フランス植民地時代のアルジェリア。オラン市では、ネズミの大量死が起こっていた。医師のリウーは原因不明の熱病患者に直面し、ペストの流行を予感する。医療従事者の報告を受けて、市当局は街の閉鎖を決意。市民たちは外出を制限され、人間関係が遮断された中での日々を強いられる。「ペスト」という不条理な事態に対して、人の光と闇が映し出されていく
コロナ流行の影響で脚光を浴びている文学作品
舞台はフランス統治下のアルジェリアで、作者の出身地。その中心的な港町オランで、ペストが大流行し、街が閉鎖される中での市民の生活が描かれる
小説が書かれ始めたのは第二次大戦中からであり、フランスがナチスドイツに占領される事態が、普通に生きてきた人々を苦しめる「ペスト」の寓意にもなっているようだ
俗に「不条理」小説といわれるが、作者の主義はあんがい明快。作中に語られるところ「悪」は無知から生まれるとする啓蒙主義であり、性善説を掲げ、「不条理」(=常識外の出来事)に対しても、「理性」でもって事に当たる
もっとも時代が時代だけに「理性」が万能というわけでもなく、人為に限界があることは百も承知している
ただ、それを放り投げて神秘主義へ走ったり、将来を諦めたりはしない。本作では視点となるリウー医師、新参者のジョン・タルーらを中心に、暗闇の状況で起こる重厚な人間ドラマが展開される
作者の立場はリウー医師の姿勢につきるのではないだろうか
たとえ、死にゆく患者に対しても医者としての最善を尽くし、今後の対策に向けてメモを忘れない。そこには患者を家族から引き離す、非情な業務も含まれる
なぜ、そんな仕事を続けられるかというと、「人が死ぬことになれないから」
タル―との、視点キャラ同士の問答で
「これは、あなたのような人には理解できることではないかと思うのですがね。とにかく、この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれないほうがいいかもしれないんです。そうしてあらんかぎりの力で死と戦ったほうがいいんです、神が黙している天上の世界に目を向けたりしないで」
「なるほど」と、タル―はうなずいた。「いわれる意味はわかります。しかし、あなたの勝利は常に一時的なものですね。ただそれだけですよ」
リウーは暗い気持ちになったようであった。
「常にね、それは知っています。それだからって、戦いをやめる理由にはなりません」
「確かに、理由にはなりません。しかし、そうなると僕は考えてみたくなるんですがね、このペストがあなたにとって果たしてどういうものになるか」
「ええ、そうです」と、リウーは言った。「際限なく続く敗北です」(p188)
この前段に、ペストを人々の罪のせいで神の意思として受け入れろというパヌルー神父の説教があり、それに対するリアクションなのだが、なんとも理性の道は苦しい、終わりのないディフェンスなのである
そのほか、コタールという人物などは、犯罪歴があり自殺騒動を起こす困ったチャンだが、有事に対しては「おれは普段からペストに罹っているようなものだった」と、活動的になる。都市のロックダウンにより恋人と引き離された記者のランペールは、非合法な手段での脱走をはかるが、リウーたちの活動にいたたまれず残留を決意する
趣味の小説を書き溜めた老官吏グランは、死に瀕して原稿を焼き払うように求めるが……結果的に裏目という様々な人間模様が映し出される
永遠に続く夜はない。ペストも血清が出回って小康状態となり、街は徐々に活気を取り戻す。しかし、万民に幸福が訪れるわけでもなく、やはりそこにも「不条理」が渦を巻く。これが人生であり、それを避けるためにスペシャルな手段はなく、またすがってはいけないというのが、作者のメッセージなのだろう
たとえ、表に出なくなったとしても、ペスト(あるいは「不条理」)は存在し続けるわけであり、人々はそれ以前の状態には戻れない。今で言えば、コロナウイルスを乗り越えても、次のパンデミックを織り込んだ社会制度が求められるし、生活習慣も哲学も必要になってくるのだ