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『1984年のUWF』 柳澤健





総合格闘技の魁となったUWFとは、何だったのか。その神話と果たした役割を関係者の証言から綴る

著者は『完本 1976年のアントニオ猪木』の人で、約束された内容であった!
そもそもUWFの構想は、新日本プロレスの財政問題から始まった。社長であるアントニオ猪木が、新事業‟アントン・ハイセル(ブラジルで環境問題になっていたさとうきびの搾りかすの再利用)に乗り出し、大きな赤字を出したのだ
レスラーや社員たちもハイセルへの投資を社命として義務づけられ、興行で大きな収益をあげてもギャラには還元されない。1984年夏、経理の不正に気づいたフロントや現場は大きく反発し、猪木と腹心の新間寿を退陣されるクーデターが勃発した
しかし、テレビ朝日の介入で猪木は社長に残ることになり、新間だけが放り出されることとなった。そこに梶原一騎の秘書だった川島茂が声をかけ、フジテレビの放映を頼んで新団体を作ることとなった。これがUWFで、新日本プロレスの内紛から始まった組織だったのだ

見切り発車だったUWFが格闘技路線へ向かったのは、レスラーたちの出身である新日本プロレスの気風にある。当時の新日本では、ケツ決め=試合結果とフィニッシュ技を取り決めるものの、それまでの過程は選手たちに任され、アドリブの度合いが高かった
新人はデビューまでの間、リング上であまり使わない寝技のスパーリングで鍛えられていて、道場破りに備える
そうした気風をもたらしたのは、猪木にレスリングを叩きこんだカール・ゴッチ。高いレスリング技術を持ちながら栄光には遠かった彼は、アメリカのショープロレスを堕落と非難し、‟リアルなレスリング”を日本のレスラーに伝えようとした
自宅のゴッチ道場でUWFの一線に立つ藤原喜明、佐山聡、前田明らを育成した
そして、決定的なのが当時、タイガーマスクとして人気絶頂だった佐山聡が、UWFで展開したファイトスタイル。プロレスを真剣勝負と信じて入団し、秘かに「打撃→投げ→関節技」の流れのリアルファイトを描いていた彼は、藤原喜明と死闘を繰り広げ、「ロープに振られて返ってこない」「関節技によるフィニッシュ」など従来のプロレスのお約束を打ち破った

それでも第1次UWFで展開された戦いは、あくまで「格闘技ぽいプロレス」だった。佐山聡は段階を経て、ルールに基づく格闘技への移行を狙ったが、藤原喜明や前田明ら他のレスラーから大きな反発を招く
1985年6月にスポンサーの豊田商事の永野一夫が刺殺され、9月には佐山の理想を応援していた浦田昇社長が退任。佐山はプロレス界から訣別し、アマチュアの総合格闘家を育成する「修斗の設立へ向かう
佐山を失ったUWFは経営危機から、散り散りとなり前田、藤原、高田などのレスラーは新日本プロレスへ復帰する
前田明が新日本での戦いぶりは、センセーショナルなものとなった。1986年4月、仲間のレスラーを負傷させたことから‟世界8番目の不思議”アンドレ・ザ・ジャイアントがリング上でセメントを仕掛けきて、これを撃退
この試合結果から、ファンの間で「前田こそが実力ナンバーワンのレスラーでは」とポスト猪木を期待される存在となる
しかし、その後も藤波辰爾などを負傷させ、1987年11月に全日本から復帰した長州の顔面を骨折させたことから、新日本を解雇されることに
面白いのが、猪木をのぞく新日本全体では毛嫌いされても、プロレスを真剣勝負と信じるファンたちが、前田を支持したこと。猪木のはじめた異種格闘技戦が発展したものがUWFと捉え、選手が高齢化し不完全決着の多い、既存のプロレスのアンチテーゼとして人気をはくしたのだ 

1987年5月、第二次UWFが旗揚げされるが、皮肉にもそのスタイルは佐山聡が提唱して否定された「シューティング・プロレス」を踏襲するものだった
蹴る側と蹴られる側のダメージを減らす「レガース」を装着し、大都市での興行を1月1回に絞った。「借り物の思想をきれにパッケージして大儲けする。まさしくニューアカ(ニューアカデミズム)の時代にふさわしい出来事でしたね」(亀和田武)
芸能界の手法を取り入れたメディアミックスは、マスコミにもUWF=真剣勝負の幻想を植えつけ、テレビのニュース番組にも取り上げられた
しかし、実際の試合には第1次の佐山と藤原の試合ほどのものはなく、徐々に人気は落ちていく。スタジアムを満員の観客で埋めるためにチケットを配りまくり(昔の角川映画?)、その実態を知らないレスラーから上層部は不正経理を疑われる
その結果、前田も選手をまとめきれず、高田のUWFインター、前田のリングス、藤原組へ分裂した

時代は否応なく進み、リングスも当初はUWFのスタイルを引き継いだが、空手家を中心にリアルファイトの比率が増えていき、石井和義率いる正道会館はのちのK-1につながる動きを見せていた
さらに1993年9月には、藤原組を経た船木誠勝と鈴木みのるが新団体パンクラスを設立し、旗揚げ戦をすべてリアルファイトで行った。そして、1993年11月にはアメリカでUFCが始まる
UWFインター1995年10月の新日本プロレスとの対抗戦で、高田延彦は武藤敬司の4の字固めでギブアップし、存在理由を失って1996年12月に解散。1997年10月には高田はヒクソン・グレイシーになすすべなく敗れ、ここにUWFの幻想は霧散した
さて、UWFとはなんだったのだろうか。第1次UWF旗揚げ当初、ラディカルな寝技の攻防、関節技によるフィニッシュをみせても、観客には理解できず、新日本のスタイルを取り入れざる得なかった。佐山にとって客の眼を慣れさせるための、総合格闘技へ移行をにらんだ「格闘技のようなプロレス」であり、実際にそのように推移した
2000年代を席捲したPRIDEなど、総合格闘技の大会にも、ふんだんにプロレスを意識した演出がされており、日本人にプロレスから総合格闘技へ橋渡しする役割を果たしたといえる
本書は冒頭とラストをジェラルド・ゴルドーを破った中井祐樹の回想というまとめる秀逸な構成で、UWFを巡る理想と情熱、葛藤……そして身もふたもない権力闘争を見事に描ききっている


関連記事 『1976年のアントニオ猪木』
     『泣き虫』(高田延彦の告白本)


『完本 1976年のアントニオ猪木』 柳澤健

伝説の実像


完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)
柳澤 健
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1976年、なぜ猪木はアリにリアルファイトを仕掛けたのか。日本プロレスの発祥から、四つの異種格闘技戦、そして総合格闘技時代までを展望する格闘通史


タイトルこそ、1976年と銘打ってあるが、実質プロレス史なのであった
ボクシングなどの打撃系はリアルファイトのみ(八百長を除く)で興行を続けられたが、レスリングはそうはいかない。攻防が素人には地味過ぎて客が決着を分かりづらく、1920年代にはすでにフェイク(ケツ決め)が主流となっていた
力道山に始まる日本のプロレスもそれが前提で発展していき、その弟子であるジャイアント馬場アントニオ猪木も当然それを引き継いでいた
しかし、アントニオ猪木はアリ戦において、なぜかガチンコ勝負を挑んだ。それが本書のテーマである

当時の新日本プロレスは、馬場率いる全日本プロレスとの長い冷戦が続いていた
自分にとって猪木が危険な存在となると考えた馬場は、アメリカのプロモーター連合NWAと結びつき、新日本プロレスに一流の外国人レスラーが流れるのを止めた
猪木はそれに対抗して、二流の無名レスラーだったタイガー・ジェット・シンを凶悪なヒールレスラーに仕立て上げ、国際プロレスのストロング小林を抱き込んで当時としては禁断の日本人エース同士の対戦を実現する
それでも馬場の牙城は崩せない。それを打破すべく飛びついたのが、モハメド・アリへの挑戦だった
フェイクとされるプロレスに比べ、ボクシングのヘビー級チャンピオンの地位は果てしなく高い。なぜアリがその挑戦を受けたかというと、ずばりアリ本人がプロレスが好きだったから(爆)
力道山に大流血させた「吸血鬼」フレッド・プラッシーとの交流から、ボクシング界に対戦相手を煽るプロモーションを持ち込み、ボクシング人気を飛躍的に高めたのだ
実際にアリはレスラー相手のプロレスを経験しており、猪木との対戦もフェイクの予定だった。しかし、猪木は途中でリアルファイトを要求。急遽、特別ルールが決められ、あの立ったままのアリに、スライディングする猪木という試合が生まれてしまう

異種格闘技戦はアリの前の、柔道金メダリストのルスカ戦があり、それはプロレス的な試合に終始していた。それをリアルファイトに変えた理由は、格闘界のキングオブキングスと呼ばれるボクシングに対して、「何でもありならレスリングが強いんだぞ」というレスラー側の鬱積したジェラシー。そして、どこか予定調和を嫌いそれを認めさせてしまう猪木のキャラクターだった
もっとも、レスリングの師カール・ゴッチから、タックルを教わらなかった猪木は、アリをテイクダウンできず試合を膠着させてしまった。いわゆる塩試合の原因について、総合格闘技のない時代の技術不足と指摘されている
完全版である本書では、朴正煕政権を結びついた、大木金太郎こと金一に代表される韓国プロレスの興亡とアリ戦に続くセメントとなったパクソンナン戦、猪木最後のリアルファイトであるパキスタンのアクラム・ペールワン戦の真実にも触れられており、プロレスファンなら必読の一書といえよう

猪木とアリの戦いは何を残したのだろうか。「プロレスは最強の格闘技である」という神話を残し、後輩たちは格闘技ぽいプロレス、UWFなどの諸団体を立ち上げた(それには猪木本人も絡んでいる)
しかし、興行面においてリアルファイトでは試合数が限られてしまい、ルールや技術が整備されていない時代においては怪我で選手を失いかねない。純粋な格闘技では運営できず、プロレス足らざるを得ない
著者は文庫版のあとがきにおいてUWFインターと新日本プロレスの対抗戦を、格闘技を装った異種格闘技的プロレスと生まれ変わった純粋なショープロレスの対決と評し、プロレスと格闘技が混在した時代の終わりとする
ちょうど、アメリカではUFCが立ち上がり、グレイシー柔術が旋風を巻き起こしていた。そのグレイシーを倒した桜庭和志は、その神話を復活させたかのように思われたが、それは卓越したレスリング技術で総合格闘技に適応したということに過ぎない
格闘界における猪木の功罪は、プラスとマイナスが大きすぎて測りかねる。莫大な借金を残したアリ戦についても、WWEのビンズ・マクマホンの目に止まり、新日本に外国人レスラーの調達ルートをもたらした側面がある
ファンに多くの幻想をもたらし、異種格闘技戦から総合格闘技への端緒を作り出した点で、著者も世界最高のレスラーと結んでいる
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