明治はほんとうに美しい時代なのか? 司馬史観と実際の歴史の違いを突き、その「官軍史観」に乗っ取った虚像をはぐ!
官軍と維新の成果に疑問を投げかけてきた作家・原田伊織と、瓦版など江戸庶民の文化を研究する学者・森田健司の対談なのだが、原田氏の序文が凄い
「おまえには赤い血が流れていないのだろう!」とスタッフの女性にパワハラ発言したことからスタートし、この本の内容を疑ってしまったが(爆)、残りの99%以上の部分はしごく冷静な対談なのであった
語られる事実もそれぞれは突飛な内容でもない。ちょっと歴史の新書に手を出せば知れる歴史事実が多い
しかし、その積み上げから立ち上がる維新像が刺激的で、「明治維新は正しい近代国家のスタートで美しく、日露戦争以後に狂っていく」という「司馬史観」を解体してしまうのだ
今の歴史教科書は、明治維新を日本近代の原点としている。そうした「官軍史観」は、幕府を倒した薩長藩閥政府が作ったものであるから、自らを美化し幕府を貶めている
黒船が来航した際に、幕府が対応が後手に回ったというのはとんだ風評被害。実際には国際情勢をそれなりに把握し、1842年の段階で外国船に対する水、食糧、燃料の補給を認める薪水給与令を出していた
そして、ペリーの回顧録でも日本側の評価は悪くない。各国への対応に関しても特定の国を優遇せず、お互いを牽制させるように配慮していた
関税自主権がなかったといっても、明治政府がそれを手にしたのは、日露戦争の後のこと。それをもって幕府を批判するのはおかしいのだ
ロシアのプチャーチンと交渉した川路聖護、横須賀製鉄所を整備した小栗上野介など、幕府には優秀な能吏が多かったが、その優位を崩したのは鳥羽伏見の戦いのあとの徳川慶喜。そこまで政治家として優秀だったのに、なぜに敵前逃亡したか、両氏とも嘆く
司馬小説によって称揚された、三人の人物が本書では裁かれる
まずは、松下村塾で有名な吉田松陰。松下村塾自体は玉木文之進のものであり、どこまで松陰が門下に影響を及ぼしたかは謎で、あくまで血気さかんな若者のたまり場ではないかという
とにかく行動してしまえ、という偽陽明学が共通項であり、幕末はテロリスト、維新後は汚職政治家ばかりを生み出したという厳しい評価だ
松陰が持ち上げられた原因は、長州閥の元勲、山県有朋にあり、足軽以下の中間出身というコンプレックスから松下村塾をひとつのブランドにしたかったからでは、とする
二人目は『竜馬がゆく』の主人公、坂本龍馬。そもそも竜馬という少しずらした名前を与えたように、小説は非常にフィクション性が高い。なのに、教科書に載るほどの有名人になってしまった
「薩長同盟」の立役者というが、以前から薩長同士が連絡を取っており、そもそも同盟というほど確かなものではない。グラバー商会から武器を売ったことから、そのエージェントというのが妥当な評価だという
そして、「大政奉還」に関しては土佐藩主・山内容堂の意向そのままであり、「船中八策」などはその出所も怪しく、特に独創的なわけでもないとか
三人目は司馬が「未来から来たかのような近代人」とした勝海舟に対しては、単なるほら吹きという疑惑が(笑)。維新後の回想録『氷川清話』などは、江戸っ子特有の放言癖に、編纂者の歪曲・改竄も多いらしく、史料としては役に立たないとか
ただ森田氏はこうした奇人だからこそ、ただ敗戦処理にすぎないはずの江戸開城交渉で、西郷へ物を言えたのではないかと、胆力を認めている
この三人の共通するのは、自己発信力の高さ。松陰は詩文や書の評価が高く、龍馬は自らの写真を配って、文字通り顔売っていて、そういう人が後世でも人気が高いのである
明治政府を支えたのは、結局のところ、幕臣や賊軍出身の能吏だった。その意味で、「明治は江戸時代の遺産で成り立っていた」という司馬の言葉は正しい
面白いのは西郷隆盛の評価だろうか。西郷の素の性格は掴みづらく、薩摩の若衆制度「二才」が生み出した「二才頭」のキャラクターが仮面として外れない。西郷従道、大山巌なども同じような行動様式をもっているのだ
事を為すために強硬手段も辞さないが、不意に情を出すところが日本人好み、理想の「大将」として定着しているのだ。ただ政治家として不向きで、故郷で再び「二才頭」に戻って兵学校の面倒をみている
そんな西郷が立ったのは、明治政府が「武士」という階級を潰し、長州閥が汚職の限りを尽くしていたから。西南戦争は明治維新の矛盾を象徴しているのだ
「権力は金をもたらす」という長州閥の流れは、戦後の保守政権に引き継がれているし、陸軍の暴走は悲惨な敗戦を生み出した。明治を称揚し、昭和初期を「鬼胎の時代」としてそれ以前より切断する「司馬史観」は、この連続性を無視している
まあ、そもそも小説はフィクションであり、実証をあてにされていないものから‟史観”が作られること自体がおかしいのだが、司馬本人が『この国のかたち』などエッセイとしてまとめてしまっているので、その影響力からもこうして裁かれるのは仕方のないところだろう
原田氏の批判も司馬小説を愛読し、リスペクトがあっての話。読みまくっていなければ、ここまで書けない
森田氏が若き日に研究した経済学‟オーストリア学派”の教え、「人間の知性というものを評価し過ぎてはいけない。社会主義というのは、人間の知性に対する‟致命的なうぬぼれ”なのだ」という言葉は歴史にもあてはまり、歴史ファンも心せねばならないだろう
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