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『翔ぶが如く』 第3巻 司馬遼太郎

ゲームの記事だけ別に移そうかと計画中
検索に引っ掛かる数は減るけれど、ブログの趣旨がはっきりしておいた方が見やすいと思うので

翔ぶが如く〈3〉 (文春文庫)翔ぶが如く〈3〉 (文春文庫)
(2002/03)
司馬 遼太郎

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「征韓論」に対し、ついに結論がでた
もちろん、「否」とされたわけだが、その過程は二転三転していた。木戸が後押しで大久保が参議となり評議に出たものの、木戸本人は薩人同士の争いに巻き込まれたくないと欠席する。結果、大久保が前面に出て西郷と対決せざるえなくなった
西郷らの威圧に三条と岩倉は押され、一時は「征韓論」を認めてしまう(!)。そこから、伊藤らの巻き返し工作もあって、退けられることになるのだが、小説的演出にしても最後のギリギリでのどんでん返し
西郷の「征韓論」そのものは、島津成彬の積極防衛論、勝海舟の「日中韓三国同盟」から来たもので、韓国を征服するわけではなく、ロシアの南下に備えて清国と韓国の協力を得て満州に兵営を築こうというものである(協力しないなら、砲艦外交止む為しなわけだが)
たぶんに理想論的ながら、後に岩倉をして「あのとき、西郷に行かせても良かった」と言わせるほど、後の日本の対外政策をなぞるものなのだ
実のところ、「征韓論」に見る西郷らと大久保らの違いとは、幕末の「大攘夷」「小攘夷」ぐらいの違いしかない
それがなぜ、袂を分かつことまでになったか。その裏には、それぞれが構想する国家観の違いにあったのだ

西郷が下野した時、彼を慕う薩摩人はなんの憚りもなく職を辞した
彼らは勤王という旗印を掲げて新政府を作ったにもかかわらず、実際の天皇への忠誠心は持ち合わせていなかった

 幕末においては、尊王思想や勤王思想が一世を覆い、大久保もその志士であった。しかし他の多くの一流の志士たちが観念的な天皇主義者ではなかったように、かれもそうであった。多分に天皇観については政略的要素がつよかったが、そのかれが、西郷の下野・近衛士官の大量辞職、それにともなう朝野の大動揺のなかにあって、濃厚に天皇の司祭職たる色彩を打ち出してきたのは、この権威を批判無用の絶対的なものにし、これに頼って国家を安定せしめるほかはないということを、福地の用語を借りれば「渾身でもって心に決めたらしい。これが、のちのおそるべき歴史をつくりだすにいたる。(p236-237)

政府が天皇を中心とした国体を考えはじめたのは、西郷の下野と西南戦争を契機としている。山県有朋の「軍人勅諭」もその一環で、徴兵制による軍隊も士族の蜂起に備えた内乱対策から来ている
昭和の陸軍を経験してしまった司馬は、大久保、山縣の流れを警戒しているが、本来は統制を目的とした内向きの政策なのだ

その一方で、江藤新平の流れである法治による民権中心の国家観も明治政府にはあった

 この人民の強烈な監視者である警察官については、一面で公僕であることを強調し、その毒性を中和しようとしている。川路の表現では、
「官員は元来、公衆の膏血を以て買はれたる物品の如し」
 とある。天皇の官吏、天皇の警察官という考え方はこの時期にはなかったことを注目すべきであろう。
(p258)

初代警視総監である川路利良は内務省の大久保に近い人間ながら、フランス体験の影響で国家観は江藤に近かった
大久保もまた民権にもある程度理解を示していて、自由民権運動の違いも隔絶したものではなかったようだ
それにしても、法治を目指した江藤がなぜ武装蜂起にいたったのか。次巻は佐賀の乱に入る模様

次巻 『翔ぶが如く』 第4巻
前巻 『翔ぶが如く』 第2巻

『翔ぶが如く』 第2巻 司馬遼太郎

今日の京都は最高温度が37度!
職場は容赦なく省エネだし、勘弁してくれ

翔ぶが如く〈2〉 (文春文庫)翔ぶが如く〈2〉 (文春文庫)
(2002/02)
司馬 遼太郎

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話的には前巻よりさほど進んでいない。まだまだ征韓論を巡る前哨戦といったところだ
その分、征韓論を巡る過程に充分すぎるほど、紙数が割かれている。この水面下の静かなやりとりに、司馬は近代日本の潮目と見ているかのようだ
西郷ら留守居組がお飾りの太政大臣・三条実美に西郷訪韓の内諾をごり押ししたことに対し、外遊帰りの大久保、木戸は表だっての対立を避けて沈黙する。そこに決然と征韓論をひっくり返す根回しをしたのが、当時二流と見なされていた伊藤博文だった
当時、「西郷=世直し=征韓論」という構図で世論は見ていて、表だって征韓論をひっくり返すのは非常に危険。大久保は西南戦争後暗殺され、岩倉具視も刺客に襲われた。伊藤博文も、征韓論での活動を人に話すようになったのは、だいぶ後になってかららしい

西郷という人格と正面から格闘しているせいか、作品全体が重たい
大久保や岩倉、木戸も相当に複雑な人たちだから、それらが火花を散らすとなれば、作家としての労力は計り知れないものがある。なにせ、いっぱい資料が残っているため勝手に書きづらい割に、胸中が分かりづらい人ばかりなのだ
やはり、こういう時はオリキャラを作って、そいつの視点から書いてしまった方が楽だろうと思ったら、一人出て来た
旧旗本の娘で旧家を薩摩人に占領された千絵
千絵は一族のものと駿府に移される途中、その境遇を悲しみ海に飛び込んだ。しかし、奇跡的に生き残り、6年後に元の家に帰ってきたのだ。その6年間には、人に話せぬ悲惨なことがあったようである
彼女は明治の世に恨みを抱く人物であり、江戸より遙かに重い税金を背負わされた“平民”たちにも近いところにいる
彼女がどう絡んでくるかに、注目したい

話が進んでいないので、大したことは書けない・・・
勝海舟が江戸無血開城を交渉する際に、英国公使パークスにして薩長側へ圧力をかけたという逸話が載せられていたが、本当のところはどうなのだろう
司馬は勝がお気に入りなのだ

次巻 『翔ぶが如く』 第3巻
前巻 『翔ぶが如く』 第1巻

『翔ぶが如く』 第1巻 司馬遼太郎

こちらも粛々と

翔ぶが如く〈1〉 (文春文庫)翔ぶが如く〈1〉 (文春文庫)
(2002/02)
司馬 遼太郎

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維新が成ったのち、太政官政府では二人の薩摩人を中心に深刻な対立が表面化していた。内務省を中心とした強力な行政機構で殖産興業を目指す大久保利通。陸軍大将として士族たちの不満を解消すべく征韓論を唱える西郷隆盛。征韓論から西南戦争まで、沸騰する明治を描く全十冊の一大長編小説

たしか大河ドラマでは、幕末時代から始まって、大久保が鹿賀丈史で西郷が西田敏行だったか
小説は明治維新後の岩倉使節団から始まり、出だしは川路利良のフランス体験から始まる。川路利良は、初代警視にして日本警察の父と言われる人物で、外遊の経験から大久保の洋化政策に沿って近代警察の創設を志す
それに対照的なのが、西郷の側近格の桐野利秋。幕末は“人斬り半次郎”で知られた彼は、士族の魂を持ち続け征韓論を後押しする
二人の存在は二種類の明治人を象徴しているようであり、その対立は大久保と西郷の反映でもあるのだろう
第1巻は、まずは時代背景と外観に触れたというところ。『竜馬がゆく』より、かなりまったりしているし、のんびりと読んでいきたい

あまり盛り上がる部分はないのだけれど、こういうのがたまにある

 列車はレールの継ぎ目にくると震動する。そのわずかな震動も、川路はこたえた。かれはニスの剥げた腰掛けの板から、わずかに尻をもちあげていた。が、ついにそのようなごまかしがきかなくなるほどに川路の便意は急を告げはじめた。川路はからだ中の血液が下へさがる思いがした。
(人間というのはなぜ汚物を排泄しなければならないのか)
(p13)

最初の章でいきなりコレである(笑)。日本警察の父も形無しだ
こうした下世話な場面を経ることで、一気に読者と作品世界の距離を縮めることができる
他にも薩摩人同士の飲み会など、間欠泉的にユーモアが散りばめてあって、なるべく読者の肩が凝らせない作家の努力が見えた

西郷の「征韓論」の背景として語られるのが、彼の大恩人にして主君、島津成彬のアジア防衛論
成彬は、欧米の帝国主義への対抗策として機先を制することを提唱した。太平天国の乱が起こっていた当時の清国は崩壊するとして、満州、朝鮮、台湾、果てはベトナムにまで進出し、漢民族に替わってアジア大陸を守るというのだ
資本主義の要請に基づく帝国主義ではないものの、安全保障を理由にした海外侵出という発想が、近代日本の通った道と近似している(日本の植民地政策は、多くは持ち出しで資本主義の損得勘定で説明できない)。「征韓論」は葬られても、その背景そのものは、生き残って後を受けた人間に大きな影響を残したということなのか
司馬はこの発想を日本の地理的条件から「そう考えても仕方ないか」としていて、きっと日露戦争までの日本を肯定的に評価することにもつながっている
こうして見ると、富野監督が「司馬って結局、右翼なんだ」と駄目出しするのも、分かる話ではあるのだ

次巻 『翔ぶが如く』 第2巻

『酔って候』 司馬遼太郎

ぼちぼち衰亡史に戻りたいが

酔って候<新装版> (文春文庫)酔って候<新装版> (文春文庫)
(2003/10/11)
司馬 遼太郎

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志士たちが活躍した幕末。藩主の中にも、己の才覚を信じて風雲を志す者がいた
土佐の山内容堂、薩摩の島津久光、伊予宇和島の伊達宗城、肥前の鍋島閑叟の四諸侯をテーマにした短編集
四人の君主とも、人並み以上の行動力があり、「賢侯」という評判を手にした。しかし、その割には、維新後に存在感を残せていない
時代が「有能」の概念を変えてしまった悲喜劇を映し出している

『酔って候』は、自ら鯨海酔侯と称した山内容堂
この章に割かれた容量は、本の半分近くを占め、『竜馬がゆく』の裏面を覗くような中編となっている
藩主の息子といえど、生まれは五男坊。自由の利かない部屋積みで一生を送るはずの身分だった。それが、兄が立て続けに死んだことで藩主の座が転がり込んでくる
世子として育てられていない容堂は、貴人とは思えない行動をとるものの、自在の才覚を示した。江戸時代の基準なら、じゅうぶん名君に値しただろう
しかし、時代は急転直下する。自称英雄のメッキの剥がれっぷりが最大の見どころ
タイトルの「候」は「侯」に掛けたとしたら上手い

『きつね馬』は、「賢侯」成彬の跡を継いだ島津久光
久光の相続には、母おゆらの存在が大きい。おゆらとその一派は、成彬派の家臣を謀殺し続け、成彬の譲歩によって妾腹の久光が成彬の世嗣となったのだ
意外にも小説での久光は、「おゆら騒動」には全く関知しておらず、ただただ兄の申し出に感動するのみ。西郷に「地五郎」と罵られた鈍感さから考えると、さもありなんというところ
母親が大工の娘だったことが影響しているのか、成り上がり願望は人一倍。維新回天に及んでも、自身が将軍になるつもりでいたほどだ
容堂と違って、この単純さが大久保・西郷からすれば操縦しやすく都合が良かったのだろう

『竜馬がゆく』(六巻)では久光について、薩英戦争直後にイギリスに藩士を留学させた一件を挙げて、意外にも評価していた。容堂への反動だろうか(笑)。『翔ぶが如く』ではどういう扱いになるか楽しみ

『伊達の黒船』は、伊達宗城の物語と言いたいが、実質的には黒船作りの立役者、嘉蔵が主人公
宇和島の殿様も紹介されているが、嘉蔵とは顔を合わせることもない。殿様の見栄から、人生が一変した町人の物語なのだ
嘉蔵は汽船の製造になくてもならない技術者でありながら、下級の町人という身分ゆえに武士はおろか、同じ町人からも蔑視を受け続けた。見るに見かねて名君が・・・という場面もない
江戸の身分制の不条理が裏テーマなのである
「石高不相応の気罐(ボイラー)でござる」。ボイラーの大きさが不満な嘉吉に、村田蔵六がした返事が笑える

『肥前の妖怪』は、雄藩でありながら旗幟を鮮明にしない不気味さに「肥前の妖怪」と言われた鍋島閑叟
容堂や久光と違い、閑叟は生まれながらにして世子として育てられた
そんな閑叟に特徴的なのは、大の潔癖好き。倹約家ながら一世一代のぜいたくとして、どこでも水で手が洗える屋敷を建てさせているほどだ
技術に対するリアクションはかなり現代的で、アームストロング砲など最新の兵器を取り入れる一方、尊王攘夷の思想戦を一切評価しなかった
そのため、幕末最強の洋式陸海軍を持ちながら時勢に先んじることができず、維新後の肥後人は薩長の後塵を拝することとなる
そもそも閑叟には、技術への関心はあっても、権力に執着がない。最初から備わっているものを、求める必要がなかったのだろうか
閑叟はあっさり、自藩の優位を手放したことで、肥後人の地位が低くなったわけで、大隈重信が悪し様に言うのも分からなくもない。彼の無欲と早逝が佐賀の乱につながったことを考えると、何が最善かというのは、今から考えても難しい

『人斬り以蔵』 司馬遼太郎

震災から3ヶ月か
復興が遅れているというのがマスコミの論調だけど、本当のところはどうなのだろう

人斬り以蔵 (新潮文庫)人斬り以蔵 (新潮文庫)
(1969/12)
司馬 遼太郎

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幕末を代表する暗殺者となった岡田以蔵を取り上げる表題作と、大村益次郎の活躍を描いた「鬼謀の人」、他に戦国や幕末を舞台にした数編を収めた短編集
「人斬り以蔵」と「鬼謀の人」は得意のインテリ講談ながら、それ以外の短編はお色気あり、ミステリーありの、外連味のある奇譚がずらりと揃っている
歴史の筋に囚われず、自由に書かせればここまで面白い!司馬の隠された剛腕を堪能できる短編集

『鬼謀の人』は、無名の医者村田蔵六が倒幕軍の参謀にまで上りつめ、彰義隊征伐に成功するまでの半生を描く
幕末の志士は口八丁手八丁で派手なパフォーマンスが多いが、蔵六はその対極にいた人物。政治的な行動はほとんど取らず、ただ自分の特性だけを磨き続け、刻を待つ
もともと能力は高く評価されていて、かの大鳥圭介曰く「幕府講武所の兵書翻訳などは、この人が来てから面目を一新した」という。大村益次郎に改名したのは、村田蔵六の名で幕府に仕えた時代があったので、長州では差し障りがあったかららしい
火吹達磨とあだ名される風貌と性格は、オタクという言葉を使いたくなるほど個性的。『風雲児たち』の村田蔵六も、司馬の小説が影響している気がする

『人斬り以蔵』は、足軽上がりの野生児が武市半平太に見出され、暗殺者として歩んだ岡田以蔵の短い生涯を取り上げる
司馬の以蔵に向ける視線は、けっして温かくはない。殺人の狂気に浸り、合理の欠片もない人物である。かなり嫌いなのは間違いない
それでも作品として取り上げたのは、以蔵の行動に時代の歪みを感じたからだろう
浮かび上がるのは、彼の主人、武市半平太の歪みだ。尊王攘夷を唱え郷士身分の向上を訴えながら、汚い仕事は足軽出身の以蔵に押しつけた
『竜馬がゆく』では、竜馬の盟友であったからひいき目に書かれていたが、この小編ではその影がしっかりと映し出されている

『割って、城を』は、武骨者の牢人・善十と、茶大名・古田織部の奇妙な運命を
茶器をテーマにした一編だと思っていたら、細かい伏線から張られて最後はアッと驚く結末。流れるような展開にまったく予想できなかった
衆道要素もさりげなく混入していて、いろんな意味で奔放な一編
『へうげもの』も買ってみよっと

(読んでみました→ 『へうげもの』第1巻・第2巻

『おお、大砲』は、大和高取藩で大砲を預かる家に生まれた新次郎の物語
短編であるにも関わらず、金峯古流の遺産を巡る争い、幼なじみとの恋、大砲ブリキートスの謎、天誅組との戦い、と複雑な要素が絡み合いながら、最後は奇麗に収束させてしまうからたまらない
まさか、大砲を男性のナニに喩える描写がモロに出てくるとは思わなんかった(笑)。しかも、共に○砲だったという・・・
こういう下世話なユーモアも大阪出身ならではであろうか続きを読む

『竜馬がゆく』 第8巻 司馬遼太郎

今の日本に必要なのは、菅政権の大政奉還かもよ

竜馬がゆく〈8〉 (文春文庫)竜馬がゆく〈8〉 (文春文庫)
(1998/10/09)
司馬 遼太郎

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薩長同盟が公然化し、新撰組のいる京都ですら倒幕の機運が高まっていた。薩長と幕府の武力衝突が必至の情勢で、竜馬は日本人同士が血を流し合うのを怖れ、幕府が朝廷に大権を還す「大政奉還」の秘策を勧めようとする
この「大政奉還」を巡る政略と、竜馬の死までを描くのが最終巻
「大政奉還」というのは、理想と打算を綱渡りする奇策だった。無血革命の可能性を残しながら、倒幕側には戦力補強の時間稼ぎと新政権の正統を確保させ、佐幕側には徳川家の延命を匂わせる
無血革命の理想に猪突するものではなく、どう転んでも内戦を早期に終結させる現実的な策として提示されたものだった
この方策は竜馬の純粋さと実利主義がよく表していると思う
また、もう一つ上手いのが、大政を受容れる新政権の構想も、同時に提案したこと。自然に、自らの理想を新政権に取り込ませてしまった。まさに一石三鳥だ
余りに出来すぎて見えて、実際の「大政奉還」の動きや新政府の構想に誰のどういう関与があったか、他の本で確かめる必要があるが、作中の竜馬の活躍には舌を巻かざる得ない

最終巻まで読んで意外だったのは、竜馬の死について小説的な描写をしなかったこと
なぜ意外におもったかというと、第1巻から刺客の謎を逆算したように、刺客候補が登場していたから
まず、一巻で因縁をつけてくる六本木矢車の浪人が印象的だし、史実で疑われた新撰組の原田左之助もしつこくつけ狙ってくる。ホンボシとされる見廻組の佐々木只三郎も清川八郎の件で登場した
そして、紀州藩と海援隊が揉めた際に、紀州藩の刺客で笹竜胆の紋をつけた者が狙っているという噂があった(六本木矢車と同一人物と読んでいたのだが)
新撰組説見廻組説紀州藩説と、一通り候補が揃っているのだ
しかし、作中で描かれた竜馬の死は、資料などから書き起こした伝聞調の語り。急に吉村昭になってしまう

 この長い物語も、おわろうとしている。人は死ぬ。
 竜馬も死ななければならない。その死の原因がなんであったかは、この小説の主題とはなんのかかわりもない。
筆者はこの小説を構想するにあたって、事をなす人間の条件というものを考えたかった。それを坂本竜馬という、田舎うまれの、地位も学問もなく、ただ一片の志のみをもっていた若者にもとめた。
 主題は、いま尽きた。
 その死をくわしく語ることは、もはや主題のそとである。
(p383)

おそらく、書き始めた当初は、竜馬の死をミステリー仕立てで描くことも視野に入れていたと思う
竜馬の事業に触れているうちに、死のミステリーを描くことが野暮なこと、主題をぼかせてしまうと気がついたのだろう

もう一つ、葬られた伏線として、岩崎弥太郎の件がある
今読んでいる新書によると、『竜馬がゆく』で竜馬が地下浪人時代の弥太郎の牢屋を見に行くことと、弥太郎が下横目として竜馬と対峙するエピソード創作だという
なぜ、わざわざ無力な時代の弥太郎と竜馬を接触させたのか
おそらく、司馬は大河ドラマのように弥太郎を竜馬の後継者として再評価しようと考えた。しかし、実際の資料を見て整合性がとれないと見て諦めたというところじゃないだろうか
長いシリーズほど、当初の予定通りには終わらない。こうやって、閉じてしまった伏線を掘り返すのも、再読の醍醐味というものだ

さて、シリーズのまとめに入る
『竜馬がゆく』の魅力は、ただの史伝ではなく、痛快な青春小説であることだ。読者を飽きさせないように、各所に美女と殺陣が用意され、適度なエロとバイオレンスが散りばめられている
坂本竜馬という人物自体が、そうした要望に応えられるキャラクターだったことも大きい。無理なくエンターテイメントすることができる
エンタメをしながら、かつ実際の竜馬に迫れた(そう錯覚させる)点で、奇跡的にバランスがとれた小説なのだ
理屈抜きに楽しみながら啓蒙されるという点でも、幕末の入門書としても、司馬作品の入口としても、最適な作品だと思う

『竜馬がゆく』 第7巻 司馬遼太郎

原子炉の炉心が結局は溶けきっていたという話
「メルトダウン」という言葉が独り歩きしちゃうのが、怖かったのだろうけどさ・・・


竜馬がゆく〈7〉 (文春文庫)竜馬がゆく〈7〉 (文春文庫)
(1998/10/09)
司馬 遼太郎

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薩長の秘密同盟がなるも、竜馬の亀山社中は船を長州に返上したため、稼ぎ口を無くし困窮していた
そこに登場するのが、土佐藩の参政、後藤象二郎。竜馬は彼と渡り合って、社中を土佐藩の面倒を受けつつも独立した組織として存続させることに成功する。“海援隊”成立の物語といえるのが第七巻
土佐藩が竜馬に近づいたのも、幕府の威信に疑いを抱いて佐幕一辺倒では時勢を乗り切れないとの打算から
竜馬としても、薩長が独走した革命では独裁政権が生まれてしまい、理想である諸勢力による議会制から遠のいてしまう。是非、土佐藩に薩長を掣肘する第三の柱になってもらいたい
両者の意図が“海援隊”として結実する

7巻に到っても、アクの強い登場人物が出てくる
長崎の貿易商人お慶、土佐藩参政・後藤象二郎、公家離れした大策士岩倉具視・・・
特にお慶は異色の存在で、御用商人以外に禁止されている外国との貿易に手を出し、巨万の富を築く。そのために諸藩の藩士をヒモにして、密貿易に噛ませるなどかなりの遣り手なのだ
男好きとしても有名で、社中の困窮に目をつけて竜馬に狙いをつけたりも(それがどうなったかは、読んでのお楽しみ)
その一方で、シリーズ通して存在が薄れないのが、土佐藩の実権を握る山内容堂
乾退助(後の板垣退助)らに焚きつけられ、薩長に遅れじと上洛し四賢侯会議に出るものの・・・

 あるとき、四人そろって二条城に登城したとき、期せずして、
「せっかく二条城へ来たのだ。奥に老中がいる。あいさつしてゆこう」
 と三人がいったが、島津久光だけは頑として応ぜず、火鉢をかかえてすわっている。
(こいつ)
と容堂はおもったのであろう。いきなり久光の襟がみをつかみ、「いざ参られよ」とずるずるひきずった。「なにをなさる」と必死に抗ったが、容堂の力に勝てない。
 そのうち容堂は力まかせに久光を突き放したため、久光ははずみをくらってどうと倒れた。
容堂の薩摩への感情はここまでになっている。(p357)

ここまで来て、いったい何をやっているんだか(笑)
結局、倒幕に引き込まれるのを嫌った容堂は、軍勢ごと土佐に引き返すという、洞ヶ峠にもならない、喜劇的な立ち回りに終始する
彼も幕末に接していなければ、一流の名君と評されたはずで、時代が寸前に変わったためにとんだ道化役を引き受けている。司馬がしつこく取り上げるのも、竜馬の出身藩というだけでなく、彼と対照的な旧時代人の代表としてなのだろう

そんな迷走する土佐藩を救い、革命戦争路線を防ぐ切り札が「大政奉還」で、その後の政権構想を記したのが有名な「船中八策
珍しく司馬は具体的な参考文献として『坂本竜馬と明治維新』(マリアス・B・ジャンセン)を挙げていた。プリンストン大学のジャンセン教授いわく、「船中八策」に明治時代に展開した近代的諸概念が、全て盛り込まれていたという
坂本竜馬自身の本質は思想家というより実務家なのだが、「万国公法」を翻訳させるなど出版事業にも手を広げていた。日本の政治思想史の中でも、坂本竜馬の存在は大きいようだ

坂本龍馬と明治維新坂本龍馬と明治維新
(2009/12)
マリアス・B. ジャンセン

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前巻 『竜馬がゆく』 第6巻

『竜馬がゆく』 第6巻 司馬遼太郎

GWって何?おいしいの?っていう日々
毎週がGWよりはマシですが

竜馬がゆく〈6〉 (文春文庫)竜馬がゆく〈6〉 (文春文庫)
(1998/10/09)
司馬 遼太郎

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佐幕派に屈した長州に再び勤王派が復帰、幕府が第二次長州征伐の兵を起こす。薩摩藩の助けで後の海援隊となる「亀山社中」を立ち上げた竜馬は、懸案の薩長同盟に乗り出す
薩摩の西郷隆盛、長州の高杉晋作桂小五郎と、維新のスターが揃い、物語も宴のたけなわという第6巻
注目の「薩長同盟」に対して、竜馬は言葉ではなく、物のやり取りから始める。薩摩が長州に最新の武器を渡し、長州は凶作の薩摩にコメを提供する。いかにも経済人らしい発想だ
経済での実利で政治の対立を乗り越えるというところは、戦後日本の発展を念頭に置かれているのだろう
さて、締結にこぎ着ける段に至っては、意外にもシンプルに情に訴えるだけだった。大河ドラマなら饒舌になってもおかしくないところ、「長州がかわいそうじゃろうが」のみだ
司馬の語るところ、薩長同盟は中岡慎太郎始め、様々な志士が計画し奔走したものであって、誰かの独創ではない。竜馬の役割は自信の信用で同盟を堅固なものにしたという点にあるというのだ
確かに作中の描写はひとつのリアルではあるのだが、少し肩透かしをくらった気になった。小説なんだから、もう少し傾いてもいいじゃないか
で、次の寺田屋の襲撃では、2対100の殺陣(!)となるのだから、作者のさじ加減が分からん(笑)

何気に力が入っているのが、日本最初の新婚旅行と言われる、竜馬とおりょうの薩摩行
竜馬が寺田屋の傷を湯治したという「塩浸温泉」を取材にいったことを、4ページに渡って書かれている

「大変な山中です。いまは宿が一軒か二軒でそれも湯治宿です」
 とにかく明朝ゆくことにきめ、土地のタクシー会社に電話をかけ、道路を研究しておいてもらうことにした。
「道は悪いですよ」
 と、タクシー会社も、怖れをなしている様子だった。鹿児島から往復三時間あまりだろう、とそのタクシー会社の事務員は、地図をみながら推測した。むろん、どの運転手もそこへ行った者はないという。(p320)

以下、タクシーの運ちゃんを交えた道中記が続く。司馬小説の名物というと、コレですな
竜馬とおりょうとの関係を通して司馬の恋愛観、結婚観が出ているのも、本巻の読書スポットの一つ
実のところ、寺田屋の事件までは竜馬の中で、おりょうは特別な存在ではなく、あくまで竜馬の庇護を必要とする女性にすぎなかった
しかし、寺田屋で負った怪我でおりょうの看病され、自分の一身を任せたことから、彼女と深いつながりを感じ一生つき合うことを決意するのだ
熱い恋愛の延長に結婚があるというより、生き抜いていく上で不可欠な、信頼の上に築かれた関係というべきか。身寄せ合うことで生まれる慰安は、熱情とはまた違う
一人で生きていけると錯覚しやすい現代では、気づきにくいものかな

幕府の巻き返しに水を差すことになるのが、小栗上野介の野望である
作中では、フランスと手を組んで幕府を中心とした国家を作り上げ、援助と引き替えに北海道などを外国に貸すことから、勝から売国奴扱いされている
彼の野望が諸国に漏れることから、倒幕の機運が全国に満ちたというが、果たしてどこまで本当だったのか
小栗をテーマとした本を手に入れて、確認してみたい

前巻 『竜馬がゆく』 第5巻

『竜馬がゆく』 第5巻 司馬遼太郎

昨夜、中学時代の友人から電話がかかってきた
十数年会っていないのに、突然携帯にかかるのだからそりゃ驚く
向こうの調子が全く昔のままなのに、かえって戸惑ってしまった
一度は会うのか・・・?

竜馬がゆく〈5〉 (文春文庫)竜馬がゆく〈5〉 (文春文庫)
(1998/10/09)
司馬 遼太郎

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佐幕派の巻き返しが、ついに争乱を呼んだ。新撰組の池田屋事件から、長州が反撃に出て蛤御門の変に到る
この変の影響は、竜馬にも及ぶ。勝海舟は江戸に召還され、神戸海軍操連所は解散させられた。勝は薩摩藩を頼り、竜馬と西郷を引き合わせるのだ
この巻の主役は一にも二にも長州。池田屋事件の顛末から、長州攘夷派の蜂起、さらに幕府の長州征伐の内実とその決着までが中心だ
そして、今まで紙数が割かれていなかった薩摩藩が一段と存在感を増してきた。西郷どんの登場もさることながら、対長州戦の主力となった薩州軍が強い強い
一見、幕府復権に見えるその裏では、実はその限界を露呈していて、薩摩がいなければ決着がつけられないという現状すらあるのだ
しかし、これほど激しくぶつかった両藩の同盟などありうるのか。竜馬が越えた壁の高さをひしひしと感じる本巻だ

蛤御門の変までの過程を見ると、司馬が長州を嫌うのが良く分かる
象徴的な君主を担ぎながら、狭量な世界観で過激な行動をとり続け、ついには破局的な開戦を決断する。その行動が昭和の軍部そのままなのだ
もともと、山県有朋らの長州閥が帝国陸軍の気風を作ったというところからスタートしているのに、それをなぞるような史実を見せられては、書いていてとことん嫌いになっただろう
その代わり持ち上げられるのは、薩摩の現実主義である
西郷に代表される知性と、人斬り半次郎すら押さえ込める統制力は、日本の将来を受けもつに相応しい組織に映る
しかし、西南戦争の暴走を見ると、薩州にもその気があるわけで、長州嫌いの補正と見ていいのかも

竜馬は相変わらずだ。おりょうさんの恋慕をよそに、方々でモテモテである
しかも、その立ち居振舞が映画のように決まる。幕府方に操連所の船を返す下りなどは、原哲夫の漫画に出て来そうなノリだったりする
いや、むしろ講談や時代劇の演出が、歴史小説に浸透し、サブカルチャーに到るなんて構図を想像したくなるほど
さて、次巻は大仕事が待っているぞ

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『竜馬がゆく』 第4巻 司馬遼太郎

出崎監督が亡くなった。最近まで熱心に仕事されているようだったのに
自分にとっての代表作は、やはり『明日のジョー』
京都テレビの再放送を飽きずに観ていました


竜馬がゆく〈4〉 (文春文庫)竜馬がゆく〈4〉 (文春文庫)
(1998/09/10)
司馬 遼太郎

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前巻まで尊皇攘夷に風が吹いていたが、第4巻で佐幕、公武合体派の巻き返しが始まる
竜馬にとって大きいのは、土佐勤王党と武市半平太の粛清。半平太の一味と目されたことで再度脱藩を余儀なくされる
それでも施設に乏しい神戸海軍操連所で辛抱するうちに、ついに幕府から軍艦一隻を拝領することになった。竜馬は他の有名志士のように派手な謀略に乗り出さず、着実に足場を築いていく
勝など多くのコネがあるとはいえ、脱藩浪人の身だ。フリーランスの人間が仕事をするには、より慎重に現実的に行動しなければならないのだ
さて、色恋の方では、おりょうさんの登場で一気にそちらに雪崩れ込むと思いきや、まだお田勢様千葉さな子らも振り切れない。というより、風雲を前にして誰か一人を思いきれないというところか

巻を進むごとに感じるのは、司馬の好き嫌いの激しさである
武市半平太の件で山内容堂を責めるのは分かるし、長州の激烈を帝国陸軍につなげて嫌うのも心情的に分かるのだが

いや、度しがたい。徳川時代の階級制、身分制、封建的権威主義ほど日本人をわるくしたものはない。
以蔵は、足軽の身分である。せめて郷士ならばこうまでの恥辱をうけなかったに違いない。藩の上層部は、以蔵を犬猫以下にあつかった。・・・(略)・・・
奸智というか。
が、上士たちは良心の呵責さえもっていない。足軽などは虫のようなものだと思っている。徳川社会は日本人にこの種の智恵をのみ異常に発達させた。(p238)

竜馬視点で体制を変革していく話であるにしても、ここまで江戸時代を腐すとは
ナナミンのカエサル補正など可愛くなるほどの爆撃ぶりなのだ
そういえば、対談などでも徳川体制の停滞を嘆いて、対談相手に「徳川時代の資本の蓄積があったから、明治維新ができたのでは」と慰められていたことがある
最近の研究では(といってもここ三十年ぐらいか)、地域よって身分に流動性があったり、人やモノが全国各地に動く物流網があったとか、江戸時代=停滞というマルクス史観に影響された歴史観が覆されている
司馬自身の小説がそれに影響しているし、作中でもそういう指摘があったりするのだが、部分的にはこういう文章もある
この激しさは、意外な発見だった

司馬の価値観からすると、武市半平太という人物は殺伐とした謀略を展開したことから厳しくなると思ったが、以外に暖かった
清廉にして沈毅、先の政道を見据えた一人物というところで、惜しまれたのだろう
山内容堂が責められるのは止む得ない。本人が後年嘆いたように、武市半平太が藩全体に尊皇攘夷を歩ませようとしたことが、土佐藩を維新の勝ち組に仕立てたのである
容堂も島津久光に負けず、えらくこき下ろされている。そのこき下ろしようも、本巻の見どころの一つだ


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