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『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 3』 オリバー・ストーン&ピーター・カズニック

前巻を読んだ時から、7年以上経っていた(苦笑)




2012年に制作されたオリバー・ストーンのドキュメント番組のブック版
最終巻はニクソン失脚で跡を継いだフォード政権から、カーター、レーガン、パブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ)、クリントン、ブッシュ、そして刊行当時のオバマ政権1期目までを扱う
本書でも半世紀近く扱うなか、政権交代が続いても、アメリカの介入主義は変わらない
世界に自由を広める民主主義の擁護者」という看板をつけつつも、ソ連への対抗を名目に、右派の独裁政権を支援して、ときには民主的な政権を倒して、中南米や中東の覇権を維持し続けた
冷戦後もその路線は続き、湾岸戦争→アフガン戦争→イラク戦争と決して、正義を振りかざしながら、容認しがたい犠牲を生み出していくのも、変わらぬ悪しき伝統からなのだ


1.フォード政権下でネオコン台頭

ウォーターゲート事件後に副大統領から昇格したフォードは、清廉な人柄から高い評価を受けているが、本書では辛口
ニクソン体制の後継であるために、国務長官キッシンジャーが残り、彼とともにインドネシアのスハルトと接触、東ティモールの左翼政権への侵攻を容認した。インドネシア軍の侵攻により、10~20万人が亡くなったとも言われる
また、1975年ハロウィーンに人事が刷新され、首席補佐官のラムズフェルドが国防長官次の首席補佐官にディック・チェイニー後のネオコン組が起用されている


2.中東への介入を始めたカーター政権

1976年の大統領選でフォードを破ったカーターは、後にノーベル平和賞を受けるなど「人権外交」のイメージがあるが、本書によればハトを装ったタカ
超タカ派である補佐官ズビクネフ・ブレジンスキーに引きづられ、イランのイスラム革命では決定的な判断ミスをする。革命派の実態を理解せず、無神論のソ連との接近を恐れて国王側を支持。ついには、大使館占拠事件を招いて、かつ救出作戦にも失敗してしまう
これは石油価格を左右するペルシャ湾をアメリカの権益として軍事介入も辞さないという「カーター・ドクトリン、共和党の伝統戦略となる
虐殺を知りながら、ベトナム封じ込めのためにカンボジアへ接近して、ポル・ポト政権の代表権を承認している


3.スターウォーズ計画の計算

強硬路線で冷戦を終わらせたレーガンについては、よく悪くもイメージどおり
アメリカのお膝元に共産主義の侵入を許さないと、中南米各地で右翼クーデターを画策グレナダパナマへは軍事侵攻までする
イラン・イラク戦争では、フセインのイラクを支援しつつも、大使館の人質開放を巡ってニカラグアの軍事組織からイランへ武器輸出など(イラン・コントラ事件)を行うなど戦争を長期化するムーヴをとっている
ソ連のアフガン侵攻ムジャヒディンを支援するためにも、イランの協力が必要だったのだ

そして、ミサイル防衛構想の走りと言われるスターウォーズ計画については、相手の大規模先制攻撃にはまず防げない無用の長物と思われたが、こちらが先制攻撃したあとの相手の限定的な反撃には有効という
つまり、相手からすると“ミサイル防衛力の強化”は、核の先制使用を匂わせるものとなる、かなり高圧的な戦略なのだ
相手に無茶な核戦略をとらせて経済的に破綻させるのが、レーガン政権の狙いであったが、実際に冷戦終結が早まったのはゴルバチョフの英断としている

21世紀の中露が、迎撃不可能な亜音速弾道ミサイルの開発に走ったのは、ミサイル防衛への対応といえる


4.オバマ政権の実態

アフガン戦争→イラク戦争を起こしたブッシュ政権については、巷間に語られ尽くしたとおり、そらそうよの内容
むしろ、手厳しいのはオバマ大統領への評価
金融危機の反省から、格差問題が明るみに出たが、公的資金を投じたところにも厳しい責任を取らせない。大衆には大企業の重役を批判しつつ、富裕層にはおべんちゃらを並べるという八方美人ぶりが指摘されている

また、アフガン戦争、イラク戦争への後始末も、米兵の命を守るためにドローン攻撃へと偏重。その精度の低さから、数人のテロリストを狙うために百人以上の誤爆が出るという有様となった
支援したアフガンやイラクの政権は、世界でも有数の腐敗した政権となり、特にアフガンのカルザイ政権は、大統領の弟が麻薬王で名をはせるなど、21世紀の満州国かという実態があった
タリバン崩壊後に、麻薬の流通が40倍に増え、国民経済の50%以上を支える状況に陥った。その他、北部同盟の軍閥には、少年を性奴隷として囲う習慣があり、タリバン以上に問題を抱えていたのである
その上、軍隊は年間に30%が脱走するという崩壊状態であり、アメリカ軍撤退ともに崩壊するという、南ベトナムを超える失敗国家に終わったのであった


本書は政治の世界の裏側に焦点を合わせた、アメリカの闇のみを追求したものである。政治の裏など、どこの国でもろくなものではない
その自国でしか通用しない政治論理で、海外展開してしまうと悲劇を招くということなのだ
オリヴァー・ストーンも自分の国を悪く思いたいわけではなく、オバマ政権も2期目には反省するだろう、という本書の基調に反して、甘い期待を寄せている
トランプ政権の顛末、ロングインタビューしたプーチン大統領のウクライナ侵攻などを経た、今の世界をどう思っていることだろう

日本に関しては、最終巻でほとんど触れていないが、オバマ政権民主党の鳩山政権による沖縄基地見直しに反発して内閣が崩壊し、次の菅政権が反省してアメリカに追随した対中戦略重視、F-35ステルス戦闘機の購入を決めたとしている
日本もまた、政権交代で変わらないものがあるのだ


前巻 『オリバー・ストーンの語る もうひとつのアメリカ史 2』



『ベスト&ブライテスト』 下巻 デイヴィッド・ハルバースタム

前巻を読んだのが、4年以上前とか




ベトナムの泥沼化を招いた指導者層の決断を描くレポートの最終巻
タイトルからして反戦運動に話が移ると思いきや、続いてジョンソン政権の文官、軍人の動きを追うものだった。"賢者”たちの判断がテーマなのだ
ジョンソン政権はダラスの暗殺後に成立したこともあって、ケネディ政権の主要な閣僚、国防長官ロバート・マクナマラ、国務長官ディーン・ラスク、国務次官ジョージ・ポール、大統領補佐官ジョージ・バンディが留任し、引き続いてベトナム問題の解決に取り組んだ
下巻では、ケネディ時代から始まった軍事顧問団の派遣が、北ベトナムへの大規模な空爆と戦闘部隊の派兵へ拡大した責任を明らかにしていく


1.「偉大な社会」とベトナム介入の葛藤

リンドン・ジョンソン大統領は、フランクリン・ルーズベルトら過去の大政治家たちを意識しており、公民権の拡大と貧困の撲滅を目指した「偉大な社会」をスローガンに掲げていた
ケネディから引き継いだ"賢者”たち、東部のエスタブリッシュメントたちとは違い、テキサスの田舎者というコンプレックス(実際には政治家の息子だが)を持っていて、閣僚と折り合いが良かったわけでもない
彼にとっての第一目標は、政治家としての事績を残すための「偉大な社会」の実現であり、ベトナム戦争は予算的にも脚を引っ張る存在といえた
しかし党内の保守派として、反共の姿勢を崩すわけにもいかず、あくまで戦争の予算規模を限定して、"サラミ”を薄く切るように介入の規模を徐々に拡大していくことにする
こうすることで、予算と議会のリソースを戦争にとられることなく、「偉大な社会」のための法案を通すことができた
が、これには膨大な軍事支出を議会へ隠すことを伴い、経済のインフレ要因となって国民生活に影響を及ぼすこととなった


2.賢者たちに欠けたモラル

北ベトナムへの空爆、いわゆる北爆の決断は、大規模な派兵をせずに相手に音を上げさせる、費用対効果から導き出された。そもそも空軍無敵論=ニュールックは、核兵器と空軍重視で軍縮を狙った政策から生まれている
しかし、北爆はさらなる北ベトナム軍の南下を呼び、さらなる戦闘部隊の投入を必要とした。ベトナム社会の高い出生率は年間10万人の兵士を新たに動員できて、結局は数十万規模の派兵で対抗せざる得なかった
その大軍の派兵でも現地のウェストモーランド将軍は5年以上の長期戦を予想していたが、ワシントンの政権は数年、次の大統領選挙までにメドをつけるつもりで決断していて、それぞれの観測に重大な齟齬が生じていた
どうして、こうなったのか?
著者は自身ですら1963年までそうだったと告白したうえで、アメリカが建国以来不敗であり、自らの力で不可能なことはないとする圧倒的な自信と傲慢さから来たとする
また“賢者”たちは頭は良くても、道義やモラルに乏しく、政権内に残るために保身を優先して必要な施策を曲げてしまう
人間として政治家として、何をしてはいけないか、それが欠けているから、皮算用で人の上に爆弾を落とせるのだ
当代、最高の頭脳と評された人々でも斯くの如し
今の日本でも、薄い“インテリ”は毎度メディアをにぎわせていて、下手すりゃ国政に影響を与えたりするので、騙されないように気をつけたいもんである


*23’4/5 加筆修正


前巻 『ベスト&ブライテスト』 中巻

『スペイン内戦 政治と人間の未完のドラマ』 川成洋

ゲーム三昧で読書がががが



スペイン内戦でなぜ、若者たちは戦場へ行ったのか。国際旅団の志と内戦の実態を描く

ゲーム分室でこっそり『HOI4』も始めたので
スペイン内戦1936年に軍部を中心とする保守派のクーデターから始まり、民主主義対ファシズムの前哨戦として知られる。本書は作家ヘミングウェイやジョージ・オーウェルなども参加した義勇兵の「国際旅団に特に焦点をあて、寄り添う形で内戦を展望していく
国際旅団はコミンテルンの「人民戦線、共産主義者だけでは手薄なので、違う理念の集団を包括する組織を受け皿に用意する戦略が大きく影響していて、様々な国の人々、アナーキスト・共産主義者(ソ連派・反スターリン派)・自由主義者が集められていた
著者が国際旅団に熱い視線を向けるのは、おそらく青春時代の学生運動と通じるものがあって、それぞれ違う志向をもつ者たちがひとつの目的のために団結し青春を捧げるという光景に既視感か羨望を感じるからだろう
しかし、国際旅団はその活躍が報われることはなく、悲惨な顛末をたどる


1.日本人唯一の義勇兵、ジャック白井

日本人として知って良かったのは、一人はジャック白井という、日本人唯一の義勇兵。北海道生まれの彼はアメリカに渡って、ニューヨークで料理人として生計を立てる。そして、共産主義のサークルに関わり、最初の義勇兵第一波でスペインへ渡った
しかし、ブルネテの戦い(1937年7月)で戦死。アメリカでは無口だったが、スペインでの彼は子供好きで戦友たちにも好印象だったようだ
そして、もう一人の日本人がスペイン公使付武官の守屋精爾中佐日本は1937年1月にスペイン共和国と断交し、フランコの叛乱軍を正式政府として承認。観戦武官から作戦武官に格上げした守屋は、ドイツが第二次大戦で得意戦法とした「電撃戦(ブリッツクリーク)を採用に関わり、叛乱軍の攻勢を成功させてオペラチーンデ・モリヤ(守屋作戦)と呼ばれたという
この戦果を讃えられて、日本は鹵獲されたソ連製兵器を無償で持ち帰れたとか。後の枢軸陣営入り、日独伊三国軍事同盟の布石がここで打たれていたのである


2.ソ連共産党の指導

スペイン内戦で共和国を支援するのが、ソ連のみという情勢で、共産党が少数派にも関わらず主導権を握るという、歪な体制が内戦を不利にしていく。雑多な「国際旅団」を指揮したのは、ソ連赤軍の将校であり共産党の政治委員だった
イギリス、フランスは先進国同士の衝突を嫌ったことから、スペインへの他国の介入を防ぐ「不干渉委員会」で独伊の言いなり。当初は義勇兵を快く送り出したものの、注文がつくと国境を閉ざし、厳しいピレネー山脈を越えねばならなくなる
それでいて、独伊は委員会のことなど無視して、支援するのだから差はつくばかりだ。そもそもフランコの叛乱軍本隊海軍が共和国派であったから、モロッコからスペイン本土で渡れなかったのだが、独伊の航空輸送で本土の作戦を展開しえたのだ

素人の国際旅団は戦場で初めて銃をもつ状況で、健闘するも常に多大な戦傷者を出す。叛乱軍の攻勢を前に国外からの補充すらままならなくなると、「国際旅団」なのに現地の新兵が多くを占めるようになった
この実態をもって、1938年10月に国際旅団は解散となる。表向きは独伊の干渉を和らげる意味はあったが、実際にはソ連がドイツに接近する外交政策の転換があった


スペイン共和国と国際旅団は世界から見捨てられる形で終わったが、フランコ体制が終わり民主主義が根付いた今は、それが高い評価を受けている。初出の1992年にはまだ、内戦を戦った兵士たちが生きていて、華々しいパレードも行われたようだ
本書は純粋な研究書ではないし、共和派に肩入れして共産主義に甘い部分はあるのだが、「国際旅団」の立志伝として語り継ぐ役目を果たしている


*23’4/12 加筆修正

関連記事 パソコンを買い替えたので、『Hearts of Iron4』をやってみた



『ポル・ポト<革命>史』 山田寛

現在のカンボジア政府にも元ポル・ポト派の人間が…



なぜポル・ポト政権は歴史に残る大虐殺を起こしたのか。リアルタイムで取材し続けた記者がその悲劇の実像に迫る

ポル・ポト政権(「民主カンボジア」)は、1975年から1979年までカンボジアを統治し、政策的な大量虐殺で人口の33%を死に追いやったといわれる
本書ではポル・ポトをはじめとする指導者層の来歴に、第二次大戦後のカンボジアの情勢に触れ、苛烈な内戦を経て過激化していく過程を描いている
革命の指導者が労働者というより、ブルジョアに近いというのはよくある話だが、ポル・ポトの場合はそれどころか王族に近い身分! 姉が国王の夫人の一人となり、兄も王家に関わるという名家に生まれていた
最高幹部もほぼそれに列する家柄であり、貧農から這い上がったメンバーは登りつめずに粛清される側に回っている
そして、ポル・ポトたちはカンボジアの最高学府を卒業し、フランス留学、元教員とインテリの代表格だった。この肉体労働と無縁の身分が、農業の実態とかけ離れた政策につながったと考えられる


1.独裁者シアヌーク

驚かされたのは、ポル・ポト政権後に民主化のシンボルに祭り上げられていたシアヌーク国王が50年代まで独裁者として君臨していたこと
シアヌークは第二次大戦中に日本軍がフランスを追い出すと「独立宣言」を行い、日本の敗戦後には「フランス連合」内の独立を認められる
その際に、限定的な主権のもと、憲法制定、議会政治が許可され、王族の一人が民族独立、民主主義を掲げる「民主党」を結成した
しかし、1952年6月シアヌークが内閣を罷免して民主党を解散させ、全権力を握るクーデターを起こす。53年にフランスから完全独立を勝ち取ると、翼賛組織「人民社会主義共同体(サンクム)」を立ち上げて、議会の全議席を独占した
著者はこのシアヌーク翼賛体制が、民主主義の芽を摘み、ポル・ポト政権へのレールを敷いたとする

シアヌークはベトナム戦争が始まると、共産陣営について北ベトナムの共産軍の国内駐留・移動を認め、中国と友好不可侵条約を結び、アメリカと断交にまで及んだ
やがて共産軍の駐留が負担になってくると、アメリカに寝返り、国内の共産軍への爆撃を認めるようになる。この節操の無さに左右の政治勢力から信用を失い、CIAによるロン・ノル首相のクーデターを招くことになる
外遊中のシアヌークは文化大革命中の中国へ逃れ、ロン・ノル政権打倒のために統一戦線の傀儡となり、カンボジアはポル・ポト派(クメール・ルージュ)の手に落ちることとなる


2.数百万人の強制移住と新階級社会

ポル・ポト政権の地獄は、1975年1月のプノンペン陥落から始まった
数百万人の市民をすぐさま地方へ強制移住させ、病人や老人、子供にも容赦しなかった。移動中に死ぬ者も多く、軍人、役人はそれ以前に殺された
この政策には毛沢東主義の影響から都市生活を憎んだこともさることながら、ポル・ポト派が根拠地とした「解放区」に住んでいた農民を「基幹人民」とし、強制移住された人々を「新人民」と呼んで最下層とした。その間に「準完全市民」を置く三つの階層の階級社会では、「基幹人民」が「新人民」を使い捨ての奴隷として扱った
また、文革の紅衛兵にならって、「資本主義にまみれていない子供」を重用し、少年兵はおろか、こども看守による刑務所、こども医者による原始医療の導入は、さらに膨大な被害者を生むこととなった


3.諸外国のポル・ポト支援

そんなポル・ポト政権は統一したベトナムが介入するや、あっけなく崩壊するものの、タイ国境を中心にゲリラ勢力としてしぶとく生き残る
そうできたのが、大虐殺を知りつつも諸外国が後援したから。隣国のタイも、ポル・ポトを支援しベトナムへ懲罰の戦争まで起こした中国も、中国へ接近したアメリカベトナムの伸張を喜ばなかったからだ
そうした各国の相克が解けるのは80年代末で、ポル・ポトは裁かれることなく枕の上で死に、一部の幹部がかなり高齢になってから終身刑の判決を受けたにとどまるのだった
終章では、ポル・ポトたちが国民の「家族」関係を崩壊させようとした一方、自分の親戚に粛清が及ぼうとすると最大限介入する‟矛盾”を指摘。また幹部たちの葬式が「宗教」を根絶しようとしながら仏式だったことも、革命の敗北、無意味さの証とする


*23’4/13 加筆修正

関連記事 【DVD】『キリング・フィールド』

『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』 田原総一朗

『レッド 最後の60日間 そしてあさま山荘へ』の第4巻は、紙媒体ではプレミア価格
Kindle版で我慢すべきか



9.11同時多発テロを起こした青年たちに、日本のオウム真理教、連合赤軍を見た田原総一朗が悩める若者たちの足跡をたどる

普通の論者がこういうテーマを扱うと、何か共通点を見出して仮説を立てるというムーヴをとるもの
しかし、本書は違う。各章ごとに専門家との対談を載せ、考える素材をゴロンと転がしている。自身による締めの文章が1~2ページで寂しい気もするが、安易な結論に至らないのもひとつの見識だ
アルカイダとオウム真理教には宗教の名のもとでテロの肯定、アルカイダと連合赤軍には権力への武力蜂起、オウム真理教と連合赤軍には超越にいたるためのリンチ事件、とそれぞれ共通点は見いだせる
が、どれも違った時代、世界観を負っているのであって、知れば知るほど安易な法則は作れないのだ
著者は思想家でも作家でもない、かといって純粋なジャーナリストでもないけれど、関係者や専門家から真理を引き出すインタビュアーとしての能力が光る


1.アル・カーイダの貧窮待望論

本書が出版されたのは、2004年イラク戦争が終わって新政権を組織化する動きがあり、陸上自衛隊が初めて戦闘地域での活動をはじめ、日本人ジャーナリストが殺害されるなど、同地でのテロが盛んなっていた時期だ
対談では9.11の動機について、アルカイダが追いつめられて窮鼠猫を嚙んだのではという
アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンは、しっかりした思想の持主ではない
湾岸戦争の際に祖国サウジへ米軍が駐留していることを大義名分としつつも、アメリカとずぶずぶのサウジ政府を攻撃することはなかった
しかし、結局は祖国を追放されることになり、外国の拠点を転々とするうちに追いつめられたのではという

当然、彼が根拠とするコーランの引用などは、正統とはいえず、こじつに過ぎない
特に朝日新聞の編集委員・松本仁一が指摘するのは、かつての日本の革命運動が陥った「困窮待望論」に傾いた説。テロで治安が乱れるほど、世界中のムスリムへの風当りが強くなり、自派になびくのではないか、と
この論理は、のちのISとか世界各地の武装勢力にも適応できそうだ


2.オウムの論理と共産主義化

オウム真理教の殺人・テロ事件に関しては、「ヴァジラヤーナ」「マハームドラー」の教義。チベット仏教にはいろんな経典があり、その中から「ヴァジラヤーナ」が殺人を肯定する解釈を持ち出した
有名になった「ポア」は、死んだあとに魂が本来行く世界よりも、高い次元の世界に転生させる意味があり、殺人がその人の救済につながると加害者たちは信じた
「マハームドラー」修行のために師から弟子に出される難題で、感情的に乗れない殺人についても、それを乗り越えることで悟りに近づくと後押しした
ここらへんの論理は、連合赤軍の「共産主義化」と通じるものがある

厄介なのは、仏教ではカトリックのようなヒエラルキーがなく、あまりに教えが多様化し過ぎている。なにが正統で何が異端かという論争が発展しづらいのだ
オウムに集まった人々は社会に順応できない「引きこもり」の受け皿であり、教団のなかでも麻原との1対1の関係が基本で、横のつながりはもてなかった
キーになるのは、思考停止。麻原に帰依することで、信徒たちは自分で考えることをやめ悩みから解放され、思考を停止できない幹部は事件からは外されたという


3.連合赤軍事件の真相

連合赤軍に関しては、当事者である植垣康博、赤軍派の立ち上げメンバーの花園紀男、第二次ブント分裂で赤軍派と対立した三上治が対談相手に登場する
赤軍派はリーダー塩見孝也「前段階武装蜂起」をぶち上げるが、あとのことを考えていない
大菩薩峠で大量の逮捕者を出すと、海外に拠点を作る方針に転換。田宮高麿のよど号ハイジャック事件へとつながって、さらに塩見自身も逮捕され赤軍派は壊滅状態に追い込まれる
そんな赤軍を立て直すべく、革命左派との一体化を企画したのが、対談にでてくる花園紀男! ただし、山岳ベースをつくることには反対で、それがみずから孤立を招いたとする
逮捕された塩見のあとを任されたは、武装闘争をそらすために、そのための調練、「共産主義化」からの内ゲバを招いたとする
武装闘争にいかなったのは、物理的に無理だからで、塩見にしてもそれを表明しなかった。それを言えなかったために、「共産主義化」が持ち出された。花園は森こそ典型的な「日和見主義者」とする

三上治森に対する分析が鋭い。本来は気が弱く運動から逃げた経験のある森は、自分が逃げないために「共産主義化」を持ち出し、他人にも戒律として強要した。自分を恐れ、信用していない人間は「制度の言葉」に救いを求め、制度からはみでる人間の身体や感覚を削ぎ落してしまう。むしろ、その身体性こそが本来は重要なのだが……
革命の名のもとに人を殺した以上は、その幻想のなかで生きようとしてしまう。殺すことに価値があるという発想をもつと、過激なやつほど力をもつと三上氏は語る
海外テロを起こした「日本赤軍」に触れられないのは寂しいが、結びの「流れに、時代に掉さす勇気を持て」の言葉は総括にふさわしい


*23’4/12 加筆修正

関連記事 『RED』 第1巻

『レーニン 革命ロシアの光と影』

セ・リーグのペナントは早々、終戦か
原巨人の強さというか、編成の的確さとスピード感で、他の追随を許さなかった。もうちょっと、手を打とうよ、他球団
まあ、阪神は開幕巨人戦三連敗で、CSがあっても感じになりましたが(苦笑)




慣れないテーマで読むのに時間がかかってしまった……
本書は2004年に開催された「レーニン没後80年記念・十一月シンポジウム」に参加した研究者の論考をまとめたもの
なぜ、読む気になったかというと『Workers & Resources: Soviet Republic』という、ソビエト版シムシティともいうべき都市建設SLGの動画を観ていて、やたらレーニン像が建てられていたから(笑)
積み読のなかに隠れていたのだが、こういう機会にならないと読むこともないと取り出してみたのだ
タイトルには「光と影」とあるが、最初のはしがきにあるようにほぼ「影」ばかりの内容である(爆
スターリンの大粛清が目立ちすぎて、レーニンの行動・政策は革命の混乱期であったからと免罪される傾があったのだが、ソ連崩壊から情報公開が進んだこともあって、その実態が明るみになったのだ
本書ではロシア革命以外にも、レーニンとオーストリア社会主義の論争とか、「アジア的生産様式」の論争とか、単なる歴史ファンにも読解しにくい内容もあったりするが、ソ連の始まりに何が起こっていたのか、その本質はなんなのかを明かしてくれる論考集なのである


1.労働者無き革命と農民敵視


第1章ではレーニンの農民政策について、第2章では意に添わぬ階級を対象にした収奪者の収奪について、取り上げられている
レーニンの起こした10月革命の特徴として労農同盟」の神話がある。社会主義革命を起こそうにも、ロシアの80%以上が農民で、革命の主体となるはずの労働者が少数のための方便なのだが、実際は労働者階級(プロレタリアート)の圧倒的優越
農民は労働者に指導される立場であり、労働者のいないロシアではレーニンの党派であるボリシェヴィキがその代表となる
支配の及ばない農村では、農民が勝手に行っていた土地の接収を「土地の再分配」として容認したが、体制が整うに及んで都市の食糧問題を解決するために、党の武装組織である赤衛隊が徴発を開始し、それによる農村の飢饉も放置した

レーニンにとって、農民は教会関係者やブルジョアと同様に、土地を所有する革命の敵であり、農場は国有で労働者が耕すべき場所であるべきだった。ソ連のソフホーズ(国有農場)は、工場の発想で運営され「穀物工場」と評された
しかし、農業は農業の専門家でなければ運営できるものではなく、穀物工場の非効率は現場の実体を知らないボリシェヴィキ指導者の無知、無能さを示すものだった
この農民蔑視の思想は後のスターリンの農業集団化や、他の共産諸国の農業政策の失敗へつながっていくこととなる


2.乗らない労働者とプロレタリアート独裁

第6章「マルクス主義思想史の中のレーニン」(太田仁樹)では、マルクス主義そのものが批判されている
マルクスとエンゲルスにとって、共産主義が実現した社会では、「諸個人の利害対立そのものが消滅している。そのため、利害を調整する国家機関は存在する必要もなく、「国家は死滅」する
ホッブスやロックの近代政治思想は、対立する個人がいかに共存するか、共存を可能にする制度設計を追求して、現代の民主主義や市民社会、法治主義が生まれたが、マルクスたちにこうした問題意識は皆無。個人の対立の消滅など、工業化が進むごとに複雑な利害対立が生まれる実体社会から離れたユートピアだった

いわば、近代社会からかけ離れた「無国家・無法共同体」思想といえた
マルクスたちは近代市民社会の担い手である中間層を口汚く罵り、既存の体制から外れたプロレタリアートこそが、革命の主体となると、自らをはじめとする左翼活動家の特権性を裏付けた
が、実際の労働者たちは体制外に逃れてプロレタリアートにはならず、資本主義を補強する国民として、近代社会の主役となっていった

というわけで、マルクスの構想は敗北したように思われたが、既存の国家を解体してプロレタリアートのみで権力を打ち立てる「プロレタリアート独裁」の構想は、法によるチェックを受けない「無国家・無法共同体」として、ロシア革命へ受け継がれていく
現実の市民社会へ対応しようと、ドイツやオーストリアではマルクス主義政党が結成され、既存の社会を内部からの改良を目指すカール・カウツキーに、プロレタリアート独裁の幻想を一蹴したエドアルト・ベルンシュタインが登場し、武力革命路線は東欧出身のローザ・ルクセンブルクらに限られるようになった


3.ニヒリズムの帝国

さて、そこでレーニンの位置づけとなるが、現実の労働者が革命の担い手であるプロレタリアートになりえないことで、ベルンシュタインと一致していた。違いはレーニンが現場の労働者とプロレタリアートを分離したことで、自ら左翼活動家を「革命プロレタリアート」として労働者を指導し、革命意識を注入すればいいとした
いわば、革命を起こす労働者がいないなら、強制的に作ればいいじゃないという話である。ソ連労働者自身に革命を起こす意識はもたないと見切って建設された、ニヒリズムの帝国なのだ
国民国家の精神と制度が整えられた西欧では、そんなご無体は通らないが、多民族の帝国だったロシアでは近代の国民統合に失敗し、帝政崩壊後の無政府状態に革命党による情報操作や動員がしやすい状況だった
無政府状態はマルクス主義の「無国家・無法共同体」とはまり、ボリシェヴィキは法治主義の欠落した権力を振るい続けることとなる
直線的に共産主義のユートピアに走る国家は存在しなくなったが、昔ながらの革命党が居座る国には、法治主義を備えない国家体制が残っている。今なお、マルクス・レーニン主義の残滓が影響を残しているのである


*23’4/12 加筆修正

『ベスト&ブライテスト』 中巻 デイヴィッド・ハルバースタム

介入以前にもう完全に失敗していた件


ベスト&ブライテスト〈中〉ベトナムに沈む星条旗 (Nigensha Simultaneous World Issues)
デイヴィッド ハルバースタム
二玄社
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なぜ、ケネディが集めた俊英たちが、アメリカを泥沼のベトナム戦争に送りこんでしまったかを追う、伝説的レポートの中巻
ケネディ政権のもとで軍事顧問団の派遣が決まり、南ベトナムの首都サイゴンに援助軍司令部が作られる。この援助軍司令部は本国にきわめて楽観的な報告を送り、アメリカ政府に情勢判断を誤らせる
しかしケネディの暗殺直前には、仏教徒のデモに弾圧で返したゴー・ジン・ジェム政権が問題視され、CIAの秘密作戦で使嗾された南ベトナム軍部のクーデターを黙認する決断をした
ダラスの暗殺事件後には、副大統領のリンドン・ジョンソンが大統領職につき、ベトナム政策を継続。次期大統領選に向けて、ベトナム問題がマイナスにならないように、トンキン湾事件から北爆を実行するのだった


1.統計の鬼、ロバート・マクナマラ

タイトルにあるスマートな‟賢者”の代表格、ロバート・マクナマラが前半ではクローズアップされる
彼は第二次大戦中にアメリカ陸軍航空隊に入り、戦略爆撃の解析、立案に従事。太平洋の対日戦では、B-29の大量投入を統計学の視点から立証した
戦後は、GMに押されていた自動車メーカー、フォードの経営陣に迎えられ、赤字と不採算に悩むメジャー企業を徹底的なリストラと工場閉鎖でV字回復させた
しかし、マクナマラは民間企業に要求される人間臭さ、非合理性を嫌って、多大な役員報酬を捨ててケネディ政権に国防長官として入閣する。この統計と‟合理性”への偏愛がマクナマラと‟ベスト&ブライテスト”の特徴
マクナマラは国防長官としては異例なほど、ベトナムに足を運んだが、援助司令部の粉飾した報告を見抜けず、そのもっともらしく作られた数字から、ベトナムへの介入政策が正解であると信じてしまった
上巻でエスタブリッシュメントの長老が、‟賢者”たちを「彼らが少しでも選挙の洗礼を受けておれば、より安心なのに」と評していたことが偲ばれる


2.戦時下の文民統制の限界

ベトナム戦争の引き金はケネディ政権の時代に引かれていたが、新大統領リンドン・ジョンソンはそれに拍車をかけた
実際、より強い介入を働きかけたわけではなかったが、次の大統領選で勝利するためには、ベトナム問題に腰を引くわけにはいかなかった
国共内戦を中共政府が制したことで、ときの大統領トルーマンは第二次大戦に勝利したにも関わらず、再戦を阻止されてしまい、国務長官アディソンは敗北者の汚名を負った。政治家としてそんな烙印を押されてしまうのは、避けたかったのだ
CIAの秘密作戦が誘発したトンキン湾事件から、その海上戦力へ報復する空爆を承認し、かつて院内総務を務めた上院議会からは戦争の白紙委任状ともいうべき法案を通させた
本来は人気にとぼしい新大統領は、トンキン湾事件直後には85%もの支持を集めたという。このとき、「宣戦布告なしに戦争の権利を委託してしまった」「アメリカの憲政を破壊する」と警告して反対した議員は二人に過ぎない
一度、戦時に入ってしまうと、軍部は独立した勢力として活動を始めて、あらゆる情報を自分の有利な側に管理してしまい、大統領も議会もその脚を引っ張るように見られることを恐れてしまう。文民統制は戦争が始まる前までしか機能しない、というのが本巻の教訓であり、政治家は安易に軍へ動かしてはならないのだ


*23’4/12 加筆修正

次巻 『ベスト&ブライテスト』 下巻
前巻 『ベスト&ブライテスト』 上巻

『ベスト&ブライテスト』 上巻 デイヴィッド・ハルバースタム

ボトムズのクメン編につながってしまった


ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues)
デイヴィッド ハルバースタム
二玄社
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ケネディが集めジョンソンが引き継いだ「最良にして最も聡明な」エリートたちが、なぜアメリカを泥沼のベトナム戦争に引きずりこんでしまったのか。アメリカ政治の本質を射抜く伝説のレポート
本書はベトナム戦争とそれにアメリカが深入りする過程を、ケネディ政権からジョンソン政権まで追いかけた、ディヴィッド・ハルバースタムの代表作である。ベトナム戦争に「泥沼という言葉が続くようになったのは、彼のレポートに始まるという。上巻ではケネディ政権がその政権幹部の陣容を整え、ベトナムへ軍事顧問団の派遣を決定するところまでが描かれる
ジョン・F・ケネディはキューバ危機の冷静な対処とその劇的な死から、戦争に本格介入したジョンソンに比べてリベラルな印象が強い。しかし本書でのケネディは、単なる理想主義者ではない
むしろ、左右の支持層を無難に集めようとする秀才肌の政治家であり、大統領に当選後はリベラル層の支持を確保できたので、CIA長官をダレスからジョン・マコーンに変えるなど保守派の取り込みに気を遣った。ケネディの虚飾を剥がす上巻なのである


1.自由と民主主義への信仰

子供の頃から神童のような実績を持つマクジョージ・バンディ(国家安全保障担当大統領補佐官)に代表されるような人材が、なぜベトナムに首を突っ込んでしまったのか。上巻である種の答えが示されている
それはアメリカこそが、途上国に対する近代、自由と民主主義をもたらせ、現地のベトナム人もそれを望んでいるという‟信仰”である。フランスは植民地の支配者として舞い戻ろうとして失敗したのであり、植民地から独立した歴史を持つアメリカはそうした批判を受けないと、勝手に思い込んでいたのである
中国の共産化がアメリカに衝撃を与え、50年代に赤狩りが巻き起こったように、ベトナムの共産化が東南アジア全体の赤化を招くというドミノ理論が浸透して、世界を二色に分ける先入観が首脳陣や世間に流布してそれに反対することは困難だった
実際にはアメリカが近代化しようと援助した南ベトナムのゴ・ジン・ジェムは、一族で政府や軍隊を私物化しかえって、旧態依然とした家族主義を保全してしまい、かえって外国の援助がナショナリズムを刺激して解放戦線を勢いづかせる「奈落へと向かう渦巻」に陥ってしまった


2.ケネディの軍事顧問団派遣


ケネディは単純な反共主義者にはほど遠く、国際政治の多様性を理解していたが、ベトナムへの軍事顧問団の派遣を決定してしまう
それは彼が理想主義者というより、優れたバランサーである所以で、ベトナムへの介入する声が内外で高まるなか、その口を封じるためにお飾りではない規模の派兵を決めてしまった。ケネディが軍部と喧嘩して暗殺されたという筋書きは、本書によれば通用しないし、ピッグス湾の失敗もあっていろいろ妥協もしていたのだ
著者はベトナムについてケネディ生存当時から舌鋒鋭く批判しており、大統領から部署を移動するようニューヨークタイムズへ圧力が掛けられたという
朝鮮戦争を戦ったリッジウェイ将軍は、少数の軍事顧問団の派遣だけでも、一度派遣してしまえば引くことは困難だと反対した。数千人の派遣数年後には数十万人に膨れ上がり、簡単にはやめられなくなることを洞察していた
しかし、軍部には第二次大戦の成功(してないんだけど)から戦略爆撃で敵陸軍を制圧するニュールック=空軍無敵論者が多く、フランスの失敗を深く考える者は少数だった。ベトナム戦争への導火線は、ケネディとその幹部たちによって引かれたのだ


*23’4/12 加筆修正

関連記事 『ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争』 上巻

『レーガン』 村田晃嗣

レーガンは1911年生まれ。ケネディより六歳上




‟冷戦を終わらせた男”レーガンは、何者だったのか。今なお、アメリカの政治家にリスペクトされ続ける大政治家の実像に迫る
ロナルド・レーガンは、カーターの後、パブッシュの前の第四十代アメリカ大統領である。内政的には「小さな政府」を目指しつつも、冷戦を終わらせるために軍事支出を拡大させ、莫大な財政赤字を作ったタカ派の政治家というのが、一般的な評判だ
しかし、本書のレーガンは様々な姿を見せる。選挙では大見得を切りつつも、実際の政策では妥協していく現実的なプラグマティストであり、応援していた保守派に溜息をつかせることも度々だった
本書は幼少期から、俳優時代、政治家への転身、そして二期八年の大統領、老後までを追う伝記であり、尺の都合で手短にまとめてしまっている部分はあるものの、大きな足跡を残した大統領の全体像を描き切っている


1.グレート・コミュニケーター

レーガンをひとつの言葉で括るなら、やはりグレートコミュニケーターである
ケネディ、ジョンソンの民主党政権に、ニクソンのウォーターゲートで失墜した共和党・保守派のイメージを回復させるため、レーガンは保守派の人々を結集させる「右派のローズベルト」としての役割を期待された
実際のレーガン政権は「小さな政府」にこだわりつつも、冷戦終焉のために巨額の防衛予算を組む、矛盾した政策をとっていたが、共和党の人心を集めることには成功した
レーガンには1920年代の自由主義を理想としており、人々にも「アメリカの朝」という「大きな物語」を唱え続けた。もはや実現することのない古き良き時代への回帰を訴えることが、逆に人種差別の解消など「小さな物語」の実現に終始するリベラル派にうんざりした大衆の心をつかんだ。著者はこれを政治的タイムマシーンと名付ける


2.レーガノミックスと格差問題

レーガンは外交において、荒唐無稽な「スターウォーズ計画」を推進して冷戦を終結に導いたが、内政で「小さな政府」を目指した「レーガノミクス」は成功したのだろうか
後にこのときの規制緩和がマイクロソフトなどによるIT革命を呼んだともいわれるが、著者はその評価を保留する
大減税は富裕層にしか恩恵が届かず(富裕層の税率45%→28%)、州政府への支出が減った分の州税が増えたために一般庶民にはほぼ関係なかった。雇用に関しても、規制緩和によって増えた雇用はほとんど低賃金労働だった。経済の繁栄の裏腹に、富の偏在は加速した
いわゆる新自由主義の改革の結末がここに示されているといえよう
レーガン後も、共和党を中心に不景気になれば大減税、簡素な税制を唱える模倣者は多い。イラク戦争に向かうブッシュ大統領が「悪の枢軸」を唱えたのも、レーガンの「悪の帝国」発言の引用である
著者はオバマ大統領の誕生で「レーガンの時代」に一区切りついたとするが、トランプ政権の在り様を観ると何番煎じかと言わざる得ない


*23’4/12 加筆修正

『ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの』 林健太郎

パラドゲーをやり始めたので、ちょいと



なぜもっとも民主的と言われたワイマル共和国から、ヒトラーのような独裁者が出たのか。第一次大戦終結から30年代までの政治家、政治状況を分析する

積読から取り出してびっくり、初出が1963年数十版も重ねている名著だったのだ
ワイマル共和国は第一次世界大戦を負けたドイツにおいて敷かれた民主主義の体制で、1919年に中部の都市ワイマルで憲法制定議会が開かれたことにちなんでいる


1.先進的な憲法と自立する国防軍

ワイマル憲法の特徴は、男女平等の普通選挙に基本的人権に国民の生活を守る権利=社会権を加えたことで、当時としては画期的な内容だった。同時に議会が機能停止に陥った際には、大統領が緊急令を出せる憲法第48条の「非常権が存在し、30年代の経済と財政危機に際して乱発され、結果的にナチスの独裁を後押しする要素もあった
そうした先進的な憲法を持ちつつも、旧帝政の流れでプロイセン州が人口の四割を占めるという偏った連邦制が保たれ、10万人に減った国防軍が政府から半ば独立した地位を築くという歪な状態にあった


2.外圧による政治体制

第一次世界大戦の末期において、ドイツは戦争に疲弊した国民による社会革命が引き金になって敗戦を迎えた
政権についたのは社会主義=マルキシズムの影響の濃い社会民主党などであったが、帝政打倒までは考えない漸進志向、社会民主主義の立場を取っていた
しかし連合軍側の要求はドイツ帝政こそ戦争の原因であるとして、ホーエンツォレルン家の追放と徹底した民主化を求める。ドイツ側の政党と連合国の求める変革には大きな隔たりがあったのだ
講和条約の履行のために制定されたのがワイマル憲法であり、共産党など一部の極左を覗いて政党も国民も完全な民主化までは想定していなかった。上からどころか、外圧の要求による体制転換がワイマル体制の足腰の弱さであった


3.社会主義路線と民主主義の軽視

ワイマル共和国には過去、積極的に民主化を求めた政党はなく、政治課題はいかに社会主義を進めるかにあった。修正主義の社会民主党に対して、ロシア革命の影響を受けたドイツ共産党はラディカルな社会主義化を要求。その中でさらに過激なスパルタカス団などは、武装蜂起に及んだ
右翼は右翼で、反ベルリンのバイエルン政府を震源に、カップ一揆、ヒトラーのミュンヘン一揆が勃発。司法界は帝政の名残が深く、大甘の判決でヒトラーは政治的地位を高めることとなる

内政では、ワイマル憲法下における国民の権利から、失業保険が始まった。今となっては当然の社会保障も、制度設計上の限界は100万人どまり1929年の大恐慌から400万人までに膨らむに至っては増税と財政赤字が余儀なくされ、シュトレーゼマン死後の求心力が低下した議会政治に、経済政策の大転換をする力はなかった
社会民主党に属し司法大臣もつとめた法学者ラートブルフは、民主主義を社会主義への前段階ではなく、固有の価値だということを極力力説すべきであった」と自己批判している


本書では立派な憲法と政治の実態とのかい離を示しつつ、議会制民主主義が羽根をもがれていく過程を見事に活写している。戦前・戦後の日本とは事情が違うものの、大統領制に傾く内閣・行政府の在り方と議会の空洞化の結果が何を招くかの教訓となるだろう


*23’4/12 加筆修正

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