、社長や会社の金でなく、友人から出資を募ったものだからだ
また、落合選手の死亡事件は、直接WJは関与しておらず、徹夜のバイト、総合格闘技でのダメージの蓄積によるものではと明かされる。訴訟になっていないし、大なる誤解だ
しかし資金面であれだけ恵まれているはずのWJはなぜ潰れたか、には疑問が残る。いくらなんでも五億が一年で溶けるのはおかしすぎる。本書でその経理の部分は裁判になるため、詳しく書かれていないが、裏社会に食い物にされたと想像したくなった




関連記事 『劇画 プロレス地獄変』

『子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争』 金沢克彦

特別、長州番でもないといわれますが

子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争
(2009/07/17)
金沢 克彦

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格闘技ブームのなか、新日本プロレスはなぜ迷走したか。レスラーに密着し続けたGKことゴング金沢が、メジャー団体の暗黒時代を振り返る
タイトルから猪木批判なわけだが、単純な告発本ではない。著者がゴング編集長時代のメモから、渦中にいた選手達の姿を追い、総合格闘技の嵐にいかに巻き込まれたかを描いたドキュメントである
総合路線から最も遠い邪道・大仁田から、橋本真也VS小川直也永田裕志藤田和之ケンドー・カシン=石澤常光、そして幻のヒクソン招聘計画
必ずしも猪木に振り回されただけではなく、層が厚すぎる団体ゆえに何かで上を越えねばならないという焦り、五輪に出られなかったことへの雪辱、とそれぞれに総合のリングに上がる動機が存在していた
しかしマット界をリードしたい猪木と他団体との駆け引きのなか、最悪のタイミングで対戦が組まれていったのも事実。本書では、騒動がいかに選手たちを揺さぶり、混乱と惨状に至ったかを克明に追っている

最大の事件といえば、1999年のイッテンヨン、橋本・小川のセメント事件だろう
俗に猪木に含まれた小川が仕掛けたものとされ、現場責任者であった長州力と橋本の確執も噂されたが、本書で明かされたことは少し違う
まず、小川は試合前のルール確認に来なかった。額面は「新日本プロレス格闘技戦ルール」(苦笑)だが、暗黙のルールについては話し合って決めるはずだった
プロレスの技は危険なので相手との信頼関係は必須。この時点で普通のプロレスから外れることは間違いなく、橋本も体に油を塗って備えた
これだけ見れば、猪木のシュート指令に思えるが、その後、ゴングの取材で小川から不可解な発言が出た。最初はUFOのルール(=総合格闘技)のはずが、新日本のルールに突然変わったと言うのだ
セメント事件の真相は新日本とUFOのルール確認がなされなかったことにあり、かたや異種格闘技的プロレス、かたや総合格闘技のつもりでやっていた。管理人が想像するに、小川からすると総合の試合なら対戦相手と顔を合わせるのはおかしいと、単純に考えたのではないだろうか

事件直後、ゴマシオこと永島氏が猪木に電話をかけたところ
「会長、これは一体どういうことなんですか!?」
「おれもまさかあそこまでやるとは思わなかったんだ」
「今、ここに橋本がいて、小川と話したいと言ってますけど、小川は出られますか」
「ああ、いま代わるよ」
 ここで、橋本と小川に電話は代わった。
「小川、オマエ、これはどういうことなんだ!?」
「すいません。頭が飛んでしまって……すいません」
「オマエには俺を救う義務があるんだぞ! 俺を助けなきゃいけない。どうする?」
「分かってます、すいません……」

後にZERO-ONEで行動を共にする二人だが、このときの貸借関係が原点なのかもしれいない
直後には互いに“忌むべき事件”と認識していた両団体だが、猪木-UFO側がフライデー誌上で開き直るようなインタビューを行い決裂する
しかし、長州-坂口ラインを崩す藤波社長、倍賞専務の新体制が生まれ、さらなる小川-橋本戦へ動くことになる

猪木のイエスマンである藤波体制で、新日本プロレスは格闘技路線をひた走った
2000年PRIDEで当時最強と言われたマーク・ケアーを下した藤田和之は、2001年4月にIWGPヘビーのベルトを巻く
しかし、同年8月にK-1の大会でのMMAルールで格下とされていたミルコ・クロコップに額を割られ、TKO負け。同年11月にミルコに敗れた高田が新日本プロレスを挑発し、ミルコ-永田戦へとつながっていく
もっとも格闘技ブームに翻弄されたのは永田裕志だろう
今となっては藤田が永田勝利を確信していたというから分からないが、ミルコは藤田戦で怪物に生まれ変わっていた
対ヒョードル戦では、直前まで対戦相手が二転三転し、イベント開催自体が危ぶまれ、永田自身も新日恒例のイッテンヨンに目が向いていた。最終的には猪木に頭を下げられて、決断に至ったという
本書はレスラーの名誉のために言葉を選んでいる部分もあり、すべてを晒す暴露本ではない。しかし、レスラーの口から発せられた生の言葉は刺激的であり、著者はその背景まで慮って忠実にその声を伝えてくれる
PRIDEが消滅した今となっては遠い過去に思えるが、今の新日本プロレスはこのような時代を経て存在しているのだ

『プロレス 偽装のリング』 別冊宝島編集部

健介引退の裏側も宝島ならやってくれる!?


プロレス 偽装のリング (宝島SUGOI文庫)プロレス 偽装のリング (宝島SUGOI文庫)
(2014/01/25)
別冊宝島編集部

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全日本に現れた“救世主”白石伸生オーナー。ブックとケツ決めを否定する「ガチンコプロレス」を標榜し、プロレス史に残る団体分裂を起こした。新日本一人勝ちのマット界の今を探る
目玉は当事者である白石オーナーの直撃インタビューで、ターザン山本とミスター高橋の和解対談元ファンによるノアの「夜のプロレス暴露」と今回は刺激的な記事が満載だ
全日、ノアのみならず、ゼロワンの練習生死亡裁判に、力道山を刺した男を取材した大下英治の記事も読み応えがあった
新日本の記事は過去の猪木時代のしかないが、記者いわく「宝島に取り上げられないのはいい知らせ」(笑)なので、ファンは安心しよう

全日本の白石オーナーの意図はなんなのか
インタビューでは記者側がオーナーの「ガチンコプロレス」が興行的に不可能なこと、選手のケツ決めを禁止する監視体制が大変なことなどを攻撃的に指摘していく。インタビューのタイトルは『マット界の「北朝鮮」と貸した全日本』である(笑)
それに対してオーナーは「ガチンコプロレス=総合格闘技」のようにはみなしておらず、相手の技を受け続けて耐え切ったほうが勝つという「プロレス流の真剣勝負」がありうるとしている
あえて近いとすれば、「四天王プロレス」、ノア全盛期の垂直落下合戦のイメージだろうか
プロレスの技は相手に伝えていないと死亡事故に至る危険もあるので、この点ではオーナーが素人と過ぎるといわざる得ない
ただし、オーナーの「このまま何を変えないでは潰れてしまう」という危機感は極めて正しくで、マッチメイクの合議制を拒否した武藤たちの行動にも疑問が残る。武藤アメプロ路線の行き詰まりを選手達も受け止めなければならないだろう
しかし、なんでKENSOは全日に残ったかなあ(苦笑)

女の心変わりは恐ろしい。改めてそう教えられるのが、元追っかけ女性たちの座談会
ノアのレスラー達を全日時代から追いかけていた彼女たちは、その下半身の奔放さに誰構わず暴露していく
全日時代は元子夫人が合宿先にも目を光らせていて、容易に近づくことは出来なかったが、ノアが生まれた後は三沢社長本人に締まりがないこともあって、ファン食いがさかんであったそうだ
ただし女性の人気もイケメンを選ぶから、中年レスラーはずいぶん袖にされていたようだが(苦笑)。例外的な存在が小橋建太であり、イメージのために内縁の妻を隠し続けたストイックさが、いまだに女性たちの心を掴んでいる
そうした傾向は団体全体に蔓延していたらしく、女性ファンからはまさかの元子夫人再評価が起きてしまった。プロレスラーはファンの幻想を守るため、プライヴェートも鉄人たらねばならぬのだ

『PRIDE機密ファイル 封印された30の計画』 kamipro編集部

DEEPの佐伯繁代表が面白すぎる。これ、総合の本なんですけど(笑)

PRIDE機密ファイル 封印された30の計画 (kamipro books)PRIDE機密ファイル 封印された30の計画 (kamipro books)
(2008/12/01)
kamipro編集部

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1997年の高田ヒクソン戦で幕を開け、地上波打ち切りで2007年に消滅した伝説の格闘イヴェント“PRIDE。その破天荒な興行の裏で、いかなるプランが潜んでいたのか。30の計画を開封する
あと一歩のところで崩れたマッチメイクから、会議に名前が出たレベルの与太話まで玉石混合だったが、なかなか読み応えがあった
格闘技に対する愛があって、しょっぱいネタからもPRIDEの本質を感じられるのだ
ただしあくまでPRIDE寄りのポジションを取っているので、地上波消滅の原因となった裏社会の関係などやばい話には触れず、ミルコや永田裕志の参戦についてはPRIDEを傷つけない脚色がなされていた
格闘本にありがちなことだが、本書の記事は客観的な情報とは言いがたい
それでも、桜井マッハミノワマンなどPRIDEから這い上がった格闘家たちのインタビューには、直線的に生きる男たちの爽やかさがある。みんなPRIDEに感謝しつつ、潰れても前向きなのがまた清々しい

格闘ブームにおけるPRIDE全盛期のイメージだと、日本を代表する総合格闘技イヴェントに見えるが、最初からそうだったわけではない
実行委員会時代からDSEに至るまで、関係者にマット界の門外漢が多く、業界の常識を度外視したプランが生み出されていった。アントニオ猪木を招いたように、プロレスにおける異種格闘技戦を意識した演出も多かった
K-1の曙に対抗して小錦(!)の名が上がったり、全盛期ですらマイク・タイソンホリーフィールドを招こうとしていたのだ
ただし素人ぶりが災いして、他の業界の掟を踏みにじり、破談になったケースもあった
そんなPRIDEが総合最強路線にシフトしたのは、格闘バブルの末、2003年大晦日に大型イヴェントがかち合うことになったから
K-1との対抗戦では下請け的立場だったPRIDEだったが、ミルコ・クロコップを引き抜いたことから一気に競合関係に変わり、猪木が日本テレビでイヴェントを立ち上げたことで、メジャーな選手を引き抜かれる形で大晦日を迎えざる得なくなった
このとき、大会組織としての自立が余儀なくされたのだ
ミルコの参戦に関して、本書ではPRIDE関係者がデビュー戦の相手であるキース・ヒーリングに立ち技を警戒してガードを上げるアドバイスをし、ミルコのミドルキックが入りやすい状況を作ったとするが、これはどうか。ミルコを仮想K-1として、ダシに使う予定だったようにも思える
永田裕志に関して本書はデタラメであり、永田は猪木の命令で上がっただけで、PRIDE側にも猪木、プロレスに対しPRIDE、総合の優越を見せる狙いがあったはずだ
それでも体重差の違う相手に総合をさせるPRIDEには、プロレスの気風があり魅力になっていたのだから不思議なもんである

PRIDEがなぜ潰れたかについては、最初の方の記事である程度は触れられている
2007年3月27日、PRIDEはラスベガスのカジノ経営者であるロレンゾ・フェティータに買収された。UFCのオーナーでもあるロレンゾがMMAに興味を持つようになったきっかけは「桜庭和志VSホイス・グレイシー戦」らしく、憧れの団体をこの手に収めたいという動機もあったらしい
しかし本書によると、ロレンゾがPRIDEを展開する上で障害となったのは、テレビ放映権と不透明な資産だ。PRIDEは日本を主戦場にせざる得ないので、日本で放映権を獲得せねばならないが、フジテレビには暴力団との関係で切られた
不透明な資金の流れは当然、マル暴との関わりを考えねばならず、表向き身奇麗にしなければならないカジノ経営者にとって致命的なものとなりかねない
本書ははっきり言わないが、いわば日本のマット界にまつわる闇が、PRIDE復活の壁ということらしい
もう一つの鍵は、格闘ブームによるファイトマネーの高騰である
有名選手からすると、大会組織に愛着がなければ、高い場所でやりたいのは当然。実力者が集まって高いレベルの試合が生まれ、それが人気を博して資金力の生むという好循環で周り続ければいいものの、PRIDEは日本しか押さえられない限界があった
暴力規制の壁をケーブルテレビとペーパービューで乗り越えたUFCが、地上波放映権で飛んでしまう日本の大会組織より腰が強いのも確かだろう
管理人は金網よりリングが好きなので、今一度、日本人の心をくすぐる大会がみたいものなのだが

『元・新日本プロレス』 金沢克彦

大谷晋二郎もエラい人だ

元・新日本プロレス (宝島SUGOI文庫)元・新日本プロレス (宝島SUGOI文庫)
(2012/06/07)
金沢 克彦

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日本の格闘技界の源流となった新日本プロレス。そのリングに上がり去った選手は何を思うのか。GK=ゴング金沢こと、元週刊ゴング編集長金沢克彦による6人の漢の物語
取り上げられるレスラーは、クレイジードッグスの小原道由、片山ロケットの片山明大矢剛功、FMWの椅子大王・栗栖正伸、平成維震軍大将・越中詩郎、ZERO-ONE社長・大谷晋二郎
「元・新日本プロレス」というタイトルだが、新日本プロレスを指弾するとか、賛美するといった内容ではない。あくまで一人のレスラーの人生を追い、その出会いと別れ、そして今を扱う
どのレスラーもIWGPヘビーのベルトを巻くことはなく(越中はジュニアヘビー、タッグ王座を経験したが)、いわゆる世間一般で知られる存在ではない
その彼らがいかに生き、戦い、時には泥をすすり、何を目指したのか。知られざるプロレス史がここにある

管理人は三銃士~NWOくらいから入ったにわかなので、狂犬軍団の小原、平成維震軍の越中に興味は集中する
小原道由というと、ガチ最強説がありながら後輩に抜かれ続け、NWOの際にはマジックに「」と書かれるシーンが印象に残っている。そして、魔界倶楽部との抗争での「ポチ、ゴーホーム」
本書では、柔道家として矜持が語られていて、小川、吉田秀彦との縁に、後輩で総合格闘技に参戦した藤田和之の強さには説得力があった。同時に、プロレスと格闘技に求められることの違いが良く分かる
彼にとって総合格闘技への進出は夢のひのき舞台だった。しかし、十年遅かったか、あるいは生まれるのが十年早かった
ちなみに、下関には狂犬軍団の後援会が生まれ、その名誉会長は安倍晋三だったそうだ
越中詩郎は全日本時代に目が出ず、新日本に電撃移籍した「初めて馬場に背を向けた男」
ともにメキシコ修行に出た後輩・三沢が帰国。当時、長州のジャパン・プロレスが全日本に合流し、大所帯になっていた。代わりに手薄になっていた新日本は、海外で浮いている越中に目をつけた
坂口の口説きにケジメをつけることになった越中は、日本に戻り馬場に別れの挨拶に行くが、そこで馬場から驚きの言葉が出る。「今のジュニアのチャンピオンは小林(邦昭)だから、お前はリングに上がってマイクで小林に向かって挑戦するって言えばいい」
たまたまついていた天龍が庇ってくれたから、事なきを得たものの、なんという劇的な場面であろう

不思議なのは、全日から移籍した越中が、UWF勢の高田の好敵手となることである。本書によると、キックに対して胸を突きつけて、打ってこいというスタイルは、越中が最初だという
対UWFで越中が矢面に立ったのは、復帰した維新軍がUWFとの対決に消極的なこと、坂口が猪木と前田の対決を嫌ったことなどが上げられ、前田との対決では靭帯断裂の重傷を負っている
新日では藤波を手本としてきた越中は当初、長州と反りが合わなかったが、誠心会館との抗争の際には長州がブッカーを務めたことをきっかけにリスペクトするようになる。長州の強引、傲慢ともいえる言動が、実はアングルを生むためものと気づいたからだ
そして越中自身も、現場副責任者として信頼され、2000年当時は三銃士よりギャラが高かったという(あれっ、いい話で締められなかった)
本書からはブラウン管の向こう、リングの上の姿とは、また違う男の背中が見えてくる
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