『桃源郷』 下巻 陳舜臣

現代の難民に逃げ込める桃源郷は……


桃源郷〈下〉 (集英社文庫)
陳 舜臣
集英社
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アラムートの長老ハサン・サッバーフ大詩人ウマル・ハイヤームは、陶羽たちに「マニ」の名を捨てる「まことの教え」を遺言に残した。陶羽一行はスーフィーの姿を借りて、ユーラシアの西端、イベリア半島のコルドバへ旅立つ。一方、西遷を開始した耶律大石はカラ・ハン国を攻め、その宗主国であるセルジューク朝の大軍と対決するのだった

西方マニの領導だった二人の老人が死んだ
二人が残した遺言は生前に語っていたとおり、「マニ」の名を捨てること。名前にこだわることが、他の宗派との対立を生むというのだ
では、名を捨ててどうやって生き抜いていけばいいのか。陶羽たちはサッバーフの遺言で、ムラービト朝のイベリア半島へと旅立つ
彼らが身をやつしたスーフィーは普通のイスラムの教えから少し外れて、違う方向から神の教えを実行する神秘主義者。イスラム教の伝播に貢献したことから、ムスリムのなかでも一種の変り種として認められていた。実際、イスラム社会のなかで異教徒が教えを守るためにスーフィーに化けることはあっただろう
物語は上巻でほぼ大筋が判明していて、下巻は半ば答え合わせである。登場人物はサッバーフやハイヤームの言葉をヒントにそれぞれの生き方を見つけていく
異質な文化、異質な文明が衝突したとき、どうすれば破局を避けられるのか。「マニ」は形式を徹底して捨て去ることで、それぞれの社会で溶け込んでいった
小説で国家や個人の闘争・興亡を扱いながら、それを超えた人間の関係を描いてきた大家の集大成ともいうべき作品だ

マニ教は西ではゾロアスター教に、東では唐の武宗の時代に大弾圧を受けた
世界宗教は弾圧の時代を乗り越えて、強靭な組織を作り勢力圏を拡大していく
しかし、マニ教徒の採った道は違った。むしろ、自己のアイデンティティを極限まで主張しないことで、隠れる道を選んだ
中国の泉州では、独特の信仰を保ちつつ自分が何に帰依しているか知らない人々がいて、マルコ・ポーロの『東方見聞録』にも記録されている。ここまで形式を消し去れば弾圧される心配もない
小説の上巻でも出てきた彼らこそが、生まれ変わったマニ教の境地であり、陶羽たちも長い旅に末にそこへたどり着く
マニ教徒すべてが社会に対して受身であったかというと、そうでもない。耶律大石西遼(カラ・キタイ)を建てるにあたって、遼の制度である一国両院制をあえて残して民族ごとの習慣を大事にしつつ、信仰の自由と引き換えに布教を禁止した。宗教が自己主張して排他的になることを警戒したのだ
耶律大石は志半ばに倒れたが、それに続くモンゴル帝国は宗教に寛容(というか無関心?)だったし、イスラム系の大国にはミレット制の伝統が受け継がれていた
グローバリゼーションによって様々な宗教や価値観の人間が入り乱れる現代にこそ、マニ教の試行錯誤に学ぶべきかもしれない


前巻 『桃源郷』 上巻
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『桃源郷』 上巻 陳舜臣

壮大なマニ教の物語


桃源郷〈上〉 (集英社文庫)
陳 舜臣
集英社
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12世紀初頭の東アジア。中国北部を占める遼(契丹)は、女真族の金の台頭で滅亡の淵に瀕していた。遼の王族・耶律大石は西遷を想定して、若い官吏・陶羽を西方へ送り出す。陶羽は「桃源郷」より下界に遣わされた探界使の末裔であり、同じ子孫である白中岳ともに、海からセルジューク朝のペルシャへ向かう。その道程で方臘の乱に参加した安如泰イスマイル派の長老ハサン・サッバーフらと出会い、隠された世界を知ることとなる

ユーラシアの東西を股にかける壮大な歴史小説
遼(契丹、キタイ)は北宋を苦しめて、中国北部を250年支配した強大な王朝であり、モンゴル系の遊牧民と漢民族が共存する多民族国家だった。しかし小説の時代には、女真族の英雄・完願阿骨打と宋の挟撃を受けて滅亡の危機にある
主人公の陶羽は、秦滅亡の混乱期に武陵地方に逃れたといわれる「桃源郷」の人々の子孫であり、耶律大石の命を受けつつも桃源郷の「探界使」として白中岳と旅に出る
しかし、小説のテーマとしてクローズアップされるのは、マニ教である
宋が遼から燕雲十六州を奪還すべく北伐を開始した際に、漆園の経営者・方臘が反乱を起こす。この方臘は中国における「喫菜事魔」=マニ教のリーダーであり、その乱に参加した安如泰はペルシャへの航海に加わり、伝説の暗殺教団の拠点・アラムートにも姿を現す
隠れマニ教徒たちは、いったい何を理想として目指していくのか
主人公が一癖二癖ある登場人物に翻弄されっぱなしだが(苦笑)、学生時代に手慰みに翻訳し始めたというウマル・ハイヤーム『ルパイヤート(四行詩)』の引用が要所に入り、広大なユーラシアの空気を伝えてくれる

マニ教はゾロアスター教を母体として善悪二元論に立ちつつも、闇に光が最後は勝つというゾロアスター教とは違い、永遠に闇と光は交わらないという立場をとった
教祖マニササン朝のシャープール1世の庇護を受けて信者を増やし、教典を残す。しかし、その王の死後にゾロアスター教の神官たちが同教の国教化を謀り、マニ教は大弾圧を受ける
マニは王命により捕えられ、死体に藁を詰められて吊るされたといわれる
中国においても、唐の武宗の代に大弾圧を受けており、信者は仏僧の格好をして処刑されるという屈辱を受けた。武宗が道教の道士に耽溺したから起きた弾圧だったが、マニ教徒たちはその教えを由来さえも隠すことで生き延びていく
この時代に堂々とマニ教を信仰できるのは、ウイグル族の地域のみだった

小説では、多くの登場人物がこの「隠れマニ教徒」として、つながりを持つ
方臘の乱時に宋へ投降した宋江(『水滸伝』の梁山泊の頭領!)もその一派とし、耶律大石も信者という説をとる。それのみならず、同時代を代表する天文学者にして大詩人のウマル・ハイヤームと伝説のアサシン教団を率いるハサン・サッバーフが西方マニの領導とさえしてしまうのだ!
マニ教には教祖マニが処刑された日を偲んで断食する習慣があり、イスラムのラマダン(断食月)の魁とも言われる。マニ教は他宗教の教義を融通無碍に吸収していく特徴があり、他の宗教からまた他の宗教へ戒律や儀礼を伝播する触媒の役割を果たしたらしい
アラムートの長老が残す言葉。「空に飛び散ることばには、なんの重みもない。……風に吹かれるにまかせておけばよい。あとにはなにも残らない」は、特定の宗教にかじりつかない古代オリエント、ヘレニズムの精神を表しているようだ
果たして、民族や宗教の対立を超える「桃源郷」はこの世の実現できるのだろうか、陶羽たちの旅は続く


次巻 『桃源郷』 下巻
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『琉球の風 雷雨の巻』 陳舜臣

大河ドラマよりずいぶん平和で、オリジナルキャラはみんな長生きします


琉球の風(三)雷雨の巻 (講談社文庫)
陳 舜臣
講談社
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王国の独立にこだわる謝名親方は、独立の歴史を消そうとする島津の申し出を蹴り、斬首された。明との交易に興味を持つ家康の配慮により、“大和”での尚寧王は朝鮮の大使と同等の待遇を受け、島津との関係も国王が家老相当ながら、表向きは独立国を装う複雑な体制となった。啓泰は国家の独立にこだわらず、貨殖(商業)によって琉球を富まそうと、謝汝烈鄭子竜らと手を組んで南海王国構想に乗る

最後の巻となって、だいぶ物語のペースが変わった
第1巻・第2巻は島津の琉球入りを時系列で追ったものだったが、最終巻では薩摩と琉球の関係が整理されていくなかで、明清交替と鄭一族の抵抗運動、大阪の陣の牢人とキリシタンたちの亡命、鎖国体制へ向かう幕府に、オランダとイギリスの新教国とスペイン・ポルトガルの旧教国の対立と、東アジア激動の数十年を雄大に追いかけていく
謝名親方は、琉球を以前から薩摩の従属国であったとする島津家に対し(朝鮮出兵の琉球分の費用を勝手に負担していた)、それを正当化する書状に署名せず、斬罪となる。作者は歴史を曲げない中国古来の史官の伝統に忠実であったと評価する。謝名親方は南京で士大夫としての教育を受けており、正統を重んじる朱子学的価値観に殉じたといえる
一方、主人公の啓泰は謝名親方の世代は国の独立にこだわりすぎたとして、王国の全盛期のように幅広い交易による商業振興を目指す。そのためにキリシタンや大阪の陣の牢人を取り込んで、鄭一族と組んでの倭寇(?)も辞さない
後半は村山等安の高砂遠征から、オランダの植民地統治、鄭成功の奪取半ば「台湾の風」となってしまうが(苦笑)、琉球伝来のサンシンが日本で三味線となったように、芸事と経済は国境を越えて、そこにいる人々を豊かにしていく様子を伝えている

琉球入りによって、薩摩と琉球の関係はどうなったのだろうか
薩摩は琉球領であった奄美大島、喜界ヶ島、徳之島、沖永良部島、与論島を併呑。琉球の石高は12万3千石のうち、王府領として8万9千石が当てられた

王府より毎年、島津に対して、
 芭蕉布 三千反  上布 六千反
 下布 一万反  唐苧(麻の一種) 千三百斤
 綿 三貫目  棕櫚綱 百房
 黒綱 百房  筵 三千八百枚
 牛皮 二百枚
を上納する(p114-115)

さらに掟十五条として、対明貿易はすべての薩摩の指示によって行うこと、女房衆に知行を与えぬこと、私的主従関係の禁止、薩摩の許可のない商人の出入り禁止、人買いの禁止、規定以上の搾取は鹿児島に申し出ること、日本の度量衡を用いること、三司官の権威を重んじることとし、原則としては厳しく内政干渉できた
ただし、対明、対清の交易の関係上、表向きは琉球の独立色を守ったほうが薩摩の国益になるとして、文化面では琉球の独自色を守るように働きかけた。大河ドラマでは、主人公の弟・啓山(=渡部篤郎)が琉球独自の踊りをこだわって死ぬ展開になったが、そこまで極端な弾圧はなかったようだ
明清交替時には、鄭一族の影響で清への慶賀使が送れず、清の康熙帝に献上する金壷が海賊に奪われる事件が起きて、薩摩の意向で大使や三司官が処刑される事態が起きている。琉球独自の伝統は、薩摩の都合で維持されたものでもあるのだ

ちなみにちょいと調べたところ、『テンペスト』で描かれたような琉球王朝の官吏登用試験は、1800年代中葉に中国帰りの祭温が導入したものに過ぎず、幕末の動乱に間に合わなかった
謝名親方が南京で勉強したように中国へ留学するのが、学問で身を立てる王道で久米村出身者がその役割を担った
あの小説はかなりファンタジーであり、どちらかといえば本作のように封建制ぽいのが琉球王国の実体に近そうだ


前巻 『琉球の風 疾風の巻』

関連記事 『テンペスト』 第1巻・第2巻
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『琉球の風 疾風の巻』 陳舜臣

圧倒的な戦力差


琉球の風(二)疾風の巻 (講談社文庫)
陳 舜臣
講談社
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ついに島津が琉球へ侵攻した。奄美大島はほぼ無血で明け渡されたものの、徳之島では謝名親方の娘婿・翁盛棟が徹底抗戦し、多くの死傷者が出る。尚寧王はあまり激しい戦いをしては島津の報復が酷くなると憂慮。啓泰も沿岸部の大砲を威嚇に留め、海賊から調達した鉄砲を野に隠した。結果、首里城で籠城する前に島津への降伏が決まり、尚寧王と重臣たちは鹿児島へ送られ、主戦派の謝名親方は戦犯として扱われることに……

島津の「琉球入り」に対して、琉球側は早くから敗戦を覚悟していた
抗戦派の目的は、琉球が独立国家である足跡を残すことだった。謝名親方も玉砕などは考えておらず、最低限の犠牲で意地を見せるように配慮していた
大河ドラマでは太平洋戦争を意識してか、無茶な抵抗で犠牲を増やした演出がされていたが、小説では抵抗したことが薩摩側に評価されて鹿児島では琉球の英雄と歓迎された
ただし、実戦において両者の戦闘力には雲泥の差があった。200年来、戦闘のなかった琉球にはまともな武器もなく、護身術としての拳法と投石でゲリラ戦をするしかなかった
琉球側も江戸幕府や薩摩が明との交易に参画したいことから、王朝が護持されると計算しており、抗戦派と和平派はそれぞれの役目を果たしてよりよい琉球の将来を目指したのだ
「琉球入り」の結果、琉球は奄美大島を失うが、そもそも大島を支配下に置いたのは40年前に過ぎず、それも島民から「大親」を選ぶ間接統治だった。薩摩と琉球の間にある島々の人々、七島衆は、両者を天秤にかけつつ二重スパイを行っていて、島ごとに王朝への温度差がかなり違う

地味な主人公、啓泰の境遇は複雑である
父親の陽邦義はもともと明国人の医者。琉球に滞在するうちに啓泰の母である少英と知り合い結婚するが、それには少英の計算があった。彼女は明の僧侶・淨雲に惚れていて、大陸へ渡りたかったので結婚しただけだったのだ
事情を知った陽は、元朝由来の被差別民・曲蹄の女と駆け落ちしたことにし、少英は淨雲の元へ行く。しかし、僧侶としての淨雲は仮の姿で、その正体は海賊。少英は囲いものにされただけだった
それを救ったのが久米村に住む震天風であり、助けられた少英は琉球にも帰れず、三味線の腕を生かして京都の茶屋四朗次郎のもとに身を寄せるのだった
大河ドラマだと少英は小柳ルミ子が演じていて、中国で若い恋人(=羽賀研二!)と一緒になっており、茶屋四朗次郎の元には啓泰の従兄弟・羽儀(=工藤夕貴)が転がり込んでいたと思う
一方の陽邦義は二人の息子、啓泰と啓山を明国と縁の深い久米村に預け、曲蹄の女性が死んだことで倭寇を通じて薩摩へ渡り新しい家庭を築く
とまあ、こんな複雑な人間関係があるものの、物語半ばを過ぎて特に進展はない(苦笑)。啓泰が鹿児島まで随行したので、顔を合わせる機会はあったはずだが……


次巻 『琉球の風 雷雨の巻』
前巻 『琉球の風 怒濤の巻』
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『琉球の風 怒濤の巻』 陳舜臣

単行本には顔写真つきの人物一覧がつく。みんな、若い!


琉球の風(一)怒濤の巻 (講談社文庫)
陳 舜臣
講談社
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17世紀初頭の琉球。尚寧王が治める琉球王国に対して、薩摩の侵攻が迫っていた。中国からの渡来人を祖先とする久米村では、出身の謝名親方が王国の宰相である三司官に就任。薩摩に対抗すべく、宗主国の明国や江戸幕府に対して接触をはかる。幼い頃に父を亡くし、親方の世話になっている啓泰は、拳法の師・震天風とともに明国の福建へ渡る

琉球王国を舞台にした1993年大河ドラマの原作小説
帯には20年来、温めてきた構想とあるが、小説の初出がその前年なことから、直接的にはドラマ化を前提とした作品のようだ
ただし上巻まで読んだところ、ドラマ化前提の縛りがあるからか、ストーリーが締まっていて展開が早い。薩摩の侵攻が数年後とタイムリミットがあって、軍事力のない琉球王国は、明国や“大和”の人脈を頼って抑止力を得ようとする
上巻の山場は、尚寧王の即位を承認する柵封使の到来であり、その形式や手続き、歓迎の宴などがこと細かく描かれる。琉球王国では人材難から、久米村三十六姓の補充を申請する。この頃の琉球は交易国家としては衰退し、ポルトガルやスペインら欧州勢との競争に敗れ、明朝に柵封を申請する使者が難破する体たらくだった
その一方で、攻め込む薩摩側の都合にも触れられ、関ヶ原の敗戦から義弘、義久、忠恒の三つ巴の緊張、士族を養うための財政難があり、徳川家としても大阪の豊臣家が健在なうちは、琉球攻めをネタに薩摩を懐柔したい
後半には出番の少ない主人公・啓泰の、死んだはずの父親が薩摩で生きていることも発覚し、いよいよ島津が動き出す。次巻こそが怒濤の予感

久米村三十六姓は、明の洪武帝が1392年に送り込んだ職能集団とされる
琉球に在住しながら籍を明国に置く特殊性から、久米村出身者はあまり高い役職につけなかったが、謝名親方(謝名利山)ははじめて三司官(三人いる宰相の一人)となった
史実だと同僚を讒言して百姓身分に落とし、その身分を奪ったとされるが、小説では高潔な人物として描かれている
主人公の啓泰(ドラマでは東山紀之)も久米村出身で、謝名親方の頼みで先の柵封使の副官である謝杰の息子、謝汝烈に会う。薩摩の侵攻に対し、明国の援助を受けられないかと打診するも、強烈なやり取りが展開される
まず謝汝烈は、「薩摩に支配されて、琉球の民が損をするのか」と聞くのだ。もし民の暮らしが楽になるのなら、亡国は歓迎すべきこととまで言う
明国は万暦帝が政治に倦み、東北部では腐敗した将軍・李成梁を利用して、ヌルハチが女真族を統一していた。謝汝烈は琉球を救うどころではなく、進んで亡国させる段階に入ったとする
そして、話は明国創建にまで遡る。明の太祖・朱元璋はモンゴルの元朝のみならず、新王朝のライバルとなった陳友諒とその水軍を大弾圧。王朝成立後には、「胡藍の獄」と呼ばれる大粛清で功臣たちとその一族を殺戮した。福建においては、有力者である蒲寿庚の一族をかつて宋を裏切ったとして官職につくことを禁じた
そうした「海の民」に対する弾圧は、明朝に対する深い恨みを残し、遠く離れた子孫にも影響を与えるのだ
謝汝烈は明国の滅亡を前提として、独自の勢力を作ろうとする。それは大陸を支配する新王朝ではなく、海を中心とした「南海王国」!
何か鄭成功の小説に似てきたが、華僑出身の作家としてこだわりたい構想なのだろう


次巻 『琉球の風 疾風の巻』

関連記事 『旋風に告げよ』
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『旋風に告げよ』 陳舜臣

鄭芝竜を主役にした作品もあるようで


鄭成功―旋風に告げよ〈上〉 (中公文庫)
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鄭成功―旋風に告げよ〈下〉 (中公文庫)
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中央公論新社
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絵を学びに、明から渡来した逸然和尚を訪ねた林統太郎は、「統雲」という名をもらった帰り賊に襲われる。吉井多聞という医者に辛くも窮地を救われ、匿ってもらったクリスチャンのお蘭から、統太郎とお蘭が姉弟であること、親が福建の海賊・顔思斉であることを教わる。福建では顔思斉は死に、鄭一族が台頭して鄭芝竜が海を仕切っていた。鄭芝竜とその子鄭成功は南方に逃れてきた明の皇族を保護し、明朝の復興をかけた戦いを始める

日本では“国姓爺”で有名な鄭成功の物語
国姓爺“国姓”とは、亡命してきた皇族の一人、隆武帝から皇族のみに許される朱姓を賜ったことで、“爺”は老人ではなく日本語の「旦那」に近い意味を持つ。娘がいたら嫁がせたいと、平時なら破格の待遇を20代の青年に与えたられたのだ
本書の物語はオリジナルキャラクターである林統太郎の視点に始まり、鄭成功の獅子奮迅の戦いと、父・顔思斉の不審な死とその財宝を巡るミステリーが絡められる。が、史実の鄭成功を追うだけで話が煮詰まってしまったのか(苦笑)、途中で顔思斉関連はフェードアウト。みんなで仲良く台湾からオランダの東インド会社を追い出して、大団円を迎えた
ミステリーとしては失敗したものの、日本人と中国人が雑居していた時代の長崎、北京が落とされてからの明の亡命政権のありさま、など貴重な歴史風景が広がり、鄭成功があえて逆境の明に肩入れした理由が解き明かされている

鄭成功の父、鄭芝竜は亡命政権への応援を決めたものの、打算ありきのものだった。単に清朝に降りて大陸がすんなり統一されてしまったら、鄭一族の海上覇権が認められるか分からない
表向きは明朝を支持して、鄭一族の協力なしに統一できないという具合にすれば、一番恩に着せることができる。また、北方の満州人が南方をそのまま治められるかは未知数で、明清が南北を分ける可能性も視野に入れていた
それに対して鄭成功は、一族の後継者として南京で高等教育を受けており、父のような商売人より士大夫としての倫理性が植え付けられていた。そのため、戦いの途中で清に寝返ろうとする父に歯向かい、明朝復興の戦いを続行する
鄭成功には母親が日本人であるという弱みがあり、鄭一族を仕切るにはより中国人らしく振舞わなくてはならないという強迫観念もあった
地図上の支配領域を比べると無謀な戦いに思えるが、満州族の将軍が水戦にまったく不得手であり、清軍は投降した中国人の将軍に依存せざる得ないこと、辮髪を強要したばかりで人心が動揺していたことなど、清側にも不安要素が多く鄭成功は南京まで快進撃を続けることができた
しかし、補給線上に敵の砦を残したこと、速攻を企図しながら長期戦に方針転換したことなど、鄭成功の決断が裏目にでて南京奪還の夢は断たれることとなる

明朝末期の台湾はスペインとオランダの東インド会社によって支配されていた
オランダの東インド会社は、明朝との戦いに勝利し入植すると、高山族(日本でいう高砂族)と棲み分けしつつ、中国本土から移民を呼び寄せ農耕に取り組ませる
東インド会社の重税に苦しんだ移民者たちは、1652年に郭懐一をリーダーに反乱を起こすが失敗し、一万人以上の移民者が殺されてしまうのだった
南京攻略に失敗した鄭成功は、清側の「遷界令」、福建などの沿岸から30里を無人の地とする政策による大打撃を受けて、新たな戦略拠点を得るべく台湾へ目をつける
遠洋航海できるガレオン船に苦戦するものの、上陸後は移民者の協力を得てゼーランディア城を包囲。最強の船ヘクトル号を沈め、東インド会社を降伏に追い込んだ(1661年)
翌年に鄭成功は39歳で死去。鄭一族の政権は20年続き、清王朝に投降する
鄭成功の明朝復興は失敗に終わったが、初めて台湾独自の政権を建てたことから今日でも開発始祖と称えられているそうだ
鄭親子は江戸幕府の日本に度々軍事支援を要請していて断られていたが、その生き様は近松門左衛門の人形浄瑠璃『国姓爺合戦』により同時代の庶民にも知られていた
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『太平天国』 第4巻 陳舜臣

ひとつの小説で語れない題材

太平天国〈4〉 (講談社文庫)太平天国〈4〉 (講談社文庫)
(1988/12)
陳 舜臣

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南京を制した太平天国は、北京を目指し北伐の軍を発した。快進撃を続けるも、北京を目前に満州・蒙古騎兵の決死の抵抗に遭い、冬将軍を受けて壊滅してしまう。長江上流からは、曽国藩によって組織された新軍隊「湘軍」が迫り、消耗戦へ突入した。前線で存亡を賭けた戦いが続くなか、首都・天京では東王・楊秀清の専横に対する内紛が勃発、血で血を洗う大政変で太平天国は傾いていく

太平天国は16年間も頑張った。そのおかげで、最終巻はかなり駆け足気味だった
貿易商「金順記」の主人・連維材は、外へ目を向けない太平天国に中立を保つも、愛人である西玲は一方的に肩入れし、北京に天京(南京)にと奔走する。急に現れて歴史を動かすのだから、びっくりである(苦笑)
第3巻まで視点キャラを務めていた連理文は、恋人の李新妹と共に南京を避けて上海へ。上海では、太平天国を契機に天地会系の小刀会が反清朝の兵を挙げ、英仏租界をバックに抵抗を続けていたのだった
小刀会は一年で鎮圧されたものの、清朝の弱体に気づいたイギリスはアロー号事件をふっかけ、北京近郊に迫って新たな条約で権益を拡大した
太平天国は単なる中国大陸の内乱ではなく、イギリス、フランス、アメリカといった列強の帝国主義が絡んだグレート・ゲームとなったのだ
ここまで話が大きくなると、オリジナルキャラを太平天国に出入りさせるだけでは、手に余ってしまう。小説として成功しているとは言い難いが、太平天国の実態を描ききった作品として、非常に貴重である

太平天国の前に立ちはだかったのは、まず新しい軍隊だった
曽国藩が築いた「湘軍は、羅沢南の私塾を中核として生まれ、単なる義勇兵ではなく学問の師弟関係を基礎としていた。そこから将校と兵士の区分けが生まれ、指揮系統が明確な軍が生まれた
また、地方政府や北京から独立した司法組織「審案局を創設し、密告をも奨励して厳正な法で粛軍を徹底した
ただし、「湘軍」は王朝から由来しないため、曽国藩個人にしか忠誠を誓わない危険があった。ゆえに中国最初の近代軍閥といわれた
もうひとつは、ウォード、ゴードンら外国人部隊
フレデリック・タウンゼンド・ウォードは、上海商人の要請で水兵中心の洋式軍隊「常勝軍を編成、現地の中国人を吸収しつつ上海の戦線を担った
チャールズ・ジョージ・ゴードンはイギリスの将校ながら、淮軍の李鴻章と協力し太平天国の滅亡まで活躍する
千歳丸で上海に来ていた高杉晋作は、「常勝軍」の活躍から「奇兵隊」を考案したといわれる

しかし、太平天国の息の根を止めたのは、主要幹部の大粛清、「天京事変だろう
実質上のトップだった東王・楊秀清が、天王・洪秀全からの禅譲を計画したことから、洪秀全は有力な二王、北王・韋昌輝、翼王・石達開に密使を派遣。先行した韋昌輝の軍によってまず、楊秀清が血祭りに上げられて、天京は東王派への大虐殺で血に染まる
次に、大虐殺に反感が集まった韋昌輝を、翼王・石達開が粛清し、ひとまず惨劇に幕が下りる
権力の地位に舞い戻った洪秀全は、愚かな二人の兄を信認し、身内による側近政治を始めたに過ぎなかった。著者はこの展開に、権力の狂気であると呻かざる得ない
なぜ太平天国は自滅したか
ひとつは宗教組織の枠組みを維持したから。組織が大きくなっても、楊秀清は開祖である洪秀全をトップの地位から引きずり降ろせなかった
そして、洪秀全があくまで宗教家にすぎなかったこと。楊秀清がいなくなってから、権力者として露出すると、無能な身内で固めた側近政治しかできなかった
楊秀清も拝上帝会の宗教性を解体できず、前近代の英雄らしい強引な政治手法で寝首をかかれる羽目になった
洪秀全が象徴的地位にいて、楊秀清が実権を握る二重権力体制がもっとも安定していたように思えるが……

著者が連維材の口を借りてつけくわえるのは、海外へ目を向けていないこと
上海を目前しながら、アヘン交易を理由に小刀会を見殺しにし、結果的に上海発の外国人部隊「常勝軍」の進撃を許した。アヘン貿易を許せないのは分かるとしても、もう少し柔軟な対応はできなかったのか
第1巻に大久保一蔵(後の大久保利通)を登場させたのは、日本の読者へのサービスではない。太平天国の旗揚げから滅亡の間に、日本は黒船来航→王政復古を経ているのだ
日本の王政復古が、古い権威である天皇を薩長土肥の志士が担ぐ二重権力体制で上手くいったのは、文化と歴史の違いというしかない
それでも、古びた王朝政治を終わらせたという点で、太平天国の意義は大きい
太平天国の生き残りから話を聞いた孫文は、“第二の洪秀全”を目指し革命の道を突き進んだのだ


前巻 『太平天国』 第3巻
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『太平天国』 第3巻 陳舜臣

ついに南京へ

太平天国〈3〉 (講談社文庫)太平天国〈3〉 (講談社文庫)
(1988/12)
陳 舜臣

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湖南省に進撃した太平天国だったが、省都・長沙には左宗棠が幕僚にいて苦戦。しかし転進した益陽城で民間の船舶を手に入れ、ここから快進撃が始まった。湖北省の要衝、武漢三鎮を攻略し、近隣の窮乏する流民を糾合。大軍が長江を下れるほどの船も手に入れて、一気に南京を目指す。対する清軍にそれを防ぐ手立てはなかった

大幹部の相次ぐ戦死、長沙からの転進と負のスパイラルに入ったかに思われた太平天国
しかし益陽で船を手に入れると、天地会系の艇賊・唐正財の提言を受けて岳州(現・岳陽)を攻める。そこに平西王の武器が隠されているというのだ
平西王とは、明滅亡後に清朝に山海関を開いた呉三桂のこと。その功績から雲南王に封じられた後、反乱を起こした
その「三藩の乱」から170年経っているが、その間、兵器が発達していなかったので、呉三桂の武器が太平天国にとって大きな力となったようだ(日本の江戸時代を考えれば、ありえる話か)
主人公・連理文は親父の動きを察したのか(苦笑)、恋人・李新妹が長沙で捕らわれたのを機に太平天国を離れて彼女を救出。外部から太平天国の動きを探る
視点キャラとして理想的なポジションを確保した

この時点で“天王”洪秀全は象徴的存在に退き、東王・楊秀清が実質的な指導者として活動していく
拝上帝会の教えに柔軟な楊秀清は、天地会系の人材を次々に取り入れ、士気が高くても素人裸足な太平軍を巧みに指揮していく
城攻めに対しては坑道から城壁を爆破させ、南京へは仏僧に扮した諜者を派遣して内部工作を仕掛ける。太平天国は辮髪を禁止し、仏僧を皆殺しにしていたので、南京には禿頭の僧侶がなだれこんでいた。そのため、禿頭の諜者たちは簡単に南京に入り込むことができた
対する清軍は、長沙城以外では後手を踏み、やることなすこと裏目に出る
武漢三鎮を巡る戦いでは、兵法の常道どおり、周囲の民家を焼き払ったが、普段から収奪された農民たちが激怒。太平天国へ駆け込んでいく
南京で召集された兵士たちは、アヘン中毒者も混ざる悲惨な質で、押し寄せる太平軍を跳ね返せるわけはなかった

まさに英雄といえる楊秀清だが、彼のこだわりのなさが太平天国を変質させていく
太平軍が取り込んだ天地会とは、そもそも明清交替に際して「反清復明」をスローガンに抵抗した秘密結社であり、民族主義の度合いが強かった
そのため、満州人を「韃虜」として忌み嫌い、役人=「妖人」の滅殺にこだわる拝上帝会とは違う残虐さを持っていた
民族主義の傾向を強くした太平軍は、南京において官民合わせて満州人三万人の官民を虐殺し、キリスト教を母体とする思想性を崩してしまう
また組織そのものも、洪秀全のために後宮を作るなど王朝の性格を引きずり、イギリス公使に対して属国の使者扱いする時代錯誤に陥っていた
少数精鋭の状態では先進性を持っていても、大衆を取り込むごとに打倒すべき王朝の体質に近づいていくというジレンマは、近代アジアの革命において宿命的にともなう壁なのだろうか


次巻 『太平天国』 第4巻
前巻 『太平天国』 第2巻
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『太平天国』 第2巻 陳舜臣

清軍も意外と頑張ってた


太平天国〈2〉 (講談社文庫)太平天国〈2〉 (講談社文庫)
(1988/11)
陳 舜臣

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洪秀全はついに拝上帝会を率い、広西省金田村で蜂起。太平天国と称した。清軍の包囲に対して偽計をもって突破し、同省内の永安に進駐した。清軍は士気の高い太平軍に苦戦しつつ、地の利を生かした包囲戦で行く手を遮るも、文官・軍人の内輪もめで好機を逸しってしまう。しかし国を憂える連維材は、北京で曽国藩に働きかける

第2巻で、蜂起した太平天国は、確かな拠点を求めて彷徨っていく
それに対して清軍は、現地の自警団=郷勇と協力して、包囲戦を展開する。士気は高くても兵糧に乏しい太平軍は持久戦に苦しむが、肝心なところで清軍は墓穴を掘る
原因のひとつは、成り立ちの違う軍隊同士の嫉妬
満州八旗(満州貴族の軍)の鳥蘭泰、緑営(漢人の官軍)の向栄は、相手が手柄を立てようとすると手控え、自分の失敗を別の軍に押し付けようと牽制し続ける。地元に近いゆえに、唯一真面目に戦っていた郷勇の江忠源は、軍を消耗させて帰郷せざるえなくなった
地元の行政官と軍人の対立も深刻で、皇帝の詔勅を盾にえばる将軍に、「本来は私のほうが偉い、先輩だ」と役人が協力を拒んだりと、組織の末期ぶりが随所に描かれている
そんな清朝に対し、複雑なスタンスを見せるのが主人公の父、連維材である
彼にとって「国家」が大事で、「王朝」はそれに乗っかる取替え可能なものにすぎないが、太平天国が海ものとも山ものとも分からぬ以上、国家が本格的に傾くのも困る
そこで息子が太平天国にいながら、清朝側の人材の梃入れにも乗り出す。実子を捨て駒にする筋は分からんが(苦笑)、彼のヒキで次代の英雄たちが結合し新しいうねりが生まれるのだ

太平天国側は士気は旺盛なものの、意外に清軍に勝ちきれない
腐っても清軍の火力は手強く、太平天国の南王・馮雲山は大砲の砲撃に巻き込まれ命を失ってしまう
彼の死によって洪秀全と楊秀清の二頭体制は、楊秀清の独裁へ大きく傾いていく。今まで注意深く絞ってきた、太平軍への流賊の編入が広げられ、馮雲山の仇を口実に屠城(住民のジェノサイド!)を行うなど、禁欲的だった軍の体質が変わっていくのだった
作中では、太平天国にユートピアを夢見ていた女山賊・李新妹が、屠城にショックを受けて離脱してしまう
湖南地方においては天地会系の流賊の力を借りざるえず、楊秀清の方針は一種のリアリズムではあったのだが、太平天国本来の強みを削るものでもあった


次巻 『太平天国』 第3巻
前巻 『太平天国』 第1巻
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『太平天国』 第1巻 陳舜臣

イデオロギー政党の魁


太平天国〈1〉 (講談社文庫)太平天国〈1〉 (講談社文庫)
(1988/11)
陳 舜臣

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阿片戦争から七年後の中国。生活苦から流民が生まれ、華南を中心に白蓮教徒、任侠の徒が蜂起していた。貿易商・連維材の子、連理文は、父の命でキリスト教をもとにした拝上帝会へと潜入する。連維材は拝上帝会に資金援助し、清朝の打倒と新中国の夢を賭けていたのだ。創始者の洪秀全は、任侠系の天地会を利用しつつも、自身の軍隊を厳しい戒律で縛り、精鋭を養っていた

太平天国を題材にした陳舜臣の長編歴史小説
主人公(?)の連理文は、小説『阿片戦争』に登場した連維材の子で、悲劇のヒロイン・西玲さんなど、同作に登場したオリジナルキャラクターが登場する
単に史実の人物を出すだけではなく、史書に語られぬ場所にいたであろう人々に着目して、いろいろな視点から歴史空間を描くのが、氏の作風
その息子がどう太平天国に関わるかと思ったら、堂々と組織の一員として参加しギョッとしたが(失敗したら一族は処刑!)、それだけ太平天国が歴史の可能性を抱えた存在ということだろう
彼らを鎮圧すべく再び欽差大臣に命じられる林則徐が、改造された人間の集団として評価し、「中国の将来を託すに足る連中かもしれない」とこぼす場面が印象的だ

太平天国の母体となった宗教組織、拝上帝会は、キリスト教をもととしつつも、道教のイメージを流用したような神話を持つ
プロテスタントの牧師が配った『観世良現』を引用して、「GOD」=「上帝」と表現し、イエス・キリストを「天兄」とする
唯一神が「帝」なため、洪秀全は太平天国を建てたあとも「天王」と称さざるえず、イエス・キリストが長兄で皇太子扱いなので、跡継ぎも「幼主」と言わなければならなかった
組織の序列は、創始者の洪秀全が最上位で宗教的権威を背負い、馮雲山が組織運営に辣腕を振るったが、不気味なのが楊秀清という存在
楊秀清は文盲ながら機転に富んだ人物で、官憲の弾圧を受けて教団が危機に陥った際に、神やキリストを自らに降ろす「天父下凡」「天兄下凡」といった神がかりで鎮めた。英雄としての器といい、信者の掌握の仕方といい、洪秀全と並ぶ実力者なのだ
主人公たちも組織が二つに割れないか心配で、洪秀全に力を集めるように工作しているが……

拝上帝会の強みは、厳しい戒律による団結と革命的な世界観
信徒は入信する際に、「聖庫」と呼ばれる教団の倉庫に全財産を投じなければならず、軍隊では「男営」「女営」とたとえ夫婦であっても男女が別れて暮らさなければならなかった。ただし、これは清朝を打倒するまでとされていた
拝上帝会が広東で生まれた背景には、華北から流れてきた「客家」の存在があり、洪秀全自身も客家の出身。彼らは貧しい土地で暮らさざる得ず、現地の住人から数百年差別を受けてきたため、独自の習慣を保ち独立心が強かった。女性に纏足をする習慣がないため、拝上帝会には多くの女性兵士がいた
一番の特徴は、キリスト教を元としながらも、強烈な民族主義だろう
支配民族である満州族を「韃妖」と表現し、清朝の役人を「妖人」と呼ぶ。「妖」とは、地上の人間をむさぼる“妖魔”という意味合いがあり、イデオロギー上の敵である
清朝の関係者を同じ人間と見なさないことで、一切の妥協を許さない革命集団に育てたのだ
この構造、「妖人」を「富農」に置き換えると、そのまま共産党になるではないか
中国の歴史において、宗教は社会的な世界観を塗り替える力を持っていて、古今を通じて当局の監視と弾圧を受けるのはこうした歴史を持つからだろう


次巻 『太平天国』 第2巻

阿片戦争(上) 滄海編 (講談社文庫)阿片戦争(上) 滄海編 (講談社文庫)
(1973/08/29)
陳 舜臣

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