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【ネタバレ注意】『ツイン・ピークス』を浅く考察

この手の考察に対して、まず心せねばならないことがある
『ツイン・ピークス』の謎を「あーだこーだ」追求するマニアに対する、製作者側の反応として、ドラマ制作の現場と実情を踏まえていないというものがあるのだ
ある程度の構想をもってスタートしても、いざ制作を進めていくと、途中で設定に矛盾が生じたり、アクシデントで当初のとおり撮影できないことだってある。『ツイン・ピークス』だと、放送局にファンの圧力がかかり、シーズン2の半ばでローラ・パーマー事件が解決することになったのは大きな誤算だったろう
そんなわけで、製作陣の意図どおりに作品が出来上がらないのは日常茶飯事であり、それに完全な整合性を求めるのは無理な話。あえてその穴埋めをして整合性を取ろうとすると、それは考証というより創作の部類に入ってしまう(それはそれで、楽しいのだけど)
待望の“シーズン3”である「リミテッド・イベント・シリーズ」に関して、すべてデヴィッド・リンチが監督、マイク・フロストが脚本を務めたということで、そうした問題が起こらないと思いきや、案外まとめきれてなかったり、強引に話を畳んでいたりするので、事前の構想と実際の作品のズレは避けられないものらしい

で、管理人はどうするかというと、基本は各テレビシリーズに劇場版、『ファイナル・ドキュメント』などの関連書籍を参照して考える。他から材料をもってきての深読みしない
本シリーズをドラマを注意深く追っていけば(難解なシーンは多いのだけど)、ちゃんと話の筋は分かる素直な作品だと思っているのだ
ただ、筋は分かりやすいが、細部で整合性が取れているわけではないので、そこを深く考察すると沼にはまる(苦笑)。それを製作者の意図と見立てて、蘊蓄で埋めるのもいいのだけど、当方に学識もなければキリもないので、かなりざっくりとした考察をしていきます


1.ブリッグス少佐はいつ、ダギーの指輪を飲んだのか?

ルース・ダヴェンポートの部屋で、ブリッグス少佐は首なし死体で見つかり、その胃のなかで「ジェーンからダギーに贈った指輪」が発見される。いちおう、ジェーンとダイアン・エヴァンスが片親の違う姉妹と判明し、今のダギーがクーパーであるとゴードンたちが知るきっかけとなるのだが、なんで少佐の胃のなかにあったのかは本当に謎クーパーのドッペルゲンガー(以下黒クーパー)の動きを予見して、ゴードンたちへのヒントとして飲み込んだと考えるしかないが、いつどこでというのが……抜けた設定のひとつだろう


2.なんでクーパーは25年間、閉じ込められたのか?

シーズン2の最後でアニー・ブラックバーンを救うため、自分の命を差し出したクーパー。それに対して、悪霊“ボブ”はウィンダム・アールの魂を食らい、クーパーのドッペルゲンガー=黒クーパーを生み出す
そして、黒クーパーに襲われたクーパーは、現世に先を越されてしまう。「ホワイトロッジ」に至る条件が、「戸口に住む者=ドッペルゲンガー」に打ち勝つことが条件とすると、自分の影にたじろいだのが「赤い部屋」に閉じ込められた原因だろう
ただ、「赤い部屋」のローラが「25年後に会いましょうと言っていたので、この過程は予定されていたものといえる


3.黒クーパーは何を探していたのか?

「赤い部屋」を飛び出した黒クーパーは、ブリッグス少佐を口封じしようとし、入院中のオードリー・ホーンにリチャード・ホーンを種付けし、国際犯罪ネットワークを築く
騎士道精神に生きるクーパーとはそれこそ真逆の行為で、ウィンダム・アールに近い(その近さゆえに、シーズン3でオミットされた感あり)
黒クーパーには悪霊“ボブ”が常に取り憑いていて、本来は25年の任期(?)で本人と入れ替わる予定が、おそらく“ボブ“によってすり替わり先のダギーが“化身(トゥルパ)”として作られた
ブリッグス少佐を探してホワイト・ロッジへの座標を知るのが、黒クーパーというより“ボブ“の目的であり、自分の脅威となる異界への侵攻を企てたと見るべき


4.「赤い部屋」のローラとは何者なのか?

シーズン3の序盤でパカッと仮面のように顔を外して、光り輝く中身をさらしたローラ。「ローラであって、ローラでないもの」の正体は、「消防士」によって送り出された悪霊たちに対抗するための聖霊、といったところだろうか
“ボブ”が誰かに取り憑いて悪さをするのと同様に、ローラに乗り移ることで果たす役目があったのだろう。ローラ本人は劇場版のラストで天使によって昇天としたとおぼしく、聖霊のみが「赤い部屋」に残され、クーパーの到来を待っていたと考えられる


5.セーラは、いつジュディスになったのか?

お話的には、核実験でエクスペリエントが目覚めボブが生まれた1945年から、11年経った1956年に、口から“ジュディス”の虫が入ったため
しかし、ここで問いたいのは、“メタ”的な意味
劇場版でフィリップ・ジェフリーズが“ジュディス”が女性と言及するものの、コンビニエンスストアのシーンにセーラらしい姿はない。もっとも黒幕感のあったトレモンド夫人の孫ピエールは、シーズン3に影の形もない
それまでセーラは“ボブ”の乗り移ったリーランド・パーマーの言いなりで、霊感が強くローラに聖性を継がせた存在に思えたのだが……
劇場版からシーズン3の年月のうちに、白羽の矢が立てられてしまったかのようだ
旧姓が“ノヴァク”なのに、いつの間にやら、“ジュディス”がミドルネームに混ざってしまったことにもそれは伺える
しかしだ。なぜ、ジュディスの因子を持つセーラが、自らを脅かす聖霊を宿すローラを生んだかが謎になる(苦笑)。セーラに聖霊が宿っていて、それを潰すためにリーランド=“ボブ”が接近したというのなら筋は通るんだけど


6.ジュディスはエクスペリエントなのか?

エクスペリエントは本当に謎の存在である。“ボブ“たちを生み、異界「コンビニエンスストア」を作り出したのだけは確か
ただ姿かたちが似ているからといって、それを“ジュディス”や黒クーパーを追ってガラス箱事件を起こした怪物と同一視するのには違和感がある
仮初にも核実験で目覚めた“魔神”にしては、スケール感が違いすぎる。ガラス箱事件の怪物は黒クーパー=“ボブ”に送られた刺客であり、“ボブ”の動きのなにかがエクスペリエントの禁忌に触れたと思える
エクスペリエントは、とりあえず、悪霊たちの生みの親、超然とした悪の根源としておくのが無難か


7.ジュディスとボブの関係は?

『ファイナル・ドキュメント』によると、古代シュメール神話に登場する悪霊「ジョウディに由来し、冥界から離れて地上をうろつき、人肉を食らう。獲物の魂=人間の苦悩が好物だという
それは男女の姿で現れ、女は「ジョウディ」、男は「バアルと呼ばれる。この男女が合体(『釣りバカ日誌』的な?)すると世界の危機が訪れると言われる
ここで興味深いのは、“ジュディス”の取り憑いたセーラと、“ボブ”の取り憑いたリーランドが夫婦であること。「ジョウディ」が“ジュディス”なら、「バアル」は“ボブ”に相当すると思われる
つまり、この夫婦がツイン・ピークスの危機を作り出したのだ
そうなるとおかしいのは、黒クーパー=“ボブ”が“ジュディス”の正体を知らないこと。“ボブ”が黒クーパーに伏せているのか、“ジュディス”が不信の塊なのか


8.クーパーはなぜ、タイムスリップしてローラを救ったか?

自らのドッペルゲンガーと“ボブ”を葬って、ホワイトロッジの至る資格を得たクーパーは、フィリップ・ジェフリーズに会い、ローラ・パーマー殺人事件の当日に飛ぶ!
ジェフリーズに「ジュディスを探せ」と言われて、ローラを救ったのには「おや?」と思ったが、ローラを救わないとローラに取り憑いた聖霊も力を発揮できず、“ジュディス”に対抗できないからだろう
そして、ローラ・パーマーが街から失われたことで、従兄弟のマデリンも殺され、アニー・ブラックバーンが廃人となり、オードリー・ホーンが黒クーパーに翻弄されるなど、クーパーの周囲にも取り返しのつかない惨事が襲った
そして、25年後のツイン・ピークスは、薬物汚染で腐りきった街になってしまった。これを挽回するには、彼女を助けることでやり直すしかなかったのだ


9.なぜ、ラストはああだったのか


管理人ははっきりしたラストを見せず、視聴者に謎と想像を残したのは、いい判断だと思っている
まず、クーパーとローラがジュディスを対決し、勝利するエンドを見せてしまっては、ただの勧善懲悪のファンタジーになってしまう
かといって、コズミックホラーらしい敗北エンドにしても、それはそれで大不評だろう
つまり、視聴者に謎を残しつつ、ファンタジーのロマンとホラーの怖さを両立させる、『ツイン・ピークス』らしい締めといえよう


10.核爆弾とコンビニエンスストア


「ブラック・ロッジ(赤い部屋)」「ホワイト・ロッジ」に比べ、コンビニエンスストアは異界としての歴史は浅い
1945年のトリニティ核実験とともに生まれ、その2階は悪霊たちの巣窟となってきた。実際のコンビニは1927年のアメリカ、それも核実験のあったテキサスで誕生している
本シリーズでのコンビニは、ガソリンスタンドが併設されているように、モータリゼーション(車社会)を表しているようでもある。原爆=文明の黒い炎が人間の欲望を狂わせ、それ以前の平穏な社会を薬物汚染や乱開発で打ち壊していく拠点になっているかのようだ
24時間営業するコンビニを、英語で「ナイトアウル (Night Owl)」、夜のフクロウと呼ばれるのも意味深である
赤いカーテンの開閉する夜の劇場を愛しつつ、60年代以降の社会変化は許せないという。洗練されたセンスを持ちながら、自然を愛する製作者の想いのこめられたシリーズなのだ


旧シリーズ 【DVD】『ツイン・ピークス シーズン1』 序章・EP1
劇場版 【DVD】『ツイン・ピークス:ローラ・パーマー最期の7日間』
新シリーズ 【DVD】『ツイン・ピークス リミテッド・イベント・シリーズ』 第1章・第2章



【歴史】朱元璋から探る近代日本の「朱子学イデオロギー」

『紫禁城の栄光』朱元璋の本を読んで、司馬遼太郎の晩年唱えた「朱子学(宋学)イデオロギーという言葉を思い出した
『この国のかたち』などのエッセイで語られた「朱子学イデオロギー」は、昭和前半の日本が滅亡した遠因とする。江戸時代に朱子学は支配の道具として浸透し、水戸では特に「尊王攘夷」の思想として純粋培養され、それは明治維新の原動力ともなった
しかし日本の近代は、「尊王攘夷」といういわば“外圧に対するリアクション”を基盤としていたから、フランスの人権思想のように普遍性がなく、貧困なものとなった。教育面で、こうした「朱子学イデオロギー」は引き継がれ、昭和の国家の暴走につながっていくといった内容だったと思う


1.「六諭」と教育勅語

この「朱子学イデオロギー」の教育面の影響というのが、いまいち想像できなかったのだけど、そこで朱元璋の「六諭である

父母に孝順に、
郷党と和睦し、
長上を尊敬し、
子孫を教訓し、
各々生理(仕事)を安んじ、
非違をなすなかれ。(『紫禁城の栄光』p53)


朱元璋は農民に「分」を守らせようと、租税のシステムを作るともに民を教育する仕組みを作った。月二回、民衆を集めて唱えさせたという
「六諭」の内容自体は、当時の村落社会の常識的なものなのだが、それを皇帝の名において唱えることで、あたかも皇帝が道徳上の最高権威のようにしてしまうのが狙い
この制度は清朝に引き継がれて、琉球を経て日本へ伝わり、明治以降に祝祭日ごとに奉読された教育勅語はこの「六諭」の影響なのだ

ただわが国の教育勅語においては忠君愛国が強調され、尽忠報国が国民の義務とされていたのに対し、六諭が一般庶民の道徳として尽忠報国を要求していないことは、いちじるしい相違点である。これはなぜかといえば、シナでは臣と民とが別のものだからである。臣とは官僚のことで、皇帝の恩顧にこたえて忠誠を尽くす義務がある。しかし民すなわち一般の庶民は、皇帝とは直接関係ないので、忠誠の義務もしたがってないわけである。これは秦代以来そうであった。(同書p54)


身分制度が崩れていく近代の日本で、国民全体に国家への忠誠義務を浸透させたことが昭和の戦争における悲劇を招いたといえそうだ

ちなみに朱元璋は、皇帝独裁を固めるため、内政全般を補佐する丞相制度を廃止した。この決定を変えることは初代皇帝の教えに逆らうことになるので、歴代皇帝も丞相を置くことができず、代わりに置かれたのが私設秘書である「大学士」だった
この「大学士」たちは紫禁城内の「文淵“閣”」に詰めていたことから、「内閣と呼ばれた。そう、今の日本で首相が編成する内閣も、ここからきているのだ
朱子学が実践された明朝の制度は、現代の日本にも影響を残しているのである
この他、経済が「経世在民」からとか、西洋の概念を受け入れるのに、儒教などの用語を流用した事例も多い


2.一君万民と昭和維新

朱元璋が理想としたのは、「一君万民」の政治。頂点の皇帝のもとで、民が平等に暮らす社会だ
そのために皇帝と民の間に立ちはだかる中間勢力、豪族や官僚たちを相次ぐ粛清を受けた
中世日本において、後醍醐天皇による「建武の新政には宋学(朱子学)の理想を目指した形跡があるが、武家の時代まっさかりにつき挫折する。新政のスタートは1333年であり、朱元璋の皇帝即位が1368年と同時代の出来事だった
この「一君万民」の思想は、明治維新の「四民平等」につながっていきそうだが、中間勢力を排除するという点では、数々のテロ事件と二度のクーデター未遂である昭和維新が連想される
日本における社会主義革命は天皇排除するのではなく、天皇の権威を利用した国家改造の実現を目指す。天皇と国民の間にある財閥、議会らを粛清して、天皇親政への志向は、明らかに「朱子学イデオロギー」だろう
結局、独裁を嫌う日本社会では、「一君万民」のロマンに終わり、議会が形骸化しつつも存続し、軍に官民が引きずられる形で破滅的な戦争に突入してしまう
(「一君万民」が実現してしまったソ連と中共で、とんでもない血の嵐が吹き荒れたので、ロマンで終わった点は幸いなのだが)
日本の近代は、伝統のムラ社会に「朱子学イデオロギー」が接ぎ木して、西洋の概念を受け入れてできており、中国をはじめとするアジアからの影響をたどらないと理解できないと思った次第であります


関連記事 『紫禁城の栄光』
     『超巨人 明の太祖 朱元璋』

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『競馬最強の法則』が分裂していた件

激しく今さらの話なのだが……
管理人はカレンダーに競馬雑誌『競馬最強の法則』の付録を使ってきた。土日の重賞レースと、競馬関係者の誕生日、データから汲み取った格言(?)が載っていて、にぎやかなのだ
昨年末に1月号を買おうとすると、名前が『競馬の天才』に変わっているたしばらく買ってなかったので、改名リニューアルしたのだと思っていたら

年明けにまた雑誌を買いに行くと、おやおや

競馬最強の法則2019年02月号

ベストセラーズ (2019-01-12)

競馬の天才!Vol.4
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posted with amazlet at 19.01.18

メディアボーイ (2019-01-12)


『競馬の天才』と『競馬最強の法則』が並んでいたのである
Wikipediaによると、『競馬最強の法則』2018年の8月・9月号でいったん、発行停止し、10月号で編者者を総入れ替えしてリニューアルした
さらに、元の編集者たちは、KKベストセラーズからメディアボーイに移籍『競馬の天才』を創刊したそうだ
あくまで管理人の推測だが、こうしたケースだと出版社と編集者たちの間でなんらかの路線転換や条件闘争があって決裂したと考えられる
両誌のデザインを確認してみると、カバーこそ少し違うがともに中身は旧『競馬最強の法則』とそっくり! もう完全な潰しあいなのだ
出版社が変わっても、ターザン山本のインタビューや水上学のコラムは『競馬の天才』側にあるので、従来の読者からするとこちらに親しみは湧くのだが……
読者を取り合って、共倒れにならないことを祈るばかりである

【NHKプレミアム 英雄たちの選択】『家康、生涯最悪の決断 ~信康事件の真相』を見て

NHKプレミアムの『英雄たちの選択』で、家康による信康切腹事件が取り上げられていた
番組では、信長に迫られた苦渋の決断という俗説を一蹴し、岡崎衆と浜松衆の対立、家康と信康の父子関係の問題として論じられていた。俗説はまったく相手にされていなかったのである
『女城主直虎』でどうだったか、今となってはもう忘れてしまったのだけど(結局、ちゃんと見てないのだ)、家康と築山殿がベビーフェイスであった以上、俗説がとられていたであろう。大河ドラマは所詮、バラエティで、啓蒙などはまったく考えていないか、NHK
信康事件が徳川家のお家騒動であるということが、歴史学の世界では当たり前のことになっていたのだ

岡崎衆を任された信康は、とうぜん徳川家の後継者の位置にあり、あるゲストは家康が「信長中心の天下平定が進み、徳川家が三河と遠江の二国で安定する」と見込んだからだと推測していた
が、実際には信長は本願寺を中心とする反織田勢力との戦いや、荒木村重や松永久秀といった武将の反乱で、四方に敵を抱えて続けた
三河に押し込められた状態の岡崎衆は、家康に近い浜松衆より恩賞が預かれない窓際であり、思春期の信康も織田家の元での平和にフラストレーションがたまっていた
天正7年(1579年)、信康は家康に織田家から武田家への乗り換えを進言したとされ、これを契機に家康は信康を監禁して、築山殿や信康家臣の処断、そして切腹事件へと進んでいく

はたして、家康は織田をとるべきだったか、信康に従っておくべきだったか
ここでホストの歴史学者・磯田道史をはじめ、四人中三人がなんと、「信康に従って、武田家につくべきだった」をえらんだ(爆)
天正7年の時点では、織田家はまだ本願寺と石山合戦の最中。対する武田勝頼は、長篠の戦いに敗北しつつも、上杉家の内紛である御館の乱から信濃北部を獲得し、上野へは真田昌幸が快進撃を続けていて、瞬間風速的には最大の領土を築いてたのだ
もし、織田の母国ともいえる尾張を徳川が突く形になれば、信長もかなり危うい状況に陥っていたであろうという見立てである
この武田勝頼の再評価が、管理人的には最大のサプライズだろうか
信康切腹事件の影に見えるのは、信玄伝来の武田家の諜報力天正2年には岡崎町奉行の大岡(大賀)弥四郎による内応事件が起こったように、岡崎衆の不満を巧みに家康への反感へ育てた。信康の家康への進言は、半ばクーデターに近いものがあったのだろう
当時の戦国大名は20代で家督を譲るケースが珍しくなく(信長の子、信忠も21歳で家督を継いでいる)、信康の不満も分からなくもないとする意見が多かった
後年、家康も「最初は武田家について、信長を困らせていたほうがあとで大事にされただろう」とこぼしていたそうだ

歴史はあるべき方向(?)に動かなかったが、この家康の決断が武田家の伸張に釘を刺す
武田家との徹底抗戦を選択したことで北条家との関係改善が進み、本願寺と和睦した信長ともに三方向からの武田征伐が実現。武田家最大の領土を広げたはずの、勝頼のしぼみ方はまさに天国と地獄で、これもまた何冊か追ってみたいテーマである


関連記事 『家康、封印された過去―なぜ、長男と正妻を抹殺したのか』

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 (NHK出版新書 517)
磯田 道史
NHK出版 (2017-05-08)
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本で覚えておきたい場所をどうします?

すっかり『Fallout4』病にかかって更新が滞ってしまったので、ちょいと小噺でも


乱読者にとって、本で気になる箇所をどう扱うかは、考えてしまうところ。専門家を目指すわけでも論文を書くわけでもなく、ブログにレビューというか、感想書くだけなのだから、深く悩むこともないのだが

① ページに折り目をつける
② 文章にシャーペンで線を引く
③ 付箋を貼る


だいたいこの三種類だろうか

①の問題は、本自体を傷つけてしまうこと。文庫、新書は消耗品なのだから、気にしないでもいいという考え方もあるが、某中古書店へもっていくとそのままだと値段がつかなかったりする
それはさておいても、あんまり折っている場所が多いと見てくれの悪さが気になるところだ

②はどこが重要なところだったか、パッとは分からないこと。まあ、ページをパラパラすればいいのですが
後、①と同様に某中古書店で値段がつかず、消しゴムで消すと本を傷つけてしまいがち。ページが歪んだり、下手したら破れたりと
学生時代の参考書のようにマジックで線を引くのは、もちろん値段がつかない。そうして引き取られた中古本が、しれっと普通の値段の棚に置かれているわけなのだが(苦笑)

というわけで、管理人は③の付箋に収まっている。これなら、とりあえずのところ本に跡は残らない
が、付箋も万能ではなくて、あんまり古く傷んでいる本だと、付箋を剥がす力で破れてしまう。本当に古くてかつ貴重な本には、貼るべきではない
まあ、そんな本をそもそも傷めてはいけないのだろうけど

四番目の方法として、メモに大事なページを記録しておくというのもありそうだけど、これはこれですべての本にやっていると大変である


テレ東系の池上彰の番組をゆうつべで拝見したのだが、池上さんは①と②を併用していた。大事なところは、線を引くというか文章全体を枠で囲っていた
買い取りのことを考えないのなら、それで充分なのかもしれない。そもそも、そこまで手間をかけても、買い取り価格は知れてるのだから

どうでしたでしょう『真田丸』

毎年、NHKの大河ドラマはだいたい観ていて、特にブログで取り上げることもなかったのだけど、今年は書く気になってしまった
昨年の『花燃ゆ』は論外としても、『軍師勘兵衛』はけっこう気に入っていた。脚本が良ければと思っていたから、歴史好きという三谷幸喜が戦国物をやれば、久々に面白い大河になると思ったのだ
しかし、終わったところの満足度でいうと、『軍師勘兵衛』とどっこいどっこい。というか、最終回で評価が急降下してしまった
「なぜ、こうなった」。その思いが、この記事を書かせるのだ


○主演俳優が40代はまずかったか

『八代将軍吉宗』の西田敏行の例はあれど、あれは別格。終盤にやっと年齢が追いつくというのは辛かった
堺雅人はすでに完成されている役者なので、役がなじむ過程を楽しむという大河ドラマの醍醐味がなかった。主役に合わせて全体が高齢化したのも苦しく、吉田羊の稲姫はさすがにどうかと思った
そもそもその抜擢からして『半沢直樹』の便乗であって、戦国版半沢で一年埋めようというのは安易だったと思う。半沢の不適さを受け継ぐなら、真田信繁より本田正純あたりが似合っている。絶対、受けないだろうけど、観てみたい(笑)
半沢と源二郎の間にあった溝は、ついに埋められなかったように思う


○ホームドラマはそれほど必要だったか

『真田丸』はたんに大坂の陣の真田丸ではなく、真田家という家族を一隻の船に喩えていう触れ込みだった
真田父子のやり取りには、大いに笑わしてもらったが、ホームドラマ要素が足を引っ張るシーンも多かった。例えば、源次郎の姉、松(=木村佳乃)が記憶喪失になる必要はあったのか
於松の方が安土城で人質になった後、本能寺の変をきっかけに行方知れずになる史実を拾ったのはエライけど、あの再会のさせ方には何ら感動を覚えなかった。脚本家のウィークポイントでもあるのだろう
終盤で「真田家同士で戦ってはならない」と表立って言い出すのもおかしかった。ただでさえ大坂方への内通が疑われて、嫌でも身内と戦ってみせなければならない立場なのだ。信之が大阪方へ兵糧を入れることに加担するとか、真田家を背負うものとして行動に疑問が多かった
そもそも大河ドラマに現代的なホームドラマをすること自体が、世界観をぶち壊すご法度のはず。大河ドラマ以外のNHKの時代劇はわりあい時代劇の枠組みのなかで頑張っていると思うのだが


○きりは霧隠才蔵なのか

そういう説がある。だとすると、あの縦横無尽の活躍にも合点はいく(納得いくかはともかく)
松代に移った真田家で、佐助とともに暮らすというラストは、小説『真田太平記』のお江と重なる。くのいちにせず、史実の妻の一人にしたのは、『天地人』ですでにやっていたせいだろうか
こういう浮いたキャラクターは、特殊な背景を持たせたほうが受け入れやすかったと思う
例の口吸いシーンは、初恋の相手がわざわざ待ち続けて決戦前夜に結ばれるという男の妄想を実現したと同時に、おばはんになるまで待たせて男を下げることにもなっていた。いくらでも機会はあったのに、なんで今まで結ばれなかったかというと、この場面を作るためという作為が見えていた


○最終回はどうしてこうなった

関ヶ原とか、信繁が直接関わらないところは割愛する傾向はあったけど、茶々と秀頼の最期とか、千姫を帰しての秘策とか、大きく穴を開けた形で終わってしまった。観ていたときは、スタッフロールの後に15分あるんだと思い込んでいたぐらいだ
ここまで来ると脚本うんぬんというより、急に放送の枠を減らされたのではと勘ぐりたくなる。来年の番宣より、今年の放送をちゃんと終わらせるべきではなかったろうか
『精霊の守り人』とか脇で作って、NHKはリソースを分散させすぎなんじゃないか

話的に納得がいかなかったのは、信繁と家康が対決した場面。その過程があまりに舞台じみていたのは棚におくとしても、「おまえのような、戦にしか能のない人間はもういらない」→「だとしても……」というやりとりはどうだったか
真田信繁はただの武人ではなく、石田三成や大谷刑部と親しくなるような事務方も務まる人間であったというコンセプトで始めたドラマだったはずだ
長丁場でかなりテンパっていたのだろうが……、これはないだろう
最終回でもったいないというと、去年の『Gレコ』と共通するけど、あちらはあくまで畳み方が早くて余韻が足りないというぜいたくなもの。実写とアニメは単純に比較できないが、70代の富野監督は踏ん張ったのである


視聴率は何も言うまい。一番手間をかけている大坂の陣で下がってしまうのだから、追いかけた人間にはよく分からん。いくらなんでも、『お江』よりは面白かったろうに
ただNHKのほうはその視聴率に過敏になりすぎて、おかしくなっている。大手プロダクションや広告代理店の影響が強くなって、『逃げ恥』に真田丸のパロディがあって、今度はガッキーが紅白の審査員に出るとか、局の垣根のないカオスの状態だ。制作会社が共通するせいか、悪い意味で民放に近くなっている
報道の枠に、真田丸の番宣がねじこまれるのにも参った(苦笑)。コンテンツを利用して使い捨てにしようとする前に、まずドラマそのものに受信料を使ってもらいたい


関連記事 『真田太平記 (一) 天魔の夏』
     『精霊の守り人』(小説)

【考察】未来の貴種流離譚 『重戦機エルガイム』のまとめ

FSSはあまり触ってないんですけど


1.永野護のスターウォーズ

第1話からライトセーバーの殺陣、ホーバーバイクによるカーチェイスと、荒野の惑星を背景にした活劇は、スターウォーズそのもの。とすると、3POなりR2D2なりの助手ロボットは……というと、これがおそらくファティマの役目だったのだろう
『コブラ』のレディなど、主人公をフォローする女性アンドロイドはSFではよくある設定なのだけど、富野監督の強硬な反対で却下。その代わりを担ったのが、有翼人ミラリイのリリスで、『聖戦士ダンバイン』のチャムと同じ役割を負った
こうした経緯を考えると、翌年に『Zガンダム』を控えていた富野監督の起用と、ペンタゴナ・ワールドは『ダンバイン』の多元世界のひとつという引きは、無名の新人を起用するうえでの営業戦略と見てとれそうだ

と、多少の設定は変更されたものの、大枠については永野護が考案した世界観に基づき、渡邉由自の小説をベースにストーリーラインは決まっていたようだ
富野の「『エルガイム』は捨て駒」発言、富野-永野対談で「エルガイムの後半はZにばっか構ってましたよね」という突っ込みがあったように、各話を担当したスタッフに放任されていた。そのせいで作画の荒が目立ったり、おっぱいを出し過ぎたりした反面、突発的に異様にカッコいい演出(今川回!)きざな台詞回しが決まったりして、感心する回も多かった
富野作品特有の終盤での畳みかけるような盛り上がりには欠けるものの、長丁場のアニメらしい起伏に飛んだ物語が楽しめた


2.ダバとギャブレー

ダバは周囲の人間を大事する優等生として登場し、ギャブレーは計略でリーリン一家を傘下に収めるなど、功利主義者として立身出世を目指していた
正直者のダバを上手く立ち回るギャブレーが笑うのが、前半の定番だったが後半において反転する
ダバは反乱軍のリーダーとして頭角を現し、ポセイダルとの戦いが最終局面を迎えると非情な決断を迫られる。あれほど嫌っていたスパイの投入、惑星に対する隕石落とし、終盤では最愛のクワサンを前面に出してポセイダル探索に乗り出す
女性を駒として使い切るギワザやアマンダラと近い領域へ踏み込まざる得ない

そんなダバと反比例して、女性への愛に目覚めるのがギャブレー
中盤でもレッシイに惚れるなど広い守備範囲を誇りつつも、最後はクワサンにゾッコン!
スレンダースカラの身の振り方を犠牲にしつつ、ただただクワサンを救うために動き回る
それはダバに言わせると、熱病のような安っぽい愛なのだが、結果としてギャブレーに何度も救われることになる。そして最後は忍の一字で私情を抑えていたダバともに、真ポセイダルを倒す
一個人としての心情か、リーダーとしての大局か。ダバの葛藤にギャブレーが手を差し伸べたのだ。ここまで絵に書いたようにライバル関係がはまるのは、滅多にない。惜しむらくは、ギャブレーがクワサンをダバに返す場面が描かれなかったことだろうか


3.富野は何をもたらしたか

前述のファティマの否定、リリスの早い投入は有名だが、他についてはよく知られていない。作品通してみると、純粋な富野作品とはとうてい言い難い
しかし気になるのは、ダバが精神崩壊したクワサンと故郷に帰る結末である
渡邉由自の小説、エルガイムをモデルにした『ファイブスター物語』(FSS)では、アムと結婚してカモン王朝が再興するのだ
主人公が勝利の栄光を帯びず、戦争の犠牲になった女性の面倒を見るという結末は、富野的ではなかろうか
アマンダラ(真ポセイダル)の両親がヤーマンに殺されたという因縁があり、ダバが王朝を復興しては歴史の繰り返しとなる。同じ繰り返しにならないように頑張るという筋書きもありだが、すでにクワサンという犠牲がある
様々な女性に愛された主人公が、最後はもっとも愛が必要な人間にその身を捧げたのだ
富田祐弘という富野の日大藝術学部の後輩が脚本家として参加している。学生運動家らしく作品に国家論を注入し、富野に近い風味をもたらしているのだが、この御仁がヒロインの行方まで決めたとも思えないので、やはり富野が関わっているように思うがどうだろう


『重戦機エルガイム』は、もっとも富野成分の少ない富野作品はずだ
それでもバイオリレーションで若さを保つ女王ポセイダルは、ディアナ・ソレルを連想させるし、ギワザやアマンダラといった女性を利用する悪役はZやVに通じるものがある。特にアマンダラは『ダンバイン』のショット。『Z』のシロッコの系譜に数えられそうだ
ただ、↓の富野インタビューを聞くと、「スターウォーズのその先の未来」を想像したとあって、それなりの想いを持っていたようで、実際本人のなかでどういう位置を占めるのか、ちょっとよく分かりません(汗




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【読書メモ】司馬遼太郎の軍隊論

『街道を行く』第6巻に気になる文章があったので、メモ代わりに書いておく
司馬の戦車隊が本土決戦に備えて関東に移ったとき、避難民が北上して道路に充満した場合どう対応するか、大本営の参謀に聞いたという話

 そういう私の質問に対し、大本営からきた人はちょっと戸惑ったようだったが、やがて、押し殺したような小さな声で――かれは温厚な表情の人で、決してサディストではなかったように思う――轢っ殺してゆけ、といった。このときの私の驚きとおびえと絶望感とそれに何もかもやめたくなるようなばからしさが、その後の自分自身の日常性まで変えてしまった。軍隊は住民を守るためにあるのではないか。(『街道をゆく 6』 p36)


司馬のエッセイで何度も書いた有名なエピソードで、作家としての出発点と紹介されることもある
ただし、保守系の論客が元軍人たちにあたったところ、そういう作戦や指導の存在は確認できなかったそうだ
それはともかくとして、このエグい話から、単に軍隊否定に終わらず、軍隊の本質にまで切り込んでいく。長くなるが、引用する
 

しかし、その後、自分の考えが誤まりであることに気づいた。軍隊というものは本来、つまり本質としても機能としても、自国の住民を守るものではない、ということである。軍隊は軍隊そのものを守る。この軍隊の本質と摂理というものは、古今東西の軍隊を通じ、ほとんど稀有の例外をのぞいてはすべての軍隊に通じるように思える。
 軍隊が守ろうとするのは抽象的な国家もしくはキリスト教のためといったより崇高なものであって、具体的な国民ではない。たとえ国民のためという名目を使用してもそれは抽象化された国民で、崇高目的が抽象的でなければ軍隊は成立しないのではないか。
 さらに軍隊行動(作戦行動)の相手は単一である。敵の軍隊でしかない。従ってその組織と行動の目的も単一で、敵軍隊に勝とうという以外にない。それ以外に軍隊の機能性もなく、さらにはそれ以外の思考法もあるべきはずがない。(p37)


これが軍隊の本性だろう
対テロ戦争でハイテク化した兵器を持つにも関わらず、民間人に多くの犠牲者が出てしまうのは、つまりこういうことなのだ。近代の軍隊は相手の軍を潰すために協力な火力を持つのであって、具体的な住民を守るようにはできていない
まして他国の住民を守るために、自軍の兵士の犠牲を強要する作戦はとれないのであって、選択肢として住民を犠牲にするように傾くのだ
安全保障の論議でも、軍隊を動かすとはいったいどういうことなのか、その原理原則をわきまえないと悲劇が繰り返されることだろう


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【電王戦】第4回電王戦FINALの意義

五対五の団体戦は最後であるとして、FINALの名を冠する大会となった第4回電王戦は、三勝二敗でプロ側の勝利に終わった
管理人は家族の事情で、試合の一部分しか観戦できず、会見のすべてを押さえられなかったが、現時点で分かる範囲の情報で今大会を分析したい


1.年末の森下九段VSツツカナ

2014年大晦日、森下卓九段とツツカナの間にリベンジマッチが行われた
ヒューマンエラーをなくすために、持論である継盤の使用と秒読み10分の特殊ルールが用いられ、勝負は年をまたいで正月の午前五時152手をもった指し掛けとなった
ニコニコでも検証されたように、森下九段が入玉が確定した状態で、ソフト側が持将棋にするにも点数が足りない。素人から観ても、負けるのが難しいぐらいの勝勢で、判定勝ちは至極妥当な裁定だろう
実戦でソフトが強くても、個々の局面での大局観・技術では人間が勝るということが証明された対局だった
実のところ、人間とコンピュータ将棋の力関係を測る点では、本戦よりこちらの結果が重要だったと思う。本戦はPVのあった通り、ケジメの一戦になるはずだった


2.電王戦の経過

第一局 ○斎藤慎太郎五段 VS Apery●

Aperyが飛車を振り、ソフトが得意とされる対抗型
しかし、一方的に飛車先の歩が切れる展開となり、プロ側の優勢に。そのまま中盤まで手堅く差し切った斎藤五段がソフトの追撃を許さずに押し切った


第二局 ○永瀬卓矢六段 VS Selene●

「横歩取り」に誘導されると思いきや、ソフトの三手目4八銀で力戦模様の相掛りに。前例のない長期戦はソフトの強さが出やすいので、永瀬六段もマズい展開と考えていたようだ
実際、ソフト有利の局面もあったようだが、いつのまにか後手のプロがソフトの右玉を追い詰め、決定的な局面において角不成!!
これに対して、ソフトは王手放置して他の手を指してしまった。Seleneは無駄な手を省いて読みの力を強めたため、意味のない不成に対応できなかったのだ
永瀬六段は優勢を確信しつつも、より確実な勝利のためにバグを起こす不成を着手した
将棋でもプログラム的にもソフトを圧倒した完全過ぎる勝利だった


第三局 ●稲葉陽七段 VS やねうら王○

開発者・磯崎氏の発言から、ソフト最弱と噂されたやねうら王が相手とあって、早くも人類の勝ち越しが期待された一戦
しかし、やねうら王のランダム性の強い序盤により、プロの研究を離れた力戦模様に。二筋を押し込まれた局面で、稲葉七段はあえて二筋で開戦する勝負手を放つ
相手が突きたいところを逆に突く手は問題視されたが、やねうら王自体の判断では直後に形勢が傾いたわけではないらしい
やねうら王は勝勢時に詰みを逃すなど間の抜けたところも見せたが、素人には良く分からないうちに勝ちきってしまった
局後の会見で磯崎氏は、不思議な序盤について、電王戦ではソフトに代わって着手する“電王手さん”が指す間がある分、デスクトップで対戦するのとは思考時間にギャップが生じることを指摘。事前研究と実戦ではわずかな時間差で、ソフトの指し手が劇的に変わってしまうのだ
事前研究の限界を示す一局といえるだろうか


第四局 ●村山慈明七段 VS ponanza○

前回の電王であり、実質最強といわれるponanza「序盤は村山に聞け」と呼ばれる棋界随一の研究家・村山七段が挑んだが……
対ソフトに有望とされる「横歩取り」への誘導に成功し、村山七段は最も激しい「相横歩取り」へ踏み込む
しかし、浮いた7八の金に対する対応に、ponanzaは意表の7七歩!
くしくも前例は米長前会長のみという奇手だったが、実はそこまでは研究範囲。しかし、ソフトが飛車交換を避けたことで研究を外れてしまい、馬を作られてからは苦しい展開となった


第五局 ○阿久津主税八段 VS AWAKE●

二勝二敗で迎えた最終局は、電王戦らしい(?)想定外の展開となった
AWAKEが成った角が取られる手を打ったところで、開発者の巨瀬氏が投了してしまったのだ
この展開は2月28日に行われたイベント「電王AWAKEに勝ったら100万円」において、アマチュアの挑戦者が勝った戦法で、序盤で角を取られる局面は確かに先手勝ちづらい。阿久津八段は研究数日目で気づいたそうだ
むしろ、本番は局後の会見だった
巨瀬氏が「プロがハメ手を使って勝ってにいいのか」と突きつけたことで、電王戦の存在意義が問われたのだ
ソフトが人間を圧倒してきた状況下において、魅せて勝つ余裕があるわけもなく、二勝二敗で迎えた責任からも阿久津八段を責める理由はひとつもない。角を取られても指すだけ無駄という状況ではなく、「将棋を魅せる」点でいえば、早い投了に問題がある。空いた時間を永瀬六段が埋めてくれたのだ
元奨励会員の開発者がかつての夢舞台で対局するというドラマは、後味の悪い結果となった


3.レギュレーションは妥当だったか?

前回と同じレギュレーションだったが、電王戦を総括する会見では、開発者側の大会への異論が噴出した
実のところ、前回から人間寄りのルールになっていたが、ソフト側が勝利したことで問題視されなかった。今回、人間側が勝利したことで、その不満が顕在化した格好だ
複数のPCをつなげるクラスタの禁止はソフトの棋力を限界よりは抑えてしまうし、ソフトの事前貸し出しと調整の禁止は開発者の不自由さにつながっている。ソフトを差し出して半年間何も手が出せないのは、開発者も悔しいしフラストレーションが溜まったことだろう
開発者の中で“貸し出し賛成派”の磯崎氏は、貸し出し対策に序盤のランダム性を高めていて、その分棋力が下がると話していた

もし羽生四冠などのタイトルホルダーとの最終決戦を想定すると、今回のレギュレーションのままでは通用しない。少なくとも開発者の調整を許さないと、人間側が隙を見つけ出した場合、勝負がマンネリ化し興行として成立しない
人類対コンピュータをテーマを追求すると、クラスタの禁止にも疑問符がつく
今回で電王戦が一段落したのは、運営する立場からすれば運が良かった。開発者・プロ・観客が納得するレギュレーションを設けるには、かなりの時間と労力が必要なことだろう
せめて、修正されたAWAKEのリベンジ対局が実現して、後味の悪さを払拭できれば嬉しいのだが

【考察】全体主義の黎明期 『Gのレコンギスタ』のまとめ

おそらく、最後のテレビ作品となるのだろう


1.おじいちゃんのジェットコースター

本作をひとことで言い表すならば、コレなのだ
キャピタル・テリトリィ、アメリア、トワサンガ、そしてビーナス・グロゥブと地球圏を越えた世界観は、とても2クールを想定したものとは思えない
監督の脚本にどれだけ他のスタッフが関わったかは分からないが、最初に作った設定をほとんど削らず投入したのはなかろうか
余りの展開の早さゆえに先を読む余裕もなく、次から次に現れる世界や人々に目を奪われ続けた。これほど次回の内容を楽しみした作品もない

その反面、本来なら作品を代表する名シーンが、余韻を感じる間もなく終わってしまう嫌いもあった。最初に感じたのは、デレンセン大尉の死に様だ。あれだけ存在感のあるキャラクターが殺されて、尾を引かないのだ。「戦死システム」という言葉が頭に浮かんだ
そうしたドラマの飛躍も終盤のカタルシスで補うに余りあると信じていたが、最終回までジェットコースターだった
歴代の富野作品は、様々な事情で中盤が混乱しても、終盤での神業的な畳みかけで名作として成立していた。それに比較すると、人々の結末を義務的に並べたに終わった最終回は非常にもったいない


2.ベタな設定のてんこ盛り

富野監督は絶えず、ありきたりの設定を避けてきた。王道の物語を作るとしたターンエーすら、普通の物語がない時代だからこそ普通に作るのが新しいという認識でスタートした
しかし、Gレコはどうだろう
「学校の同級生と敵味方に別れて戦う」「主人公は貴人の息子であり、実の親もやはり貴人である」「恋した人が実の姉だった」「主人公機体はスーパーな性能で敵を圧倒し続ける、どころか本人もスペシャルな天才である」
いわゆるアニメでありがちな設定で溢れているではないか
しかも、あまり熱心でなかった自作品のパロディも積極的に盛り込んでいる。これはどうしたことか

おそらく、後進へのお手本という意識が強いのだろう。「ベタな設定でも、ちゃんとドラマを積み上げれば感動できる」「パロディというのは、こうやるのよ」と示したかったに違いない
そしてその結果、シリアスなテーマを内包しつつも、最後までエンターテイメント全開の作品となった。これほど笑わせてもらったアニメ作品は他にない!
しかし、実際に後進のお手本になるかというと、上記のジェットコースターが気にかかる。ただでさえ、情報量をスピードで押し切ろうとする富野信者が多いのだから……


3.帝国主義たけなわ

Gレコは新興国のアメリアが、資源の供給を握るキャピタル・テリトリィに挑戦するところから始まる
キャピタルは南米とおぼしき“イザベル大陸”にある。イザベルの名は、コロンブスの航海を支援したカスティーリャの女王を連想させ、キャピタルとフォトン・バッテリーを供給するトワサンガは、植民地と宗主国の関係
現実の歴史に喩えるなら、アメリカがスペイン・ポルトガルの影響を排除しようとするモンロー主義の時代にあてはまり、植民地の独立戦争と見ることもできる

しかしアメリアの行動は、単なる独立戦争にはとどまらない。キャピタル・タワーを掌握することで、地球圏の覇権を手にしようとする
ビーナス・グロゥブからの輸送船フルムーンシップが争奪されるのは、その能力があればフォトン・バッテリーの供給を握れるからで、アメリア、クンパ大佐の指導で自立の動きを始めるキャピタル・アーミーと独占を維持したいトワサンガとの三つ巴の戦いは、文字通り帝国主義同士のぶつかり合い
史実でいえば第一次世界大戦軍隊の大規模化は階級の平等化を促進し、貴族の牙城であった将校にもルイン・リーのごとく階級上昇に利用する者が現れる
彼の行いは、昭和の青年将校そのままだ


4.全体主義の萌芽

地球から離れたビーナス・グロゥブは、最先端の技術を維持して、フォトン・バッテリーを握って超然とした地位を保っている。ベルリたちにとっては自分たちの社会の未来といえ、進歩する技術の延長にある
アイーダラ・グー総裁が示したのは、進みすぎた技術ゆえに衰弱する身体であり、ジット団はそれを嫌って、地球こそ人類の理想郷と夢見て旅立つ。その意味で、レコンギスタとは身体性を回復する運動ともいえる

しかしこの身体性を回復し、理想郷を取り戻す運動は、歴史的には全体主義とも結びつく
トワサンガの強硬派やジット団にとって、地球を勝手にいじくり回す地球人は、理想郷を壊す排除すべき蛮族である。バーチャルなユートピアは、不健全な存在を排除しなければ成就しない
唐突に思えたフラミニアとマスクの握手は、観念的なユートピア思想を持つインテリとこの世を憎悪する虐げられた下流階級の結合であり、第一次大戦後の全体主義の台頭を思い起こさせる
Gレコに描かれた歴史風景は、まさに全体主義の起源なのだ


5.ノブレス・オブ・リージェ

そうした戦争や全体主義の動きを防ぐものとして提示されるのが、ノブレス・オブ・リージェの精神
戦争にしろ、全体主義にしろ、身に過ぎた文明の利器を持った人間が欲望を発散して、悲劇を起こしてしまう
責任ある立場にいる者は、周囲の人間の欲望に迎合するのではなく、高所に立って自らの共同体を導き、それを支える環境に意を払わねばならない。優れた技術がもたらす結果に、知見と責任を持たねばならないのだ
アイーダは政治家としてエリートの責務を果たしたが、この精神はトップにだけ求められるものではない
超技術を預かったベルリがなるべく犠牲を少なくしようと奔走したように、一人一人の人間としての倫理も試されている。技術に振り回されず、全体化するシステムに動員されないココロが必要なのだ


とにかく楽しいアニメだった
次から次と監督好みのネエちゃんが出てきて色気を振りまき、「彼女のいない奴のことも考えろ」と言いつつ、男女のキャッキャウフフも描かれる。まさに生の喜び、これにありと見せつける
しかし、こうして愛し合う人間たちが、いざ戦争に巻き込まれると、違う喜びを目覚めるように暴れ出す。健全で元気な人間が、無定見から戦争で傷つけあい、閃光の中で消えていく
生の素晴らしさを伝えていたからこそ、それを奪う戦争の酷さが分かるのだ。陽性のドラマが展開されても、監督のロボットものに対する姿勢にまったくブレはない

全体主義に関しては、いわゆるナチズムやスターリニズムのような体制は登場せず、その萌芽を示すに終わった
リング・オブ・ガンダムの際に、確かテレビシリーズ劇場映画でという話があったと思う。実現するかはともかくとして、構想の中では全体主義によって崩壊した世界が、続編として想定されているのではないだろうか
ハリウッドで企画されているというリメイク作品含めて、期待して待ちたい


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     【映画】『Gのレコンギスタ Ⅰ 行け!コア・ファイター』

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石井マーク、嶋村侑 他

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