2015年1月7日にパリで発生したシャルリー・エブド襲撃事件。その後に起こった「わたしはシャルリ」と掲げたデモには、いかなる意味があるのか。シャルリが行っていた風刺とそれに対するテロの社会的背景を読み解く
フランスのことなので、だいぶ読むのに時間がかかった… ただ、その社会分析は今の日本にも通ずるものがある
シャルリー・エプドについては、テロの被害者という側面で注目されていて、日本の報道でも「表現の自由」VS「テロリズム」という単純な図式で伝えられきた
本書では、シャルリー・エプドがそれまで行ってきたイスラム教への風刺画から、フランスの中産階級が抱くにいたった移民やムスリムへの恐怖を読み取る。さらには左翼陣営による「ライシテ=世俗主義」の立場からの差別主義まで見出すのだ
1.世俗主義とカソリックの伝統
フランスの社会分析に関しては、かなり専門的なので管理人が把握するのは大変であるが(苦笑)、要所で著者がまとめてくれるので内容はおおよそ理解できる
フランスの近代社会は、フランス革命で生まれた「ライシテ=世俗主義」だけでなく、地方で根付いたカソリックの伝統との両輪で回ってきたという。フランス革命の「博愛」の源泉も、カソリックの「すべての人間は平等である」という原則に発している
しかし、事件を受けた「私はシャルリ」のデモを分析したところ、本来はカソリックの伝統を継いでいた地域から、その平等主義の残滓すらなくなっていたことが判明する
そうした最近になって世俗主義に染まった地域でこそ、宗教への警戒感が高まっていて、かつての反ユダヤ主義に連想させる反イスラムの声が上がっているというのだ
むしろ、早々と世俗主義に染まったパリ郊外では、外から人が流入する都市環境に慣れているからか、冷静さを保っている
2.ライシテと不平等原則の「ネオ共和制」
なぜ「ライシテ=世俗主義」が差別主義を生んだのか?
それにはEUがドイツ主導の経済圏となり、ドイツ型の市場経済が形作られたことが経済の格差、特に若年層へ厳しい結果を招いたと著者の持論が展開される。若者に福祉国家の負担を押し付ける政策は、なかでも立場の悪いマグリブ(=北アフリカ)からの移民層を直撃し、路頭に迷った彼らをISに向かわせたとする
そうした政策を主導したのは、従来の「福祉国家」を維持したい中産階級=中年以上の年齢層であり、世俗主義=無神論の立場を楯にムスリムへの幻想ともいえる恐怖心を持つに到った
著者はこの世俗主義と差別主義=不平等原則が結びついた立場を「ネオ共和主義」と名づけて、ナチスが生んだヴィシー政権の系譜につなげる
3.適応し過ぎたムスリム社会の崩壊
重要なのは、実際に移民たちのなかで閉鎖的なムスリム社会が醸成されているわけではないことである
移民たちはフランス社会へ適応しようと努力しており、むしろ適応するスピードが早すぎて、共同体が持てず無秩序(アノミー)な状態に陥っているのが問題だったりする。襲撃事件を起こしたグループがいたベルギーでは、逆に閉鎖的な移民社会が生まれていたが、フランスではまったく事情が違うのだ
著者はイスラム教の持つ女性への差別を問題としつつ、かつてのカソリックのように平等主義を持つことに着目。お互いが歩み寄ることで、良き影響をフランスへもたらすことに希望を託す
本書は襲撃事件からIS空爆につなげたオランド政権を、左翼の殻をかぶった差別主義と看破。実は、平等主義の原則を実は極右といわれる国民戦線(FN)の支持層のほうが保っていると驚愕の結論を導きだす
左が右より不平等によりおかしくなる転倒は日本でも起こっていて、在特会周辺が盛り上がったのも、共同体の喪失や格差問題にあったのではないかと思う
*23’4/12 加筆修正