fc2ブログ

『レーガン』 村田晃嗣

レーガンは1911年生まれ。ケネディより六歳上




‟冷戦を終わらせた男”レーガンは、何者だったのか。今なお、アメリカの政治家にリスペクトされ続ける大政治家の実像に迫る
ロナルド・レーガンは、カーターの後、パブッシュの前の第四十代アメリカ大統領である。内政的には「小さな政府」を目指しつつも、冷戦を終わらせるために軍事支出を拡大させ、莫大な財政赤字を作ったタカ派の政治家というのが、一般的な評判だ
しかし、本書のレーガンは様々な姿を見せる。選挙では大見得を切りつつも、実際の政策では妥協していく現実的なプラグマティストであり、応援していた保守派に溜息をつかせることも度々だった
本書は幼少期から、俳優時代、政治家への転身、そして二期八年の大統領、老後までを追う伝記であり、尺の都合で手短にまとめてしまっている部分はあるものの、大きな足跡を残した大統領の全体像を描き切っている


1.グレート・コミュニケーター

レーガンをひとつの言葉で括るなら、やはりグレートコミュニケーターである
ケネディ、ジョンソンの民主党政権に、ニクソンのウォーターゲートで失墜した共和党・保守派のイメージを回復させるため、レーガンは保守派の人々を結集させる「右派のローズベルト」としての役割を期待された
実際のレーガン政権は「小さな政府」にこだわりつつも、冷戦終焉のために巨額の防衛予算を組む、矛盾した政策をとっていたが、共和党の人心を集めることには成功した
レーガンには1920年代の自由主義を理想としており、人々にも「アメリカの朝」という「大きな物語」を唱え続けた。もはや実現することのない古き良き時代への回帰を訴えることが、逆に人種差別の解消など「小さな物語」の実現に終始するリベラル派にうんざりした大衆の心をつかんだ。著者はこれを政治的タイムマシーンと名付ける


2.レーガノミックスと格差問題

レーガンは外交において、荒唐無稽な「スターウォーズ計画」を推進して冷戦を終結に導いたが、内政で「小さな政府」を目指した「レーガノミクス」は成功したのだろうか
後にこのときの規制緩和がマイクロソフトなどによるIT革命を呼んだともいわれるが、著者はその評価を保留する
大減税は富裕層にしか恩恵が届かず(富裕層の税率45%→28%)、州政府への支出が減った分の州税が増えたために一般庶民にはほぼ関係なかった。雇用に関しても、規制緩和によって増えた雇用はほとんど低賃金労働だった。経済の繁栄の裏腹に、富の偏在は加速した
いわゆる新自由主義の改革の結末がここに示されているといえよう
レーガン後も、共和党を中心に不景気になれば大減税、簡素な税制を唱える模倣者は多い。イラク戦争に向かうブッシュ大統領が「悪の枢軸」を唱えたのも、レーガンの「悪の帝国」発言の引用である
著者はオバマ大統領の誕生で「レーガンの時代」に一区切りついたとするが、トランプ政権の在り様を観ると何番煎じかと言わざる得ない


*23’4/12 加筆修正

『プレイバック1980年代』 村田晃嗣

60年代生まれの鶴田浩二ファン

プレイバック1980年代 (文春新書)プレイバック1980年代 (文春新書)
(2006/11)
村田 晃嗣

商品詳細を見る


21世紀をにぎわかす問題は、1980年代に原型ができていた!? 2013年、同志社大学学長に就任した著者が80年代を振り返る
本書は2006年初出で、小泉政権から第一次安倍政権に移った年だった
いきなりだが、冒頭を引用する

(1)現職の首相が病死した。
(2)その結果、「想定外」の人物が首相になった。
(3)日米同盟が大幅に強化された。
(4)世界中で反米機運が高まった。
(5)首相の靖国神社参拝が外交問題化した。
(6)自民党が選挙で歴史的な圧勝を遂げた。
(7)民営化が政治的争点となった。
(8)ベンチャー企業のオーナーが逮捕された。
(9)天皇と皇室への関心が高まった。
(10)首相が戦後政治との決別を表明した。
(p6)

実はこれ、ゼロ年代のことではない。80年代の日本社会に起こっていたことなのだ
(1)は大平正芳、(2)は鈴木善幸、(3)はロン・ヤス関係、(7)は国鉄や電電公社、(8)はリクルートの江副正浩、(10)は中曽根康弘による「戦後政治の総決算」
80年代で起こったことがそのまま繰り返されたわけではないが、過去にあったパターンと把握すれば慌てることはない
80年代の前例から今を知ろうというのが本書の本懐だ

かといってまとまった80年代論なわけでもない
時代区分からは、自身が生まれた1964年から振り返り、60年代、70年代への相応の紙数が割かれている
アメリカ外交と安全保障が専門なことから、時の国内政治、アメリカを中心とした国際情勢が中心ながら、世情をにぎわせたアイドルや風俗、社会問題などにもたぶんに触れている
著者の好奇心が赴くままに書かれたようで、一個人の体験と政治、経済、外交の問題が渾然と絡み合い、ごった煮の感はぬぐえない(苦笑)
しかし、主人公ははっきりしている。行革を推進した中曽根康弘であり、冷戦を終結させたロナルド・レーガンである
中曽根康弘はレーガンの新冷戦を受けて、中立色の濃い経済優先の外交から日米同盟重視に切り替え、防衛費のGNP1%枠突破を目指した。国内においては、最大の国有企業であった国鉄の民営化を勧め、内閣官房を強化して大統領的首相を目指した
小泉内閣の前身として、中曽根内閣はあった
しかし、大きな違いは田中派の支持で政権につけたことで、田中角栄の失脚と経世会(竹下派)の旗揚げという地殻変動のおかげで長期政権が可能だった
後継の竹下内閣はリクルート事件で倒れ、バブル経済のなか政治は混迷を深めることになる

ロナルド・レーガンは人権外交のカーター政権の後を受け、「強いアメリカ」「小さな政府」という矛盾する政策を推進した
結果、財政と貿易の「双子の赤字」を生むものの、冷戦を終結させて共産主義陣営の崩壊へ導く
日本の対米貿易黒字はアメリカ経済界の反発を招き、中曽根首相による「ロン・ヤス」関係もその穴埋めのために要求されたものでもあった。かの在日米軍に対する「思いやり予算」も、貿易関係の付け届けに端を発している
新冷戦時代にこの関係は機能したものの、いざ冷戦が終結に向かおうとするとアメリカは日本との交易条件の転換に向かい、それは「ロン・ヤス」関係でもいかんともし難いものとなった
「スーパー301条」などの制裁法案や日本の市場開放が議題に上り、プラザ合意による円高も日本経済の質的変化を要求した

80年代と現在と何が違うのか
至極とうぜんのことながら、世代の入れ替わりだろう。80年代にはファシズムと軍国主義に直面した世代が次々と退場した
1918年生まれの中曽根田中角栄と同い年で、太平洋戦争では海軍の主計を務め実戦も経験している。ロナルド・レーガンは七歳年上の1911年生まれで、戦時中はプロパガンダ映画の制作に関わった
小泉純一郎は1942年生まれの戦中派で、安倍晋三は1954年生まれなのだから、戦争や改憲に対する認識もどこか軽くなってくるわけである
ちなみに著者は1964年生まれであり、同い年の芸能人に近藤真彦、薬師丸ひろ子、阿部寛、椎名桔平、山口智子を挙げている。薬師丸ひろ子1981年に『セーラー服と機関銃』で「カ・イ・カ・ン」と叫び、阿部寛1985年に『メンズ・ノンノ』のカリスマモデルとなっていた
『北斗の拳』をして「漫画もポストモダンに達した」とか、『1984』は「マスメディア(現在はインターネット)が偉大なる兄弟として現実化した」とか、サブカル方面で大雑把だが、それもご愛嬌。明確な論はなくとも、軽快で七味の効いた文章は何かヒントをくれるはずだ
カテゴリ
SF (28)
RSSリンクの表示
リンク
ブログランキング
FC2 Blog Ranking
にほんブログ村 にほんブログ村 本ブログへ
検索フォーム
タグランキング
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

サイドバー背後固定表示サンプル

サイドバーの背後(下部)に固定表示して、スペースを有効活用できます。(ie6は非対応で固定されません。)

広告を固定表示させる場合、それぞれの規約に抵触しないようご注意ください。

テンプレートを編集すれば、この文章を消去できます。