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『シャルリとは誰か?』 エマニュエル・トッド

レイシズムVSテロリズム



2015年1月7日にパリで発生したシャルリー・エブド襲撃事件。その後に起こった「わたしはシャルリ」と掲げたデモには、いかなる意味があるのか。シャルリが行っていた風刺とそれに対するテロの社会的背景を読み解く

フランスのことなので、だいぶ読むのに時間がかかった… ただ、その社会分析は今の日本にも通ずるものがある
シャルリー・エプドについては、テロの被害者という側面で注目されていて、日本の報道でも「表現の自由」VS「テロリズム」という単純な図式で伝えられきた
本書では、シャルリー・エプドがそれまで行ってきたイスラム教への風刺画から、フランスの中産階級が抱くにいたった移民やムスリムへの恐怖を読み取る。さらには左翼陣営による「ライシテ=世俗主義」の立場からの差別主義まで見出すのだ


1.世俗主義とカソリックの伝統

フランスの社会分析に関しては、かなり専門的なので管理人が把握するのは大変であるが(苦笑)、要所で著者がまとめてくれるので内容はおおよそ理解できる
フランスの近代社会は、フランス革命で生まれた「ライシテ=世俗主義」だけでなく、地方で根付いたカソリックの伝統との両輪で回ってきたという。フランス革命の「博愛」の源泉も、カソリックの「すべての人間は平等である」という原則に発している
しかし、事件を受けた「私はシャルリ」のデモを分析したところ、本来はカソリックの伝統を継いでいた地域から、その平等主義の残滓すらなくなっていたことが判明する
そうした最近になって世俗主義に染まった地域でこそ、宗教への警戒感が高まっていて、かつての反ユダヤ主義に連想させる反イスラムの声が上がっているというのだ
むしろ、早々と世俗主義に染まったパリ郊外では、外から人が流入する都市環境に慣れているからか、冷静さを保っている


2.ライシテと不平等原則の「ネオ共和制」

なぜ「ライシテ=世俗主義」が差別主義を生んだのか?
それにはEUがドイツ主導の経済圏となり、ドイツ型の市場経済が形作られたことが経済の格差、特に若年層へ厳しい結果を招いたと著者の持論が展開される。若者に福祉国家の負担を押し付ける政策は、なかでも立場の悪いマグリブ(=北アフリカ)からの移民層を直撃し、路頭に迷った彼らをISに向かわせたとする
そうした政策を主導したのは、従来の「福祉国家」を維持したい中産階級=中年以上の年齢層であり、世俗主義=無神論の立場を楯にムスリムへの幻想ともいえる恐怖心を持つに到った
著者はこの世俗主義と差別主義=不平等原則が結びついた立場を「ネオ共和主義と名づけて、ナチスが生んだヴィシー政権の系譜につなげる


3.適応し過ぎたムスリム社会の崩壊

重要なのは、実際に移民たちのなかで閉鎖的なムスリム社会が醸成されているわけではないことである
移民たちはフランス社会へ適応しようと努力しており、むしろ適応するスピードが早すぎて、共同体が持てず無秩序(アノミー)な状態に陥っているのが問題だったりする。襲撃事件を起こしたグループがいたベルギーでは、逆に閉鎖的な移民社会が生まれていたが、フランスではまったく事情が違うのだ
著者はイスラム教の持つ女性への差別を問題としつつ、かつてのカソリックのように平等主義を持つことに着目。お互いが歩み寄ることで、良き影響をフランスへもたらすことに希望を託す


本書は襲撃事件からIS空爆につなげたオランド政権を、左翼の殻をかぶった差別主義と看破。実は、平等主義の原則を実は極右といわれる国民戦線(FN)の支持層のほうが保っていると驚愕の結論を導きだす
左が右より不平等によりおかしくなる転倒は日本でも起こっていて、在特会周辺が盛り上がったのも、共同体の喪失や格差問題にあったのではないかと思う


*23’4/12 加筆修正



『韓国の悲劇』 小室直樹

この時代に歯に衣着せぬ



なぜ日本と韓国は上手く行かないのか? 韓国独立の経緯、社会構造の違いから両国の異質さを指摘する

著者は経済学、社会科学、人類学と様々な分野に通暁してソ連の崩壊を予言、テレビでの発言で奇人評論家として有名になった小室直樹橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司の師でもある
本書は初出が1985年。韓国がNIES諸国としての台頭、日本との間に教科書問題が持ち上がった頃で、なぜ両国の認識がズレるのか、韓国人、日本人それぞれの立場に立って相手からはこう見えてしまう由縁を歴史、社会の性質から解き明かしていく
一般人向けのカッパブックスだからか、日韓の歴史問題というこれ以上ない堅苦しいテーマに、幅広い教養からウィットに飛んだ比喩を挟んでほぐし、時に胸がすくような毒舌を振るう。けっこうな文量だったが、一気読みしてしまった
アメリカはフィリピンで大したことをしていないとか(実際には独立運動の弾圧に数十万人の犠牲者を出した)、若干の事実認識の誤りはあるものの、問題の原理原則を押さえた、今なお輝きを失わない良書である


1.幻の解放記念日

韓国では太平洋戦争が終結した8月15日が、解放記念日として祝われる。著者いわく、ここから全て誤まりが始まるという
8月15日は日本がポツダム宣言を受諾した日だが、ただちに日本の朝鮮支配が終わったわけではなかった
朝鮮総督府はソ連の北朝鮮侵入を受けて、自発的に独立運動のリーダーである宋鎮禹、呂運亭たちと交渉し、統治権を渡して独立政府を作らせようとした。しかし、国外にいる李承晩、金九といった最高指導者が亡命中であり、日本側の要求を利用するか、しないかでおおもめに揉めた
とはいえ、8月17日には建国準備委員会によって、公共機関に太極旗が掲げられる
が、実は8月16日には連合軍によって、総督府に日本の統治機構を保全し引き渡すように極秘命令が下されていたため、18日にはふたたび日章旗が掲げられた

これに対して、朝鮮人民によるめだった抵抗はなく、9月9日にアメリカ軍は日本軍と降伏の調印式を行い、11日から軍政が開始された
韓国は自力で独立したわけではなく、日本からアメリカに引き渡されたのだ
著者は革命による新政権が正統性を得るには、実力で敵を打倒し、対外的な戦争状態を終結させねばならないという。大韓民国は対外的にも対内的にも、正統性の低い形でスタートした。それが韓国国内に日本の支配の名残を残し、日本に対する過剰な反応を呼んでいる


2.失われた日本側のリスペクト

世界史的に見れば、旧植民地と元宗主国は独立戦争の時期を越えると、良好になる例が多い。なぜ、日本と韓国でそうならないのか
著者は二つの理由をあげる。まず、朝鮮が17世紀にいたるまで日本の文化に影響を与え、日本側も相応の敬意を持っていたこと
三韓時代には中華文明の中継地として多くの渡来人が招かれ、特に百済人は日本で高官の待遇を受けた。近世にいたっても、朱子学を受容する際には、朝鮮の儒家・李退渓の思想を基礎とした。幕府公認の朱子学は朝鮮の儒教から始まったのだ
近代に入るとこうした評価は日本で忘却され、日韓の認識のズレを生んだ。近代に入ると、何が近代化に貢献したかで序列が決められるからだろう


3.日韓社会の違いと同化政策の失敗

二つ目の理由は、日本の植民地支配が、韓国社会の「同化」に手をつけてしまったこと。日本は村社会に代表される地縁を軸とし、従兄弟同士の結婚、養子相続など血縁意識は低いが、朝鮮では間逆。徹底した血縁社会であり、同姓で同じ地方(本貫)の婚姻は論外とされた
また朝鮮は論理性を重視する「宗教国家であり、朝鮮の仏教では僧が結婚するなどありえなかった。日本では比叡山を開いた最澄からして、菩薩戒から発達した“円戒”という概念を導入して僧ごとに戒律を容認することとし、浄土真宗では親鸞上人が妻帯したことから、公に結婚する僧まで現われた
朝鮮視点だと、こうした原理原則から外れた日本社会の在り様は軽侮されてしまう
こうした全く異質な社会に対して、日本の植民地統治は創氏改名等の「同化」を伴うこととなり、戦後において文化侵略という評価を下されることとなった。著者は「帝国」を名乗るなら、違う原則で暮らす民族を分割統治してみせろと批判する


本書では韓国社会の分析から、日本型の経済発展を遂げないことを予見するなど、本質を踏まえた議論がされている。差別問題解消のために、在日朝鮮人に完全な参政権を渡すべきというぶっとんだ提言もあるが、30年前の本にして読み応えたっぷりである


*23’4/12 加筆修正

『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 2』 オリバー・ストーン&ピーター・カズニック

誰が核戦争を止めたのか



冷戦時代、アメリカはいかに世界に対して来たか。その帝国主義を厳しく指弾する


2012年にアメリカで製作されたドキュメント番組の関連本。番組は50分を10本に分けて放映されたらしく、『映像の世紀』ばりの大作だったようだ
本書では、第二次世界大戦後、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソンの五人の大統領と世界政策を取り上げる
ソ連は独ソ戦との傷跡により、アメリカと対峙する国力など到底なかったが、その政治宣伝とアメリカ国内のスパイの存在に過剰反応し、核保有の優位が生きるうちにとアメリカは自ら冷戦へひた走っていく。実際のスターリンは一国社会主義が基調で、ソ連防衛のために衛星国は作るものの、世界革命など意識していなかった
ミサイル・ギャップに代表されるソ連への誤解から、過剰な核兵器の開発、ドミノ理論による第三世界への介入に及び、冷戦を前提にした軍産複合体が膨張していく。そして、その動きを最高権力者すら止めることはできず、ダラスの悲劇、ベトナム戦争を招くこととなる


1.アイゼンハワーの核戦略

核保有の優位をもってソ連に対抗するトルーマンの政策は、アイゼンハワー政権へも引き継がれていく
退任後の演説で「軍産複合体」の存在を告発したアイゼンハワーからは意外だが、彼とジョン・フォスター・ダレス国務長官のもとで核兵器と介入主義の冷戦政策が展開されるのだ
ただしソ連をはるかに上回る核戦力の整備は、軍産複合体に煽られたというわけではなく、むしろ膨れ上がる軍事費を押さえ込むためのものだった。費用対効果で選択されたというのが、いかにもアメリカらしい
水素爆弾の実験は推進され、1954年にビキニ環礁による実験で、日本の第五福竜丸が被爆することとなる。そして、高まる日本の反原子力運動を鎮めるべく、「原子力の平和利用」と称して日本での原子力発電が推進されていく


2.イランのモザデク政権の転覆

アイゼンハワー政権下のCIAは1953年、石油産業の国有化をはかるイランのモザデク政権の転覆に乗り出した。民主的な選挙で当選したモハンマド・モザデクは、国内の油田を独占するイギリスの石油会社「アングロ・イラニアン石油会社」から利権を奪い返したが、既得権益を保ちたい欧米との対立からソ連へと接近したのだ
アメリカは前皇帝の皇子を推し、世襲の独裁体制を復活させた。モザデクは自殺したが国民の人気は根強く、後年のイスラム革命のさいにその写真が掲げられた。イランの反米感情はこのときに植えつけられたのだ
アイゼンハワー政権下での副大統領が、後の大統領リチャード・ニクソンである


3.ケネディとニクソン

ケネディもまた当初は、アイゼンハワーの冷戦政策を引き継いだ。就任以前には、フルシチョフとの雪解けを妥協的と批判しさえしていた
ベトナムへは軍事顧問団を送り、ソ連へ近づくキューバの革命政権に対してはカストロ暗殺計画まで立てた
しかしキューバ危機を通じて核戦争の危険を体験し、フルシチョフとの間に生まれた信頼関係から、ソ連との共存路線と冷戦政策の転換を決意する。本書で描かれるケネディは、監督の作品『JFK』へとつながり、もし彼が暗殺されなければと考えさせられるものだ

ベトナム戦争を終結に導き、伝記映画まで作ったニクソンへの評価は辛い。ニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官を、「狂人」と「サイコパス」のコンビに喩える
ニクソンはベトナムからの「名誉ある撤退」を果たすべく、北ベトナムへの北爆を続け、カンボジア、ラオスへと戦線を拡大した。これによりカンボジアではクメール・ルージュが伸張し、世紀の大虐殺を起こすこととなる。ニクソン政権が中国へ接近した際には、ポル・ポト政権とも友好関係を保ち、タイの外相にキッシンジャーは「われわれは友人だとカンボジアに伝えてくれ。たしかに人殺しのろくでもない連中だが、それが障害にはならない」とブラックジョークのようなコメントを残している
ニクソン政権はインドネシアのスカルノ政権、チリのアジェンデ政権へのクーデターにゴーサインを出し、アメリカの大企業を守る軍事独裁政権を樹立した。アメリカの帝国主義、ここに極まれりである
『皇帝のいない8月』という映画は、軍国主義の自衛隊に対しCIAが後援する筋なのだが、時代的に単なるフィクションに収まらない話だったと気づかされた。けっこう、洒落にならん……


*23’4/12 加筆修正

前巻 『オリバー・ストーンの語るもうひとつのアメリカ史 1』

関連記事 【DVD】『ニクソン』
     【DVD】『皇帝のいない8月』



『悪の論理 地政学とは何か』 倉前盛通

かつてのベストセラーだって




久々に地雷を読んでしまったかと思ったが……
地政学、地理的政治学とは、地理的な位置関係が国際政治に与える影響を研究する学問のこと。歴史的には時の政権の外交政策に追随して保証を与える側面があり、戦争の遠因にもなった
本書はそんな悪名高き学問を国際政治の常識として啓蒙しようというものながら、脇道があまりに多すぎる! マハンの海上権力史論から始まって、マリアナ沖海戦など太平洋戦争の解説に入り、地政学と直接関係ない海外情勢の薀蓄へと向かってしまう
その薀蓄も特に引用先が明示されないものが多いので与太話の域を出ず、アメリカの「影の権力者」を持ち出すなど陰謀論めいたオチもある
初出が1977年と冷戦たけなわであり、ネットもない時代。事情通(?)から得た限られた情報を手探りで推測していく他なかったのだろう
バブル前でロッキード事件が世間に取りざたされている頃の代物であり、今となっては懐かしい落合信彦的な語り口で冷戦時代の想像力が良くも悪くも堪能できる


1.マハンの「シー・パワー」

いちおう、地政学のことにも触れているので収穫はあった
著者が地政学の先駆者として、アメリカのアルフレッド・セイヤー・マハンを挙げている。秋山真之も師事したマハンは『海上権力史論』によって、シー・パワー(Sea Power)が大国の覇権を決定ずけたことを証明し、アメリカが海洋大国になるために大海軍と海外基地の獲得、パナマ運河、ハワイ併合の四条件を掲げた
マハンの戦略そのままに、アメリカの帝国主義は展開され、今日に到っている
対する日本は第一次大戦に連合国として参戦し、ミクロネシアを得たことでアメリカのグアムやフィリピンを包囲することとなり、著者は日米対決の遠因が作られたとする


2.マッキンダーの「ハートランド論」

こうしたシーパワー重視の地政学に対し、イギリスのハルフォード・マッキンダーはドイツを警戒してハートランド論を展開した。歴史をシー・パワーとランド・パワー(Land Power)の衝突と説くマッキンダーは、海軍国の軍艦が遡行できない地域をハートランドと命名し、ランド・パワーの聖地とした。具体的にはユーラシア大陸中央部で、直接的にはロシアそのものといえる。かつて、ハートランドの遊牧民はユーラシア大陸の過半を制圧し、モンゴル帝国を築いている
マッキンダーはドイツによるハートランド制圧を恐れたが、現実にはソ連が「ハートランド論」を忠実に信奉して世界戦略を展開した。不毛とも思えるシベリア開発アフガンへの介入も「ハートランド信仰」ゆえなのだ


3.ラッツェルの「生存圏(レーベンスラウム)」

マッキンダーが警戒したドイツにも、地政学が発達する。フリードリッヒ・ラッツェルは、国家はひとつの生命体に喩えその国力に応じて成長するものとし、生存圏」(レーベンスラウム)という概念を持ち出した
スウェーデンのルドルフ・チェーレンは大陸国家の優勢を訴え、国家は自給自足(アウタルキー)を不可欠とした。チェーレンが初めて「ゲオポリティック」という名称を用い出したという
こうした研究を受けてドイツのカール・ハウスホーファーは、第一次世界大戦の敗因を分析し、「地政学会」を立ち上げる。ハウスホーファーの理論は、副官のルドルフ・ヘスがナチスの副総裁となったようにヒトラーの戦略に影響を与え、日本の「大東亜共栄圏」にも関係している。ハウスホーファーは、世界を四つの地域、「パン・アメリカ」「ユーロ・アフリカ」「パン・ロシア」「パン・アジア」に分かれる「統合地域論」を唱えており、松岡洋右の日独伊ソ四国同盟構想はこうした世界観によった
著者は海洋国家の本分を忘れ、ドイツ系の大陸地政学に酔ったのが日本の失敗としている


4.スパイクマンの「周辺地域(リムランド)」

冷戦後には、従来の地政学を訂正する動きが起きる
アメリカの地政学者ニコラス・スパイクマンは、マッキンダーのハートランド編重を批判し、むしろその周辺地域(リムランド)を政治・経済・文化の先進地域が集まっているとして重視する
海軍の時代ならともかくも、航空機とミサイル技術の発達で、ハートランドは大陸国家の聖域とは言えなくなったのだ
また米ソが大陸間弾道ミサイルと原潜を持ち合ったことで、緩衝地帯だった北極海が隠れた激戦地に早変わり。ハンス・W・ワイガードは「極中心論」を掲げ、メルカトール図でははない極中心の世界地図で米ソ欧州を包む新・ハートランドを掲げた


とここまで観たところ、地政学は結局、超大国の陣取り合戦攻略本である。しかも大国のエゴを満たすように論理づけているだけに過ぎず、それを鵜呑みにした大国も破滅に到っている
著者も日本に地政学を取り戻そうというより、題名どおり「悪の論理」と認めており、国際社会に立ち向かうために大国の「悪の論理」を理解することの必要性を訴えている


*23’4/12 加筆修正



『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 1』 オリバー・ストーン&ピーター・カズニック

米帝さまの始まり



アメリカはいつ、共和国から帝国の道を歩んだのか。『プラトーン』のオリバー・ストーン監督が語るアメリカの黒歴史

2012年にアメリカで放映された同名のドキュメンタリー番組と関連していて、50分番組では語りきれなかった多くのエピソードが盛り込まれているようだ
第1巻は、米西戦争から始まるアメリカ帝国主義の黎明期から、第一次世界大戦への参戦、ニューディール、第二次世界大戦と原爆投下まで
19世紀から振り返るので、独立戦争から西部へ拡張、ネイティブアメリカンとの闘争、南北戦争については触れられていないが、「自明の運命」(マニフェスト・ディステニー)の名のもとに膨張主義が肯定されたことを批判されている
第一次大戦ではJ・P・モルガンが戦時国債を取り立てるためにドイツへの賠償金を盛ったことや、戦間期にはアメリカ企業がこぞってナチス・ドイツに関連会社を作って利益を上げていたことが指摘され、第二次世界大戦はアメリカの自演で起こったかのごとし
こうしたエピソードは、今年に流れているNHK『新・映像の世紀』にもそのまま取り上げられていたので、直接影響を受けているのかもしれない(本書のドキュメンタリー番組も、2013年にBSで流されている)
誤解のないように書いておくと、本書はあくまでアメリカの「歴史の闇」に絞って記されたもの。監督いわく、栄光や善行を称えるものは巷に溢れているので、そうした部分は丁寧に省いただけで、本書はアンバランスを意図したものと心得るべきだ


1.モンロー主義と中南米への介入

驚愕の新事実が並ぶというより、知る人ぞ知るネタがまとめられている印象だ
モンロー主義を標榜した時代から、合衆国は同じアメリカ大陸へは容赦ない介入を繰り返している。コロンビアパナマを譲らないから独立運動を焚き付けるのはその典型で、独立後にその国益のために大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河を築いている
独立性の高い政権が生まれると、軍艦を派遣して転覆させ親米政権を打ち立てる。『トロピコ』というSLGゲームでは、アメリカに逆らうと海兵隊が送られてゲームオーバーとなるが、リアルでそういった歴史が繰り広げられていたのだ
キューバのカストロがソ連に転んだのは、ゲーム的に正しい決断だったといえる(苦笑)
フィリピンにおいては民族主義のアギナルド政権が粉砕されていて、独立は太平洋戦争終結を待たねばならなかった


2.ニューディールと共産主義

管理人として目新しかったのは、ニューディールと共産主義の関係
ルーズベルト自身は主義者ではなく、使えるものは何でも使う実践家であり、ニューディールはいろんな政策がごちゃまぜになったものだった
雇用安定のために大胆な公共事業、農作物の価格安定のための作物制限など、アメリカ伝統の自由主義に反する政策が取られていて、行き過ぎた資本主義を非難する立場からオリバー・ストーンもニューディールを評価している
ニューディールの後押しとなったのは、ソ連の計画経済が大恐慌の影響を受けずに成功しているとされたことで、危険視されていた社会主義の運動は全国で過熱し、アメリカ共産党も二大政党の間で票を伸ばしていた
スターリン体制下での粛清が明らかにされたこと、第二次大戦の直前で独ソ不可侵条約が結ばれたことで、この空気は一変するものの、独ソ戦が始まると再び親ソ感情が醸成されることとなる


3.軍産複合体の風化

ルーズベルト政権下では、第一次世界大戦に始まる軍産複合体を指弾する動きもあった
ジェラルド・ナイ上院議員らは1934年から、戦争の口実に莫大な利益を上げる企業グループが存在し、そうした企業活動が次の戦争を呼ぶと公聴会で非難した
こうした「死の商人」を撲滅するために軍事産業の国有化と戦時所得税の大幅引き上げを叫んだが、屑鉄や綿すら軍事物資になる現実から線引きが難しい、と政府はぼかしてしまう
「死の商人」を規制する法律は作られた反面、その良識的な行動がナチス・ドイツが暴れる非常時には裏目となり、厭戦気分を強めて参戦を遅らせることにもなったから皮肉だ
そのためにルーズベルト政権は、旧式の駆逐艦をイギリスへ譲渡することさえ、議会で非難されてしまうのだった
ともあれ、こうしたチェック機能が働くのがアメリカの民主主義の伝統といえよう


4.無条件降伏と原爆投下

日本人にとって重要なのは、原爆投下の顛末だろう
結論を言うと、日本を降伏させるには必要なかった。現場の司令官も政治家も1945年時点でアメリカに抵抗する力を失っていることは明白だった
日本の降伏要件でネックとなっていたのは、「無条件降伏」という文言で、日本側にとっては天皇制の廃止を意味していた。当時の日本人にとって受け入れられる内容ではなく、アメリカ政府もそれを理解していた
結局、日本の天皇制を存続させたのに、なぜポツダム宣言に盛り込まれなかったのか
本書ではまさに原爆を落とすためであるという。ヤルタ会談(1945年2月)においてドイツ降伏後の三ヶ月後にソ連の対日参戦が約束されたが、1945年7月にアラモゴードで原子爆弾の実験が成功する
ソ連の参戦が前倒しで8月にあるとされ、米軍の本土侵攻作戦は11月を予定されていた
このままではアジアがソ連の勢力圏となると考えたトルーマン政権は、ソ連への牽制をかけて原爆の使用を決行したのだ
マッカーサーやアイゼンハワーはじめとする軍人たちは軍事的に必要と認めず、戦後の調査でも日本が降伏を決断した要因にはソ連参戦が強かった
降伏要件で国体護持を不明瞭したのは、降伏されてしまうと原爆が落とせないという打算からなのだ
アメリカ人にこうもはっきり語られたのは、薄々分かっていたことでもショックである


*23’4/12 加筆修正

次巻 『オリバー・ストーンの語るもうひとつのアメリカ史 2』



『危機の二十年』 E・H・カー

Gレコの参考書と聞いて



どうして第二次世界大戦は防げなかったのか? 国際政治学の大家が戦間期の思想を分析し、その原因を時代を遡って探求する


著者は『ロシア革命史』E・H・カー。深刻化する国際情勢のなかで書き上げ、くしくも校正中にドイツのポーランド侵攻を聞いたという
国際政治学という分野は、第一次世界大戦後にその再発を防ぐために誕生したといえ、その歴史の浅さから戦間期ではユートピアン(理想主義者)が中心となっていた。それはあらゆる歴史の始まりにおいてやも得ないことだが、本書ではそれを精錬させるため、具体的な力(オパワー)を重視するリアリスト(現実主義者)の立場から批判していく
しかし、著者はリアリスト一辺倒でも限界があるとする。純粋なリアリズムは、現状を追認して流されるだけになるし、何の流れを生みはしない。またリアリズムを唱えるユートピアへの批判者もまた、マルクスしかりナチスしかりある種のユートピアを帯びてしまう
人間が理想に惹かれて動く以上、ユートピア思想も現実に影響を及ぼすわけで、ユートピアンとリアリストはコインの裏表。双方を行きかうことで、平和への知恵が生まれるはずなのだ


1.自由主義は強者の論理

どうして戦間期に、「理性による調和」を期待する心性が生まれたのか
著者はその源を、19世紀の自由主義に見る
『国富論』のアダム・スミスが体系化したレッセフェール(自由放任)の経済は、大英帝国の海軍力に支えれたものだった。自由貿易は、本国の工場へ植民地から安価な原料が送られ、割高な工業製品が各国へ吐き出される体制を固定化する性質を持った

政治面では、「最大多数個人の最大幸福」ベンサムの功利主義が浸透する。道義と欲望を対置せず、一人が己の利得を追うことが社会全体の利益にもなる思想は、アダム・スミスに通じるものもあり、議会制民主主義の支柱となった
19世紀の自由主義とは、いわば強者が現状維持を正当化するものでもあったのだ
植民地のナショナリズム、他の列強の台頭により自由主義が動揺してくると、ダーウィンの『進化論』から「適者生存」の法則を引き出し、経済・社会において「弱者を犠牲にしての強者の生存」が正当化される動きが出だす
とはいえ、人間それぞれの理性によって利益が調和されるという自由主義の伝統は残り、戦間期の前半では支配的だった


2.条約は破られるもの

後半に論じられるのは、国際社会で法や道義が意味をもつのかどうか
世界大戦の再発を防ぐべく生まれた国際連盟パリ不戦条約などは、「理性による調和」を前提として、「国際世論」によって戦争を抑止されるとしていた
しかし、現実的に国家を拘束できる権力は国家のみであり、国家はその構成員のために活動するのであって、国家が利他的に行動できるのは余裕がある場合に限られる
そして、国家間の約束である条約ですら、「結ばれたときの環境が守られるに限り」という暗黙の前提があり、状況が変われば国益のために破ることも当然と見なされていた
実際の条約はその国家間の力関係によって成立するものであり、例えばヴェルサイユ条約は瀕死のドイツと連合国の間で結ばれていたわけで、著者はドイツ側がそれを訂正するのは当然の現象であるとする
すべての条約、法が不変であるべきとすれば、アメリカ独立戦争などの革命はどう捉えるというのか、というのだ


3.国際社会は「力の原則」

1920年代の国際秩序は、「ある者にとっての福利は全体の福利であり、経済的に正しいことは道義的にも悪くない」という19世紀の残滓であり、著者は空虚とすら言う
ならば望まれる国際秩序とは何か。道義や法が人や国家に影響を及ぼす以上、無意味ではないが、国際社会が「力」の原則で動くことを理解しなければ始まらない
著者は具体的な展望として、パックス・ブリタニカから、アメリカ・イギリスのアングロ・サクソン間の同盟「大西洋憲章」へと、アメリカ中心の国際秩序を正確に予見していた
日本の戦後における反戦運動、「何でも対話で解決できるはずの」平和主義は、本書で批判される戦間期のユートピア思想そのままである。安保法制とその反対運動にしても、90年前の思想的状況が、暢気にも保存されているかのようだ
本書からユートピア的平和主義の欠落を学び、次代へのヒントを探していいのではないだろうか


*23’4/13 加筆修正


『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』 下巻 デイヴィッド・ハルバースタム

冷戦を決定付けた戦争



朝鮮戦争はなにをもたらしたのか? 人民解放軍参戦以降の推移と戦後をふりかえる



1.情報操作と国連軍の大敗

アメリカが人民解放軍の参戦を読めなかったのは、マッカーサーとその側近たちが自らの都合のいい情報しか本国へ伝えず、希望的観測で国連軍を北上させたから
特に参謀第二部(G2)のチャールズ・ウィロビーは、上司の望んだような情報しか流さず、連合軍司令部をひとつの王朝にしてしまった。著者は国連軍を鴨緑江へ導いたような情報操作が政治的事情で行われたことを、ベトナム戦争の先例として強く弾劾している
人民解放軍の追撃を受けた国連軍の敗走は、酸鼻を極めた。国連軍には、アメリカのほか、韓国、トルコ、オランダ、フランスなどの軍が参加していたが、急編成の韓国軍はいわずもがな、髭を生やして前評判が高かったトルコ軍も実戦では潰走を重ね、フランス外国人部隊が健闘するのみ。アメリカ軍が取り残される状況が多く、捕虜になる者も多かった
指導者の決断が末端の者たちに何をもたらすのか、上巻と同じテーマが貫かれている


2.兵站の概念がない人民解放軍

毛沢東が人民解放軍の参戦を決めたのには、台湾問題があった。台湾の国民党がアメリカの空海軍に守られて渡海できない状況であり、中国の感覚からするとアメリカとは半ば戦争状態といえた
国内は長い内戦で疲弊していたが、スターリンに派兵を要求され、毛沢東は朝鮮戦争の成功をもって内外の権威を確立しようとしていた。こうした中共の動きは、国民党関係者からアメリカにもたらされていたが、ウィロビーらによって否定されてしまう
人民解放軍はアメリカから国民党軍に供与された銃砲を大量に所持しており、その戦闘力は軽装備のアメリカ軍とそん色ない。空戦力は皆無だったものの、半島北部は山がちで面積が広く、アメリカの空軍でも掣肘を受けなかった

参戦直後は快進撃を続けた人民解放軍だったが、38度線を越えたところで鈍ってくる
補給線が伸びたことで、30万人の大軍を維持しづらくなったのだ。内戦では同国人の農村が後援してくれたので、補給は政治的に確保でき、兵站の概念が育たなかった
人民解放軍の司令官・彭徳懐は、戦前から心配していたが、政治的成功をつかみたい毛沢東は釜山までの進軍を指示。膨大な犠牲者を出すこととなった
トルーマン大統領のもと、和平が模索されるが、マッカーサーは中国との全面戦争を主張してこれをぶち壊し、連合軍司令官を解任。アメリカと中国の消耗を望んでいたスターリン死後の1953年にようやく停戦協定が結ばれた


3.朝鮮戦争後の世界

朝鮮戦争によって、世界はどう変わったか
中国では毛沢東が、北朝鮮では金日成がこの“戦勝”をもって個人独裁を確立した。スターリンの死をもって中国は従属的立場を脱し、経済の自存自立を目指し「大躍進政策」に乗り出す。金日成は人民解放軍の働きを無視し、すべてを自らの功績として現代まで続く全体主義国家を築いた

韓国では、政治体制が二転三転しつつも、民主化と経済成長に成功する。韓国人自身の実力といいつつ、アメリカがウェスト・ポイント型の学校を設立し、アメリカへの移民者、留学生が帰国して民主化に貢献したとする。台湾の民主化のように、陰に陽に強い関与があったと思われるが(朴正煕の台頭と暗殺とか)、本書ではそれに触れていない

さて、アメリカはというと、朝鮮戦争中にマッカッシーの「赤狩り」が始まり、共産主義が一体となって世界革命を企図するという世界観が浸透してしまった。その結果、アイゼンハワー大統領が警告した「軍産複合体」が膨張し、ケネディ政権にその影響力は引き継がれることとなった
『ベスト&プライテスト』を書いた著者は、朝鮮戦争という「封殺された戦争」にベトナム戦争の遠因を観ていて、その無反省はイラク戦争にまで尾を引くと言いたげだ
当時の韓国に対する記述が李承晩に集中していて、日本の扱いも紋きり型であるものの、『ベスト&プライテスト』の前日譚(?)にふさわしい一書だった


*23’4/13 加筆修正


前巻 『ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争』 上巻

『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』 上巻 デイヴィッド・ハルバースタム

日本も機雷の掃海を行っていて、国民の知らないうちに集団的自衛権を行使していた戦争でもある



“語られない戦争”朝鮮戦争で何が起こっていたのか? 末端の兵士の声と上層部の動きを通じて、三年に渡る消耗戦の実像を探る

本書はベトナム戦争を取材した『ベスト&プライテスト』著者デイヴィッド・ハルバースタムが、交通事故死する直前に脱稿した遺作で、ベトナムほど題材にされない朝鮮戦争について徹底調査している
冒頭が中国人民解放軍の参戦で、国連軍が窮地に陥るところから始まる。北朝鮮の攻勢を跳ね返して鴨緑江まで来ながら、アメリカ軍はなぜ戦争を終わらせることができなかったのか、という視点で本書は分析しているのだ
上巻ではマッカーサー、トルーマン、李承晩、金日成、スターリン、毛沢東と重要人物の動静を押さえつつ、戦争前夜の状況、北朝鮮の侵攻と釜山防衛線、仁川上陸作戦から38度線北上までを扱う
著者の興味がアメリカの戦争指導へ向いているせいで、日本の植民地統治を紋切り型で扱ったり、民間人の被害が取り上げられていなかったりするが、自国の指導者の誤りを手厳しく指摘し、多大な犠牲を払った戦争から歴史の教訓として残そうとする意志は明確だ


1.マッカーサーの失策

朝鮮戦争最大のキーマンは、なんといってもダグラス・マッカーサー
仁川上陸作戦から38度線の突破、人民解放軍の攻勢まで、国連軍の実質的な指導者としてその判断がそのまま戦況を左右している
朝鮮戦争時のマッカーサーは70歳で、当時の米軍ではアイゼンハワーをも上回るレジェンド的存在。陸軍士官学校では南軍のロバート・リー将軍以来の成績で卒業、1930年に歴代最年少で参謀総長に抜擢されていた
連合国軍最高司令官として日本の統治にあたっていた彼は、その司令部(GHQ)を中心に本国の掣肘を受けない聖域を作り、情報機関であるOSS及びCIAの介入も許さなかった
その結果、東アジアの情報はマッカーサーとその周辺のフィルターによって遮られ、北朝鮮の南侵が軽視されてしまう。また、1948年の大統領選を意識して、国民受けする兵士の除隊を後押しし、アメリカの抑止力を削いでしまう
開戦当初も北朝鮮の本格的な侵攻と認めず、釜山までの戦線は後退する。太平洋戦争のフィリピン同様、自信過剰で受身には弱い将軍なのだ
しかし、軍事的には危険の大きい仁川上陸作戦を成功させ、アメリカでは名将の列に加わることになる。太平洋戦争の島嶼戦の経験があったものの、二番煎じの元山上陸作戦では上陸する前に韓国軍に占領されるお粗末さで、やはり名将とは言いがたい


2.アメリカの軍縮とアジア軽視

なぜこの時期に朝鮮戦争が起きたのだろうか
まずは1948年に国共内戦が終結し、北朝鮮の金日成が刺激されたこと
満州の抗日ゲリラとして活動し、半島での実績のない独裁者は半島統一の名声を欲していた。人民解放軍から朝鮮系兵士が補充され、ソ連からT-34など受領し、南北の軍事バランスは大きく北へ傾く
アメリカは朝鮮半島の地政学的位置を軽視していて、国務長官アチソンが防衛ラインについて半島に言及しなかったことから、南侵を誘発する

しかし、北朝鮮側にもアメリカが本格介入したことは誤算。国共内戦と同様、外国への侵略と認識されないと判断していたのだ
第二次大戦からの七年間、世界は平和的ムードに包まれ、終戦時1250万人いたアメリカ軍はなんと150万人にまで減少した。核兵器の威力が誇大視され、軍事費削減の観点から通常兵力が軽視されていたのだ
太平洋戦争を戦い抜いた猛者たちは多くが除隊し、次の戦争の主戦場はヨーロッパという判断から、東アジアは手薄な状況に陥っていたのだ


世界大戦で肥大化した軍産複合体がベトナムを招いたという史観は少し短絡的で、大戦後の融和ムードが朝鮮戦争で打ち砕かれたことが実は転換点となっている
日本の平和憲法も、1945年から1952年の極めて楽観的な時代背景から生まれた産物であり、再軍備に日米安保という「逆コース」も現実的な脅威から始まったことを理解すべきだろう


*23’4/14 加筆修正

次巻 『ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争』 下巻

関連記事 『ベスト&ブライテスト』 上巻

『リトビネンコ暗殺』 アレックス・ゴールドファーブ&マリーナ・リトビネンコ

シロヴィキとオリガルヒの暗闘



2006年11月、イギリスに亡命中の元FSB工作員リトビネンコが毒殺された。放射性物質ポロニウム210による無惨な姿は世界に衝撃を与えたが、その裏に何があったのか。リトビネンコの妻と協力者が告白する

単純にリトビネンコ周辺の暴露物だと思ったが、想像以上に扱っている範囲が広かった
著者の一人、アレックス・ゴールドファーブ冷戦時代にアメリカに亡命したロシア人で、投資家ジョージ・ソロスのスタッフとしてソ連崩壊後のロシアで活動していた
新興財閥(オリガルヒ)の代表格、ボリス・ベレゾフスキーにも深く関わっていて、ロシア政界全般に詳しいのだ
リトビネンコはソ連末期にKGBに入り、そのままロシアの保安機関FSBなどに勤務する任務に忠実な隊員だった。しかし1998年、FSBの対テロ機関URPOに属した際に、ベレゾフスキーと国会議員のトレパシュキンの暗殺を命じられて拒否。本人にも警告して作戦は延期された
余りに杜撰なURPOの手法に、FSB長官だったプーチン同組織の解体を命じるが、このときにリトビネンコを「組織の裏切り者として目をつけられることとなる
本書はリトビネンコ側からの告発であり、すべてをプーチンとFSBにもっていく傾向は強いものの(だいたい、そうなんだろうけど)、プーチンが台頭する前史、エリツィン政権時代の“オリガルヒ”から、保安機関関係者“シロヴィキ”と移っていく過程を見事に活写している。オソロシヤはプーチンに始まるわけでもないのだ


1.“略奪資本家”オリガルヒの台頭


ソ連崩壊後のロシアでは、エゴール・ガイダルアナトリー・チュバイスの主導で「ショック療法」と呼ばれる急激な市場経済導入が取られた。国営会社は投売り状態となり、旧共産党関係者が大企業を取得し、濡れ手で粟の大富豪となった
これがいわゆる新興財閥“オリガルヒ”で、ベレゾフスキーはその代表格。石油会社から国営航空会社アエロフロートも傘下に収めた
1996年の大統領選挙には、傘下の元国営メディアをフル動員し、エリツィンをひと桁の支持率から奇跡の再選に結びつけた
ただし、ロシアの市場経済化を支援していた投資家ジョージ・ソロスは、オリガルヒを「略奪資本家」と見なしてロシアの欧米化に逆行するものと、ロシアへの投資を手控えるようになる。ベレゾフスキーと親しかった著者ゴールドファーブも、ソロスから離れていった


2.“シロヴィキ”の代理人プーチン

宿敵ともいえるウラジーミル・プーチンは、1975年にKGBに入省。東ドイツ勤務を経て、1990年に辞表を出し、大学の恩師サプチャークサンクトペテルブルグ市長となったことから、市の要職を歴任する
市の要人に珍しく清廉といわれ、サプチャークが疑獄事件に陥って手術が受けられそうにないときに、海外での治療を手配するなど、義理堅い一面を持ち合わせている
このエピソードがエリツィンの気を引いたのか、FSB長官への抜擢につながる。忠誠の疑わしいFSB幹部の上に、中佐止まりの忠実な男を置く狙いがあったようだ
しかしリトビネンコの仮説ではKGBを辞めたのは擬態で、“シロヴィキ”の代理人としてエリツィン政権に潜り込んだともいう
とはいえ、晩年のエリツィンに大統領候補に指名されたときは、さすがに動揺したようだ。ベレゾブスキーはエリツィンの後継者として期待し、プーチンの当選を助けた


3.亡命先で反プーチン活動

が、大統領に就任すると、プーチンとベレゾブスキーの関係は一変する
FSBの偽装が疑われるアパート爆破事件潜水艦クルスクの事故で、マスコミから盛大に叩かれたために、メディアを傘下に収めるベレゾフスキーに怒りの矛先を向けたのだ。略奪資本家ながら欧米志向のベレゾフスキーKGBの世界観を持つプーチンとの、同床異夢が露呈したといえよう
ベレゾフスキーはアエロフロート買収の際の疑惑で追われ亡命し、彼と親しくなっていたリトビネンコも家族を連れて外国へ。二人はFSBの被害者やアンナ・ポリトフスカヤらのジャーナリストと結びついて、反プーチン活動を開始した
リトビネンコはイギリスで国籍と新しい名前を拾得しつつも、ウクライナやグルジアと活発に飛び回っていて、FSBの目の上のたんこぶだったことは疑い得ない


4.亡命者への見せしめ

リトビネンコの暗殺に使われたポロニウム210は、毒物として使用された前例はなかった
ごく少量で致死量に達し、1グラムで50万人を殺せるといわれ、口の中に入れなければ実行者にダメージがほぼない。これだけ見ると暗殺には理想的な性質を持っている
その反面、ポロニウム210の生産には極めて特殊な技術が必要で、まず国家機関が関わらないと無理。本書によると9割以上がロシアで生産されていて、ごく一部がアメリカへ医療用で輸出されているぐらい
ポロニウムが使われたと判明すると、その痕跡を辿るのが容易でイギリス当局も実行者を公表している。追跡の容易さが今まで使用されなかった要因だろう(実行犯アンドレイ・ルドゴイは現在、国会議員!)
使用者が分かる前提で使った理由は、ようはロシア人亡命者への見せしめ
同時期に「ショック療法」のガイダルがアイルランドで一服盛られていて、一命を取りとめた後に「ベレゾフスキーの仕業」と鼓吹していたそうだ


*23’4/14 加筆修正

関係記事 『チェチェン やめられない戦争』
     『米露戦争』 第1巻・第2巻



『チェチェン やめられない戦争』 アンナ・ポリトコフスカヤ

今は高層ビルとか、立っているみたいだけど




第二次チェチェン紛争の現場を取材し、そこで繰り広げられる地獄絵図を書き記したルポルタージュ
2002年のモスクワ劇場占拠事件で交渉役に指名されるほど著名なジャーナリストで、2006年にモスクワで暗殺されてしまった
西欧型の民主主義の立場で一貫してプーチン政権を批判しており、その政敵のベレゾフスキーの企業を礼賛したり、チェチェン・ゲリラに同情したりと、ロシア国内では批判されることも多いようだが、本書は紛争に巻き込まれた民間人や徴兵されたロシア軍兵士など、陣営問わず視線は弱者へ向けられている
チェチェンでの軍隊やFSB(連邦保安庁)の横暴は、対テロ戦争の文脈から黙殺される傾向があり、著者も怒りの声をあげている。国際社会の目が中東へ向く分、より国益に関係しない地域には、誰も手を差し伸べないのだ
2009年にロシアはチェチェンを対テロ作戦地域から除外し、額面上の紛争は終結したが、カフカス首長国のテロは散発的に続いている


1.戦争利権

チェチェン紛争はなぜ10年も続いたのか
第二次チェチェン紛争は、1999年アラブ派のバサーエフによるダゲスタン共和国への侵攻に始まったが、2000年にはロシア軍が首都グロズヌイを掌握し、チェチェン側は以後、武装勢力に転落する。10万人もの大軍に、チェチェン側もまともな戦いはできなかった
それにもなお戦争が継続したのは、戦争という状況によって利益を得るものが多かったからだ
著者によると、軍の建設部門である特別建設総局(GUSS)と公社である軍建設複合体(USK)が癒着していて、チェチェンでの事業にはUSKのコソヴァン将軍が一手に仕切っていた
一般人の住宅再建にもUSKの関連企業が関わり、高級な建材を発注したことにするなど費用を水増しすることで、莫大な金額を横領していた
作られた建物は戦火で再び壊れることで、新たな需要となるので、戦争が続けられる限り儲け続けることができる


2.石油の密売

もう一つは石油パイプライン。紛争状態ではパイプラインに傷を作り、底から漏れ出る石油を密売することが利権となっていた。それにはロシア軍、武装ゲリラ、マフィアら、ありとあらゆる者たちが入り込んで、取締る側も利益供与に預かっている
平和になると、石油公社の管轄になるので、紛争による無秩序が維持されたのだ
そうした利権に触れない下々の者は、無実の者を拉致しての身代金売買(死体も対象)、検問による通行料、掃討作戦を名目にした略奪に走り、本書にはその被害者たちの肉声が記録されている
そして、体制にそれを改めようとする者はいても、不思議なタイミングで消されていくのである


3.山岳民族のチェチェン人

本書はチェチェン紛争の顛末を詳しくは触れていないので、部外者には分かりにくいところもある
それをフォローしてくれるのが、巻末にあるゲオルギー・デルルーギアン教授の論考「何が真実か?」だ。西欧型のマスコミ人である著者とは、また違った角度でチェチェンを評価している
チェチェン人は山岳民族であり、古くから国家というものを意識せずに暮らしてきた。外部への侵攻には激しく抵抗したものの、平地民のように国家を形成する必要まではなかった
それに初めて迫られたのが、18世紀のロシアの南下であり、チェチェン共和国の首都グロズヌイはロシアの将軍によって建設された(ロシア語で「恐怖を覚えさせる
ロシアとの戦いの中で、イマーム・シャミーリが諸部族を率いてイスラム教徒による連帯をはかるが、これは失敗に終わる。山岳民族の彼らは独自の習慣を堅持した上で、イスラム教に接していて部族を超える普遍性に乏しかったのだ。行き詰ったシャミーリは結局、ロシアに臣従してしまう


4.ナショナリズムに煽られて

チェチェン共和国はソ連崩壊前後、バルト三国の独立に刺激される形で独立する。ロシアもソ連と同様に複数の自治区と共和国の連邦国家であり、エリツィン政権は独立の連鎖を恐れて介入する。第一次チェチェン紛争は、元ソ連軍のチェチェン人たちが激しく抵抗し、1996年に五年間の停戦合意がなされる
しかしチェチェンの野戦司令官たちは、初代大統領のドゥダーノフをはじめ政治的手腕に乏しく、ソ連時代の官僚たちと相容れなかったために混乱を極める。テクノラートに依存せざる得ないのが、欧米を手本にできる東欧と旧ソ連圏の大きな違いだった
そのうちに、イスラム主義を掲げるバサーエフがダゲスタン共和国へ侵攻し、第二次チェチェン紛争の幕が上がった。チェチェン側の政治家不在も紛争の原因だったのだ
チェチェン独立そのものもソ連崩壊後の民族主義に煽られたものといえ、平地民のシステムである国民国家の発想に山の民が振り回されたようにも思える
この論考だけでも、一冊買う価値はある


*23’4/14 加筆修正

関連記事 『リトビネンコ暗殺』



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