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『1984年のUWF』 柳澤健





総合格闘技の魁となったUWFとは、何だったのか。その神話と果たした役割を関係者の証言から綴る

著者は『完本 1976年のアントニオ猪木』の人で、約束された内容であった!
そもそもUWFの構想は、新日本プロレスの財政問題から始まった。社長であるアントニオ猪木が、新事業‟アントン・ハイセル(ブラジルで環境問題になっていたさとうきびの搾りかすの再利用)に乗り出し、大きな赤字を出したのだ
レスラーや社員たちもハイセルへの投資を社命として義務づけられ、興行で大きな収益をあげてもギャラには還元されない。1984年夏、経理の不正に気づいたフロントや現場は大きく反発し、猪木と腹心の新間寿を退陣されるクーデターが勃発した
しかし、テレビ朝日の介入で猪木は社長に残ることになり、新間だけが放り出されることとなった。そこに梶原一騎の秘書だった川島茂が声をかけ、フジテレビの放映を頼んで新団体を作ることとなった。これがUWFで、新日本プロレスの内紛から始まった組織だったのだ

見切り発車だったUWFが格闘技路線へ向かったのは、レスラーたちの出身である新日本プロレスの気風にある。当時の新日本では、ケツ決め=試合結果とフィニッシュ技を取り決めるものの、それまでの過程は選手たちに任され、アドリブの度合いが高かった
新人はデビューまでの間、リング上であまり使わない寝技のスパーリングで鍛えられていて、道場破りに備える
そうした気風をもたらしたのは、猪木にレスリングを叩きこんだカール・ゴッチ。高いレスリング技術を持ちながら栄光には遠かった彼は、アメリカのショープロレスを堕落と非難し、‟リアルなレスリング”を日本のレスラーに伝えようとした
自宅のゴッチ道場でUWFの一線に立つ藤原喜明、佐山聡、前田明らを育成した
そして、決定的なのが当時、タイガーマスクとして人気絶頂だった佐山聡が、UWFで展開したファイトスタイル。プロレスを真剣勝負と信じて入団し、秘かに「打撃→投げ→関節技」の流れのリアルファイトを描いていた彼は、藤原喜明と死闘を繰り広げ、「ロープに振られて返ってこない」「関節技によるフィニッシュ」など従来のプロレスのお約束を打ち破った

それでも第1次UWFで展開された戦いは、あくまで「格闘技ぽいプロレス」だった。佐山聡は段階を経て、ルールに基づく格闘技への移行を狙ったが、藤原喜明や前田明ら他のレスラーから大きな反発を招く
1985年6月にスポンサーの豊田商事の永野一夫が刺殺され、9月には佐山の理想を応援していた浦田昇社長が退任。佐山はプロレス界から訣別し、アマチュアの総合格闘家を育成する「修斗の設立へ向かう
佐山を失ったUWFは経営危機から、散り散りとなり前田、藤原、高田などのレスラーは新日本プロレスへ復帰する
前田明が新日本での戦いぶりは、センセーショナルなものとなった。1986年4月、仲間のレスラーを負傷させたことから‟世界8番目の不思議”アンドレ・ザ・ジャイアントがリング上でセメントを仕掛けきて、これを撃退
この試合結果から、ファンの間で「前田こそが実力ナンバーワンのレスラーでは」とポスト猪木を期待される存在となる
しかし、その後も藤波辰爾などを負傷させ、1987年11月に全日本から復帰した長州の顔面を骨折させたことから、新日本を解雇されることに
面白いのが、猪木をのぞく新日本全体では毛嫌いされても、プロレスを真剣勝負と信じるファンたちが、前田を支持したこと。猪木のはじめた異種格闘技戦が発展したものがUWFと捉え、選手が高齢化し不完全決着の多い、既存のプロレスのアンチテーゼとして人気をはくしたのだ 

1987年5月、第二次UWFが旗揚げされるが、皮肉にもそのスタイルは佐山聡が提唱して否定された「シューティング・プロレス」を踏襲するものだった
蹴る側と蹴られる側のダメージを減らす「レガース」を装着し、大都市での興行を1月1回に絞った。「借り物の思想をきれにパッケージして大儲けする。まさしくニューアカ(ニューアカデミズム)の時代にふさわしい出来事でしたね」(亀和田武)
芸能界の手法を取り入れたメディアミックスは、マスコミにもUWF=真剣勝負の幻想を植えつけ、テレビのニュース番組にも取り上げられた
しかし、実際の試合には第1次の佐山と藤原の試合ほどのものはなく、徐々に人気は落ちていく。スタジアムを満員の観客で埋めるためにチケットを配りまくり(昔の角川映画?)、その実態を知らないレスラーから上層部は不正経理を疑われる
その結果、前田も選手をまとめきれず、高田のUWFインター、前田のリングス、藤原組へ分裂した

時代は否応なく進み、リングスも当初はUWFのスタイルを引き継いだが、空手家を中心にリアルファイトの比率が増えていき、石井和義率いる正道会館はのちのK-1につながる動きを見せていた
さらに1993年9月には、藤原組を経た船木誠勝と鈴木みのるが新団体パンクラスを設立し、旗揚げ戦をすべてリアルファイトで行った。そして、1993年11月にはアメリカでUFCが始まる
UWFインター1995年10月の新日本プロレスとの対抗戦で、高田延彦は武藤敬司の4の字固めでギブアップし、存在理由を失って1996年12月に解散。1997年10月には高田はヒクソン・グレイシーになすすべなく敗れ、ここにUWFの幻想は霧散した
さて、UWFとはなんだったのだろうか。第1次UWF旗揚げ当初、ラディカルな寝技の攻防、関節技によるフィニッシュをみせても、観客には理解できず、新日本のスタイルを取り入れざる得なかった。佐山にとって客の眼を慣れさせるための、総合格闘技へ移行をにらんだ「格闘技のようなプロレス」であり、実際にそのように推移した
2000年代を席捲したPRIDEなど、総合格闘技の大会にも、ふんだんにプロレスを意識した演出がされており、日本人にプロレスから総合格闘技へ橋渡しする役割を果たしたといえる
本書は冒頭とラストをジェラルド・ゴルドーを破った中井祐樹の回想というまとめる秀逸な構成で、UWFを巡る理想と情熱、葛藤……そして身もふたもない権力闘争を見事に描ききっている


関連記事 『1976年のアントニオ猪木』
     『泣き虫』(高田延彦の告白本)


『完本 1976年のアントニオ猪木』 柳澤健

伝説の実像


完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)
柳澤 健
文藝春秋
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1976年、なぜ猪木はアリにリアルファイトを仕掛けたのか。日本プロレスの発祥から、四つの異種格闘技戦、そして総合格闘技時代までを展望する格闘通史


タイトルこそ、1976年と銘打ってあるが、実質プロレス史なのであった
ボクシングなどの打撃系はリアルファイトのみ(八百長を除く)で興行を続けられたが、レスリングはそうはいかない。攻防が素人には地味過ぎて客が決着を分かりづらく、1920年代にはすでにフェイク(ケツ決め)が主流となっていた
力道山に始まる日本のプロレスもそれが前提で発展していき、その弟子であるジャイアント馬場アントニオ猪木も当然それを引き継いでいた
しかし、アントニオ猪木はアリ戦において、なぜかガチンコ勝負を挑んだ。それが本書のテーマである

当時の新日本プロレスは、馬場率いる全日本プロレスとの長い冷戦が続いていた
自分にとって猪木が危険な存在となると考えた馬場は、アメリカのプロモーター連合NWAと結びつき、新日本プロレスに一流の外国人レスラーが流れるのを止めた
猪木はそれに対抗して、二流の無名レスラーだったタイガー・ジェット・シンを凶悪なヒールレスラーに仕立て上げ、国際プロレスのストロング小林を抱き込んで当時としては禁断の日本人エース同士の対戦を実現する
それでも馬場の牙城は崩せない。それを打破すべく飛びついたのが、モハメド・アリへの挑戦だった
フェイクとされるプロレスに比べ、ボクシングのヘビー級チャンピオンの地位は果てしなく高い。なぜアリがその挑戦を受けたかというと、ずばりアリ本人がプロレスが好きだったから(爆)
力道山に大流血させた「吸血鬼」フレッド・プラッシーとの交流から、ボクシング界に対戦相手を煽るプロモーションを持ち込み、ボクシング人気を飛躍的に高めたのだ
実際にアリはレスラー相手のプロレスを経験しており、猪木との対戦もフェイクの予定だった。しかし、猪木は途中でリアルファイトを要求。急遽、特別ルールが決められ、あの立ったままのアリに、スライディングする猪木という試合が生まれてしまう

異種格闘技戦はアリの前の、柔道金メダリストのルスカ戦があり、それはプロレス的な試合に終始していた。それをリアルファイトに変えた理由は、格闘界のキングオブキングスと呼ばれるボクシングに対して、「何でもありならレスリングが強いんだぞ」というレスラー側の鬱積したジェラシー。そして、どこか予定調和を嫌いそれを認めさせてしまう猪木のキャラクターだった
もっとも、レスリングの師カール・ゴッチから、タックルを教わらなかった猪木は、アリをテイクダウンできず試合を膠着させてしまった。いわゆる塩試合の原因について、総合格闘技のない時代の技術不足と指摘されている
完全版である本書では、朴正煕政権を結びついた、大木金太郎こと金一に代表される韓国プロレスの興亡とアリ戦に続くセメントとなったパクソンナン戦、猪木最後のリアルファイトであるパキスタンのアクラム・ペールワン戦の真実にも触れられており、プロレスファンなら必読の一書といえよう

猪木とアリの戦いは何を残したのだろうか。「プロレスは最強の格闘技である」という神話を残し、後輩たちは格闘技ぽいプロレス、UWFなどの諸団体を立ち上げた(それには猪木本人も絡んでいる)
しかし、興行面においてリアルファイトでは試合数が限られてしまい、ルールや技術が整備されていない時代においては怪我で選手を失いかねない。純粋な格闘技では運営できず、プロレス足らざるを得ない
著者は文庫版のあとがきにおいてUWFインターと新日本プロレスの対抗戦を、格闘技を装った異種格闘技的プロレスと生まれ変わった純粋なショープロレスの対決と評し、プロレスと格闘技が混在した時代の終わりとする
ちょうど、アメリカではUFCが立ち上がり、グレイシー柔術が旋風を巻き起こしていた。そのグレイシーを倒した桜庭和志は、その神話を復活させたかのように思われたが、それは卓越したレスリング技術で総合格闘技に適応したということに過ぎない
格闘界における猪木の功罪は、プラスとマイナスが大きすぎて測りかねる。莫大な借金を残したアリ戦についても、WWEのビンズ・マクマホンの目に止まり、新日本に外国人レスラーの調達ルートをもたらした側面がある
ファンに多くの幻想をもたらし、異種格闘技戦から総合格闘技への端緒を作り出した点で、著者も世界最高のレスラーと結んでいる

『泣き虫』 金子達仁

コールマン戦には触れてません

泣き虫泣き虫
(2003/11)
金子 達仁

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高田延彦はどのような思いで戦ってきたのか。新日本プロレス、UWF、UWFインター、そしてPRIDE、インタビューから書き起こされた半生の記録
本書は2002年、総合格闘を引退することを契機に、サッカーなど雑誌連載で知られる金子達仁インタビューなどを元に書き下ろしたもの
門外漢ともいえるライターに委ねたのは、今さらではあるものの、プロレスはやる前から結末が決まっていること、UWFインターですら一部を除いてそうであったことを大っぴらに明かしているからだ。まとめた著者も部外者なら角が立たないからだろうと、口をこぼしている
そのときの立場でPRIDEのガチさを称える内容ではあるものの、ハッスルをやったようにプロレスが嫌いなわけはない
新日本の新弟子時代、UWFでの葛藤、団体経営のしんどさ、疲労困憊のなかでの参院選立候補、敗北から目覚めたリアルファイトへの情熱、その時流した汗と涙が語られている

武藤との世紀の一戦を見れば分かるように、高田延彦はプロレスラーとして一流のセンスを持っていた。その彼が新日本プロレスを出たのはなぜか
本書では見も蓋もない光景が出てくる。新日で師匠的存在だった藤原喜明が、割り箸の倒れる方向で新日本に残留かユニバーサル(UWF)への移籍かを決めていたのだ(苦笑)
タイガーマスクの後継者として「青春のエスペランザ」と言われた高田も、大先輩の藤原を断れる立場になかった。ただし、前田日明、藤原への尊敬の念新日本プロレスが最強の格闘技を語るわりに実態はブックありきだったことへのジレンマから、裏事情を知らない高田は猪木に後ろめたさを感じつつも前向きに考えた
夜逃げ同然に新日本の道場から抜け出し、そのときにはデビュー前の橋本真也に荷物の積み込みを手伝わせている。事と次第によっては橋本がUWFにいる可能性もあった
UWFはフジテレビを媒体に猪木が来る予定で作られた団体であり、目論みが崩れた後に現れたスポンサーが悪名高き豊田商事!
社長の刺殺事件でUWFはブームを起こしつつも、新日本への出戻りを余儀なくされる

第二次UWFが崩壊し、UWFインターで高田が目指したのは「U」を背負いつつも“プロレスだった
UWFは他のプロレス団体を敵に回していたが、プロレス業界の中でプロレスの強さを発信する方向に転換した。それでも、プロレスをガチンコを信じるファンの存在が高田には辛かった
UWFインターは「一億円トーナメント」など奇抜な企画を立てつつも、地方の興行が振るわず赤字を増やしていく。起死回生のヒクソン戦を模索したが、グレイシーの道場を訪ねた安生が失神する事件が発生する
団体の人気に傷がついたところ、高田自身も社長業との兼ね合いから悩み、迷走を始める。安生と鈴木健に参院選への出馬を勧められ、トヨタのCMを降りる形で立候補し落選
新日本プロレスとの対抗戦を組まざるえなくなり、第一戦の武藤戦に敗れたことで団体の名声は地に落ちた

UWFインター解散後はヒクソン戦の実現を目指すが、途中、タイソンとの対戦ももちあがってきた。タイソンはホリーフィールドの耳を噛み千切り、ボクシングの試合ができない状態となり、収入を維持するためなりふり構わない時期があった
高田の気持ちは揺れタイソン戦へ傾くが、ヒクソン戦のための白紙委任状を興行主に渡していたため、急遽ヒクソン戦へ向かうことに。モチベーションを削がれた高田は、ヒクソンの幻想を膨らませ、克服できないまま試合に臨み敗れる
二回目のヒクソン戦を負けはしたものの、相手に幻想を抱かず等身大の敵として戦えたとして、総合格闘技へ情熱を燃やし始める。一般人からはプロレスラーと格闘王としての地位を失墜させたように観えても、本人はリアルファイトの夢を実現させていたのだ
タイトルの「泣き虫」は言い過ぎだが、高田は決して強い人間、怪物ではない。普通に生きていれば経験するべくもない、プロレスラー、あるいは団体の長として業界の修羅場を味わった辛さは、胸に迫るものがあった
著者は書き下ろしが初めてらしいけれど、高田に寄り添い続ける文章がいい。読ませる


関連記事 『最強のプロレス団体UWFインターの真実 夢と一億円』
     【DVD】『PRIDE.1998』 PRIDE.3-PRIDE.4

『禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負』 佐々木徹

ゆうつべとかに対談動画、復活しないかなあ

禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負
(1997/11)
佐々木 徹

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プレイボーイ誌上で実現した前田日明と猪木、長州、天龍との禁断の対談を収録した単行本
1993年当時の前田日明は引退を表明していて、現役のうちに和解しておきたいという気持ちが対談を実現した
単行本自体の中身はというと、対談三本では紙数が足りないせいか、ライターが企画の始まり、対談のお膳立てを整えるまでの苦労など、舞台裏の話が半分を占める
週刊誌の誌上ゆえ、対談が短いのは仕方ないとしても、因縁の相手に対する前田のロングインタビューぐらい載せてもらいたかった(短めの総括はあるけれど)
それでも当時、話題となった対談が舞台裏を含めて読めるのは貴重だし、プレイボーイの企画がこんなふうに始まるのか、と出版業の裏側を覗くこともできる

三者との対談は、「乱闘もありうる」と始まる前まで緊張感があるものの、顔を合わせれば互いに認め合う男同士。むずがゆいほどの褒めあいとなった
天龍源一郎とは、SWSを立ち上がったときに、UWFのスポンサーになってくれるはずだったメガネスーパーを前田が批判した時期があった
しかし対談ではそうした過去には触れず、団体運営の大変さを語りあう内容となった。長州顔面蹴撃事件が天龍―輪島戦に触発されたこともあって、天龍へのリスペクトは明らかだ
その事件の被害者である長州力とは、ざっくばらんの内容
長州の前田に対する批評は鋭く、「誰とも交わらない」「交わらない人間は人間関係が削げていく」と、孤独な戦いを続ける理由をピタリと言い当てる
蹴撃事件の真相に関しては、対談前に前田が「長州さんはレスリング出身で、蹴りに対する防御の経験が少なかった」して技術的な問題としている。長州も前田の離脱を防ぎたがったが、立場上できることに限界があったとした
1993年当時、猪木が小川を中心に総合格闘路線を取ったことには、前田がチクリ。「第二次UWFのときに肩入れしてくれればもっと大きな波になった」と嘆いた

さて、その猪木である
第二次UWFの際に、イギリスから帰った船木誠勝を新日に引きとめようとした話から始まり、ユニバーサル・プロレス(第一次UWF)で猪木が来なかったことから、新日本プロレスで前田たちが浮いてしまったことまでぶつける
それに対する猪木は、素直に謝ってしまう。この包容力が経営者として問題を起こしつつも、団体のトップとして君臨し続けられた理由だろう
長州顔面蹴撃事件による前田解雇に関しては、「前田が解雇された経緯すら、よく分かってなかったんだよな(笑)」と語り、シングル戦で前田を避けていたことも正直に認めて、懐の深さはさすが。ほんと、金さえ絡まなければいい人である
最後は前田が小川の件を話すと、猪木が新団体に誘い、前田は政治家に戻って欲しいと意味深なやり取りとなった
全編通して思ったのは、ここに出てこないレスラー、藤波辰爾の評価が高いことだ。UWFから新日へ戻ってきたときに、Uのスタイルを受け止めてくれたことを前田は感謝していて、天龍や長州もその人格を褒めている
最近のファンには、ドラゴンストップなど社長時代の迷走が印象に残ってしまうが、レスラーとして「名勝負製造機」だったことを忘れてはならない

『子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争』 金沢克彦

特別、長州番でもないといわれますが

子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争
(2009/07/17)
金沢 克彦

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格闘技ブームのなか、新日本プロレスはなぜ迷走したか。レスラーに密着し続けたGKことゴング金沢が、メジャー団体の暗黒時代を振り返る
タイトルから猪木批判なわけだが、単純な告発本ではない。著者がゴング編集長時代のメモから、渦中にいた選手達の姿を追い、総合格闘技の嵐にいかに巻き込まれたかを描いたドキュメントである
総合路線から最も遠い邪道・大仁田から、橋本真也VS小川直也永田裕志藤田和之ケンドー・カシン=石澤常光、そして幻のヒクソン招聘計画
必ずしも猪木に振り回されただけではなく、層が厚すぎる団体ゆえに何かで上を越えねばならないという焦り、五輪に出られなかったことへの雪辱、とそれぞれに総合のリングに上がる動機が存在していた
しかしマット界をリードしたい猪木と他団体との駆け引きのなか、最悪のタイミングで対戦が組まれていったのも事実。本書では、騒動がいかに選手たちを揺さぶり、混乱と惨状に至ったかを克明に追っている

最大の事件といえば、1999年のイッテンヨン、橋本・小川のセメント事件だろう
俗に猪木に含まれた小川が仕掛けたものとされ、現場責任者であった長州力と橋本の確執も噂されたが、本書で明かされたことは少し違う
まず、小川は試合前のルール確認に来なかった。額面は「新日本プロレス格闘技戦ルール」(苦笑)だが、暗黙のルールについては話し合って決めるはずだった
プロレスの技は危険なので相手との信頼関係は必須。この時点で普通のプロレスから外れることは間違いなく、橋本も体に油を塗って備えた
これだけ見れば、猪木のシュート指令に思えるが、その後、ゴングの取材で小川から不可解な発言が出た。最初はUFOのルール(=総合格闘技)のはずが、新日本のルールに突然変わったと言うのだ
セメント事件の真相は新日本とUFOのルール確認がなされなかったことにあり、かたや異種格闘技的プロレス、かたや総合格闘技のつもりでやっていた。管理人が想像するに、小川からすると総合の試合なら対戦相手と顔を合わせるのはおかしいと、単純に考えたのではないだろうか

事件直後、ゴマシオこと永島氏が猪木に電話をかけたところ
「会長、これは一体どういうことなんですか!?」
「おれもまさかあそこまでやるとは思わなかったんだ」
「今、ここに橋本がいて、小川と話したいと言ってますけど、小川は出られますか」
「ああ、いま代わるよ」
 ここで、橋本と小川に電話は代わった。
「小川、オマエ、これはどういうことなんだ!?」
「すいません。頭が飛んでしまって……すいません」
「オマエには俺を救う義務があるんだぞ! 俺を助けなきゃいけない。どうする?」
「分かってます、すいません……」

後にZERO-ONEで行動を共にする二人だが、このときの貸借関係が原点なのかもしれいない
直後には互いに“忌むべき事件”と認識していた両団体だが、猪木-UFO側がフライデー誌上で開き直るようなインタビューを行い決裂する
しかし、長州-坂口ラインを崩す藤波社長、倍賞専務の新体制が生まれ、さらなる小川-橋本戦へ動くことになる

猪木のイエスマンである藤波体制で、新日本プロレスは格闘技路線をひた走った
2000年PRIDEで当時最強と言われたマーク・ケアーを下した藤田和之は、2001年4月にIWGPヘビーのベルトを巻く
しかし、同年8月にK-1の大会でのMMAルールで格下とされていたミルコ・クロコップに額を割られ、TKO負け。同年11月にミルコに敗れた高田が新日本プロレスを挑発し、ミルコ-永田戦へとつながっていく
もっとも格闘技ブームに翻弄されたのは永田裕志だろう
今となっては藤田が永田勝利を確信していたというから分からないが、ミルコは藤田戦で怪物に生まれ変わっていた
対ヒョードル戦では、直前まで対戦相手が二転三転し、イベント開催自体が危ぶまれ、永田自身も新日恒例のイッテンヨンに目が向いていた。最終的には猪木に頭を下げられて、決断に至ったという
本書はレスラーの名誉のために言葉を選んでいる部分もあり、すべてを晒す暴露本ではない。しかし、レスラーの口から発せられた生の言葉は刺激的であり、著者はその背景まで慮って忠実にその声を伝えてくれる
PRIDEが消滅した今となっては遠い過去に思えるが、今の新日本プロレスはこのような時代を経て存在しているのだ

『元・新日本プロレス』 金沢克彦

大谷晋二郎もエラい人だ

元・新日本プロレス (宝島SUGOI文庫)元・新日本プロレス (宝島SUGOI文庫)
(2012/06/07)
金沢 克彦

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日本の格闘技界の源流となった新日本プロレス。そのリングに上がり去った選手は何を思うのか。GK=ゴング金沢こと、元週刊ゴング編集長金沢克彦による6人の漢の物語
取り上げられるレスラーは、クレイジードッグスの小原道由、片山ロケットの片山明大矢剛功、FMWの椅子大王・栗栖正伸、平成維震軍大将・越中詩郎、ZERO-ONE社長・大谷晋二郎
「元・新日本プロレス」というタイトルだが、新日本プロレスを指弾するとか、賛美するといった内容ではない。あくまで一人のレスラーの人生を追い、その出会いと別れ、そして今を扱う
どのレスラーもIWGPヘビーのベルトを巻くことはなく(越中はジュニアヘビー、タッグ王座を経験したが)、いわゆる世間一般で知られる存在ではない
その彼らがいかに生き、戦い、時には泥をすすり、何を目指したのか。知られざるプロレス史がここにある

管理人は三銃士~NWOくらいから入ったにわかなので、狂犬軍団の小原、平成維震軍の越中に興味は集中する
小原道由というと、ガチ最強説がありながら後輩に抜かれ続け、NWOの際にはマジックに「」と書かれるシーンが印象に残っている。そして、魔界倶楽部との抗争での「ポチ、ゴーホーム」
本書では、柔道家として矜持が語られていて、小川、吉田秀彦との縁に、後輩で総合格闘技に参戦した藤田和之の強さには説得力があった。同時に、プロレスと格闘技に求められることの違いが良く分かる
彼にとって総合格闘技への進出は夢のひのき舞台だった。しかし、十年遅かったか、あるいは生まれるのが十年早かった
ちなみに、下関には狂犬軍団の後援会が生まれ、その名誉会長は安倍晋三だったそうだ
越中詩郎は全日本時代に目が出ず、新日本に電撃移籍した「初めて馬場に背を向けた男」
ともにメキシコ修行に出た後輩・三沢が帰国。当時、長州のジャパン・プロレスが全日本に合流し、大所帯になっていた。代わりに手薄になっていた新日本は、海外で浮いている越中に目をつけた
坂口の口説きにケジメをつけることになった越中は、日本に戻り馬場に別れの挨拶に行くが、そこで馬場から驚きの言葉が出る。「今のジュニアのチャンピオンは小林(邦昭)だから、お前はリングに上がってマイクで小林に向かって挑戦するって言えばいい」
たまたまついていた天龍が庇ってくれたから、事なきを得たものの、なんという劇的な場面であろう

不思議なのは、全日から移籍した越中が、UWF勢の高田の好敵手となることである。本書によると、キックに対して胸を突きつけて、打ってこいというスタイルは、越中が最初だという
対UWFで越中が矢面に立ったのは、復帰した維新軍がUWFとの対決に消極的なこと、坂口が猪木と前田の対決を嫌ったことなどが上げられ、前田との対決では靭帯断裂の重傷を負っている
新日では藤波を手本としてきた越中は当初、長州と反りが合わなかったが、誠心会館との抗争の際には長州がブッカーを務めたことをきっかけにリスペクトするようになる。長州の強引、傲慢ともいえる言動が、実はアングルを生むためものと気づいたからだ
そして越中自身も、現場副責任者として信頼され、2000年当時は三銃士よりギャラが高かったという(あれっ、いい話で締められなかった)
本書からはブラウン管の向こう、リングの上の姿とは、また違う男の背中が見えてくる

『プロレス暗夜行路』 別冊宝島

マイナーだが、香ばしいネタが多かった

プロレス暗夜行路 (宝島SUGOI文庫 A へ 1-124)プロレス暗夜行路 (宝島SUGOI文庫 A へ 1-124)
(2010/03/05)
別冊宝島編集部

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三沢の死後、ノアでは社長の座を巡って、激しい権力闘争が繰り広げられた。小橋社長構想を掲げた百田光雄の意図とは?
本書は2009年初出で、三沢夫人を巻き込んだノアの暗闘を中心に、史上最悪のスキャンダル団体「WJ」の極秘資料ターザン山本の「ゴング編集長就任計画」、そして新日本プロレスの最高経営会議「月曜会」の議事録と、メジャー団体からどうでもいいことまで、別冊宝島らしいごった煮である
ネタ的には下流地帯とかぶるところも多くて、正直ショボいのだが、これほど細かい部分を照らそうとするムックも珍しかろう
最後の「女子プロレスの父」松永高司への追悼記事は読後に清涼感を感じたし、「平和の祭典」ルポ漫画も北朝鮮興行の実態を知る上で何気に貴重な証言だ

本書では『週刊大衆』に掲載された百田光雄の激白インタビューに対する反論として、彼の行動が批判されている
力道山の実子である百田光雄仲田龍統括本部長の対立は、三沢の生前から続いていた
2008年には、TBSの正月番組『スポーツマンNO.決定戦に、三沢、秋山、丸藤、健介が出場したが、TBSから百田は「三沢だけは絶対出場で、他の人選は任せる」で請け負っていたという
このとき三沢の体調は芳しくなく、仲田龍は断りの電話を入れていた
百田いわく、三沢自身が仲田の話を一蹴して出場したというが、結果、三沢はウォーミングアップもできないまま本番に臨み、参加選手中最下位の醜態をさらした
小橋社長構想にいたっては、仲田龍憎しから始まった動きであり、遺族への手回しもせぬまま一蹴されてしまった
そうした百田に追随するレスラーもおらず、現役最年長記録(ラッシャー木村の61歳10ヶ月)の更新もするリングがあるか分からない
もっとも本書はノアの田上社長就任には、将来の丸藤社長構想があるにしても、策がないとも批判している
新日本プロレスなどで進む経営と選手の分離が行われず、レスラーが社長に就任しては、ブックに選手が公然と介入して変更するなど悪風の解消にはつながらないと言うのだ
果たして箱舟はどこへ行く

プロレス史的には、新日本最高経営会議「月曜会」の議事録が興味深い
「月曜会」には、新日本プロレスの役員のみならず、テレビ朝日から会長、スポーツ局長以下数名が出席し、経営に介入していた
ゴールデンから夕方へ放送時間が変更され、生中継ができなくなる中、東京ドームでソ連代表を迎え入れての興行(レッドブル軍団)が企画されて、テレビ依存から大型イベント中心への路線転換が模索される
そうした大型興行での決算もしっかり追及されるほか、外国人選手の演出(機材の破壊)にもクレームが入り、会議の中身はいわゆる猪木独裁とはほど遠い
猪木と猪木事務所を止められなくなるのは、深夜放送が定番となり、ビッグマッチ路線に興行形態を変えてからなのだろう

悲しいほどどうでもいいのは、ゴング編集長就任を巡って行われたターザン山本と元出版社社長の前田大作の会談だろう。前田の経営していた出版社は『週刊ゴング』の版元の「日本スポーツ出版社」である
70分ほどの録音テープから書き起こされた会話は、金に困った男がターザン山本を引き込んでさらに金を借りようとしている、というだけだ
ただ、借金男が渾身の一芝居を打つ様は、まるで犯罪小説の一場面のようなドラマがある
なぜ、ターザンが見え見えの芝居に僅かでも乗る気になったか。宝島の取材に答えるには、プロレスがエンターテイメントであることを前提に裏側を暴露する誌面を作りたかったからだそうで、プロレスマスコミ関係者にも腹を割らせて書かせたかったという
予定されたスタッフの実力不足を指摘されると、「君は、プロレスライターの筆力をなんだと思っているんだ。この業界に筆力のある奴なんていないんだよ」と見も蓋もない返しで腹を抱えてしまった
このほか、WJの出資者を募るための「設立企画書」も抱腹絶倒だが、それは割愛させてもらおう。ヒクソン召集に、総合格闘の交流って、なにがやりたかったんだコラ(笑)


『新日本プロレス「崩壊」の真相』 別冊宝島編集部

今となっては、懐かしい話

新日本プロレス「崩壊」の真相 (宝島社文庫)新日本プロレス「崩壊」の真相 (宝島社文庫)
(2007/01)
別冊宝島編集部

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ゼロ年代の新日本プロレスがなぜ低迷したか。猪木引退後の迷走を関係者の証言から検証する
ひと言でいえば、猪木批判の書である(笑)
団体の財政を大幅に改善した草間政一社長は任期を残す形で辞任を余儀なくされたが、ロス道場やアントン・ビジネスなどの不透明な資金の流れが槍玉に上がり、猪木と猪木事務所の反発を買ったからだという
新日本を株式上場する計画があったときも、猪木が名義を主張する株券が佐川清(佐川急便創業者)から変えられていなかったことから頓挫し、このときを逃していなければユークスへの子会社化もなかったとか
驚いたのはユークスへの“身売り”に関しては猪木と猪木事務所の対立が生じていて、新しいスポンサーを引っ張って新日本を買収したい猪木事務所に対し、猪木は独断でユークスへの身売りを確定したことだ
記事では「夢の高効率発電が実現したからでは」と推測しているが(苦笑)、近すぎる身内との内輪もめに嫌気がさしたのかもしれない

この手の本でよくあることだけど、立場によって言っていることが大きく変わる。猪木の秘書、坂口泰司によると、アントン・ビジネスに団体の金が流れたことはありえないとなる
そうした顕著な例のひとつが長州体制への評価で、小佐野景浩によれば90年代を支えたのは現場監督としての長州であり、暗雲がたちこめるのは猪木が選挙に落選して新日本に戻ってきたからとする
しかし、猪木の懐刀、新間寿に言わせると、「現場監督としてはよくても、マッチメイカーとしてはゼロ」。2005年に永田と前田がやりあったとき、相手にするなと指示したそうだ
某レスラーへの金銭トラブルやWJの顛末をみると、90年代の快進撃はゴマシオこと永島勝司など裏方の手腕が大きかったと見るべきだろう

本書の初出は2006年1月で、新日本プロレスにとってまさにどん底の時代
2001年の藤田・ノートン戦から格闘技路線がより強くなり、2005年10月にはブロック・レスナーが藤田・蝶野との3WAYマッチでIWGPを獲らせるも、契約で揉めて翌年7月に王座剥奪を迫られるという屈辱的な事態を招いている
9月に棚橋弘至が初めてIWGPのベルトを巻き、今の興隆につながっていくも低迷は長かった
長州・永島体制後に「マッチメイク委員会」に参加した渡辺秀幸の談話もあり、かの円天にドームのチケットをさばかせていたなど、驚愕のネタもある
プロレスから離れた人も戻った人も、本書で暗黒時代の深淵を覗いてみてもいいのではないか

『新日本プロレス伝説「完全解明」』 ミスター高橋

レインメーカーには注目している。外道さんがあんなに喋れるとは思わなかったなあ

新日本プロレス伝説「完全解明」 (宝島SUGOI文庫 A み 3-1)新日本プロレス伝説「完全解明」 (宝島SUGOI文庫 A み 3-1)
(2009/04/04)
ミスター高橋

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ミスター高橋、新日本プロレスの元レフェリー&マッチメイカー。タイガー服部の前任者で、1972年から1998年まで努めた
引退後、2000年暴露本『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』を出版し、プロレス関係者がその内幕を明かしたとして物議をかもしたのは記憶に新しい
本書もその路線のもので、プロレスがブックありきと前置きし、いかなる段取りで決まっていたのかを解説するもの
ファンからすると、今まで隠微な口伝として伝わっていたことを、堂々と元関係者が活字にした事態にどん引きしつつも、実際の現場はどうであったのかとチェックせずにはいられない内容なのである

「猪木-ホーガン戦の舌だし失神事件」「たけしプロレス軍団騒動」「アンドレ-前田のセメントマッチ」・・・
不幸にしてプロレスの視聴が90年代以降の管理人とって、本書の事件はリアルタイムで接したものはひとつもない
が、プロレスの黄金期の事件として、底の浅いファンといえど知っているものばかりだ
ミスター高橋の言うところ、1980年代半ばからファンの心理と猪木の発想が食い違い始めたという
猪木の独走から出た強引なブック破りが、暴動を呼んだり弟子ともいえるレスラーたちを傷つけたりした
じつのところ判断そのものは、的を射たものもあるのだが、そのやり方が当事者に知らせぬ独断的なもので、あまりのサプライズにライブのファンを困惑させた
象徴的なのが、藤原組長による「冬の札幌テロ事件で、「かませ犬発言」から発展した長州と藤波の「名勝負数え歌合戦」がマンネリになりかけたところ、猪木は入場中の長州を襲撃させ、二人の勝負を否定する行動に出たのが真相だという
こうしたやり方では点としての事件は作れても、線としての因縁、歴史として楽しめない。この事件を小川-橋本戦への源泉と捉えることもできるだろう
WWEを見習ってメディアを巻き込んで組織的に取り組んでおけば、その後の停滞を免れたのでは、というのが高橋の主張
まあ、何を今さらという話だし、NWO「大仁田劇場」(笑)などそうした流れもあることはあったと思うのだが

本書の難点は、本人が深く関わりすぎたゆえに個人視点から事件が把握されていることだろう
この手の暴露本の常として、昔の会話のやり取りなど人違い、勘違いも充分ありうるし、ことが猪木に重点が置かれる以上、その真意の読み取りようで大きく解釈も変ってくるきわめて主観的な回想と覚悟すべきだ
とはいえ、これがプロレスの裏側かと、新鮮な部分も多い
スペースローンウルフ時代の若き武藤敬司にフォールをとらせるため、相手のケビン・フォン・エリック、タッグを組む猪木の了承のみならず、ケビンの父である「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの許可をとる必要があったという
ばく然と想像はつくものの、具体的なマッチメイクの実務を拝見できたのは良かった

流血の魔術 最強の演技 (講談社プラスアルファ文庫)流血の魔術 最強の演技 (講談社プラスアルファ文庫)
(2003/05/21)
ミスター 高橋

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