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【プライム配信】『空母いぶき』

ネタにCGが追いつていない……


20XX年、日本は南海の島国カレドルフを中心とする「東亜連邦」から、波留間群島への相次ぐ領海侵犯を受けていた。クリスマスが迫る、12月23日午前1時、海上保安庁の巡視艇が東亜連邦の船舶から銃撃を受け、空母「いぶき」を含む第5護衛隊群を急遽、派遣する。その途中に潜水艦の攻撃を受け、群司令の涌井(=藤竜也)が負傷し、「いぶき」艦長の秋津竜太(=西島秀俊)に指揮権が移譲した
そんな「いぶき」には、見学に来ていたネットニュース記者・本多裕子(=本田翼)が乗り込んでいて……

かわぐちかいじの漫画『空母いぶき』の映画化作品
2019年公開で、原作の改変や垂水首相役の佐藤浩市のインタビューを巡り、いろいろ物議をかもしていたと記憶している
最大の改変は、相手国が原作の中国から、架空の国家「東亜連邦」にしたことで、そんなポッと出の国先進国と事を構えるのかが、まずおかしい。まして、金を食い人材の養成も必要な空母を運用できるかと、軍事考証のリアリティが大きく失われているのは確かだ
しかし改変の動機そのものは充分、理解できる。中国を仮想敵とする映画に、金を出すスポンサーもないだろうし、俳優を揃えるのも大変だったのだろう
それでも予算が足りなかったのか、夜間で見えにくい戦闘シーンが多く、海のバックに記者が動画を撮る場面では、いかにもCGを貼り合わせた感が露骨で辛かった

ただ構成、ドラマの演出は、悪くなかったと思う
秋津竜太と新波歳也(=佐々木蔵之介)の理と情を巡るぶつかり合いは原作さながらだし、遠い海の出来事を知らずに過ごすコンビニ店長(=中井貴一)ミリタリー物の空気をほっこり包んでくれる。そして、その戦場と日本的日常をつなぐジャーナリストと、登場人物の配置がよく考えられている
当時の安倍首相に似せたとされる垂水首相も、優柔不断に見せて日本をギリギリのラインで守るというスタンスで貫いており、当時叩かれたような姿ではなかった
西島秀俊の秋津は超然としたカリスマというより、非常時に普通の判断ができてしまう奇人と感じで、漫画に求められるヒーロー性を、映画の中で人間味のあるキャラクターに落とし込んでいた
ただ、最後に常任理事国の潜水艦が割って入る結末(『沈黙の艦隊』リスペクトか?)は、日米安保的にどうなのかと引っ掛かりはした
安全保障のリアルを啓蒙というより、有事に直面した際に起こる問題を普段、関心のない人に突きつける作品なのである


原作 『空母いぶき』 第1巻・第2巻



【プライム配信】『日本の夜と霧』

ジャケットの場面はない




60年安保闘争をきっかけに知り合った新聞記者・野沢(=渡辺文雄)女子学生・原田玲子(=桑野みゆき)の結婚式が行われていた。そこへ、同じ学生運動をしていた太田(=津川雅彦)が乱入。玲子と仲の良かった北見(=味岡亨)が、病院を飛び出してから行方不明だといい、なぜ気にしないのかとなじる
その事件に火がついたのか、野沢と同じ共産党系の学生組織にいた坂巻(=佐藤慶)宅見(=速水一郎)は、やはりある一件以来、行方をくらまして自殺した高尾(=左近充宏)のことを持ち出し、学生党員として寮を委員長として仕切っていた中山(吉沢京夫)に責任を迫るのだった

先日読み終わった『真説 日本左翼史』で取り上げられていたので
冒頭は60年安保闘争で知り合ったカップルの結婚式で始まるが、乱入者をきっかけに50年代の破防法闘争時代に遡るという重層的な構造になっている
野沢は学生時代に、今は中山の夫人である美佐子(=小山明子)と恋仲となるが、自殺した高尾もまた美佐子に気があるという3角関係があり、それは野沢と玲子、そして玲子に誘われて運動に出た北見との関係にも重なる
作品としては、これだけの役者が揃いながら、芝居臭すぎるというか文士劇のような調子で続く。しかし、これには事情がある
当時の松竹社長が政治色の強さから反対し、いつ制作中止になるか分からない状況で制作され、現に上映から4日間で打ち切られている。そうした事情のために短い製作期間で、長回しを多用役者が台詞を間違えても、そのままカメラを回したという
そうした過酷な環境が生んだ芝居臭さ、台詞を言えてない感が、革命気分の若者のリアリティを生んでいる
そして、学生運動全盛の時代なのに、BGMのギスギス感と暗さが、左翼運動の行く先を暗示しているようだった

公開が1960年10月とまさに60年代安保闘争直後に作られていて、俎上に上がっているのは、若者の首根っこを抑え続けて利用する“党”の体質
先日の記事に書いたように、1951年に共産党は武力闘争を開始し、学生ながら野沢たちも動員されて、学生寮も委員長の中山を中心に統制されていた
しかし、朝鮮戦争の終結と闘争の失敗を受けて、党は平和革命路線へ転換。学生に「歌と踊り」の“闘争”を命じ、女子学生を交えてダンスパーティとなる。その時流れるのが、「若者よ 体を鍛えておけ……」の『若者よ』の歌で、何度も繰り返し歌われる
体を鍛えるのは武装蜂起のためなのだが、やっていることは合コン三昧。真面目な坂巻宅見はこれについていけない
そうした時に起こったのが、スパイ脱走事件。忍び込んだ不審者を警察のスパイと見なして監禁していたところ、突然の警報に脱走されてしまう
もともとスパイと決めつける中山の判断へ疑義をもっていた高尾は、スパイを脱走させた罪を着せられて査問にかけられ、それが自殺の原因となるのだ
この査問の場面で、中山は中尾に反論を許さず断定し、組織を頼んでの陰険さが際立つ

*作中に何度も歌われる『若者よ』作詞は、「ぬやまひろし」こと西沢隆二司馬遼太郎とも親しく、『ひとびとの跫音』には正岡子規の研究に携わる主要人物として登場する

新左翼の太田にとって、こうした旧世代の行き詰まりは笑止千万。「ソ連のコミンフォルムの方針に振り回されて、スターリンの亡霊に怯えている」と一刀両断する
「既成の革新勢力はすでに前衛ではない」とまで言われると、非主流派の坂巻すら「党組織がないと、運動は継続しない」と反論するが迫力がない
むしろ、運動に熱心でなかった宅見が、「君は北見を利用して、俺たちに文句を言おうしている」「大きな政治もいいが、北見の問題のほうが大事なのではないかと太田の痛いところを突く。これが当時の学生たちに言いたかった、監督のメッセージではないだろうか
行方不明の北見は病院を抜け出して、再び国会へつめかけようとした。それを止めようとした玲子は、「なぜ行こうとしないのか」と言い返される。彼女はすでに学生運動の敗北を何度も経験していて、立ち上がる気力がない
そして、北見も現場の様子を見て玲子同様に無力感を味わう。結局、何も変わりはしない虚無が襲うのだ
一方で旧世代の野沢は安保闘争に昔の自分を取り戻し、中山と運動に参加しつつ途中で切り上げた美佐子はむしろ夫と党への幻滅を味わった
ネタバレしてしまうと、ラストは太田と玲子が北見のもとに戻ろうとしたところに、太田が警察に捕まる。そこで中山太田らを「極左冒険主義者」で革命の戦列を乱す者と見なし、自分と党を守るための空虚な演説を延々と続ける
言うことは代わっても指導者は変わらず、絶対に責任を取らない。日本の左翼運動はいまだに夜と霧に覆われているのだろうか


関連記事 『ひとびとの跫音』 上・下



【DVD】『野生の証明』

小説は違う意味で悲惨らしい




1980年5月、左翼過激派によりアメリカ大使館の別荘が占拠された。大使家族の救出のため、皆川2等陸佐(=松方弘樹)率いる特殊部隊が投入。過激派を問答無用で射殺して事件を収拾した。その部隊は過酷な訓練の一貫として、山岳地帯でのサバイバル訓練を行っており、味沢岳史(=高倉健)も北上山地へ降下。しかしふらふらの状態で越智美佐子(=中野良子)に助けられたことから、頼子(=薬師丸ひろ子)の住む集落で起きていた大量虐殺事件に巻き込まれて……

いろいろてんこ盛りの大作映画だった
特殊部隊のテロ鎮圧からスタートするも、主人公が助けられたところから突如、大量殺戮が!
……、と序盤から畳み掛けていく。ここのシーンのつなぎ合わせ方で、味沢が猟奇事件の犯人のように見せてしまうのがうまい
そこから話は一年後に飛び、味沢は自衛隊を除隊して保険の営業をしつつ、記憶を失った頼子を引き取っていたが、地元新聞記者の入水事故をきっかけに美佐子の妹・朋子(=中野良子、二役)と知り合い、地方財閥と警察、新聞社、暴力団の癒着、開発を巡る陰謀へ巻き込まれていく
そんな味沢を集落の猟奇事件の主犯と睨む北野刑事(=夏木勲)が絡んで、途中まではいつものヤクザ映画のような展開なところ、そこから自衛隊の特殊部隊がしゃしゃり出て第二幕となるのが本作。この頃の角川映画らしく、予算を使って派手にランボーを始めちゃうのだ(笑)

硬派なハードボイルドな作風のはずが、中野良子があっけなく殺されたとおもったら、そっくりな妹がすぐ出てくるとか、ヒロインの少女・頼子が事件の影響で予知能力を身につけるとか、フィクションでおなじみの筋が! これが臆面もなく使われているのが、意外でなんとも微笑ましい
が、本作を特徴づけるのは、自衛隊というか、軍隊というものへの不信感ではないだろうか
原作者や監督の世代はひとつ生まれた年がずれれば、兵隊に送られていたわけで、軍隊はひとたび踏み外せば国民を犠牲にすると、身に沁みている
とはいえ、いかに極秘部隊とはいえ、同じ自衛隊を殺しまくって作戦を遂行するなど考えづらく、世代的なズレを大きく感じた。味沢とそれを当初かばっていた皆川との対話が一切ないのも、ドラマとしては少し物足りない
冒頭のテロ事件への対応も、公開な当時なら問答無用に相手を射殺(長官は超法規的措置とした)は過激に思えたかもしれないが、今なら海外のテロ事件との比較して当然と受け止められるのではないだろうか
それだけ軍隊が人格を無視していく性質が強調され、関係者皆殺しという寒々としたエンドはニュー・シネマ的であり、薬師丸ひろ子の登場とその後のアイドル路線を考えれば、潮の変わり目にある作品といえるのかもしれない




【DVD】『人間の証明』

ちょい役も豪華すぎる




ニューヨークのハーレムからやってきた青年ジョニー(=ジョー・山中)が、東京・赤坂の高層ビルで殺された。麹町署の練居刑事(=松田優作)たちはジョニーの今際の際に「ストウハ」と発し、絶版の『西條八十詩集』を持っていたことから捜査を進めていく。当日には、有名ファッションデザイナー八杉恭子(=岡田茉莉子)のファッションショーが行われており、恭子の息子である恭平(=岩城滉一)がひき逃げ事件を起こしていたのであった

森村誠一原作の角川映画……というか、映画のための小説の映画化
角川の映画進出二作目であり、出版を成功させるために映画を作るというメディアミックス戦略を確立した作品らしい
冒頭では、ニューヨークでジョニーがスラム街を出て大ジャンプしたところでタイトルが出る奇抜さだが、全体としては往年の2時間ドラマのようなオーソドックスな構成だ(時系列的には、こういう映画からミステリードラマの構成が生まれたかもしれないが)
被害者が謎めいた死を遂げ、数少ない手がかりから犯人と動機を突き止め、最後には崖に追い詰める。いろいろ矛盾はありそうだが、そんなリアリティよりも大物俳優の演技のぶつかり合いが見どころなのである

背が高く、失礼なほど無骨な練居刑事=松田優作が目立つのだけど、作品を牛耳るのは八杉恭子役の岡田茉莉子!
交通事故を引き起こしたあげくに隠蔽した息子・恭平に対して、「悪人なら悪人らしく、罪を背負って生きろ」と警察への自首を止めてしまう。そして、ニューヨークへ高跳びさせて、夫と別れたあとの新生活を構想する
人道や社会倫理より、息子への母性だけを生き甲斐にする、凄まじい女性をえんじている。練居に真相を突きつけられても、一笑に付す場面は思わず震えた
しかし息子の死を聞くと、失われた母の顔が戻る。授賞式で彼女が西條八十の「帽子」の詩を読んだ後、彼女がこうなるに至る過去がモノクロで流され、最期には麦わら帽子を思い出の地で飛ばす。この場面がまた美しいのである
戦後の動乱では何かを犠牲にしないとのしあがれない、まして女性の身であるならば。wikiによると、角川春樹は昭和20年代の「母もの映画」の復活を狙ったそうで、なんだかんだ日本の母を描いた映画の系譜に属する作品なのだ



↑西條八十「帽子」の詩を、角川春樹が英訳したものとは知らなかった



【映画】『シン・ウルトラマン』

豪華キャストと内容に落差




日本に突如として、大怪獣(禍威獣)が出現するようになった。その脅威に対して、日本政府は禍威獣特設対策室(通称‟禍特対”)を創設。班長の田村君男(=西島秀俊)を中心に弱点を調査し、何頭もの禍威獣をしとめていた
しかし、電気を捕食するネロンガに対しては苦戦。はぐれた子供を助けに行った神永新二(=斎藤工)は謎の飛行物体の衝突に巻き込まれ、その土煙から立ち上がったのは、謎の巨人ウルトラマンだった!

2時間弱の尺が祟ったのだろうか?
開始数分の‟説明”があまりに凝縮されている。ジェットコースターで大文字で説明されても、把握するのが大変なのだ
せっかく作った怪獣を見せたい、ということなのだろうが、この冒頭のせわしなさは見る側にとって明らかに負担で、作品世界へ没入を妨げてしまっているのは残念だった
ウルトラマンや怪獣へのこだわりはさすがで、ウルトラマンのつやつや、浅見弘子(=長澤まさみ)を受け止めたときの掌のしわなど、初代の特撮を意識したような質感が再現されていた
ただ戦闘のほうは、ザラブ戦こそ気合が入っていたが、メフィラス戦は寸止め(原作再現ではある)ゼットン戦はシューティングゲームのようでやや消化不良。納期的制約を感じさせた(苦笑)

監督は平成ガメラシリーズの樋口真嗣ながら、総監修と脚本などに庵野秀明であり、ほぼ庵野作品というべき作風である
とくに‟禍威対”が自衛隊の司令部で活動している場面などは、まるでエヴァのネルフの如しで、役者の台詞回しなどはかなり意識して演出されている
エヴァ自体、ウルトラマンの影響を受けており、そのスタッフが自作の演出をウルトラシリーズに持ちこむという循環が見られるのだ
出てくる怪獣にラスボスがゼットンと、初代ウルトラマンが‟原作”であり、最大の見どころはメフィラス(=山本耕史)によって巨大化した長澤まさみ(笑)!
ちゃんと股下から覗くような変態アングル(!)もあって、なんだか気分は『進撃の巨人』である
ただあまりにアニメ的な演出は鼻につくので、アニメでやってもらったほうが良かったのではないかと思わなくもない。元ガイナックス勢らしい、マニアがマニアに向けて作った作品だった

【映画】『ドライブ・マイ・カー』

小説もそのうちに




家福悠介(=西島秀俊)は舞台俳優、演出で活躍し、妻である音(=霧島れいか)もテレビドラマの脚本家として活躍していた。音はセックスの最中に物語を思いつく性癖があり、それを家福が形にして成功につなげていた
しかし、家福がウラジオストクの国際演劇祭に招待された際、たまたま航空便の欠航になって家に戻ると音は見知らぬ男と激しくセックスをしていた
その後、家福はそのことを音に問い詰めずにいたが、ある日に音が話があるという。夫婦の関係が壊れるのを怖がって深夜に帰ると、音が冷たくなって倒れていた
二年後、家福は『ワーニャ伯父さん』のワーニャ役で名声を博し、広島の国際演劇祭の演出を任される。そこで自分の愛車の運転手に、生きていれば亡き娘と同い年になる渡利みさき(=三浦透子)が務めることとなり……

元が村上春樹の短編集『女のいない男たち』からであり、ある程度原作から膨らませた内容だった
ざっと読んだところ、妻は脚本家ではなく女優であり、幼く死んだ子供もいない。家福が車内でカセットテープを流し、舞台で演じる『ワーニャ伯父さん』を流すが、妻の声で吹きこんでいるわけではない
中心となるのは、ぶっきらぼうな運転手みさきとの会話である
映画では、前半をセックスを触媒にシナリオを生み出す魅惑的な妻・音とのやりとりが中心で、PG12指定とは思えない濡れ場告白ともとれる言葉の羅列がミステリーのように盛り上げる。そして、突然の死
後半は広島の国際演劇祭にて、運転手みさきがつけられて、彼女や浮気相手である俳優・高槻(=岡田将生)らスタッフたちとの交流から音との真実と向き合う流れとなる。それを背後から後押ししてくるのが『ワーニャ伯父さん』の戯曲で、ラストに近づくにつれ、そのメッセージが痛切に迫ってくる
舞台演劇の製作現場から、美しい光景が流れるロードムービーと、3時間を超える長い尺を飽きさせない構成はお見事というしかない

「国際演劇祭」という設定は映画オリジナルであり、アジア各国の舞台俳優が自国の言語で演じるというもの。なかでも目立つのは、手話で表現するソーニャ役のイ・ユナ(=パク・ユリム)で、『ワーニャ伯父さん』のラストで大事な下りを任される
なんでそんなに韓国が推されるかと思われるが、そもそも本来の舞台は朝鮮半島南端の釜山(プサン)を予定していたらしい。なぜ、釜山かというと、車を走らせての映画の撮影に協力してもらいやすいから(ラストにヒロインが車を走らせていたのは、そうした理由からだろう)
それがコロナの影響でおじゃんとなり、広島での撮影はそうとう苦労したそうで、平和公園でリハーサルする場面を撮り終えたときに監督は号泣したとか
ともあれ、韓国の俳優がアカデミー賞に絡んだとあって、日本映画なのに韓国では異例のヒットを記録しているらしいし、アジア系の審査員の票がそれぞれの映画祭で取り込めただろうな、と受賞の舞台裏を想像したくなる
こうした部分をダイバーシティ(多様性)を後押しする取り組みととるか、作品に余計なものをもちこんだととるかで、作品の評価が変わってくるだろう

妻の不在(本作では死)を年若い少女に諭されてその深層を知るというのは、『ねじまき鳥クロノクル』などハルキ作品の王道パターン
妻がセックス中に創作のヒントを羅列していく、巫女の託宣のような設定も、それらしいミステリアスさがあって、原作の短編集だけでなく他の作品の要素もふんだんに盛り込まれていて、村上春樹のファンほど引きこまれる仕組みとなっている
ずるい(!)ほどはまっているのは、『ワーニャ伯父さん』の台詞で、小説だとここまで引用しては作れない。ワーニャ伯父さんの歳(47歳)に近いモラトリアム人間にはぶっささりだ(苦笑)
映像作品だからこそ、原作のもっていた可能性を120%引きだせたといえ、重厚に深化させた日本映画なのである


関連記事 『ねじまき鳥クロノクル』 第1部

【映画】『燃えよ剣』

坂本龍馬が薩長同盟をまとめたことになってます



土方歳三(=岡田准一)は、五稜郭の戦いを前に自らの人生を回想していた。武蔵国多摩に生まれた歳三は、天然理心流を継いだ近藤勇(=鈴木亮平)ともに武士として名を挙げようと、会津藩が募集した浪士組に参加する。浪士組を指揮する清河八郎(=高嶋政宏)は朝廷を後ろ盾にした攘夷へ豹変するものの、歳三たちは芹沢鴨(=伊藤英明)を通じて分派し新選組が誕生させた。隊士の内紛と粛清、不逞浪士との戦いに明け暮れるなか、歳三は女絵師・お雪(=柴咲コウ)と出会うが……

『関ケ原』の監督さんによる司馬作品の映画化
その『関ケ原』同様に、長編小説の尺を詰めこんだために各エピソードが細かいカットで刻まれていて、どうも落ち着かない。1つ1つのシーンが見事な映像美、演技、演出がなされているのだが、ゆったりと鑑賞できないのだ
場面を短くするより、エピソードを絞ることはできなかったのだろうか
それはともかく、岡田准一をはじめ殺陣はバッチリ。鈴木亮平の近藤勇はさすがの説得力である(眼鏡の山南敬助はアレだけど)
密偵の山崎丞を演じた村本大輔の話芸も場を賑わせ、実際の新選組同様にキャストはタレント揃いで、キャラクターがいかんなく発揮されている
それだけに二部構成ぐらいで、じっくり楽しみたかった

細部のこだわりはさすがで、有名な新選組のユニフォーム、白と浅葱色(水色)の羽織は、最初に登場するのみ。歳三がお雪に依頼したデザインは闇夜に溶ける上下黒ずくめで、夜間の尾行、襲撃における隠密性を重視していた
作中では芹沢鴨とその部下が勝手に採用しようとしたところ、規則と違うと歳三が拒否させており、流布しきった俗説を拒否する本物志向なのだ
ドラマ的には、歳三と近藤勇の友情に焦点。勇は歳三の意図に反して、尊王攘夷の活動家になる側面もあったが、新選組の局長として武士道を体現する存在歳三の作品ともいえた
そんな勇が江戸開城後に出頭したのは、作中では肩に重傷を負い剣を振るえなくなり、武士として切腹すらできなくなったからとしていた
勇を歳三が見送るところが、この作品の白眉だろう
なぜ、新選組や歳三は敗北したのか。勇との別れで突きつけられるのは、水戸学を中心に広まった天皇制イデオロギー。錦の御旗が上がるや、徳川慶喜は戦意を失い、親藩や井伊家のような譜代の筆頭さえ恭順していった
使えると分かれば、洋式軍隊の兵制を躊躇なく取り入れる合理主義者の歳三が、非合理的な因習に敗れるのは、合理が非合理を制す司馬小説の構図が逆転したかのようだった


原作小説 『燃えよ剣』

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【BD】『カメラを止めるな!』

後半は止まります……
あっ、ネタバレ警報も出しておきます




元浄水場跡でゾンビ映画の撮影が行われていた。この作品にかける監督(=濱津隆之)は、ヒロイン(=秋山ゆずき)の演技に納得がいかず、テイク42を数える。相手役のイケメン(=長屋和彰)とも衝突するが、メイク(=しゅはまはるみ)になだめられ水入りに。その休憩中に、本物のゾンビが……

2018年公開で、予算300万円の超低予算で大ヒットを記録した作品
特徴はなんといってもタイトルにある通り、ワンカットで続けられる前半部分。ゾンビ映画の撮影にゾンビが襲い掛かり、現場は修羅場と化す。狂気の監督は本物のゾンビに喜ぶ始末だ
メイクさんが頼もしい女主人公として、ゾンビを首チョンパするが、ヒロインが感染を疑われると態度が一変! ゾンビを許すまじと、殺戮マシーンとなって襲い掛かる
そして、生き残ったヒロインと相手役のイケメンには悲しい結末が……ゾンビ映画のお約束を忠実に抑えつつ、抜けてるところはかなりあるという、これぞB級(人によってはDとかZかもしれんが)の楽しみが詰まっているのだ
で、ここからが本格的なネタバレとなる

もちろん、これは作中作品。そもそもゾンビに襲われているなか、誰がカメラを回して追っているんだという疑問が生じる。『ブレア・ウィッチ』などのドキュメント調ならば主役級がカメラを持っているものなのだ
後半はいかにしてこの作中作が作られたかが分かる、いわば解決編
なんで、あそこで変な雑談が入ったのか、カメラが地面に転がったのか、ヒロインの台詞が棒過ぎるのか、不自然に同じことを繰り返したのか、など前半で腑に落ちない場面の所以が明かされていくのだ
盛り上がるべき山場で展開が分かってしまう難点があったものの、それがアクシデントによる突然の代役、役に入り過ぎてのアドリブ、暴走が、現場の混乱を呼び、違う意味のパニック映画へ変貌していく
意外な人間が撮影の危機を救うところも、不意を突いていて後半も後半で楽しめた
あの始まりでオチは家族愛、現場で生まれる一体感で包まれていき、日本映画の枠組みに入ってしまうのにも驚いたし、そういうのが好みでない割に本作は受け入れられた

【DVD】『アウトレイジ』

いちおう、中間管理職の苦労がテーマなのかなあ




山王会に属する池元組の池元(=國村隼)は、シマに手を突っ込んできた村瀬(=石橋蓮司)と兄弟分だったことで、会長の関内(=北村総一郎)の逆鱗に触れる。池元は傘下の大友(=北野武)に村瀬のシマに事務所を作らせ、軽く締めさせようとする。しかし、水野(=椎名桔平)ら武闘派を要する大友は、村瀬組へ因縁をつけ若頭の木村(=中野英雄)の顔を切り刻むなどの凶行に及んだ。池元は配下の大友と兄弟分の村瀬の抗争が激化することに頭を抱えるが、全ては村瀬のシマを狙う関口の策略だった

シリーズ化されたのが不思議な内容だった
北野監督いわく、「人を殺すプロセスを考えてから、ストーリーを考えた」そうで、見どころは「歯科医の道具で口をグチャグチャにする」「首にロープを引っかけて車で引きちぎる」などのえぐい暴力描写なのである
不可思議なのは、北野作品にしてひとつひとつの場面が軽く進んでいくところ。それは見せ場の残酷シーンすら印象を残さずに、サッと通り抜けてしまう
フェードアウトする場面転換も目立って、本来の冴えがなかった
ストーリーも最初から、関口が自分のシマにするために、目下のヤクザを殺し合わせるのが一目瞭然ラストの三浦友和ぐらいだろうか、意外性があったのは

実録物にないにしても、かなり現実離れしている。人目につく場所で簡単に拳銃を引き抜くし、〇暴の刑事に金を渡せば、なんでももみ消せてしまう
大昔だとヤクザ同士が殺し合うには、警察は放っておく部分もあっただろうけど、堂々とカタギに手を出すとなると、手を引くわけもない
暴対法が施行されたのが1992年。その後、改正も重ねられて、公開された2010年には、堂々と組の名前を出すと罪が組織にも及ぶ。そうでなくても、いつの時代にここまで暴れて無事な時代があったという話だ
フィクションの世界でヤクザや警察がドンパチやってきたけれど、ファンタジーなりに積み重ねた歴史があるわけで、どうにも乗れなかった
その割に客入りが良かったのが不思議。北野ファンが多いのか、ヤクザ役をやらなそうな俳優を起用したキャスティングの勝利なのか……

【DVD】『萌の朱雀』

実はアイドル映画




農家を営む田原家は、孝三(=國村隼)とその嫁の泰代(=神村泰代)、娘のみちる(=尾野真千子)、孝三の母・幸子(=和泉幸子)に、孝三の姉の息子・英介(=柴田浩太郎)の5人で静かに暮らしていた。しかし、恋尾村に通るはずだった新鉄道の話が潰えて、過疎化は苦しむばかり。泰代は英介のバイト先へ働きに出て過労で倒れ、行く末を悲観する孝三は行方不明になって……

これがヨーロッパ受けする映画なのだろうか
孝三役の国村隼を除いて、ロケ先で採用した素人を起用するという実験的作品であり、芝居っけのなさにこだわった演出がなされている。畑違いの場所から起用などは大島渚監督を思い出すけども、ここまでやるのはかなりラディカルである(苦笑)
冒頭から流れる映像はけっして綺麗ではない。8ミリカメラでとある人物が撮ったものであると後でわかるのだが、何やら昔のNHKスペシャルを観ているような気分になった
映画としての物語はあることはある。ただ上述の事情もあって希薄だし、むしろ失われていく山村の風景を撮ることが主題であって、芝居ではなく自身の映像力学で物語っていく意志を感じた

ストーリーは、というか家族構成がかなり分かりづらい。WIKIでようやく把握できたというところだ
泰代が若く見えて、みちるが実の娘かはっきり分からないし(後半に「母さん」という台詞が入る)、英介がどういう立場で居候(?)しているか分からない
しかも英介は泰代を「姉さん」と呼ぶから、観る側は「実の姉だっけ?」と混乱する。あまりに芝居をしないがために、視聴者に物語を理解するための最低限の情報が入ってこないのだ
もちろん、説明的な台詞やナレーションを聞かされてばかりではげんなりするが、数少ない台詞で関係性を悟らせることが大事なんだと再確認できた(苦笑)
そんな素人のなかで光り輝くのが、今や大女優の尾野真千子である。彼女の、昭和のアイドル然とした振る舞いが、かろうじて物語に張りをもたせていた
泰代と英介、みちるの三角関係は、素人起用がゆえに限界があるし、父の蒸発という一大事件も怒るやつはいない。芝居がないからこそに、リアルさもないという事態に陥っている
ラストは『東京物語』を意識したような、静かな終焉の情緒。芝居がないぶん、監督の美学を生で見せられるような作品だった


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