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『ティターンズの旗のもとに ADVANCE OF Z』 今野敏

新モビルスーツの登場に作者もノリノリ


ティターンズの旗のもとに〈上〉―ADVANCE OF Z (メディアワークス文庫)ティターンズの旗のもとに〈上〉―ADVANCE OF Z (メディアワークス文庫)
(2010/07/24)
今野 敏、矢立 肇 他

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ティターンズの旗のもとに〈下〉―ADVANCE OF Z (メディアワークス文庫)ティターンズの旗のもとに〈下〉―ADVANCE OF Z (メディアワークス文庫)
(2010/07/24)
今野 敏、矢立 肇 他

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宇宙世紀0088。ティターンズに参加したエリアルド・ハンターは、連邦政府から幾つもの嫌疑をかけられ、軍法会議に処せられようとしていた。極刑は免れない裁判に、法務局の弁護士コンラッド・モリスはエリアルドの無実を信じて、かつて同じチームにいたスタッフ達を探し始める。ガンダム小説初の法廷サスペンス

ミステリー作家にして空手道場を営む異色の小説家、今野敏のガンダム小説
主人公がティターンズのパイロットで、ティターンズの結成からコロニーレーザーをめぐる最終決戦まで関わっていた
戦中のパートと法廷闘争のパートが交互に入れ替わる構成になっていて、戦争の渦中にいるパイロットと戦後から冷静に振り返る二つの視点で、敗者から見たグリプス戦役が語られていく
ジオン残党がエゥーゴに転じるなど、アニメで表現されない戦役の裏側を忠実に表現されている貴重な作品である。「デラーズ戦役」「30バンチ事件」「ニューディサイズ」と、年表の整合性への配慮もファンには嬉しい
他の小説を読んだことがないので作者の特徴かは分からないが、文体はガンダムUCと対照的に写実的な描写がなく装飾も少なく、いわゆるアニメのノベライズ小説に近い
しかしその無骨な文章で積み上げられたドラマは、最後に熱い感動をもたらす

出てくる登場人物は、揺らぎが少なく非常に安定している。理想小説的で、いたらぬ人間同士のぶつかり合いは余り起こらない
こうした大人すぎるドラマは、良く悪くもエキセントリックなキャラクターに親しむガンダムファンには、寂しく感じられるかもしれない
管理人がひとつ気になったのは、主人公を弁護する側が「軍人だから組織の命令に従うの仕方ない」で押し通すところだ
エリアルドが生き残るために法廷でそうした論理が使われるのは当然だし、それそのものはひとつの理屈ではあるのだが、人間としての良心」はどこに行くのか
ナチスやベトナム戦争を題材とした映画などでは、命令だから仕方ないではすまされず、一人の人間としての良心が問われる
作者も当然、この点は分かっていて、毒ガスを運んでいたと知らなかったエリアルドは「30バンチ事件」の結果に罪悪感にさいなまれるのだが、コンラッドに諭されて以後、その悩みには触れられない
もちろん、主人公は不当な裁判で死ぬべきではない。ただそれを潜り抜けた後に、「人間としての良心」がどう果たされるのか、ちゃんと示唆してほしかった


HGUC 1/144 ORX-005 ギャプランTR-5 [フライルー] (ADVANCE OF Z ティターンズの旗のもとに)HGUC 1/144 ORX-005 ギャプランTR-5 [フライルー] (ADVANCE OF Z ティターンズの旗のもとに)
(2006/12/24)
バンダイ

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『リーンの翼』(新) 第4巻 富野由悠季

ああ、一週間以上更新が滞ってしまった
ヒノキ花粉、仕事の疲労、などなどいろいろあるが、プロ野球開幕というのが一番大きかったりして

リーンの翼 4リーンの翼 4
(2010/03/20)
富野 由悠季

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テロ事件に巻き込まれたエイサップ鈴木は、空中戦艦に乗って現れた少女リュクスともにオーラロードを通り抜ける。ホウジョウの国では、迫王水が地上へ帰還するため巨大戦艦フガクの建造に血道をあげていた。リーンの翼の顕現からエイサップを後継者に見立てた迫水ではあったが、望郷の念は捨てがたくオーラロードを開くため、反体制派アマルガン一党に奸計を仕掛けるのだった。そして、地上界では、全世界にテロを計画する「無国籍艦隊」と取り残されたホウジョウのオーラシップが連合を模索して・・・・・・壮大なサーガの最終章

最終巻は、アニメさながら一気呵成の展開だった。テンポが良く全くもって本の分厚さなど意識することはなかった
文章においても多数の登場人物の心情、思考が細かく捉えられていて、無駄がない
文体の次元では、複数の事象を一つの文にまとめてしまう一つの事象を省いて先を書く、など小説における富野節は健在であるものの、それも洗練されて旧版のようなアクが少ないのだ。むしろこういう風に、行間を読む意識を要求されるのは、普通の本読みにとっても心地いいものではないだろうか
物語はアニメ版に準じた展開となるが、微妙に細部、ニュアンスが変わっている。小説という媒体に変わったことでより監督の考えがラディカルに表れているようだ
朗利、金本の生死などアニメ版との相違点から、それぞれの媒体に対する表現者としての姿勢もうかがい知ることができるだろう
また、「無国籍艦隊」など、新しく立ち上がった背景には、進行形の“今”に対する試論がある。そして、それは“付け加え”というレベルではなくて、新要素を前提として作品全体を組み替えたといえるほど、物語世界を変えている
これはもうアニメ版とは違う、もう一つの『リーンの翼』が顕現したと言いうるものなのだ(第三巻での「関連資料云々」は訂正します)

あまりの壮大さに何から語っていいものか、迷ってしまうし、なおかつそれを語り尽くせる自信もないのだが、書けることから書かせてもらおう
読み終えて一番とまどったのは、迫水の怨念に複雑な心情が隠れていたこと
自らが犠牲となって守った日本が、変わり果てた姿となってかつての敵国アメリカを受容れている。この日本を変えることが地上界へ帰還する目的であるし、実際の東京を見て逆上するのは、第2巻ラストの伏線からしてまだ分かりやすい
しかし、小説においては迫水始めとする地上人たちがヘリコンの地を工業化する役割を担うこととなり、迫水は近代化を象徴する王を演じ続けなければならなくなる
機関砲を嫌い核に特攻して見せた、地上人としての迫水からは、自己嫌悪を伴うことであったろう
さらに付け加えれば、迫水が第三の核を打ったのちに帰還した時点では、すでにオーラシップが建造され始めていた。バイストンウェルの近代化が避けられないところに来ていた
バイストンウェルの近代化は、もちろん地上界の歴史の反映である
迫水王の怨念は、第一の故郷である日本と、第二の故郷のバイストンウェルをも奪われるという、二重のものであったのだ
アニメ版で割愛されていた部分が披露されていたことで、迫水の怒りは普遍性を帯びてくる

しかしその一方で、迫水がエイサップに優しい側面も見せるのがたまらない
バイストンウェルに東京大空襲、ヒロシマ、沖縄の玉砕戦を見せられた後、両親の会話を聞いてしまったエイサップに「過去の現実をいじったりしたら、君の存在が消えてしまう」
この台詞は、後のエイサップによる「今日までの日本を肯定する」という宣言につながり、ちゃぶ台を返して明日はないという、作品のテーマに到る
『リーンの翼』は迫水にとって過酷すぎる物語だった
戦中、戦後をくぐり抜けた日本人の姿をあてはめようとしても、そんな通俗的な解釈で収まりきらない。ファンタジーという時代を超える枠組みが、現実の人間が負う以上の重荷を迫水に背負わせてしまった気がする
迫水は最後に聖戦士の、“王”の役目に立ち帰り、身を挺して世界を救った。果たして、現実の危機に瀕した日本にこれができる政治家がいるのだろうか

まだまだ語り尽くせないが、今日のところはこのあたりで
本作は間違いなく富野小説の集大成。アニメを見た人はもちろん、見ていない人にも世界のイメージが伝わるように配慮されている、“開かれた”作品
知らない人も一度バイストンウェルを覗いてみて欲しい

前巻 『リーンの翼』(新) 第3巻
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『リーンの翼』(新) 第3巻 富野由悠季

帰宅した後にNHKで状況を確認するようになって、読書する時間が減っている
いつになったら、原発事故は収束し始めるのだろう・・・

リーンの翼 3リーンの翼 3
(2010/03/20)
富野 由悠季

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第三の原爆に特攻した迫水は、再びバイストン・ウェルの世界に戻っていた。ヘリコンの地では仇敵アマルガンが姿を消した後、リンレイ亡き後に連合国家シッキェが生まれ、その軍事力で周囲の部族を圧迫していた。迫水は他の地上人と協力して、シッキェに対抗できる国作りを始める。そして、地上においてもエイサップ鈴木の物語が始まり、またも両世界を結ぶオーラロードが開く!

前巻で「本シリーズに関しては信者以外にも胸を張って推せるシリーズ」と書いたが、第三巻はこの点では少し難が
物語が躍動する箇所が限られているのだ
バイストンウェルにおける迫水の建国物語は、最初の頃こそ比較的にまとまっていても、途中で飛ばし飛ばしになる。小冊子のインタビューにすべてを書くわけにはいかない故の「映画的手法」と明かされているが、小説ならばもっと強引にインパクトを残す構成もありえたのではないだろうか
また迫水視点に寄りすぎていて、老齢になるごとに動かなくなっていくのが辛い。もっと早くからリュクス視点にする手もあったと思う
地上界の方は朗利たちがテロを起こすまで動かないので、ノベルズ三巻強の文量を保たすにも動的なところが欲しかった
迫水と地上人たちとの対話、ネットの言論として語られていること自体は、今現在の監督の考えを知る上で非常に興味深い
特にチャットを模した部分では、それぞれに一つの認識を語らせながら、俯瞰的にそのやり取りを見る視点を提供している。ネットにそれなりのウェイトを置いてしまった人間ならば、そこで自分を発見してしまうだろう
疾風怒濤の1、2巻までに比べ、本巻はゆったりとしたつなぎの位置にある

*110329 信者仕様云々の部分を訂正しました。理由は、信者とか関係なしに面白いから。全ての人間に向けられたテーマで、特定の人間しか反応できないものでは決してない
往生際が悪く見えますが、他の幾つかの部分も自分の意図以上にバランスを欠いていたので直させてもらいます


書きたいことは山ほどあるが、とりあえず書いておきたいのは無国籍艦隊のことだ
おそらく監督の念頭には、アニメのオファーもあったされる『沈黙の艦隊』がある

富野 潜水艦乗りというのはその中でも特にそうだというのが分かったときに、船の形が社会そのものなんだということに気づきました。・・・
大塚 準拠集団の大きさと、船の大きさが比例しているんですね。
富野 そうなんです。それが理解できたときに、ぞっとしましたよ。彼らはみんな日本列島から逃げ出したいんじゃないか、彼らには国防なんてやれるわけないではないか(笑)というがわかって愕然としました。・・・(略)・・・世俗がうっとうしいという気質が醸成される環境だということはあると感じました。
ササキバラ 海軍というのは国が違ってても仲いいんですよね、海軍同士で。
富野 そうそう。だから、どうも海軍同士の戦争というのはぼやぼやしていて、どこかなあなあでやってるみたいな感じがなきにしもあらずでしょ。
上野 『沈黙の艦隊』っていうまんがが、まさにそれですよね。潜水艦だけが自立して連帯するという。
富野 そう。だけど、「それは勝手な言い分だろう」と言いたい(笑)。そういう奴に潜水艦渡したくないよ、ということにもっと気づくべきでしょう(『戦争と平和』p184-185)

ファンにはおなじみの『戦争と平和』で、こういうやり取りがあった
『沈黙の艦隊』は独立する原潜という「ありえない設定」から、冷戦時代の政治力学を見せ、保革再編などのポスト冷戦の政情を予見した
『リーンの翼』の「無国籍艦隊」は、この「ありえない設定」を「実際にあったとしたら起こり得る危機」に変換したように思われる
もともと本国とのつながりが希薄になりがちな海軍に、国連が認めた「無国籍」という地位を与えればどういったことが起こるのか。ましてそこに世界を制圧する核兵器が搭載されていたとしたら・・・
なにやら、オルファンを占拠した米軍を連想してしまうじゃないか
また、首魁であるエメリス・マキャベルの論理が、某大佐のソレをなぞっているのにドキリとした
単なるファンサービスではなく、富野作品に通底する問題意識がそこにあるのだ

少し不思議なのが、固有名詞の自主規制(!)
「グーグル→グーグリ」「エシュロン→エシャロン」となっているのに、テロの隠語で「○ッテ」「○ッテ会長」と某菓子メーカーを連呼する箇所がある(笑)。これはどういうことなのか
最後半に地上界とバイストンウェルの出来事がリンクし、オーラロードが開く。そこからようやく、物語は躍動し始める
最初の4分の3が、最後半以降への溜めなのだ。ノベルズにして3巻近くの溜め。お楽しみまで、力まず読みたい第三巻だ

次巻 『リーンの翼』(新) 第4巻
前巻 『リーンの翼』(新) 第2巻

戦争と平和 (アニメージュ叢書)戦争と平和 (アニメージュ叢書)
(2002/05)
富野 由悠季、大塚 英志 他

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『リーンの翼』(新) 第2巻 富野由悠季

普通の一日が送れるだけで、幸せに感じる正午

リーンの翼 2リーンの翼 2
(2010/03/20)
富野 由悠季

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リンレイとアマルガンの軍についにガダバの正規軍が立ちはだかった。激戦につぐ激戦のなか、リーンの翼の靴を失われたサコミズは、奪還する旅に出る。その中で仲間を失う替りに、バイストン・ウェルで生き死ぬ覚悟を固め、真の聖戦士として成長していくのだった。そして、ガダバの首都を落としたあと、迫水は・・・


こういう一大事のときに更新するのは気が重いが、忘れないうちに書いておく
ストーリーは4巻途中から6巻まで。記憶が正しければ、大きく割愛されたエピソードはなく、むしろ補完されたものが多かった
まずは、シェムラ・ドウとの“揺れ地の戦い”だ。旧版は時間がなかったらしく、合戦そのものは解説的で、シェムラ・ドウがアンマたちを囮に使う下りだけが取り上げられていた
それが本巻では合戦部分のアマルガンや迫水の作戦が臨場感ある描写となっていて、旧版にあった文体の違いによる違和がなくスムーズに読むことができた。旧版の読者には大歓迎の補完だ
また、旧版ではリンレイとの序列が明白だったアンマ・ガレリアとの関係が、抜き差しならない濃厚なものになっていた。一つ間違えればどうなったか、という男女の際どさは、旧版より迫力がある
これほどの機微を男女両方の視点から描ける作家が日本に何人いるだろうか
ストーリーの大筋を変えないでも、モノの見方が変えるだけで違った作品になるのは、新訳Zとも共通するところ。こちらの新訳はすべて書き直しなので(笑)、作品の質にブレがない
旧来の富野小説には、勧めたくても色々但し書きが必要になるもどかしさがあったが、本シリーズに関しては信者以外にも胸を張って推せる作品

作中でガロウ・ランという表現が錯綜する
ある時はガダバのやり口はガロウ・ランとし、ある時は総力戦の発想をガロウ・ラン的とする

「兵器の破壊力だけは強力になっていますから、数万、数十万という人間がすぐに死にます。民間人と軍人の境目がなくなって死んでいくんです」
民間人も巻き込む戦争など、ガロウ・ランの跳梁がひどくなっているとしか考えられませんな」
「現代人は、国家同士の総力戦といいますが、戦場の区切りがないやりかたは、たしかにガロウ・ラン的でしょう」

「それでは、人類は全滅しますぞ?」
「そうでしょう」(p187)

しかし、迫水が通り抜けたワーラー・カーレーンでは、「人の怨念の暗さは、世界を破壊しはしない」ともいう
では、何が世界を滅ぼすのか。技術なのか、それの背景となる思想なのか
「土地に合わせなられなければ、死ねばいいんだ」という、スウェーデン人に向けられた天誅の台詞は、現代人には辛い言葉である
3巻、4巻では、どんな思索がなされるのだろう
昨日には迫水が消して見せた、核の力で動く原子力発電所で事故が起こった。とんでもなく差し迫った問題を含んでいる

アニメとの繋ぎもあってか、ラストは変わっていた
旧作ではリーンの翼によってアマルガンを葬り去り、リンレイとその王国は残る。そして、第三の核を消滅させ戦後日本を歓迎する形で昇天し、物語は終わるのだ
それが、・・・・・・なるのである。昇天した迫水はどんな王国を築くのだろう
そして、迫水が忌み嫌った機関砲の延長にある、兵器としてのオーラバトラーはいかに登場してくるのか。次巻で注目したい

次巻 『リーンの翼』(新) 第3巻
前巻 『リーンの翼』(新) 第1巻

関連記事 『リーンの翼』(旧) 第4巻
       『リーンの翼』(旧) 第5巻
       『リーンの翼』(旧) 第6巻 
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『リーンの翼』(新) 第1巻 富野由悠季

今月は一桁台の更新になりそうだ
ノベルズ三冊分の単行本を読めば、こうもなろうか

リーンの翼 1リーンの翼 1
(2010/03/20)
富野 由悠季

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1945年。沖縄で撃墜された特攻隊員、迫水真次郎は、不思議な力で異世界バイストン・ウェルに放り込まれた。そこは妖精、悪鬼が闊歩する世界だった。恩人であるアマルガン・ルドルの手伝いをするうちに、運命の女性リンレイと出会い“リーンの翼”を持つ聖戦士として覚醒していく・・・二十数年の刻を経てリライトされた新版『リーンの翼』

いや、見た目以上の文量だった
最近の本は、読者に読みやすくかつ冊数を稼ぐように、字を大きくしたものが多いのだが、本書はまるでノベルズを再現したかのように、一ページ二段構成なのである
行数が正味二倍となるので、細かい台詞の多いページでも余白が少なく文字で埋まっているのだ
いまどき、日本の小説でここまで文字数を誇示する作品が何本あるだろうか
昨今の商業展開と逆行しそうな形式も、文学全集を思わせる重厚さがあって、いろんな意味で鼻血が出そうになった

1巻目は、ノベルズ4巻目の半ばまでで、ストーリー展開はほぼ旧版と同じだ
最初の方は旧版と見比べてみたのだが、元の持ち味を残しつつも一から書き直されている。ノベルズから文庫での表現の書き換えに留まらず、文字どおりのリライトとなっているのだ
細かいところでは、キャプランが迫水の修行に嫌みを言うシーンが割愛されてたり、序盤の迫水の、アマルガンへの口にきき方が丁寧語になっていた
特に変わったな、感じたのは、第二次大戦までに到る日本論だ。旧版は日本の近代化の歩みを自滅的戦争という結果から罵り嘆く調子だった
本書では、戦国、江戸時代からの日本の技術・文化的背景を振り返りながら、近代日本の有り様を冷静に語っている
これは富野監督の熟練、変化であるともに、時代が変わったこともあると思う。昔は司馬遼太郎すら、ノモンハンに触れなかったのだ
しかし、戦前の日本に甘くなったわけではない

 戦前“天皇機関説”を説いた美濃部達吉を弾圧して開戦を決定して、不毛な作戦を維持し続けた強硬派たちは、天皇の統帥権をも自分たちのものにした。
 外道な法の拡大解釈である。
・・・(略)・・・結局、最高決定権をわたさなかった天皇を引きずり出して敗戦を宣言させ、戦争の種をまいた当事者たちは天皇の背後遠くにかくれて、姿さえみせなかったのだ。
 そのような者どもこそ、コモン界の言葉では、ガロウ・ランに憑依されていた者たちという。(p189)

むしろ、矛先が研ぎ澄まされたと言っていい
他にも書き足された部分には、迫水の家族の話が詳しかったり、特攻機に乗せた文金高島田の人形が描写されてたりして、アニメで先を知っているとニヤリとする場面もある
殺伐とした世界観と残虐描写は健在も、作品全体としては穏やかな丸味を感じた。新訳Zほど顕著には現れていないが、それが一番の変化なのかもしれない

そして、何よりも読みやすい!
重箱の隅をつつけば、文法的におかしいところもあって「やっぱり富野監督だ」と不届きに喜んでしまう箇所もあるのだが、重複したり多弁と思われた箇所が削られたり書き直されているので、余り引っ掛からずに読めてしまった
信者ゆえにこちらが慣れてしまった可能性もあるにしても(笑)、小説家としても監督が前に進んでいるのを確認できたのは嬉しい
ストーリーはノベルズ4巻目にすでに達している。リンレイとの物語が2巻目までなら、ノベルズ5・6巻でいかなる変化があるというのだろう。今から楽しみである

次巻 『リーンの翼』(新) 第2巻

関連記事 『リーンの翼』(旧) 第1巻
       『リーンの翼』(旧) 第2巻
       『リーンの翼』(旧) 第3巻
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『リーンの翼』(旧) 第6巻 富野由悠季

新訳を手にするのは、いつになることやら

リーンの翼〈6〉―バイストン・ウェル物語より (カドカワノベルズ)リーンの翼〈6〉―バイストン・ウェル物語より (カドカワノベルズ)
(1986/02)
富野 由悠季

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迫水はスィーウィドーの森での戦いに終止符を打つべく、コモン人にとってタブーである森に火をかけてみせる。そして、敵軍の凶行を感じたのかリーンの翼が復活し、敵将シェムラ・ドウを強襲し首を刎ねた。これに対しガダバの王ゴゾ・ドウは、ついに重い腰を上げた。リンレイ・アマルガン連合軍とガダバ本隊との決戦が迫る!

と、あらすじを書いてなんなのだが、実は最後の結末まで表紙の袖に書かれているのだな
「B29の搭載した第三の原爆と共に昇天してゆく迫水が知ったのは、果たして悟りなのか――?」って、そこまで言ってしまうのかよ(笑)
小説の最終巻は、アニメのように鮮やかに畳みかける展開とはいかなかった。残された宿題をどたどたと手当たり次第、片付けたような雑さを感じた
それでも一つ一つのシーンは鮮烈で、ラストに近づくにつれその神々しいファンタジーに引き込まれる。物語のピースそのものはどれも本当に素晴らしい
だからこそ、そこに到るまでの過程がしっかりしていれば、誰にも勧められる名作たりえたのだ。本当に惜しい・・・
そうしたことも、テレビアニメの製作という激務の合間に書かれたことを考えれば、止む為しだが

まず、序盤で一気にシェムラ・ドウハラミーラが片付いてしまう
シェムラ・ドウはリーンの翼が復活した迫水があっさり首を刎ねてしまう。鉄砲で蜂の巣にされそうな無茶な突撃なのだが、通ってしまうのだ(今までの苦労はなんなのだろうかw)
ハラミーラはアマルガンの襲うところを迫水に殺された。彼はシェムラ・ドウより前に死ぬべきだったかな
両者にこういう死に方をさせるのなら、前巻までに片をつけた方がすっきりしたなあ
少し問題に思えたのが、敵の地上人グーベルゲン・ニーベルの扱い
そもそもリーンの翼が発生したのは、バイストンウェル世界の歪みを正すためだ。その歪みは、このスウェーデン人が開発した機関砲から来ていた。そしてそれは地上界の核爆弾に通じるものなのだ
ラストに第三の原爆を持ってくるのなら、ラスボスに相当するのは彼だ。『ダンバイン』で言うと、ショット・ウエポンの位置に彼はいる
ゴゾ・ドウアマルガンも機関砲と繋がらなければ、歴史的には常識の範囲内のコモン人なのである
最後に彼を倒して第三の原爆を止めに行く方がストレートで分かりやすい。彼とアマルガンをつなげれば、リーンの翼がアマルガンを倒すことにも納得がいく
う~ん、ひょっとしたら『ダンバイン』の展開が被ることを嫌ったのだろうか
(とはいえ、あのリーンの翼の発動は、機械の話とは別腹の聖戦士伝説の完結として捉えれば美しい締めだ)

ラストは読み入りながらも考えさせられた
なぜB29に突っ込んだのが、リーンの翼というバイストンウェル世界のものだったか。桜花ではいけなかったのか
本作においての現実世界に、リーンの翼という存在はバランスブレイカーである。桜花で突っ込む方が自然に見える
富野監督としては、危機的な状況での自己犠牲を認めながらも、特攻という戦術を強く否定したかったのかもしれない
そして、B29内の描写がけっこう長かったので、乗組員をまとめて殺してしまうのには驚いた。ファンタジーなら原爆だけを消してもいいのだ
人類の存続に関わる罪に対して、上から言われたうんぬんは通用しないという、創作者の厳しい意志の表れだろう

旧版の『リーンの翼』を振り返ると、迫水を起点に世界が広がっていく序盤こそ、不規則な転がり方がリアルさを生んでいたものの、中盤以降の収束のさせ方は少し不格好だった
第2巻を読み終わった時では、次で終わってもおかしくないと思えた。しかし、第3巻、第4巻でペースダウンしていて、全六巻では足りないペースになっていた
最初より予定が膨らんだのか、縮んでしまったのかは分からない
後年の『オーラバトラー戦記』は全13巻(!)なので、監督のほとばしる想像力からすると短すぎたのかもしれない
(わりあい大河的なファンタジー小説というジャンルでは、作り手の状態に左右されてペースのアップダウンが激しく、全体でみると変な構成となるのは珍しくないことをつけくわえておく)
巻が進むごとに少し辛口の記事になっていったが、読んでいる間は第1巻に書いた通り文章の熱さに乗せられて全く構成など気にならなかった
見かけは不格好でも決して大味には陥らないし、荒さの中にクリエイターとしての鋭さが潜んでいて、読者に不意打ちをかましてくる。気持ちいいシリーズなのだ

前巻 『リーンの翼』(旧)第5巻続きを読む
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『リーンの翼』(旧)第5巻 富野由悠季

今日は仕事帰りに歯医者へ
例の「歯のお掃除」である
「痛いですか」→「ハイ」→「じゃあ、血を出しましょう」(エエッ
歯茎が炎症を起こしているから、血を出した方がいいという話なんだけど・・・
そこまでして掃除してもらわねばならぬのだろうか
次は歯茎の奥らしい。行くの止めようかなあ

リーンの翼―バイストン・ウェル物語より (5) (カドカワノベルズ)リーンの翼―バイストン・ウェル物語より (5) (カドカワノベルズ)
(1985/11)
富野 由悠季

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リーンの翼の靴を盗まれた迫水は、ミラヤマ攻略戦こそ乗り切れたものの、聖戦士としての自信を喪失していた。それをアマルガンに見抜かれた迫水は、女戦士アンマたちとガダバ領の奥深く、ゴゾ・ドウが居るというベッカーラを目指す。その道筋には、ゴゾ・ドウの隠密である“床山”が必殺の罠を張り巡らせていた・・・

本巻はリーンの翼を取り戻すという明確な目標がある
しかし、これは靴を取り戻せば済むという単純な話では済まない
リーンの翼がけっして靴そのものに由来するものではないと暗示されていて、もっと精神的なもの、下手すれば世界の意志そのものかもしれないのだ
靴にこだわる迫水は連れの仲間にすらそれを明かせず、終始もがき続ける。迫水が衆を救う聖戦士に相応しいのかが問われる、命がけの修行の旅である
迫水の心理描写でもアクション面でも絶えず引き込んでいくのがこの第5巻だ

この迫水の彷徨に、中世騎士物語の聖杯探索の話を思い出した
騎士は聖杯を求めて、並み居る敵を倒していくが、それを手にすることができない。敵を倒すことばかりに傾倒すれば、かえって遠ざかっていくばかりだ
しかし、理想の女性を見つけ、彼女への献身を通じてついに聖杯を発見する
この聖杯探索は、キリスト教以前にあった異教の物語が中世騎士に舞台を移したものだ。聖杯は女性そのものを表わしていて、心理学的には騎士が自身の女性性を回復する物語という解釈がある
一人の人間の成熟をテーマにしているのだ
リーンの翼はなにを表わしているのだろう?
女性が深く関わるのは間違いなく、その信頼関係が発現に大きく影響している。ただ迫水のマッチョさからすると、女性性の回復という解釈は想像しづらい
そんなアカデミックなものではなく、むしろもっと普遍的なもの、東洋の“中庸”人間が古来から持っている大らかさ、朗らかを示しているのではなかろうか
朗らかに清濁を呑み込んでいく器の持ち主が聖戦士であり、世のバランスを崩す事象を潰すためにリーンの翼が姿を現わすとすれば分かりやすい
リーンの翼は、東洋的騎士道物語なのである(武士道ではない!)

迫水にとって大事なエピソードが詰まった巻ながら、世界全体としては意外なほど進展が薄かった
橋頭堡となるミラヤマを落とし、そこにガダバ軍が攻めてきただけなのだ
ガダバ軍の将はあのシェムラ・ドウで、5巻のラストでようやく開戦である
次が最終巻なのだが、ここからどう畳みかければ話が終われるのだろう。アニメ作品のクライマックスには定評のある富野監督なのだ、大いに期待しよう

次巻 『リーンの翼』(旧)第6巻
前巻 『リーンの翼』(旧)第4巻続きを読む
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『リーンの翼』(旧) 第4巻 富野由悠季

運命のパラグアイ戦まで後、数時間
よくここまで来てくれた
素直に応援できるのが嬉しい

リーンの翼―バイストン・ウェル物語より (4) (カドカワノベルズ)リーンの翼―バイストン・ウェル物語より (4) (カドカワノベルズ)
(1985/04)
富野 由悠季

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ガダバの正規軍がアマルガン討伐に本格的に動こうとしていた。敵の動きを探るべくスィーウィドーの森を偵察していた迫水たちは、ガダバの隊と交戦し敵の隊長ダーナ・ガラハマを捕虜とする。敵の挙動から“火の砦”が兵器工場と看破した迫水は、自軍を強行突破させて占拠したのだった。しかし、ダーナの上司にして、ゴゾ・ドウの子であるシェムラ・ドウが、アマルガンの軍に倍する軍勢を率いて出陣したのだった

いよいよガダバの正規軍との本格的な戦闘が始まり、戦い、戦いの連続となる
おやっと思ったのは、最大の会戦となるはずの“揺れる大地”の戦いが俯瞰的に語られているところだ。千対千以上の戦いとなると、迫水の存在もちっぽけなものだということなのだろうか(この戦いで、迫水は100人斬りしているのだが・・・)
むしろ局地戦たる、スィーウィドーの森、火の砦、シェムラ・ドウへの追撃には臨場感溢れる描写がなされている迫水が聖戦士たる価値は、千人の将ではなくて、唯一無二の“”、リーンの翼を持つ戦士にあるようだ
少し肩透かしをくらった感はあったが、クライマックスが大会戦ではなく、敵将の追撃中に女戦士を救う場面にあてられているのは、講談よりも人との関係性を優先した富野監督らしい選択だとは思った

登場人物が増えてきた
味方では数名の若武者が死ぬ代わりに、有能な士官ダーナ・ガラハマが加わる
ダーナが味方になることを決意する理由は、やや雑だ。強獣を戦に転用することへの拒否反応は、直接の上司シェムラ・ドウと共通するものだからだ
これだけが理由だとダーナが軽い人に見えてしまう。このように本巻は全体的に見ると、統一性に欠けている箇所が幾つかある(忙しくて推敲する暇がなかった?)
敵方では、強獣を率いるハラミーラ・ザラーン、その部下オットバ・トウと前巻のメンバーの他、ガダバの王位を狙う野心家シェムラ・ドウが一軍の将として姿を現わす
三者とも迫水と交戦することになって、それぞれの戦いはどれも峻烈なもので手に汗握る。しかし、ネタバレ的に書いてしまうが、どの敵とも決着はつけられないのだ
戦いが多くテンションの上がる4巻だが、この点ではフラストレーションが溜まった。あくまで中継ぎの話であって、敵の顔見せが目的なのかもしれないが・・・
戦況が好転していく割に見知った味方が死んでいくので、迫水にとってやるせない巻である

派手な割に足踏みを感じさせる巻だったが、次巻への引きはさすが。テレビアニメ同様、見事な次回予告なのだ
こういう持って行き方をされたら、次も読むしかない

次巻 『リーンの翼』(旧)第5巻
前巻 『リーンの翼』(旧)第3巻
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『リーンの翼』(旧) 第3巻 富野由悠季

歯医者で歯の“掃除”をしてもらいに行ったはずが・・・
イメージと違って、痛い!
歯茎から血が出とるがな
可愛い娘に歯磨きしてもらうイメージだったのに(泣

リーンの翼―バイストン・ウェル物語より (3) (カドカワノベルズ)リーンの翼―バイストン・ウェル物語より (3) (カドカワノベルズ)
(1984/11)
富野 由悠季

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ガダバの重要拠点を落とした迫水は、聖戦士としての評価を固めた。アマルガンを掣肘する力を持ちたいリンレイ・メラディは、父の忠臣であったキャメロットから王家の遺産のことを聞く。隠された遺産を掘り起こすべく一軍を率いて出発する彼女に、迫水も同行する。彼らを追ってガロウ・ランのミン・シャオたちは、ガダバの軍と合流していた・・・

ガダバの罠、強力な物の怪との戦いの中、迫水とリンレイが堅い絆で結ばれる巻なのだが、話の進みが遅い!
原因は、富野監督の“長すぎる語りである。書き始めたら止まらないといった具合で、作り手による解説が延々と展開されていく。まるでエッセイ、DVDのオーディオコメンタリーのごとしなのだ
信者的には「どんとこい」であり、人によっては富野節全快のボーナスステージであっても、良く訓練されていない人は、“解説”の度に読みの流れが途切れてしまうことだろう
このことは富野監督もかなり自覚的だ

三巻目の通しのゲラ稿を読み直して、その過大で饒舌すぎる自分の文章に辟易した。
できることならば、三分の一の削除をしたいと思ったのだ。

が、できることではない。
そんなことをすれば、三番目のゲラ稿は消滅することに等しいことになり、業務が成立しなくなるからである。
(あとがきp207)

三巻を消費してこのていたらくは、自分自身、許し難い。
大河小説などというスタイルは、本来、特異なものであるはずだ。
ある境地に到った文士にして初めて許されることだと思っている。
だから、歯切れ良く、細やかで、小説らしくまとめ上げたかったのである(あとがきp209)

書いた直後に自分のイメージとの落差を痛感しているのだ
小説には“描写”に徹して読者への想像に委ねるという王道があり、専門知識ならばともかくキャラクターの行動、心理まで“解説”すると、かえって興を削ぐことにもなる。小説は読み手の想像が喚起することで作品として完成する、ともいえるのだ
そういう意味合いで、新訳のリーンはどこまでスタイルが変わったか、注目したい

少し話の歩みが止まったとはいえ、ラストのミン・シャオ戦は盛り上がった
浅ましいはずのガロウ・ランにああいう変異が起こるというのは、読者からすれば全くの奇襲である
コモン人同士の中世的な戦いに、機械戦の要素が入りこみ、さらに強獣との戦い物の怪との死闘が加わった。普通の物理によらないオーラ力が関わっているのだから、バイストンウェル世界は複雑で重層的である
おかげで三巻目にして、まだ先の見通しがつかない。こういう勝負を最終局面の切り札的に使ってもいいのに、ここで切ってくるのだから・・・
いきなり、ああいう事態に巻き込まれる迫水も大変だ(笑)
果たしてこの小説にどこまで連れていかれるのか、昂奮が収まらない

次巻 『リーンの翼』(旧)第4巻
前巻 『リーンの翼』(旧)第2巻
10’6/22 一部修正
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『リーンの翼』(旧) 第2巻 富野由悠季

二年ぶりかに、歯医者に診てもらった
歯茎が緊張する感じなので、虫歯と思いこんでいたが、そうではなかった
忘れていた親知らずが動き始めたようなのである
医者はまだ抜くような状態ではないというが、はてさて

リーンの翼〈2〉―バイストン・ウェル物語より (1984年) (カドカワノベルズ)リーンの翼〈2〉―バイストン・ウェル物語より (1984年) (カドカワノベルズ)
(1984/04)
富野 由悠季

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行くあてもない迫水は、アマルガンたちと行動をともにする。彼はガダバに滅ばされた国の名族で、ガダバの王ゴゾ・ドウに挑むべく同志を集めていた。不本意ながらも聖戦士の期待を受ける迫水は、レッツオの砦の戦いでリーンの翼を発動してみせる。そして、その砦には、運命の女王リンレイ・メラディがいた・・・

駆け足である。“リーンの翼”が二巻目の序盤で発動するとは思わなかった。当初の構想よりも、進みが遅かったのだろうか
翼の発動の契機には、迫水が気にする少女の死があってまたこれが唐突。不意に来る戦場の死を表現したというよりも、強引な作り手の意志を感じた
なにせ、迫水の目の前まで少女がやってきて大砲にやられるのである。なんちゅう展開だろう
本命リンレイを現れたことでその存在を扱いかねたのだろうか。女王にのめり込ませるには、迫水を孤独にする必要があるのだ
これが押井守のいう「戦死システム」なのか(笑)。良くも悪くも度肝を抜かれたわい

一巻では迫水の思索として戦前の日本を語っていたが、二巻ではいきなり作者の持論を展開させている最後に迫水の思考、行動と結びつけるのだが、かなり強引なので話の流れを止めてしまっている
それでも読めてしまうのは、一巻の記事で書いたように文章のテンポが良いからだ。書く側の迷いがないから、こっちも釣られるように読み通してしまう
なにが作者にこうした強引なやり方をとらせたのか。一つは司馬遼太郎への憧れがあると思う
司馬は突然、本人や取材先のタクシーのおっさんを登場させて現代の視点から持論を展開させ、きりにいいところで本筋に戻る。卓越した文章力があるから、読む者を驚かせるが違和までは生じさせず、司馬ならでは味と消化される
本作には単なるファンタジー活劇に終わらせず歴史小説として成立させたいという意志とともに、同じ歴史小説なら司馬の域に行きたいという野心が見えるのだ
しかし、小説の中で上手く溶けてこんでいるとも言えないので、明らかなやり過ぎではある
迫水やアマルガン、リンレイらとの芝居のさせ方は芸が細かく面白いので、そちらに重点を置いてもらった方が良かった
信者的には、「だが、それがいい」なわけだけど

この巻を語るのに、外せないのが前代未聞のエログロシーンであろう
女を逆さづりにして縛り股間に剣を差すとか、少女たちを逆さづりにされているところで白兵戦をやるとか、どうして思いつけるのだろうか(驚
もちろん、このエログロは読者をびっくりさせるだけが目的ではない。いわば完全に道徳が機能しない世界で、弱肉強食の論理が先行すると人が人にどこまで残酷になれるかということを示しているのだ
こういう残酷な場面をしっかり見せるからこそ、アマルガンの“国盗り”の理由、正統性も分かってくるし、ときに野蛮に見えるバイストンウェルの住人たちの行動も理解可能になる
しかしだ。繰り返しになるが、どうしてこうも書けてしまうのだろう(笑)
この突き抜けた想像力は凄い!
(少女たちが逆さ吊りにされているところから、アクション映画で牛の肉がぶらさがっている場面を思い出した。肉を死角に使いながら、刑事と犯人が銃撃戦というのは一時期、定番になっていた。しかし、生きた人間でという発想は・・・)

次巻 『リーンの翼』(旧) 第3巻
前巻 『リーンの翼』(旧) 第1巻
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