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『レーガン』 村田晃嗣

レーガンは1911年生まれ。ケネディより六歳上


レーガン - いかにして「アメリカの偶像」となったか (中公新書)
村田 晃嗣
中央公論新社
売り上げランキング: 329,754


‟冷戦を終わらせた男”レーガンは、何者だったのか。今なお、アメリカの政治家にリスペクトされ続ける大政治家の実像に迫る
ロナルド・レーガンは、カーターの後、パブッシュの前の第四十代アメリカ大統領である。内政的には「小さな政府」を目指しつつも、冷戦を終わらせるために軍事支出を拡大させ、莫大な財政赤字を作ったタカ派の政治家というのが、一般的な評判だ
しかし、本書のレーガンは様々な姿を見せる。選挙では大見得を切りつつも、実際の政策では妥協していく現実的なプラグマティストであり、応援していた保守派に溜息をつかせることも度々だった
本書は幼少期から、俳優時代、政治家への転身、そして二期八年の大統領、老後までを追う伝記であり、尺の都合で手短にまとめてしまっている部分はあるものの、大きな足跡を残した大統領の全体像を描き切っている

レーガンをひとつの言葉で括るなら、やはりグレートコミュニケーターである
ケネディ、ジョンソンの民主党政権に、ニクソンのウォーターゲートで失墜した共和党・保守派のイメージを回復させるため、レーガンは保守派の人々を結集させる「右派のローズベルト」としての役割を期待された
実際のレーガン政権は「小さな政府」にこだわりつつも、冷戦終焉のために巨額の防衛予算を組む、矛盾した政策をとっていたが、共和党の人心を集めることには成功した
レーガンには1920年代の自由主義を理想としており、人々にも「アメリカの朝」という「大きな物語」を唱え続けた。もはや実現することのない古き良き時代への回帰を訴えることが、逆に人種差別の解消など「小さな物語」の実現に終始するリベラル派にうんざりした大衆の心をつかんだ。著者はこれを政治的タイムマシーンと名付ける

レーガンは外交において、荒唐無稽な「スターウォーズ計画」を推進して冷戦を終結に導いたが、内政で「小さな政府」を目指した「レーガノミクス」は成功したのだろうか
後にこのときの規制緩和がマイクロソフトなどによるIT革命を呼んだともいわれるが、著者はその評価を保留する
大減税は富裕層にしか恩恵が届かず(富裕層の税率45%→28%)、州政府への支出が減った分の州税が増えたために一般庶民にはほぼ関係なかった。雇用に関しても、規制緩和によって増えた雇用はほとんど低賃金労働だった。経済の繁栄の裏腹に、富の偏在は加速した
いわゆる新自由主義の改革の結末がここに示されているといえよう
レーガン後も、共和党を中心に不景気になれば大減税、簡素な税制を唱える模倣者は多い。イラク戦争に向かうブッシュ大統領が「悪の枢軸」を唱えたのも、レーガンの「悪の帝国」発言の引用である
著者はオバマ大統領の誕生で「レーガンの時代」に一区切りついたとするが、トランプ政権の在り様を観ると何番煎じかと言わざる得ない
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『ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの』 林健太郎

パラドゲーをやり始めたので、ちょいと


ワイマル共和国―ヒトラーを出現させたもの (中公新書 (27))
林 健太郎
中央公論新社
売り上げランキング: 91,660


なぜもっとも民主的と言われたワイマル共和国から、ヒトラーのような独裁者が出たのか。第一次大戦終結から30年代までの政治家、政治状況を分析する
積読から取り出してびっくり、初出が1963年数十版も重ねている名著だったのだ
ワイマル共和国は第一次世界大戦を負けたドイツにおいて敷かれた民主主義の体制で、1919年に中部の都市ワイマルで憲法制定議会が開かれたことにちなんでいる
ワイマル憲法の特徴は、男女平等の普通選挙に基本的人権に国民の生活を守る権利=社会権を加えたことで、当時としては画期的な内容だった。同時に議会が機能停止に陥った際には、大統領が緊急令を出せる憲法第48条の「非常権が存在し、30年代の経済と財政危機に際して乱発され、結果的にナチスの独裁を後押しする要素もあった
そうした先進的な憲法を持ちつつも、旧帝政の流れでプロイセン州が人口の四割を占めるという偏った連邦制が保たれ、10万人に減った国防軍が政府から半ば独立した地位を築くという歪な状態にあった

第一次世界大戦の末期において、ドイツは戦争に疲弊した国民による社会革命が引き金になって敗戦を迎えた
政権についたのは社会主義=マルキシズムの影響の濃い社会民主党などであったが、帝政打倒までは考えない漸進志向、社会民主主義の立場を取っていた
しかし連合軍側の要求はドイツ帝政こそ戦争の原因であるとして、ホーエンツォレルン家の追放と徹底した民主化を求める。ドイツ側の政党と連合国の求める変革には大きな隔たりがあったのだ
講和条約の履行のために制定されたのがワイマル憲法であり、共産党など一部の極左を覗いて政党も国民も完全な民主化までは想定していなかった。上からどころか、外圧の要求による体制転換がワイマル体制の足腰の弱さであった

ワイマル共和国には過去、積極的に民主化を求めた政党はなく、政治課題はいかに社会主義を進めるかにあった。修正主義の社会民主党に対して、ロシア革命の影響を受けたドイツ共産党はラディカルな社会主義化を要求。その中でさらに過激なスパルタカス団などは、武装蜂起に及んだ
右翼は右翼で、反ベルリンのバイエルン政府を震源に、カップ一揆、ヒトラーのミュンヘン一揆が勃発。司法界は帝政の名残が深く、大甘の判決でヒトラーは政治的地位を高めることとなる
内政では、ワイマル憲法下における国民の権利から、失業保険が始まった。今となっては当然の社会保障も、制度設計上の限界は100万人どまり1929年の大恐慌から400万人までに膨らむに至っては増税と財政赤字が余儀なくされ、シュトレーゼマン死後の求心力が低下した議会政治に、経済政策の大転換をする力はなかった
社会民主党に属し司法大臣もつとめた法学者ラートブルフは、「民主主義を社会主義への前段階ではなく、固有の価値だということを極力力説すべきであった」と自己批判している
本書では立派な憲法と政治の実態とのかい離を示しつつ、議会制民主主義が羽根をもがれていく過程を見事に活写している。戦前・戦後の日本とは事情が違うものの、大統領制に傾く内閣・行政府の在り方と議会の空洞化の結果が何を招くかの教訓となるだろう
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『戦争にチャンスを与えよ』 エドワード・ルトワック

徳川家康を希代の戦略家として、高く評価


戦争にチャンスを与えよ (文春新書)
エドワード ルトワック
文藝春秋
売り上げランキング: 453


紛争地で下手な停戦は命取り。現代での戦争の必要性を問う異色の書
著者は別に戦争好きではない。ルーマニアのトランシルヴァニア地方でユダヤ人として生を受けながら、イギリス軍で軍隊を経験し、アメリカなど各国の大学で博士号をとるプロの「戦略家」である
本書はいくつかの論文とインタビュー(?)をまとめたものだが、シリア情勢やISに対しての戦略に、尖閣諸島をめぐる中国と日本北方領土問題を抱えるロシアと日本の問題に触れられていて、日本人向けの内容となっている
ユダヤ人だけあってイスラエルの体制と国民を理想的な国民国家とし、「男は優れた戦士に憧れ」「女は強い戦士を好む」という「戦士の文化」を称揚するなど(ハインラインかよ!)、すがすがしいほどのマッチョぶりには引くものの、生易しい人道主義を退けて冷徹な紛争地の力学を容赦なく語ってくれる

著者の持論は、「政治」は「戦闘」に勝り、「政治」は「戦略」が規定する。そして、「戦略」のレベルでは平時の常識が反転する「パラドキシカル・ロジック」(逆説的論理)がものをいうだ
第二次大戦のドイツ軍は、その末期においても三倍の連合軍と互角に戦えたが、敵が多すぎてどうにもならなかった。直近の「戦闘」で強くとも、周囲に敵を抱える「戦略」で敗北しているからだ
その「戦略」の法則に関わる「パラドキシカル・ロジック」とは、戦争が平和を呼び、平和が戦争を呼ぶ原因になるという。なぜならば、すべてのものには「限界点」があって、例えばアメリカで弱腰の政権が続き過ぎれば、相対的に中国のパワーが増大し、ロシアは好むと好まざるに関わらず中国に近づかざえるえなくなり、パワーバランスが崩れてしまう
なんだ「過ぎたるは及ばざるが如し」かと思いきや、氏によるとそれだけではない。「戦略」の法則では、ドイツ軍がいくら細かい戦闘で勝利しても最終的に負けたように、「成果を積み重ねることができない」、そして、正面からの決戦ではなく相手の不意を衝く「奇襲・詭道(マニューバー)を絶えず狙うべし」とか、いろんな法則がある
まさに〝孫子の兵法”で、この一冊の、一章では語りきれるものではなく、詳しくは他の著作を当たるしかないようだ

著者は実地で軍務を経験しただけあって、イデオロギーや政治用語をあまり使わない。ベースはギリシアの古典時代に始まる欧米の歴史だ
特に千年続いた特別な帝国、ビザンチン帝国の「戦略」は読みごたえがある
「戦争は可能な限り避けよ。ただし、いかなる時にも戦争が始められるように行動せよ。訓練を怠ってはならず、常に戦争準備を整えておくべきだが、実際に戦争そのものを望んではならない。戦争準備の最大の目的は、戦争開始を余儀なくされる確率を減らすことにある」。なんだか、山本五十六の言葉を思い出させる
「戦略」で勝利を収めるために、同盟国の存在を重要視する。外交は戦略そのものといってもいい。「戦争」よりも、政権転覆」が勝利への安上がりの手段として薦める
大事なのは、こうした「戦略」のために安易な人道主義にこだわらないことだ。ISを倒したいなら、アサド政権を認めるか、圧倒的な武力で短期間で制圧するか、この点において、どっちづかずのオバマ政権を手厳しく批判する
センセーショナルな表題も、受け狙いの理想主義から国連・NGO・外国の介入がかえって紛争の長期化を招くことを批判したものだ。著者自身は「戦争」を一度始めてしまったら簡単に終われないことを肌で知っており、だからこそ途中で中断させるだけの〝生地獄”を警告している
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『シャルリとは誰か?』 エマニュエル・トッド

レイシズムVSテロリズム


シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 ((文春新書))
エマニュエル トッド
文藝春秋
売り上げランキング: 8,943


2015年1月7日にパリで発生したシャルリー・エブド襲撃事件。その後に起こった「わたしはシャルリ」と掲げたデモには、いかなる意味があるのか。シャルリが行っていた風刺とそれに対するテロの社会的背景を読み解く
フランスのことなので、だいぶ読むのに時間がかかった… ただ、その社会分析は今の日本にも通ずるものがある
シャルリー・エプドについては、テロの被害者という側面で注目されていて、日本の報道でも「表現の自由」VS「テロリズム」という単純な図式で伝えられきた
本書では、シャルリー・エプドがそれまで行ってきたイスラム教への風刺画から、フランスの中産階級が抱くにいたった移民やムスリムへの恐怖を読み取る。さらには左翼陣営による「ライシテ=世俗主義」の立場からの差別主義まで見出すのだ

フランスの社会分析に関しては、かなり専門的なので管理人が把握するのは大変であるが(苦笑)、要所で著者がまとめてくれるので内容はおおよそ理解できる
フランスの近代社会は、フランス革命で生まれた「ライシテ=世俗主義」だけでなく、地方で根付いたカソリックの伝統との両輪で回ってきたという。フランス革命の「博愛」の源泉も、カソリックの「すべての人間は平等である」という原則に発している
しかし、事件を受けた「私はシャルリ」のデモを分析したところ、本来はカソリックの伝統を継いでいた地域から、その平等主義の残滓すらなくなっていたことが判明する
そうした最近になって世俗主義に染まった地域でこそ、宗教への警戒感が高まっていて、かつての反ユダヤ主義に連想させる反イスラムの声が上がっているというのだ
むしろ、早々と世俗主義に染まったパリ郊外では、外から人が流入する都市環境に慣れているからか、冷静さを保っている

なぜ「ライシテ=世俗主義」が差別主義を生んだのか?
それにはEUがドイツ主導の経済圏となり、ドイツ型の市場経済が形作られたことが経済の格差、特に若年層へ厳しい結果を招いたと著者の持論が展開される。若者に福祉国家の負担を押し付ける政策は、なかでも立場の悪いマグリブ(=北アフリカ)からの移民層を直撃し、路頭に迷った彼らをISに向かわせたとする
そうした政策を主導したのは、従来の「福祉国家」を維持したい中産階級=中年以上の年齢層であり、世俗主義=無神論の立場を楯にムスリムへの幻想ともいえる恐怖心を持つに到った
著者はこの世俗主義と差別主義=不平等原則が結びついた立場を「ネオ共和主義と名づけて、ナチスが生んだヴィシー政権の系譜につなげる

重要なのは、実際に移民たちのなかで閉鎖的なムスリム社会が醸成されているわけではないことである
移民たちはフランス社会へ適応しようと努力しており、むしろ適応するスピードが早すぎて、共同体が持てず無秩序(アノミー)な状態に陥っているのが問題だったりする。襲撃事件を起こしたグループがいたベルギーでは、逆に閉鎖的な移民社会が生まれていたが、フランスではまったく事情が違うのだ
著者はイスラム教の持つ女性への差別を問題としつつ、かつてのカソリックのように平等主義を持つことに着目。お互いが歩み寄ることで、良き影響をフランスへもたらすことに希望を託す
本書は襲撃事件からIS空爆につなげたオランド政権を、左翼の殻をかぶった差別主義と看破。実は、平等主義の原則を実は極右といわれる国民戦線(FN)の支持層のほうが保っていると驚愕の結論を導きだす
左が右より不平等によりおかしくなる転倒は日本でも起こっていて、在特会周辺が盛り上がったのも、共同体の喪失や格差問題にあったのではないかと思う
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『韓国の悲劇』 小室直樹

この時代に歯に衣着せぬ


韓国の悲劇―誰も書かなかった真実 (カッパ・ビジネス)
小室 直樹
光文社
売り上げランキング: 169,530


なぜ日本と韓国は上手く行かないのか? 韓国独立の経緯、社会構造の違いから両国の異質さを指摘する
著者は経済学、社会科学、人類学と様々な分野に通暁してソ連の崩壊を予言、テレビでの発言で奇人評論家として有名になった小室直樹橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司の師でもある
本書は初出が1985年。韓国がNIES諸国としての台頭、日本との間に教科書問題が持ち上がった頃で、なぜ両国の認識がズレるのか、韓国人、日本人それぞれの立場に立って相手からはこう見えてしまう由縁を歴史、社会の性質から解き明かしていく
一般人向けのカッパブックスだからか、日韓の歴史問題というこれ以上ない堅苦しいテーマに、幅広い教養からウィットに飛んだ比喩を挟んでほぐし、時に胸がすくような毒舌を振るう。けっこうな文量だったが、一気読みしてしまった
アメリカはフィリピンで大したことをしていないとか(実際には独立運動の弾圧に数十万人の犠牲者を出した)、若干の事実認識の誤りはあるものの、問題の原理原則を押さえた、今なお輝きを失わない良書である

韓国では太平洋戦争が終結した8月15日が、解放記念日として祝われる。著者いわく、ここから全て誤まりが始まるという
8月15日は日本がポツダム宣言を受諾した日だが、ただちに日本の朝鮮支配が終わったわけではなかった
朝鮮総督府はソ連の北朝鮮侵入を受けて、自発的に独立運動のリーダーである宋鎮禹、呂運亭たちと交渉し、統治権を渡して独立政府を作らせようとした。しかし、国外にいる李承晩、金九といった最高指導者が亡命中であり、日本側の要求を利用するか、しないかでおおもめに揉めた
とはいえ、8月17日には建国準備委員会によって、公共機関に太極旗が掲げられる
が、実は8月16日には連合軍によって、総督府に日本の統治機構を保全し引き渡すように極秘命令が下されていたため、18日にはふたたび日章旗が掲げられた
これに対して、朝鮮人民によるめだった抵抗はなく、9月9日にアメリカ軍は日本軍と降伏の調印式を行い、11日から軍政が開始された
韓国は自力で独立したわけではなく、日本からアメリカに引き渡されたのだ
著者は革命による新政権が正統性を得るには、実力で敵を打倒し、対外的な戦争状態を終結させねばならないという。大韓民国は対外的にも対内的にも、正統性の低い形でスタートした。それが韓国国内に日本の支配の名残を残し、日本に対する過剰な反応を呼んでいる

世界史的に見れば、旧植民地と元宗主国は独立戦争の時期を越えると、良好になる例が多い。なぜ、日本と韓国でそうならないのか
著者は二つの理由をあげる。まず、朝鮮が17世紀にいたるまで日本の文化に影響を与え、日本側も相応の敬意を持っていたこと
三韓時代には中華文明の中継地として多くの渡来人が招かれ、特に百済人は日本で高官の待遇を受けた。近世にいたっても、朱子学を受容する際には、朝鮮の儒家・李退渓の思想を基礎とした。幕府公認の朱子学は朝鮮の儒教から始まったのだ
近代に入るとこうした評価は日本で忘却され、日韓の認識のズレを生んだ。近代に入ると、何が近代化に貢献したかで序列が決められるからだろう
二つ目の理由は、日本の植民地支配が、韓国社会の「同化」に手をつけてしまったこと。日本は村社会に代表される地縁を軸とし、従兄弟同士の結婚、養子相続など血縁意識は低いが、朝鮮では間逆。徹底した血縁社会であり、同姓で同じ地方(本貫)の婚姻は論外とされた
また朝鮮は論理性を重視する「宗教国家であり、朝鮮の仏教では僧が結婚するなどありえなかった。日本では比叡山を開いた最澄からして、菩薩戒から発達した“円戒”という概念を導入して僧ごとに戒律を容認することとし、浄土真宗では親鸞上人が妻帯したことから、結婚する僧まで現われた
朝鮮視点だと、こうした原理原則から外れた日本社会の在り様は軽侮されてしまう
こうした全く異質な社会に対して、日本の植民地統治は創氏改名等の「同化」を伴うこととなり、戦後において文化侵略という評価を下されることとなった。著者は「帝国」を名乗るなら、違う原則で暮らす民族を分割統治してみせろと批判する
本書では韓国社会の分析から、日本型の経済発展を遂げないことを予見するなど、本質を踏まえた議論がされている。差別問題解消のために、在日朝鮮人に完全な参政権を渡すべきというぶっとんだ提言もあるが、30年前の本にして読み応えたっぷりである
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『日本共産党と中韓 左から右へ大転換してわかったこと』 筆坂秀世

先を読めない「科学の目」




日本共産党は戦前戦後をどう歩んできたのか。本当に護憲政党なのか。元共産党幹部がその実態を明かす
著者は共産党員として参議院議員を務め、党の要職を歴任しナンバー4にまで登りつめた人物。セクハラ事件で議員辞職、離党してからは、保守派に転じている
本書では安保法案の「戦争法」「憲法違反」と批判する日本共産党が、過去に憲法や外交政策でどういうスタンスを取ってきたかが俎上に載せている
戦前の共産党は1930年代には壊滅状態となり、1945年の敗戦ともに再結成されたが、ソ連のスターリンの影響下にあり世界党である共産党の日本支部という扱いだった
平和憲法=日本国憲法制定の際には、「天皇制の存続」「自衛戦争の放棄」を理由に反対票を投じていて、朝鮮戦争が勃発した50年代にはソ連のコミンフォルムから武力闘争が求められ、四分五裂の状態に陥っている。70年代に党勢を回復させてからも、被爆国でありながら社会主義の核は正義としたり、冷戦が終わってからの「ソ連の覇権主義」を批判するなど、一般大衆からは非常識あるいは周回遅れ過ぎる対応を繰り返してきた
前衛政党と称しながらも、その時の政情を意識して野党として生き残るべく、綱領を共産主義との建前の間で変化させ続ける政党なのである

最近、連合赤軍の映画やマンガを読んでいる管理人からすると、新左翼に与えた影響が気になる
なぜ、連合赤軍は山に籠もったのか。その元は毛沢東の中国が日本共産党に押しつつけてきた人民戦争方式である
野坂参三は当初、平和憲法下の社会主義革命を唱えたが、コミンフォルムに非難され徳田球一ともに政策変更。GHQの公職追放後に、両者は中国に亡命して「北京機関」を設立し、日本に武力闘争路線を輸出しようとした
そして、1951年10月に第五回全国協議会(五全協)において、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」と綱領を定めた(現在の日本共産党は「綱領」と認めていないが)

そして、同時に「軍事方針」なるものを五全協は採択している。
「占領制度を除き、吉田政府を倒す闘いには、敵の武装勢力から味方を守り、敵を倒す手段が必要である。この手段は、われわれが軍事組織をつくり武装し、行動する以外にない」
(中略)
「われわれの軍事的な目的は、労働者と農民のパルチザン部隊の総反攻と、これと結合した、労働者階級の武装蜂起によって、敵の兵力を打ち倒すことである」
「大衆闘争の発展と軍事的勝利の蓄積ののちには、山岳地帯に根拠地をつくることができるだろう」

 要は、農村部でのゲリラ戦など、中国革命方式の武装闘争を行うことを規定しているのだ。……(p65‐66)

当時は朝鮮戦争が勃発しており、コミンフォルムは日本での後方撹乱を日本共産党に課したと考えられる。これによって50年代の同党は、路線対立と世論の批判を浴びて大きく党勢を後退させた

1960年代、ベトナム戦争が激化する中、1966年に日本共産党は宮本顕二書記長を団長とする代表団北朝鮮中国に派遣した
中国側は中ソ対立から、アメリカと同時にソ連を共通の敵とする立場を求めたが、ソ連が北ベトナムを支援している関係から代表団は拒否。毛沢東は日本共産党を「宮本修正主義集団」と規定し、日本の革命運動へ毛思想の絶対化を広めようとした
再び来た人民闘争路線の浸透に、日本共産党内部のみならず、各層に大きな影響を与える。共産主義者同盟(ブント)の国会突入において樺美智子の死を英雄として人民日報は持ち上げ、1970年の「よど号ハイジャック事件」を周恩来が称賛した
当時の日本のマスメディアは、朝日から読売まで文化大革命を評価する論陣が張られていた(司馬遼太郎すら巻き込まれている→『長安から北京へ』
そうした毛ブームの中で、一番ガチに思える人民戦争路線を突っ走る連中が現れるのは分からなくはない。今からすれば、「どうしてこうなった」と思える連合赤軍事件も、こうした社会的背景があったのだ
ちなみに、ニクソン訪中を機に中共は大きく外交政策を変更させ、自民党との接近をはかり、周恩来は「日本にとって日米安保条約は、非常に大事です。堅持するのが当然」と言い切ったそうだ。これが政治である


関連記事 『長安から北京へ』
     【DVD】『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』
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『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 2』 オリバー・ストーン&ピーター・カズニック

誰が核戦争を止めたのか


オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 2: ケネディと世界存亡の危機 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
オリバー・ ストーン ピーター・ カズニック
早川書房
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冷戦時代、アメリカはいかに世界に対して来たか。その帝国主義を厳しく指弾する
2012年にアメリカで製作されたドキュメント番組の関連本。番組は50分を10本に分けて放映されたらしく、『映像の世紀』ばりの大作だったようだ
本書では、第二次世界大戦後、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソンの五人の大統領と世界政策を取り上げる
ソ連は独ソ戦との傷跡により、アメリカと対峙する国力など到底なかったが、その政治宣伝とアメリカ国内のスパイの存在に過剰反応し、核保有の優位が生きるうちにとアメリカは自ら冷戦へひた走っていく。実際のスターリンは一国社会主義が基調で、ソ連防衛のために衛星国は作るものの、世界革命など意識していなかった
ミサイル・ギャップに代表されるソ連への誤解から、過剰な核兵器の開発、ドミノ理論による第三世界への介入に及び、冷戦を前提にした軍産複合体が膨張していく。そして、その動きを最高権力者すら止めることはできず、ダラスの悲劇、ベトナム戦争を招くこととなる

核保有の優位をもってソ連に対抗するトルーマンの政策は、アイゼンハワー政権へも引き継がれていく
退任後の演説で「軍産複合体」の存在を告発したアイゼンハワーからは意外だが、彼とジョン・フォスター・ダレス国務長官のもとで核兵器と介入主義の冷戦政策が展開されるのだ
ただしソ連をはるかに上回る核戦力の整備は、軍産複合体に煽られたというわけではなく、むしろ膨れ上がる軍事費を押さえ込むためのものだった。費用対効果で選択されたというのが、いかにもアメリカらしい
水素爆弾の実験は推進され、1954年にビキニ環礁による実験で、日本の第五福竜丸が被爆することとなる。そして、高まる日本の反原子力運動を鎮めるべく、「原子力の平和利用」と称して日本への原子力発電が推進されていく
アイゼンハワー政権下のCIAは1953年、石油産業の国有化をはかるイランのモザデク政権の転覆に乗り出した。民主的な選挙で当選したモハンマド・モザデクは、国内の油田を独占するイギリスの石油会社「アングロ・イラニアン石油会社」から利権を奪い返したが、既得権益を保ちたい欧米との対立からソ連へと接近したのだ
アメリカは前皇帝の皇子を推し、世襲の独裁体制を復活させた。モザデクは自殺したが国民の人気は根強く、後年のイスラム革命のさいにその写真が掲げられた。イランの反米感情はこのときに植えつけられたのだ
アイゼンハワー政権下での副大統領が、後の大統領リチャード・ニクソンである

ケネディもまた当初は、アイゼンハワーの冷戦政策を引き継いだ。就任以前には、フルシチョフとの雪解けを妥協的と批判しさえしていた
ベトナムへは軍事顧問団を送り、ソ連へ近づくキューバの革命政権に対してはカストロ暗殺計画まで立てた
しかしキューバ危機を通じて核戦争の危険を体験し、フルシチョフとの間に生まれた信頼関係から、ソ連との共存路線と冷戦政策の転換を決意する。本書で描かれるケネディは、監督の作品『JFK』へとつながり、もし彼が暗殺されなければと考えさせられるものだ
ベトナム戦争を終結に導き、伝記映画まで作ったニクソンへの評価は辛い。ニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官を、「狂人」と「サイコパス」のコンビに喩える
ニクソンはベトナムからの「名誉ある撤退」を果たすべく、北ベトナムへの北爆を続け、カンボジア、ラオスへと戦線を拡大した。これによりカンボジアではクメール・ルージュが伸張し、世紀の大虐殺を起こすこととなる。ニクソン政権が中国へ接近した際には、ポル・ポト政権とも友好関係を保ち、タイの外相にキッシンジャーは「われわれは友人だとカンボジアに伝えてくれ。たしかに人殺しのろくでもない連中だが、それが障害にはならない」とブラックジョークのようなコメントを残している
ニクソン政権はインドネシアのスカルノ政権、チリのアジェンデ政権へのクーデターにゴーサインを出し、アメリカの大企業を守る軍事独裁政権を樹立した。アメリカの帝国主義、ここに極まれりである
『皇帝のいない8月』という映画は、軍国主義の自衛隊に対しCIAが後援する筋なのだが、時代的に単なるフィクションに収まらない話だったと気づかされた。けっこう、洒落にならん……


前巻 『オリバー・ストーンの語るもうひとつのアメリカ史 1』

関連記事 【DVD】『ニクソン』
     【DVD】『皇帝のいない8月』

オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史DVD-BOX
角川書店 (2013-12-20)
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『悪の論理 地政学とは何か』 倉前盛通

かつてのベストセラーだって


悪の論理―地政学とは何か (角川文庫 白 267-1)
倉前 盛通
角川書店
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久々に地雷を読んでしまったかと思ったが……
地政学、地理的政治学とは、地理的な位置関係が国際政治に与える影響を研究する学問のこと。歴史的には時の政権の外交政策に追随して保証を与える側面があり、戦争の遠因にもなった
本書はそんな悪名高き学問を国際政治の常識として啓蒙しようというものながら、脇道があまりに多すぎる! マハンの海上権力史論から始まって、マリアナ沖海戦など太平洋戦争の解説に入り、地政学と直接関係ない海外情勢の薀蓄へと向かってしまう
その薀蓄も特に引用先が明示されないものが多いので与太話の域を出ず、アメリカの「影の権力者」を持ち出すなど陰謀論めいたオチもある
初出が1977年と冷戦たけなわであり、ネットもない時代。事情通(?)から得た限られた情報を手探りで推測していく他なかったのだろう
バブル前でロッキード事件が世間に取りざたされている頃の代物であり、今となっては懐かしい落合信彦的な語り口で冷戦時代の想像力が良くも悪くも堪能できる

いちおう、地政学のことにも触れているので収穫はあった
著者が地政学の先駆者として、アメリカのアルフレッド・セイヤー・マハンを挙げている。秋山真之も師事したマハンは『海上権力史論』によって、シー・パワー(Sea Power)が大国の覇権を決定ずけたことを証明し、アメリカが海洋大国になるために大海軍と海外基地の獲得、パナマ運河、ハワイ併合の四条件を掲げた
マハンの戦略そのままに、アメリカの帝国主義は展開され、今日に到っている
対する日本は第一次大戦に連合国として参戦し、ミクロネシアを得たことでアメリカのグアムやフィリピンを包囲することとなり、著者は日米対決の遠因が作られたとする
こうしたシーパワー重視の地政学に対し、イギリスのハルフォード・マッキンダーはドイツを警戒してハートランド論を展開した。歴史をシー・パワーとランド・パワー(Land Power)の衝突と説くマッキンダーは、海軍国の軍艦が遡行できない地域をハートランドと命名し、ランド・パワーの聖地とした。具体的にはユーラシア大陸中央部で、直接的にはロシアそのものといえる。かつて、ハートランドの遊牧民はユーラシア大陸の過半を制圧し、モンゴル帝国を築いている
マッキンダーはドイツによるハートランド制圧を恐れたが、現実にはソ連が「ハートランド論」を忠実に信奉して世界戦略を展開した。不毛とも思えるシベリア開発アフガンへの介入も「ハートランド信仰」ゆえなのだ

マッキンダーが警戒したドイツにも、地政学が発達する。フリードリッヒ・ラッツェルは、国家はひとつの生命体に喩えその国力に応じて成長するものとし、生存圏」(レーベンスラウム)という概念を持ち出した
スウェーデンのルドルフ・チェーレンは大陸国家の優勢を訴え、国家は自給自足(アウタルキー)を不可欠とした。チェーレンが初めて「ゲオポリティック」という名称を用い出したという
こうした研究を受けてドイツのカール・ハウスホーファーは、第一次世界大戦の敗因を分析し、「地政学会」を立ち上げる。ハウスホーファーの理論は、副官のルドルフ・ヘスがナチスの副総裁となったようにヒトラーの戦略に影響を与え、日本の「大東亜共栄圏」にも関係している。ハウスホーファーは、世界を四つの地域、「パン・アメリカ」「ユーロ・アフリカ」「パン・ロシア」「パン・アジア」に分かれる「統合地域論」を唱えており、松岡洋右の日独伊ソ四国同盟構想はこうした世界観によった
著者は海洋国家の本分を忘れ、ドイツ系の大陸地政学に酔ったのが日本の失敗としている

冷戦後には、従来の地政学を訂正する動きが起きる
アメリカの地政学者ニコラス・スパイクマンは、マッキンダーのハートランド編重を批判し、むしろその周辺地域(リムランド)を政治・経済・文化の先進地域が集まっているとして重視する
海軍の時代ならともかくも、航空機とミサイル技術の発達で、ハートランドは大陸国家の聖域とは言えなくなったのだ
また米ソが大陸間弾道ミサイルと原潜を持ち合ったことで、緩衝地帯だった北極海が隠れた激戦地に早変わり。ハンス・W・ワイガードは「極中心論」を掲げ、メルカトール図でははない極中心の世界地図で米ソ欧州を包む新・ハートランドを掲げた
とここまで観たところ、地政学は結局、超大国の陣取り合戦攻略本である。しかも大国のエゴを満たすように論理づけているだけに過ぎず、それを鵜呑みにした大国も破滅に到っている
著者も日本に地政学を取り戻そうというより、題名どおり「悪の論理」と認めており、国際社会に立ち向かうために大国の「悪の論理」を理解することの必要性を訴えている


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『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 1』 オリバー・ストーン&ピーター・カズニック

米帝さまの始まり


オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1: 2つの世界大戦と原爆投下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
オリバー・ ストーン ピーター・ カズニック
早川書房
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アメリカはいつ、共和国から帝国の道を歩んだのか。『プラトーン』のオリバー・ストーン監督が語るアメリカの黒歴史
2012年にアメリカで放映された同名のドキュメンタリー番組と関連していて、50分番組では語りきれなかった多くのエピソードが盛り込まれているようだ
第1巻は、米西戦争から始まるアメリカ帝国主義の黎明期から、第一次世界大戦への参戦、ニューディール、第二次世界大戦と原爆投下まで
19世紀から振り返るので、独立戦争から西部へ拡張、ネイティブアメリカンとの闘争、南北戦争については触れられていないが、「自明の運命」(マニフェスト・ディステニー)の名のもとに膨張主義が肯定されたことを批判されている
第一次大戦ではJ・P・モルガンが戦時国債を取り立てるためにドイツへの賠償金を盛ったことや、戦間期にはアメリカ企業がこぞってナチス・ドイツに関連会社を作って利益を上げていたことが指摘され、第二次世界大戦はアメリカの自演で起こったかのごとし
こうしたエピソードは、今年に流れているNHK『新・映像の世紀』にもそのまま取り上げられていたので、直接影響を受けているのかもしれない(本書のドキュメンタリー番組も、2013年にBSで流されている)
誤解のないように書いておくと、本書はあくまでアメリカの「歴史の闇」に絞って記されたもの。監督いわく、栄光や善行を称えるものは巷に溢れているので、そうした部分は丁寧に省いただけで、アンバランスを意図したものと心得るべきだ

驚愕の新事実が並ぶというより、知る人ぞ知るネタがまとめられている印象だ
モンロー主義を標榜した時代から、合衆国は同じアメリカ大陸へは容赦ない介入を繰り返している。コロンビアパナマを譲らないから独立運動を焚き付けるのはその典型で、独立後にその国益のために大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河を築いている
独立性の高い政権が生まれると、軍艦を派遣して転覆させ親米政権を打ち立てる。『トロピコ』というSLGゲームでは、アメリカに逆らうと海兵隊が送られてゲームオーバーとなるが、リアルでそういった歴史が繰り広げられていたのだ
キューバのカストロがソ連に転んだのは、ゲーム的に正しい決断だったといえる(苦笑)
フィリピンにおいては民族主義のアギナルド政権が粉砕されていて、独立は太平洋戦争終結を待たねばならなかった

管理人として目新しかったのは、ニューディールと共産主義の関係
ルーズベルト自身は主義者ではなく、使えるものは何でも使う実践家であり、ニューディールはいろんな政策がごちゃまぜになったものだった
雇用安定のために大胆な公共事業、農作物の価格安定のための作物制限など、アメリカ伝統の自由主義に反する政策が取られていて、行き過ぎた資本主義を非難する立場からオリバー・ストーンもニューディールを評価している
ニューディールの後押しとなったのは、ソ連の計画経済が大恐慌の影響を受けずに成功しているとされたことで、危険視されていた社会主義の運動は全国で過熱し、アメリカ共産党も二大政党の間で票を伸ばしていた
スターリン体制下での粛清が明らかにされたこと、第二次大戦の直前で独ソ不可侵条約が結ばれたことで、この空気は一変するものの、独ソ戦が始まると再び親ソ感情が醸成されることとなる

ルーズベルト政権下では、第一次世界大戦に始まる軍産複合体を指弾する動きもあった
ジェラルド・ナイ上院議員らは1934年から、戦争の口実に莫大な利益を上げる企業グループが存在し、そうした企業活動が次の戦争を呼ぶと公聴会で非難した
こうした「死の商人」を撲滅するために軍事産業の国有化と戦時所得税の大幅引き上げを叫んだが、屑鉄や綿すら軍事物資になる現実から線引きが難しいと政府はぼかしてしまう
「死の商人」を規制する法律は作られた反面、その良識的な行動がナチス・ドイツが暴れる非常時には裏目となり、厭戦気分を強めて参戦を遅らせることにもなったから皮肉だ
そのためにルーズベルト政権は、旧式の駆逐艦をイギリスへ譲渡することさえ、議会で非難されてしまうのだった
ともあれ、こうしたチェック機能が働くのがアメリカの民主主義の伝統といえよう

日本人にとって重要なのは、原爆投下の顛末だろう
結論を言うと、日本を降伏させるには必要なかった。現場の司令官も政治家も1945年時点でアメリカに抵抗する力を失っていることは明白だった
日本の降伏要件でネックとなっていたのは、「無条件降伏」という文言で、日本側にとっては天皇制の廃止を意味していた。当時の日本人にとって受け入れられる内容ではなく、アメリカ政府もそれを理解していた
結局、日本の天皇制を存続させたのに、なぜポツダム宣言に盛り込まれなかったのか
本書ではまさに原爆を落とすためであるという。ヤルタ会談(1945年2月)においてドイツ降伏後の三ヶ月後にソ連の対日参戦が約束されたが、1945年7月にアラモゴードで原子爆弾の実験が成功する
ソ連の参戦が前倒しで8月にあるとされ、米軍の本土侵攻作戦は11月を予定されていた
このままではアジアがソ連の勢力圏となると考えたトルーマン政権は、ソ連への牽制をかけて原爆の使用を決行したのだ
マッカーサーやアイゼンハワーはじめとする軍人たちは軍事的に必要と認めず、戦後の調査でも日本が降伏を決断した要因にはソ連参戦が強かった
降伏要件で国体護持を不明瞭したのは、降伏されてしまうと原爆が落とせないという打算からなのだ
アメリカ人にこうもはっきり語られたのは、薄々分かっていたことでもショックである


次巻 『オリバー・ストーンの語るもうひとつのアメリカ史 2』

オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史DVD-BOX
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『危機の二十年』 E・H・カー

Gレコの参考書と聞いて


危機の二十年――理想と現実 (岩波文庫)
E.H.カー
岩波書店
売り上げランキング: 147,643


どうして第二次世界大戦は防げなかったのか? 国際政治学の大家が戦間期の思想を分析し、その原因を時代を遡って探求する
著者は『ロシア革命史』E・H・カー。深刻化する国際情勢のなかで書き上げ、くしくも校正中にドイツのポーランド侵攻を聞いたという
国際政治学という分野は、第一次世界大戦後にその再発を防ぐために誕生したといえ、その歴史の浅さから戦間期ではユートピアン(理想主義者)が中心となっていた。それはあらゆる歴史の始まりにおいてやも得ないことだが、本書ではそれを精錬させるため、具体的な力(オパワー)を重視するリアリスト(現実主義者)の立場から批判していく
しかし、著者はリアリスト一辺倒でも限界があるとする。純粋なリアリズムは、現状を追認して流されるだけになるし、何の流れを生みはしない。またリアリズムを唱えるユートピアへの批判者もまた、マルクスしかりナチスしかりある種のユートピアを帯びてしまう
人間が理想に惹かれて動く以上、ユートピア思想も現実に影響を及ぼすわけで、ユートピアンとリアリストはコインの裏表。双方を行きかうことで、平和への知恵が生まれるはずなのだ

どうして戦間期に、「理性による調和」を期待する心性が生まれたのか
著者はその源を、19世紀の自由主義に見る
『国富論』のアダム・スミスが体系化したレッセフェール(自由放任)の経済は、大英帝国の海軍力に支えれたものだった。自由貿易は、本国の工場へ植民地から安価な原料が送られ、割高な工業製品が各国へ吐き出される体制を固定化する性質を持った
政治面では、「最大多数個人の最大幸福」ベンサムの功利主義が浸透する。道義と欲望を対置せず、一人が己の利得を追うことが社会全体の利益にもなる思想は、アダム・スミスに通じるものもあり、議会制民主主義の支柱となった
19世紀の自由主義とは、いわば強者が現状維持を正当化するものでもあったのだ
植民地のナショナリズム、他の列強の台頭により自由主義が動揺してくると、ダーウィンの『進化論』から「適者生存」の法則を引き出し、経済・社会において「弱者を犠牲にしての強者の生存」が正当化される動きが出だす
とはいえ、人間それぞれの理性によって利益が調和されるという自由主義の伝統は残り、戦間期の前半では支配的だった

後半に論じられるのは、国際社会で法や道義が意味をもつのかどうか
世界大戦の再発を防ぐべく生まれた国際連盟パリ不戦条約などは、「理性による調和」を前提として、「国際世論」によって戦争を抑止されるとしていた
しかし、現実的に国家を拘束できる権力は国家のみであり、国家はその構成員のために活動するのであって、国家が利他的に行動できるのは余裕がある場合に限られる
そして、国家間の約束である条約ですら、「結ばれたときの環境が守られるに限り」という暗黙の前提があり、状況が変われば国益のために破ることも当然と見なされていた
実際の条約はその国家間の力関係によって成立するものであり、例えばヴェルサイユ条約は瀕死のドイツと連合国の間で結ばれていたわけで、著者はドイツ側がそれを訂正するのは当然の現象であるとする
すべての条約、法が不変であるべきとすれば、アメリカ独立戦争などの革命はどう捉えるというのか、というのだ

1920年代の国際秩序は、「ある者にとっての福利は全体の福利であり、経済的に正しいことは道義的にも悪くない」という19世紀の残滓であり、著者は空虚とすら言う
ならば望まれる国際秩序とは何か。道義や法が人や国家に影響を及ぼす以上、無意味ではないが、国際社会が「力」の原則で動くことを理解しなければ始まらない
著者は具体的な展望として、パックス・ブリタニカから、アメリカ・イギリスのアングロ・サクソン間の同盟「大西洋憲章」へと、アメリカ中心の国際秩序を正確に予見していた
日本の戦後における反戦運動、「何でも対話で解決できるはずの」平和主義は、本書で批判される戦間期のユートピア思想そのままである。安保法制とその反対運動にしても、90年前の思想的状況が、暢気にも保存されているかのようだ
本書からユートピア的平和主義の欠落を学び、次代へのヒントを探していいのではないだろうか
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