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『街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち ほか』 司馬遼太郎

読んでない小説もあるし、司馬遼太郎完走はまだまだ先




久しぶりにシリーズを読んだ
第7巻は地域がバラバラで、統一感がない(苦笑)。あえて言うと近畿から中国・四国地方にかけての西日本で、解説の方がまとめるには‟名利を求めない職人”がテーマとも
初出は1973年から1975年


<甲賀と伊賀のみち>

藤堂高虎が天守を築いた上野城から、聖武天皇ゆかりの紫香楽宮跡をたどる
甲賀、伊賀といえば、忍者なのだが、エピソードのなかで目立つのは、装画を担当する須田剋太のヨーロッパ訪問(笑)
ツアーの付き添いで連れていかれたのだが、時差ボケから30時間不眠状態となり、脱水状態となったという。スペインで注射による水分補給を受けるという、古式ゆかしい治療法を処方されたそうだ

上野城では、西国大名が京都を制圧するさいに食い止める要地として、藤堂高虎が任されながら、天守閣を作った際に疑われてはいけないとすぐ取り壊した話が紹介される
甲賀では、足利義政の子・義尚近江守護・六角高頼を攻めた際、追いつめられた高頼を甲賀53人衆が支援。ゲリラ戦で将軍義尚を陣没させてしまう。戦国期には多羅尾氏が甲賀衆を束ねて、織田家に属することとなり、討伐を招いた伊賀と明暗を分けた
聖武天皇が築いた紫香楽宮へは、大仏建立のごり押しが反発を招いたのか、謎の山火事が生じている。この事件も甲賀忍者の魁と想像する


<大和・壺阪みち>

奈良県橿原市の今井から壺阪山、高取城を目指す
中世の奈良は興福寺を中心とする寺社勢力の牙城で、今井では「今井千軒」と呼ばれるほど商業都市として繁栄し、楽市楽座的な自由経済が沸き起こったのではと仮説。‟千軒”の名が残る地域は、どれも商人たちでにぎわった場所だった
堺うほどではないが、今井は堀に囲まれた環濠集落で、今なお中世の雰囲気を保っているようである

大和高取城は、徳川譜代の植村氏が預かった。たった2万5千石の身上なのに、最大級の山城が課せられた
その理由は上野城と同様に、上方が西国大名に制圧されたときのため。植村家自身は家康の祖父・清康の代以前から仕えた古い譜代であり、植村家政の代に、本田正純の宇都宮騒動があった。家光の日光参拝に付き添っていた家政が寝苦しく感じて、家光の側に備えていたことから、大名へ取り立てられた
さて、高取城の天険が生きたのが、幕末の天誅組の変。狭い小道に大坂城攻めで使用された大砲が担ぎ出されて、撃退に成功している


<明石海峡と淡路みち>

兵庫県の明石から海峡を渡って、淡路島を巡る
この章の主役は、漁師! 瀬戸内海、それも淡路は豊富な魚介類に恵まれ、素潜りで食べられる漁師たちがいた。取材されたときには、乱獲を避けるために、アクアラングの使用が禁じられていた
ただし、沿岸で獲れてしまうため、大掛かりな漁船は生まれず、外洋を舞台とする紀州水軍に政治的には制圧されてしまう
それでも古代からの漁法は続き、都人へ魚類を供給する役目を担った。農耕民のような束縛をうけず、自らの腕で稼いでいく‟海の民”の気風を今に伝えている

近世に淡路を治めることになったのが、豊臣恩顧の大名である蜂須賀家。阿波一国を領していた蜂須賀家政は、大坂の陣の功績で淡路一国をも与えられた
本拠地の徳島城とともに、淡路にも洲本城を擁していた。一国一城の建て前から粗末なものだったが、実は山上に山城を隠し持っており、藩主・家政はもし政変があったさいは上方に出兵する野心も持っていたという
そんな淡路の自慢のひとつが、蜂須賀家が参勤交代の際につかったと言われる松並木の街道。しかし、取材された1970年代に松くい虫の被害が拡大し、1980年代には最後の一本が伐採されてしまったとか
もっとも、マツは本来、養分の少ない瘦せ地に生える樹木であり、農業の発達によって地質が変わっていったことも一因ようだ


<砂鉄のみち>

この章は島根→鳥取→岡山とまたぐ長旅。古代の日朝関係を追う、金達寿ら在日朝鮮人の研究者、作家たちをともなうちょっとした団体旅行である
製鉄の技術では、古代日本は後進国中国は秦漢時代に大規模な生産を行っており、古代朝鮮でも「辰韓」が鉄器を作っていた
その日本に治金の技術をもたらしたのは、朝鮮からの渡来人と考えられ、出雲(現・島根)の地から中国山脈の山奥へ入っていったという
古代では鉱山から鉄鉱石を掘る技術はないので、砂鉄を木炭か薪の上で燃やし続け、自然の風で行ったと考えられる。送風装置のフイゴはその後も原始的な段階にとどまり、画期的な天秤フイゴが発明されたのは、江戸も元禄、1691年。西洋や中国では水車を利用されたそうだが、日本ではなぜか鍛冶には使われなかったらしい

司馬の興味は、そんな遅れた日本が、なぜ中世に刀剣などを輸出できるようになったかに向けられる
仮説として立てられるのが、日本の湿潤な気候鉄を溶かす燃料には、大量の木炭を必要とし、乾燥した地域ではあっという間に禿山が出来上がってしまう
古代中国においては、植樹する山を神域に設定し、そこに立ち入る者を直ちに斬るという峻烈な政策が提案されたりしていた
そこへ行くと、日本は‟瑞穂の国”。木材資源に悩まされることなく、生産し続けることができたのだ
ヨーロッパ地中海の覇権を握ったヴェネチアが木材不足で海軍を維持できなくなった話をどこかで聞いたこともある。自然資源の存在が国の将来を左右するのは、今も昔も変わらない


本巻で異様に力が入っていたのが、最後の「砂鉄のみち」
古代から中世、近世のタタラ製鉄について、専門書のように調べられていて、読み応えがあった。参照された本についてもあたってみたいが、さすがに手に入れるのは大変かな


次巻 『街道をゆく 8 熊野・古座街道、種子島みち ほか』
前巻 『街道をゆく 6 沖縄・先島へのみち』

『国盗り物語』 第4巻 司馬遼太郎

ようやく『麒麟が来る』も再開。回が減らないのはありがたい




越前の朝倉家に微禄を得つつ天下への志を持つ明智光秀は、殺された将軍の弟・義昭を救出し、室町幕府の復興を目指す。保守的な朝倉家を見切って、伸長著しい織田信長にその上洛を頼んで成功。光秀は幕臣であり、織田家の禄をもつ異色の存在として活躍する。しかし将軍・義昭は一片の領土もないのに、実権を握って幕府を開きたいと訴え、信長との対決に傾いていくのだった

やはり信長編というより、光秀編である
あとがきによると、本作は斎藤道三の一生で終えるつもりだったらしい。それが連載誌の都合か、道三の後継者である織田信長と明智光秀の代まで伸ばすことに。漫画の連載と一緒で、売れるとなかなか断れないのだろう
続いたおかげで、信長が上洛した際に道三=油屋庄九郎の妻・お万阿が光秀のもとを訪れ、庄九郎が上洛して将軍になると語った夢を違う形で実現してくれたと喜ぶ名場面が生まれた。数巻ごしに伏線が実るのは(予定ではなかったのだろうけど)、本読みにとって冥利が尽きようというものだ
3巻では信長を乱世のなかのライバルとして見ていた光秀だが、織田家の勢力が成長していく中、その政治家としてのセンス、度量に圧倒されていく
それでも常識人の彼は、敵将のしゃれこうべで盃にしてしまう信長の酷薄さにはついていけず、臣下という意識を持ちきれないのだった

道三は土岐家の美濃を戦国大名へ脱皮させ、稲葉山城という堅固な城を遺した。そして、それは信長へ引き継がれた
光秀にとっての作品は、将軍・足利義昭だった。伝統的な権威を重んじる彼は、足利幕府の復興に情熱を燃やし、その軍師として天下を治めるのが彼の夢
信長と義昭の間にたって仲介し、畿内の安定に努めたが、義昭が現実の権力を求めたことから一気に暗転していく
信玄の西上に触発された義昭は反信長の兵を挙げ、あっけなく潰されてしまうのだった。光秀は反りの合わない信長よりも、背中を背負って救出した義昭に愛着があり、幕府の滅亡を無常をもって眺めるしかなかった
それ以後、信長の部下として使い倒される光秀は、夢を見失った抜け殻のよう。破格の待遇を受ける一方で、ことあるごとにパワハラを受け年老いていく
中国への援軍が決まり、京都に信長と嫡子・信忠が泊まると知ったとき、光秀に活力が蘇る。天下への意思というより、自分を乗り越えていった信長への意趣返しとして本能寺へ突き進んでいくのだ
保守的な価値観の光秀が破壊と革新に邁進する信長を倒すという構図は、つい最近まで信じられていた俗説で、ゲーム『信長の野望』の歴史観もこれがベース。それだけ本作品の影響が強いのである

最近の研究だと、信長なりに伝統的な権威を重んじながら、勢力を伸ばしていたことや、光秀は浪人の境遇から信長に拾い上げられ、秀吉と同様の成り上がりの武将像も語られるようになり、信長の革新と光秀の保守の対立という図式は崩れつつある
足利幕府の滅亡も毛利家に逃れた足利義昭が、備後(現・広島県)のに幕府を模した組織を作り、反信長の上洛運動していたことから京都からの退去をもって幕府の滅亡とみなさないのが一般的になっているようだ
司馬があとがきに触れているように、道三、信長、光秀がその才幹をもってして滅んだのに比べて、細川藤孝の処世術は教養同様に芸術の域
作中でも光秀の友人としてクローズアップされていて、義昭が蜂起した際に、あえて信長への旗幟を鮮明にせず懊悩した様を見せ、かえってその人物を評価されている。大河『麒麟が来る』ではまだ純朴そうだが、どう変化していくかが楽しみだ


前巻 『国盗り物語』 第3巻

関連記事 『関ケ原連判状』(実質、細川藤孝が主人公の歴史小説)

『国盗り物語』 第3巻 司馬遼太郎

信長編というか、光秀編というか




庄九郎は出家して道三を名乗り、家督は土岐頼芸の隠し種である義龍に譲って院政をしいた。尾張の織田信秀の子・信長が「たわけ」と知ると、乗っ取りを策して愛娘・帰蝶を嫁がせる。しかし、聖徳寺で対面すると、道三の信長への評価は一変。自らの後継者として、尾張統一のために援兵すら送るのだった。その道三に自らの出生の秘密を知った義龍がクーデターを決意して……

『国盗り物語』も信長編がスタートするが、序盤は道三の存在感も大きい
義龍が土岐家の血を引くことを利用して家督を継がせ、自身はそれを盾に院政をひく。しかし思想的後継者として信長に資質を見出したことから、尾張国内の仇討をめぐる「お勝騒動」で肩を持ち、義龍の反感を買ってしまう
道三が「図体がでかいだけの愚物」と見なしていた義龍は、意外に優秀であり、美濃衆を上手く取りまとめて一挙に蜂起。道三は自ら手塩にかけて育てた稲葉山城とその城下町を焼き払う羽目となる
相手は自身が最先端の戦術を叩きこんだ美濃衆であり、生涯をかけて築き上げたものに全てを奪われる。もともと道三が徒手空拳、謀略をもって奪った国であり、その国そのものに滅ぼされるという壮大な因果応報が彼に待っていたのだ
ちなみに史実の道三が出家したのは、ワンマンで旧態依然の独裁体制に美濃衆が反発し、強要されたようである

道三の死とともに、歴史に姿を現すのが、二人の後継者である織田信長であり、明智光秀
織田信長が信秀の地盤を引き継ぎ、桶狭間で華々しい武名をあげたのに比べ、明智光秀は悲惨なスタートを切る
明智家が道三に味方したために叔父の城は落とされて一家は流浪。朽木谷で将軍・義輝の側近・細川藤孝と知り合うも、後に義輝は暗殺されてそれまでの努力が水の泡に
それでも幕府再興のドラマを諦められない光秀は、義輝の弟・義昭を救出し、居候している朝倉家に上洛をもちかけるのだ
道三から実力主義とマキャベリズムを受け継いだ信長に比べ、光秀が継いだのは鉄砲などの最新の用兵術と京文化の教養。将軍家に入り込んで、歴史的軍師となるのが彼の夢だ
道三が娘・帰蝶を従兄弟の光秀にと考えたこともあったため、信長を一種のライバルと見立てているのが面白く、涙を流す激情家の半面、信長へは陰湿な闘志を秘める
思えば信長に反旗を翻した武将たちも累代の家臣ではなく、チャンスがあれば上をとれるという認識で仕えていたのかもしれない
ともあれ、第3巻は次代への橋渡しがテーマ。あの山崎屋も菜種油の普及で胡麻油が廃れ、お万阿は隠居してしまった。容赦ない時の移り変わりを感じさせる


次巻 『国盗り物語』 第4巻
前巻 『国盗り物語』 第2巻

『国盗り物語』 第2巻 司馬遼太郎

戦国武将と油商人の二刀流




土岐頼芸を守護につけることに成功した庄九郎は、内親王を京都から連れ帰るなど、さらなる信任を得る。しかし、成り上がりの庄九郎に美濃衆の反発は強く、”小守護”と呼ばれる長井藤左衛門利安に、頼芸の弟たち、さらには追放された元守護の土岐頼武が代わる代わる立ちはだかり、朝倉家織田信秀の兵まで呼び込む。そうした苦境を庄九郎の才知は輝き、ついに国盗りの夢を果たす

いよいよ庄九郎が道三となり、美濃乗っ取りに着手する
主人の土岐頼芸女性と風流にしか関心がない道楽者であり、それを利用して美濃の首府である川手城から、景観のいい枝広館へと居城を移し、自ら堂々と国政を見る
しかし国内には元守護の頼武派に、庄九郎を良く思わない頼芸の弟たち、はては頼芸の嫡子・頼純までが国外勢力とつるんで抵抗してきた
それに対する庄九郎は八面六臂の活躍。機略を駆使して、国内の反対派や朝倉家、宿敵の織田信秀を幾度となく破る。その描写は三國志の英雄のようで、司馬の仮想敵・吉川英治と比較したくなる
面白いのは、戦国武将になり切らず、油商人として京都に舞い戻るところ。京都では、夜討ちにかけた藤左衛門の子が刺客としてやってきたり、正室・お万阿を拉致した忍者・木下闇と死闘を繰り広げる
薄い本が厚くなるハードボイルド展開もあり、歴史小説に伝奇・忍者成分が混じるところが、初期の司馬らしい

本作は斎藤道三が先駆的な革命児であり、織田信長の先達として描かれる
京都にいる正妻・お万阿が襲われたのは、美濃で楽市楽座を徹底し、座の特権にしがみつく寺社勢力に恨まれたからとされている
作中で庄九郎(道三)は自らを革命児と規定しており、革命するためにはその手段は問われないマキャベリズムの世界に生きているとする。実権を握ってからは、稲葉山城を中心に武士団を城下に住まわせて井ノ口の町を整備し、農民にも手厚くして良き領主であろうとした
合戦でも長柄の槍を使った集団戦闘を行い、東海地方で初めて鉄砲を使ったと吹かしている
最近では道三が義龍に代替わりしたのは、領国の経営に専念しないことの不満が高まったからと言われ、実際には他の戦国大名より保守的という評価もある。信長の新奇さは父・信秀の影響が大きいのだろう
とまれ、作中の庄九郎はカッコ良い。元土岐頼芸の妾・深芳野との子が頼芸の子種であることを名分に国を盗るのが鮮やかでな一方、お万阿に京へ凱旋することができないことを詫びるラストには哀愁があった
次巻からいよいよ信長編。2巻でどうまとめたのだろう。既読の人間でも楽しみである


次巻 『国盗り物語』 第3巻
前巻 『国盗り物語』 第1巻

『国盗り物語』 第1巻 司馬遼太郎

『麒麟が来る』は道三二人説




戦国の京都。法華宗妙覚寺で育った「知恵第一の法蓮房」は、還俗して松波庄九郎を名乗る。油商人の奈良屋に狙いをつけて、その商隊の護衛隊長を務めあげ、女主人・お万阿の心を射止める。奈良屋の雇われ主人となったが、神社の強訴を利用して油屋を山崎屋に屋号を変えて乗っ取り、ついに天下取りの夢を見て美濃へと旅立つ。美濃守護の土岐家は凡庸な兄弟が地位を争い、庄九郎ののし上がる隙があった

『麒麟が来る』の再開が待ち遠しく、元ネタに手を出してしまった
本作は大河ドラマにもなった司馬遼太郎の代表作のひとつ、斎藤道三の下克上から織田信長の台頭、明智光秀の本能寺までを描く
1963年に雑誌連載されていた作品であり、通説どおり道三は油商人と下克上した武士が同一人物という前提で書かれている。最近の研究では、油商人から最初に土岐家に仕えた「西村新左衛門尉」下克上した「道三」が親子という説が有力らしい
となると面白いのは、作中の庄九郎(道三)が油商人としての「山崎屋庄九郎」土岐家に仕える武士「西村勘九郎」違う人格として使い分けているところ。山崎屋としてお万阿を正妻とし、西村勘九郎として元土岐頼芸の妾・深芳野を抱く
司馬も道三の経歴のなかに、二つの異なる人格を見出していたのではないか
己が欲望むき出しの姦雄と、皆を幸せにする実業家としての顔が同居し、織田信長、豊臣秀吉ら天下人の魁ともいえる存在なのである

中世における油商人は特別の地位にあった。江戸時代に菜種油が普及するまで、胡麻油が主流であり、畿内で製油、販売を独占していたのが大山崎油座
大山崎の八幡宮(離宮八幡宮)はその権威を背景に一年ごとに油商人へ手形を交付し、その手形があれば油商人は各地の関所で税金も取り立てられずに商売することができた。胡麻油は夜の光源となる貴重な戦略物資だったからだ
作中では、庄九郎が奈良屋で革新的な商法をとったことで、八幡宮の神人の怒りを買い打ちこわしに会う。神人とは、寺院における僧兵にあたり、神宮をバックにして武装勢力でもあった
そして、地理的にこの大山崎はあの山崎の戦いの‟山崎”。離宮八幡宮は天王山の麓にある。なんという、壮大な伏線であろう


次巻 『国盗り物語』 第2巻

『夏草の賦』 司馬遼太郎

本能寺の変にも絡み


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織田家が支配する美濃。信長に仕える斎藤利三は、明智光秀から思わぬ打診を受けた。利三の妹・菜々を遠国・土佐の長曾我部氏から求められたというのだ。若き当主・元親は、信長をともに天下を目指す英傑と認め、土佐平定から天下取りを目指していく。しかし、時勢は信長、ついで秀吉が天下人の道を歩むようになり、元親には辛い時代が待っていた

一時期は四国の覇者となった長曾我部元親を主役にした大河小説
読者が興味を持ちやすいためか、信長が統治する美濃(現・岐阜県)から話はスタートし、美しい新妻の視点から土佐が流刑地に使われるほどの遠国であることが描かれていく
菜々はなんの縁もゆかりもない土佐に嫁入りするだけあって、大胆不敵な嫁であり、プライドは高いわりに憶病な“姫若子”元親と対照的なカップル。上巻では西土佐を支配する一条兼定に迫られる場面では大立ち回りを見せるなど、コメディエンヌとして物語を牽引する
上巻は、勝手に元親がライヴァルとして捉えた信長との国境を接するまでの四国を切り取っていく右肩上がりの展開。「鳥なき島の蝙蝠」と信長から揶揄されながら、貧しい土佐の一角からあらゆる智謀を尽くし、群雄として這い上がっていく

下巻は信長の要求を蹴り、無謀な決戦を決意するところから始まる。その決意は回りまわって光秀の焦燥を生み、本能寺の変につながるのだから歴史は面白い
が、秀吉への抵抗は無謀だった。柴田勝家を破り、徳川家康と和睦した秀吉を前に土佐一国安堵で降伏するしかなかった
領土の拡大にこだわったのは、貧しい土佐人を豊かにしたいがゆえ。山々に隔てた僻地の土佐と上方は土木技術、富、文化、あらゆる点で隔絶しており、元親は大坂城の偉容と秀吉の人たらしにすっかり牙を抜かれてしまう
天下への道を諦めた元親は鬱屈を抱え込み、希望は長曾我部の将来を担う嫡男・信親のみ。信親への教育、嫁選びが下巻のお笑いポイントとなる
しかし、待っていた結末は無惨である
島津の九州征伐へ出陣を命じられるが、その軍監は漫画の主人公にもなった仙谷秀久。元親は何度も秀久を戦場で破っている相手で、宿敵ともいえる十河在保がいたり、四国勢は呉越同舟の雑軍なのであった
憶病こそ、将たるものの資質」とする元親に対して、秀久は他人への受けばかり気にする匹夫の最たるもの。司馬の戦争体験から、昭和の軍人の性質を秀久にまとわせたかのようだ
戸次川の戦いで元親は“未来”をも失い、後継者争いに大粛清を断行してしまう夢なき老人に堕ちていく。人はやはり、夢を持ってこそ華なのだ

『義経』 司馬遼太郎

司馬版平家物語


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平治の乱で討たれた源義朝の子たちは、平清盛の母、二位の尼の慈悲で命だけは助けられた。清盛は卑賎の生まれながら絶世の美女である常盤御前を愛人とした後、平凡な貴族・藤原長成の妻にした。義朝と常盤の子、牛若は武家の片鱗を見せたことから鞍馬寺に預けられるも、出自を元源氏の坊主から聞いて脱走。打倒平家の旗揚げを期して、奥州で時を待つ

源義経の栄光と挫折を描いた大河小説である
吉川英治『新・平家物語』への対抗心からか、義経は“悲劇の英雄”の虚像を剥がされ、合戦の天才であるが人柄は非常に好色で甘ったれ、政治的センスや気遣いが壊滅的という“喜劇の英雄になっている
だいたい序盤の展開から生々しい。鞍馬寺では、師の覚日に掘られてしまい、お稚児さんに仕立てられるのである(爆)
平家全盛期の源氏の立場はつらく、源氏の所縁が深い関東の豪族に立ち寄っても、逆にだまし討ちに遭いかかって、相手の屋敷を燃やすことになる。生きる天地そのものがなく、消去法で奥州藤原へ行く
その奥州での立場は、都生まれの源氏として地元の女子と子作りに励む“種馬”(!)。ここにおいて好色一代男として開眼するが、平家打倒の志を持つ義経にとっては地獄でもある

義経が平家を壊滅できたのはなぜか
作中では、個人技対決の平安武士の合戦に「戦術」を持ち込んだからだとする。武家にとって、一番乗りや名のある武士を討ち取るのが功名であるのだが、義経は合戦全体の勝利を追求する
そのためには敵本陣を一直線で落とすことであり、一の谷や屋島の戦いでもそれをもって大軍勢相手に勝利した。それを可能にしたのは、馬産地として有名な奥州・関東の、機動に特化した騎馬戦術である
対する平氏の総帥・宗盛は、伝来の扇子を相手に射らせるという“占い”で進退を決める(那須与一の件)など、古代的価値観に囚われていて、簡単に拠点を放棄して一族の滅亡を招く
もっとも、義経の「戦術」も坂東武者たちに全く理解されず、電撃的勝利も功名を独り占めするものと総スカンを食ってしまう。あまりに早すぎた戦術家だったのだ

義経は奥州で自害し、その首は鎌倉に届けられるのだが、頼朝はその首に対して「悪は、ほろんだ」という。いったい、何が「悪」だったのか
全国の武家、特に坂東武者たちは、自らの土地を保証されるために朝廷の摂関家、平家にただ働き同然の奉公や貢物を出し続け、屈辱的な扱いを受けていた
頼朝は武者たちにそうした状況の改変を託されていて、武家が武家自身を治める新体制(幕府)を作ろうとしていた
そこへ行くと、義経は鎌倉に断りなしに朝廷から官位を受けるなど、台無しにする行動を取ってしまう。都では常識的な価値観ながら、この時代を逆戻りをさせる点が「悪」なのだろう

本作では頼朝の微妙な立場にも触れている。源氏の棟梁という貴人ながら、流人であるがゆえに寸土の領地も持たず、実質的に夫人・政子の実家・北条家へ依存せずにいられない
鎌倉幕府で頼朝の子孫ではなく、北条家が中枢を握り続け宮将軍を奉る体制が続いたのも、源氏が貴人ゆえに都とのつながりを断ち切れず、土着の元勲である北条家こそが武家の権利を保障しうると考えられたからだろう
ここらへんのところは、最近出ている「承久の乱」の新書で確かめてみようと思う


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『真説宮本武蔵』 司馬遼太郎

初出の年代はバラバラかも


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伝説の剣豪、宮本武蔵は巌流島の戦いの後にどう生き抜いたのか。大河小説での宿敵(!)、吉川英治の武蔵像に挑戦状を叩きつける表題作に、戦国の終わり、幕末と時代の変わり目に現れた、剣に生きる男たちの物語を集めた中短編集
宮本武蔵目当てに買ったが、単なる剣豪小説にとどまらない、どの話も筋が面白いミステリー仕立てとなっている


<真説宮本武蔵>

出だしから振るっている。世上に知られる宮本武蔵の活躍は、養子の伊織をはじめとする関係者が盛っていったものであり、どれも信頼できるものではないと言い切る。本人の話ですら、なんとでも言えると切り捨てる(苦笑)
しかし、その中でも徳川の元旗本である渡辺幸庵が遺した『幸庵対話』が、客観的に武蔵を観察した史料とする。実際には世上の講談話も盛り込むのだが、幸庵の「実見」から、等身大の武蔵を引き出して小説にしようというのだ。これは司馬小説に共通する流儀だろう
剣豪として名を高めつつも、武蔵は並の石高では召し抱えられようとはしない。単なる剣術師範にとどまらず、平穏な時代に侍大将を目指して放浪の日々を送る
そんなドン・キホーテも最期には……


<京の剣客>

宮本武蔵の敵役となった吉岡兄弟の物語。武蔵と実際に立ち会ったかは、定かでなく史実では兄弟とも生存しており、吉岡道場も江戸初期の不祥事に封鎖されるまで健在だった
作中では兄の吉岡直綱が武蔵に立ち会っているが、正確な勝敗はついていない
話の中心は、あまり道場に現れなくなった当主・直綱と、代わって師範を務める弟・又市郎との問答。一流の剣豪が手にする、技術を越えた「気」「間」とは何か
老人となった直綱が辻斬りを翻弄する話は司馬のお気に入りのようだ


<千葉周作>

幕末に一世を風靡した北辰一刀流を起こした千葉周作の半生
木刀中心の古式剣法に対して、竹刀と防具による撃ち合い剣術を磨き、その優位性を証明すべく戦国に一刀流を生んだ古式剣法の故郷、上野の地に赴いて、念流の道場を次々と破り平定していく
不合理に合理が勝利するというのが、司馬小説のひとつのパターンなのだが、本作はそれで終わらない。寺田五郎右衛門ぐらいの使い手となると、古式剣法の生む「気」「間」には圧倒されるのだ
それに対する北辰一刀流の“合理”とは、素人にも技術を伝えられる点にある
1963年初出で、1966年出版の長編『北斗の人』の元になったようだ


<上総の剣客>

普段は柔和で評判の“おだやか先生”、木村要蔵の偏屈な生きざま
要蔵は平時、剣豪とは思えない人格者だが、ひとつ自らの剣に迷いが生じるとそれが許せず、妻子を捨てて旅に出てしまう
妻のおえいにとっては災難というしかない亭主だが、戊辰戦争が始まるとさらなる悲劇に見舞われる。要蔵は譜代の飯野藩に仕えていたが、藩主・保科正益は独断で官軍への参加を決断。それに対して藩論は分裂し、要蔵は佐幕派について会津藩旅立ってしまう。次男・寅雄を連れて……
もう、不憫というしかない


<越後の刀>

京都の四条河原に住む後家・おもよは、栃尾源左衛門という浪人の世話を見ていた。この謎の男はただ、おもよに寄生し続けるのだが、ある日、血糊の残った刀を手に入れる
おもよが知り合いに調査を頼むと、栃尾源左衛門は上杉の旧臣で、関ケ原の転封後に暇を出され、大阪の陣で秀頼の近習を務めるという異色の経歴の持ち主だった
はたして、栃尾源左衛門が手にした刀とは……
意外な方向へ転がっていくハードボイルドなミステリー作品である


<奇妙な剣客>

民族の源流を信じて、はるばる日本へ渡航しにきたバスク人の悲劇
スペインとフランスの国境、山深いピレネー山脈に住むバスク人には、フン族のアッティラ王の末裔や、モンゴルの成吉思汗の末とする主張する人々がいたそうだ。その説から本当に日本人と祖先が同じなのか確認しようと、大航海に参加する主人公ユイズが設定されている
ユイズは刺突中心の細剣、今でいうフェンシングの達人で、ばったばったと相手を倒していくが、上陸した日本の平戸では相手が悪かった
そして、その死闘の結果が、平戸の命運をも決めてしまうのであった

*最近の研究だと、バスク人はヨーロッパに初めて農耕を持ち込んだ民族に近く、かつローマ化せずに固有の文化を維持してきた人々らしい


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『最後の将軍』 司馬遼太郎

せごどんも参考にしてそう
絵は明治になってから習ったようだけど


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尊王攘夷の家元である水戸徳川家に生まれた慶喜は、父・斉昭老中・阿部正弘の意図で、御三卿のひとつ、一橋家の養子となる。国難続きの世の中で将軍の継嗣となるためだった。しかし、成人した慶喜は、むしろ将軍となることを嫌い、第14代将軍・家茂の後見職として、列強、攘夷論者、倒幕と狙う薩長相手に、天才的な政治手腕を見せるが……

今年の大河はちゃんと見てないけども
江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜を扱った司馬小説。1998年にモッくん主役で大河ドラマ化されている
本作の慶喜は多才の人であり、一芸を磨けばどれも一流に達したのでは思わせる。ただし、彼は御三家に生まれて政治の世界にいることが宿命づけられていて、その舞台で芸術的ともいえる采配を取り続けることとなった
しかし、実家の水戸藩には尊王攘夷論者が多く、幕府とは折り合いが悪い。慶喜はその両者の間に立って苦しみ、歴代の側近たちも凶刃に倒れてしまう
賢侯と呼ばれる藩主たちにも、話せる相手はいない。慶喜はその才能を持って、一人舞台を続ける他なく、尊王攘夷の水戸学の精神を持ちながら“最後の将軍”を演じきったのだ

司馬はよく登場人物を、英雄と英雄演技者に分類する。もちろん、慶喜は英雄演技者
しかし慶喜は不幸なことに、一橋家の養子になった段階から〝権現様の再来”との評判が立っていた。将軍の継嗣しようとする、父・斉昭と老中・阿部正弘の策略で、まだ何もしていない若者である自分がそうでないことは、慶喜が一番よくわかっている
英雄を見事に演じつつも、どこか客観的に自分と情勢を眺め正確に未来を予見してしまうところは『播磨灘物語』の黒田官兵衛と重なるところがあり、慶喜の場合はその我執の無さが近親者へのむごさ(松平容保がカワイソス)につながっている
水戸学の価値観から逆賊の汚名を着ないために、大政奉還から江戸無血開城の動きを、「悲劇の英雄」に自らを仕立てて、薩長へ歴史のなかで一矢報いるという本作の読みは鋭い。そして、その策謀は大河ドラマの主役となるほどの再評価で成功したといえるだろう


関連記事 『播磨灘物語』 第1巻

『梟の城』 司馬遼太郎

反権力的主人公


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織田信長によって一族を殺された伊賀忍者、葛籠重蔵は、怨念を心に秘めつつも仏像を彫り山にこもっていた。そこへ忍の師匠である下柘植次郎座衛門が訪ねてきた。同門の忍者である風間五平が行方知れずとなったので、彼が請け負っていた仕事を継げというのだ。それは堺の豪商・今井宗久から下された秀吉暗殺なのであった

初期の司馬遼太郎の代表作で、戦後の忍者小説のはしりともいわれる金字塔的作品である
伊賀忍者が秀吉の代になって影響力が下がった今井宗久の頼みで秀吉暗殺を謀るのだが、そこに至るまでがかなり複雑。さる大名に仕える女忍者・小萩にたぶらかされたと思えば、同門である風間五平が敵役として後を追われ、師匠の娘である‟木さる”が重蔵と五平の間を揺れ動く。そこへ、甲賀忍者のレジェンドが加わるとか、あまりに因縁が絡み過ぎて秀吉暗殺どころの状況ではない(苦笑)
いわば、ハードボイルドに生きる忍者同士の駆け引きが本編であり、重蔵と小萩と木さる、そして五平との四角関係に代表される、非情と人情の間に揺れ動く心理描写に魅せられる

たしか市川崑の映画では、眠っていた秀吉に重蔵がなぜ朝鮮出兵を続けるのか、問いただす場面があったはず。それに秀吉は「今となっては皆に火がついてしまっていて、わしを殺したところで止められるものではない」とうそぶいていた
これを聞いたときは、太平洋戦争時の日本国民を連想したのかと思ったが、小説を読み直してみると、そうした場面はない!
重蔵はあくまで忍者としての至芸に生きる人間であり、それを実現するために秀吉の暗殺を仕掛ける。俗世の帝王として諸事に気を配る秀吉とは、真逆の存在である
映画のように政治的メッセージがなく、男と男の決着として収めてきってしまうのは、後の司馬小説のイメージからは想像しがたい。こういう徹底したクールさが、忍者小説時代の魅力なのだ
巻末にある作家・村松剛の解説には、時代小説のなかでの本作の位置付けががっつり説かれているので、読み逃しなく
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