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『ロマンポルノの時代』 寺脇研

著者はロマンポルノの評論をしながら、文部省へ入った謎の人物


ロマンポルノの時代 光文社新書ロマンポルノの時代 光文社新書
(2012/08/31)
寺脇 研

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日活ロマンポルノには何があったのか。ロマンポルノを今なお追いかける映画評論家が、全盛期を振り返る
日活ロマンポルノは、日活がスター映画の低迷から、採算の取りやすいポルノ部門を主体にしたことから生まれた。1971年の『団地妻 昼下がりの情事』に始まる
キネマ旬報といった表の映画評論では、冷めた目で見られたものの、ロマンポルノ摘発事件(1972年)を受けて一変。わいせつ表現を巡って表現の自由を擁護する立場から、後押しする論陣が張られ、作品が正当に評価されるようになる
本書は、著者の学生時代からの寄稿を引用しつつ、ロマンポルノの時代を回顧する。自分の思いいれとともに語られるので、全体のまとまりはないものの、ロマンポルノを通して男女の真理を追究する姿勢はすがすがしい
1988年に日活ロマンポルノは打ち切られる。ピンク映画との関係や社会評論を期待すると物足りないかもしれないが、数多くの監督、俳優を生み落としたロマンポルノの入門書としては充分だろう

ロマンポルノには、いきなり生まれたわけではない
大手の大映では、1950年代に10代のセックスを扱った「性典シリーズが製作され、南田洋子・若尾文子は“性典女優”と言われていた。1970年に入ると、収益の低迷から若手中心の「高校生シリーズ」が組まれ、篠田三郎、松坂慶子、水谷豊、関根恵子(高橋恵子)を輩出した。大映はその後まもなく倒産するが、「高校生シリーズ」はロマンポルノへの橋渡しの役目を果たす
当初はその流れで、『女高生レポート 夕子の白い胸』など女子高生ものが作られたが、ロマンポルノ裁判の影響か、女教師、女子大生、OLへとヒロインの属性が変わっていく
製作の特徴は、低予算での大量生産
当時、普通の映画でまず2500万円以上かけるところ、750万円で作りきってしまう。一年で70本も作るため、様々な人材を貪欲に吸収し、映画会社が新人を取らない中、若手映画人の修練場の役割を果たした
また、映画のプランは企画部がトップダウンでプロデューサー、監督、脚本家を決めていた。まず企画部からプロデューサーを経て脚本家に発注し、しかる後に監督が選ばれる
監督は他人の脚本を読み込む必要があり、それが一線級の人材を生む要因となった
実は表映画界より、ロマンポルノのほうがハリウッドに近いシステムを持っていたのだ

そうした大量生産の体制に原作を提供したのが、官能小説の大家・宇能鴻一郎、SM小説の巨匠・団鬼六「天使のはらわた」の漫画家・石井隆などは、自ら脚本として参加した
80年代にいたると、アダルトビデオの普及が興行成績に直撃し、バブルの再開発も裏通りの文化を衰退させた
それでも芸能人の「初ポルノ」デビューを売りにもちこたえ、意欲的な作品を生み続けた。終章「ロマンポルノの男優」では、たたき台に駆け上がった有名俳優たちがリストアップされている。朝ドラで親父逆上攻撃した人も、大河で松陰を追い回す人も、ここから這い上がったのだ
監督にしても外部からの招聘組も含めて、日本映画を支える面々と言っていい
それでもアダルト産業の変化はいかんともしがたく、日活ロマンポルノは1988年に活動を停止する。現在、ロマンポルノが果たした役割は、Vシネマが負っているようだ続きを読む

『作画汗まみれ 改訂最新版』 大塚康生

東映動画の歴史


作画汗まみれ 改訂最新版作画汗まみれ 改訂最新版
(2013/05/31)
大塚 康生

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『ルパン三世』『未来少年コナン』『じゃりん子チエ』など数多くの作品で作画監督を務めた大塚康生が語る自身のアニメーター人生と製作現場の舞台裏
大塚康生は厚生省麻薬取締官(!)から26歳で転身、東映動画時代に日本最初のカラー長編アニメ『白蛇伝』に参加して、キャリアでは高畑勲、宮崎駿の先輩格にあたる。ただし“アニメ作家”にはならず、あくまで演出を受けて絵を作る“作画職人に徹し続けた
本書では半生を振り返りつつ、当時の製作体制、原画・動画の考え方、アニメーターの修行法、そして各作品への思いなど、フルアニメーションへの愛とこだわりが語られる
いわゆる日本のアニメは、動きを簡略化しセル画の枚数を減らすリミテッド・アニメーションが特徴といわれるが、もう一つの系譜が、ジブリ作品へとつながる東映動画の系統だ。虫プロ出身、富野監督の『だから、僕は…』と合わせ読めば、日本アニメの黎明期を大まかに押さえられるだろう(適当?)

やはり、アニメーターとしての基礎を築き、高畑・宮崎コンビに出会った東映動画時代が中心だ
東映動画では1961年に労働組合が組織され、翌年、大塚は二代目の書記長に就任する。東映動画の労働組合は、単なる労働運動のみならず、細分化した現場の相互不信を解消するコミュニケーションの場として作用し、一つのチームとして作品作りにあたる意思統一に寄与した
組合で製作された作品への批評もさかんに行われ、例えば『安寿と厨子王』では権力者に媚びて出世する主人公が指弾されるなど、60年代の社会思潮「社会主義的リアリズム」に基づく手厳しい批評がなされていた
作り手の側が納得したものを世に出したいという動きは、太陽の王子 ホルスの大冒険を生み出し、会社を傾けつつも長編アニメの金字塔を打ち立てる
本書ではこうした組合民主主義による東映動画への愛が強く叫ばれつつ、一方では手塚治虫が虫プロを通した始めたリミテッドアニメーションへの嫌悪感を隠さない
「止めの美学」を能や歌舞伎などに根差した日本人に感覚に合うことは認める。しかし、テレビアニメの市場が拡大したことで、独立系スタジオが乱立し、基礎を知らない素人裸足のアニメーターが大量投入され、(大塚から見て)低廉な作品が供給される現状は容認できない
そうした情勢への反発が日米合作による『リトル・ニモ』への挑戦につながっていく

巻末の裏話が面白過ぎる
高畑勲のは先輩を立てたまっとうな解説だが、宮崎駿のそれは悪戯ごころ溢れる暴露話である
ルパン三世がなぜフィアット500が愛車かというと、「あまり成功しない泥棒が高級車は似合わない」としてイタリアの大衆車でかつ、大塚康生が愛用していたから。近くにモデルがあったほうが描きやすいという理由らしい
ある日、大塚はスタッフ同士で酒盛りをした後、愛車でスタッフを送り届けようとした(今なら重罪!)。酔っていたため同じところを堂々巡りして元の場所にスタッフを降ろした後、家の方向を間違えて泥道に突っ込み、一人で抜け出せなくなってしまったという
その後、そこからどうやって車が救出されたかは割愛するが、リアルでアニメに負けない活劇を繰り広げていたのだ
巻末には、60年代頃の東映動画が日本のアニメーションにもたらしたもの』という高畑勲のレポートが収められていて、作り手側の視点と断りつつも、自称評論家たちより鋭い分析がされている。これも必見!


リトル・ニモの野望リトル・ニモの野望
(2004/07/22)
大塚 康生

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『宝塚というユートピア』 川崎賢子

来年で100年!?

宝塚というユートピア (岩波新書)宝塚というユートピア (岩波新書)
(2005/03/18)
川崎 賢子

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創立90年を超えてなお年間260万人の観客動員を誇る宝塚歌劇団の魅力とは。創設者・小林一三の構想から、戦前、戦中、占領期を経た作風の変遷、思想的背景、伝統を生み出す強さを探る
本書は歌劇団そのものというより、それが生み出された背景や文化的状況に力点が置かれていて、現代の宝塚については冒頭と終章に限られる
その代わり、女性が舞台に立つ、男性を演じるということが、各時代においていかなることであったかがジェンダー論を踏まえて読み解かれ、宝塚が容認されたその時代の世間や風潮まで押さえられていて、大正から占領期までの社会文化史としても読み応えがあった
手塚からAKBまで多大な影響を与えてきたこと考えれば、宝塚を抜きに日本の文化は語れない

阪急・東宝グループの総帥・小林一三は、都会で働くサラリーマンが郊外に住居を構えることを予見し、鉄道の敷設→住宅開発→観光・ホテル→駅ビル・デパート→学校誘致と事業を展開した。何もないところに乗客を誘導し、顧客を創造したのだ
そして、そうした消費者が集う大衆娯楽として、映画・劇場といった興行にも進出し、宝塚も乗客誘致の手段として始まった
当時の“女優”は未だ、花柳界的な芸事と歓楽が混合した“遊女と見なされていた。芸術に専属する近代的な“女優”の存在は試みは続いても、大衆のゴシップからは逃れられなかった
宝塚では劇団を“学校”、女優を“生徒”を置き換えることで、未婚の女性が演じる“清く、正しく、美しく”をモットーに、女優に対するイメージを一新した
当初は現代のように女性ファン中心ではなく男性が多かったが、戦前の女性が異性愛をテーマとする演劇を堂々と見られる場所として人気を博すことになる
それには同性によって異性愛が語られることで芸術性が増したのと、女性の同性愛を少女にありがちなものとする世間の偏見から見逃された部分もあった

宝塚は演劇を近代化するモダニズムの志向と、都会で働く賃金労働者とその家族に慰安を与えるノスタルジアの二面性をその出発から持っていた
都会の現実を癒すために、演劇の空間では日常から離れたユートピアが演じられ、そこの中では近代化に批判的な文脈も盛り込まれることになった。著者はこのアンヴァレンツこそ、90年持続した源であるとする
本書では宝塚の周辺にも多くの数が割かれていて、創設当初には各地に少女歌劇団が生まれ熾烈な競争が続いていたことは興味深い
各地の百貨店が少年、少女の音楽隊を結成することに始まって、大阪松竹歌劇団(OSK)、松竹歌劇団(SKD)など多くの少女歌劇団が立ち上がっていた
こうした文化的状況は、現代のAKBとその姉妹グループや、地元密着型のアイドルグループ、ミスコンと地続きだろうし、少女歌劇団そのものが日本に独特の舞台芸能であることも、アイドル文化を語る上で大事な視点となるだろう

『第2回電王戦のすべて』 

NHK杯を横目しながら

第2回電王戦のすべて第2回電王戦のすべて
(2013/07/25)
不明

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コンピュータ将棋側の3勝1敗1分に終わった第2回電王戦
その出場棋士全員の自戦記に、ソフト開発者への質問強豪コンピュータによる勝負所の解析など、さまざまな角度から電王戦を振り返る
観戦記については、ニコニコ動が掲載されたのと同じものであるが、全体的にはタイトルに偽りなしの内容であると言っていいだろう
日本将棋連盟発行ながら出場したプロ棋士とともに、ソフト開発者の熱意を称えるスタンスは、コンピュータと人間の共存共栄という電王戦のテーマにかなったものだと思う

本書の目玉は、ときに赤裸々に語られる棋士の自戦記
特に『将棋世界』でも詳しく触れられていなかった、第4局の塚田泰明九段、第5局の三浦弘行九段の自戦記は、電王戦参戦が決まる経緯やその直前の状況まで語られていた
塚田九段は軽い気持ちで立候補したものの、おそらく若手棋士が中心になると想定していたそうで、研究会でソフトの進化を知って愕然としたという
兄弟子でコンピュータ将棋の研究者である飯田弘之教授に聞いたところ、「斬り合っては駄目。まったりと押さえ込んでチャンスがあれば入玉を狙え」と言われ、攻め100%の棋士人生を送ってきた自分には無理だ、と辞退も考えたそうだ
三浦九段の場合は立候補していないにも関わらず、A級棋士でも出さないと興行が盛り上がらないと要請を受けていた
しかも、自身が名人戦に出場する場合は電王戦の参戦が延期されることになっていて、念願の名人戦出場がなくなった時点で電王戦の最終戦が決まるという、モチベーション的に最悪の状態に臨むことになった
もちろんそれは世間への言い訳になりえないが、コンピュータ将棋へのリテラシー、出場棋士への人選など、連盟側の課題を浮き彫りにしたといえる

本書を読んでいる間に、ニコニコ動画では電王戦で対戦した同士がコンビを組む電王戦タッグトーナメントが開催された
優勝したのは、現役プロ棋士で初の敗戦を味わった佐藤慎一四段とPonanza組で、佐藤四段が要所でPonanzaの提案を蹴って逆転勝ちするという面目躍如だった
そうしたこともあって読後感としては、人とコンピュータの決着はまだまだこれからという気になった。GPS将棋と三浦九段の将棋も、GPS側は仕掛けた後に考えを改めて違う手を見つけたらしく、たまたま成立した仕掛けだったという
第3回電王戦は、コンピュータのクラスタは禁止され、プロ棋士は最新ソフトと研究する機会を得ることになった(ソース→http://nikkan-spa.jp/496100
ある意味コンピュータ側が人間に譲歩した内容で、世間的にはまさに背水の陣だ。負けられないというプレッシャーから解放されたプロの逆襲に期待したい

『ボナンザVS勝負脳―最強将棋ソフトは人間を超えるか』 保木邦仁 渡辺明

ボナンザVS勝負脳―最強将棋ソフトは人間を超えるか (角川oneテーマ21)ボナンザVS勝負脳―最強将棋ソフトは人間を超えるか (角川oneテーマ21)
(2007/08)
保木 邦仁、渡辺 明 他

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2007年3月21日、ネット将棋・最強戦の創設を記念して竜王とコンピュータソフト「Bonanza」との記念対局が行なわれた。プロと開発者は何を思い、いかに戦ったか
本書は「Bonanza」の開発者・保木邦仁と渡辺明竜王との共著で、対戦についてはもとより、ソフトを開発する経緯対戦前のコンピュータ将棋への印象が語られ、その両者が対談するという劇的な構成になっている
保木邦仁はソフト開発が専門ではなく、もともとは物理化学で分子レベルの研究をしていた方で、研究をコンピュータで化学反応をシミュレーションしていたことから、趣味として将棋ソフトの開発を始めた
将棋の素人だからこそ既存の枠に捕らわれず、チェスソフトの手法である「全幅検索」をストレートに用いて最強の将棋ソフトを作り上げた(2006年世界コンピュータ将棋選手権優勝)

「Bonanza」については、前に取り上げた『コンピュータVSプロ棋士』と内容が重なる
本書で光るのは、コンピュータ将棋についての竜王の見解が率直に綴られているところだろう
2005年7月に月刊誌「将棋世界」の企画で、将棋ソフト「激指」がプロとの角落ち戦が組まれ、そのときに竜王は対戦して勝利していたが、もう一人のプロ、木村一基八段が負け、9月にはハッシーこと橋本崇載五段(当時)が「TACOS」と平手で対戦し終盤まで劣勢で辛勝していた
このことを受けて、将棋連盟は同年10月6日付けで「連盟に断りなしに、公の場でコンピュータ将棋との対局を禁じる」と全棋士に通達されたという
竜王はこのことを、連盟がコンピュータ将棋の強さを認めて「お金がとれるエンターテイメント」になると確信したと解釈している
ただ、2006年時点でのボナンザに対する評価は高くなく、世界コンピュータ将棋選手権で優勝したときも奨励会三級レベルで、「ポカさえなければ勝てる」と考えていた
しかし、2007年で対戦した際には奨励会三段レベル、プロに際どい水準に近づいていた。選手権ではノートパソコンであったことから、ハードの性能がBonanzaの力を底上げしたと竜王は読む
Bonanzaはコンピュータ将棋同士では抜けていなくても、人間相手に強いのが特徴で、開発者がアマ級位レベルであることから、偶然の産物であるとしている

竜王はファンが考える以上にBonanzaを研究し、その弱点を意識していた
プロからすれば対戦相手を意識して作戦を立てるのは当然で、ソフトとの練習を重ねるうちにBonanzaの終盤に弱点があることを知っていたという
対談においてプロから見て「一手一手」の終盤を、ソフトが終盤と認識しないことが明らかにされている。プロが感覚でたどり着く終局を、ソフトは実際に勝ち手順が浮かんでこないと判断できないのだ
ハードで底上げされたBonanzaは想像より強く形勢では不利に立たされたが、終盤が怪しいことを見抜いた竜王はわずかな失着をとらえて勝ちきった
コンピュータの領域とされる終盤に弱点を見つけるとか、並の着想ではないが、そこまでやらないと勝てないレベルにまで来ていたとも言える
電王戦の数年前の時点で、プロとソフトは情報戦で優劣を決するレベルに接近していたのだ続きを読む

『コンピュータVSプロ棋士―名人に勝つ日はいつか』 岡嶋裕史

名人戦でひふみんの解説を聞きながら


コンピュータVSプロ棋士―名人に勝つ日はいつか (PHP新書)コンピュータVSプロ棋士―名人に勝つ日はいつか (PHP新書)
(2011/01)
岡嶋 裕史

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人間の頭脳に挑むコンピュータ将棋はいかに進歩してきたか。チェスプログラムの始まりから、あから2010の清水戦までの歴史に迫る
本書は情報ネットワークの専門の学者さんが、コンピュータ将棋の側からその進歩と実態を解説するものだ
コンピュータ将棋を知らない人への入門書というコンセプトなので、自虐の入った砕けた表現も多く、将棋に詳しくない人にも入りやすい
コンピュータはアラン・チューリング(HOI2の研究機関で出てくる!)の代からチェスとのつながりが深く、早くからコンピュータにチェスを指させる研究があった
情報処理の発達とともに強いコンピュータ将棋が登場するのも宿命的なものといえそうだ

本書の主役をつとめるのは、渡辺竜王相手に奮戦し、あから2010にも組み込まれたボナンザ
ボナンザはコンピュータ将棋の実力をトップアマを超えるまでに高めた画期的なソフトで、故・米長会長を倒したのもボナンザをベースにした六台のクラスタだった
この将棋ソフトの特徴は、ハードの性能の関係で将棋のセオリーなどから読みの方針を絞る「選択的探索」を止め、すべての手を射程に入れる「全幅探索を行なっていることと、「自動学習機能」を持っていることだ
かつては、すべての手を読み始めると対局にならないほど考えてしまうソフトだったが、近年はハードの進歩で「全幅探索」が可能になり、それに「アルファベータ法」という点数の低い悪手を消していく手法を織り交ぜて中盤の棋力は大幅に向上した
自動学習機能は、読んだ局面を正確に判断させるためのもので、膨大なプロの棋譜を参考にして同じ着手が取れるように各係数の配点をコンピュータにさせる。簡単に言えば文字変換ソフトの延長にあるものだ
このことにより、かつては有段者が職人芸的に行なっていた調整を初心者に毛の生えた研究者が行なえるようになり、プログラマの負担は格段に減ってより違う箇所に力を注げるようになった
皮肉なことに将棋のプロを倒したソフトは、プロの棋譜によって鍛えられていたのだ

さて、それでは将棋ソフトが完全に人間を超える日が来るのだろうか
著者によると、その日はまだまだ先のようだ
まず、現行のソフトはプロの棋譜を参考にして人間の思考に近づけるようなベクトルで発達しているので、人間の想像を超える戦法、好手は理屈の上から出ない
あから2010が清水女流王将に勝ったのも、人間側がソフトの土俵に乗っかってくれた部分があり、ラディカルに隙を突かれたらこうはいかないという評価がされている
ちなみに、チェスの世界ではいまだ人間に完勝するチェスソフトは登場しておらず、現状は人間とソフトが協力しあうと人間単独、ソフト単独に勝るらしい
囲碁、将棋はおろか、チェスですら完全定跡を見つけるには程遠く、今のコンピュータに考えさせたら宇宙が終わるのが早いとまで言われている
将棋は永遠に不滅と言って差し支えないないだろう


関連記事 【電王戦】どうなる?人間対コンピュータ(コラム)
     『ボナンザVS勝負脳』

『スピルバーグ』 筈見有弘

自分のど素人ぶりが良く分かる・・・

スピルバーグ (講談社現代新書)スピルバーグ (講談社現代新書)
(1987/11)
筈見 有弘

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初版の年を見て驚いた。昭和62年(1987年)に出版された本なのだ
ちょうど『太陽の帝国』の公開前で、『E.T.』『インディ・ジョーンズ』シリーズで世界的な地位が確立されて、監督人気が絶頂の時代だ
本書では、スピルバーグが登場するまでの映画界の歴史から、彼が頭角を現す経緯、監督業のかたわら立ち上げた制作集団とプロデューサーとしての活動、その作品と人生、と80年代までのスピルバーグの全てを扱っている
昔の本ながらスピルバーグの原点をしっかり押さえているので、今の作品を観る上でもタメになると思う
むしろ今語られぬ部分を掘り起こす意味では、こういう古書が貴重なのかも

少しは映画を観てきたつもりが、しらないことばかり
ロバート・ゼメキスボブ・ゲイルの存在は知っていたけど、他は完全に抜けている
スピルバーグというと、監督のイメージが先にあって制作総指揮で名前を貸しているという印象があったけど、この本を読むとプロデューサーとしても精力的に活動し、若い人材をピックアップしてきたのがよく分かる
単に有名監督ではなく、映画界の帝王とも言うべき存在なのだ
『E.T.』の成功を経て制作会社アンブリン・エンターテイメントを起動させ、『グレムリン』『グーニーズ』『ヤング・シャーロック』『インナースペース』『ニューヨーク八番街の奇跡』とそれ以降のはwikiで確認してもらえば分かるように、膨大な作品数だ
自分で企画を立てたものを自分で扱えないと思えば、他の監督や若手スタッフに委ねるし、必要とあれば制作現場にも口を出す
豊かな才能に恵まれながらその限界を知り、人の才能を見抜く名プロデュサーでもあるのだ

スピルバーグの原点となっているのが、アメリカで1950年代から進んだ郊外化、中流層の都市から郊外への移動で、作品群のなかでも「他人に好かれたい」という外向的な人たち貧困から離れた中流生活がベースになっている
黒人女性の自立を描いた『カラー・パープル』では、世界恐慌など社会背景が描かれないなど、経済に対する暢気さが裏目に出て批判を浴びたようだ
このときの反省が生きて、それ以降の作品はその時代に寄り添うものになっているとは思う(そのぶん、本来の持ち味は薄くなっているが)
スピルバーグのアニメ好きは知っていたが、作っていたとは知らなかった(『アメリカ物語』)。そのうち、見てみます

『大阪学』 大谷晃一

ちちんぷいぷいの顧問団もしてはります

大阪学 (新潮文庫)大阪学 (新潮文庫)
(1996/12)
大谷 晃一

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なぜ大阪はオモロイのか。日本の中で異彩を放つ大都市を歴史、文化、風俗から学ぶ、個別都市学の魁けとなったベストセラー
京都人から見ても、大阪は異質なものがある。北摂に入っただけで違う空気が流れている
違法駐車から善悪より損得を優先する気風、他府県を圧倒する歩くスピードから「いらち」な性格、関西芸人の自分を貶めてとる笑い、きつねうどんに見る食い倒れの合理性、すべてが商人の町であったことから始まっている
本書は前半のそうした観察から、後半に全国区に出た経済人、発祥の歴史、近世から近代に到る文化人を取り上げ、いかにして今の大阪ができたのかを、解説する
そこに現れるのは、オモローな大阪に留まらない
近世の大阪はもっとも近代に近づいた都市空間であり、あけすけに今を描く作家(井原西鶴・上田秋成)合理的で唯物論に近い思想家(山方蟠桃)を生み、緒方洪庵の適塾は多くの著名人が輩出した
江戸の大阪は政治情勢に左右されにくい経済特区であり、その伝統は近代以降も生き続け日本に刺戟を与えてきたのだ

昔の芸人さんから「昔の大阪はこうではなかった。戦後になって乱暴になった」という話を良く聞く
しかし、本書を読む限りはそうでもない(苦笑)
河内弁や他県の言葉が流布して言葉遣いが変わったのは確かでも、他府県から大阪の印象は昔から猥雑であったようだ
合理主義で損得勘定が強くて、裏表がなくていらちな大阪商人
意外なのが指導者となると、この商人の合理性から離れていくことだ
楠木正成は商業を基盤とした悪党で、鎌倉幕府の大軍をきりきり舞いさせた名将なのに、湊川の合戦においては後醍醐天皇への忠誠から、負けると知って戦いに赴く
大塩平八郎は飢饉時にコメを買い占める商人を懲らしめるべく、無謀な反乱を起こし悲劇的な死を遂げた
この点はしたたかな大阪商人とは対照的で、著者も歯切れが悪い
合理主義で貫徹する商人気質が、裏表を要求する政治の世界では裏目に出るのだろうか
イデオロギーよりも自分の手の届く範囲のリアルを重んじるがゆえに、フィクションであれ名分が必要な政治のメカニズムと体質的に合わないからで、あっけなく死んでしまうのは、商売の切った貼ったから来る生命観からかもしれない

「おおさか」という地名は、浄土真宗の蓮如上人が読んだ歌から来ているらしい
淀屋橋は文字どおり、「淀屋」という商人が架けた橋で、梅田は埋め立て地の「埋め田」から、本書では近世にかけて建設されていく都市大阪を描きつつ、地名の由来もさりげなく解説してくれる
大阪は徐々に埋め立てられて拡大しており、ミナミは元の大阪で、キタは埋め立てた「新地」
キタには他府県から人が流入してマイルドな関西文化を作るが、ミナミはどギツイ、生の大阪文化が育まれている。『ミナミの帝王』は、ミナミである必然があるのだ
やはり、独特の地域である。橋下市長の政治手法が大阪で成立し、全国区でいまいちだったのは、政治文化の落差が大きいのではないだろうか

『ブラック・ムービー アメリカ映画と黒人社会』 井上一馬

米大統領選はオバマの再選で終わった
黒人大統領が誕生したのにも、ブラック・ムービーが関わっている

ブラック・ムービー―アメリカ映画と黒人社会 (講談社現代新書)ブラック・ムービー―アメリカ映画と黒人社会 (講談社現代新書)
(1998/11)
井上 一馬

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アメリカ映画界で黒人たちはどのように関わり、社会の変化とともに地位を高めていったか。著名人たちの生き様で振り返る黒人映画の歴史
シドニー・ポワチエ、パム・グリアー、エディ・マーフィー、ウーピー・ゴールドバーグ、スパイク・リー、ホイットニー・ニューストン、デンゼル・ワシントン、モーガン・フリーマン、ダニー・グローヴァー・・・
映画の歴史と実社会の変遷を押えつつも、各年代ごとにスターの履歴に触れて各々が果たした役割を分かりやすく説明していく
アメリカにおける黒人の人口は4000万人弱(2010年)で、全体の比率で12%に過ぎない
それゆえ自由と民主主義を標榜しながらも、人種差別が重くのしかかっていた
その突破口となったのが、音楽でありスポーツであり映画だったのだ
見なくてはならない映画がこれほどあるのか、と思わせられる一冊である

黒人と映画の関わりは、実は映画が生まれた当初から始まっている
1910年代に“黒人映画の父”オスカー・ミショーが撮り始め、人種差別に鋭く切り込んでいた
しかし、メジャー映画への進出は壁が高く、50年代を待たねばならなかった。なにせ、白人と黒人で映画館が分けられていた時代が長くて、映画の内容すら変わることがあったぐらいなのだ
キング牧師などの公民権運動がさかんになった50年代、黒人俳優として初めて第一線に立ったのがシドニー・ポワチエ
白人社会の優等生、「ショーウィンドゥーの中の黒人」と言われながらも、映画界に黒人のポジションを確立していく
この優等生路線は、今ではデンゼル・ワシントンなどに引き継がれ、そのイメージはオバマ大統領にも重なるものがある
映画史における最初の黒人大統領は『ディープ・インパクト』モーガン・フリーマンだそうだが、こちらは少しキャラが違うか

80年代に入って席巻したのがエディ・マーフィーウーピー・ゴールドバーグだった
もはや、ポワチエのように優等生ぶる必要もなく、自らの持ち味を思う存分発揮していく
では、黒人をめぐる社会問題が良くなったかというと、さにあらず。黒人内で貧富の差が生まれ、スラムに取り残される者と階級を上昇する者に二極化した
黒人映画も上流の白人を撃つのみで済まなくなり、黒人のミドル以上を扱うドラマが生まれる一方、黒人が黒人の問題を訴える挑発的な作品も生まれて、多様化が進んでいるようだ

ため息つかせて [DVD]ため息つかせて [DVD]
(2012/03/08)
ホイットニー・ヒューストン、アンジェラ・バセット 他

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『ドラキュラ誕生』 仁賀克雄

人によって取りようは違う
「新作のスタジオワークに入れるらしいから」
この言葉から、富野監督の新作がかなり具体性をもって制作に・・・と受け取ったが、人によっては「監督流のいつも吹かしじゃないか」という見方できるようで
いい歳して素直すぎるかなあ

ドラキュラ誕生 (講談社現代新書)ドラキュラ誕生 (講談社現代新書)
(1995/09)
仁賀 克雄

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1897年、ブラム・ストーカーによって吸血鬼ドラキュラは生み出された。そのドラキュラはいかなる伝承が総合されて、いかに怪物界の帝王の地位を築くに到ったか
いやいや、ドラキュラ三昧の本であった
古代の吸血鬼伝説に始まって、世界の吸血鬼、ドラキュラのモデルであるヴラド・ツェペシュや作者ブラム・ストーカーの人生と時代に触れ、最後にその後に派生したドラキュラ作品にまで触れている
吸血鬼にまつわる古典から、ブラム・ストーカーと同時代の吸血鬼もの、近現代の吸血鬼映画まで紹介してくれるのだから、至れり尽くせり
旧版の講談社現代新書のそでには、だいたい概略や引用が載っているのだけど、この本の場合は「母からの讃辞」があった
最初は「著者のか?」と思ったが、実は本中にあるブラム・ストーカーの母のもの。そんなユーモアもある
勘にして要を得た一流の新書であり、ぜひ復刊をしてもらいたい

吸血鬼は不思議な怪物だ。普段は棺桶の中に入った死人同然なのに、人の生き血をすすることで姿は生者なのである
著者はそんな吸血鬼伝説の原因を、死んだと誤解された人が棺桶の中に入れられたためではと例証する
医療が発達する近代以前では、病気の診断できる種類が限られていて、生きているのに死んだとみなされる人が少なくなかった。埋められた後で目覚めた人が中で暴れ、棺桶を開けると血だらけの死体があった・・・というわけだ
また、乾燥した地域では保存状態によっては、ミイラ化するまで生きているような状態を保つことがあったとか
古代からギリシャ神話のラミアなど吸血の伝説は事欠かないが、“専門の吸血鬼”は希だった
死体を喰らうグール、月夜に変身する狼男と混合したイメージで考えられていて、コウモリに変身するという能力は南米の吸血コウモリが知られるまで持ち合わせていなかった
面白いことに、吸血コウモリのいる現地では吸血鬼の伝承は少ない
ヨーロッパ圏に広まったのは、吸血の伝承が血を生命の源とするオリエントの宗教観に由来していて、キリスト教にもワインとパンを血と肉に喩える儀礼として残っていたためと考えられる
(帝政ローマにも、負けた剣闘士の血をすする観客がいたらしい!)
しかし、イギリスやフランスで吸血鬼伝説はあまり有名でなく、オリエントに近いヴラド公の中欧・東欧が根強い

現在の吸血鬼像を完成させたブラム・ストーカーだが、彼の登場以前に吸血鬼ブームは起きていて、実に様々な作家が吸血鬼ものを手がけていたようだ
イギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロンなどが東欧の事件・伝承から吸血鬼小説を書いたのを皮切りに、ヨーロッパ中にブームが広がり、1872年には女吸血鬼の決定版『カーミラ』が発表されていた
ギ・ド・モーパッサン、アーサー・コナン・ドイルなども手がけていて、美女に紳士姿の吸血鬼が誘惑することで、当時は官能小説としての魅力もあったようだ
日本では横溝正史の『髑髏検校』(1939)が有名で、それ以後はパッとしないものの1971年に半村良『石の血脈』が出て、1980年代にようやく『ヴァンパイア戦争』『吸血鬼ハンター“D”』など数多くの吸血鬼小説が作られるようになった
欧米の吸血鬼小説では、アン・ライスの『夜明けのヴァンパイア』(1976)が吸血鬼をモンスターではなく生身の人間のように捉えた画期的とされている。が、その四年前に萩尾望都『ポーの一族』の連載が始まっていたから、日本のマンガは伊達じゃない
他にもベラ・ルゴシ出演の映画など、本書にはあらゆる吸血鬼ものが網羅されているので、視聴リストとして大事に持っていたい


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