ナチス・ドイツの第三帝国は、闇の勢力に支配されていた!? ナチスのオカルト趣味とクトゥルフ神話をつなげた邪悪なる短編集
なんと、洗練された怪奇小説なんだ!
ナチスが「地球空洞説」などのトンデモ科学や魔術的儀式に傾倒していた史実を背景として、その黒幕にクトゥルフ神話の旧支配者をあてることで、リアルでおどろおどろしいホラーを作り上げている
世界観を同じくする連作ものなのだが、それぞれの章で主人公が違い、ナチス幹部などの有名人や一部の怪物たちを除いて共通するものはない。どの章も登場人物が怪奇に怯えるホラーとして完結しており、主人公が怪物を圧倒する英雄譚に堕ちないように計算されている
主人公が遭遇する怪物たちは、ときに極地を震動させる大怪物であり、潜水艦をひっくり返す大巨人であり、知らぬ間に人間と入れ替わる人形だったりと、内外の全ての世界に満ちている
「世界は知らぬ間に、怪物に支配されている!」と厨二病か誇大妄想かという状態を、第三帝国というリアルに狂っていた世界を通すことで、異様に実態を持ったものとして立ちあげてくるのだ。それを可能にした作者の博識と実力は恐るべし
<伍長の自画像>
舞台は現代の日本(イラン人に触れられているから、バブル期か?)。バーで飲んでいた“私”は、平田という画家志望の青年を介抱する。その後、画家を諦めた彼は、「星智教団(OSW)」というオカルト教団の秘儀で、本当の自分に目覚めたいという。作家としての好奇心から“私”は平田のアパートで、その秘儀を見に行くが……
作品のなかで、もっともオチがストレート。この連作で“伍長”といえば、平田はあの人であり、名字も微妙にもじっている(苦笑)
アーリア系のイラン人に人種論で噛みつくのが微妙だけど、それだけ人種論がその人、その集団のご都合で変わる難癖に過ぎないということでもあるのだろう
ラストもポピュリズムを皮肉るような、フツーのラストである
*「聖智教団(OSW)」は、作者の他作品にも登場する架空の宗教団体。現実に似たような名前の団体もあるから、ややこしい
<ヨス・トラゴンの仮面>
日本外務省の書記官になりすましている情報将校・神門帯刀は、ドイツの対ソ政策を知るべく、親衛隊の指導者ハインリヒ・ヒムラーとパーティで会う。正体を見抜かれた帯刀は、ナチスが囚われている魔術師クリンゲン・メルゲンスハイムをあえて救出し、「ヨス・トラゴンの仮面」の在り処を探るように求められた。しかし、その当該の魔術師は監視者を殺して、自力で脱出し……
舞台は第二次大戦前夜で、連作の実質的なスタートライン。「ヨス・トラゴン」はラヴクラフトがアシュトン・クラーク・スミス宛ての手紙で言及していただけの邪神なのだが、作者はそれを拾い上げて自分の作品内で“育てた”ようだ
キリストを介錯した「ロンギヌスの槍」を持つルドルフ・ヘスが活劇を見せるなど、やってることは荒唐無稽なのに、なんか整合性がとれているのが素晴らしい!
実際のルドルフ・ヘスもオカルトに傾倒していて、イギリスへの飛行もそういう位置づけで見ることができるそうだ
<狂気大陸>
ハオゼン少佐は反ナチスの軍人と見なされて、アーリア人発祥の地“トゥーレ”と見なされた南極大陸の探検を命じられた。親衛隊の監視下、先遣隊の基地を目指すも、謎の怪物に襲われてしまう。しかし、その奥地には極地とは思えない、温暖で緑の生えた土地が広がっていた
が、探検隊は一線をすでに越えていた。「狂気山脈」の向こうから、不定形の怪物たちが押し寄せる!
前回の続きとなっていて、「ヨス・トラゴンの仮面」を手にしたヒムラーは、魔術師の家系の軍人ミュラーにつけさせて幻視を試し、南極大陸制圧を目指す
その探検隊を待ち受けるのが、不定形な宇宙外生命体「○ョゴス」。自らの支配者さえ滅ぼした彼らは、主人公の仲間を貪り食い、絶望的な状況に陥るのだ
ホラーなのだが、ナチスの野望を打ち砕く怪獣映画のようなカタルシスが味わえる
<1889年4月20日>
若きオカルティストのS・L・メイザースは、恋人のミナ・ベルグソンが見た悪夢と、巷を賑わす連続通り魔事件との類似に驚く。ミナの夢で見た犯人は、チョビ髭の小男で、イニシャルはA・H!
そして、古代エジプトに伝わる邪神ナイアルラトホテップが関わっていることを知って……
1889年の切り裂きジャック事件と、ヒトラーの生誕を絡ませたサスペンス・ホラー。S・L・メイザースは本名サミュエル・リドル・マザーズ(メイザース)で、通称は「マクレガー・メイザース」で知られる実在の人物。妻のモイナ・メイザース(作中のミナ)とともにロンドンにおける「黄金の夜明け団」の首領となっている
アレイスター・クロウリーにケネス・グラントも実在するオカルティストで、クロウリーはサイエントロジーの創設者ロン・ハバートにも影響を与えている
理性の時代に思われた19世紀末期、その世界の中心であるロンドンにうごめくオカルト思想にふれる一編である
<夜の子の宴>
バルバロッサ作戦に加わろうとしたヒャルマー・ヴァイル少尉は、ルーマニアのトランシルヴァニアで隊全体が何者かに襲われる。部下が何人も死に、喉には牙を立てたような傷痕、生き残った部下も生気がない
唯一ドイツ語をしゃべれる司祭に、部下の死体に杭を立てろと言われて激昂し、少尉は射殺してしまう。村長からは、村の外れにある伯爵夫人の協力を仰ぐように言われるが……
トランシルヴァニアというと、もうアレである
ナチスに吸血鬼というと、ポール・ウィルソンの『ザ・キープ』を思い出すが、本作はホラーの王道を走る。ヴァイル少尉はひたすら、やっちゃいけないことをしでかして、吸血鬼どころか、旧支配者の眷属まで解放するのであった。めでたし、めでたし
<ギガントマキア1945>
敗色の濃いドイツ、情報部のエーリッヒ・ベルガー中尉は、ある人物について南米へ向かう潜水艦に乗っていた
高位の将軍から敬礼を受け、自らを“伝説”と呼ばせるに指示する黒づくめの男は、そのオカルト的予見に基づいて複雑な行程を指示。その行く先には奇怪な怪物がつきまとい、“伝説”の男は「ペリシテ人の火」で応戦するが……
ナチス幹部の南米亡命に基づく短編。“伝説”の正体は、チェコで暗殺されたはずのSS高官で、ヒトラーらが指示した内容もいい感じにぶっ飛んでいる
南米にはアルゼンチンなど親独政権が多く、「リヨンの虐殺者」クラウス・バルビーもボリビアに亡命している。ドイツの敗戦直後に、ヒトラーの亡命先として報じられたりもしたようだ(件の南極亡命説も!)
*欧米の説話から都市伝説には、実体化した悪魔として、黒尽くめの男が頻出し、研究者には「MIB=メン・イン・ブラック」とも言われる。どこかの映画と関係するように、UFO関連では宇宙人の使いにイメージされる
<怒りの日>
クラウス大佐は、ノルマンディーで指揮をとるはずのロンメル元帥から昼食に誘われる。そこで、ベック元帥(実際は上級大将?)ら反ヒトラーの重鎮が揃い、まさに総統暗殺計画が論じられていた
しかし、クラウスの周囲には、ヒトラーが呼び込んだ闇の勢力が見え隠れし、愛人のリルも妻のグシーも何者かにすり替えられてしまう
追い詰められたクラウスは、ドイツと世界を救うため、自ら爆破計画の実行犯を申し出るが……
クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、実際の7月20日事件(1944年の暗殺未遂)の実行犯
作中の彼は、連合軍の上陸予想地点のカレーに大要塞を築く計画など軍指導部の誇大な計画に疑問を持っていたが、それがチベット仏教の導師テッパ・ツェンポの差し金と気づく。当時のナチス指導層には、中央アジアをアーリア人の発祥地(トゥーラはどうした!)として、チベットの神秘主義にはまる傾向もあったそうだ
作中のテッパ師は黄衣をまとった怪人(ハス○ー!)であり、人々と取って替わるホムンクルス(錬金術で作られた人工生命体)、人を食い尽くすカニの鋏をもつ“何か”(ダゴンの親戚?)と、取り囲む状況は絶望的なほど闇に食いつかされている
敗戦への下り坂と、ユダヤ人虐殺の狂気が同居した第三帝国末期を象徴するような、闇の世界が広がっているのだ!
そして、その決着の付け方が、決して史実をひっくり返すものではなく、むしろ既存の歴史へ収束させるものとして位置づけられているのがお見事。完璧な着地である
<魔術的註釈>
連作の最終章は「怒りの日」だが、巻末の註釈もまた作品である
ナチス幹部、実在するオカルティストのなかに、ひょっこりとクトゥルフ世界の書籍を潜り込ませ、さらには解説の作家・井上雅彦が小説で創作した本の名前まで混ぜていたりと、やりたい放題
このどこまでが本当で、どこまで嘘なのか、調べてみないと分からない。アレイスター・クロウリーの魔術とラヴクラフトの作品に共通項が多いという話の真偽は……(クロウリーの弟子、ケネス・グラントの妄想といわれるが)
初出は1999年とネット環境のいい時代ではないので、実在を信じてしまった人も多いのではなかろうか。そうやって、人を惑わす魔力が本作にはある
作者の朝松健氏は、クトゥルフ神話のみならず、ファンタジーやその基礎となる西洋魔術の紹介を精力的に行ってきた第一人者で、召喚魔術の「召喚」などファンタジー関係の用語は訳出するなかで生み出されたものも多いという
魔術的な手並みでウンチクが語られるので、この人の作品は追いかけてみたい