日本による朝鮮統治はいかなるものだったのか。研究者たちの論文を参照しながら、民族史観の矛盾を明らかにする
著者の一人ジョージ・アキタはハワイ生まれの日系2世で、東アジアの言語・歴史研究者。かつては日本が史上最悪の植民地統治を行っていたという民族史観を信じていたが、共著者のブランドン・パーマーの研究が見直すきっかけになったという
戦前の日本を諸悪の根源とする論調は、韓国が反日をナショナリズムの基礎においたこともさることながら、アメリカの敵となったことで「悪の帝国」と見なされ、戦後の占領統治の正当性を確保するために喧伝された側面がある
本書では、民族史観の主張を掲載して批判を加えつつ、戦前の日本の再評価とその支配の実際のところを論証していく
目につくのは、韓国やアメリカの韓国系の研究者が積極的に民族史観へ挑戦しているところだ。日本人による土地接収、文化財の略奪、従軍慰安婦、拷問が次々と否定され、1960年代以後の経済成長の基礎が植民地時代に用意されていたことを例証する
民族史観が科学的にここまで追い詰められて、なお生き残るのは、政治的事情いうしかないだろう
1.沖縄、北海道、台湾の延長
アメリカでも戦争の影響で、明治・大正の政治家は「反動主義者」か「軍国主義者」と認識されていた
山縣有朋や原敬はその親玉と見なされたが、著者はその書簡から違う側面を見出す。彼らは沖縄や北海道、台湾の経験から、朝鮮半島を捉えていた。植民地として収奪するというより、日本への同化を意識していた
併合の動機も半島が他国の影響下に入ると国防に重大な危機が生じるという、安全保障上の理由であり、沖縄の経験から「三・一独立運動」以前より、現地の習慣を尊重しながらの漸進的な変革を念頭に置いていた
「三・一独立運動」により朝鮮総督に就任した長谷川好道は、日本人と朝鮮人の共学を提唱し、運動に加わった宗教団体を牽制するに留め、貴族院選挙への投票権を与える提案した。原敬は沖縄の代表がいるのだから、「朝鮮人の代表もあとに続く」と議会で発言していた
2.穏健な植民地統治
長谷川のあとを受けた斉藤実は、就任直後に爆弾テロを受けつつも、漸進的改革を受け継ぎ、憲兵制度の廃止したし、戦時下の南二郎総督は地方知事や警察官署長への登用を認めた。当時のジャーナリスト御手洗辰雄によると、地方参政権が拡充されていくことから、朝鮮人の間に完全な独立は遠くても、アイルランド型の自治が与えられるという期待感が強かったという(南自身はそこまで容認していないようだが)
1943年に、戦局の悪化から朝鮮人にも徴兵が実施されたが、かつて日本で起こったような暴動は起きなかった。総督府は後世語られるほど強権的ではなく「穏やかな取り込み」がその特徴であり、統治下の朝鮮人も日本の政策を利用しながら、経済力を養っていたというのが実態のようだ
民族差別や関東軍の独裁がまかりとおった満州国との違いには驚く
3.欧米列強との比較
戦前の日本を非難する際に、なぜか欧米諸国の植民地のことは語られない
本書では紛争時の行動を除外しつつも、欧米列強の植民地統治と比較していく。多くの植民地政府では現地の人間に強制労働を課し、プランテーションや政府直轄の事業に従事させられた。表向きの奴隷制度は廃止されても、植民地の搾取は奴隷制度に酷似していた
ベルギー統治下のコンゴでは、殺人、餓死、病死、難民化で、人口が3分の1にまで減少している。オランダ統治下のインドネシアでは、強制栽培制度による飢饉が起こり、1850年には30万人が餓死した。フランス統治下のマダガスカルでは、コーヒー農場における強制労働が第二次大戦後も続いた
アメリカは米西戦争で得たフィリピンの独立運動を粉砕し、1899年から1902年の反乱(米比戦争)では、ダグラス・マッカーサーの父、アーサー・マッカーサー大将がゲリラに協力した町の破壊を命じて、強制収容所を作った。上院委員会への証言では、戦争で100万人のフィリピン人が命を失ったと報告されている
日本も朝鮮における「義兵軍」の蜂起(1908-1909年)で、推定1万7千人の朝鮮人が亡くなったと言われるが、強制収容所は作られなかったし(公安関係はどうかな?)、その経済は強制労働に頼るものではなかった
日本の統治の原則は「同化」であり、朝鮮半島には第一次産業に留まらず、工業化のためのインフラ投資を惜しまなかった
4.幻の収奪
日本の歴史教科書にも影響している民族史観はどこまで本当なのだろうか
まず、日本人による土地収用。エドウィン・H・グラガートが総督府の史料を調べたところ、併合から1918年までに土地所有に大きな変化は見られなかったという。1935年までに日本人の手に渡ったのは10パーセント未満で、世界恐慌の影響だと指摘している
日本人による文化財の略奪については、カリフォルニア大学のペ・ヒュンイルが、実際に朝鮮の文化財を日本人に売ったのは地元の朝鮮人だとし、むしろ「朝鮮の遺跡や文化遺産の保護」の面で総督府から受け継いだものが大きいという。実際、現在の韓国の文化遺産の格付けは、総督府のそれに準拠しているそうだ
従軍慰安婦に関しては、サンフランシスコ州立大学の蘇貞姫は、日本と朝鮮に存在した公娼制度の延長だったとする。女性たちは家族の生活のために売られ、本人も売春宿へ行くと承知していた。朝鮮の儒教的父権社会にあっては、女性を使い捨て可能な人的資源として扱われたと糾弾している
慰安所が女性たちに賃金を支払うかは、経営者次第ではあるが、日本兵は性的サービスの対価は支払った。性的奴隷の苦しみは否定できないが、一部を全体化するのは正しくない
著者もなぜ日本人の従軍慰安婦を問題せず、国際社会が憤慨しないのかと、皮肉っている
本来、歴史の修正主義(リビジョニズム)とは、新しい史料や既存の情報をそれまでとは異なった角度から解釈する試みで、歴史学ではホロコースト関連で注目された。それがいつのまにか、政治用語として使われて、なぜか「悪のレッテル」を貼られてしまったが、著者の両氏は本来の修正主義の立場からステレオタイプの歴史観を批判している
本書は日本の植民地統治を肯定するものではなく、悪ならばどういう悪だったか、広い視野で位置づけるものである
*23’4/14 加筆修正