核戦争後とおぼしきアメリカ。動物や植物も灰のなかに絶たれ、生存者同士が共食いする世界で、冬の寒さを凌ぐべく、親子は南を目指す
国境三部作、『血と暴力の国』の作者コーマック・マッカーシーによるポストアポカリプス
読むのに時間がかかってしまった。元の文体の特徴なのだろう、段落がやけに長くて日本語と相性が悪いのだ
それに加えて滅んだ世界の陰鬱とした調子が続くので、廃墟好きの人間でなければ、なかなかに辛い内容だ
具体的に何で世界が滅んだのか、親子に何があったのかは直接は触れられず、思い出されたかのように差し込まれる過去のついての断章などから読解していくしかない
SFではポストアポカリプスをテーマにした名作が多くあり、本作はそれを隠し味として引き継ぎつつ、過酷な環境で人がどうやって生きていくのか、精神を狂わせないのには何が必要か、そして、何のために生きるのかを問うサバイバルが主眼となっている
しかし、いくら頑張っても文明が滅んだ世界には限界が……人間が人間たるには何が必要かを突きつける作品だ
親子の過去については、断片的にしか語られない。親は“彼”、子は“少年”という人称で呼ばれる
破局からはけっこう年数が経っているらしく、“少年”は廃墟のなかで医者もいないところで生まれ、滅びた世界しか知らない
その母親は、ならず者たちと肉体関係をもって食糧を調達していたらしく、いたたまれなくなった彼女は二人から離れてしまう(自殺がほのめかされている)
“彼”は“少年”に対して、滅びる前の世界のことを教えるが、たえず「それを教える意味があるのか」という想いに襲われる。もはや戻ってくるはずのない世界を教えて何になるのかというか
そこでこだわるのは“善きこと”であり、“善き者”でなければならないということ。まともな植物が生えない灰色の世界で、食糧として動けない人間や子供が食われる時代、人間としての倫理にこだわる
それは“火を運ぶ”という言葉にもつながり、文明の火で滅んだ今となっては、プロメテウスの意味ではなく、命の灯火、良心の灯火を示しているのだろう
高齢で子供をもうけており、我が子へのメッセージが動機なので、この作家さんの割に、ラストにご都合感のあるのも致し方なしか
ピュリッツァー賞を受賞した高い評価を受けて売れた作品なのだけど、鬱状態がベースなので個人的には辛かった(苦笑)。訳者のあとがきとしては、日本の『子連れ狼』の影響なども指摘されているのだけど、暗いんだ……
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