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【配信】『魔法少女まどか☆マジカ』  第10話~第12話

まどかは阿弥陀如来


<第10話 もう誰も頼らない>

心臓病を患う暁美ほむらは、転校初日に保健係の鹿目まどかに連れられ、初めて名前で呼び合う関係に喜ぶ。しかし「ワルプルギスの夜」を迎えた時に、まどか巴マミも失ってしまう
その結末にほむらきゅうべえと契約を交わし、タイムリープの能力を身につける
2周目のほむらは、まどかを守ろうと積極的に魔法少女として頑張るが、まどかは「夜」に勝利するも、魔女になってしまう
3周目以降は、きゅうべえの悪巧みに気づき、魔法少女同士で協力しようとするが、さやか魔女化したことから、マミが絶望し殺し合いに発展。「夜」相手にまどかと戦うも相討ちの形となって……

ほむらがいかにして、クールな魔法少女となったかが描かれる回
それぞれの周回で、他の4人の魔法少女と違った知り合い方をしていて、エピソードが凝縮されていて濃い!
きゅうべえソウルジェムを得る代わりに、叶える願いの種類は任意で選べないらしく、自分を出し抜く能力を許してしまったようだ
タイムリープものに関する問題の数々、なんで時間はもどっても記憶が保たれているのかとか、いろいろあるけれど、彼女の人格がいかに作られたかというドラマとしての完成度は見事


<第11話 最後に残った道しるべ>

きゅうべえは、ほむらがやってきたタイムリープを見抜き、それこそがまどかの秘める膨大なエネルギーの原因だと指摘する。「まどかを守りたい」ということを根拠に何度もタイムリープしたがゆえに、因果の鎖がうんぬんかんぬんなのだ
美樹さやかの葬式はしめやかに営まれ、周囲の人間にも衝撃を与える。ほむらまどか「ワルプルギスの夜」のことを告げて、ついに自らの秘密についても教えた
その夜、役所からスーパーセル(嵐)による避難指示が出て、まどか一家は学校へ避難。ほむらが一人で戦うことになるが……

まどかが世界を変える存在にすらなってしまうことには、こじつけの感は否めないが、それぐらいの理由づけをしなければ設定の空白は埋められない
ほむらが放っておけず、まどかは避難所を抜け出そうとするが、ここで母との対話。理想的な家族を描くのは、魔法少女物の伝統で、こういうシーンがはっきり描かれるから、まどかのその後の行動が趣深いものになる。伝統の強みである


<最終話 わたしの最高の友達>

「ワルプルギスの夜」ほむらは力尽きようとしていた。まどかの抱えるエネルギーを増やさないためにもタイムリープは使えない……といったところで、まどかきゅうべえと現れる。「私、魔法少女になる!」
彼女の願いは、全ての魔女を消し去りたい。過去、現在を含めた魔女をきゅうべえはそれを「ルールそのものを破壊しかねない」と言いつつ、契約してしまう
神々しいまでの存在になったまどかは、世界各地で苦しむ魔法少女へ手を差し伸べ、魔女になるまでにソウルジェムを回収していく
やがて、まどかは超越的な存在になって、世界中の祟りを引き受けて……

いわゆる神様エンドだった
魔女の源である魔法少女そのものを消さないのは、今までの社会の発展を否定できないことと、きゅうべえのエネルギー回収を認めるといった、各方面で角が立たないラインだからであり、周囲に気を遣うまどからしいベストな願いだったのではなかろうか
自分の存在をこの世から消すというのが味噌で、希望が絶望に代わって魔女を生むのであれば、希望を消すのではなく願う主体である自分の方を消すことで、最悪の魔女にならずに済ますという究極の解決法。ここまで自分を捨てきるヒーローは今どき、なかなかいない
超常的な立場から、衆生(他の魔法少女)を救うというのは、仏教の阿弥陀仏に近い
もっとも何から何までうまく行くわけでもなく、上条との可能性を失ったさやかは魔法少女として成仏(!)する。そして、ほむらたち魔法少女は、魔女の代わりに現れた魔獣と戦い続けることになり、きゅうべえは魔獣から出る祟りエネルギーを得ているようだ
その後、劇場版が作られたように、続編含みのラストなのであった


シリーズ全体を総括すると、サブカル界隈で話題になったのが分かる珠玉な作品というしかない
正直、管理人は少女を主役とした作品にのめり込めないタイプなのだが、いろんなヒーロー物が抱えていた課題に真摯に取り組んでいて、彼女たちの選択を追いかけざる得なかった
魔法少女が転じて魔女になるというのも、不死者が亡者に落ちていくゲーム『ダークソウル』のシリーズを想起させて、「繰り返し」「リピーター」という発想は、ゲーム世代からすれば身近なものだ。失敗を繰り返して突破口をみつける(トライアンドエラー)という、ほむらの戦いも、輪廻を突破して負の連鎖を断ち悟り(グッドエンド)に至るというゲーム体験と大乗仏教がリンクさせたかのようで、この作品はいろんな壁を突破している
惜しむらくは深夜アニメということで、本来届けるべき若年層が広まったのかどうなのか
スマホからアニメ外伝→新劇場版と展開されているけれども……


前回 【配信】『魔法少女まどか☆マギカ』 第7話~第9話

関連記事 【今さらレビュー】『ダークソウル リマスタード』



【配信】『魔法少女まどか☆マジカ』  第7話~第9話

きゅうべえ「大人は説明しない!」


<第7話 本当の気持ちと向き合えますか>

魔法少女の秘密を知った美樹さやかは、きゅうべえをなじるが、もはや元の体に戻れず寝込んで学校を休んでしまう
そこへ笹倉杏子が訪れて、さやかを教会跡に連れ出す。杏子は自らが魔法少女になった理由、教会を追放された父親が宗教指導者として復帰して欲しい願いだったことを告白する
良かれと思ってやったことだったが、真相を知った父親は絶望して、杏子を残して一家心中したという
その過去から、もう自分の力は自分にしか使わないと誓い、さやかにも「自業自得の生き方」を勧める
それを一種の開き直りと見抜いたさやかは、「人のためにしか使わない」と弾く
なんだかんだいい影響があったのか、さやかは翌日、学校へ行くが、友達の志筑仁美に幼なじみの上条恭介と付き合いたいと告白されて……

きゅうべえが徐々に本性を現した。ソウルジェムの秘密に関しては、「説明を省略した」「聞かれなかったから」と詐欺師のようなことを言い、戦いのために痛覚を軽減していることに対しては、実際の戦闘の痛みを体感させて、ソウルジェムの有り難みをさやかに思い知らせる。とんだサイコパスである
杏子さやかに心を開いたのは、言葉とは裏腹に仲間を欲しがったからだが、それを断るさやかの返しは、彼女のキャラクターからすると大人すぎるか
しかし、復帰したさやかに待っていたのが、友達の仁美上条に告白するという現実。先に告白することができないのは、魔法少女の秘密もさることながら、杏子の奇跡が他人を不幸にした話を聞いてしまったからだろう
さやかは壊れない肉体を生かして、力押しの戦いを仕掛けていくが…


<第8話 あたしって、ほんとバカ>

さやかはごり押しの戦いで魔女を倒した。しかし、杏子の助けを借りたことから、グリーフシードを杏子へ渡してしまう
上条との未来を失った彼女には、「魔女を殺すため以外に意味がない存在」と自分を貶める。それを慰めるまどかには、「私を助けないなら、私と同じ境遇になりなさい」と突き放してしまう
ほむらは自宅で、杏子ワルプルギスの夜について会談。そこにきゅうべえが侵入して、「美樹さやかの消耗が早い」と警告した
さやかは自宅に帰らず、上条と仁美のデートを見張っていた。そして、使い魔と戦っていたところでほむらと出会う
ソウルジェムの汚れを指摘するほむらに、さやか「あんたたちと違う魔法少女になる」と言い返し、「(ほむらが)何もかも諦めている」「私のために言っているんじゃない」ほむらもそれを認めて「まどかのため」と、汚れていくさやかを倒そうとするが……

さやかへの最後のひと押し(?)となる、暗いバス内で男たちが交わす会話が、この作品の魔法少女というものの位置づけをメタ的に語っている
ホストとおぼしき男が、キャバ嬢に金を貢がせて自慢しているのだが、それはきゅうべえが魔法少女にしていることそのものだ。甘い言葉で勧誘し、ひとつの願い(お金)と引き換えに、きらびやかな衣装を着て“お仕事”するものの、いつか汚れて消えていく。魔法少女は風俗の世界と似たところがある。それが直接的に表明されたのに驚いた
男たちの語る女を利用し尽くす姿勢は、退院しても連絡ひとつしない上条と重なり、さやかは「こんな世の中を守る価値はあるのか」と絶望するのだ

さて、まどかきゅうべえに戻す方法はないかと聞くが、「まどかには宇宙の法則すら変える素質があるから」と魔法少女へと誘う。契約を交わそうとした矢先に、ほむらきゅうべえに銃弾を叩き込む
復活したきゅうべえは、ほむらの能力が「時間操作の魔術」と指摘。ほむらきゅうべえの本当の正体をインキュベーターとする

インキュベーターは、温度を一定に保つ装置で、孵卵器なども差す。宇宙のエネルギーを保つ魔法少女と魔女を生み出し続けることをかけているのだろうか


<第9話 そんなのあたしが許さない>

魔女となったさやかに不意打ちされた杏子を、ほむらは連れ戻す。そして、魔法少女の最後の秘密まどかへ告げる。ソウルジェムは汚れきると、グリーフシードへ変貌し魔法少女は魔女になる。「誰かを救った分、誰かの祟りがとりついてしまう」のだ
きゅうべえは、まどか「宇宙の寿命を延ばすために必要なこと」と語る。エントロピーの法則うんぬんを乗り越えるためというが、まどかは「私達、消耗品なの?」と真芯をつく。嫌われたきゅうべえは、「いつか君は最高の魔法少女となり、最悪の魔女となるよ」と捨て台詞を吐いて去る
杏子は必死にさやかの死体を保全し、きゅうべえソウルジェムを取り戻せる可能性を聞く。一縷の望みをかけた彼女はまどかを連れて、さやかの異界へ突入するが……

きゅうべえは、とうとう魔法少女を作りたがる理由を語る。枯渇する宇宙のエネルギー問題を乗り越えるため、異常なエネルギーをもつ人間の"感情に注目。特に思春期の少女が発する感情エネルギーは、効率が良い
なんだか、スパロボちっくなSFが始まった。ワンチャン、参戦あるのではなかろうか(笑)
杏子とさやかの結末に関しては、作り手の作為を感じてしまった。きゅうべえが語るように、魔法少女をほむら一人にして「ワルプルギスの夜」との戦いにまどかを巻き込むためだが、それは制作側の都合でもある(苦笑)
杏子とさやかにちゃんと心が通った時期がないから、動機は理解できても、その行動はイマイチ納得できなかった
こういうところは、1クール12話の罪だろうか


次回 【配信】『魔法少女まどか☆マギカ』 第10話~最終話
前回 【配信】『魔法少女まどか☆マギカ』 第4話~第6話



【配信】『魔法少女まどか☆マジカ』 第4話~第6話

さやかの家もでかかった


<第4話 奇跡も、魔法も、あるんだよ>

巴マミの死による衝撃から、鹿目まどかは朝食中に泣いてしまう。美樹さやかは空元気で明るく振る舞うが、幼なじみの上条恭介バイオリンを弾けなくなった境遇と、魔法少女との願いを秤にかけて考えている
授業後の屋上では、まどか「あんな死に方したくない」と泣き、きゅうべえも無理強いはできないとして、「もうお別れだね」
しかし、上条が医者からもう演奏はできないと宣告され、さやかに八つ当たりしたとき、窓にはきゅうべえがいたのだった

マミの死に様から、魔法少女になる危険を知った2人。彼女がいかに引き止めてくれていたかを知る
だが、さやか上条がバイオリニストとして復帰できるのを願いとして、魔法少女に志願。友達の志筑仁美たちを集団自殺させようとした魔女と戦って倒してしまう
そこに暁美ほむらが現れて、さやかに取り返しのつかないことをしたと指摘する
ラストでは、マミの後釜にきゅうべえが呼び寄せたとおぼしき、新たな魔法少女が登場。新参のさやかから、“縄張り”を奪うと宣言した


<第5話 後悔なんて、あるわけない>

魔法少女としてデビューしたさやかは、「見滝原市の平和はガンガン守る」と息巻く。「早く魔法少女になっていたら、マミさんを助けられた」とも
願いにより腕が治った上条を屋上へ連れていき、家族からはバイオリンが手渡される。彼女はすべてが満たされたように思えた
しかしさやかまどかを連れて、夜のパトロールに向かうと、前回のラストに現れた魔法少女・佐倉杏子が登場。「魔女に成長する前の使い魔を斬ってもシードを落とさない」と、妨害してくるのだった

佐倉杏子魔法少女としてのエゴを全面に出したキャラクターで、自己犠牲的なさやかマミの行動を勘違いだと煽ってくる。ある部分でその認識はほむらとも近い
魔法少女としてソウルジェムを維持するには、グリーフシードを確保せねばならず、生きるために人助けだけしているわけにもいかないのだ
杏子にさやかが食い下がったことから、命のやり取りにまで発展する。そこできゅうべえは待っていたかのように、まどか魔法少女へ誘惑し、それを阻止するかのようにほむらが姿を現す


<第6話 こんなの絶対おかしいよ>

ほむらさやかを一瞬で気絶させ、佐倉杏子を引かせた。彼女はまどか「なんでまだ(魔法少女に)関わるのか」と怒りをにじませる
さやかきゅうべえと今後ことを相談。杏子に対抗するには、魔女狩りを続けてソウルジェムに余裕をもたせることが大事で、連続魔法が杏子の力の源という。そして、まどか魔法少女として即戦力かつ大物の素質があるとも。ピンチになったら、彼女を頼れとささやくが……
ほむら杏子と接触し、「街は任せるから、さやかのことを任せろ」と取引を持ち込む。ほむらが街に来た目的は、一週間後にやってくるというワルプルギスの夜を止めるためという

しかし、杏子さやかに直接の決着をつけにきた
まどか魔法少女同士の殺し合いを止めるため、さやかのソウルジェムを歩道橋の下の道路へ落としてしまう
すると、さやかは抜け殻のように倒れてしまう。魔法少女はきゅうべえと契約したときに、その魂をソウルジェムにこめており、それが100m以上離れると肉体が機能しなくなるのだ
その代わり、ソウルジェムさえ無事ならば、肉体はいくらでも再生する
それについて、佐倉杏子も知らなかったらしく、きゅうべえ「それじゃ、ゾンビにされたようなものじゃないか」と怒りをぶつけた
さやかのソウルジェムはトラックの上に乗っており、ほむらが拾い直して事なきを得た


敵役である魔女は、人型では描かれず、次々に姿を変えていく不定形な怪物となっている。“異界”と呼ばれる結界のなかに住んでおり、使い魔を放って人の魂を吸い取っていく
映像的には、いわゆる手描きのアニメではなく、背景である幻想的な異界と一体となっており、実写やCG画像などから起こしたもののようで、人間からはかけ離れた異物、非対称の敵として描かれている。常識の通用しない相手とひと目でわかるのだ
戦闘に下手な理屈が持ち込まれず、絵で爽快感を味あわせてくれるので、見やすく楽しめる!


次回 【配信】『魔法少女まどか☆マギカ』 第7話~第9話
前回 【配信】『魔法少女まどか☆マギカ』 第1話~第3話



【配信】『魔法少女まどか☆マジカ』 第1話~第3話

あんまりこの手のアニメには、まったく手を出して来なかったのだが、一種のチャレンジとして見てみた
『魔法少女まどか☆マギカ』は2011年に毎日系で放映された作品で、かなり反響になった作品と記憶している
なんの予備知識もなくも見たので、とっとと中身へ。どうやら、魔法少女物といっても、人助けというよりバトル物のようだが


<第1話 夢の中で遭った、ような……>

ヒロインの鹿目まどかは、白黒のオセロのような迷宮をかけていた。外へ出ると、そこはビルが崩れ世界が崩壊した世界で、謎の美少女が戦い力尽きようとしていた。そこに謎の猫(?)まどかに、「これが嫌なら僕と契約して…」と呼びかける
しかし、それは夢。優しい父親、仕事人間の母、幼い弟のいる平穏な日常に戻る
だが、中学校へ行くと、あの夢で見た美少女・暁美ほむらが転校生として同じクラスに入ってくるのだった

クライマックスのような激しい戦闘から始まるといった冒頭。そして、傷ついた美少女がいて、猫に戦いを迫られるなど、エヴァなどのロボットアニメと比較したくなる展開
それは未来の話と留保されたように、現実の世界に戻される
が、夢で見ただけの暁美ほむらには、それを見透かされたように「今と違う自分になろうとしないこと。でないと全てを失うことになる」と警告された
友達の美樹さやかと買い物(CD屋!)へ行くと、今度は夢で見た猫の声が響き、立入禁止のフロアへ駆け込むと、血まみれの猫と出会う
その“きゅうべえ”を抱いて、それを追ってきたほむらと対峙するが、そこへ違う“魔法少女”巴マミが現れて事なきを得るのだった
魔法少女ものだけど、第1話でヒロインが魔法を使わないというのも珍しい。ロボットアニメなら、スポンサーに乗せろと迫られるところだ


<第2話 それはとっても嬉しいなって>

謎の猫きゅうべえは、巴マミによって回復した。彼女はまどかと同じ見滝原中学校の3年生であり、きゅうべえと契約して魔法少女になったという
なぜか一人暮らしの彼女の家で、まどかさやか魔法少女の秘密を聞く。ソウルジェムがその力の源であり、きゅうべえとの契約で授かる。そして、願いをひとつ叶えるのと引き換えに、魔女と戦い続ける宿命を負うのだ
何でも願いが叶うというが、とりあえず満たされているまどかさやかは躊躇。マミの戦いを観戦していくことに

きゅうべえは不思議な存在で、普通の人間には見えないし、魔法少女の素質をもつ同士でテレパシーの媒介となる。異界での通話を可能にする設定なのだろう
彼はほむらがつけ狙う理由を「新しい魔法少女が生まれるの阻止するため」という
それを裏付けるのは、倒した魔女が落とすグリーフシードの存在で、ソウルジェムは魔法を使う度に消耗していき、グリーフシードを吸収しないと曇ってしまう
よって、魔法少女は魔女狩りを強いられ続け、ライバルを増やしたくないというのも分かる話だ


<第3話 もう何も恐くない>

巴マミとの魔法少女研修は続く。「願いごとは見つかった?」というマミに対して、満たされているまどかは答えられない。むしろ、魔法少女そのものが望みであり、他に執着がないのだ
ある日、まどかさやかは、建物にささるグリーフシードを発見。さやかきゅうべえとシードを見張ることにし、まどかマミを呼びに行くが、さやかは異界へと巻き込まれてしまって…

衝撃的な結末だが、細かい演出を積み重ねて破局を迎えており、不意打ちという感じではなかった。深夜放送のわりにグロテスクな表現もなく、配信時のことも考えられているようだ
巴マミ交通事故で助かるためにきゅうべえと契約を結んでおり、魔法少女という孤独な生き方を強いられている。そこにまどかという自分に憧れて肩を並べて戦ってくれそうな仲間を見つけ、タイトルどおりの精神で臨んだのだが……
友情パワーがマイナスになるというのが面白く、デレない強さをもつほむらがあっさり蹴りをつけるのは新鮮である
さて、この残酷な結末を見て、まどかさやかはどうする?


作品の舞台となる見滝原はなかなか不思議な街だ
いちおう、日本の地方都市(?)の体裁ながら、日本離れした広さをしている
主人公のまどかの家は、アメリカの大金持ちクラスの豪邸であり、4人家族にしては空間が有り余っている。さやかは中流以下くさいが、いわゆる貧乏人は出て来ない
また、学校のガラス張りの教室も近未来的で、屋上からはむしろ戦前の近代建築(というかバロック?)の外観を思わせる。ただの中学校が都庁よりもゴージャスに見える
魔法以上にそれが不思議で、バブルが弾けなければいつか到達した日本、物理的経済的限界を無視して描かれた理想郷が描かれているようにも感じた
こうした清浄すぎる現実(あるいは作品内でも架空か?)が作品のテーマに関わってくるかはは謎だけど、そういう世界観も楽しんでいきたいと思う


次回 【配信】『魔法少女まどか☆マギカ』 第4話~第6話



【プライム配信】『ククルス・ドアンの島』

『THE ORIGIN ククルス・ドアンの島』が原作ではない


宇宙世紀0079。地球連邦軍ジャブローへの奇襲を退け、ジオン公国の最重要拠点オデッサへの反攻を目指していた。しかしホワイトベースへは、カナリア諸島の無人島・アレグランサ島“残置諜者”の捜索を命じられる
灯台に向かったカイ・シデンたちは、灯台で暮らす子供たちを発見するが、クレーターを目指したアムロ・レイは、崖で不意を突かれ、ガンダムともに崖から落ちてしまい……

初代『機動戦士ガンダム』の第15話「ククルス・ドアンの島を元に、劇場版としてリメイクしたもの
もとがテレビシリーズの1話分であり、それを1時間49分の尺としたことから、ククルス・ドアンの前歴を付け加えたり、面倒を見る子供たちが4人から20人に増やすなど、設定の改変も多い
しかし、大まかなストーリーラインもテーマは同じであり、今どき珍しい手描きのアニメと当時の表現を引き継いでいて、40年余の月日を経て見事に蘇らせた
「ただサバイヴする以上の力を持ったときに、何のために振るうべきのか」「役割を終えた力をどうするべきなのか」。ひとつのエピソードに過ぎなかった第15話が選ばれたのは、ガンダムの持っているテーマが凝縮されていたからだと分かる

残置諜者とは、劇中でも説明があるが、味方の部隊が撤退したあとに工作員として残り、情報収集や破壊活動に従事する者。農作業をするドアンがヘルメットをかぶる様は、旧日本兵のごとしで、陸軍中野学校を出てフィリピンで敗戦後29年間潜伏した小和田寛郎を思い起こさせる
もっともドアン自身は脱走兵であり、“残置諜者”とすり替わった格好で居座ったようだが……
アムロが“ニュータイプ”のわりに察しが悪いのが、テレビ版かつ安彦良和の風味。MSで見せる才能を封印して、いかに現地の子供たちの信用を得るか、軍属の立場から離れた人間が試されるのだ

戦闘面では、連邦のジム、ガンキャノンの武装にバリエーションが見られるのが見どころの一つ。年表が「THE ORIGIN」にならって、ジャブロー奇襲作戦→オデッサ作戦の順に位置づけられているので、連邦にジムが続々と登場し、ホワイトベース隊でもスレッガーさんがジムに乗る

テレビ版は15話で、ランバ・ラル戦の直前。島の場所は違うだろうし、年代的にジムは出せない

ジオン側では、ドアンが隊長を務めていたサザンクロス隊が、ホバーで走行する地上型高機動型ザクがそれぞれカスタマイズされた形で、活躍する
ただ残念なのは、せっかく個性的なサザンクロス隊が、登場時のチームワークを活かさずに次々と倒されてしまうところ。特にドアンに3対1の状況にいて、簡単に各個撃破というか、一騎打ち三連戦となるのが、往年の不良映画の決闘のような風情なのである
また、ガンダムあるあるなのだが、子供たちが間近にいるところに核融合炉が爆発させるのには、ヤキモキしてしまう(苦笑)
途中までの盛り上げ方にしては肩透かしを食らったものの、本当に見せたいのは立場の違う人間の交流、交歓ということなのだろう。なんだかんだ、初代はいいよな、と思い起こさせてくれる映画だった




【映画】『Gのレコンギスタ Ⅴ 死線を越えて』

いよいよ『Gレコ』も最終章
京都では送り火の日(いわゆる大文字焼き)に出かけたのだが、前日の古本祭り同様に町は人影もまばらだ。映画館も同様で、さすがに実家で過ごす人が多いのだろう




第5部は第23話「ニュータイプの音」から第26話「大地に立つ」まで
展開は事前に宣言された通り同じなのだが、第4部までの積み重ねがあるので、同じ行為でも意味合いが変わってくる
ベルリがロックパイのガイトラッシュを撃破する場面は、テレビ版ではお互いの性能がエスカレーションしての結果といった感じだったが、劇場版だと第4部でフォトン・トルピードで惨劇を起こしているので、いわば自覚した上で決断だった
オーバースペックの機体を預かる責任として、なるべく戦死者を減らし、姉に協力して戦争を止めようとするが、無情にもお互いが戦えなくなるまで行ってしまうのは、TV版と同様だ
マスクとジット団の連合については、アイーダの台詞で、地球の事情を知らない純情なジット団をクンタラの怨念で動くマスクたちが利用したら、とフォローがあった。テレヒ版でわかりにくかった複雑な情勢は、局面ごとに説明台詞があって把握しやすくなっている

後半になると、なんのために戦うのか、という理性が遠のいて、お互いの情を剥き出しにした修羅場へとなっていく
強調されるのは、性能面でマウントをとった時のドヤ顔であろう
ガイトラッシュのロックパイしかり、ユグドラシルのバララ・ベオールしかり、新作画で描き足された場面は迫力があり、見せ場となっている
そして、それが引き起こす事態は悲惨の一語であり、情に翻弄される人間に兵器を持たせればどうなるか、作品の主題をストレートに表している
ではそうした惨禍をどうすれば防げたかというと、第5部の時点ではすでに厳しい。アイーダが亡くなった養父(スルガン長官)へ贈った言葉に、軍の司令という立場でしか物を考えられなかったという厳しい指摘があった。各陣営の責任ある人々が、立場に縛られて視野を狭くしたことが、戦争から抜け出せない状況を招いた
組織の一員である前に1人の人間としてどう考えるのか。それこそ作品にこめられた、全体主義に陥らないためのヒントとなるはずだ

TV版の感想でベルリとマスクのMS戦が引き分けに終わったあと、2人が顔を合わせなかったのが物足りないと書いてしまったが、劇場版で激しくぶつかった場面を見た後だとそれも納得できた
マスクは大気圏突入時にマニィと助け合うことで、一度マスクを外しすでにルイン・リーに戻り始めている
彼はベルリに「独裁者になる素質がある」と言い放つが、むしろルインのほうがそうで、ブーメラン発言である。そういう妄執に囚われなければ、ベルリと戦う理由はない
妖精ベルリにマスクを砕かれて、野望も霧消したとあっては、むしろ合わせる顔がないだろう

いったん戦争が終わればあの憎しみはどこへやら、本来なら国際手配されそうなフラミニア先生もヘルメス財団のラ・グー総裁に大使に任命される。ようやく、不平分子を懐柔する政治の季節がやってきた
ズッキーニ大統領への天誅(あれで生きてるらしい)とか、戦争モードのときは一大事件になるはずだが、ギャグ(?)で済ませられるのも平時であるからこそ
ケルヴィスの恋が成就したり、エンドロール後にノレドがベルリの旅に追いついたりと、それに至る過程は過酷でも、ここまで丸く収めた富野作品もそうないだろう(『ブレンパワード』ぐらい?)
テレビ版の最終回が残念なぐらい忙しかったので、作品が本来の力を発揮したエンドを迎えられて本当に嬉しい


5部作ちゃんと作られると思っておらず、それが完成されたことが驚きだった。第1部・第2部は上映してくれる映画館が少なかったが、だんだん増えていったところは、富野人気の根強さを感じさせた。数においてガンダムのファンのほうが多いかもしれないが、そうでない人にも注目されているのだ
あの『∀ガンダム』でも劇場版が二部作であったことを考えると、アニメの存在感が社会のなかで増していく時代の変化を感じた
そして実際に出来上がった劇場版はというと、見事ガンダムを知らない人でも見れるガンダムに仕上がっていた。『∀』と並んで、人に勧められる作品になったのが、繰り返しになるが嬉しい
はたして、これが富野監督の最後の作品となるのか。80歳のジジイに何を作らせようというのかと、どこかのインタビューで語っていたが、同世代の宮崎駿監督が鋭意制作中となれば……


前作 【映画】『Gのレコンギスタ Ⅳ 激闘に叫ぶ愛』

TVシリーズ 【配信】『Gのレコンギスタ』 第1話「謎のモビルスーツ」 第2話「G-セルフ起動!」

【映画】『Gのレコンギスタ Ⅳ 激闘に叫ぶ愛』

7月、8月に続けて上映される『Gレコ』の第4部を見に行きましたよ
上映される映画館の数はそう変わらず、一日の本数も多いのだけど、観客は前回同様少なかった。まあ、平日でコロナがぶり返している状況もあるのだろうが……




第4部の範囲はベルリたちがビーナス・グロゥブに到達した第19話「ビーナス・グロゥブの一団」から第22話「地球圏再会」まで。ただ、第22話の部分に関しては、展開そのものが変わっていた(はず)
冒頭で気になったのは、いきなりOPロールにMay J.の『ふたりのまほう』が流れるところ。新作画が増えたことがウリの劇場版なのに、旧作再編集、使い回しが目立つのである(苦笑)
本編ははっきりハイクオリティなので、ねじこまれ感が否めなかった(とくにエンドロールに比べますとね……)
構図に関しては、さすがにスケール感があり。戦艦メガ・ファウナがすっぽり入る惑星間輸送船クレセント・シップに、月ほどの大きさもあるビーナス・グロゥブと、巨大な建造物同士の対比がなされ、これぞ宇宙という迫力を感じさせる
第4部は4話分を90分に集約しており、第3部までよりも作品世界をまったりと鑑賞できるのが嬉しい

第19話で驚いたのはフラミニア先生の裏切りで、ベルリに仕事人のように注射を刺していた。映画では他の場面とのつながりのせいか、新作画になって個人的にはパワーダウンか(苦笑)
ジット団の工作員ながら素人ぽさが増して、団長のキアが死んで地球圏へ出港するときにさめざめと涙を流すなど、純粋な主義者として描かれる
そのキア団長は、地球人を寄生虫と決めつける差別主義である一方、人工の海をたたえるシーデスクの地盤が破れるや身を挺して、その穴を埋めて見せる。この両極端さは、幕末の志士を思わせて、単純な憎まれ役に終わらない
むしろ死んだことで、ジット団にその遺志が受け継がれ、彼らを引き返せなくしてしまった

本来なら第20話にあたる、地球圏に帰還したところからはかなり局面が変わっていた
カシーバ・ミコシキャピタル・アーミィが占拠した状態で、マスクは法王を戦艦ガランデンに連れ込んで確保している
そこへスルガン長官率いるアメリア軍が奪取をはかろうというのが、映画版での状況だ。テレビ版だとメガ・ファウナはアーミィの防衛戦を抜けて、ウィルミットにアーミィの首脳陣と会うという独自行動を取っていたが、映画だとアメリア側についてクリムらを援護する形になっている

驚愕すべきは、必殺の武器フォトン・トルピードの威力! 
テレビ版では遭遇戦で敵の一部隊に使われた感じだったが、映画では戦線に穴を受けるほどの破壊力を発揮する。機体に次々と穴を開けていき、最終的には中身ごと消滅させてしまう。テレビではここまで執拗な描写はなかったはずだ
その力はあのマスクに「人殺し!」と叫ばせ、クライマックスの戦闘へ突入するのだ
使った直後の光景には、味方MSの残骸も転がっていて、まさに大量破壊兵器。デレンセンの死以降、なるべく殺さない戦闘を目指したベルリに、この引き金を引かせたのは酷な展開だ
たとえ、意図しない結果であったとして、それをやった責任をどこまで背負うのか。これからどうして行くのか
ちょうど今、ロシアのウクライナ侵攻という事態があって、最新兵器が次々とウクライナへ供与されている状況を考えると、ベルリが引き起こしたことは現実的な問題だし、軍が動いて政治の出番がない情勢もなんともシンクロしているのだ


次作 【映画】『Gのレコンギスタ Ⅴ 死線を越えて』

前作 【映画】『Gのレコンギスタ Ⅲ 宇宙からの遺産』

【映画】『Gのレコンギスタ Ⅲ 宇宙からの遺産』

今回は、三条通からMOVIX京都へ観に行った
上映する映画館の数は増えたけど、非常事態宣言のせいか、午前9時10分という時間帯だからか、観客は3人しかいなかった。ソーシャル・ディスタンスがはかどるわ~(苦笑)
まあ、放映から2週目を越えれば、やむを得ない状況なのだろうか




第3部は第12話「キャピタル・タワー占拠」から第18話「三日月に乗れ」まで
冒頭はアメリア軍がキャピタル・タワーの聖域である「ザンクト・ボルト」へ急浮上し、それを口実にキャピタル・アーミーも追撃するという慌ただしい展開
この段階で、スルガン長官-クリム・ニックのアメリア軍クンパ・ルシータのキャピタル・アーミー法王-ウィルミット長官のスコード教=キャピタル・ガードの3すくみの状況である。そこへ、月の裏側からトワサンガの艦隊が襲来する!
話を通しでみた人間でも、ぎょっとするほど複雑な状況である
トワサンガに対するアメリアとアーミーの共同戦線が組まれたかと思えば、トワサンガの科学力を見てそれを取り込もうと、アーミーとアメリアが競って月のコロニー、シラノ5へ轡を並べるとか、疾風のように同盟関係も変わっていく
例によって、放送時の記憶は曖昧で追加のシーンには自信がないのだが(汗)、アーミーとアメリアのシラノ5へ入港した際に、トワサンガの首相が挨拶に出てきたのが印象的。キャピタルのように、トワサンガ内でもドレット家が代表する軍部と民間の政府、さらにはドレット家に対抗するレジスタンスなど様々な勢力が存在するのだ
そんなリアルな国際社会のような混沌した情勢が、怒涛の戦闘シーンとともに描かれ、情報量は今までになく多い。アニメだからといって分かりやすく単純化しない、次世代に歴史の教訓を残す意志を感じた

そんな慌ただしい流れのなか、なごむのは巨大なスクリーンでみる宇宙世界
宇宙世紀のコロニーのように地球の自然を人工に再現した聖域「ザンクト・ボルト」シラノ・ベルジュラクの鼻からつけられた「シラノ5」など、もともと映画を意識されていたカット割りが映えている
宇宙のなかで地球環境を再現する技術は、地球人にとってオーバーテクノロジーなのだが、「これが『聖域』かよ」という感想になってしまうのだから残酷な話。同じ人間でも育った環境で、見方が正反対になるのだ
第3部での注目は、やはりベルリとアイーダが実の姉弟と発覚するところ。レイハントン家に仕えたレジスタンスの前では気丈でも、その夜にベルリは泣き叫んでしまう
それを見守るノレドに、カーヒルの一件を許し受け入れるアイーダ。テレビ版だとアイーダが納得するのに、もう1話かかったから、ここらへんは新しく挿入されたシーンだろう。若者たちは大人たちの思惑を振り切って、ビーナス・グロゥブへと旅立つ


次回 【映画】『Gのレコンギスタ Ⅳ 激闘に叫ぶ愛』
前回 【映画】『Gのレコンギスタ Ⅱ ベルリ撃進』

関連記事 【配信】『Gのレコンギスタ』 第12話 「キャピタル・タワー占拠」



【映画】『閃光のハサウェイ』

非常事態宣言下でも、映画館は開いている




たとえ富野監督本人が撮ってなくても、観なきゃいけない作品。実際、観に行って大満足だった
全三部作はそれぞれ上中下巻に相当するようで、第1部はほぼ上巻の範囲。マフティーを騙るテロリストが占拠するシャトルで、ハサウェイはヒロインであるギギ・アルダルシアや敵となるケネスと会い、クライマックスは衛星軌道上でクスィーガンダムを受領し、味方を救うべくペーネロペーと一線を交える
違いは中巻で登場する恋人ケリア・デースが、ラストで登場するぐらいだろうか
なんといっても良いのは、原作小説の渋い雰囲気が保たれていること。いわゆるアニメだから、一般向けにキャラは作られておらず、印象的な台詞回しもそのまま採用されている
その分、原作を知らない人には入りにくい部分もあるのだが、製作陣の富野監督に対するリスペクトを感じるところだ
戦闘面では、量産機がこれほどカッコよく見せられるかというほど、マフティー軍のメッサー、連邦軍のグスタフ・カールの空中戦が魅せる!
ただガンダム対ガンダムの山場は戦場が暗すぎて、そのカラリーングや戦闘経過が分かりづらく、そこは惜しまれた
なにわともあれ、目を惹くのはギギの艶めかしさよ。10代で政府高官の愛人とか、アニメファンについていけない属性かもしれないが(笑)、原作の存在感を余さず表現されている
総じて、第2部、第3部への期待が高まる内容なのである

小説は100年代とぼかしていた時代設定が、105年と明記された
CDドラマからの大きな変更(?)は、ケネス・スレッグの髪の色が金髪から褐色に変わったこと
ハサウェイ、ギギ、ケネスの関係は、そのままアムロ、ララァ、シャアを連想させるもので、ケネスはシャアの容姿から遠ざかることになる。が、よく考えるとララァはインド系の設定で、ギギの金髪白人とまったく違うわけで、これはこれでバランスが取れた気もする
勘が鋭く野性味溢れる司令官として、イメージしやすくなった
また作中では、空襲後にギギがケネスに抱きつく場面で、逆シャアでクェスがシャアに駆け寄る回想が入る
原作は『逆襲のシャア』の原案をもとにした『ベルトーチカ・チルドレン』(以下ベルチル)をもとにしているのだが、劇場版とべルチルではクェスを殺した当事者が違い、それはハサウェイの抱える闇にも影響する。はたして、どういう風に二つの『逆襲のシャア』との関係を消化していくのか。ここに注目して、次作を楽しみにしたい


原作小説 『閃光のハサウェイ』 上巻


まさか、閃ハサの新装版が出る時代が来るとは。他の富野小説も頼むぜ

【映画】『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

いろんな配信みてると、ネタバレされそうなので、慌てて観に行った。そして、ネタバレしていきます


シンエヴァの付録

8年越しに「落とし前」がつけられた。いや、25年越しの「落とし前」だろうか
冒頭はサードインパクトによって汚染(浄化)されたパリで、反ネルフ組織「ヴィレが復旧作業を行う。そこへネルフ側の量産型EVA(!)の大軍が襲来する。シンジやアスカが行方不明につき、マリが無双して作戦を成功させる
この戦力バランスでなんで撃退できるのかが不思議で、アクションはハリウッド映画風に回転しながら弾幕を浴びせていく
戦闘シーンは他もこんなバランスで、アスカとマリが止まるまで無双していき、シンジくんは後半までEVAに搭乗しない。彼の仕事は戦闘ではなく、「対話」なのだ
また、怒涛のように専門用語が飛び出していき、どういう理屈でこの結果が招かれたかが把握はしきれない。ト書きのない漫画を読んでいるごとしなのだが、流れるようなジェットコースターが決まっているので、考えずに感じていけば爽快で、二時間超の尺でもまったく疲れを感じさせない

一番大きな変化は、ネルフやヴィレ以外の人々が描かれたことではなかろうか
前作『Q』「ニアサードインパクト」に続き、「フォースインパクト」を起こしかねなかったシンジは、アスカとネルフからはぐれた綾波プロトタイプとともに、放浪する
そして、インパクトの被害を免れた地域で、鈴原トウジ元委員長ヒカリの夫婦、相田ケンスケと再会。そこではヴィレの支援を受けつつも、農業や漁業を中心とした自給自足の社会が営まれていた
前半ではそこでの暮らしが中心で、シンジはほぼ引きこもりだが、綾波がおばちゃんたちと農作業を手伝う場面は、高畑勲の作品を彷彿とさせる。そもそも岡本喜八の大ファンなように、庵野監督には日本映画へのこだわりも強い
自らが原因で起こった災禍に苦しむシンジも、トウジたちに触れて、守るべきもの、正すべきことを知り、自然にヴィレへと帰っていく
『Q』ではこうしたシーンがまるでなかったので、いったい誰を守るために戦っているのかが見えなかった。それが一気に解消し、シンジくんも物語も背筋が伸びた

ラストはテレビ版含めたシリーズの集大成という内容だ
旧劇で期待されていた父親との対決、対話に、旧劇ラストとなったアスカと二人きりの場面、自己犠牲から救ってくれる母親、補完されるカヲルくんの正体、そして、マリがシンジを助けにくる場面では、手書きのスケッチから、コンテまで流れる演出で、宇部新川駅で終わるまでテレビ版のEDを意識した結末となっている
テレビ版と旧劇場版のラストが共存し統合していく流れは、予測できなかった。すべてのファンに捧げられたエンドといえるのではないだろうか
とはいえ、このシリーズらしく謎は残る。そもそも新劇で加わった闖入者、真希波・マリとは何者だったのか。ゲンドウの回想シーンにユイとの絡みでらしい眼鏡が登場し、冬月からは「イスカリオテのマリア」=組織の裏切り者と罵られる。そして、最後には……
エヴァの漫画版では、飛び級で京大に入った後、冬月の研究室にいたらしく、ネットでは時空ループしてシンジを救った説まで飛び出している(苦笑)。作品外の小咄をどこまで受け取っていいものやらで
ここまで丸くなっても首チョンパがあったりと、万人受けするとは言えないのもエヴァらしい(笑)。その圧倒的な映像含め、シリーズ通して見ておきたい作品なのは間違いない。この最終回があってこそ、すべてのエヴァが肯定できてしまう力作なのだ


前作 【映画】『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』



『ブレンパワード』のリメイクもあったらなあ(まず、無理だけど)
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