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『閨閥の日本史』 中嶋繁雄

通史はカテゴライズに悩む




日本の有力者たちは、いかに血縁関係を築いて権勢を保ったか
本書は天下人から明治の財閥まで、彼らの盛衰ともに、その“閨閥”の歴史をたどるもの……なんだが、全体としてのテーマ性に乏しく、ちょっと読みづらかった
序文のあとに、それぞれの事例が並べられているだけで、それをもって何が言いたいかがないのだ
著者は『歴史読本』の編集長を勤められた方なのだが、他の著書は『日本の名門200』『日本の名僧100人』などとかなので、考えるデータベースを提供していくスタンスなのだろうか
Wikipediaのある時代でも、そもそも知らなければ検索するにも至らないわけで、ネタ帳はマニアックほど意味がある


「閨閥の王様」藤原家

史実が並べられた(ちょくちょく俗説が入る)だけの本書、“気づき”は読者に委ねられている
あえて言うならば、天皇家、摂関家、大名家、寺社、商人、こうした身分制度、伝統の壁を乗り越えるのに、婚姻関係が使われているということ
時代の転換点で、新興勢力が台頭するとき、旧勢力が没落するときに、新旧が結びついて互いを補ったり、旧旧、新新同士で立場を補強したりしていく
「閨閥」の頂点にいるのは天皇家であり、それと長らく深い血縁関係を築いてきた藤原家がそれに準じた存在で、いわば「閨閥の王様」

本書では藤原北家の嫡流「近衛家に一章が割かれていて、その権威は昭和の世に近衛文麿を首相にした
文麿の妹・武子大山巌の子に嫁ぎ、長女・昭子島津公爵家に嫁いでいた。長男・文隆の夫人は、西本願寺の大谷光明の次女・正子だった
近衛家は文麿が自殺子の文隆がシベリア抑留で死亡したため、細川家(旧熊本藩主)の次男・護煇養子に迎える。護煇を生んだ細川護貞の夫人文麿の次女という血縁関係があったからだ
護煇から改名した忠煇三笠宮崇仁親王の長女・甯子内親王と結婚し、日本赤十字社に深く関わる
一方、細川護貞の長男・護熙は、地方政界から新党「自由社会連合」を結成、1993年に自民党の一党独裁を覆すに至る
近衛首相誕生時には「近衛ブーム」細川内閣のときにも新党ブームがあって、時代の潮の変わり目で、より古い権威がもてはやされるのは、日本社会の特徴であろうか

その他、名門伯爵家に生まれながらプロレタリア演劇に走った「赤い伯爵」土方与志に、公家の名門徳大寺から養子をとった住友家中御門家に娘を嫁がせた三井家と知られざる政略結婚も触れられる
「閨閥」と関係ない、歴史のお話も多かったりするけど、ウンチク本としては悪くなかった

『明治維新 司馬史観という過ち』 原田伊織 木村健司

磯田道史も俎上に



明治はほんとうに美しい時代なのか? 司馬史観と実際の歴史の違いを突き、その「官軍史観」に乗っ取った虚像をはぐ!

官軍と維新の成果に疑問を投げかけてきた作家・原田伊織と、瓦版など江戸庶民の文化を研究する学者・森田健司の対談なのだが、原田氏の序文が凄い
「おまえには赤い血が流れていないのだろう!」とスタッフの女性にパワハラ発言したことからスタートし、この本の内容を疑ってしまったが(爆)、残りの99%以上の部分はしごく冷静な対談なのであった
語られる事実もそれぞれは突飛な内容でもない。ちょっと歴史の新書に手を出せば知れる歴史事実が多い
しかし、その積み上げから立ち上がる維新像が刺激的で、「明治維新は正しい近代国家のスタートで美しく、日露戦争以後に狂っていく」という「司馬史観」を解体してしまうのだ

今の歴史教科書は、明治維新を日本近代の原点としている。そうした官軍史観は、幕府を倒した薩長藩閥政府が作ったものであるから、自らを美化し幕府を貶めている
黒船が来航した際に、幕府が対応が後手に回ったというのはとんだ風評被害。実際には国際情勢をそれなりに把握し、1842年の段階で外国船に対する水、食糧、燃料の補給を認める薪水給与令を出していた
そして、ペリーの回顧録でも日本側の評価は悪くない。各国への対応に関しても特定の国を優遇せず、お互いを牽制させるように配慮していた
関税自主権がなかったといっても、明治政府がそれを手にしたのは、日露戦争の後のこと。それをもって幕府を批判するのはおかしいのだ
ロシアのプチャーチンと交渉した川路聖護、横須賀製鉄所を整備した小栗上野介など、幕府には優秀な能吏が多かったが、その優位を崩したのは鳥羽伏見の戦いのあとの徳川慶喜。そこまで政治家として優秀だったのに、なぜに敵前逃亡したか、両氏とも嘆く

司馬小説によって称揚された、三人の人物が本書では裁かれる
まずは、松下村塾で有名な吉田松陰松下村塾自体は玉木文之進のものであり、どこまで松陰が門下に影響を及ぼしたかは謎で、あくまで血気さかんな若者のたまり場ではないかという
とにかく行動してしまえ、という偽陽明学が共通項であり、幕末はテロリスト、維新後は汚職政治家ばかりを生み出したという厳しい評価だ
松陰が持ち上げられた原因は、長州閥の元勲、山県有朋にあり、足軽以下の中間出身というコンプレックスから松下村塾をひとつのブランドにしたかったからでは、とする
二人目は『竜馬がゆく』の主人公、坂本龍馬。そもそも竜馬という少しずらした名前を与えたように、小説は非常にフィクション性が高い。なのに、教科書に載るほどの有名人になってしまった
「薩長同盟」の立役者というが、以前から薩長同士が連絡を取っており、そもそも同盟というほど確かなものではない。グラバー商会から武器を売ったことから、そのエージェントというのが妥当な評価だという
そして、「大政奉還」に関しては土佐藩主・山内容堂の意向そのままであり、「船中八策」などはその出所も怪しく、特に独創的なわけでもないとか
三人目は司馬が「未来から来たかのような近代人」とした勝海舟に対しては、単なるほら吹きという疑惑が(笑)。維新後の回想録『氷川清話』などは、江戸っ子特有の放言癖に、編纂者の歪曲・改竄も多いらしく、史料としては役に立たないとか
ただ森田氏はこうした奇人だからこそ、ただ敗戦処理にすぎないはずの江戸開城交渉で、西郷へ物を言えたのではないかと、胆力を認めている
この三人の共通するのは、自己発信力の高さ。松陰は詩文や書の評価が高く、龍馬は自らの写真を配って、文字通り顔売っていて、そういう人が後世でも人気が高いのである

明治政府を支えたのは、結局のところ、幕臣や賊軍出身の能吏だった。その意味で、「明治は江戸時代の遺産で成り立っていた」という司馬の言葉は正しい
面白いのは西郷隆盛の評価だろうか。西郷の素の性格は掴みづらく、薩摩の若衆制度「二才」が生み出した「二才頭」のキャラクターが仮面として外れない。西郷従道、大山巌なども同じような行動様式をもっているのだ
事を為すために強硬手段も辞さないが、不意に情を出すところが日本人好み理想の「大将」として定着しているのだ。ただ政治家として不向きで、故郷で再び「二才頭」に戻って兵学校の面倒をみている
そんな西郷が立ったのは、明治政府が「武士」という階級を潰し、長州閥が汚職の限りを尽くしていたから。西南戦争は明治維新の矛盾を象徴しているのだ
「権力は金をもたらす」という長州閥の流れは、戦後の保守政権に引き継がれているし、陸軍の暴走は悲惨な敗戦を生み出した。明治を称揚し、昭和初期を「鬼胎の時代」としてそれ以前より切断する「司馬史観」は、この連続性を無視している

まあ、そもそも小説はフィクションであり、実証をあてにされていないものから‟史観”が作られること自体がおかしいのだが、司馬本人が『この国のかたち』などエッセイとしてまとめてしまっているので、その影響力からもこうして裁かれるのは仕方のないところだろう
原田氏の批判も司馬小説を愛読し、リスペクトがあっての話。読みまくっていなければ、ここまで書けない
森田氏が若き日に研究した経済学‟オーストリア学派”の教え、「人間の知性というものを評価し過ぎてはいけない。社会主義というのは、人間の知性に対する‟致命的なうぬぼれ”なのだ」という言葉は歴史にもあてはまり、歴史ファンも心せねばならないだろう


関連記事 『竜馬がゆく』 第1巻

俎上にのぼった本→ 『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』


『東京の「地霊」』 鈴木博之

地霊はあるやなしや



移り変わり続ける東京に「地霊」はあるのか。その創成期から東京の歴史を紐解く

論考というよりエッセイぽい感じだった
初出は1989年。中曽根政権から活発になった東京再開発の80年代を受けて、縦の歴史で東京の名所を振り返っていく
地霊とは、ラテン語「ゲニウス・ロキ」の対訳であり、土地の精霊、守護霊を意味する。転じて、土地に結び付いた連想性(伝統?)、可能性といった概念らしい
著者の意図としては、今の変化を江戸、あるいは維新後の東京遷都からの歴史、「地霊」から見出したかったと思うのだが、場所によっては経緯があっても脈絡がなかったりで、当たりはずれが大きく意図通りにはいかない
近代に入って東京は拡大し続け、江戸では風光明媚な土地柄の‟目黒”が、明治17年に山手鉄道が開通し、住宅地へと変わってしまうなど、首都の東京には土地そのものを作り変えてしまう時代の力が働いてしまうようだ
そんなわけで堅苦しく、何かの仮説を期待するというより、『街道をゆく』みたいな調子で土地にまつわる蘊蓄を聞いていけばいいと思う

そんな東京で不変なものというと、江戸城から政事の中枢を引き継いだ皇居。そして、それに基づく宮内省管轄だった御苑
東京への遷都、徳川家の駿府への移封によって、多くの大名や旗本の屋敷は新政府よって接収された。そうした土地は、京都に住んでいた皇族の邸宅に割り振られたり、皇室の庭園‟御苑”となった
今では一般に公開されている新宿御苑は、代々木の御料地と合わせて、外賓用の明治版ベルサイユ宮殿を作る構想があったらしい
しかし、明治天皇の崩御から代々木に明治神宮が建てられることとなり、その構想は潰えた
容赦なく接収された大名の土地に対して、町人はほぼそのまま据え置かれ、「桑茶令」など政府の新政策も元武家の土地で展開された
ただ木造家屋の宿命か、維新直後の大火から銀座”では西洋風のレンガ街が建設され、文明開化を象徴する都市となっていく

江戸を京都の模すために、鬼門の方角に‟東比叡”寛永寺が建てられた話も興味深いが、一番「地霊」を感じるのは、大久保利通が暗殺された千代田区紀尾井町
現在ではホテルニューオータニ、赤坂プリンスホテル(今は東京ガーデンテラス?)に挟まれた通りであり、そのホテルニューオータニ側に江戸時代あったのは、桜田門外の変に散った井伊掃部頭の屋敷!
事件現場は当時、蚕の餌になる桑畑を増やす「桑茶令によって、通りの両側には桑畑が広がっていて、本来は武家の土地を民間人がまさに蚕食する光景が広がっていた
暗殺された大久保には、近くの清水谷公園に哀悼碑が立つことになる。清水谷公園は予定された公園建設地ではなく、大久保を弔うために立てられた霊廟のような公園だった
そして、清水谷公園の予定地には、王政復古のイデオロギーに基づいて、政府によって任命する神官「教導」を育成する「中教院があり、その土地の一部を割譲することに
その後、「中教院」は近代化を最優先する路線に封殺されてしまうのであった
「中教院」の土地は、明治23年に行政裁判所となり、司法研修所を経て昭和60年に民活路線により払い下げられることとなる。大久保は死して、近代化を推進したかのようだ


関連記事 『街道をゆく 1 湖西の道、甲州街道、長州路 ほか』

『日清・日露戦争をどう見るか 近代日本と朝鮮半島・中国』 原朗

日教組の強い学校では、“平和教育”で教えられたことだけど




日本にとっての日清・日露戦争はなんだったのか。明治・大正の歩みを検証することで司馬史観の誤謬を正す
著者は日本経済史を専門とするが、戦時経済の研究をしていたことから、本書では昭和の戦争を理解するために、まずそれ以前の明治・大正の日本を知らねばならないとして、大陸進出の過程を分析している
俎上に上るのが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』。2009年から2011年にNHKでドラマ化され、再び日本人の歴史観に定着したことへの警戒感からなのだろう
明治を「明るい時代」日露戦争以降を大正・昭和を「暗い時代」という単純な構図に反証を並べ、日中戦争・太平洋戦争の破局にいたる要因を明らかにする

著者が感じる『坂の上の雲』に対する違和感は、朝鮮の扱いである。清朝、ロシアとの戦争で事実上の係争地であった朝鮮と日本の関係について、あまりに割かれている紙数が少ない
司馬からすると、戦前の日本がすべて悪いというイメージを覆したいというのが創作に対する動機なので、植民地支配に関してはことさら取り上げる必要を感じなかったのかもしれない
ただ、日本は日清戦争開戦時に、朝鮮王宮を占拠して国王・高宗に父・大院君の摂政を強要し、清朝への従属関係を破棄させた。日露戦争開戦時には、軍事上の拠点を利用できる「日韓議定書」を認めさせ、ほぼ全権を掌握していた
日清・日露戦争は明らかに朝鮮半島の帰趨を巡ってのものであり、著者はそれぞれ「第一次朝鮮戦争」「第二次朝鮮戦争」と呼んでもおかしくない内容だとする

日清戦争の講和条約「下関条約では、第六条第四項において「清国内で日本人が工場を作って生産していい権利」(資本輸出権)を得た。清朝は列強と「最も恵まれた国と同じ権利を獲得できる権利」(最恵国待遇を結んでいたために、自動的に日本に与えた権利を列強にも認めざる得なくなってしまった
この一件によって、下関条約は欧米諸国への「経済上の賄賂」と揶揄された
その五年後の1900年の「義和団戦争」(北清事変)では、列強八か国によって鎮圧され、その結果、多額の賠償金と各国の軍隊の駐留権が認められる。これが日本の支那派遣軍の根拠であり、日中戦争の引き金を引く盧溝橋事件の遠因となるのだ
と、記事では「暗い明治」の例を並べてしまったが、著者は同時に日清・日露戦争の戦勝が条約改正につながり、賠償金が産業革命の原資となるなど、挙国一致の戦争によって「国民」が生まれて近代化が進展大正デモクラシーに至る点も取り上げている
定期的な戦争によって近代化が進んだ点は(先進国の多くで見られることだが)暗い影を落として、徳富蘆花を引用して当時の日本の危うさを示している

著者は司馬史観の流布を心配しているだけで、小説家としての司馬を高く評価している。膨大な史料を渉猟し見事な技巧を誇るからこそ、無謬な知識人に祭り上げられて利用されることを懸念するのだ
例に挙げるのは、広瀬武夫がロシア駐在武官時代のことを「かれほど婦人たちに騒がれた日本人もない」と断定しつつ、文尾に「かもしれない」とするところ
力強い断言からの、実は断言していない(保留)という“圧倒的手のひら返し”なわけで、この独特の完結性が(完結しているようでしていないのだけど)、司馬作品の中毒性、魅力なのだろう


関連記事 『坂の上の雲』 第1巻

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『ラストサムライ山本覚馬』 鈴木由紀子

たまに競馬コーナーに置かれてる


ラストサムライ 山本覚馬
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大河ドラマにも登場した新島八重の兄、“あんつぁま”山本覚馬の伝記
山本覚馬は一般に知られていないどころか、現地の会津でも過小評価されてきた人物だった。覚馬のせいで会津藩の洋式兵装が遅れたというトンチンカンな声もあったという
一念発起した著者は1998年に『闇はわれを阻まず 山本覚馬伝』を上梓して小学館のノンフィクション大賞を受賞。本書は大河に合わせて復刻したもので、その後判明したことも反映した改訂版である
内容は幕末維新の覚馬自身の活動もさることながら、八重の会津戦争、盟友・新島襄と同志社大学にも触れていて、ほぼ大河の内容と重なる。三年前に買っとけば良かった(苦笑)
『八重の桜』で省略、単純化された部分が実際どうだったか、きっちり記されているので、ヤエサクファンは間違いなく買いである

会津藩は京都守護を任される前から、幕府に使い倒されてきた
文政五年(1822年)には蝦夷地防衛を命じられ、千人の藩兵が松前、樺太、宗谷に送っていた。文政七年には三浦半島の警備も命じられ、延べ10年に渡る軍役が命じられていた
覚馬の祖父、山本権八良高はこうした情勢のなかで砲術師範を任され、西洋砲術である高島流を導入した。先々代から山本家は藩の洋式化を担っていたのだ
山本家はその遠祖を武田信玄の軍師・勘助と称していて(実際は茶道方?)、覚馬もそれを意識して身を律していたという
佐久間象山のもとで修学した覚馬は、藩校・日新館蘭学所を設立するも、京都守護に藩財政の四割を費やす現実に洋式化は遅々と進まない
藩のことだけでなく、日本の国防策として『守四門両戸之策』を上申し、27隻の蒸気船で瀬戸内海を守るなど、かなり具体的な提言をしていた
しかし禁門の変時での負傷が元で、失明し後には半身不随に追い込まれてしまう
砲術師範としては無念な結末となったが、奔走した長崎では貿易商レーマン兄弟と出会い、後に京都復興のパートナーとなった

薩摩藩邸で客分扱いとなっていた覚馬は、槇村正直のヒキで京都府顧問となる
槇村正直は志士としての経歴は薄いものの、長州藩の洋式工業に取り組んだ実績があり、戦火で焼け遷都で荒む京都の復興を任されたのだ。明治政府は江戸遷都を断行するために、京都の世論を鎮静化しようと25万円もの大金を投じていた
槇村は行動力がある反面、廃仏毀釈の流れから平等院鳳凰堂(世界遺産!)を二千円で売りに出し、買い手がつかないとその蓮池に稲を植えさせるなどカオスな政策を採ることもあった
先進的思想を持つ覚馬が槇村を善導することで、日本初めての小学校、中学校、精神病院(癲狂院)が実現し、京都の殖産興業が結実したのだ。覚馬がいなければ、今の京都はありえなかっただろう
小野組転籍事件では、指弾した江藤新平や岩倉具視、木戸孝允を訪ねて槇村を救った覚馬だが、府議会の初代議長になったときは増税を巡り激しく槇村と対立する。生まれたばかりの府議会で、予算審議の前例を残した

新島襄とは、そもそも同志社設立に大きく関わっており、学校としての体裁で許可を得て、課外授業で聖書を教えたのは覚馬の入れ知恵。キリスト教の排斥に対しても、その人脈をフル活用して学校を救っている
新島が体調を崩した際には、校長代理となり、早逝した後にはしばらく臨時総長を務めている。同志社と山本家は一体だったのである
ドラマでは失明した後は、聖人のように描かれていたが、開拓会社を立ち上げて養蚕や植林事業を手がけるなど経済人として目ざとい部分もあり、京都府顧問を辞して全く金に困らなかった。体が動かずとも、その精神は闊達だったのだ
本書には思案橋事件の主犯・永岡久茂と川崎尚之助の関係の他、幕末における勝海舟のフィクサーぶり長州が下関を封鎖して京都の米価が急騰したなど、この時代の豆知識も詰まっていて、単なる歴史ファンにも読み応え充分の内容だ


ハンサムウーマン 新島八重
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『井伊直弼の首―幕末バトル・ロワイヤル』 野口武彦

純粋過ぎて門弟もびびってたらしい。松陰先生は


井伊直弼の首―幕末バトル・ロワイヤル (新潮新書)井伊直弼の首―幕末バトル・ロワイヤル (新潮新書)
(2008/02)
野口 武彦

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ついに黒船来る。日米通商条約から、大地震、安政の大獄に桜田門外の変。内憂外患に苦しむ安政年間を振り返る
『幕末バトル・ロワイヤル』週刊新潮に連載されたコラムで、本書は2006年8月3日号から2007年6月14日号にまとめたものだ
それこそ週刊誌のように、上は政治上層部の暗闘から、地震、台風、物価高といった災難、庶民を慰めた風俗までを扱っていて、時代を様々角度で眺めることができる
週刊連載のために一項目ごとにネタがまとめられて読みやすく、かつ著者の史観がブレないため一冊の本としても完成していた
通商条約の調印を決めた政治の力関係から、井伊直弼の出自と人柄、安政の大獄の原因、為替を巡る日米の暗闘と、開国の経緯とその影響を、微に入り細にわたって描いているので、『花燃ゆ』の補完本としてもお薦めだ

本書の主人公は、タイトルにもある通り、井伊直弼だろう
井伊直弼は側室の子として生まれた。ほとんどの男子が養子に出されたのに、引き取り手がおらず部屋住みの身か、寺の坊主で一生を終えるはずだった
しかし、兄の嫡子が死んだことで、初めて陽の目を見る。他の兄弟が他家の養子となってしまったので、跡継ぎが直弼だけになってしまったのだ
当主の兄は突如、自身の養子となった直弼を邪険に扱い、この側室の子という境遇が安政の大獄を起こすダークサイドを生んだと著者は推測する
その兄の死で藩主となった直弼は出世主義者であり、政権内部の地位を高めようと運動していく。水戸藩の徳川斉昭の子で一橋慶喜を次期将軍につける動きに対抗して、御三家の紀州藩を味方につけることに成功
阿部正弘の後を受けた筆頭老中・堀田備中守正篤が通商条約についての朝廷への工作を失敗したことを機に、将軍の信任を受けて大老職に就いた
直弼はその傲岸不遜と独裁的な人事から、早くも各方面に反発を招いてしまう
開国に際しては、外患より内輪の折り合いを重視したが、アロー事件の流れからアメリカ総領事ハリスの圧力がかかり、開国派の海防掛・岩瀬忠震と井上清直の説得で通商条約調印に傾いた
井伊直弼はあくまで内向きの政治家であって、先見の明があったわけではなかったのだ

吉田松陰については、孟子と孫子に対する注釈からその思想が分析されている
『講孟余話』は、密航に失敗し野山獄にいたときの講義がもとになった孟子の注釈書で、現実の政治批判にもなっている

梁の恵王は孟子に会うといきなり、「遠路はるばるよく来て下さった。わが国に何か利益をもたらしてくれるか」と問いかける。これに答えた孟子の言葉は有名だ。「王、何ぞ必ずしも利をいわん。また仁義あるのみ」(p148)


この「梁恵王編」を使って松陰は、名利を追いかける昨今の武士を批判し、アメリカに屈する幕府や長州を指弾する。上から下まで己の利益を追求するは国家の危機であるというのだ
『孟子』は徳のない君主を放伐する革命思想から、日本では危険思想とされたが、松陰は日本において、儒学の「天命による革命」を否定する。ただし、徳川幕府は「天朝」が命じた将軍に過ぎないので、職務怠慢があればそれを廃することができるとした
著者は松陰が孟子を読み破ることによって、尊王と攘夷を思想的に結合させたとする
孫子の注釈では、死地を大きく取り上げていて、戦わねば死ぬ絶体絶命の立場に日本や長州を追い込めば、変革は可能だと考えていた
松陰は半ば藩を潰すつもりで、間部詮勝の暗殺をぶちあげたのかもしれない


前巻 『幕末バトル・ロワイヤル』

花の生涯〈上〉 (祥伝社文庫)花の生涯〈上〉 (祥伝社文庫)
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『日露戦争陸戦の研究』 別宮暖朗

仮想敵は『坂の上の雲』!?


日露戦争陸戦の研究 (ちくま文庫)日露戦争陸戦の研究 (ちくま文庫)
(2011/01/08)
別宮 暖朗

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日露戦争は、本当に作戦による勝利なのか? 陸軍の印象操作を打ち破り、七つの陸戦の勝因を問い直す
『坂の上の雲』を始めとした日露戦争のイメージは、物量に勝るロシアを作戦によって退けたとされる。本書ではそうした通説を軍官僚による情報操作であると疑い、冷静に戦況を見直すことで本当の勝因を明らかにしていく
著者が痛烈に批判するのは、井口省吾、松川敏胤をはじめとする陸大出の参謀たちで、現実的でない作戦を現場に押し付けて混乱させたとする
最終章でそうした参謀の失敗を戦後の官僚政治への批判とつなげたように、著者の価値観が色濃く反映されていて、井口らへの批判は後出しジャンケンの嫌いはある
しかし、戦史は参謀たちによって書かれる。戦争への印象はそうした参謀の政治的事情が反映されていて、『坂の上の雲』もその影響を免れていないとなれば、本書の価値は大きい

本書によると、日露戦争は海軍主導で開戦が決まり、陸軍は満州での決戦を想定していなかったという
日本側から見て開戦のきっかけになったのは、ロシアが鴨緑江河口の龍岩浦に軍港化をはかったこと(龍岩浦事件で、ロシアとしては旅順とウラジオストックだけでは航行距離の問題から制海権がとれないと朝鮮半島両岸に不凍港を欲しがっていた
この動きに対して、海軍大臣・山本権兵衛は表向きは平静を保ちつつ、奇襲攻撃による開戦計画を練っていた。外交の現場でロシア側の強硬姿勢を見ていた小村寿太郎がこれに同調し、ロシアへの和平工作に失敗した伊藤博文も日英同盟を見て開戦に舵を切った
陸軍はというと、山県を始めとする要人は満韓交換の条件が成立しないはずがないと思い込みがあって、海軍の事情に疎かった。首相・桂太郎は開戦が避けられないことから辞職騒動を起こしたという
開戦してからも、海軍の制海権次第で上陸できないとあって、陸軍は終始、海軍の事情に引きずられることとなり、大陸での決戦など想定できなかった。まったく準備を欠いていたのだ
また、陸大の教官であったメッケルは実戦経験が少なく、井口、松川らに師団長レベルの部隊展開しか教えることができなかった。他国に送られたドイツ軍人に比べ、二流の人材と著者は手厳しい
児玉源太郎は井口や松川といった参謀の空論を、菩薩なんだとおだてつつ無力化し、方々に角が立たないように軟着陸させていた。戦争全体の計画性には疑問符がつくものの、その軍人離れした調整能力は著者も高く評価している
結果、旅順攻防戦、遼陽会戦、奉天会戦などの決戦では、参謀によるドイツの軍事学よりも、戊辰・西南戦争を経験した将帥の機転がものをいうことになる

本書の目的のひとつは乃木希典の復権だろう
最初の総攻撃こそ、集団密集での突撃で大きな損害を出したものの(それにしても同時代の常識ではあった)、次の攻撃からは敵の塹壕に対して塹壕で迫る戦法に転換し、海軍に協力して重砲部隊で旅順艦隊を機能不全に追い込み、203高地の争奪戦では敵に消耗戦を強いてステッセルの降伏につなげた
日露戦争時代の砲弾では塹壕、トーチカを粉砕するには限界があり、どこかの時点で銃剣突撃はやむをえず、要塞の攻略は数に劣る守備兵を消耗戦に追い込む必要があった。いくつかの錯覚はあったものの、当時の事情からすればかなり優れた戦果を残したといえるのだ
旅順の膨大な犠牲は近代戦そのものの性質からであり、それに震えた者たちが責任を乃木に求めたと考えられる

本書のもうひとつの特徴はロシア側からの分析である
物量のロシアというのは、あくまで第一印象であって、実際に日露戦争に投じられた兵力はそれほどでもなかった
開戦当初は日本からの攻撃を想定していないので、極東全体の兵力が薄く、しかも旅順要塞に割かねばならなかった
遼陽、奉天と後期になって兵力が充実したのはいいものの、今度はシベリア鉄道を補給にフル回転させねばならず、帝政の腐敗から必要量が戦場に届かなくなっていた
実はロシア側からしても戦争の継続は困難になりつつあり、日本軍を打ち破る方策がなくなっていたのだ
つまりポーツマスで日本が賠償金を取れなかったのはウィッテの外交的勝利で、日比谷で暴れた庶民の感覚はあながち間違ってなかった(苦笑)
しかしこうしたものの見方は、あくまで結果と状況を全て知ってから言えることであって、日本の権益が守られればそれでよしとする児玉源太郎のバランス感覚を著者も認めている


関連記事 『坂の上の雲』 第1巻
     『「坂の上の雲」の幻影 “天才”秋山は存在しなかった』

『会津落城―戊辰戦争最大の悲劇』 星亮一

大河の展開より早く読めました

会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書)会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書)
(2003/12)
星 亮一

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会津藩はいかに戦い、滅んだのか。会津戦争の実相を伝える星亮一の戊辰四部作最終巻
『奥羽越列藩同盟』が東北・北陸全体を捉えたのに対し、本書は最も激しい主戦場の会津に焦点をあてる
会津戦争では白虎隊や女性の殉難といった悲劇が美化して語られがちであり、藩の戦略・対応自体を問われることが少なかった
著者はそうした悲劇を美談化することを拒否し、藩首脳の指導不足や硬直性として批判していく
会津では数千ものの命が失われた。戊辰戦争は日本が最初に経験した近代戦ともいえ、その犠牲や影響は明治以後も尾を引いていく
会津戦争の実態に近代日本人の悪しき体質がある、とする著者の言葉は重い

会津藩はなぜ敗北したか
『奥羽越列藩同盟』では農村との関係が疎遠であることを強調されていたが、近年では板垣退助の総括ほど極端なものではないと分かってきたらしい
山川大蔵日光口での戦いで周辺の猟師を味方につけて、薩長についた宇都宮藩兵相手に大勝し、憤った薩長方は捕まえた猟師の腕を斬り落とすという報復に出ていた
しかし、全般的に階級の隔たりが大きかったことは否めず、会津兵が官軍の宿営に使われないように焼き討ちした地域では官軍への支持が大きくなり、戦線によっては会津を恨んで官軍を引き入れる農民も現れた
官軍によって徴発された農民たちは大きな負担を強いられたが、会津に加担する動機にはなりえなかった
洋式化が浸透した官軍に対し、会津の後進性は否めず、ある戦線が抜かれても他の戦線が知らずに孤立する、戦機を逃すことが多かった。首脳陣に大局を把握する意識が薄く、戦線同士で連絡をとるような士官教育がなされていなかった
少しフォローすると、会津の中で気鋭の者は京に出て敗れていたことが痛い。京都守護職を引き受けた藩主容保は、大坂からの退却で権威が失墜しており、保守・俗吏の留守居役が威張っていたことが藩の指導を中途半端なものにしてしまった

大河ドラマ『八重の桜』に関係しそうなところを拾い上げてみる
ヒロイン八重に関しては、

 砲術師範役山本覚馬の妹八重子は、男装し、両刀をたばさみ七連発銃をかついで城に入った。衣装は鳥羽伏見の戦いで戦死した弟三郎のもので、弟の仇討ちの覚悟だった。本丸に向かうと大勢の女中が主君容保の義姉照姫を警護していた。皆、懐剣をもって城を枕に殉死する覚悟だった。
 照姫は重臣の妻女に、籠城のさいは自分の周囲に集まるように指示を出していた。どの範囲までかは分からないが、これは立派な指示であり、もたついた男子にくらべると、会津藩は女子のほうがましだった。
 八重子は男たちに混じって城壁から敵を銃撃した。(p137-138)

これだけである(苦笑)
一月の籠城戦をもたせたのは女性の活躍があったればこそであり、八重はそれを代表する存在として描かれるのだろう
対照的なのが、保守派の代表格とされる西郷頼母
会津戦争の天王山となるはずだった白河口の総督を務めながら、あっけなく抜かれて再び更迭。籠城後に三度復帰するも会議で重役一同の切腹を主張する狂乱ぶりで、新体制後は仙台ついで榎本の艦隊で箱館に向かうも戦うことはなかった
白虎隊の悲劇も多くの女性たちの犠牲も首脳陣の至らなさから発しており、どこまでそれが問われるか、大河では注目したい


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江戸が開城してからも東日本の諸藩はなぜ戦い続けたのか。薩長に比する構想を持った列藩同盟の軌跡をたどる
鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争は、江戸開城後も激しい戦いが続いていた
仙台藩を中心とした列藩同盟は、会津救済を目的で集ったものの、薩長を官軍として認めない姿勢をとり、輪王子宮公現法親王を奉戴して同等の勢力として立ち向かった
その立役者となったのが、外遊した経歴をもつ仙台藩の玉虫左太夫で、彼の構想のもとに会津の梶原平馬、南部藩の楢山佐渡、米沢藩の千坂太郎左衛門、長岡藩の河井継之助、庄内藩の菅実秀がそれぞれの藩を動かしていく
本書では、北陸における河井継之助の戦いと会津藩の死闘を包括してとらえ、列藩同盟の興亡と参謀たちの生き様を描いている

列藩同盟は幕藩体制の維持にこだわるものではなく、薩長中心の体制への異議申し立てだったというのが本書の主張だ
当時は「勝てば官軍」という政治情勢であり、列強も多くは中立を保ち列藩同盟に肩入れする国もあった
会津の梶原平馬は河井継之助の紹介でオランダのスネル兄弟と出会い、彼らを通して諸外国から同盟の武器弾薬を補給している
仙台藩では榎本武揚を介して、フランスの軍事顧問を招聘し、対薩長の戦略を練っていた(会津藩主導という見方もある)
そうした雄大な構想をもつ同盟がなぜ敗れたか
ひとつは榎本艦隊の動きが遅く、新潟港を薩長に押さえられたこと。武器弾薬の補給路を失ったことが致命的で、装備の上でも薩長に押されることになった
同盟には海軍が皆無だったので、榎本武揚の全面協力を得られなかったのは辛すぎた
二つ目には秋田藩の背信で、仙台藩は懲罰の兵を向けざる得なくなり、会津藩を救援できなかった
三つ目には、白河口を破られるのが早すぎた。東北の諸藩は実戦経験がなく、鳥羽伏見を経た会津も近代戦に対応できなかった
庄内藩は農兵を動員して挙国一致の体制をとれたが、会津は武士と農民の壁が高すぎたのか、農民たちは戦いで焼き払われるのを恐れ、形勢が傾くと薩長方に協力した
幕藩体制の優等生ぶりが仇となったようだ

同盟が敗れたのち、各藩の参謀たちには厳しい処分が待っていた
仙台の玉虫左太夫は明治の時代にも耐える人材ながら、微罪を口実に藩内の政敵に葬られた
長岡の河井継之助は戦傷がもとで死に、南部の楢山佐渡は戦犯として切腹を命じられた
会津は今後のため、萱野権兵衛一人が責を負い、梶原平馬山川大蔵は明治を生きた。山川家は明治における会津人の中心的存在となり、大蔵は陸軍軍人から貴族院議員となる。弟の健次郎は東京帝国大学総長に、妹捨松(咲)は大山巌の後妻となり鹿鳴館の華とよばれる
梶原平馬水野貞との恋のために、大蔵の実姉・双葉と別れ北海道に渡った。貞は教育者で女性で最初の小学校校長となり、平馬もその夫として生涯を終えた
このくだりは『八重の桜』でも取り上げられるはずなので、敗者たちの明治に注目したい

『小栗上野介-忘れられた悲劇の幕臣』 村上泰賢

徳川埋蔵金を埋めた人らしいけど

小栗上野介-忘れられた悲劇の幕臣 (平凡社新書)小栗上野介-忘れられた悲劇の幕臣 (平凡社新書)
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幕府の旗本の立場から日本の近代化に貢献しなががら、罪無くして死んだ小栗上野介の生涯
著者は小栗上野介の菩提のある東善寺の住職で、本書は官軍から「奸物」と見なされ処断された幕臣の名誉回復をはかるものながら、少し力点がずれている
調べているうちにネタが膨らんでしまったのか、紙数の半分が通商条約批准を目的とした安政の遣米使節団に割かれているのだ(苦笑)
使節団は直に見たアメリカの技術文化に圧倒され、外国の文明を学び取り入れる決意を新たにする。後の岩倉使節団が受けた衝撃を旗本たちも受けていた
小栗は黒船以前からの交易論者、安積艮斎の薫陶を受け、外遊の体験からラディカルに日本の近代化を目指していく

薩長側を主役した小説では、小栗上野介はフランスからの借款で洋式軍隊を作り官軍と戦う売国奴として扱われることも多い。極端なものでは、フランスの勧めに従って徳川家将軍を「皇帝」に仕立てあげ、天皇制を廃せんとする奸臣とまで言われる
本書で描かれる小栗からは、そうした姿は見えてこない。横須賀に日本発となる本格的な造船所を造る時には

 このころ、ある幕臣が「幕府の運命もなかなか難しい。費用をかけて造船所を造ってもできあがるころには幕府はどうなるかもわからない」と語ったところ、小栗は居ずまいを正し「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない。幕府のしたことが長く日本のためとなって徳川のした仕事が成功したのだと後に言われれば徳川の名誉ではないか。国の利益ではないか」(p129)

徳川慶喜など維新後に汚名返上のため事実と違う立志伝が創られることもあるので、そのまま鵜呑みはできないにしても、小栗の行動に主義者めいたものはない
旗本として徳川家を支える側に回っただけであって、それは維新後に政府へ参画した他の幕臣となんら変わるところはない
小栗は鳥羽伏見の戦いを誘引した西郷の江戸攪乱工作を止めるために、薩摩藩江戸藩邸を焼きはらうことに進言したと言われ、単にその煽りから粛清の白羽の矢が立ったものと思われる
慶喜の意志に従って官軍に抵抗せずに捕まっており、どうせなら大鳥圭介ばりに粘った方が良かったのかも

本書ではドロドロした政治の舞台裏については余り触れず、小栗の業績を「ですます調」で丁寧に振り返っていく
その働きには横須賀造船所のように実ったものもあれば、時代の波に翻弄されて立ち消えたものもある
小栗は遣米使節団において、日米通貨の比較分析する任務を負っていた。当時、日本と外国では金銀の取り扱い方が違い、4メキシコドル(銀貨)→一分(銀貨)12枚→一両(金貨)三枚→12メキシコドルとなる事態が起きていた
これを是正するために、小栗は現地でドル金貨の成分を分析させ、レートが実態から離れていることを立証している
ただ、これはアメリカの国益を左右するとして通らず、日本側が一両小判の含有量を下げることで対応したようだ
日露戦争後、東郷平八郎は小栗の遺族を招き、「日本海海戦に勝利できたのは、小栗上野介殿が横須賀造船所を建ててくれたおかげ」と謝辞を送った
その業績のひとつひとつは小栗がいなくても誰かがやれた仕事かもしれないが、そのことごとくが維新後の行政の先鞭となっていて、その前例が後押しことは確かなのだ


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うむ。横須賀造船所であたふたしているところをみると、埋蔵金はガセのようだな
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