余呉湖へはJR山科駅からびわこ線を野洲まで乗り、近江塩津行きに乗り換えて、約1時間30分弱で余呉駅に到着
米原駅で切り離しなどもあるので、アナウンスに注意しなきゃいけない
1.余呉湖(北)
JR余呉駅は、JRしては地方らしいというか、周囲が田んぼに囲まれたところにポツンとある

余呉湖は長浜市に属しており、役所の支所などは駅から離れたところにある。西側に住宅が固まっていて、駅やそちらのほうにコンビニなどは一切ない。カフェが一件あったぐらいだろうか
湖北の公園近くにあるレストランで食事をとらないのであれば、持ち込み推奨である

余呉湖は鴨が多い! ただ鴨川の鴨より、人に慣れていないのか、ちょっと近づくだけでも大げさに逃げてしまう
湖面の緑は、余呉湖で長年問題になっているアオコ。人間の流した生活排水などで水が富栄養化し、湖面を覆って藻を腐らせて、生態系を破壊する。数十年前に教科書で習ったものだけど、解決したわけではないのだ
もっとも、冬場はワカサギ釣りも流行っているそうで、悪化の一途というわけでもないようだ

公園にはこの地に残る羽衣伝説にちなんだ天女の石像が建てられている。本来は、羽衣がかかっていた柳が名所となっているのだが、台風の影響で倒れてしまったらしい(もっとも、それも二代目らしいけど)
後に出会ったガイドのおじさんによると、羽衣伝説は大陸由来の神話であり、それが残る地域は朝鮮半島からの渡来人と深いつながりがあるとか

湖の西側には耕作地と農家の住居が占めている。かなり広く、端っこに子供の遊び場として遊具が置かれていたり
いちおう、ハイキングコース(?)もできていて、砂利道だけど雑草に邪魔されず歩くことはできる
2.余呉湖(南)
ハイキングコースが終わる頃には、住宅地もおさらばで、狭い車道に合流する。そこでは、ミツバチが巣を作っていたりもしたが、なんとか刺されずに通れた

暗くて恐縮だけど、これが「蛇眼玉石」。ここには湖に入水した”菊石姫”にまつわる伝説が残っている
いろんなバリエーションがあるようだが、もっとも鮮烈なのは、子供の頃に蛇の体に近づいていったために湖へ入り、面倒を見ていた下女に、自らの目(蛇の目)を渡して形見とした。蛇の眼の石には不思議なご利益があり、周囲の信心を集めたが、とある身分の高い人が下女にそれなら両目とも渡すように強要し、耐えられなくなった下女は菊石姫に呼びかけた
下女の窮状に、姫はもう片方の目を渡し、「両目が見えなくなったので時間が分からない。湖のほとりにお堂を建てて、鐘を鳴らすように」と頼んだとか。他には、姫は雨不足への請願に湖に入水したとも言われる

道から少し登ったところにある「新羅崎神社跡」。面影はやや平らに開けている以外にないのだけど、賤ヶ岳の戦いの折に、ここが伏兵を置く絶好の地点になったとか
湖面沿いの道は細いので、ここから下を通る兵たちを撃てば、かなりの成果をあげたことだろう
どちらが使ったかは命じされないが、佐久間盛政の奇襲部隊が通って退却したルートなので、柴田方が羽柴勢の追撃をここで留めたに違いない

「アジサイ園」はこんな季節では当然ながら咲いているはずもなく、微妙に紅葉した木だけが迎えてくれた

かつて、ここには国民宿舎があったとか。日本各地に観光産業の振興及び安く泊まれるレジャー施設を国民へ提供する事業も、バブル崩壊から政府系金融機関の融資が止められていったことで、次々と廃業が相次いだ
今となってはそんな余裕があったものだと、昔の日本に驚くが、戦国の合戦とは違う意味で無常を感じる。どこにも箱物を建てる、あの狂騒はなんだったのだろう
いちおう、余呉のスキー場のほうでは、別の法人として宿泊施設が運営されているそうだ
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