昭和30年代の「清張ブーム」は高度経済成長をどう描いたか。知られざる作品から日本の影を覗く
松本清張論かと思いきや、それを触媒にした昭和30年代論であった
引用されている作品は、『点と線』『砂の器』という鉄板もある一方、『発作』『潜在光景』『坂道の家』『誤差』『憎悪の依頼』『恐喝者』といった中短編から掘り出しているのが渋い!
そうした諸作品から、昭和30年代(1950~60年代)の社会状況を探りつつ、時には自身の原体験を語り、登場人物の心象を推測していき、そこに生きた男女を活写していく
清張作品の特徴は「視点」のトリックを最大限に活かしての、読み終わってなお残す「謎」。その真相を読者に委ねているようで、時代性のみならず今なお読みつがれる魅力となっている
*以下、()内は書籍化の年
1.郊外の誕生
『砂の器』(1961年所収)では、映画館にクローズアップ。テレビが浸透するまでの映画は娯楽の王様であり、映画館は地方においてもその偉容を誇っていた。建物そのものが今のイオンモールのような存在感なのだ
そして、報道に関してもニュース映画の影響力は大きく、作品でもミスリーディングに使われる
『発作』(1957年、「詐者の船板」所収)からは、拡大と密集を繰り返す首都圏に、それに対応して伸長する鉄道網を。そうして拡大された住宅地、ホームタウンは首都と地方の狭間に生まれた「境界」であり、その不安定さは新しい犯罪を生む温床として、様々な作品の舞台となった。80年代の郊外論の魁のような光景がそこにはある
『坂道の家』(1959年、「黒い画集1」所収)だと、地方における小売店に焦点。モータリゼーションが進んでいない年代では、なんでも扱う“よろず屋”が薄利ながら手堅い収益を上げており、作品ではサラリーマンではありえない額を愛人につぎこむ店主が出てくるのだ。まさにコンビニ以前のコンビニの存在であったのだ
2.戦前を引きずる官僚社会の格差
『誤差』(1961年、「駅路」所収)では、田舎の旅館が従来では湯治場として使われていたのに、愛人との逢い引きの場に使われる変化が。『憎悪の依頼』(1982年、「憎悪の依頼」)には、当時の男女における結婚と性愛の感覚のズレが問われる
ただ意外にも名作『点と線』に関しては、あくまでトリック重視であり、“社会派”にしては官僚の実態に即していないと指摘。その反省で生まれたのが、『危険な斜面』(1959年、「危険な斜面」所収)とする
昭和30年代の官僚組織は、戦前の給与体系を引き継ぎ、今以上に学歴による階級社会を為しており、それを覆すにはキャリアの上司に重宝がられるため、汚い仕事に挑まざる得なかった
しかし、高度経済成長とともに、官僚の世界にもベースアップが定着。階層による給与格差が少なくなり、民間企業に抜かされるようにもなった(今は民間がダダ下がりで再逆転なわけですが)
高度成長における動揺を描いたのが、ブーム期の清張作品であり、それが描いた光景は、今では時代の副次資料にすらなってしまう。本書は時代性のみならず、世代を越える普遍的な魅力も伝える良書でありました
*23’4/5 加筆修正