日本の官能小説 性表現はどう深化したか (朝日新書)
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永田守弘
朝日新聞出版 (2015-03-13)
売り上げランキング: 414,752
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日本の官能小説は焼け跡からいかに発展していったか。その黎明期から今日までを日本社会の変化ともに辿る官能通史!
著者は1930年代生まれで、年間300本の官能小説を読破するという、その道の鉄人で、いくつもの賞の審査員を務めている
本書では敗戦の1945年から日本の性風俗を取り上げられ、官能小説が当局の規制と闘い、社会の変化を敏感に取り込んでハッテンしていく様子を描いている
戦後の闇市に早くもエロ本が流通したが、それはあくまで戦前の作品だった。1946年10月に『猟奇』(旧字体)が創刊されるも、その内容はまだ、今でいう官能小説というより伝奇、奇譚に相応しいものだった
むしろ、海外の『完全なる結婚』といった性医学書が、性器を直接とりあげている分、煽情的という転倒した状況が起こっていた
戦後最初の官能小説と言われるのは、映画化もされた田村泰次郎『肉体の門』(1947年)。闇市の街娼たちが、無料で恋人と関係を持った娼婦を文字通りにつるし上げて、リンチする場面がエロチックで、それを再現したストリップ劇場の舞台も評判だった
1948年にはアングラで流通した『四畳半襖の下張』が摘発されて、話題となった。この作品を書いたのは、戦前からの大作家・永井荷風と言われ、本人は当局に否定し続けて難を逃れた
この作品は1972年に野坂昭如が持ち回りの編集長を務めていた雑誌『面白半分』に掲載されたことで、再び摘発の対象となった。裁判には丸谷才一、五木寛之、井上ひさし、吉行淳之介といった多くの文化人が特別弁護人として出廷した
ときに性描写は人間性の表現に不可欠であり、その表現の規制を国家の介入によってなされるべきではない、という命題を突きつけた裁判だったが、1980年に最高裁で有罪判決が確定した
このように、文学と官能小説には作家としても作品としても隔たりのあるものではなく、三島由紀夫の『美徳のよろめき』が「よろめき夫人」「よろめき族」という流行語を生んだかと思えば、近藤啓太郎のような芥川賞作家が官能小説に踏み込むことがあった
セックスで失神する女性が描いたことで「失神作家」の異名をとった川上宗薫も、芥川賞候補に何度もあげられた作家であり、「最後の摘発作家」と言われる富島健夫もそうだった。デビュー当時は普通の恋愛小説や純文学を書いていた作家が、やけに官能描写に凝りだして売り物にするのは、今に始まった話でもないのだ
1980年代に入って、大きく地殻変動を起こしていくのが女性作家の躍進である
1978年に25歳の美女作家として丸茂ジュンがデビューし、中村嘉子、岡江多紀が後に続いた。男性の作家はやけにペニスの大きさを誇張したり、女性がありえないほど悶絶する描写に凝ってサービスするが、女性の作家はそうした表現をほどよく抑制することでむしろリアリティを増した
男性にとって女性の快感はあくまで想像の域を出ないが、女性にとってそれは自明のものであり、より実感のこもった表現ができた。その新鮮さからマスコミは「子宮感覚派」と呼んだ(爆)
1983年に今も官能小説の主流である『特選小説』が創刊され、今も活躍し続ける睦月影郎がデビューした
年代を重ねるごとに女性の活躍は増して、表現のタブーはなくなっていき、官能小説は多様化、マニアック化を深めているようだ。本書はジュブナイルや同人小説からの流れ、ボーイズラブやエロゲーなどの影響をまったく取り上げていない点が難だが、昭和の性風俗の変遷を知るには有用で、章の間に挟まれる著者のコラムが微笑ましい