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『菜の花の沖』 第6巻 司馬遼太郎

やっと本題に




艦長のゴローニンを囚われたディアナ号の副艦長リコルドは、その情報収集と解放を目指し、国後島沖で高田屋嘉兵衛の勧世丸を拿捕した
リコルドは嘉兵衛を取引材料に使うため、要人扱いして金蔵、文治ら数名とともにカムチャッカのペトロパブロフスクに連行してしまう
嘉兵衛は日本とロシアの衝突を避けるため、リコルドと民族を越えた交情を育み、両国政府の間に立つことを決意する

ようやく嘉兵衛とリコルドは出会った
不幸な出会いで始まるのだが、司馬が描きたかったのは、この言葉もまともに通じない2人の関係であり、その国を越えた友情が日露両国の平和への架け橋となったのだ
まったく違う環境に生まれた2人でも、海で育ったことにも変わらない。荒々しい波浪を乗り越えるために、嘉兵衛はリコルドやその水兵たちに協力し、ときには強引に指示までしてしまう
リコルドはそうしたアクの強さも含めて、嘉兵衛の“海の男”としての実力、人柄を認めていく
しかし、ナポレオン戦争の影響によるロシア側の混乱、フヴォストフ事件から来る日本側の不信もあって、交渉も難航する
嘉兵衛は連れてきた文治、吉蔵、アイヌ人のシトカが病死したことから、情緒不安定になり、ことがならない時はリコルドたちと刺し違える覚悟すら見せた
日露の間に立つ交渉人としては、話をまとめようとすると、相手方と癒着しているように見せてはならず、人間として信用していても、距離を置かねばならぬことがある
そうした外交官としての表裏を、リコルドと嘉兵衛の互いが、そして日露の高官が理解したうえで、ようやくゴローニン事件は解決されたのだ


嘉兵衛への感情移入

司馬は嘉兵衛という人物に、どっぷりと浸かってしまったのだろうか。嘉兵衛の気分に応じて、けっこう矛盾したことが書かれている
嘉兵衛が日本側の対応を疑い出したときには、日本は外国の事情というものを理解しない、牢固とした体制を持つ国と書く
しかし、嘉兵衛の理解者である高橋三平が、老中や松前奉行をつないでゴローニン釈放に動き出すと、ロシアが遊牧民や外国の侵略を跳ね返して拡張した“歴史の浅い国”とするのに対して、まだしも日本は中国との長い関係にオランダなどとの外交経験を持った“歴史のある国”と持ち上げられる(笑)
その時々の演出もあると思われるが、主人公の心境によって見事にブレているので、それだけ感情移入した主人公なのだろう
ロシア側が日本に求めていたのは、極東で活動する上での食糧であり、戦争しても目的のものは得られない。日本側もロシアの軍船と対決する武力はなく、もし醜態をさらせば一足早い幕末が訪れてしまう
日本側がゴローニン一行を釈放し、ロシア側がフヴォストフ事件を謝罪することで武力衝突は回避された。それをつなげる最後のピースが高田屋嘉兵衛だった


高田屋のその後

帰国後の嘉兵衛カムチャッカに滞在中の病に、全力で交渉に立ち回った疲労が祟って、一気に老け込む
帯刀を許されたとはいえ、一町人の身分で日露交渉を受け持ち、外国の事情を知ったことから、いつか高田屋が目の敵にされる未来を予見する
実際に、1821年(文政4年)蝦夷地が松前藩へ返還されると旗色が変わる
嘉兵衛の跡は弟・金兵衛が継いだが、嘉兵衛の死後6年後に密貿易の嫌疑をかけられて、闕所(財産没収)および所払いの処分を受けて、一気に没落することになった
兵庫の恩人、北風荘右衛門の懸念が当たったとはいえ、商家の興廃はあっけない


さて、総括すると、1巻ごとにテーマと調子が違って、簡単にはまとめられない(苦笑)
1・2巻は青年・嘉兵衛が愛妻を得て、船乗りとして一人前になるまで、3・4巻が北前船の運営から蝦夷地開発に関わる航海者・経営者への飛躍5巻はロシア側の事情とフヴォストフ事件・ゴローニン事件6巻は嘉兵衛の拿捕とゴローニン事件の解決、とくっきり分かれている
ゴローニン事件の顛末を知りたいのなら、第5巻・第6巻を読めば知れるし、江戸時代の若衆宿や船乗りのことを知りたければ、前半を読めばいい
一巻ごとにボリュームもあるので、テーマに応じて好きなところから、取りかかればよろしいかと
身分社会に悪口を言いながら、その流動性を突いて成り上がり、ついには歴史を動かした男の生涯が描かれて、司馬の江戸時代への複雑な感情がぶつけられた作品であります


前巻 『菜の花の沖』 第5巻

『菜の花の沖』 第5巻 司馬遼太郎

まだ事件は始まらない




嘉兵衛択捉を開拓していた頃、ロシアもまた極東戦略を変化させていた。ピョートル大帝以来、海軍の近代化に務めたロシアは、シベリア以東の領土を安定させ、毛皮を売買する露米会社の進出を助けるため、クルーゼンシュテルン提督に世界周航を命じる。露米会社の支配人レザノフは、自ら遣日大使として同行し、対日外交を始めたが、鎖国政策の江戸幕府は門前払い。この対応の余波が嘉兵衛の身を危険にさらすこととになって……

一巻まるごと、ロシア編なのであった(苦笑)
そもそも本作を書くにあたって、クルーゼンシュテルンの航海記を読んだことが発端であり、その前後の過程を埋めるべく、ピョートル大帝に始まる西洋化と海軍の建設、毛皮とシベリア開発から語られていく
遊牧民との戦いに勝利したロシアは、バルト海でスウェーデンに勝利しても、7つの海の王者イギリスが高い壁であり、進出は毛皮を追っての東方に偏った
17世紀のセミョン・デジニョフ、ついで18世紀のヴィトゥス・ベーリングアラスカに到達し、カムチャッカ半島、樺太(サハリン)、千島列島にも毛皮商人の手が及んだ
しかし、千島列島や樺太の住人を帰属させるには及ばず、日本と統治機関を定着させる競争を始めるのが、高田屋嘉兵衛の時代だった


日露外交のドッジボール

大黒屋光太夫を返したラクスマンクルーゼンシュテルンと共に日本にやってきたレザノフとも、日本との通商を求めただけであって、戦争に来たのではない
ただし、帝政ロシアの習性となっている、ツァーリズムから来る膨張主義毛皮とその市場を求める帝国主義は、外から見れば脅威に見えてしまう
そして、レザノフ部下のフヴォストフに出した命令が致命的で、レザノフが陸路の期間中に病死すると、それを知らないフヴォストフは受けた命令どおりに樺太、択捉の日本側の拠点へ襲いかかる(1806~1807年)
フヴォストフは対日関係を憂慮したシベリア総督に捕らえられるが、十数名のロシア水兵に、数百の日本兵が逃げ散った事実は幕府に衝撃を与え、必要以上の強硬策を取らざるえなくなる
このフヴォストフ事件(文化露寇)の反作用が、ゴローニン事件へ、そして高田屋嘉兵衛の虜囚へつながっていく

 民族間や国家間の作用と反作用のむずかしさは、ここにあった。日本側はロシアとロシア人を概念で見、個別的に見ていなかった。フヴォストフから受けた「作用」をゴローニンに対して「反作用」の行動で返したことについては、論理的にも情念的にも、さらには国家行動としても、つじつまが合っていた。ゴローニンこそがいい面の皮であった。しかしなんびとも、江戸日本という国際的に孤絶した環境をもつ国家のこの反発を不当なものとすることはできないであろう。(p334)

司馬はゴローニン事件についても日本を贔屓目に見ているが、問題はそのやり方。交渉を仕掛けた席で騙し討ちにするという詐術に関しては、日本外交の悪癖と指弾している

「信」
 というものが民族の第一義の財産であることを思うには、自らが卑弱すぎ、西洋人が強すぎると考えているからであろう。弱者は強者に何をしてもいいと思っているのか、外国人との接触がすくないために、かれらの強大さが悪魔的に見え、悪魔には人間のモラルは要らないと思っているのか、いずれにせよ、この場合も、陋劣な手段を講じた。
(p338)

この下りは人間同士でもあてはまる気が。SNSやら動画のコメント欄で、やたら権高になっている人を連想した


次巻 『菜の花の沖』 第6巻
前巻 『菜の花の沖』 第4巻


『菜の花の沖』 第4巻 司馬遼太郎

嘉兵衛、択捉に到達。まだ、ロシアは姿を見せない




寛政11年(1799年)ロシアの南下を知った幕府は、松前藩から蝦夷地を上知し、直轄領とした。蝦夷地に派遣された幕臣・近藤重蔵に、嘉兵衛は千島列島の択捉島への航路開拓を求められる。普通の船での航海できねばならず、千石船ではなく百石級の図合舟で荒海に挑む。見事に択捉へとたどり着き、その漁場を開拓した嘉兵衛は、定御雇船頭に命じられ、幕政への関係を深めてしまうのだった

嘉兵衛の航海は続く。東蝦夷の果て、ついに千島列島にも及んだ
箱館を任された弟・金兵衛や、兵庫の主・北風荘右衛門には、役人との付き合いを厄介そうにみられるものの、嘉兵衛にとって最上徳内近藤重蔵ら、草莽から立った幕臣たちとの厚情は断ち難い
また、蝦夷地の自然やアイヌの魅力に取り憑かれて、貧しい蝦夷地を豊かにすることを使命と考え始めていた
そして、択捉航路開拓後は、もはや商人の世界からはみ出して、幕府の蝦夷地経営と一蓮托生の関係になっていくのだ
荘右衛門には嫌味と警告を受けるが、それはより大きい世界に接してしまったとも言えた


ロシアと千島列島

まだロシア人は姿を現さないが、アイヌや千島、樺太との関連で触れられる
千島列島には、17世紀にオランダ人が接触し、18世紀には毛皮を求めて東進したロシア人最北端の島、占守島に達っしている
しかし、島にやってきたロシア人はギリシア正教への改宗と過酷な毛皮税を課し、千島アイヌとの関係は最後まで悪いまま。幕府の役人が上陸すると、たちまち十字架を捨ててしまった
上陸は早かったが、ロシアの行政機関は及ばず、毛皮商人が立ち去ればそれっきりで、国家の統治といえる実態はなかったのだ


択捉島の地勢

千島列島のなかでも、島によってその環境は大きく異なる
特に択捉島はその大きさと漁場の多さのわりに、海の難所に囲まれた関係から、蝦夷地本土や他の島との関係も薄く、原始的な漁業に留まっていた
嘉兵衛は、千島アイヌに本土の漁具と漁法を伝えて、生活水準を底上げした。多くの漁場を開拓し、魚を米の肥料に換算すると、15万石の収入に及ぶとの試算が出されている
アイヌの人々は、外からの人間を「客人(まろうど)=神の使いとして扱うが、小説では嘉兵衛が生き神様のような扱いを受けている様が描かれていた


嘉兵衛による択捉島への航海はなかなか破天荒で、あえて霧のなかで出航し、潮を計算していったんはオホーツク海方面に向かう。ひとつ間違えば、日本に戻ってこれない決断だが、すべては嘉兵衛の計算のうちであり、航海者としての非凡さが描かれている
彼にくわえて、途中で失脚した最上徳内文政の”三蔵”の1人、近藤重蔵に、日本全土を測量した伊能忠敬と、元町人、農民、下級武士が日本の前線を支える様は、幕藩体制の変質、崩壊を予感させる


前巻 『菜の花の沖』 第3巻


『菜の花の沖』 第3巻 司馬遼太郎

あとがきには、についての長い蘊蓄!
“灘”は本来、船乗りが船を入れる場所のない難所で、“◯◯灘”という言い方をするが、兵庫の“灘”はそれと関係ないという話。もともと「灘目」などと呼ばれ区別されていたが、いつしか取れてしまったようで




千五百石船の辰悦丸を得た嘉兵衛は、念願の蝦夷地へと船出する。蝦夷を治める松前藩は、秀吉以来の特権を楯にアイヌ人との交流一切を取り仕切り、その物産を諸国と取引することで繁栄していた。しかし、その裏側では松前藩の商人と手代たちがアイヌ人を収奪し、動物のように扱っているのだった。嘉兵衛はその松前藩を探索する幕臣・高橋三平と出会って……

第3巻で、ついに蝦夷地が舞台に!
当時最大級の和船・辰悦丸を手にしたことで、嘉兵衛は兵庫のみならず、大坂などの各地で一流の廻船商人として知られるようになる
その名声を脅威に感じた兵庫の北風家は、“高田屋”への扱いを変え、嘉兵衛は自立への道を歩むことに
そして“北前船”の北端である蝦夷地へとたどり着いた嘉兵衛は、その土地の広大さに純朴なアイヌ人、横暴な松前商人とそれに憤る幕臣と、本土と違う原則で動く天地を知ったことで、商人を越えた高みを意識していく


松前藩と悪名高き「場所請負制」

松前藩蠣崎(かきざき)氏の時代、1593年豊臣秀吉により蝦夷地と松前を安堵され、松前氏に改姓した徳川の時代にも、その地位がそのまま引き継がれた
蝦夷地では米が取れないので大名ではなく、交代寄合(旗本)として扱われたが、1719年に1万石の大名として扱われるようになった
藩の財政はアイヌとの交易に支えられ、家康の黒印状には「夷人に対し非分申しかくる者、堅く停止の事。」アイヌ人の移動の自由が認められていた
しかし、18世紀初めから、城下の商人が交易を請け負う「場所請負制が広まり、松前商人の手代たちは“場所”の主としてアイヌ人たちを奴隷のように使役する
そうした実態を隠すため、松前藩は幕府や東北諸藩の密偵の潜入を嫌い、海からの関所である沖の口役所では厳しい詮議が行われた。作中でも嘉兵衛は、罪人扱いされてしまう


蝦夷地の幕府直営

そんな蝦夷地でも、ロシアが沿海州へ進出したことで風雲急を告げた
田沼意次の時代から蝦夷地開発が検討され、その失脚で一時立ち消えたものの、1798年老中・戸田氏教大規模な蝦夷調査を命じて、蝦夷探索のベテランである最上徳内などを送り込んだ
1799年には蝦夷の大半を7年間の期限で取り上げて、松前藩に代わりの領地を与えている
そうした探索の幕臣と接した嘉兵衛は、箱館(後の函館)を拠点に選んで、北前航路ではなく、蝦夷地への新航路探索にのめり込む
世話になった北風荘右衛門にも、惜しげなく蝦夷地の地図を授け、商売人というより航海者としての役割を担う
サトニラさんの隠居で、高田屋の看板も堂々と掲げられるようになったが、ただの廻船商人では落ち着かないのだ


次巻 『菜の花の沖』 第4巻
前巻 『菜の花の沖』 第2巻

『菜の花の沖』 第2巻 司馬遼太郎

いよいよ船頭として始動




兵庫津で船乗りとして頭角を現した嘉兵衛は、“サトニラさん”こと堺屋喜兵衛に頼みされ、和泉屋伊兵衛の名を借りて江戸への沖船頭(雇われ船頭)となる。北前船への夢を持つ嘉兵衛は、カツオ漁で大船の建造費を稼ごうとするが、難所の多い太平洋航路の現実に転換を余儀なくされる
しかし北風荘右衛門の好意で、廃船されかかった「薬師丸」を得て、華の日本海航路へ旅立つ

2巻目も濃い!
兵庫に身を落ち着けた嘉兵衛は、瀬戸内海、紀州の新宮から関東の下田、北前船の航路である下関~出雲~隠岐の島~秋田と乗り出していくのだが、その都度、そのお国の風土や当時の産業について詳述していくので、さながら『海道をゆく』といったところだ
嘉兵衛が船持ちへと出世していくのを後押ししたのが、兵庫津の主ともいえる北風荘右衛門貞幹北風家は南朝の武将を先祖とし、江戸時代は廻船問屋となり、北前航路を河村瑞賢に先立ち開拓上方から江戸の太平洋航路も鴻池の酒を大量に輸送し、樽廻船の先駆となった
この荘右衛門貞幹の代に一時落ちぶれていた北風家は盛り返し、それを募った船頭が兵庫津に結集したという。作中でも北風家が遺した史料から、無料の風呂場と飯場を提供し、いかに船頭たちを大事にしたかを紹介している


紀州熊野の鰹節

嘉兵衛は最初、カツオ漁で北前船の建造費を稼ごうとするが、カツオ漁は紀州熊野の漁師たちが強く、入る隙間もない
紀州の浜近くは当然譲らないし、季節や捕れ高によっては土佐や関東にまで旅網も辞さない。その活動が日本各地の漁業技術を底上げしたと言われ、諸国に名がとどろいた
そして、沖でカツオを獲ろうにも、今度はカツオの加工が問題になる
魚を生で売るには限界があり、カツオが商品として流通するには“鰹節にしなければならない。燻乾法」(作中では「燻乾法」)によって、良質の鰹節が量産され、ただの乾物ではなく調味料として重宝されるようになる
その「燻乾法」を産んだのも紀州熊野の角屋甚太郎であり、土佐に伝えて「土佐節」といわれ、薩摩の枕崎、関東の伊豆にも伝わり、各地の鰹節の番付までつけられたそうだ
嘉兵衛の時代では、すでに競争相手が多く実入りのいい仕事ではなくなったようだ


日本海沿岸の繁栄

日本海航路へ行って嘉兵衛が出くわすのは、日本海側の港の繁栄
出雲は古来より「渤海国」など大陸との交易があり、流罪の地だった隠岐なども北前船により、淡路島より物品は豊かだったりする
秋田では最上川の流域で、口紅や生薬となる紅花に、上質の麻が栽培され、秋田杉が上方で高く売れた
米沢藩では特産品の青苧(あおそ=カラムシ)からチヂミ作りを産業化し、藩の財政を再建した
徳川家康が想定した、ほどほどに自給自足する社会制度を建前にしつつも、商品経済が全国的に沸騰しており、どの地域も他国なしに存続できない経済圏ができようとしていた


嘉兵衛は秋田の土崎湊にて、北前廻船のための1500石船を発注し、いよいよ念願の松前進出を計画する
そして、その建造費を投資してもらうためにも、淡路へと里帰り。実家に本家の高田律蔵本村の庄屋甚左衛門へと挨拶に回り、娘をさらった格好である網元の幾右衛門にも頭を下げる
青年期までの確執が錦を飾ったことで水に流れ幾右衛門もまた「昔は嫁を奪うのが流儀。蝋燭を立てて祝おうが、奪って夫婦になろうが、夫婦は夫婦」と、さらりと許してしまう
それだけ嘉兵衛が地域にとっての宝船になったということだが、長い年月を経たそれぞれの心境の変化を、数行の文章で描ききっていて、嘉兵衛の複雑な被害感情が溶けていくのが分かるラストだった


次巻 『菜の花の沖』 第3巻
前巻 『菜の花の沖』 第1巻

『菜の花の沖』 第1巻 司馬遼太郎

はみ出しもの、の成り上がり




18世紀末の淡路島津名郡都志の本村に生まれた嘉兵衛は、家が貧乏なことから、隣の新在家の問屋へ奉公に出た。しかし、地元の“若衆宿”に入らず、本村のに所属したことから、目をつけられてしまう
世間に嫌気がさした嘉兵衛は、新在家の網元の娘・おふさと結ばれた後、水主(船乗り)を目指して兵庫津(後の神戸)の叔父を訪ねるが……

北海道の箱館(現・函館)を開き、ゴローニン事件に巻き込まれた高田屋嘉兵衛の物語
司馬は少年時代に、ロシアから日本への使者レザノフを乗せ、世界一周の航海に出たクルーゼンシュテルンの回顧録を愛読しており、日本とロシアの異文化のぶつかり合い、人間の交流を描こうと心温めていたらしい
とはいえ、第1巻はロシアの“ロ”の字も出てこない。ドラクエ3でいうと、まだアリアハンだ(笑)
主人公の嘉兵衛は淡路国に生まれた青年であり、小柄ながらいかつい風貌から良くも悪くも目をつけられる異端児。奉公先の土地で因縁をつけられたことから、網元の娘に手をつけて飛び出し、兵庫津では淡路には見ない役人たちともめてしまう
海の上で船を操れるかどうかなのに、地上ではなぜ貴賎にうるさいのか
嘉兵衛からは、大阪人の司馬がのり移ったかのように、江戸の身分社会への怒りが表明される


淡路の風土と若衆宿

『街道をゆく』の「明石海峡と淡路みち」でも少し触れられていたが、淡路島は蜂須賀家の阿波藩のもと、元は野盗とも言われる家老の稲田氏が州本城代として統治していた
蜂須賀家の収奪の激しさと出自の卑しさから、武士を嫌う風土があったらしい
そんな淡路は低いながらも山々を挟んで、乾いた北部と温和な南部に分かれて気候が違い、嘉兵衛が新在家で“いじめ”られる原因にもつながっていくる
司馬が日本の古層としてこだわってきた「若衆宿に関しても、はみ出し者の嘉兵衛を通じて描かれ、昼の表社会は大人に従うが、“宿”に関わる風習に関しては大人を上回る力を持っていた
嘉兵衛が新在所の者に闇討ちされそうになったとき、新在所と本村の若者頭(若衆宿のリーダー)が話し合い、村から姿を消すように申し渡す
「若衆宿」には日本的な“いじめ“の力学が働く一方、慣習をもとに緩やかにまとめる“リーダー”を育てる場所でもあった


近世日本の航海技術

兵庫津へ出て以降に触れられていくのが、近世における日本の航海技術
戦国時代においては、海外渡航もさかんで西洋のように竜骨はないものの、中国のジャンク船に西洋風のマストを乗せた大船が外海へ繰り出していた
しかし、江戸時代に諸大名の密貿易と江戸の防衛を気にした徳川家康が、500石以上の大船を禁止。以後、古代の刳り船へ先祖返りし、和船は奇形ともいえる進化をとげる
高波を防ぎ、かつ積荷が多く積めるように両舷に高垣を作った菱垣船」(菱垣廻船)に、さらに積み込みの合理化をはかった樽廻船ができたことで、上方から江戸への航路が確立される
それまでは絶えず、岸が見える航路を通る沿岸航海にとどまり、長い日数を要していたのだ
こうした航海術の発達を促したのが、商品経済の発達とそれに対応して米を大坂で売ろうとする諸藩の対応であり、嘉兵衛の叔父・堺屋喜兵衛(サトニラさん)は鳥取藩の士分になったがために、ご奉公と経営の板挟みに苦しむ


1巻にして中身が濃い!
司馬の命日「菜の花忌」の由来となるだけあって、少年時代からの思いが込められ、歴史小説家としての集大成を意識されているかのようだった
それとなく、披露される日本語をめぐる蘊蓄がたまらず、「くだらない」が元は、上方から「くだる」の反義語「まとも」は風が船尾からまっすぐ吹いてくれて、帆を動かす必要のない状態「真艫」から。艫とは、船のうしろをさす
航海用語の「ヨーソロー」は「宜う候」から。舵を切ったあとにこういう言葉が出たときは「そのままでよろしく」ということなのだ
そんな豆知識を嫌味なく読ませる文章力は、晩年でも健在だ


次巻 『菜の花の沖』 第2巻

関連記事 『街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか』

『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』 太田尚樹 

小澤征爾の父や森繁久彌も出てくる



大杉事件を背負った甘粕正彦と、将来の総理を公言した岸信介は、満州に何を為し、歴史に何を残したのか。大正から満州国の建国、滅亡までを辿るノンフィクション

甘粕正彦と岸信介の割合は7:3ぐらいだった(苦笑)
政界入りを想定したはガードが固く、戦後に総理となり、90歳に亡くなるまで隠然とした力をもったことから、それほど痕跡を残さなかったのだろう
甘粕のほうは、無政府主義者の大杉夫妻とその甥を葬った甘粕事件(大杉事件)に、満州事変から始まる“甘粕機関“の活動、阿片密売、満州映画協会と、表と裏で仕切り続けたことから、多くの逸話が残されており、著者の力の入れ方が違うのだ
本作は関東大震災の混乱状態で起こった「大杉事件」に関して、甘粕自身が手を下していないと推定している
大杉栄は柔道の達人であり、小柄な甘粕が後ろから絞め殺したという供述は信ぴょう性が薄く、夫妻も死体はむごたらしく殴打されていて、複数人でリンチにあったとしか考えられない
公判で実行犯の1人とされた、森慶次郎曹長憲兵司令部付であり、甘粕が命令できる立場にはなく憲兵司令部やその上の上層部の関与が想像される
震災時には一般市民が朝鮮独立運動の余波から、数千人とも言われる朝鮮人虐殺事件を起こしており、それを使嗾したのは、社会主義者や無政府主義者だと警察や憲兵は見ていたようで、映画にもなった朴烈事件、亀戸事件を起こしている


1.事件後の甘粕

甘粕正彦は軍学校時代に負傷し退役を考えたが、上官だった東條英機に憲兵になることを勧められ、“事件”後は幼児殺しの反響から軍籍を剥奪され、一般の刑務所で3年の刑期を務める
著者は獄中記の文面から、殺人に(特に幼児殺し)には関わっていないこと、組織の都合で嵌められたことを読み取る。その一方で、任侠の徒や元社会主義者とも知り合いになり、“臭い飯”を食ったことで人間の機微に触れ、謀略家・行政家としてのセンスを磨くことになる
釈放後、妻とともにフランスへ旅立ち、満州事変の直前である1930年奉天の関東軍特務機関土肥原賢二大佐のもと、謀略の世界へ身を投じた。張作霖爆殺事件の河本大作を反面教師としつつも、満州の人脈を引き継ぐ
甘粕は本土では“テロリスト”の汚名を免れないものの、そうした過去が問題にならない満州の大きさに、取り込まれたという
満州事変後は清朝の“ラストエンペラー”溥儀の担ぎ出しに成功したことで、一挙に満州の警察トップにまで上り詰め、総務部次長の岸とともに満州国の裏と表を仕切る存在になっていく


2.満州国と阿片密売

満州国の産業化と関東軍の活動費のために、甘粕たちが手を染めたのは、阿片売買だった
1933年に関東軍は中華民国との戦争になりかねないリスクを負って、阿片の産地・熱河へ侵攻したのはそのためだった
販売ルートは3つあり、Aタイプはこの熱河の栽培農家などからの専売制。一般人は販売禁止として価格を高騰させ、日中戦争の際には中国全土に及び、甘粕は国民党へも利益供与していたという
Bルートは外国からの阿片を上海でさばく。これには特務機関のエージェントだった新聞記者・里見甫を甘粕がチェックする形で任されていた
ここでの莫大な利益が満州国、そして南アジアに展開する諜報機関の資金源となった
Cルートは、蒙彊地区(現・内蒙古自治区)を日本軍が買い上げ、中国人の売人にさばく。占領地域から阿片を集めて、そのまま中国人に売っており、国民党側の軍閥へも資金が流れるというズブズブの関係があったという
『満州アヘンスクワッド』にも出てくる青幇の首領・杜月笙と甘粕が接触していたことも触れられていて、ここらへんの事情が漫画のほうでどう描かれるか、楽しみである


3.岸信介と統制経済の実験

さて、岸信介。彼は第一次大戦、そして大戦後のドイツで行われた統制経済に興味を持ち、第一次産業しかない満州で、日本を支える重工業地域を作ろうとする
財閥を入れないという関東軍参謀の石原莞爾を丸め込み、日産コンツェルンの鮎川義介を引き込んで、関東軍参謀長・東條英機、大蔵官僚の国務院総務長官・星野直樹、満鉄総裁の松岡洋右と合わせて、「弐キ参スケ」と呼ばれた
しかし石原莞爾は「満州を第二の合衆国にする」と言いつつ、鮎川によるアメリカ資本の導入、大規模農業には反対し、日本からの開拓移民による小規模農業を勧めた。東北人の石原は経済の欧米化についていけず、結果的に満州引き上げの悲劇、大量の中国残留孤児を残してしまう
岸は満州で東條との関係を築き、甘粕とともにその政治運動を支援して、東條内閣では商工大臣を務める。経済発展のための統制経済はそのまま、軍国主義の高度国防国家論に転用され、太平洋戦争の総力戦体制を支えることとなる


4.満州の夢の末路

甘粕は1939年に満洲映画協会(満映)の理事長に就任し、「五族協和」の理想を実現すべく、女優の女給扱いの禁止、日満スタッフの給与引き上げ、ドイツの最新技術導入などで、戦後の東映の黄金期へとつながっていく
映画のプロパガンダ効果を認め、利益を謀略の資金源としたものの、史劇映画など芸術性の高い作品を求める文化人の側面も持っていた
とはいえ、岸の産業化、甘粕の「五族協和」の理想にしても、中国全土を対象にした阿片販売と引き換えにしたことは、許されるものではない
甘粕はソ連軍が首都・新京に迫るなか、敗戦直後に自殺。一方のはサイパンの防衛を巡り、東条首相と対立して倒閣運動を起こしたことで、A級戦犯を免れた
東京裁判において、なぜか阿片密売に関して追求されなかったが、それにはイギリスが持ち続けた阿片利権に対して、アメリカがはばかったからとされ、阿片王と呼ばれた里美甫も不起訴、無条件釈放となっている


本作はノンフィクションとされつつも、甘粕については小説のような描写がところどころあって、あとがきで著者が認めるように偏りは免れないが、光と影の両面を見事に捉えている。満州が語られるときの怪しさと魅力とはこういったことなのだ
甘粕と岸に関しては、東條英機を介してしか、つながりはない(苦笑)。岸信介の割合の少ないは少ないが、その不透明さが得体のしれぬ“妖怪”ぶりを感じさせられた


関連記事 『満州アヘンスクワッド』 第1巻・第2巻



『香水 ある人殺しの物語』 パトリック・ジュースキント

ネットで探していたら、実家にもあったという




ルイ15世統治下のフランス。パリの雑踏のなかで産み落とされたグルヌイユは、放置した母親が嬰児殺しの罪に問われて処刑され、マダム・ガイヤールの孤児院に預けられる。飛び抜けた嗅覚と生命力でそこを生き抜いた彼は、過酷な皮なめし職人に売られ、パリで様々な匂いに出会う。中でも赤毛の少女から漂う匂いに惹かれ、それを存分に味わうために殺してしまい、匂いを保存する方法を求めて香水職人のバルディーニに弟子入りするが……

以前、見た映画『パヒューム ある人殺しの物語』の原作小説
映画は匂いのために殺人も厭わないグルヌイユのピカレスクロマンとなっていて、小説もベースはそうなのだけど、彼が通り過ぎた様々な人々の小さな物語も描かれていて、ブルボン朝末期のフランス・ツアーにもなっている
冒頭からして「パリはくさかった」と衝撃の出だし! パリの通りにはゴミや排泄物が放置され、下の庶民から王侯貴族までが今では考えられない異臭のなかで、生きていたことに触れられる。そんな世の中だからこそ、“香水”は不可欠で、儚く消える匂いが高額で取引されたのだ
作風はヨーロッパの古典小説にならったもので、最近の小説にありがちな映画標準の描写はなく、淡々とした積み重ねで、“臭い”近代前夜の世界を立ち上らせている

究極の香りのために連続殺人鬼となるグルヌイユが主役ながら、彼と関わる登場人物もかなり個性的だ
文明が発達しない貧しい時代だからだろうか、みなが自分で精一杯、すがすがしく自己中心を貫いて生きている
最初にグルヌイユを預けれられたテリエ神父、孤児の保護費で稼ぐマダム・ガイヤール、有害な洗剤で数年しか生きられない皮なめしの職場を仕切るグリマル親方、凋落した老調香師バルディーニ、<致死液>を研究するトンデモ研究家のタイヤード・エスピナス侯爵“香水の聖地”グラースを仕切る副長官で、最愛の娘を狙われるアントワーヌ・リシ
どれも実在しない架空の人物でありながら、こういう人々が生きていただろうと思わせる時代の匂いを運んでくる
映画で割愛されたタイヤード・エスピナス侯爵の研究に付き合わされた時に、グルヌイユは香水によって人の印象を操れることを学んでおり、それがグラースでの連続殺人に、刑場での乱痴気騒ぎにも生かされて(!)いく。映画で飛躍に感じられたところは原作でしっかり埋められていたのだ

タイヤード・エスピナス侯爵の学説、地中からの<致死液>が人を腐らせ老いさせるというのは、もちろん今でいうトンデモ科学であるが、パスツールが細菌を発見するまでは、これに近い学説が渦を巻いていて、ヘンテコ治療法が普通に流通していた
 訳者あとがきでは本書の種本のひとつとして、『ミアスマと黄水仙――嗅覚と18・19世紀の仮想的社会問題』が挙げられている。そこでは悪臭=瘴気が病の原因とされ、その根源に「ミアスマ」というものが想定されていたという。この本の日本語訳はないらしく、訳者は独語で読んだそうだ



小説ならではといえるのが、究極の香水を作ったグルヌイユが、その結果にむしろ絶望するという場面。映画だと謎めいたラストになってしまったが、もともと人間嫌いだから、人々に無条件で愛される香水を作ったのに、香水ごときでなびいてしまう人間をなお嫌いになってしまったらしい
生まれたパリのスラム街に帰って……のエンドは覚悟の行動だったのだ
その他、バルディーニの許を去った後に、人が近寄らぬ山野に7年も暮らし、鼻と記憶による「匂いの王国」に浸るとか、引きこもりの心性を細微に追っていて、「想像の王国」を作る作家にも通じるような気もした
主人公の嗅覚と香水以外に、ファンタジーはないものの、近代以前のヨーロッパを伝えてくれる奇譚なのである


映画 【DVD】『パヒューム ある人殺しの物語』



『姐さん「任侠」記』 石原まいこ

世間もヤクザもまだ景気のいい時代の話



愛した男が極道だった……元極妻が明かすヤクザの日常

回り回ってフィクションに見えてしまう内容だった
子供が幼稚園に通う際には、なるべく周囲に極妻だとバレないようにしていたが、抗争中の場合はそうもいかず、黒いリムジンで送り迎え。護衛の黒服が並ぶ様に、園長に「抗争中なので」と断りを入れる場面は、漫画でもないだろうという(笑)
宴会で盛り上がる極妻の会、子供の運動会で張り切り、UFOキャッチャーにはまる組員など、かなり人間臭く面白いエピソードが並ぶ
台湾のマフィアが日本のヤクザの影響か、グラサンの黒服で整列して出迎えるとか、映画のような光景がわりとあることに驚く

強調されるのは、組全体がファミリーだということ。マフィアが血縁、人種という血によるなら、日本のヤクザは組長を中心とした「家」であり、擬似的な親子関係を結ぶ
構成員はどんなに年を取っていても「若い衆と言われ、男性中心の社会ながら“姐さん”は組長に代わって私的な面倒は見る
ヤクザの出自は博徒、テキヤと言われるが、中世近世の「若衆宿」の性質も継いでいるように思える
初出の単行本が2010年で、子供の年齢から書かれている内容は90年代後半からゼロ年代と思しく、暴対法の後でもわりと古い秩序が生き残っていたのだ

著者によると、極道にも段階があるようで、組長、盛り場の顔役クラスになると汚い商売に直接手を出さない。構成員も覚醒剤には手を出すのはご法度だし、堅気、特に女性への暴力には著者も手厳しい
しかし、ヤクの売人からの上納金は組織に流れていて、周囲をヤクから守りつつ、世間の薬物汚染に加担しているという矛盾は残る
平和な日常が取り上げられる本書では、極妻を狙う詐欺、他の組織からの盗聴、抗争中の引きこもりなど、一般人なら感じることもない過酷な環境であり、著者は最後は消耗して夫との離婚に踏み切る
親子の仲といっても、ヤクザは基本が個人事業主であり、どこまでも面倒見てくれるわけでもない。自ら命を断つ構成員も少なくなく、社会にとっても本人にとっても良くない存在なのだが、代わりに半グレ集団や外国人グループが浮上するので、にんともかんとも

『ザ・ロード』 コーマック・マッカーシー

2008年に映画化も。ポストアポカリプス系のゲームにも影響を与えてそう




核戦争後とおぼしきアメリカ。動物や植物も灰のなかに絶たれ、生存者同士が共食いする世界で、冬の寒さを凌ぐべく、親子は南を目指す
国境三部作、『血と暴力の国』の作者コーマック・マッカーシーによるポストアポカリプス

読むのに時間がかかってしまった。元の文体の特徴なのだろう、段落がやけに長くて日本語と相性が悪いのだ
それに加えて滅んだ世界の陰鬱とした調子が続くので、廃墟好きの人間でなければ、なかなかに辛い内容だ
具体的に何で世界が滅んだのか、親子に何があったのかは直接は触れられず、思い出されたかのように差し込まれる過去のついての断章などから読解していくしかない
SFではポストアポカリプスをテーマにした名作が多くあり、本作はそれを隠し味として引き継ぎつつ、過酷な環境で人がどうやって生きていくのか、精神を狂わせないのには何が必要か、そして、何のために生きるのかを問うサバイバルが主眼となっている
しかし、いくら頑張っても文明が滅んだ世界には限界が……人間が人間たるには何が必要かを突きつける作品だ


世界滅亡による歴史との断絶

親子の過去については、断片的にしか語られない。親は“彼”子は“少年”という人称で呼ばれる
破局からはけっこう年数が経っているらしく、“少年”は廃墟のなかで医者もいないところで生まれ、滅びた世界しか知らない
その母親は、ならず者たちと肉体関係をもって食糧を調達していたらしく、いたたまれなくなった彼女は二人から離れてしまう(自殺がほのめかされている)
“彼”は“少年”に対して、滅びる前の世界のことを教えるが、たえずそれを教える意味があるのかという想いに襲われる。もはや戻ってくるはずのない世界を教えて何になるのかというか


文明のない世界の「善」とは何か?

そこでこだわるのは“善きこと”であり、善き者”でなければならないということ。まともな植物が生えない灰色の世界で、食糧として動けない人間や子供が食われる時代人間としての倫理にこだわる
それは火を運ぶ”という言葉にもつながり、文明の火で滅んだ今となっては、プロメテウスの意味ではなく、命の灯火、良心の灯火を示しているのだろう
高齢で子供をもうけており、我が子へのメッセージが動機なので、この作家さんの割に、ラストにご都合感のあるのも致し方なしか
ピュリッツァー賞を受賞した高い評価を受けて売れた作品なのだけど、鬱状態がベースなので個人的には辛かった(苦笑)。訳者のあとがきとしては、日本の『子連れ狼』の影響なども指摘されているのだけど、暗いんだ……


*2024’2/12 加筆修正

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